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高橋KOU様と・・

かなり、長いので追記に掲載しております。

168

評価、ありがとうございました。
手持ちの作品はほとんど削除してしまったので、
ここには、二つしかありません。

参考になるか、どうか、わかりませんが、
文芸社のほうから、全国出版の話と、特別推奨作品に推したいとの話をいただいた作品があります。(いろいろ、あって、資金もなかったので、断りました)自由に読んで欲しいという事もあって、ブログにおさめてありますので、良かったら、読んでみてください。
ここは、アドレス添付できないので、作品のタイトルをかいておきますので、気がむいたら、検索でさがしてみてください。

壬生浪ふたり・俄狂言・「恋語」
沖田総司と土方歳三で、こんなことがあったかもしれないという、
異聞です。
通常の新撰組をお好みの場合はお勧めできませんが・・。

167

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-20 01:43:21
  • >憂生さん

    御返事ありがとう御座います。
    作品を検索して読ませてもらいました。(まだ最初の部分だけですけど)
    僕は、本業が映像の仕事なのですが、読み物と言う別ジャンルの作品作りも大変好きなので、色々な方の作品を読ませてもらってます。
    文章だから出来る面白い表現や、言葉の使い方が楽しくて仕方がありません。
    これからも、読ませて頂きますね。
  • 166

  • 有難うございます。
    今日、篠田監督の万葉集の解説をきいていて、映像視覚の人は凄いなあとおもったのが、詩のシーンを映像で捉えるというところでした。
    おそらく、あなたも、読みながら映像にとらえるのではないでしょうか?
    この表現を映像だったらどう表現できるだろうかという視点も読み物をもっと多次元でとらえられておもしろいでしょうね。
    憂生はカメラやってたんですが、逆に、画像にこめるものって、かなり鋭利な視点が必要だなと思って、無理だなあとやめたっていう経緯があります。
    でも、映画などの表現については、一目おくものもあり、
    実は密かな夢は白蛇抄の映画化だったりってのがあります。
    (夢というより、空想だな)

    またのおこしをおまちしています。
  • 横棒
  • 165

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-21 22:51:41
  • >憂生さん

    映像だと一瞬の表現も、言葉では違った表現が必要なのが面白いと思ったり、また難しく感じたりしています。
    昔、Vシネマ(低予算でしたけど)の脚本書いていた時は、動きの表現は単純に書くようにして、小説的な文章にならないように注意してたのですが、いざ小説を書こうとしたら、癖が抜けないと言うか、頭の中にある情景や人物の行動を単純に書き過ぎてしまったりして、文章そのものの面白さの表現をする人達って凄いと感心してしまいます。
    映画化への道は色々とありまして、裏技としてピンク映画ってのがあります。
    ピンク映画は、アダルトジャンルに入るシーンさえあれば、あとは自由に作品を作れたりします。
    大手の配給では難しいけど、映画にしたい脚本があるからピンク映画にしちゃった人もいますしね。
    また伺わせて頂きます。
  • 164

  • 白蛇抄はかなり、スピリチュアルであり、裏神道部分もあり、と、かなりこむつかしい作品です。
    性表現が介在する部分でどうも、そこだけ読みに来るというのがありまして、アダルトもかいてるのですが、最近はエロログでの検索やアダルトサイトからのリンクやそこからの訪問はアクセス禁止をしいてます。
    エロを読みたいなら、ほかのとこにいきんしゃい。
    もろな表現で書いてるけど、本筋そこじゃないってことがわかんない青いおに~~ちゃんや、おね~~ちゃんは、いらね~~~~/笑
    って、感じです。
    で、この作品はかなり構成も複雑なんですよ。
    出版できるか相談した時の書評の一部があるので、
    ちょっと、貼り付けさせてもらいます。
  • 本来は白蛇抄が出版できるか、問い合わせたのです。
    すると、保留という妙な結論になってしまって・・。
  • 人と鬼と、そして神。
    多くの登場人物が絡みあいながら、少しずつ物語の道筋が付けられてゆく。
    ―読み手は何よりもその壮大で深遠な世界観に度肝を抜かれるだろう。
    エピソード はそれぞれ個々に独立はしているものの、前章が次章に、
    そして、次章が前章と関連しながら、著者の描く世界の拡がりは留まる事を知らない。
    番外編4編を含む全十四編の本作品は、複雑な人物相関の中で、
    人間の業、情愛の深さ、本当の優しさ、
    そうした「人間」そのものをテーマに描きだした超大作である。
     政勝を主人公とした第一編の「蟷螂」は作品全体の布石であり、
    続く「悪童丸」では陰陽師 白河澄明の存在があきらかにされてゆく。中略。
    第5編「邪淫の果て」までで、彼らをとりまく人と鬼、神との相関関係因縁が
    概ね紐解かれそれにつれて、本作品の世界全体も膨んでくるのである。
    本作品は陰陽師の活躍を単純に描き出す「活劇」でもなければ、
    単に時代を異にしただけの「恋愛 物語」でもない。
    登場人物同士の心模様を非常に丁寧に描き出す事によって、
    男女間、友人関係、家族の中に蠢く、人間の利己心、情欲、葛藤、
    そして愛情や優しさを浮き彫りにした人間ドラマ であり、
    本作品最大の魅力もこの複雑な人物相関にある。
    前編では、判然としなかった事が他編で初めて明らかにされる事実によって
    急に輪郭をもったものとなって眼前に立ち現われる。
    読者はまるでミステリー の謎を解き明かされた時の快感に捕われ、
    ページを括ることをとめられないだろう。・・後略。
     神と人間が交わり、半妖が跋扈する世界を舞台に
    縺れ合った情愛と怨念の糸を解かんと陰陽師が躍動する本作品は
    壮大なスケールを持った世界観と具に描き出された登場人物の心の機微が
    読み手を圧倒する興趣に富んだ物語でした。
    それぞれのエピソードを縦糸に、登場人物の想いを横糸として、
    個々の作品の枠組みに囚われない、
    作品全体をそのまま背景とした奥行きのある物語が編み上げられており、
    それが、読者を引き込む魅力となっていたように思われます。
    人物の心の襞を追い、愛憎半ばとする相関関係を描き出した
    憂生様の筆力に確かな物が感じられ、審査員の大きな注目 を集めました・・・・
  • 物語を出版すると500万くらいかかるって/笑
    (上中下3巻×500頁)そのあたりで、ほかに書いていますか?と尋ねられて
    保留をどうするかの判断材料にするのかと思って、
    3編ほど、おくってみたら、勝手に審査になっていて、
    そして、壬生浪ふたり・・が審査員全員一致で全国出版。
    って、はなしになり、白蛇抄をだす布石にしろ、100万強の賭けは出来ないと思ってことわったら、特別推奨作品に推したいって、話がきたけど・・。
    本来は白蛇抄をだしたいわけなので、又、断ったという経緯があるわけで、最近はもう、ネット作家で行くってひらきなおってます。
  • 163

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-24 01:04:49
  • これだけ高い評価を受けても保留になっちゃうんですね。
    僕が、Vシネマで脚本を書いていた当時の状況は、「僕は、かなり恵まれていた」と言えます。
    もっとも、今の僕は、アダルトの仕事で食いつないでますけど・・・・・・
    僕は、文章に関しては趣味の領域(脚本は除きますが)を出ないので、あそこまで評価された作品が紙某体として世に出ないのが不思議に思います。
    ちなみに、映画の場合、原作よりも脚本になっている物が好まれるので、もしも、映像だったら?との観点で動きを演出説明的な文章にして出してみるのも方法論としてはあります。
    まぁ、今でも秋山豊監督と言う、昔、「けっこう仮面(永井豪原作)」や「つっぱりハイスクール」の監督をしていた秋山豊監督と交流(と言っても一緒に食事したり、ハイビジョン編集を教えたりはしているだけですが)しているので、何かのとっかかりになれる時は、お声かけ下さい。
    僕のアダルトサイト(ブログ)のリンクはご迷惑だったみたいなので外しておきますね。
    多分、近い将来にはネットは、クリエーターの作品を出す中心になると思いますので、これからも面白い作品を楽しみにしています。
    まだ、壬生浪ふたりが読み終わっていないので、読み終わってからになりますけど(笑)
  • 162

  • 貴方がよんでくださるのなら、よいのですが、
    二次的に入ってきてしまう人がいるんですよ。
    その判断ができないのです。
    長年、ネット活動やってますから、当然、きっかけは性表現ばかり拾い読みしていたけど、もっと大事な事を書いてあるときがついた。
    ってな、読者様からのメッセージもいただいていますし、逆に瀕死状態の人の支えになった作品もあります。
    ですから、最初から、興味本位の気持ちで入ってくる人ははねてもいいんじゃないかって、考えるようになりました。
    ほかの部分でも「生き方」を問うようなこともかいています。
    死を前に「憂生がまた、作品かきはじめてるんだね。よかった」
    そう言ってくれた人もいるのです。
    ですから、ちゃらけた思いでよまれたくない憂生がいるのです。

    漫画の原作として、作品募集なんてことがあって、よっぽど、だしてみようかなって思った事があったんですよ。
    で、映画監督とか?
    こう言う人に一度は、読んでもらいたいなって、思いはありますね。
    中村哲平監督あたりは、自分で脚本をかいていたりして、
    こりゃ、逆に無理だな/笑
    原作からおこしていくタイプと自分で書いちゃうタイプがいるんだろうとおもいますが、・・・
    長くなりそうなので、スレッド変えます。
  • 横棒
  • で、続きです。
    この間、アンジェイ・ワイダの地下水道をみていて、
    妙に日本人の感覚に似ているとおもって、いろいろしらべていったら、
    アール・ヌーボーとかの影響があるようで、最終的には日本のほうにも、
    記念館(内容は忘れた)を立てているということで、日本的なものへの傾倒はこのころ(1958年ごろ?)からあったようですね。
    で、そうやってしらべていくうちに、同じ、ポーランドの戦時下をあつかった、ロマンポランスキーの戦場のピアニストってのがあることに気がついたわけです。
    *話、ぞれますが、ロマンポラスキーについては、少女への猥褻行為でアメリカ本国からは逮捕状がでていて、亡命している監督ということで、
    憂生は嫌いですし、フランス人の芸術至上主義も嫌いです。
    人間としてどうすべきか、って、ことを問わないで、俺は芸術家だから、赦されるのだみたいなことを戦場のピアニストでも訴えてるみたいに思えるわけです・ピアニストだから、助かったみたいな・・ところで*

    で、この戦場のピアニストというのは、原作があるわけです。
    実体験という事でポーランドで発刊されたけど、
    ドイツ軍将校にたすけられるというところがあることで、発禁になったわけです。

    ところが、ワイダの作品にもピアニストが出てくるわけです。
    ワイダは万分の1の奇跡より、万分の9999の真実を描きたかった人だと思います。
    みんな、死んでいくわけですが、この時にふと思ったのが、
    ワイダはポーランドで刊行された「戦場のピアニスト」を読んだんじゃないか?って事です。
    そして、こんな風にラッキーなことに目が奪われて、地下水道の本当のことを薄められるのを嫌った。

    ワイダが自分で脚本を書いたか、原作があったか、判りません。
    ですが、現実は決してそんなことじゃなかったという事を入れたくて
    地下水道の中で発狂していくピアニストを設定したか、脚本家も同じ考えだったのでは無いかと思います。

    脚本の出来というか、憂生も読者に言われたことですが
    「読者は見抜くよ」って、言葉です。

    蛍の墓についても、野坂昭如氏の訴える
    「生き延びてしまった懺悔」というんでしょうかね。
    このあたりの詳しい話はブログにも書いていますので省きますが
    やはり、設定の甘さというか、本質を巧く捉えきっていないと
    お涙ちょうだいになったり、ロマンポラスキーのように、
    結局、自分の弁護作品でしかなくなってしまう。

    もちろん、ロマンポラスキーが監督をしていなかったら
    そういう事にはならないだろうと思いますが。
    こういう風なところで、脚本って、かなりむつかしいと思います。
    逆に言えば脚本家も監督をえらばなきゃいけない?

    映画の原作っていうのが、見事だと思ったのは実は
    ゴジラVSヴィオランテです。
    一般公募だったと思いますが・・。

    あと、心理的によく表現していると思ったのが
    羊たちの沈黙。

    長くなりました。

    161

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-25 05:58:47
  • >憂生さん

    『壬生浪ふたり』を読み終えて、『蟷螂 』を読み始めたところです。
    ロマンポラスキーは、現在スイス当局に拘束されてますが、「映画監督としてのピークは70年代まで」と言われてる過去の人の印象があります。
    (『テス』までかな?)
    『戦場のピアニスト』は、アメリカ市場ウケが良さそうな終わり方を狙った感じがします。
    この辺が、商業主義の強い映画の良くないところで、元の作品の本日を捻じ曲げてしまう時があるからです。
    特にアカデミー賞は・・・・あまり書くと商業映画を批判してるみたいなので止めておきます。
    で、昔、「良い脚本からは駄作が生まれる事もあるが、悪い脚本からは良作は生まれない」って言われました。
    つまり、良い映画には、良い脚本が絶対条件で、悪い脚本からは良い映画なんて生まれないし、良い脚本でも演出で悪くしてしまう事もあるって事です。
    脚本が大切ってプレッシャーは、この時に思いましたね。
    そして、良い脚本を粗悪な映像にしてしまう監督の存在も知りました。
    脚本を書く監督もいますが、脚本家だけで食べていける人って少ないんです。
    だから、脚本の他に演出の仕事してたりする方が多いのですけどね。
    僕は、我の強いと言うか、原作を無視してまで自分の世界観を押付けてくる監督ってのが嫌いで、原作の世界観を映像化する監督が好きです。(ここは、良い悪いでは無く、僕の好き嫌いなんですけど)
    『ゴジラvsビオランテ』は、『帰ってきたウルトラマン』の(何話だったかな?)原案者の小林さんと言う方ですね!
    ゴジラシリーズ復活に一般公募って事で有名でしたね。
  • ワイダの作品は見てなかったので、今度見てみたいと思います。
    僕は、『未来世紀ブラジル』のディレクターズカットのオリジナル版(絶望的なラスト)を見てテリー・ギリアムが好きになりました。
    そして、ハッピーエンドバージョンを要求したユニバーサルが、あまりにもアメリカ市場ウケだけを狙ったかを悲しみました。
    あの映画を見て、狂気と恐怖を上手く演出していると感じましたが、映像の仕事をしている人間に多大な影響を与えたカルト映画ですね!
    脚本が、テリー・ギリアムとトム・ストッパード、チャールズ・マッケオンとクレジットされてます。
    『羊達の沈黙』は、小説(翻訳版)も映画も楽しめました。
    やはり、面白い原案、原作、脚本は、良い映画を生み出すと思いますね。

    最近、個人的に「サウンドノベルを作りたいな」と思ってます。

    160

  • サウンドノベルって、いうのが、ピンときてないのですが・・。
    逆パターンってありますよね。
    本人、激怒のマイク・オールド・フィールドのチューブラベルズ。
    チューブベル(管弦楽器)だけで、構成した、本人曰く大草原の中でゆっくり時間が流れていく広大なイメージだったのに、エクソシストのテーマ曲につかわれてしまった。

    で、ノベルっていうのとは、違うけど、アーサー王と円卓の騎士達の
    リック、ウェイクマンがシンセサイザーと混声合唱(オペラチック)につくりあげてます。

    で、一番のお気に入りが、ポセイドン・アドベンチャーの原作家だとは、しらなかったポール・ギャリコの「白雁」。
    これをキャメルがインストメンタルで、コンセプトアルバムに作ってる。
    この曲が秀逸で、プレーヤーの聞き比べとかには、この曲できくと、違いが判る。と、いうほど、耳が覚えこんだアルバムですが、物語とのマッチングが見事です。
    こういうのとは、違うんだろうなあと思いながら
    映画の音楽っていうのも、大事なセンテンスですよね。
    バック・ミュージックと場面がマッチしていたな~とおもうのが、
    スピードの1でした/笑
    音楽だけでも聴けるなと思ったのが、インデペンデンスデイ。
    重厚な音をだしてますね。
    映画というのは、演出家とか、脚本家にカメラに音声さんとか、役者とか、セットとか、えとせとら
    色んな人たちの集大成でできてるから、どれがかけてもというのがあるぶん、一人で本を書いてるようにはいかないし、その集大成の美?みたいなのが魅力だと思います。
  • いくつも、長々とご免。
    読んでくださって有難うございます。
    かなり、長い物語ですので、読んでいただけるとうれしいですね。
    蟷螂は布石の作品でもあり、ありきたりの作品です。
    が、これを読んでいただかないと、次がおもしろくない。
    ず~~と、そのパターンが続くと思いますが、
    第2話、の悪童丸までは、よんでくださると嬉しいです。

    ほかにも、肩がこらない時代物調BLギャグとかもかいてますし、
    一番、集客があったのが、「空に架かる橋」これは、感想数も凄かったです。本人の返信もふくめて、あれやこれやで、のべ、3万文字くらい感想があります。
    これも、一度、眼を通していただきたい作品です。
    あと、モチーフの使い方と表現をこってみたのが、やはり時代調の
    「小枝」という作品です。短いながら、紅というモチーフをつかって、
    まとめあげた作品で、これは、ストーリーとか、構成とか、表現とか
    トータルでのバランスがよいとおもえるので、推しの作品です。
    で、いまだに、ねづよいのが、犬夜叉の蛮骨×蛇骨で二次創作「拘束」という作品。大人向け(基本大人向けばかりですが)にシリアスに書いてみたものです。

    いっぽう、アダルト小説のほうも、熱狂的フアンがいるようで、
    パーマリンクとかのターゲットにされてしまったり、アクセス禁止をしいてもおっかけてくる。ある意味、アダルトであるせいもあって、怖いというか、不気味です/笑・・えない・・・。
  • 159

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-26 04:50:12
  • >憂生さん

    映画音楽って大切ですよね!
    僕は、バックミュージックの使い方が上手い映画は大好きです。
    フェチ作品なので、アダルト扱いになってしまったイメージ映像(?)の作品では、アメリカやヨーロッパから「この曲は誰の曲ですか?」とか色々と質問責めにあった事があります(笑)
    フェチって言うか、台詞の無い6分ぐらいのショートムービーみたいなPVだったんですけど、台詞が無いのに女の子の喜怒哀楽が凄く良かったと評価されて嬉しかったのを憶えています。
    単純に、ボール遊びしてた女の子のボールがプールに落ちて流されちゃったのを、服を着たままプールに入ってボールを取って来るだけのストーリーなんですけどね。
    で、先日書いた『未来世紀ブラジル』の音楽が、凄く悲惨なシーンで明るい曲を使うんです。
    それが、恐ろしいほどマッチしてて、「悲惨だから暗い音楽って訳じゃないな」と考えるようになりました。(使い方間違うと大変な事になっちゃいますけど)
    Vシネマの演出の時も、「いきなりお涙ちょうだいな喋り方はダメ!ぶっきらぼうに喋る方が見ている人に悲しみが増すよ」って演出した時、そのテイクを見てたスタッフが「本当に最初から無く芝居よりも悲しそうに見える」って驚いていた事があったのですが、活字の台詞を、どう演出するかが映画やドラマの演出の面白さだと思ってます。
    これも、ドラマの撮影の時の話ですが、誰もいない縁側や襖のカットを入れてみたりと、活字で書かれている事を、どのように表現するか?ってのは、画や映像の演出家の楽しみです。

    映像の話ばかりになってきたので分けますね!
  • 僕は、作者の読んでもらいたいと思っている時系列で読む事から始めて、次に物語の時系列で読んでみたりと、何度も楽しもうとするので、掲載順で読んでいきますね!
    実は、エロ仕事をしながらも官能小説って、僕は読まないんです。
    ウチのエロブログの人達も、映像が好きな人達だから官能小説ってピンと来ないみたいで、「活字で興奮する人達ってのは、別なんだな」って思ったりします。
    で、梅原猛著作の本の事を得ろブログで書いてたら(エロブログで、そんなの書くのが間違っているのだろうけど)意外にも反響があって、『水底の歌』の話題になったので、「それならば『猿丸幻視行』が楽しめますよ!」って話になったりしました。
    気軽に読める作品も、休憩中とかに読ませていただきますね!

