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クリシュナムルティ

世界に争いをもたらす観念の正体とは何か。それは記憶欲望だとクリシュナムルティはいう。過去の結果としての記憶 、そして記憶に基づいて未来へ投影される欲望 である。クリシュナムルティは時間 を物理的時間と心理的時間に分け、心理的時間を否定する。物理的時間は事実であるため否定できない。事実は否定できないが、事実についての見解は否定できる。精神がつくりだす過去未来 といった時間の観念(心理的時間)は実在である今を犠牲にしようとする。

記憶は物事に対する固定的な反応パターンを形成し、いまあるものをありのままに捉える妨げとなる。不安 や恐怖も反応パターンの虜になっている精神が生み出したものだという。恐怖 とは「未知なるものへの恐れ」というより「既知なるものを失うことへの恐れ」だとクリシュナムルティは指摘する。時間を媒介として物事を見ることは破壊的作用をもたらす。 が恐いのは を失うのが恐いからである。孤独屈辱 も自分が愛着しているもの、記憶として価値ありと思っているものを失うことへの恐れである。精神は失うことへの恐れから内部にも外部にも様々なものを蓄積しようとする。ところが蓄積したものはそれを失う恐怖を生む。かくして精神の活動は悪循環におちいる。新しい型を作ったり、古い型を強化したりしても型にはまっていることは変わらない。

精神活動内での時間観念を拒否するクリシュナムルティは未来への希望努力 すら裁断する。未来はあるべきものという観念にすぎず、あるがままのものの認識ではないからだ。時間を当てにするかぎり、つまり「いつかは」こうなってやろうと思うかぎりあるがままのものと向かい合うことはできない。未来において何かになろうとする欲望は現在との矛盾で闘争となる。悟りを開きたいとか神の意志に従いたいというのも一つの欲望である。

解決 [編集 ]

時間から離れ、真理を理解するにはどうしたらよいのか。思考の活動が静まり、努力の産物でない静寂があるときに永遠 のものが出現するとクリシュナムルティは言う。条件付けが終焉したときに愛があるとも言う。あるがままのものは常に動いており、神や真理は一瞬ごとに生じる。逆説的だが精神活動が終わったときに限りない創造が生まれ、自我が終わったとき絶対の自由 が生まれる。常に新しい実在 を知るには記憶、信念などの条件づけは邪魔な足かせである。クリシュナムルティは真理に到るための訓練方法は説いていないが、彼の方法に近いものが完全に受動的な自己認識である。精神 によって認識するのではなく、精神を認識すること。観念に目を向けず、観念を生み出す思考の過程そのものを理解することが彼の言う自己認識である。精神の働きの全体を見つめることで自我を支配しているものを理解するのである。ただし自我を支配したり終わらせたりする実体があると考えてはならない。根源的自我とか神を想定するのもまた、自我のよりいっそう強い働きだと彼は言っている。

クリシュナムルティは自己を理解することは関係 を理解することだという。人は単独では生きられない。生きることは関係の連続である。関係の理解が人と生の問題を解決する。クリシュナムルティにとって真の関係とは の関係である。ここで言う愛は「嫌い」の反対の「好き」とは違っている。好き嫌いや損得の関係は孤立なのだという。そのような感情に基づいて関係を求めれば、対象が得られなかったり飽きたりしたときには関係を変えてしまう。「私」の感情、「私」の利益からはなれ、ひたすら自分の全体を委ねる愛のことをクリシュナムルティは言っている。愛こそ人と生の問題を解決できる。対立物としての敵をたえまなく作り出す思考によっては解決できない。

結論 [編集 ]

思考は今まで人の問題を解決しなかったし、これからも解決できないだろうとクリシュナムルティは主張する。思考は部分しか見ないので、思考すればするほど問題は細分化され、複雑になる。理論を探求するのではなく事実を見つめること、部分ではなく全体を見つめることで問題が解決されるという。特定の問題の枠組の中では思考や努力や知識や諸々の精神活動がうまく働くことはあるが、クリシュナムルティが提示しているのは個々の問題の解決方法ではない。問題を生み出している枠組そのものを変える、本質的な生の変容の方法をクリシュナムルティは提示しようとしているのである。


資料として、はりつけたんだけど

まともに読んでない。



クリシュナムルティは自己を理解することは関係 を理解することだという。

人は単独では生きられない。生きることは関係の連続である。

関係の理解が人と生の問題を解決する。

クリシュナムルティにとって真の関係とは
の関係である



なんちゅうか、日本人の感覚でいうと、

「んなこと、あたりまえじゃん」

で、

こういうことを哲学的に考えないとわからない

外国人のバックグラウンドってのがあるんだよな。

敵はいつおそってくるか、わからず、

隣にいる人間も侵略者かもしれない。

と、いう国がつながってるところにいると

人を信じられない。

いわば、その哲学はむしろ、どうやったら人を恐れず

信じていける強さをもつかというための考え方におもう。

日本ってのは、やっぱ、無茶に侵略された歴史もなく

最終的には

「同じ民族。話せば判る」ってのがあるから

すでに信じてるから

当然、相手のことも配慮できる。

そういう気質を忘れ去ってるから

土台の違う外人のSPをありがたがって

感化されて

言葉だけの概念になってしまう。

って、ことに気がついてない日本人らしさ、忘れてる人、多くね?

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