    週刊誌で、出版業界の不況を取り上げてましたけど、デフレが進んでいるのに印刷費用が高過ぎるって感じてます。
    関西の印刷所は安いのに、関東は何倍も印刷代が高かったり、その辺りも出版物が難しくなっている原因だと感じてますね。

    僕の書いている話は、基本的に自分自身の過去を切り刻んでいるのですが、悩んで真面目に生きていた当時の自分を、今の自分から見ると意外に滑稽なのを思い出して笑ってます。
    まだ若くて愚かだったけど、探求する事が楽しくて、作品では妹が大好きなキャラ(実際は、僕はお姉ちゃんに甘えてばかりだったのですが)がいたり、読んでる人に自分の人生に対する考え方伝えられると良いなと思って駄文ながら書いてます。
    まぁ、映像の仕事の時もそうなんですが、壮大なネタを身近で小さな場所で表現するのが好きみたいです(笑)
    文章を書くと言うのは、なかなか難しいもので、上手く人に伝えられるようになりたいと思う昨今です。

  • 横棒
  • 158

    なんか、似てるところがあるなって、思っています。
    憂生自体もアダルト小説をかいているけど、そういう系統とか、画像とか、あまり、見ないのです。
    ひとつには、カメラやってる頃に、アートまでに高めてるものをみてしまったせいかもしれませんし、カメラ目線なんですよね。
    写真で性をアートにまで、昇華するって言うのは、ある意味、プログレシブ・ロックの感覚にも通じていて、こういうのが、貴方のショートムービーの中にもあるというのか、切り取られていった感覚の追従みたいなのは
    斬新なものです。
    で、アダルトムービーなんかについては、「やりまくり」って部分だけじゃ
    おもしろみもなんにもない。
    って、おもってしまうんですよ。
    なにかしら、感情っていうのかな・・。
    ストーリーらしきものがあって、「好き」という相手への感情が昇華したかたちでの「行為」ってのは、そのもろなシーンをみていても感動するというか・・。
    **液がつ~~とおちていくってところでも、彼女の心を表現してしまう。
    こういうのを、映像表現でもとめてしまうところが、あって、
    まあ、若くないっていってしまえばそれまでの話ですが/笑

    で、ぶっきらぼう・・というあたりのくだりです。
    これも文章表現において,同じことがいえるのですよね。
    文章の場合は平面世界ですから、立体的に演出ができにくい。
    で、そこのところを、どうするかというと、
    行間にもっていく。つまり、かかない。
    シャドウというテクニックですが/憂生ができてるかは問わないこと/
    書かないでどうするかというと、匂わす、かぎろわす。
    これを読み手が自分の中で補充する。
    すると、書いているより奥行きの深い、立体感のあるものが、
    読み手の中に生じる。
    主人公の思いはこうなんだなとか・・。
    これが、ある意味、読者を物語の中にはいりこませてしまう作用があるわけで、
    わざとらしい、とってつけた科白が観客を映像世界から素にもどらせてしまうというのとおなじように、
    なにもかも、懇切丁寧にかきこんでしまったら、「読む」のでなく
    「ながめてしまう」
    眺めるというのは、物語の外に読み手をたたせてしまう。

    で、憂生がよくやる手法が最初に
    「なに?」というひきこみをおいておくというパターンです。
    悪童丸の最初でも
    「かのとさまと百日、まぐわいなされるように」
    って、おいておくわけです。

    すると、文章のシャドウ部分に
    「この陰陽師はなにか、わかっている」がはいり、
    読み手はそれがきになる。

    形は違っても表現の根本は
    「観客をいかにその世界にひきずりこんでしまうか」
    「ひきずりこんだ観客を最後まで素にもどさせない」
    って、ことだとおもうのです。

    そういう意味でも、映画というのはいろんなところが、シビアですよね。
    ストーリーから。
    音楽から。
    撮影技術(アッテンボローなんかは、1シーン1シーンが絵になる)
    役者の技量。
    表現の仕方。科白・演技
    こういうトータルなところで、どれかひとつかけていても
    観客が素にもどってしまう。

    でも、だからこそ名作はいつまでたっても残る。
    やりがいのある仕事だと思いますよ。

    157

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-27 00:30:11
  • >憂生さん

    なるほど!シャドウですか。参考になります。
    僕は、音楽の学校に通っていたのですが、弦楽器は、呼吸をしないで音を出し続ける事が出来るので、管楽器のような呼吸の間をわざと作らないといけないって教わったのを思い出します。

    物語の外に読み手を立たせないってのは重要ですよね。
    映像でも感情移入させるとっかかりを作るのと、作品を客観視させないってのは大切に思っています。
    作品の辻褄が合わない部分があったとしても、そこを説明する事で観客が冷めてしまうならば、辻褄の合わないままと言うか説明を省く方が良いと考えて作ったり、他の監督の作品を見たりしています。

    文章の間と言うのも大切ですよね。

    そう言うのを知ると、一回読んだ作品を、読み直してみるのも面白いですね。
  • 156

    今日は全然、関係の無いことです。
    憂生はこっちではもうほとんど、更新していないのですが、
    貴方はどうやって、憂生をみつけたのですか?
    新着にあがってるわけでも、ランキングにあがってるわけでもない。

    なんでじゃろう~~~?

    と、思っています。

    155

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-27 22:33:17
  • >憂生さん

    もうほとんど偶然です(笑)
    何かの検索に『FC2小説を考える』がヒットしたところから、次に『神戸にて』を読んだように記憶しています。
    自分でも「どうやって辿り着いたんだろう?」って疑問はありましたが、後から作品を探した時、検索ランキングでも上位に来ないし・・・・・・不思議ですね。
    ただ、FC2の人気上位作品が、夢小説だったり二次創作が多かったので、順位を無視してランダムに読み始めたところから辿り着いたと思います。

    話は変わりますが、『蟷螂』を読み終えたので『悪童丸』を読み始めるところです。
  • 154

  • 二次小説もけっこう、かいてますよ。
    ある意味、とっぱらっておいて、よかったんですね。
    ある程度人生わたって見なきゃ、書けないって気がついたのが、
    今で言う、性同一障害をモチーフにした作品でした。
    依存でなく自立した生き方をかく。と、構想を練ったのが19歳。
    (蛙とか、パンパンとチョコレートなどは15歳くらいのときのものを焼きなおしてかいたものだし、壬生浪ふたりもその頃の構想)
    まだまだ、書けないと思い、断筆宣言・カメラもやめた。
    そして、ン年。
    SO2(ゲーム)の原案を文章に更正しなしたものをみせられ、Hシーンがかけないと、同人先輩(年はしたです)になきつかれ、もっと主人公の迷いとかいれなきゃ、Hシーンもただのやおい系の煽り小説。
    そんなのを手直しをしたのがきっかけで、SO2シリーズに着手し、読者レベルにあわせた作品でなく、自分のレベル(自分が読者)にあわせたものを書きたいと書き始めたのが白蛇抄でした。
    そして、2003年10月末日にネットをやり始め、いろいろ、わたってきました。ジャンルにこだわるまいと思いつつ、結局なにを書いてもどこか、理屈っぽくなる。
    アダルトをかいても、ある意味、生き様小説?説教小説?示唆小説?部分がでてくる。
    今の時流がどうしても、娯楽小説とかライトノベルなので、仕方が無いなって思うし、実際、憂生の読者層はアラサーからアラフィフス。
    どうも、感覚が古いようです。

    悪童丸は伏線の張り方、構成が高く評価された作品です。
    楽しめるとおもいます。
  • 横棒
  • 153

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-29 05:46:38
  • >憂生さん

    『悪童丸』読ませていただきました!
    感心するばかりの伏線と展開ですね。
    次を早く読みたくなっちゃいますが、仕事の締め切りが迫ってたりするのでノンビリ読ませていただきますね(^o^)
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-28 20:30:28
  • >憂生さん

    二次小説も嫌いと言う訳では無いのですが、せっかくだからオリジナルの世界を作ろうとしている作品から覗いてみたりしてました。
    『パンパン』を15歳の時に作ったってのは凄いですね!
    今は、確かにライトノベルが中心になっているし、映像作品もライトノベル原作が増えてますね。
    僕は、ライトノベルの手法そのものは、商業作品では取り入れるべきだと考えてますが、全部が同じになっちゃうと飽きてくると思うので、色々なジャンルの作品があってバランスが取れると考えてます。
    無理に読む側、見る側に合わせると、作品そのものが破綻する場合もあるので、僕は「作り手のオナニーと言われてしまっても良いから、コンセプトを崩さない作品にした方が良い」と仲間内では言ってます。
    自分のまったく興味の無いジャンルの仕事の時は、リサーチが全てみたいな作り方しますけどね(笑)

    伏線の張り方楽しませてもらいますね!
  • 152

  • 3作品を保留の判断に使うと思って送った時の書評の一部です。

    時代設定も舞台も、それぞれ異なる3つの恋愛 物語。

    「白蛇抄」同様、やはりこれらの作品にも「憂生ワールド 」と呼べる物が確固として存在している。

    細かい心理描写の積み重ねによって織り成す著者の人間ドラマ は、恋愛というテーマを掲げながらも、決してそこだけには留まらない。とりわけこの三作品に関しては、「人間」と云うものを真っ直ぐ見据え、人が生きるという事を誠実に問う姿勢が終始貫かれており、静かな感動に満ちている。
    もちろん改善してゆくべき点はあるものの、今回の3作品は著者の力量を改めて認識させられるものであった。

    著者は自分の持つ色を失わずに「世界」を描き出せる。

    *あと、読者様からいただいた言葉ですが、
    上のに似たような言葉
    「憂生が書くから・・空気がかわる」
    「憂生ならどう料理するか・・」

    *長すぎた・・わけるべ**
  • と、いうことで、二次創作だろうが、古典の焼き直しだろうが
    問題はどう「憂生風解釈」していくか、「憂生酵母菌」をいれて、
    どう発酵させていくかだと思うわけです。

    そして、まあ、読者様にめぐまれているというか・・。
    読者様のほうが
    「読み手を意識しているんじゃないですか?
    迫力がなくなってます!!」なんて、叱ってくれる。

    書き手側はとにかく、書く。
    それを受け取る、受け取らないは、読者が決めること。

    問題は「作品自体がうなり声をあげるものを書く」
    って、ことだろうと・・。

    こう言う意味合いで、ネット作家で居るのは気楽な部分です。
    視聴者や受け具合とかを考慮しなくていいし、
    出版しなかった理由のひとつに、出版社側には
    「売れ筋作品」を重視するというのがあるわけですよね。
    良作を世に出したい。と、いうことで、特別推奨の話が来た時も
    どうこう、いいながら、「売れ筋」を量っている。

    開き直ってしまったのが本音です。
    10000人に読まれるより
    1人の心に響いたら、それが、価値。

    と、同時に
    読者様から
    「ほかの作品もお金を払わず、読んじゃっていいんですか?」
    って、きかれたことがあったり
    「憂生が出版したら、絶対買う」とか・・・。
    ダウンロードしてプリントアウトして読んでくれたり・・

    出版にこだわらなくても、出版以上の価値観で読んでくれてる。

    問題は読んでもらうってことだから。
    方法論にこだわることはないってね。
  • 横棒
  • また、いっぱい書いてしまって、申し訳ない。

    で、ライトノベルとか・・実は、憂生はほとんど、人の作品をよむことがない。
    で、それは、やっぱ、自分のコンセプト?とてらしあわせてしまう。せいかな・・。
    多くのアマチュア作家はもうひとつ、掘り下げとか独自の論点とか視点をもってない。
    引き込みという手法もいまいち、うめこめない。

    そうなると、自分の作品をこねてるほうがおもしろくなってしまう。

    で、日記とか、歴史云々でも、元々書いてる人のところへ、コメントを残す。自分でも掘り下げて書いてみる。を、すると、奢った言い方だけど
    もともとの人の記事が浅いってことを露呈させてしまう結果になってしまう。これで、逆にその人たちが、かけなくなっちゃう。
    って、ことがあったりして、ああ、こりゃあ、まずいなあ・・ってね。

    と、なると、いっそう、自分がかいていくだけにしよう。
    批評についての云々はかいたことがあるけど、
    自分が披瀝されると、逆に相手をつぶしてしまう。

    本来そういう目的じゃないし、書く気をそだてていきたいみたいなところでの、視覚をひろげてほしい。ってのがあったわけだけど、こりゃあ、向き合い方が違うっていうのか、人に望むんじゃなくて、自分に望むべきだなって。

    そんなんで、とにかく書く。もっぱら書く
    ってのが、憂生の訓示になってます。

    151

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-29 18:45:23
  • >憂生さん

    作品に憂生ワールドがあるって大切ですよね!
    「作品自体がうなり声をあげるものを書く」ってのは、とても共感します。
    映像作品でも、狂気と言える部分まで作品を昇華させれば、売れるかどうかは分らないけど作品そのものの評価はされるもんだと言ってます。
    まぁ、僕のVシネマ脚本では、作品評価の割に売上が悪かった経験もあるんですけどね(笑)
    どうしてもメーカーや出版社は、売上が良い作品にしたがります。
    実際、プレゼンの時に、作品の中身よりもユーザーの需要の方が重視されちゃうので、好きな物を作れないジレンマは出てきますね。
    意外に海外は、評価が素直で、市場が云々よりも良い作品は良いと言ってくれるところが多いです。
    認められるのが大変な事には変わりないですけど・・・・・・
    僕は、「自分が愚かで浅はかで滑稽でどうしようもない」と感じたりすると、滑稽なまでに愚かな自分をキャラクターにしているので、「どんな作品でも自分なのだな」と思うところがあります。
    どうも客観的に人間を観察出来ないらしいと言いますか、引き出しが少ないようです。
    だから、他人の作品を読んだり見たりするたびに「おー!凄い」って思っちゃうんですよね。

    僕も長文になってきたので分けますね!
  • 『蟷螂』を読んでから『悪童丸』を読んだ時、僕は展開の見事さと表現に見事な組み立てだと思いました。
    そして、細かい演出が良かったです。
    「通り越す」の表現は、なかなか思いつかないところです。
    この言葉は、効果的に話を面白くしてくれてます。

    「自分の作品を読んでもらう」が本末転倒しちゃって、多くのアクセスを集める事が中心になっちゃう方もいますが、僕は、自分の作品を読んで楽しんでもらえる事が大切だと考えています。
    その点、叱ってくれる読者がいる憂生さんは、良い読者がいる、良い読者がいると言う事は、良い作品を作っていると思います。

    僕は、時々ですが、売れ筋狙いの仕事の中で、自分のやりたい事を隠して混ぜ込んだりもしてますけどね。

    141

  • 作品のなかには、絶対自分がうつりこむっていうのが、憂生の考えで、
    これを逆に考えて、自分をみつけるために、あるいは、自分に鋲をうつため、書くという意味では、憂生は自分のためにかいているのであり、
    格好よく言えば求道精神みたいなところがあります。

    実際、因縁通り越すという考え方も自分のことであるわけだし、
    さらに、まだ、この、因縁の通り越す。の本当に通り越すとはどういうことか、ってのが、第6話くらいにでてきます。
    じゃあ、因縁を通ることになるのは、なぜか。
    澄明にすれば、なぜ、同じようなことを繰り返し見せられたり
    (勢姫と悪童丸のように・・)
    相手を救うことをやらなきゃいけなくなるかとか・・
    このあたりが、また、さらに先のことで出てくる。

    あんまし話すとねたばれになるんで、おおまかなことしかいいませんが、
    この「因縁通り越す」って、考え方に着目してくれたのは、嬉しいですね。
    で、そのせいで・・
    まだ、さらにおくがあるって、くっちゃべりたくなってしまった。

    まだまだ、伏線がはいりこみます。

    いや、すでに入ってる伏線の展開図かな。

    楽しんでいただけたら、幸いです。

    この物語はオムニバス形式ですが
    順番によんでもらわないと、「奥」がみえない。

    ややこしい作り方をしたもんだとおもっています。
  • 140

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-05-30 01:45:03
  • >憂生さん

    オムニバス形式でありながら、話がちゃんと繋がっているって言うのは上手いと思います。
    これが、伏線を混ぜながら、どこから読んでも繋がって読めたら、それはもう神の書物になってしまうでしょうね(笑)
    最初から読んでいかないと分らないと言うのは、致し方ないと思います。

    澄明と政勝のキャラクター対比が良かった事も上げておかなければいけないと思います。
    人間の中にある常識と非常識、善と悪、喜怒哀楽の割合の登場人物への分散と言うのでしょうか?その辺りが上手いと思いました。

    僕は、脚本の時ですが、キャラクターを不完全な存在にします。
    バランスの悪い人間にしてしまうのですが、その時に、常に普通の一般的な考え方を持つ登場人物を用意します。
    異常な世界の住人への対比なんですけど、時々、異常な世界で普通の方が浮いた存在になって見えたりして面白いんですよね。
    『悪童丸』の中で、一般的な考えなら政勝なんだろうと思いながら、政勝と対で行動する澄明が栄える要素でもあると感じました。

    今後の展開を楽しみに『白峰大神』を読みますね。
  • 139

    そうですね。
    この時点ではまだ、政勝と澄明の対比ですが・・。

    本当の対比は次にでてくる「白銅」という男です。

    この白銅の妹の名前が鼎。

    かなえ。です。

    字こそちがうけど、何故、この「かなえ」という字をあてはめてしまったのか?
    かなえという文字から受ける印象がある意味同じだったからかもしれません。

    この名前の付け方は自分でも沸くままにつけるのですが、
    壬生浪・・の時でも、太っ腹な豪商ということで、@腹太・・原田にして
    お勝も運命に勝つってな、意味合いでどうしてもお勝にしたかった。

    当然、新撰組の中にも、原田はいるし、勝は勝海舟・・。
    でも、そのまま、つかいました。

    澄明も灯明・・灯明・・とうみょうとうみょう・・みょうと。

    女を日男を月・・。
    みょうと(月と日)・・夫婦を燈す・で、燈明にしたかったのですが、
    火偏は違うなって。
    さんずいの水。水はどんなものにもそまるし、命の元(水だけあればかなりいきながらえられるとか・・)
    こういういみあいで、澄明。

    そして、白銅・・これがなぜかわからない。
    打ち物として鍛え上げられ、火にものせられる白銅の鍋。
    そして、中の物を煮ていく。
    こういうイメージです。
    鼎は火鉢の中にある台のようなもの?

    で、こうなれば親父の名前を火箸とか、七輪にするべきかと・・
    悩み、雅・・にしたという。

    けっこう、名前の付け方はキャラクターのイメージと
    字音のイメージがかさなるものをつけていて、
    ほかにも、こういうパターンはあります。

    が、長くなるので・・って、すでに長い・・。
    ここまで・・。

    「異常性」ということでは、「蛙」が顕著です。
    彼なりの筋を通していく中で、
    どこにも、吐き出し口がない彼が取る行動は
    『蛙』をぐちゃぐちゃにつぶす。
    って、ことなのですが・・。

    この場合、ほかの人間との対比という形でなく、
    一人の人間の中の「狂気にもみえる」行動によって、
    逆に
    彼の正常な苦しみをえがきだしていく。

    と、いう一風変わった作品も書いてます。

    5000字くらいの短編です。

    あまりにも読後感がわるく、
    主人公をすくいだしてやりたくて、
    書いたのが
    蛙ー続編ーですが、これも1万文字ほどの短編です。

    このふたつ作品は散文調というか、純文学調につくっていて、
    表現のしかたが詩的で、自分ではかなり
    巧みというか、
    憂生の作品はある人に指摘?されたのですが、
    声にだして読んだら韻律ができているとか・・。

    で、この蛙も文字のリズムと音という点で憂生としては、
    一種、サウンドノベル?的作品として、独特のムードもあり
    気にいっている作品です。

    138

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-01 05:21:58
  • >憂生さん

    まだ読んでいる途中なので、『白峰大神』に関して読み進んだところで書きたいと思います。
    名前のつけ方って色々と面白いですよね。
    みょうと(月と日)・・夫婦を燈す・で、燈明ってのは、なかなか面白いです。
    僕の中で紫(ゆかり)としたのは、「愛情が関係のあるものに及ぶこと。転じて、何らかの縁でつながるもの」ってところから持って来ました。
    紫式部です。
    棗(なつめ)に関しては、単純で、保険医になっちゃう設定なのですが、漢方薬に使われたりするから棗って感じです。
    名前を与えると、存在が出来て性格が生じると考えているので、キャラクター作りでは名前を考えるところで楽しんでます。

    僕は、幼少期に「神」の字のつく親戚に疎まれて育ったのですが、その時に名前を一文字にするか二文字にするかで色々とあったのを聞いて、名前と言うのは面白いと思ったんです。

    一文字だったら、跡取りの可能性のある子、二文字だったら家を出て行く子ってのがあったらしく、当初、二文字の名前を与えられる予定だった僕を、祖母が一文字に変えたってのが幼いながらに印象に残っています。

    そう言えば、読んでリズムのある文章って、かなり読みやすいんですよね。
    テンポが良いと言うか、説明がくどくなる文章って、リズムが途切れてしまうから、流れを切ってしまうと言いますか、そこで呼吸と言うか、間が入ると文章の息継ぎのようになって気持ちが良かったりする。
    詩ではなくとも歌のように進む文は、読みやすいです。
  • 137

  • 名前からの印象と、いうのはありますよね。
    文字音がもつ意味ってことで、憂生は
    スサノオを
    ス=清める
    サ=魂
    ノ(ウ)=働き
    オ=緒・根源

    と、解釈するわけで、大国主命が隔世の王
    その義理の父よいわれるスサノオは
    根の国を治めよだったかな?
    ようは魂の国をおさめよってことになると思う。

    すると、上の解釈の意味がわかってくる。

    で、こういう考え方をするようになったのが
    宇波西神社というところの祭神が
    西から波にのってやってきた宇(神・無限の存在)って、意味があるわけで、宇というのが、そういう意味なら、アマテラスとスサノオの誓約は
    宇気比かな?
    で、北陸に気比神宮というのがあったり・・。

    まさかつのまは真・さは砂(細かく、繊細に)
    ってないみあいで真実・誠みたいな意味合いを感じている。

    あと、万葉集の中の刺竹の・・・って、枕言葉が大宮人にかかるらしく
    この意味合いが謎?らしいんだけど、
    これも、原文の文字でいくと、佐須太気能・・・(さすだけの)
    あれ?スサノオとにてると思って解釈。
    人の魂(人生)を清め・導くような太い気持ちをお持ちの大宮人が
    って、意味合いになり、全体の句の意味合いは
    刺竹の・・とついてるものは、
    そんな立派な大宮人が変なことをしている。
    と、いう一種、批判文が多い。
    で、ここから考えると刺竹というのは、時代劇でよくあるように、
    お上に直訴するときに、下々のものは竹に文書をはさんで、差し出すってのある。
    刺竹のは、人を導いていくべき上の人間に言上仕りたいことがあるという
    刺竹本来の抗議行動の意味と佐須・・であってほしいという、抗議の中身との二つをかねてると思う。

    日本語はこういう「音」のもつ意味合いと「訓」の意味合いを兼ね備える時があるので、言霊が幸わう国なんだと思っている。
  • で、まあ、こういう日本語の魅力っていうのかな。
    独特の表現で、感覚を凝縮してしまう。

    最近でいえば、蹴りたい背中のなかの
    「薄めたがる」
    って、表現。

    もうひとつは、蛙・続編にもらった、感想。
    ー植えつけられる感覚ー

    ただたんに、感覚主義で感想をかいているんじゃなくて、
    彼の場合、蛙・続編の主人公に
    ーかわらんでいてくれて・よかったー
    ってのがあって・・・。

    で、その「かわらないでいてくれてよかった」
    と、一言でいってしまう彼のバックグラウンド。

    恋人を亡くしている。

    これによってか、自傷が出てきてしまう人で、
    自分の感情ごと、もぎとろうとするのか。
    自殺もなんどかやってるけど、
    友人が彼をたすけている。

    そんな、彼だから、
    「亡くなった恋人への思い・
    途切れてしまった心」
    親身に辛いんだと想う。

    その彼だから、
    「かわらんでいてくれてよかった」
    が、でてくる。

    とりもなおさず、彼の想いだろう。

    だからこそ、物語の中の事が・・・。
    彼が物語の中にはいりこむのでなく
    物語の方が彼にうえつける。

    「かわらんでいてくれてよかった」

    ー憂生、俺、心臓ばくばくなっとる。
    今、かかないかんとおもった。

    薄めないことをえらんで、
    彼がメールをくれた。

    物語は読んだ人のものだとおもう。

    同じものをよんでも、いろいろ、とり方は違う。

    物語のなかに自分を見出す。

    白蛇抄のなかでもあつかっているのが、
    「思い・ひとつ」

    かなえのところでも、そうだけど、
    彼の場合もそう。

    残っているのは自分の思いだけ。

    「かえたくない自分」

    かわらんでいてくれてよかったは、
    まさに彼自身への肯定。

    憂生はそういう意味合いでも、
    文芸社のいうとおり、

    「人間」と云うものを真っ直ぐ見据え、
    人が生きるという事を誠実に問う姿勢
    を、憂生がでなく
    読む側にもたらせてしまうと想っている。

    だから、
    「憂生がかくと空気が変わる」

    そういわれる。と、自負している。

    136

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-02 05:04:47
  • >憂生さん

    日本語の言葉って面白いですよね。
    僕は、最初、「水底の歌」で柿本人麻呂(だったかな?)と猿丸太夫の話を読んで名前について興味を持ちました。
    スサノオの解釈面白いですね!
    最近、僕はユダヤ教、キリスト教、イスラム教からネタを拾ってます。
    ビッグバンをベースに物理学から始まったのですが、神が創った世界の始まりがビッグバンと似ているところからなんですが、ここで日本語に再び戻ってきたと言うか、聖書の翻訳、ヘブライ語から英語へ、そして英語から日本語に翻訳された、J・Cヘボンの『ヨハネの福音書』の冒頭「元始(はじめ)に言霊あり」で、当時のヘボンの和訳辞書でも言葉を言霊と記していたようです。(後に現代国語として修正されますけど)
    音と訓の意味合いって奥深いものですね。

    「かわらないでいてくれてよかった」と感想にあったんですか?
    物語は読んだ人のものと言うのは、確かにそうですね。
    「人間」を真っ直ぐに見つめるのは、かなり難しいです。
    でも、難しいから面白い。

    「憂生がかくと空気が変わる」


    そんな言葉をかけられるように僕もなりたいですね。
  • 135

  • 感想とか、コメントはほとんど、保存しています。
    自分でかいたことについても・・。
    作品によせてというカテゴリーの中にはいっています。
    と、いうのも、最初はそんなこと、気にしていなかったのですが、
    先の彼が「蛙」を一番最初に読んでくれた人で、足跡コメントでながれてしまったんだけど、「彼は優しいと想う」だったわけで、これも、彼を深く知っていくと、彼自身が優しい。自傷もひとつには、相手への怒りとかを相手にぶつけまいとしてしまう彼の優しさの裏返しだったりするときもあるわけで・・。

    この作品はほんとうにさまざまな読み取り方をされて、
    少年が身勝手だとか、設定が甘いだとか、難しすぎるとか・・
    一時はむかっぱらたつような、読み取り方しか出来ない作品なのかって、がっくりしてたんだけど、そこらへんもぶちまけたりしてたら、逆にまた、読者様から叱られたり、宥められたり。

    そのときにはっきり意識したように想う。

    「読み手のなにかでよみとる」
    あるいは、
    「感想・評価は読み手自身の披瀝」
    だと。

    同じ作品でも、例えばブロー・ザ・ウィンドあたりは、
    作品のように「心を閉ざした人」「恋人を亡くした人」がよむと
    もう、号泣状態であり、そんな人であったある女性が心を開きだし
    「想われているありがたさ」に涙をするほどに変わっていったり、
    逆に、こんな設定甘いよ。って、いう人もいたり。
    上の人と比べるとなんだけど、ああ、ある意味、幸せなんだよな。
    って、とれるわけで。

    どこにひっかかるかでしかないわけで、
    そういう意味合いでは、必要あるいは、肥やしに出来る人が読めばいいとおもうわけで、娯楽作品をよみたけりゃ他に行きなさい/笑

    で、こういう考え方をショーペンハウエルが逆の視点で書いてる。

    「必要な本は、丁度良いタイミングで現れる」

    それが「必要な本」であったか、どうかだけで、
    「必要でなかった本」に「いかに必要性がなかったか」を披瀝しても
    それこそ、不必要な作業。
    必要なものはそのまま、本人にはいりこむ。
    本人自体の変化とかがあるいは、披瀝そのもの。

    問題は必要であるかどうか。ここを意識しないと歪む。
    って、書いた事があるけど、まさにそうだと想う。
  • 聖書がでてきたので、ショーペンハウエルのことから・・。
    歴史を齧ってみるの中にもかいていることなんだけど・・。

    ショーペンハウエルが聖書や仏教の書物とか、読んでいった結果。
    キリストの思想・考え方は仏教からだ。
    と、いう結論にたったらしい。

    で、キリストが行方をくらましていた12年ほどの時期、エジプトにいたというはなしがあり(親戚?とかの関連?うろ覚え)
    このエジプトに居た時に、仏教の教義に触れた。
    って、いうわけだけど・・。

    紀元前3世紀頃にスリランカではものすごい数の仏教徒や寺院、祇園社にあたるものがあり、そのころにエジプトに仏教徒を派遣?していて、
    エジプトにも3万?だったかなの仏教徒がいて、まあ、一種、コロニーを形成していた/笑

    当然、キリストがエジプトにいったと想われる頃はそこまで大規模なものではなかったろうが、以前として仏教徒が居た。
    そこで、キリストが仏教の教義をまなんだ可能性がある。

    そして、ビックバーンにあたる日本神話の話もさることながら、
    人類の誕生という考え方の中に
    宇宙からの有機物?エネルギーと、地球にあったものが融合して生命が出現したんじゃないのかな?
    と、おもいたくなるのが、石神(石神井とか、シャクジンとかシャクジーとかで残っている)
    ようは元は隕石とか?このあたりの物質やエネルギーにより
    生物が出現していった。

    で、人類の祖神といわれるのが大物主(三輪明神・・白蛇神)なわけだけど、このご神体が三輪山なわけで、この近く?で天理教が起こり
    宗主中山みきのお筆先で、
    「人間ははじめ泥鰌のようなものだった」
    と、いうわけで・・。
    泥鰌から蛇という連想はあたっているかどうかわからないが
    人類の祖という考え方でいけば、三輪神社の大岩なんかもあれは、ひょっとして、隕石?
    そして、この隕石というか、空飛ぶ岩は天岩船に通じ、その岩船にのっていたのが、ニギハヤヒであり、ニギハヤヒは大物氏の祖神でもあり、
    大物氏がまつるのが、大物主であるわけで、
    このあたりの三輪明神のなかにも、人類創生の秘密?がかくされているような・・。

    世界の古い地図をみると蛇がよくかかれているのも、なにか訳あり?とおもってしまう憂生がいる。
  • 134

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-02 13:00:47
  • >憂生さん

    僕は、商業作品の映像作品なのですが、色々と励ましや感想のメッセージをもらって、批判される部分や良かったと評価する方達のコメントを読んで、自分の伝えようとしている事が伝わったかどうかが気になって仕方が無い時期がありました。
    商業作品なので、全然的外れな作品だとクライアントから怒られちゃうのですけどね(笑)
    映像って、見る人にダイレクトな視覚効果なので伝えやすいとなるのですが、文章は皆が思い描く風景さえも読み手の中にあると思うので、そこが読み手の昇華の違いになるのでしょうね。

    実は、映像を作る最初に文章が存在してて、本当にスタッフに伝わっているか?と言うのが悩みでした。

    ドラマの情景で、僕が夕日の差込む教室と指定しても、照明スタッフの思い描く夕日と僕の思い描く夕日の色が違ったりして、夜の色も僕の思い描く色と違って、結局編集で全部塗り直した事があります。
    海辺の夕日や、山の夕日、街の夕日って、色々と違ってて、言葉で示しても、海辺の夕日を知らない人達は、海辺の夕日を作れなかったりする訳です。
    このあたりが、読み手の環境や状況でも違ってくる小説に共通している気がします。

    人の育った環境や経験でも、同じ事が違って見えている。

    そんな事を意識したのは、周囲と僕の感覚のズレを知った時でした。

    長くなって来たので分けますね。
  • 僕は、文章表現がまだまだ稚拙なので、上手く伝えられない部分があったりするので、読み直してみると「アレ?自分が思い描いてた情景になっていないな」なんて事もあるのですが。

    「必要な本は、丁度良いタイミングで現れる」というのは「確かにその通りだな」と思えます。

    話は代わりますが、『白峰大神』の白峰の描写は、なかなか情念を感じて良いですね。
    まだ読んでいるのが序盤なのですが、妙に悲しさを感じさせる時があります。
    どこが悲しいと言うと難しいのですが、自分のものにしたはずなのに、何か悲しさを感じるのです。
    僕が読んでいる段階では、白銅の式神が白峰の結界に入って、営みを伝える為に返されるあたりなのですが、もう少し先に進んでみないと白銅が見えてこない感じです。
    そう言えば、蛇って色々なところに登場しますね。
    イブに知恵の実を食べさせたのも蛇の姿をした悪魔と表現されてる物もありましたね。

    キリストの行方不明の12年は、色々と諸説ありますが、キリスト教と仏教との接触は確かなようですね。
    小さな島国の更に小さな地方を描くのに、気づいたら世界中の事を調べたと言うのは、自分でも面白いです。

    仕事の締め切りに追われて、なかなか読み進まない時もありますが、白銅と不知火の道中の先を読んでから感想を書きますね。

  • 横棒
  • 133

  • ありがとうございます。
    白峰・・つまり、白蛇神というのがいてこそ、この物語がでてくるわけです。
    だから、白蛇抄なわけですが・・・。
    この白峰の悲しさみたいなもの・・。
    これが、この物語のベースだと思います。
    この白峰の思いを軸にしてかいたのが、
    法祥、回向せしむるかや。
    という第10話だったかな。
    あか・・ん。話すとねたばれになる/笑

    でも、なんというか・・。
    鋭いですね。
    ポイントをついてくるというか・・。
    因縁、通り越すのことについても、そうおもったのですが、
    今回もかなり、つたない書き方になってるとおもうのですが、
    そこから、「情念」と「悲しみ」を見る。

    やっぱ、かなり高感度の受信アンテナをもってる。
    これがあるからこそ、今度は送信アンテナをたてることができる。

    表裏一体じゃないとなりたたないってのが、
    創作かなと想うけど、憂生の送信アンテナってのが、
    なかなかままならず、学歴のせいにしちゃいけないけど、
    高校卒業程度の人間はやっぱ、いまいち、知識?語彙?が不足して
    開き直って、簡単な言葉しか使わないし、
    その分をカバーするために、いいまわしにこってみたりして、
    結果的にはそれで、くどくなった面もあるけど、
    よかったかなと思います。

    自分のものをだしたいってことで、あえて、陰陽師小説などよまず
    映画もドラマも見ず、ちょこっと、ききかじったことはつかったりしてましたが、粥での孕みおとしなんてのは、どっちかというと、キョンシーからの発想です。導師が米なげてたし/笑きっと、米には強い力があるんだと、あとはこじつけです。
    あと、なおらいはじっさいのなおらいの作法どおりです。
    あと真言はしらべました。

    ほとんど資料もなしで、勝手な術をつくり、勝手な理をつくり・・。
    ひのえの江とか、かのとの戸とかもこじつけ。

    で、大方、書き終えて、初めて、夢枕獏の陰陽師を1冊読んだ。
    呪の考え方がおもしろかった。


    自分にないものはでてこないだろうしね・・。
  • 横棒
  • 132

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-03 13:02:17
  • >憂生さん

    いやいや鋭く無いですよ!
    書き手の伝えたい気持ちが見えるって言うか、やはり作り手の気持ちが文章に出ているんじゃないかと思うんです。
    だから、読む側に伝わる。
    憂生さんの伝えようとする力が、僕にも伝わってくるってのは、良い作品なんだと思います。

    僕も学歴は低いんですよ。高校中退ですしね!
    僕は、、他人の作品を読んだり、見たりしながら、自分の作品を単なる物まねになっていないか?って、自分自身を少し否定しながら見ていくんです。
    客観視する自分と言うのを作るっていいますか、自分なりに消化出来ているのか?って判断するようにしているんですね。

    憂生さんの、他の陰陽師小説を読まないようにしたり、映画を見て極力他の影響を排除するのも不法ですから間違っていないと思います。
    辿り着く目的は同じだから、手法が違ってても、いや違っているから面白いかな?

    夢枕獏の作品は、好んで読みましたね。
    現代の話がほとんでしたけど、身近な場所が魔界に感じる面白さがありました。

    術とか言霊とか、作者の作りたいように作って良いと思います。
    僕の好きなゲームの中の登場人物の女の子が、男の子に勧められて小説を書くんですけど、その女の子は小さい頃の事故のせいで二十四時間しか記憶がもたない。
    人を好きになっても二十四時間経過してしまえば忘れてしまう。
    だから、自分は人を好きになれない。好きになる事が怖い。
    24時間後には消えてしまう自分を知っているから。
    で、その時、女の子が書く小説の中の女の子が、自分を反映している。(分かりにくくなってくるけど、小説の中の小説って事です)
    その出だしの言葉が、「女の子は神様だ。神様だから・・・・・・」だったかな?そんな文章で始まるんです。
    あぁ、自分で何を書こうとしているかが上手く伝えられないですね。

    もっと表現が上手くならないと言葉が伝えられない。
    そんなジレンマに陥りながらの毎日です(笑)
  • 131

    嘘でしょ?
    って、おもいました。
    学歴で判断するわけじゃないけど、
    どっかの、大学とか出ているなって、思ってみていました。
    才知があるっていうのかな。
    それは、特にこういう感想とかのラフなほうがなお見えるっていうのかな。

    話変わりますが、評価はいってましたね。
    憂生もべた物だとか、ぱくりだとか、いわれたことありますけど、
    人間60億もいれば、似たような発想、考えあって当たり前だと思っています。
    そんなことより、どういう風に作品に誠意を持って当たっているかってことが問題だと思っていますし、ようは、その部分は個我との対峙部分でしかないわけです。
    そして、本当の評価というのは、あるいは、自分の作品によって、あとおしされるとも、思っています。
    簡単に言えば、人のことをいえる作品かどうか?
    って、ことが問われる。
    実際、憂生もこういうことについては、何回かくぐりぬけてきたのですが、
    人のあらさがし?をしている人間の作品ほどあらばかりあるなっておもわされ、「まともにかけない奴ほど人の作品のあらしかみえない」っていうのが、結論になって、で、憂生が反論でその人の作品のあらを指摘すれば、まさにどんぐりのこづきあい/笑
    相手のどこを見るかでね、その人の「姿勢」がみえてしまう。
    だから、貴方が憂生の作品の評価をくれた時
    この人は本物だとおもったわけです。
    自分にとってどういう風に、もらっていこうか、肥やしにしていこうかという
    貴方の姿勢が良かった。

    物を書くことに真摯であるっていうのは、そういう事だと思うのですよ。

    そして、こうやって、いろいろ話をしてみると、まさにその通り。
    人生ってものについても考えている。
    生き方というものも考えてる。

    そのベースがある以上、憂生もそうだけど、
    ぱくり、べた物っていうのは無い。
    底をよみとれない自分を問題視できないって、いうところでも、
    何度か、エッセイのほうにも書いたと思うのですが
    評価のしかたということでもね。
    残念な評価の仕方をされていたけど、
    厳しく言うとそれも、「その人の披瀝」
    気になさらず・・。

    憂生がいただいた、エールです。
    「出る杭は打たれる
    打たれても、打たれても、でてくりゃいいじゃないか」

    出る杭になりつづけてください。

    色んな作品をかいてきていますし、
    よく推敲とか?こういうのを頼まれた事があるのですが・・。
    憂生がいつもいうことは、
    「作品は完成してこそ」
    どうしても、表現がでてこなかったら、平易な表現でかまわない。
    それこそ、小学生の作文でかまわない。
    なによりも、全体をとおして、書き上げるってことが大事だと思っています。
    そして、あとは、書き慣れ。
    次の作品では、もうすこし、表現が出てくる。

    これのくりかえしで、全体的な構成力とかが、みについてくる。

    とにかく、書く。

    憂生はそれしかないと考えています。

    で、こういうことのくりかえしで、
    ラフなものをかいても、「底力」みたいなのがあるから、
    読ますことができるようになってくる。

    こういうところが見える人と見えない人がいるのも事実ですが
    基本的に
    「判りやすい」これが、一番大事で

    お登勢の中でいわせています。
    「この子は頭がいい。
    頭がいいというのは、人のいう事がわかるということじゃない。
    人にわからせる事ができるのが頭が良い」

    文章って、読んでもらってこそですから・・。
    「判るな~~」みたいな共感を得られる書き方ができるかどうか。

    だから、文章の上手、下手じゃないって思うし
    全体を通してうったえていくためにも、完成させるほうが先だとかんがえています。

    そして、その過程のなかで、
    実は自分こそがそのテーマとむきあってるわけです。

    憂生はその事が一番大事だと思っています。
    だから、この部分もあなたが、
    「自分」がはいりこむといったときから、
    自分を客観視しようとしている貴方を感じ
    物書きとして、大事な部分をちゃんともってると安心してみています。

    130

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-03 21:40:47
  • >憂生さん

    評価入ってましたね。
    僕は、評価されるのは、良い評価でも悪い評価でもいいんですよ。
    これは、以前に仕事で作った作品の反響が、良いという人半数と悪いと言う人半数に分かれたときの事なんですけど、そのメーカーの社長が「評価が真っ二つに分かれるのは、作品として良い出来だってことだよ」と言ってました。
    その時の評価は、良いも悪いも同じポイントを評価していたんですけど、良いと思う人には良く、悪いと思う人には悪いってことでしか無く、作り手の狙った部分を、皆が同じように着目したって事で、僕は少し嬉しかったです。
    描きたい部分には着目させられたって事なので(笑)
    慣れちゃっているので、これからも批判されたりしながら作っていくと思います。(叩かれ慣れちゃってて神経だけ図太くなってるだけなんですけどね)
    お気遣いありがとうございます。

    学歴の件は、恥ずかしい話ながら事実なんですよ。
    僕の話の中で登場するキャラでいるのですが、僕は、高校中退しちゃって、それなのに高卒異常じゃないと入れない音楽学校に特例で入学させてもらえて、でも、途中でその学校も飛び出しちゃって好き放題に生きてたのに、某大手企業の研究所に入れちゃってなんてラッキーな生き方をしてきました、
    大学じゃ無いけど講師なんかもやってたので、学歴の事を聞くと皆が驚いちゃう。
    失敗も多々ありましたけど、その辺が良いバランスなんですけよね。

    そんなラッキーな部分だけをキャラにしたら面白いと思って、逆に間抜けな部分のキャラを分けてみた。
    「面白いキャラになっていくな」と、両方の自分が思ったりするわけです。

    本物なのかはわかりませんけど、所詮は人間なんて大差ないと思っているので、向上心が無くならない様にしたいと思ってます。

    僕としては、文章の組み立てとか言い回しが「西尾維新っぽいかも?」って思ったんですけどね(笑)
  • 横棒
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-03 21:59:13
  • そんなに誉められると恥ずかしいです。

    分かりやすい、伝えると言うのは難しいですよね。
    それこそが重要なんですけど、僕は時々自分で自分に質問しちゃう。
    分かりやs区しようとしてたら疑問が生まれちゃってる(笑)

    20年ぐらい前に、小説じゃ無くて雑誌の連載で何かの攻略を書いてたのですが、かなり悩んだのだけは憶えてます。
    分かりやすくするのは非常に難しい。
    だから、説明の上手い人のページを見たり、原稿を見せてもらいながら、アンドも書き直したものです。

    姉が旅行雑誌で、いつの間にか連載してて、分かりやすくさらさらと読める原稿を書いてるのを見て少し羨ましくなったりしましたけどね(笑)

    僕は、まだまだ表現力が足りないから、ひたすら書くしかないです。
    これからも稚拙な文章ですが、繰り返し書いていきたいと思います。

    そろそろ『白峰大神』も、船出した先を読ませてもらわないといけないですね。
  • 129

  • 憂生自体が、どういうのかな?
    悪い評価って、いうのが、嫌いなんだと思います。
    だいたいにおいて、悪い評価を読むと、最終的には
    その人自身の幅?みたいなのが、みえてしまうというのかな。

    憂生は読んで文句をたれるというのを、10代後半によくやったんですよ。
    相手は、例えば、藤本義一とか、遠藤周作とか。

    1行1行に全部クレームかいて、買ってきた本が憂生の本?ってくらいに
    本にじかにかきこむ。
    この表現だったら、主人公の感情があいまいになる!
    とか・・・/笑

    ひとつに、こんなことがあって、自分で書いたほうが早い。

    って、思わされたわけだし、
    このことで、クレームがでるような作品を書く作者のほかの本は読まない。
    ってのができあがって・・。
    はじめの1ページくらいで、判断つけてしまうようになってしまって・・。
    それを例えば、最後まで、読んで文句たれるな。
    気に入らなきゃ読むな。読んで文句言うな。
    ってね・・。
    まあ、食事みたいな感覚です。
    あ、いやだなと思ったら、箸をつけない。
    でも、それなりに食べたなら、ご馳走さまでした。
    しかないと思うわけ。

    読む、読まないを決める自由は自分にあるわけだし
    最初のとっかかりで、これは、だめだなと見抜く?力がなかったのも
    自分のわけだし、そこを棚上げして、作者に文句をいうのはおかしいね。

    って、憂生も最初の頃とは随分、変わって・・。
    無駄なことはしなくなったと思うし
    逆に、こうやっていろいろ、かいてきたりした中で
    当然、ほかの物書きさんともしりあうことになって、
    作品をよんでみるということもあるんだけど、
    手放しで読める作品が少ない。
    手直ししたくなってしまうというのかな。

    で、実際自分を振り返れば、自分の作品だって
    同じなわけで・・。

    だったら、人に向ける悪い評価は本来、自分に・・。
    良い評価は人にむけてしていくのと、
    書く精神環境みたいなところへの支援?

    実際、空に架かる橋なんかは、
    読み手の存在(コメント)により、
    快適な状態でかいていけたわけで・・。
    これは本当、読み手とともにかいていったといえる作品です。
  • こういう経験もあるから、
    書き手を育てていくというのかな・・。
    実際、憂生のことを「師匠」って呼んでくれる人がいて
    憂生はまあ、師匠と呼ばれても支障はないが・・なんて、答えておくという実に楽な関係なんだけど、
    その人でもいうわけ。
    「僕が書いてこれたのは、憂生の一言のおかげです」って・・。

    で、憂生が言ったのは、
    『文才あるね』って、そんな一言だったんだけど、
    仮にその一言のおかげで?
    彼という作家が筆を折らずにすんだなら、
    憂生は憂生の一言を褒めてやりたいです。

    そういう事もあったりで、
    どういうのかな、
    こう、書き手のモチベーションがあがる?
    そんな言葉をかける事ができたら、
    書き手も100のところを120の力をひきだすってこともあるわけで、
    どうせなら、自分の幅の狭さの露呈をしてるより、
    読み手になったら、読み手をあとおしするくらいが、
    書き手をしている側の本領じゃないかね?

    それぐらい出来るようにならなきゃっておもうわけで・・・

    その大きな元は・・
    中学を卒業したばかりの憂生に河原さん(べトちゃん・ドクちゃんを支援する会の発起人・会長)が、いくつも下のガキの手をにぎって、
    「書けよ。書けよ」
    って、真剣に言ってくれたわけです。

    そして、こんなガキんちょに思う憂生に
    「君の感性は君だけのものなんだ。
    あの文豪、川端康成にだって無い
    君だけのものなんだ」
    って、言葉をくれて・・・。

    これが、ずっと、憂生をささえてきてくれたものだったわけ。

    憂生はそこに感謝するから
    逆に自分も河原氏のごとき、姿勢で、熱をおくりたいとおもうわけで、
    だから、逆に、人のことをこてこてにしかいえない人間は
    底が浅いなっておもってしまう。(と、いって、それだから、その人間が嫌いだとか、そんな思いはもたない)

    と、いいつつ、とってつけた嘘もいえないから、
    あんまし、褒めることはしないひとだけど、
    皆それぞれ、良い物をもってるのは事実であり
    それに気がつける自分がありがたいなともおもう。
  • 128

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-04 13:16:53
  • >憂生さん

    白峰と黒龍の関係が出てくるところまで読み進みました。
    因果が因果に絡みつく感じで、徐々に登場人物の関係がつながってきましたね。
    人のつながり方、解き明かし方が良いですね。

    龍と竜って、僕は時々考えるのですが、欧州で書かれる竜(ドラゴン)の多くは思想が無い。
    極論ですが、破壊者として扱われる化物として表現されます。
    獰猛な獣と言ってみたほうが近いかな?
    ところが、日本の話で出てくる龍は思想がある。
    神として扱われるからなのかもしれませんが、僕は個人的に思想のある異界の存在って好きです。
    まぁ、悪魔なんてのも思想があって、神に反抗する訳ですが、思想がある存在って面白いです。

    時々、映像の仕事の友達に言う事があるのですが、「その世界を作った神に自分達がなれるのだから、作品の中に神として思想があるべきなのだ」なんてかっつけてみたりします。
    自由に作れる、自由に表現出来る世界だからこそ、その世界のルールも決めなければならない。
    物作りの上手い人は、それが自然に出来ている。
    世界が破綻していないです。
    陰陽師が出てくる、様々な神が出てくるにしても世界のルールには逆らっていないのが、これを作った人は上手いと感じたりします。
    時には、力技で持ってちゃう場合もありかもしれませんけどね(笑)

    で、白峰の「来世で妻にする」考えが、なかなか良いポイントになっていると思いました。
    今生の宿縁で無く、来世の縁を断ち切ろうとするところが、話を壮大にしてますね。

    実は、とある男の子供を妊娠した女性が、他の男と夫婦になる話が身近な現実にありまして、三人の微妙な関係が現在進行形で続いている。
    詳しくは書けないけど、夫婦になれなかった男女の言葉がありまして、「夫婦にななれなかったけど、お爺ちゃんお婆ちゃんになっても、好きな気持ちは変わらない」って互いに言っているのを思い出してしまいました。

    憂生の小説では出てこない事柄なのに、なぜか思い出してしまった。

    またもや長文なので分けますね。
  • 小説を読んで、自分の中の色々な記憶が呼び覚まされるってのは、文章の面白い事だと思います。

    子供にですが、僕が何か言葉を与えた礼を、その子の親から言われた事があります。
    その子の性格が、いや、生活が変わったと親御さんから言われたのですが、「高橋先生の教えてくれたとおりにする」って、教えた事は大した事じゃ無かったけど、僕の教えた言葉を実践するようになったそうです。

    自分の言葉が、良い方向に向かって安堵した思いです。

    逆に、若い時ですが、僕の言葉の重みを知らずに怒られた事もあります。
    「お前は、今の自分に与えられた力の大きさを理解して発言しなくちゃいけない」って怒られたんですけど、他人を非難したつもりも無く、本当に些細な言葉なのですが、与えられた力を知らずに言葉を発してしまった反省をしたものです。
    自分の力じゃ無くて、与えられた力ってのが笑っちゃいますけどね(笑)

    アダルト作品の話なんですけど、毎回批判しながら見てくれるユーザーがいて、その文章が僕をコキ下しまくる。
    でも、翌月も僕の作品を見ている。そして酷評する。
    そんな時、「期待してくれてるのかな?」って思っちゃう。
    だから、悪評価もうれしくて見ちゃう習慣になっちゃってます。
    僕の事が好きな人や身近な人は、僕の作品を悪く書かないから、自分の欠点を探す時には役に立たない。
    でも、応援してくれる人達は、気持ちを後押ししてくれるから、そんな人達の言葉もやはり嬉しい。

    言葉って本当に素敵だと思うのが、文章を上手くなりたいと思うエネルギーになってる感じです。

    127

  • 憂生の小説では出てこない事柄なのに、なぜか思い出してしまった。

    なんの話しか、ばらしたら、おもしろくないので、タイトルはかきませんが、そういう話ありますよ。


    そのまま、一緒じゃないけど。

    ジョージ秋山の浮浪雲の話から、もらった感があります。

    女房が昔のよしみ?と浮気して、子供ができてしまう。
    でも亭主は、「どうって、ことないです」
    って、女房を許し、女房も元の鞘におさまる。
    で、亭主が浮浪のだんなに、
    「子供は、天からのさずかりもの」
    って、いうわけです。
    ふとっぱらだねえっておもってるところに、さらに
    「あっしは、子だねがないんですよ」
    浮浪のだんなが『あちきの負けだね』って・・
    って、うまくいえないんだけど、
    事件を逆にさずかりものがこない男のところに
    子供をさずけてくれた。って、とってしまう。

    これが、なんていうんだろう。

    無我というか・・。
    いたく、感動して・・。

    で、物語のモチーフにつかったものがあります。
  • 酷評かああ。

    まあ、ある意味、憂生が言ってることはどちらかというと、
    作家同士というか、文章なら、普通誰でもかけるわけだから、
    書ける者としての態度というべきで、
    観賞作品?として読んでいくという面で言えば、
    文章ってのは、ある意味評価のしよう、が無いと思う。
    その人のスタイルというのが、確立している。
    でも、映像というのは、
    視覚ぶぶんだから、いやでも、固定したものになる。
    すると、例えば構図が悪いとか、トリミングがわるい、ライテイングが俯瞰のしかたが、ズームの速度が、場面の切り替え方が
    っていう技術的な面ももろにみえる。

    くわえて、ストーリーに科白に役者の演技に・・などなど、すべて、「現物」で、シャドウ部分って余り無い。
    これは、当然、良い悪いはでてくるし、目にみえてくる。
    ところが、文章というのは、個人の、嗜好の問題みたいなのがある。
    正直言えば、憂生にもこりゃあ、読めたもんじゃないという作品はある。
    でも、それを、こ~だから、わるい。あ~だから、わるい。と、いってみても、そこはその人の「感性部分」で、
    こっちの嗜好でしかないと思う。
    それって、やっぱり、肴を出されて、肉が好きだからこれは嫌だ。
    って、いってるようにおもってしまう。
    それ以上を望むならその人がこれはと思う人の作品でも清書して、そのくせをみにつけたりして、文章技術を上げてもらうしかないと思う。

    実際、憂生の初期の文体は初期の大江健三郎と倉橋由美子と司馬遼太郎と山本周五郎と杉本苑子を模倣したものだった。

    で、そのうち、書かなくても判る説明や風景描写を長々かくのが、いやになって、今のパターンになってきたかな。
    だから、逆にいわれたこともある。
    憂生の作品って、人体見本の骸骨みたいで、余分な肉とかついてなくて、かえって透けてみえて、気味が悪い。
    逆にそれがいいという人もいるし・・。
  • 逆に、よく知ってるひとだったら、もろにつっこむこともあるんだけど、
    やっぱ、ある意味、手厳しい。
    で、例えばそれで、作家になりたいなんていってる人がいたりすると、
    それじゃあ、無理だよ。って、おもってしまうと、かえって言えないし、
    手直ししてきても、ああ、ここまでだな。って、思うものをみせられたりすると、「憂生」じゃないんだし。って、おもうし、
    そういう好みの人もいるだろうし・・。

    憂生が断定していえることじゃない。
    って場合もあるな。

    おまけに憂生も不器用で自分で手直し文をかいて説明するときもあるし、
    結局、あんまし言うと、その人のものじゃなくなってしまう。

    デ、逆に決定的にだめな場合。
    そこに気がつかずに書いてしまう人は無理だろうっておもってしまう。
    無理な人にいくら説明しても、結局、いかに無理かをみせつけるみたいなもんだから、やっぱし、言えない。

    で、逆もいえるかな。
    褒められたら次はそれより上のレベル?にもっていくか、期待にたがわないものにしなきゃとかね。

    そして、最終的にいえるんことだけど・・
    憂生の場合、
    「熱のこもらない状態は、読者をいしきする」
    作品の2/3くらいはものすごい勢いでかきあげていて、
    もう、無我夢中で、かいていたわけ。

    だから、そこを見抜いた読者が
    「読者を意識していませんか?」
    憂生本来のまま、かけ。
    って、いってきたわけだけど、
    結局、憂生にすれば、ポイントはそこ。

    「熱がこもるか、どうか」

    結局、自分との戦いみたいなものだと思う。

    126

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-05 11:45:29
  • >憂生さん

    『浮浪雲』は好きで読んでましたね。
    正確には姉が好きで読んでいたので、弟の僕が後から読む感じでしたけど。

    憂生さんの文章は、すっきりした表現でも風景が伝わるので好きですよ。
    僕は、同意語を繰り返し重ねて強調してみたりするけど、本来の文章としては使ってはいけない文法を使っているので、使い切れていない感じがあります。
    何種類かの生クリームを重ねてみるけど、生クリームは生クリームって感じで強調する。
    これは、映像作品での僕の手法がベースになっているからかもしれません。
    他の脚本だと、「目のアップ」とかだけなのに、僕は「目のアップ~瞳だけのアップにズーム」とか書いちゃう。
    短時間だけど、しつこい映像を残すやり方が好きなだけなんですけどね(笑)

    僕は、映像の場合、色々な指示を出す為に、カメラの事、照明の事、音の事を広く知るべきだと考えて、一応勉強しました。
    で、作品を作る時に、可能な範囲を考えて演出を書いていくようにしています。
    でも、技術さんの中には「それは無理」って簡単に言う人もいる。
    簡単に言われちゃうと何も進まないから、そういう人は一緒に仕事しないようにする。
    逆に、僕が作り上げたい世界に悩んでいる時、「こうすると近い感じになると思うよ」って言ってくれる人は、支えになってくれるので大助かりだし、そんな技術スタッフに囲まれて仕事した時は物作りが楽しかったりします。

    その時に自分の出来る限りの事を全部やらなければ、作品に魂が入らない気がして、たとえ後々に見て稚拙だと思っても、その時の全てを吐き出さないと次に進めない気がしている。

    で、昔の作品を見ちゃった時、「あの当時、こんな凄い物作ったの?」なんて感じちゃう時、現在の自分が手抜きしてるんじゃないか?って反省しちゃったりするんですよね(笑)

    あ~、また長くなっちゃったので、仕事してから書きますね!
  • 125

  • 追求しつつ、追従してくれるスタッフってのは、宝ですね。

    拘りっていうのがある作品がやっぱりいいなっておもうわけで、
    伊丹十三のマルサの女の監査シーンで、窓の向こうの風景は
    マンションなんだけど、これが、いわゆる、合成というか、背景をつくったもののわけで、このマンションの窓から、煙草の煙をかすかにだして、
    キッチンからの料理の煙、湯気?にみたてる。
    で、そのマンションが映るのも遠景になるし、映される時間もわずか・・。
    はっきし、いって、そこまで、見ない。気がつかない。
    でも、きがつかないけど、生活感を演出することで、リアルな遠景になってるんだろうと思う。
    あと、竹久夢二が女性を描く時(って、だいたい女性しか書いてなかった気がするが・・)
    足のかかとに白粉?とか薄いピンクっぽい粉?をはたいてから、
    写生したとか。
    で、実際かかとをきちんとかいてるか?って、いったら、そうでもないような気がする。
    ようは、イマジネーションを盛り上げるというのかな。
    そういう柔らかな、うすいピンクのかかとの女性をみながら、
    「女っぽさ」を絵の中に抽出していく。

    文章もそういうところあるかなあ。
    と、おもいますね。
    手法はちがうけど、モチーフにこめて、「なにか」を抽出していく。
    白蛇抄のなかでは、まだ、はっきりでてきていないけど、
    小束のもっている意味合いがそれかな。

    悪童丸の舌を斜に裂く小束ですが、
    この舌を斜にさいた澄明の思いは白峰大神であかしました。

    小束の持つ意味合いは
    心の底に情をもちながら裂く

    と、いうことかな。

    これが、後にまた、はっきりしてきますが・・。

    物語全体の伏線の張り方と別なところで
    イマジネーションのこもったモチーフを
    また、あとで、あかしていくということで、
    最初に戻って、悪童丸の舌を裂いた澄明の思いが
    別の視覚から見える?重なるという・・。
    自分でも、本当、こった作り方をしたもんだ/笑

    そして、この物語自体が
    「二つにさかれたものを、元ひとつにもどしたい」
    という、裂くがあるわけで、後にでてくる荒神丸だったかな・・。
    という名前の刀も別の場面で「因縁」の結末にむすびつくわけで、
    この物語は、全部通して読まないと醍醐味が判らない。

    憂生の「拘り手法」が複雑にいりくんだものですにゃ!ちゃん♪ちゃん♪
  • 124

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-05 19:36:00
  • >憂生さん

    色々な力を与えてくれるスタッフには本当に感謝です。
    映像の細かい描写ってのは、面白いもので数秒のカットでも印象に残っちゃう場面があったりします。
    合成なんかで書き込む場合なんかは、暑さを表現したい時に、水滴のついたグラスを置いてみたりするのですが、そんな小物が合成であっても映像の隅っこに入っていると印象が違ってくる。
    ちょっとしたテクニックとして使えて効果的な表現になったりする。
    でも、その瞬間を面倒だと手を抜くと暑さが伝わらない。
    細かい部分に手を抜かない姿勢がいい作品を作りますよね!

    イメージの作り方って、文章でも情景を描写する一言が上手かったり、絶妙に仕込んでくると、くどい説明が無くても読みながら情景が思い描かれちゃう。
    そうなると「上手いなぁ」と感じちゃったり、書き手の演出に惚れ惚れしちゃったりします。

    舌を縦に裂く意味が、二つに分かつ意味にかかっているとは、なかなか面白いですね。

    色々な形で二つに裂かれた部分の表現が入ってますね。
    双子も、最初は一人の女性の魂が二つに分かれている。
    読み進んでいくと、色々と最初の部分に戻ってくる手法は全体を考えた構成力の成せる技ですね。

    僕は、構成が点と点で考えてて、途中は、作ったキャラクターと一緒に考えていくので、そこまで作り込めていない。
    キャラクター任せな部分になってるかも?
    最初と終わりは考えているけど、途中の出来事はキャラクターが勝手に突っ走っていく。
    時々、自分で作った世界なのに、キャラクターと一緒に「何で?」なんて一緒に考えちゃったりして(笑)

    伏線や表現に感嘆しながら、楽しく読ませてもらってます。
  • 123

  • 作品はほとんど、一発書きで、大まかな、ストーリーだけかんがえたら
    あとは、ただただ、打ち込む。
    (しこみを早い時期につくっておくわけだけど、その時点でどうもっていくか、考える)そのときにモチーフをみつけるわけで、
    「閃いたワンチャンスを逃さず掴み取る」
    って、いうのが、ある意味得意技で、一回、マークしたら、随所随所で
    それをつかう。(典型的に判るのが小枝の紅の使い方)
    これはもう、自分でいっちゃなんだけど、天性のものだと思います。
    手相なんかをみてると、直感線がかなり発達していて、作家なら、直観力で先までよみとおしてしまって、考えてかかない。
    と、いうタイプらしく、あとは、主人公のキャラにあわせてうごかしていく。

    で、考えた事があるのは、実は白峰大神のラスト。
    しっくりこず、立ち居地変換して考えたら、今のラストがでてきて、
    そのほうがそれぞれのキャラクターらしいと書き上げた。
    2日ほど、筆がとまっていた。
    けっこう、この立ち居地変換で乗り越えるってことは多い。
    こっちの目線で書いたり、あっちの目線で書いたりするから、
    うまく行けば立体感ができる手法だとは思う。
  • 写真といっても、広告なんかの写真だけど
    写真の中にストーリーをつくれよ。
    ってなことで、コメントいれたことがあるんだけど・・。
    マリッジ・リングのHPで、
    コーヒーカップにリングを配置してるんだけど、
    そんなのでも女性がコーヒーカップに指をのばすってとこまで、映すと
    「日常をともにしたい」というプロポーズがみえてきたり、

    ちょっと、薔薇の花びらを一輪ちらしたら、
    薔薇の花をささげてプロポーズした背景と
    彼女が彼の胸の中にとびこんで、薔薇の花びらがひらり
    なんていうのとか、

    リングのうしろにマニュキュアの瓶をぼかして映す
    (ようは、望遠でリングに焦点を合わせた状態)
    ー君の指に人生をかざりたいー
    マニュキュアで飾るよりもっと素敵な・・・

    なんて具合にドラマをかんじさせてほしい。って、かいたわけだけど、
    結局、イメージが効果的につくれたら、インパクトができて、
    それだけで、そこの指輪をかいたくなるという刷り込みができる。
    これは、ステータスがあるものほど、そうだと思う。

    ん~~。
    本当は商業デザインやりたかったんだけどね・・。
  • 122

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-06 12:03:48
  • >憂生さん

    構成を考える時に、かなり計算しているんですね。
    「閃いたワンチャンスを掴み取る」って素晴らしいです。
    僕は、夢に見たり、思いついた事をメモに残して、閃いた事を考えて瞬間を広げていく感じかな?
    書き始めると一気に進むけど、キャラクターの言い方に悩んだりしちゃいます。
    三人称で進行させるのが苦手と言っちゃうとアレですが、一人称で進めると、キャラクターの言葉に考え込んじゃったりして、話は出来ているけど言葉が見つからなかったり、まだまだ言葉を知らないと反省の日々です。

    僕は、一人称で書き進める為に、語り部意外の視点を作らないようにしているので、どうしても狭い視点にするしか無いですけど、それでも他のキャラクターの心情が見えてくるように台詞を考えて悩んだりしちゃうと筆が止まっちゃう。

    アマチュアの方の作品を読んでいると、一人称の場合コロコロと対象が変わるから「今、誰の主観で進んでいるんだ?」って悩んじゃったりするから、やはり、狭い視点になっても語り部は動かさない方が良いと考えたりして、三人称で書ければ良い事なんですけど、その辺は後々かな?

    写真の中にストーリー作るのって難しいと言えば難しいし、簡単と言ってしまえば簡単だったり、珈琲カップの奥の部分のピントを甘くして(被写体深度を浅くする)カップと共に映りこむ手(この場合は左手)の薬指に指輪をはめてたりすると、夫婦かな?なんて思えてきたりしますよね。
    ふんわりした雰囲気は、バックライトを明るくしたりなんて事もしてますけど。

    写真のレタッチも時々仕事でやってたけど、一枚で表現するのって面白いですよね!
  • 121

    場面上、別の人間が説明しなきゃ、作者が入って説明しなきゃ
    いけなくなる。
    こういう手法もつかいますが、どこまで、読んだかな?
    鼎を救ったあとの説明。
    あれを澄明みずから、説明したら、奢った感じで、澄明のキャラクターではしない。
    で、白銅では、法力的にみぬけないし、鼎のこと自体あきらめていたわけだから、思いつけない。思いついてたら、やっていたかもしれない。
    で、同じ陰陽師であり、客観的にみている立場(キャラクター)の不知火なら、「なるほど」と語ることもできる。

    と、いう視点が違うところを説明できるし、
    澄明自身が語らないということでも、澄明のキャラクターを表現している。

    で、こういうシーンがでてくるからか?
    最初のところで不知火を呼ぶ。とか、不知火のキャラつくりをはじめのうちにしこんでおく。
    何箇所か出てきてると思うけど。
    「物怖じせず口を返すところが・・」
    とか
    「てずから、茶をたてる・・作法にはこだわらない」
    渋いか?
    茶のことをいうか、澄明のことをいうか・・。
    などなど・・。
    しきこんでおくということをしておかないと、
    都合よくでてきて、都合よく説明したになるわけで・・。

    で、憂生ができてるか、どうかわからないことだけど、
    何人称にしても、見つめる対象をかえない。

    必要なのはその対象を的確にとらえられるものが、語る。

    一人称だと、客観視がなりたたない場合があり、
    より、情緒的、感情的になるという濃さはでてくるのだけど、
    「そうはいっても、こうもかんがえれる」というところを
    ふまえさすのが、かなり、難しい。
    すると、読み手がなんか、わがままな文章だね。
    と、ふまえていないところ(かきこんでいないところ)にいってしまい
    素にもどってしまう。

    短編はこの限りじゃないと思うけど、
    いろんな視覚からとらえることで、キャラが本当に生きてくる。

    120

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-06 19:30:50
  • >憂生さん

    澄明が鼎を救って、かのとが白銅に会いに行って、澄明(ひのえ)が正眼のところに帰って来たあたりまで読んでます。

    別の人間が説明するってのが僕は下手なんですよね。
    だから、視点になっている語り部の会う存在が台詞として上手く語ってくれないと、説明そのものがすっ飛んで展開してしまう。
    他のキャラクターに会わなければ説明さえも引き出せないから、小さい世界の範囲からは抜け出せない。
    だから、小さい世界で勧められるように展開を考えておくしか出来ないってのが僕の構成の欠点だと考えてます。

    憂生さんは、見つめる対象は変わっていないと思いますよ。
    変わってしまう人の作品は、「あれ?どこにいるんだ?」って思うけど、憂生さんの作品では、それが無いですから。

    僕も色々な視覚からとらえられる文章にも挑戦してみますね。

    そう言えば、「神信売買?」読みました。
    キリスト教への考え方、そうですね、神と人の契約として考えているキリスト教(ユダヤ教もそうですけど)は、悪魔と契約するか悪魔と契約するかの差でしかないですね。
    神と人の契約は、かなり一方的な内容で神の言うとおりに生きなければならないとされている。
    そして、他の神の存在は全て許さない考え方ですからね。
    悪魔アスタロトは、ギリシャ神話のアフロディーテを邪心として悪魔にしたと記憶してますし、ヨハネの福音書に出てくる怪物は確かアポロンだったかな?
    黒ミサの儀式は、魔女狩りをするキリスト教徒によって捏造されたそうですから、悪魔崇拝の儀式を考えたのもキリスト教徒だって言われてますからね。
    宗教は、なかなか難しいもんです。
  • 119

  • あはは。
    日記のほうもよんでらっしゃるんだ?
    キリスト教の嫌なところ?というのは、
    自分で悟った(白蛇抄的にいうととおりこした)ことでないことでも、
    キリストをもちだして、『物を言う』でしょう?
    狼の皮をかぶった狐ということでなく、
    日本人的かんがえでいうと、
    「言霊」の世界観で、とらえるわけです。
    「言霊」をつかいこなせるというのは、本来、「言葉」を本物にできるだけの本人の経験や通り越しや思いがなければ、できないわけです。
    (このあたりも、邪宗あたりで、使いこなせるがゆえの煩悶をかいています)
    で、あるのに、キリストが・・・とやるわけですよね。
    でも、その言葉を発する以上、言霊が動く。
    自分ができてたらいいけど、できてないと、
    「ほらふき」なわけで、今度は「おまえ、どうだ?」って、問われてしまうわけです。
    必ず、エネルギー(言霊もエネルギーです)はかえってくるわけで、
    そのときが、怖いとおもいますね。
    初めに言葉ありき。は、実にそのとおりですが、その言葉を実動させるだけのものが、言葉をはいている。
    いわば、キリストの名を語って、自分が発動させられるだけの「本物」に、なってるか、どうかを問わない。
    それでは、
    求道精神なんて、これっぽっちもなく、キリストの宣伝部隊でしょう。
    日本が悪くなっていったのは、アメリカからの3S(スポーツ・セックス・シアター)だっていうけど、憂生はむしろキリスト教だと思う。
    日本は上(親、師、目上のもの・天王・長)を思う、立てる
    上は下を思う。って、こういう精神できているのに、
    キリストが一番偉いんだ。
    馬鹿をいいなさんな。
    一番えらい?のは、自分。
    その自分を生んでくれた親。
    そして、日本。

    よその国の神様をありがたがってるということ自体おかしいわけで、
    元々は森羅万象。自然。その中で生、貸されてる自分。

    その自分をおろがむ。

    おろがむ。(尊ぶ・・己が無になる)

    これをやってきたのが日本人。
  • アメリカ気質で語られる物に、「ヒーロー」ってのがありますよね。
    どうも、このかんがえ方をひっくりかえすと、ヒーローの反対の存在が必要になってくる。

    で、日記でもかいたけど、
    日本の元々は自然崇拝だから、自然の持つ正邪の部分を判っている。
    わかっていて、ようは自分のやり方次第。
    鬼でたとえるけど、それを悪にするも、善にするも、ようは、自分の心のもちかた。
    だから、逆に心のありかたを問うわけだけど。

    キリスト教は絶対的聖・正だから、二面性をもてない。
    うけいれられない。
    だから、相対する存在を作り、自分の心が悪いのでなく
    悪魔のせいでそうなった。に、しておかないと・・。
    自分をありのままの姿を受け入れられない。
    悪い自分はあくまのせいにしておかないと、
    その罪悪感に自分がつぶれる。
    そういう精神的弱さがあるから、キリストに庇護されたがる。

    これも、ヨーロッパ本国のもつ風土かなとは思う。
    童話でみてても狼はむごい報復をうけ、仔ヤギは喜んで踊りをおどって、狼死んだ♪
    日本で言えば、おばあさんを茹で殺しにされても、ここまではやらない。
    報復や復讐でなく、「こらしめる」
    改心したら許す。
    こう言う風土も、自然崇拝の二面性からかもしれない。

    わるいことをしたら、ぶっ殺されるんだから、
    いや、これはあくまのせいです。
    みたいなことにしなきゃいけない。
    この裏返しがヒーロー崇拝。

    そんな極端な捉え方もおかしいんだけど、
    悪魔を生み出さなきゃいけない元はあったと思う。
    大義名分を作るのが得意な国だから、
    (パールハーバーとかもね)
    当然、悪魔という大義名分が必要だとは思う。
  • で、細木数子じゃないけど、日本が鎖国政策をしてたっていうことは、
    本当に日本をたすけてるとおもうわけで、これが、おかまいなしに銃をもつことになったりしたら、どうなっていたかとおもうし、
    アヘン戦争を考えても、民族の戦いの歴史の繰り返しで
    自分さえよけりゃいいって、自国民にアヘンをうりさばいたわけで・・。
    このあたりも、日本人というのが、「日本人」という意識がつよかったか。
    アヘンがはいっても、「麻酔」みたいなことにしかつかわない(そりゃあ、なかには、悪い奴いたとおもうけど)
    これも、先の二面性を踏まえてるとも思える。
    正しい部分をどうつかいこなすか。
    ただしい使い方をする自分を創る。

    そして、根本的には人の為。そして、お上のため。
    そして、国を考える。
    アヘンなんかやったら、民がぼろぼろになる。殿様(領主)がぼろぼろになり・・国が滅ぶ。
    それもこれも、二面性を重々承知し
    邪の部分にながされないようにするのは己でしかない。
    と、体得してきた自然信仰があったからだと思う。

    まあ、日本という国はありがたい国だと思うよ。

    すまそん。また、ながくなっちった。

    あ、そりから、憂生にさんいらないです。
    いつもいうことなんだけど、話がおもしろくて、
    しっかりわすれてました。

    定型文
    「憂生にサンはいらない。
    サンはもののけ姫にくれてやった!!」
  • 118

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-07 11:14:19
  • >憂生

    お言葉に甘えてサンは外しますね!
    そうですね、アメリカは特にキリスト教をずるく使っている部分がありますね。
    新約聖書なんて、キリストが処刑される時代の生活習慣に合っていないところとかがあって、けっこう問題になってますしね。
    絶対神ヤハウェの作った怪物が、いつの間にか悪魔として獰猛な化物と表現されてしまったり、欧州に渡ってから別物になっている部分がありますからね。
    特に、悪魔と言う、敵対する存在を強調したプロテスタントの考えは恐ろしいものです。
    こりゃ戦争はなくならないのも当り前だって思っちゃいますから。

    「日本の神は寛大である」って、どっかの学者が言ってたような気がします。
    仏教が入って来ても、仏の存在を認めちゃう。
    外来の神々の存在を否定しないとか言ってたような記憶があります。
    小学生の頃、神話とか好きで読んでたけど、最近は読んでなかったから忘れちゃってますね。
    また、色々読んでみようかな?
  • 117

  • 日本人のかんがえ方に「のさり」って、いうのがある。
    意味合い的には「天のすること」
    って、いうかんじかな。

    これも、白蛇抄でつかってるけど、この言葉は司馬遼太郎の随筆のほうで、発見した。

    日本が自然崇拝ひいては、八百万の神ってことになってくるんだけど・・。
    それより以前に、歴史を齧ってみるのなかでも、のべてるんだけど・・
    「天」という観念が存在していたということがあるとおもう。

    天の思惑を問う。
    みたいな、かんがえかただけど、
    森羅万象というのも、自然がみせてくるもので、
    その自然をつくったのも「天」という考え方。
    これにあてはめると、神様も人間も(いい奴も悪い奴も)動物も現象も
    天がその存在を許す。
    ってのがあって、逆に「そういうことがおきたのは、天の思惑」って、かんがえかたをする。
    だから、ほかの神様や仏神も天が許した存在でしかなく
    天が許したことに、ごちゃごちゃいう必要はない。
    問題は天のおもわくでしかないわけで、
    どううけとめるか?
    って、ことになる。
    で、下手な受け止め方をすれば、ろくなことにならないわけだけど。
    結局、こういう考えがないから、おかげ信仰とかにはしってしまったり、
    邪の存在をつくって、それをうけいれられないという
    (受け止め方)をして、結局ろくでもないこと(戦争)になる。

    天という概念があるから、日本人は
    原爆をおとされたことでも
    アメリカがおとしたわけでなく、
    天がそれを許した。許した思惑ってなんだろう?
    ってなかんがえかたでみるから、それ「のさり」だなって。
    って、受け止めてる。運命とかそういう考えじゃないわけ。

    ここらへんが、ほかの国にはない「寛容」をつくりだしていく基じゃないかと思う。
  • 116

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-07 19:09:22
  • >憂生

    「のさり」って初めてしりました。
    司馬遼太郎の随筆は読んでなかったから、全然知らなかったです。
    やはり、色々と言葉を知ってますね!
    最近、mixiの日記に書いてた事なんですけど、僕はキリスト教から邪教として扱われ、その地方の神だった存在が悪魔として扱われるようになった経緯を、当時の支配民族の変化と名前の組み換えから探るのを時間を見つけては探っています。
    僕のmixi日記からの引用なんですけど、ちょっとコピペしちゃいます。

    <ヨハネの黙示録に出てくるアバドン(別名はアポルオン)は、ギリシャ神話の太陽神アポロンからアバドンになっている説もある。
    他にも有名な悪魔アスタロトのルーツを探ってみよう。
    セム族に進行されていた女神アシュタルテに行き着くそうだが、メソポタミア神話では豊穣と愛欲の女神イシュタルになり、ギリシア神話では、美の女神アフロディーテになる。
    さぁ、ここで言葉の面白さが出てくるのだが、蠅の王ベルゼブブは、元々はヘブライ語でベルゼブルと良い、その名の意味は「天国の王」や「高所の神」だそうだ。
    もともとはカナン地方の神であったと言われている。
    それが、ユダヤ民族がカナンやフェニキアを支配するようになって「糞山の王」という意味のベルゼブブに転化して、糞に群がる蠅の王とされたのだ。
    つまり、ユダヤ教の支配地域が拡大する事によって、それまで神とされていた存在が悪魔として扱われるようになっているのだ。 >

    と、一部ですが、抜粋してみただけで日本の神の存在って、日本民族が他の国から支配されなかった事から邪神にされなかったと思ったりします。

    コピペで長くなったので分けますね!
  • 「天」の概念は、聞いた事があります。
    もっとも、詳しいところまでは知らなかったですけど、確か手持ちの何かの本にあったような記憶が・・・・・・
    「森羅万象を司る神は、どこにでも存在し、肉体には備わらず、目には見えない、それゆえに神は自分から姿を現さず、自己主張する事も無い」でしたっけ?
    そこから八百万の神になり云々・・・・・・と、あったようなような記憶なのですが、読んだ資料の抜粋なので、詳しい事は分からないのですが、西尾維新著書『化物語』の『ひたぎクラブ』で使われてたかな?
    話が脱線してしまいそうだな(笑)

    陰陽師を題材にしているだけあって、詳しいと感心するばかりですよ。
    もう少しで『白峰大神』のラストを迎えるので、どんな締めくくりになっているのか楽しみにしています。

    115

  • もう、ほとんど、本をよむことのないひとで、10年で4~5冊?
    10代のころに読み漁ったのと、親父が子供向けの世界文学全集みたいなのをかってくれて、そこで、旧約聖書とか、三国志とか、車輪の下、カラマーゾフの兄弟、雨月物語、ラーマヤナ・・と世界各地の代表作みたいなのをよんだのが、下地になったかなっておもうわけです。

    そして、書き始めたらいろんなことがちくせきされてたんでしょうね。
    一気にふきだしてきた。
    って、かんじもあり、およそ、かきあげたもの50編くらいをもって、
    ネットにはいりこんで、今度は日記三昧。

    毎日5~10個くらいの日記をあげながら、連載を開始し、
    ネットでは、どちらかというと、
    こういう日記を書く(あほげたことやら、まじめなことやら)人間が書く物語ってどんなだろ?
    って、とこから読みに来てくれた人がおおかったですね。

    そのころの掲示板の話を一つ揚げてみます。
  • 連載ふうだと次どうなるのかと楽しみですね。入り組んでいる時は過去にさかのぼって見られるからいいです。
    日記とブログ交互に見ています。

    先日小学校の学芸会で「もう一つに戦争」朗読劇をやっていました。子供達が疎開し、疎開先でのことを扱ったものでした。それを見ていたおばあさん達は、そだそだ・・・そいなごとあったなど目をぬぐいながら見ていました。孫の演ずることは体験したことだったので思いがよくわかったのでしょう。かたや若い母親たちは未経験でも子供達の演ずる劇をしっかりみて戦いだけの戦争ではない別の面の戦争のたいへんさを見ていたことでしょう。
    ざわついていた体育館は、シーン としました・・・

    同様のことが読者にも当てはまると思います。ある程度経験ありでわかる人と未経験な人の感想は違うかもしれません。が、それなりに受け取るものがあるはず・・・・読んでいる時はそんなこと考えてはいないけど・・・読後感はあるよね。
    生き残っている「あたし」がどうなっていくのか楽しみです。

    近くに飛来している白鳥です。ホッと一息いれてね(^-^)         kumina
    先日、NHK で、地雷撤去のためのレーダー製作に携わっている男達の話を放送してました。
    「空に・・」では、撤退を余儀なくされた兵士が地雷をしくという設定でしたが、そのときはそれしかないと思ってしたことでも、
    少し平和になれば
    無関係な人間がまきこまれてゆくことになるのですよね。

    どうしようもない。
    日本に原爆が落とされたのも、
    別の考えで見れば、それで、日本の民族がいきのこれた、戦争終結に結びついたという事でしょう。
    「空に・・・」を、書きながら、
    ある、話を思い出していました。
    日本兵は死を恐れない。
    人間魚雷。飛行機 ごと敵に突っ込んで行く特攻兵。
    白い軍服を着た日本兵の幽霊が出る。
    とか、
    死しても、なお、まだ、国を守ろうとする心。
    大和魂。
    日本の花は桜。
    武士道をたとえる見事な散り際を
    めでて、己の生き様に悔いは残さじ。
    こんな、日本人 を相手に本土決戦を挑んだら、日本人は最後の一人まで、たたかいつづけ、日本人は滅んでしまっていただろう。
    自国の兵士をこれ以上無駄に死なせたくない。
    最後まで闘うことで起きてくる色んなリスク、弊害。
    コレを防ぐためにも原爆投下が
    必要だったという、見方も成り立つ。
  • だけど、それよりも驚く事は日本人の潔さだろう。
    負けは負け。
    成った事は受止めて行くしかない。
    その受止め方が見事だ。

    某国は過去の戦争などによる、
    日本人の行動をいつまでも、恨んでいる。
    と、しか、思えないニュース を聞く。

    ならば、日本人はどうだ?
    原爆を落とされた。
    多くの人々が殺され、
    今もその後遺症に苦しむ人も居る。

    だけど、うらんでいるだろうか?
    自分達の生き様。
    敵をそこまで、追い詰めるほどの生き様。
    その誇りがある。

    戦争には負けたかもしれない。
    だけど、日本の民族はけして、あなどれないとその魂に刻み付けた。
    だからこそ、こんな小さな国でありながら占領国として、統治されなかった。
    多くの戦争犯罪者が処刑されてゆくというのに、
    天皇がいきていられたのもそう。
    国を思う民を思った天皇がいた。
    「私のことはどうなってもいい。
    国民をたすけてほしい」
    多くの独裁者がそうであったように
    最後には自分の命乞いをするものだと思っていた天皇の口から出た言葉。
    マッカーサーは
    このとき初めて、
    「とんでもない国と闘かっていたんだ」と、きがついたことだろう。
  • 話がずれちまったけど、
    原爆を落とされたことを
    のさりとうけとめ、
    「それでよかった」
    と、してしまう日本人の感性?

    コレが、「空に・・・」の下地に有ると思う。
    たぶん、この話を外国人が読んだら、
    「なぜ、彼女は報復しないのですか?」
    と、おもうだろう。
    「なぜ、敵を、同胞をころした、敵に温情をかけられるのですか?」
    判らない。
    と、言うかもしれない。

    たぶん、
    この物語は憂生が日本人だったから、
    説明なしにかいてゆける感情が
    暗黙に了承され、受け入れられているからだと思っている。     憂生


    寒くなってきました。体調いかがですか。
    天皇とマッカーサーの話、聞いたことあります。
    ある物語を理解するには、時代背景や民族性を知らないとだめなものがあるようですが・・・・

    やっぱりそこまでっつこむようになるのかなあ~
  • またも、長くなってますが、
    憂生自体が文章の裏にしきこんでいるものが、
    全然違うと思うのですよ。

    最近は第三次感覚派みたいな作品がおおいですけど、
    いろんなことを自分の中にしきこんで
    一言表現するのと
    しきこみがたりない状態で
    一言表現するのはちがってくる。

    だから、これが見えたとき、
    ほかの作品を読んでも
    「この人間はかなりのことを踏まえたうえで
    こんなふうにかいてる」
    という目でみてしまうから、
    どんな作品の中からでも
    例えば「憂生のやさしさ」をみつけだしたりするわけで、

    これが、しきこみがないと
    ほかの作品を読んでも
    全然違う作品を読んでも
    「おなじような質しかかんじとれない」

    澄明の思い方(相手を思って、自分の危険などかえりみないとか)
    こういうものが憂生のベースにあると嗅ぎ取った人は
    「空に架かる橋」についても同じものをみつけ、
    同じ質をみるわけですが、そこにある「深さ」(かな)みたいなものに、
    のめりこんでくるわけです。

    人へのまなざし。
    これはどの部分にもつうじることで、
    これが、天という概念への理解になっていったり
    自分をひろげてきてるわけで、
    「愛?」というシャベルでどの方向をほりさげていくか
    と、いうところで、質がおなじであっても
    違う作品として、林立していくというきがしています。

    いささか、自意識過剰ですが・・・。
  • 114

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-08 03:43:17
  • >憂生

    『白峰大神』読み終わりました。
    最後の展開良いですね。
    蟷螂と政勝とかのとの関係、白峰とひのえと白銅の関係、伏線の話が上手くかのとの台詞として出てくる感じでした。
    そして、終わりの部分が良いですね。
    ひのえから生まれた白蛇の最後がなかなか素晴らしいです。
    僕の感想としてですが、生まれたばかりの白蛇が白峰のひのえの愛情の気持ちでもあるように見えました。
    来世で自分の妻にしたい部分が、愛であり、己の我の気持ちでもある。
    百日百夜で、愛情そのものがひのえに、そして己の我が残ったかのような気がしました。
    だから、ひのえの子として生まれた白蛇は母への愛があったのではないか?と考えてみたりしました。
    白銅に業を残さず、自ら刃の下に飛び込む事で終結を迎える。
    その部分で、様々な愛情、哀情が交錯する展開は流石ですね。
    僕の感想でしか無いので、違った意味合いがあったのかもしれないけど、読み終わった直後の感想はこのような感じです。

    「なるほど!通り越した!」と、思いました。
    これは、『蟷螂』から読まなければいけないですね。
    読み返してみると違った部分も見えるのかな?と考えたりもしています。

    自分で書く事を忘れて、読んでばっかりになっちゃってます(笑)

    この感想を書く直前まで、脚本書いてる友人と話し込んでいたのですが、長くなってしまうので分けますね。
  • 電話で友人と話していたのですが、今度の脚本もテーマが「堕ちる」と言う事だったので、主人公の女が絶望的な終焉を迎えるところまで堕ちる話を一緒にしてました。
    エロ脚本だったけどストーリーそのものは、別にエロでも何でも無かったので、色々と僕なりの考え方、現代の日本人の思考と習慣に当てはめた展開と舞台になる設定を話したら、「今まで話を聞かされただけで、構成そのものが出来上がっちゃってる」って言われちゃったのですが、この感想欄で教えて頂いた様々な伏線、キャラクターの色々な視点からの見せ方、そして焦点のブレの無い展開を友人と話しながら、「作品の作り方ってこうだよな」って話をしていました。
    今まで、上手く説明出来なかった友人の脚本ストーリーの欠点の指摘が、言葉として通じたのも、憂生と出会えたからだと思います。

    さて、話を戻して『白峰大神』ですが、情と愛と書き分けるべきなのか?愛情と同情と書き分けるか?なかなか自分の表現力の少なさを悔やむところですが、ひのえと白銅の白峰に対する気持ち、生まれた白蛇への気持ちが人間を感じさせますね。
    白銅とひのえの気持ちのつながりも良いですが、色々な角度からの夫婦と親子、家族としての関係まで深く表現されていると思いました。
    こんな風に上手く絡み合った作品書きたいですね。

    僕は、好きなんですよ!父と娘、母と子、姉妹、夫婦といった家族での愛のつながりって(^o^)

    113

  • かのとが中盤でひのえに釘をさしますよね。
    そして、蟷螂と政勝のことを知っている。
    って、ことをそこでかいておくことで、白峰とかのとの会話に
    「蟷螂がこと腹がたちます」という科白をだしても、違和感、とってつけた感がなくなる。白峰は見透かせるということは、ひのえのことをみすかせているんだから、かのとのことも判っていておかしくない。って、ことが悪童丸のことを見透かしたことで、暗黙にわからせているし、斜に裂いた舌のことで、ひのえに尋ねているから、奥底の本心までみすかせない部分があるってこともわかるから、かのとの目的も見透かせない。ってことも暗黙にしいている。
    ある意味、どこか、ぬけてる/笑、白峰の部分がにくめないキャラになっているかな?
    あのままのストーリーでいくと、白銅が白蛇をころさなきゃいけない。
    で、いったん、かいてみたけど、しっくりこず、2日なやんでいた・・。
    で、子蛇の立ち居地にかえて考え子蛇なら、どうするか?
    って、ところに着目したら、するするとラストが出来上がった。
    それに、3人3様の対応をすることで、またキャラが深まったかな・・。
    で、この白峰の無念、子蛇への云々についても
    また、ほかのところで、すくっています。
  • 堕ちるという視点で扱っているとおもうのが、
    第5話になるとおもうけど、これは、第4話をよんでもらったあとのほうが、
    比較になってくるとおもいます。(ストーリーからいってもこの順番なのですが)
    どうも、憂生はとことん、堕とすというのが、嫌いで、どこかで、救い上げるのを旨としているのですが、第5話の主人公を救い上げたくて
    第6話・で、救われてないという意味合いのひのえや白峰も同時に
    すくいあげていく。伽羅という鬼の暗澹部分もすくいあげる。
    邪宗の双神もすくいあげる。
    と、まあ、多くの話がどこかで、救い上げるはなしになっているのですが、唯一、堕ちたままの話が笑う女です。堕ちたのは「男」のほうですが
    物語の設定で、女のほうは堕ちない(詳しく書くとねたばれになるので・・かけない)ということで、逆に女を堕としていながら、結局、男のほうが堕ちていく。女の場合、堕ちるというと性に貶められる。という感じが強いけど男の場合、人生ごと堕ちるという感じになりますね。
    堕ちるという事の逆視点の話を次にはりつけてみます。
  • 映画「レオン」の書評をよんだ。
    書評は誰が書いたか忘れてしまったが、
    冒頭の科白がよかった。
    「監督の描く女は非常に良く泣きます。でも、ちっとも惨めじゃないのはなぜでしょう」

    (レオン)の監督のほかの作品もこうらしい・・。

    この筆者はこの質問を監督自らにぶつけており、この質疑応答が書評の導入部である。
    インパクトの強い穿ちのある疑問に着目できる彼女もすごいし、
    こんな難しそうな質問を英語で尋ねられたのかと、彼女の才能に驚かされるが

    監督の答えがまた、妙答だった。

    「それは女が男に泣かされたのでなく、自分の人生になくからです」
    自分の足で立とうとした女は、けして、惨めに泣かない。
    レオンはマチルダに色んな物を与え尽くす。

    身を護るため銃の扱い方から・・・。

    十三歳の少女に男を教えるのもレオンだ。
    けれど、マチルダはレオンに従属しない。
    自分の人生として、レオンをうけいれてゆく。

    愛と呼ぶには師弟の域を越えないものがあるのかもしれない。

    レオンが命をかけてマチルダを護る。

    レオンの死を知るマチルダが泣く。


    けれど、けして、みじめじゃない。

    自分に人生を掴ませた男の死はマチルダの涙にうずもれるが、

    マチルダは愛する物をなくした悲しみに泣くんじゃない。

    レオンという男を自分の人生の踏み台にさせてしまった事に泣いてるんじゃないか?

    レオンという男がこんな女の為に生きるしかなかった。

    この哀れさに泣ているんじゃないか?

    マチルダはいつか、レオンを忘れ、自分の人生を歩む。

    そんなちっぽけな事の役に立つ為に命をかけた男への憐憫が泪を誘う。

    これは余りにシニカルすぎるか?

    けして、惨めになぞなるわけがない。

    女という魅惑を十三歳の少女が既に持っている。

    それに溺れる男に命を助けられたと恩にきはしない。

    マチルダの人生のひとこまは、酔狂な男のひょっとして異常な愛によって岐路を得た。


    それだけ。

    こんな女の人生に関与した男の酔狂にふと涙が誘われる。

    マチルダはこの後もっと、自堕落に性に貶められるかもしれない。

    人生の指標を掴んだ女より、

    人生を歩んだ、「まま」のマチルダのその後がきになった。
  • 112

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-08 18:23:25
  • >憂生

    『白峰大神』のラストを悩んだと聞いて、どう結末をつけるのか楽しみだったので、最後の一行一行がわくわくしましたよ。
    白銅が生まれたばかりの白蛇を殺す終わり方は、ひのえの母としての遺恨が残るし、「これ、どうするのか?」って思っちゃいました。
    次の話も楽しみです。

    レオンは好きですね。
    何度もDVD見ちゃった作品です。泣き方が良いですよね!
    僕は、演出家として泣きの演技って色々と計算しないと陳腐になると思ってて、当時ですが、僕の周囲の監督は感嘆に号泣させてしまうのが嫌だった。
    だから、場面次第ですけど、自分の事を言っているのに他人事のように淡々と、ぶっきらぼうなぐらい感情を抜いて喋らせてから、最後の最後に声が震えている演出とかしたのを憶えてます。
    何だか、同情を引くように泣くってのが嫌いだったんですけど。
    僕が、若気の至りでサブキャラのモデルになった漫画があって、その漫画の主人公が「キリンは自分の子供がライオンに殺されても泣かない。泣かないからとキリンが悲しいわけじゃない」って台詞を言うのが好きだったんですよね。
    登場人物の各々が会話出来ない状況だから、会話としての台詞が少ない漫画だったけど、皆が独り言を言ってるだけなのに面白かったのを憶えてます。
    僕は、漫画の中に出てくるようなカッコイイ台詞が言える人間じゃ無かったけど、「バイクで幅寄せするのも、車のドアを開けて行く手を塞ぐ行為も、同じ悪意でしか無い。ただ、結果が違うだけだ」って言う台詞も好きだったかな?
    車とバイクの走り屋、もう若くない中年と言っても良い世代の男達がメインの話だったけど、皆が内なる自分に対して呟いていいるのが好きでしたね。

    あぁ、また話が脱線してる(笑)

    しかも長文で脱線してしまった。
  • 僕は、ニキータも好きだったかな?
    最近は、映画を見なくなっちゃったけど、また見たい映画です。

    友人と話をしていた脚本は、僕の簡単な構成をベースに書いてみるらしいです。
    「堕ちる」と言うテーマは、主人公が高き位置に上らなければならないのですが、堕とす行為をする相手の行動理念も必要だと友人に話しました。
    悪であっても、その行動理念には理由があって、本人にとっては正義であるぐらいの考え方をしないと敵対するキャラとしてぼやける。
    正しいなんて考え方は、立ち位置でしかないのだとすれば良いのだが、どうも友人は同じ立ち位置にしてしまっていた。

    夜中まで色々と話をしたけど、どんな脚本になってくるのか楽しみではあります。

    そう言えば、日記で協力出版の事を読みましたが、増刷されないと公開権が無くなるってのは変な話ですね。
    出版業界では普通なのかもしれないけど、少し驚きました。
    映像の世界の方が、製作委員会制度になっても、もう少し権利残ってたと思った気がしました。

    111

  • 出版したときから、公開権は出版社のものですが、
    幻冬舎が3年という期限付きの公開権利という形をとっています。
    ようは、売れれば増刷になるわけで、印税もはいってくるわけですが・・。
    印税のレートもちがうんじゃないのかな?
    極端な話、村上春樹の印税と新人の印税がいっしょのわけがないのでは?
    とはいうものの、同じであっても売れる桁がちがうから、かまわないかな?
    おまけに、執筆代ももらってるだろうし・・。ここのレートがちがうか・・。
    今は無き新風舎の担当さんがはなしてくれたことですが、企画出版というただでだせる企画があります。実はこれを文芸社でねらったのですが、保留になり、
    新風舎の公募では、最終選考まで残って賞にははいれなかった。
    結果的によかったわけですが、新風舎がつぶれ、著作権を放棄したというひともいました。
    デ、担当さんのはなしでは、企画出版の判断内容。
    発売10日で、10万部~20万部売れる見込みのある作品。
    プロの作家でも難しいわけです。
    ネームバリューもない新人が3流の出版社からプッシュされて
    どんなにがんばっても、無理。つまり、企画出版はありえない。
    それより、村上春樹でもひっぱってきて、売ったほうがいいってことになる。だから、ようは共同出版で儲ける。売れ筋作品なら賞にいれても元がとれる。こういうのが、共同出版のしくみ。金をだして、いいかもにされて、挙句発行権がなくなる。
    よほど、自分に自信がなけりゃ出来ないことだと思うし、
    メモリー的にのこすとか、作家になりたいと思うならそれも一手だけど、
    「良作」を作る気なら、きちんとしたところに応募するべきだろう。
    って、新潮社だめだったので、ほかのところ、やってみたけど、やっぱ、だめなものはだめ。
    言い方は悪いけど、物になる人なら、ネットにいないだろうし、
    ネットで宣伝してるわけがない。きちんとした出版社の方がつかまえてる。

    って、憂生は思う。

    で、開き直ったのが憂生。

    書いてある真髄をうけとめてもらえるなら、
    ネットでも出版でも方法にこだわるまい。って・・。
    (カッコイイ~~~~科白)
  • 横棒
  • 110

  • 悪であっても、その行動理念には理由があって、本人にとっては正義であるぐらいの考え方をしないと敵対するキャラとしてぼやける。
    う~~ん。名科白だなあ。

    憂生は敵対するというパターンがつくれないというか・・。
    相対する蟷螂にしろ、悪童丸にしろ、白峰にしろ、この先の邪鬼丸にしろ、陽道にしろ、邪宗の双神にしろ、やむにやまれぬ心情みたいなのがあり、あまりにも、たわけた心情で物をやると、それが自分に帰ってくる。
    みたいな書き方をするので、「悪」にならないというのかな。
    その「やむにやまれぬ思い」をして、そこ自体からすくいだしてやりたいというのが、憂生の視点なんだとおもう。

    そういうパターンがそのまま、主人公の位置になるから、
    「救い出す」あるいは「自業自得」におちいる。

    そして、救い出すものも、さまざまです。

    次の物語はそうだなあ。
    「まことの思いひとつ」を救い出すかな・・。

    どういうことかは、読んでのおたのしみということで・・。
  • 109

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-08 21:57:41
  • なるほど、出版業界の様子が窺えますね。
    印税は、有名な人も無名の人も同じだったと記憶してましたが、原稿料が違うし、売れる部数も違うので、収入には差が出ると聞いたかな?
    僕は、雑誌の原稿だから、1ページいくらの仕事だったけど・・・
    DVDや映画でもそうなんですが、パブリシティの費用で販売数が結構違う。
    どっちかって言うと、宣伝広告に莫大な費用を使ったら売れる!って状況になるので、よほど有名じゃないと宣伝してもらえない。
    でも、地道に良い物を作っている人は、徐々に評価されますから、やはり良い物を作る気持ちが大切ですけどね。
    出版社って、大量に文庫本を出さない時期があるらしくて、その時期には何でもかんでも編集の出した企画が通っちゃったりする話も聞きます。
    以前にボツになった物まで通っちゃうらしいです。
    もっとも、映像業界も同じなんですけどね。
    ネットブックの著作権の問題で、日本の著作権団体が勝ち誇って、権利を守ったような事を言ってた時、これで日本の出版物は需要が落ちると思ったものです。
    やはり、世の中の多くの人に読んでもらえる事が大切だと、僕は考えるので、正しい選択だと思います。

    映像の仕事の時に、まったく逆の「あれじゃ売れない!これじゃヒットしない!」とか言ってる自分自身の反動かもしれないけど(笑)

    僕は、YouTubeが日本でも流行しだした時、「げっ!アマチュアに負けた」って思った映像コンテンツがあったけど、仕事とは別の、好きな物を作る場所が出来た事を喜んだものです。

    さて、そろそろ自分の筆も進めないといけませんね(笑)
  • 108

    では、しばらく、撤退しておきます/笑

    なんも告げずかきこまなくなったら、
    心配されるかなとおもったのですが、
    いっぽうで、
    ぴっちし、人の気持ちをうけとめれる人なので書かずとも
    判るひとだろうともおもったのですが・・。

    一応、かいておこうと・・。

    レスがあったら、また、かきこみます。

    完璧、独占状態でつかってるので、
    ぎゃくにほかの人がかきこみにくいでしょうし・・

    そういう意味でも・・。

    まして、憂生の作品のことがおおくなってしまうので
    場所ここじゃないでしょ?

    って、いうのも憂生にはありましたから・・。

    では、また、レスがきたら・・・。

    107

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-10 23:00:20
  • >憂生

    いやぁ、感想欄書くほうが楽しくなっちゃったりしそうでしたが、少しは自分の作品の筆を進めておかないといけないと反省しつつ、ここで色々と文章に役立つ話を教えて頂き、僕としては物凄く助かりました。

    文章の読みやすさや表現力を考えていく上で、憂生作品は凄いと思いました。

    ちょっと文体判定をしてみたのですが、僕の文体はページ単位では良いが、章単位になると少し表現力が落ちるみたいで、全体のバランスが取れていないのだと思いました。

    で、一気に終盤までの流れに持っていけたので、またもや休憩です(笑)
    読書期間に入っちゃいそうですけど、良い文章を読むと楽しくて仕方が無いので、僕のペースは読んだり書いたりですね。
  • 106

  • 集中力というのが、「思わぬもの」をひっぱりだしてくれるとおもいますね。

    一時、スパムとかで、めげてしまって、かけなくなってしまったことがあって、乗る気がないから、ますます、集中できない。
    集中できないから、わいてこない。
    って、悪循環で放置をきめこむことにしているわけですが・・。

    多少なり、読んでもらったので、憂生の気持ちがわかっていただけるかと
    思い、書いてみます。
    例えば、今、読んでもらった4編かな?

    これにエロロゴで、検索してくる。

    自分でいっちゃなんですが、あの物語が訴える内容までを侮辱された気分になるわけです。それをきっかけに読んでもらえばいいじゃないか。
    と、いう考え方もあるのですが、どうも、最初の目的からして、そうだと
    どうせ、読み取れまい。と、思ってしまうわけです。

    で、かなり、問題を含んだ作品が白い朝に・・というものですが、
    これにたいしても、エロログ検索が来る。
    PDSTなどの仕組みや原因、そこから、恋人をすくいあげていく男性のはなしでしが、性的暴行による、PDSTなわけで、ここのところに、検索がヒットしてしまう。
    馬鹿みたいにスパムは貼り付けられる。
    どんなに精神がゆがめられるか・・。
    それを支える人間がどんなに必死になっているか。
    その物語を面白半分のログで検索し、性を売り物にし、人の意識をあやつるためのスパムはりつけ。
    正直、耐え難いというか、そんな奴らの目にふれさせたくもない。
    で、この作品だけは別にブログをつくって、パスワード性にして、まだ、続きをかいてないということもあり、誰にもパスワードは知らせていません。

    そのくせ、矛盾したようにアダルト作品は掲載しているわけで、
    今回これも、多少隠しました。
  • このあたりが、じつはまだ、憂生がのりこえられないところなのです。

    面と向かって書き始めると、その悲惨さに
    吐き気がしてくる。
    それほどの状態でむかいあってるいるわけで・・。
    (って、今停止中ですが)

    ここには、文章作品で吐き気がでてくるような表現がかけるかどうかをねらいました、みたいな人もいて、実験段階で物事やってるアブストラクトが賞賛される状況をみるにつけ、とてもじゃないけど、こんなところに
    自分の作品はおいておけないな。
    どこまで、人間を込めて書いていけるかって事が憂生なわけで、
    感覚主義のうすっぺらさ(そんな人ばかりじゃないんだけど)をよしとする人間には憂生の作品をよみとることはむりだろう。
    と、まあ、奢った考えですがおおかたの作品を撤収したわけです。

    さらに奢った言い方ですが、
    見る人が見たら、ほんの少しの作品でも判るんだとおもいました。
    何気なく書いている一言の裏にあるものを見抜く人が居る。
    そういう意味でなにか、肩の力がぬけたというか、読まれることを意識するまいと思いつつ、意識しているわけで、そこが、宥められたというか。
    真髄というと、さらにえらそうですが、真髄がつたわるなら、あとは、きにすまい。
    と、安定した思いになりました。
    憂生こそ、深く読み取ってもらえて、感謝しています。

    そして、また、憂生こそ、ぽつぽつのスローペースですが
    続きを書いていこうと思っています。
  • 105

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-13 04:16:25
  • >憂生

    スパムは嫌になりますよね!
    僕は、アダルトって言っちゃったらアダルトなんですけど「濡れ」って言葉が入ってたりすると、濡れ濡れ○○妻とかと一緒に検索されちゃったりして、僕の作品の「濡れ」の意味が単純に水に濡れるなのに変な解釈する人がいたり・・・・・・・まぁ、検索キーワードってのは、そんなもんですな!

    それだけならまだしも、作品買った人が「プールや雨でビショビショに確かに濡れてるけど・・・・・・」ってコメントされた時は笑うしかなかった。
    「作品の説明読んでくれー!」って思ったです。

    僕は、AVメーカーに頼まれてエロブログも書いてるけど、けっこう適当に書いてます。(作品見てないのに頑張ったと思ってたりします)

    一番嫌なのは、ロボットのアクセスです。
    エロが目的だったとしても、ストーリー性が欲しいと思って読んだり、見たりするのが人だったら、人なのでエロ以外にも趣味ってのがあるわけで、それが無作為なアプローチをしてくるロボットだと、「なんじゃこりゃー」って気持ちになっちゃう。
    だから、エロログとかに関しては人そのものの存在が無い事に嫌気がします。

    人は、描きたい本質を見てくれる方もいるが、機械は一定の情報以外を分類出来ないですから、やはり人に見て、読んでもらいたい。

    ちゃんと憂生作品のテーマを理解してくれて読んでる人は少なくないと思います。
    あれだけ読みやすく、表現力も豊かな作品ならば、読めばテーマが分かると僕は思います。
    僕の作品は、短い部分では表現出来ていても、文章全体になってくるとテーマが伝わりにくい文章になっている。
    表現力とか読みやすさの部分で、テーマがブレてしまっている文章になっている。
    憂生作品を最初に読んで、「これは読みやすい!凄い表現力だ!」と思いましたから。

    今日と言っても日付が変わったので昨日ですが、夜中までスタジオ撮影だったので、『七日七夜』は少し寝てから読みきっちゃおうと思います。
  • 横棒
  • 104

  • エロスパムとかは、確かにいやですが、
    あの短文の中にポイントつかんだ表現してるし、
    時に充分煽る。
    こんな奴がアダルト小説かいたら、どうなるんだろうか?
    って、脅威をかんじたことはありますよ/笑

    アダルト小説もかいたことがあるわけですが、
    しらけちゃいけない。
    物語にはいりこんで、よませることができて、
    気がついたら、体の一部分が反応してる。
    でも、よむのをやめて処理行為をさせてしまうんじゃなくて、
    最後までよみおえてしまってから、
    きがついたら、あれ?
    って、感じ。
    こんなところをめざしてた部分があったのですが、
    この世界のほうが逆に感覚的だから、
    テーマよりそっちが先行する。

    官能小説はかけないなあ。
    って、思って
    アダルト小説っていれたわけですが、
    官能小説は本来耽美的要素が多く
    今はエロ小説とごっちゃになってるけど、
    表現を極めていく必要があると思う。

    その視点で考えると
    むしろ、白蛇抄の表現のほうが、
    官能小説にちかいきがする/しょってる?

    で、アダルト書き始めた頃たずねられた。
    憂生が普通に書いてるぶん(性表現)と
    どうちがうわけだ?
    って。

    たしかにな~~って思って。
    すでに、ある意味アダルトをかいてるわけだけど・・。
    物語の方は簡単にはしょってしまったら、
    臨場感がでない。

    しばし、その違いはなにかってかんがえたわけだけど、
    憂生のアダルト作品というのも、どこか、生き様小説めざしてはいて、
    性表現はモチーフなんだけど、
    性をフィルターにして、テーマを語る。
    性のもつ享楽部分におぼれるところを丁寧にかきこむことで
    性行為に読み手自体も引き込まれる。
    で、一体感をもってもらったところで、
    逆に享楽を追うしかない主人公のもつむなしさみたいなものを
    にじませていくことで、逆に一体感をもったらなお、そのむなしさもはいってくる。
    と、いうことで、本気の思いで、結ばれない性がいかに空虚か。
    そして、裏側で本気の思いでむすばれたい主人公がいる。
    って、ところなんだけど、いかんせん、筆力がない。
    だから、物語かいててもアダルト部分はあるし、
    アダルト書いていても物語にもなりえる。

    ようは、性を通して(フィルター)書いてる量の多さと
    享楽部分の多さがアダルトかな?
  • 読みやすいといわれた最初が
    「壬生浪ふたり・・」だったのですが、どうも、憂生自身は
    これのどこが読みやすいねん?っと、思ったわけです。

    で、またも、自分を分析して・・・。
    物語というのはようは「気になる」があれば、
    どんなわかりにくい文章でも
    「気になる」から、よませてしまうんじゃないのかな?
    と、思ったわけです。

    たぶん、簡単な表現じゃない部分いっぱいあると思うのです。
    でも、その表現のなかに気になる部分をときあかしていくヒントがあったり・・。なおさら、「気になる」があったり。
    気になるを解明していくためにいくつかの鍵がひつようなわけで、
    これが、例えば主人公のキャラクターがそれであったり・・。

    鬼退治をする云々でも、読者が退治方法で、
    簡単に政勝が叩ききればいいじゃないかという回答がでてくる。
    ところが、それを澄明がとめる。
    「なんで?」じゃあ、どういうふうにすればいいんだ?って、きになる。
    気になる部分のいくつかの候補も作者自らがつぶし、徐々に
    澄明なら、どう考えどう思い、どう解決する?
    と、「気になる」が充満する。
    読みやすいっていうのは、
    物語にひきこむことができるかどうかだけじゃないのかな?

    学校でも、好きな分野って、ようは気になる分野でしょう。
    その分野の授業って、きいていても楽しい。
    で、これが、こうじてしまうから、
    逆に最初の何行かをよんで、「気になる」の有無で
    読続けるか、読続けないかを判断してしまう。

    平易な文章はテーマまでも平面に並んでしまうから、
    読んでみなきゃ、判らない。って、奥深さがない。

    どこまで、どう、掘り下げているんだろうという
    期待ももてない。

    「気になる」の埋め込み方。
    これは、アダルト作品でも同じじゃないかなあって思う。
    一面的な発想で言えば
    全裸でほいって、Y字開脚されてもしらけるだけで、
    ボタンをはずす指先の表情とか、
    表情から欲情の質をかもしだすとか・・。
    こうやっていくと、胸の形はどうだろうとか?
    どうやってさわるんだろうかとか?
    「気になる」が出てくる。

    さらにいえば、男の指がふるえてるとか、なってくれば、
    「はじめてかな?うまくHできるのかあ?」
    とか、つっこんだ気になるがでてくるわけだし・・。

    ようは、こういう引き込み方法だけみたいなきがするんだけど、
    どうだろ?
  • 103

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-13 23:19:50
  • >憂生

    憂生作品の読みやすさは、一文の長さが適度である事が僕の読んだ感想です。
    僕は、長過ぎたりする場合が多々ある。
    ついでに言えば、感じの使い方、言葉の意味を持たせる為に漢字がたくさん使われているのにも関わらず、適度な配分になっているところがあります。
    僕は、漢字が多過ぎて、何かの論文のようになってしまったりするのです。(つまり読みにくい)
    行間の間も含めて、文章の表現力だと考えるなら、丸味のある立体感のある文章だと感じるわけです。
    僕のはゴツゴツした硬さの文章かな?立体感と言うよりもゴツゴツ感(笑)

    読みやすい文章だから「気になる」部分が明確になりやすいのですよ!

    文章力の乏しい僕が、正確に論じつ事は出来ないのですが、僕の感じた読みやすさを分析すると、そんなところです。

    で、エロに関してですが、もともと性に関するネタって、本能のダイレクトな部分を刺激しているので、単純に女の裸、性行為そのものを書いても面白くない。
    可愛い女の子と関係に至るにしても、抱きしめたいほどに可愛いと思える状況が必要だったりします。
    それが、美しい淑女が相手だったとしても、愛でる気持ちがあって、成立する。
    ある意味、人間の本質をダイレクトに狙っている分野です。
    歪んだ性癖も、誰しもが持っているとは言わないが、多少は持っている部分だから受け入れられるのかもしれない。
    昔のアダルトビデオのタイトルって面白くて、ビデオ倫理委員会の規制で、使えない言葉が多数あった。
    その中で、規制に引っかからないで伝えられる言葉を捜す。
    場合によっては言葉を作る作業があって、面白いぐらい言葉の表現をしていた。
    その流れで、エロに関しては、現在も規制に引っかからない言葉で表現する手法が続いている。
    「漢字を使うと硬い印象、重い印象を与えるから、もっと軽くて伝わる言葉はないか?」って議論する事もあるわけです。

    長くなるから分けますね。
  • これは、プログラムエンジニアの知り合いが、アルバイトでやった出会い系系だか何だかの事なのですが、その手のアダルトサイトでよく聞くサクラのバイトで、女性が書くメール返信は、男性ウケが悪くリピートしないらしいです。
    男とメールで文通するのには、男が書いていた方が良いと言うのが、枯れの話だったのですが、女性は、すでに女性であるがゆえに、文章で男を悦ばせる事が出来ない。
    期待させる言葉が出ない。会いたいと思う表現に乏しいようなのです。
    で、サクラをやる男の場合、自分が男だから、男が喜ぶ言葉、期待させる文章を書いていく。
    だから、長い期間引っ張れるみたいです。

    実は、僕も昔にキャバ嬢にお客の喜ぶメールの文章と、送るタイミングとか教えてた事があったのですが、女の子は、自分が女である為に、言葉だけでアピールする事を考えなかったりするわけです。
    そりゃ、会ったら可愛い女の子は可愛いし、綺麗な女性は綺麗ですからね!

    エロ作品の脚本書いてて、女の子の台詞を、見ている男のユーザーが喜ぶ、可愛らしい、愛したいと思う台詞の言い方を考えるのが楽しかったりする事もありますね。

    でも、僕は官能小説になると書けない。
    ダイレクトなエロに関しては、まるで表現が下手だと思ってます。
    だから、僕の脚本で「高橋さんの書く女の子は、抱きしめたくなるけど、そのまま守ってあげたくなっちゃう」とか言われたりしてましたね(笑)
    最近は、少しはエロく書けるようになった気もするのですが、相変わらず「エロ演出が全然エロくねーよ」って言われちゃったりする時もありますからね!

    だから、仕事じゃ無い文章の場合、「エロなんか書かなくてもいいし、エロ表現は軽く流してもいいかな?」って思って書いてますね(笑)

    102

    読みやすいから、気になるが判る・・・ですか・・・
    逆発想でも、かんがえたほうがわかるのだろうか?
    現状のブログは、場面転換の行あけがくっついてしまって、
    非常にわかりずらくなってる。

    日記のほうも、そう。
    アメーバーのほうでかいたものなんかは、
    きっちし、行あけができていて、
    強調する言葉がうきあがってくるんだけど、
    ブログ人にコピーすると、行がつまる。

    現状、1スレッド無制限のブログはFC2・すくすく・ブログ人しかしらないんだけど、カテゴリー無制限はブログ人だけ。
    で、ブログ人にまとめている。

    FC2も古株のほうで、6くらいのサーバー。
    ライブドアもむかしは、無制限(両方とも)
    カテゴリー制限100くらいになったあとから、
    使うのをやめた。今もIDはある。物書き同盟はそのままおいてある。
    いろいろ使ったけっか、アメーバーとブログ人におちついたかな。
    アメーバーは1スレッドはたいしたことないけど、全体は無制限
    読者登録とかが、管理室内でみえるので、気になる人の記事の更新がわかり便利。

    アダルトはもろな語彙をつかうので、引く人間はその時点で引くだろうな。
    男目線で書くときは「そそる女」の定義みたいなのを作る。
    まあ、そのあたりは、いずれ、よんでもらえたら/笑
    女目線の時は、「小夜」しかないんだけど、「抱いてくれた」みたいな、
    心でうけとめる「可愛い女の子」で、作者まじ惚れするタイプ。
    すこし、小夜のことを(今、封印中だけど)かいてみる。

    小夜の設定は近親相姦がうしろにある。
    兄への思いをほかの人間でうすめる。

    って、ところで、
    沙夜をめぐる人間が何人かでてきて、
    最初はあ~~ぱ~~の如く・・。
    そうこうしてるうちに、
    いろんなことがおきて、
    沙夜に転機がおとずれるわけだけど・・。

    記事から引用
    まあ、いろいろあって、/仔細は白峰大神を読んでいただきたい・・/
    いずれ、白銅の妻になるのであるが、
    いずれの理由にしろ、他の男に身体を渡したという・・・
    何だろう?
    女側の後悔?引け目?
    こういうものを男側が見事に?裁断する。

    こういう部分を現代風に変化させてみたら、
    敬史&沙夜になるのかもしれない・・。

    沙夜の底にあるもの・・。
    ひのえと同じ
    童女・・・・。

    「哀しかった。辛かった。淋しかった。
    なれど、その自分を認められる立場で無いと思いこんで自分を偽ったわの?
    その心の底に生じた童女がな、・・・」

    白銅ならぬ敬史君が
    沙夜をどう、だきおおすか・・・。

    がんばれ!
    敬史!!

    って、応援してやってください!!/笑

    このあたりの記事で、沙夜がどんなピュアな女の子か伺えん?

    因みに白銅の科白は第6話から・・。

    どうも、あちこちから、エロログ検索でひっぱられるのと、アダルトサイトによくリンクされるので、しばし、封印。
    もろに表現してるけど、エロ小説をかく人間じゃないとわかってもらえた頃に(ほかの記事とか、よんでもらったら、判るのでは?)解除しようかな・・と。

    101

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-14 12:20:35
  • >憂生

    作品で訴えたい部分を説明したくなっちゃうと、文章が読みにくくなってしまったり、訴えたいテーマの文が長くなって逆にぼやけてしまったりする人が多いのですが、読みやすい文章は、ズバッとテーマの一言が分かるって感じです。
    映像でも、ここが強調したいポイントなんです。
    と言う部分が分かりやすい方が、全体のテーマを見渡しやすかったりしますからね。
    けっこう、あれもこれもって詰め込んじゃうとテーマがボケますから。
    僕の場合(映像脚本の場合ですけど)作品全体のポイント、コーナー分けした中での大ポイント、コーナーの中の1カットのショーポイントみたいな分け方で、構成するようにしています。
    もっとも、文字と違って映像なので、目で見たインパクトだけでOKの部分もあるし色々なのですが、作品全体のテーマを作って、それを強調させる為の盛り上がりがあったら、それ以外の一見ダラダラした部分にも小さな山場と言うか、その部分だけの山場を作っておく感じです。
    完璧な作品を作ったか?と問われれば、まだまだ不満だらけなんですけど、満足出来る作品なんて作っちゃったらクリエーターとしては引退するしか無くなっちゃいますからね(笑)

    可愛い女性を描く時、僕は猫とかの甘える仕草をトレースしてます。

    人間が本能的に可愛いと感じる部分に訴える動作をするのだろうと思って、女の子に置き換えたりするのだけれど、他にも、女の子との会話で面白い事言う女の子の言葉はメモってます。

    僕が、「小さくて可愛い女の子が好き!」と撮影で言ってたんですけど、モデルの女の子に「○○ちゃんは、今は可愛いけど、もう少ししたら綺麗な大人の女になっちゃうんだろうなー、寂しいなー」なんて言ってたら「私はずっと可愛いままでいます。大人の女なんかになりません」なんて絶対に無理な事を自然に言う。
    見た感じも可愛い女の子だけど、会話も可愛いと思ったりして、この会話は、近親相姦の兄と妹の会話に盛り込もうと考えたりするわけです。

    また長文なので分けますね。
  • 僕の考える話の中で、近親相姦に至る兄と妹は、単純に背徳感を求めてはおらず、家族が大好きな関係を面白おかしくしようと思った結果かな?

    それと、刹那的な瞬間を可愛らしさと表現したかっただけなのかもしれない。
    綺麗な人って、瞬間的では無くて継続的な感じがする。
    年齢を重ねていけば、若い時のような美しさは無くなるけど、それでも数年にわたって綺麗と表現される。
    でも、可愛らしさと言うのは、美人じゃ無くても可愛く見える瞬間がある。
    綺麗な人も可愛く見える瞬間があるし、瞬間的な表現として捕らえてみています。
    現実には、ずっと可愛いと思うえちゃう事って多いですけど、作品を作る場合の可愛らしさって事で(笑)

    作者がまじ惚れするって女性キャラクターは良いですよね。
    僕は、先日の撮影現場で、作品の中の彼女は最高に大好きだけれど、普段の彼女(女優)に、そこまで惚れこむとは思えないかも?なんて言ってたりしてました。

    僕は、エロブログで梅原猛の本とか、物理法則によるモータースポーツのエンジニア論とか書いちゃって、エロ紹介サイトに「何が何だか分からない難しい事が書かれてます」って紹介されちゃったりしてます(笑)

    うーん、僕の課題は多過ぎて悩みます。

    100

  • 白い朝に・・のベースが近親相姦ですが、これは、人間の精神をいかに崩壊させるかという問題作品なわけで、
    小夜についていえば、そういう関係な中で生じる
    精神的ゆがみ部分のうわっかわだけを掬い取った作品なわけですが、
    後年、白い朝に。。をかいていくベースになった作品だとも思います。
    また、逆発想での精神薄弱児へのセックスボランティア(微妙な表現ですが、これは、作品を読んでもらわなきゃ説明むずい)
    まあ、いろんなパターンで性を扱ってみているわけだけど、
    これが、ある意味、「小枝」(小夜ではない)と裏表の作品かな。

    命をはぐくむ性と命をはぐくまない性。
    この部分とか・・。

    性にあやつられるか、性をうけとめていくか
    精神薄弱児の性と盲目の女性の性
    性自体がもつ二面性をうきぼりにしてみたり・・。

    憂生も背徳という問題は無視しています。
    そのことで、どういう結果になるか・・。

    不毛は時に精神をゆがめる。

    この不毛の性をして、小枝がうけとったもの。
    薄弱児があやつられ、あやつったもの。

    空に架かる橋ともども、性というフィルターを通した作品の
    それぞれの違いを読んでもらえるとうれしいですね。
  • どうも、憂生はかわいい女ってのが苦手なんだと思いますね。

    ひたむき・・。
    堕ちても、どこかで、自分にきがついていける。
    きがついたら、自分をかえるに、早い。

    強い。

    っていうべきでしょうか。

    本来女は命をはぐくむやくめがあるから、
    どうしても、強くいきれる。
    護るものがあるから・・・。

    だから、どうも、護ってもらおうという
    男に依存するタイプがどうも、書くことができない。

    で、男も壬生浪ふたりで、かいたけど、
    女は男にとってのいちぶぶんでしかない。

    ここをすすめると、
    強く護る・・という女性を護る男こそ、
    男の中の男で、
    かわいいタイプを護るのは、
    誰でもできる。
    かわいいというフェロモンにあやつられているだけの、
    男を手玉にとってる女もあわれなもんだ。
    みたいなね・・。

    そういう意味合いで白銅はものすごい「男」だと思う。

    女の強さをだしてみて、逆に
    強い女を護れる男をおくと、
    いかに凡夫のようにみえても、
    その一言、一言が魅力ある男にしあがる。

    こういう意味合いで逆に男はむしろ、たよりないくらいにかいて、
    いざとなったら、思いが深い。

    白峰には勝てない・・ぐじゅぐじゅ言っていた男が
    最後の場面では、深い情けをもつ。
    「あわれで、あわれで、ひのえの来世がかかっているというのに、
    討ち迷うた」
    いざという時にものすごく深いものを出す。
    まあ、ドラゴンボールのゴクウみたいなもんで・・。
    あとは、平々凡々。
    でも、その情けが子蛇につたわり、
    打開するに最善な展開をよびこむ。

    憂生はこいつが一番すごい男だと思っている。

    99

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-15 03:02:43
  • >憂生

    近親相姦で精神のゆがみを、精神の崩壊を表現していくのは面白いですね。
    僕は、精神の崩壊する状況を受け入れちゃう、普通の事のように受け入れちゃう事で異常性を出してみたいと思って作ってますが、逆の発想(なのかな?)で面白いアプローチだと思います。

    性に流されるか?(本能だけに流されるか?)理性と感情による性なのか?と対比するのも良いかも知れませんね。

    これは、精神科医の話だったと思うのですが、ロリコンでも直接は性に結びつかないそうです。
    脳の何たらかんたらと何かが結びつくと(これじゃ説明になっていないか)対象物となる幼女を見ただけで知能指数が低下するパターンに陥って行動してしまうそうです。
    きっと、通常の人間は、考えたり思ったりする部分と、本能である性衝動を分離して制御しているのだろうと思うわけです。
    僕は、可愛い子供を性的な対象で見た事無かったし、可愛いと感じても「幼く可愛いから守ってあげるのが大人だ」と感じてしまう。
    だから、話を書く上で、ロリコンの兄とシスコンの妹が性的な関係になるのも、妹が大人の肉体になってからの話になっている。
    妹が小学生の時は、過保護な兄としています。

    あぁ、ロリコンじゃ無くて良かった(笑)

    性と言うフィルターを通して、過保護な兄妹から男女の関係と異常に向かわせていくけど、本人達は異常だと思っていない関係で、周囲と対比させてます。
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-15 03:28:10
  • 可愛い女が苦手というより、弱い女が苦手っぽいですね。

    流される女と言っても良いかな?

    幼女となると違ってくるかもしれませんが、可愛いと言っても、生理が訪れたら妊娠出来るのだから、女としての強さが出てくると思っています。
    可愛いけど、性を知り、母になる準備が出来ている。
    だから、僕は幼女は子供としてしか描かないし、少女になって奥底に女として、母としての優しさと強さを求めてしまう。

    僕は、女の強さに気づかない無神経と言っても良い男が、女を知る事で女の強さを知って成長していく。
    女に対しての成長では無く、気づいていく事で全ての事に成長していくのが良いかな?

    白銅は、『白峰大神』の話の中で、成長していく男の感じが凄くする。
    不知火に窘められて少し気づいたり、かのとの言葉でも成長している。
    ひのえを抱いてからも成長している感じがする。
    もしかしたら最初の頃の白銅だったら、生まれたばかりの白蛇を殺していたかもしれない。
    そんな事を考えてみたりして読み直してます。

    ひのえは最初から強さを持っているけど、白銅は強くなっていくと感じたのかもしれません。

    これは、母が僕に言った言葉なんですけど「女を大切にしなさい。必ず女が貴方を守ってくれるから」って、小さい子供に言う言葉としては適切なのかわかりませんが(笑)
    女の人に守られてばかりなので、今でも母の言葉を守るようにはしていますね!
  • 98

  • 心理学のほうで、乳児期の排泄の処理の不足だったっかな・・。
    排泄物を綺麗にしてもらうということも、
    「安心感」「信頼感」みたいなものを育てる。
    それが、ふそくすると、いわゆる、ホモをつくってしまう。
    動物はお尻をきれいになめてやったりするわけだけど、
    これを普通にかんがえたら、その場所への快感ポイントをつくりだしそうなわけだけど・・・。
    逆に犬・猫のほうが、ホモはいない・・。

    そんな話を聞いて、時代調BLギャグの11話かな・・・。
    「しないで・しないで」に使ってみたことはある。

    一方で、アスペルガー症候群が発症する原因も幼児期のはやいうちに
    母親との接触が不足したことにはじまると考えている。
    マウス実験によると、母親にくっついてそだったねずみと離してそだったねずみとに、一定のストレス(住まいを揺らすとか・・)を賭け続けると
    離れてそだったねずみは死んでしまう事がある。
    回復を促すホルモン?みたいなのがでてこない。
    一緒派は同じようにぐったりしてるんだけど、回復していく。
    乳幼児期に母親と一緒にいるだけで、ストレスに強くなる。
    で、コミュニケーション能力の基盤になる、心でのやりとり。
    安心感とか、これが確定しない状態で保育園とかに預けると
    「言葉の後ろ側にあるものをよみとれない」などというアスペルガーが出来上がってしまうのではないかと思う。
    このことについても、3歳児と4歳児の入園の違いなども考察したけど、
    犯罪までいってしまう心理の裏にも「母親から安心感をえていない」
    と、いうものが往々にしてあるように思う。
  • お母さんの言葉はまさに、「天啓」ですね。
    またもジョージ秋山の浮浪雲の中の場面をおもいだしてしまった。
    俗に言うすけこまし。
    そんな男が女房をもらっても相変わらず
    色欲におぼれてる。

    で、浮浪のだんなが、
    「あの男はね・・***を突っ込む穴しかしらないんですよ」
    ってなことをいうのかな・・。
    やがて、女房が子供を産む段になって
    昔だから、産婆をよんで自宅で出産。
    そして、女の子がうまれるんだけど・・。

    命を生み出していく穴
    その命にもまあ、野卑ないいかただけど
    穴があるわけで・・。

    それをみていた男のなかで、なにか
    憑き物がおちるような・・。

    うまくいえないんだけど、男にとっては
    ただの放出でしかないものをうけとめて、
    女が命にまで変える。
    言い方悪いけど、ごみのようなものから
    命をはぐくんでしまうなんてのは、まさに
    神秘以上の奇跡だろう。

    それも、自分の子供・・
    自分の放出物を人間につくりあげてしまう
    その場所への畏敬・・。

    そして、子供も同じものをもっていて、
    やがて、命をはぐくむ。
    生まれたばかりの子供にすでに生殖器がそなわり
    はてしない命の輪廻の繰り返し。
    自分もまた、そうやって、うまれてきたんだと
    理屈ぬきで体得した時、
    穴・・への感謝?
    うまくいえんなあ・・・

    そういうものがでてきて・・。
    ***をつっこむばかりが穴じゃないっていうのかなあ。
    愛情と親和と憧憬がいりまじった存在?にみえてくるというか・・・・。

    97

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-15 20:46:59
  • >憂生

    母親との接触は大事みたいですよね!
    僕は、姉が母代わりになってくれてたところがあるけれど(笑)
    最近は、母親孝行しないといけないと考えてます。
    (全然出来てないけど)

    ジョージ秋山の作品は、エロい行為も面白く表現しますよね。
    本来ならばエロなだけなのに、違った意味を持たせてみたり、あの画の雰囲気もあるのかな?

    「穴への感謝」は面白い表現ですね。

    果てしない生命の繰り返しは、僕の考えの中にもあって、「生物は、種として生命が続くかぎりは生きていると考える。死んでいくここの生命は、伸びた爪、垢になった古い皮膚のようなものだ」と、何かの日記に書いた記憶があります。
    種の絶滅こそが、その生命の終焉で、新しい生命を、子孫を残していく為に生きていくのが生物の目的で義務であるみたいな事です。

    で、ここで妄想しちゃって、自分を形成している細胞にも意思があって、悩んだり喜んだりしてたりしたら?とか考えてたら『パラサイトイブ』みたいな意思を持ったミトコンドリアの小説に出会っちゃった。
    あれは、ラストがイマイチな気もしたけれど、それ以外は面白かったような気がしてます。
    映画は見なかったけれど。

    時々、大真面目な顔して「ミトコンドリアが恋愛してSEXしてる話ってどう?」って言い出して周囲に怪訝な顔されちゃう(笑)

    話を戻して、幼女は守るべき存在だけれど、女は包み込む存在と考えると、穴と言うのは女に包まれる出入り口なのかもしれないですね。
  • 96

  • ミトコンドリアの逆発想で
    地球の温暖化は実はもっと大きな生物が
    肉かなにかをあぶっている。
    地球は実はもっと大きな目でみたら、肉の細胞のひとつでしかない・・・。
    15くらいの時に小松左京のショートSFに感化されて、書いたSSSをおもいだしてしまった。
    女の徳ってのは、なにもかもを「赦す」ってことじゃないかなって、おもいますね。どんなことがあっても、「母親」だけは信じてくれる。みたいな・・。
    ちょっと、暗い話ですが小児癌で自宅で最後をと退院してきた男の子が最後の夜、弟の頭をなで、お父さんのほほをさわり、最後にお母さんのおっぱいをさわって、亡くなるってはなしがあるのですが(コメントの中に)
    これも、少年が最初にふれたところをさわって、さよならをいったんじゃないかなっておもうと、孔もある意味、男の「回帰現象」かなってね。
    そこで、やすらぐ。みたいな・・。
    白蛇抄の中でも、壬生浪ふたりのなかでも・・SO2もかな・・
    色もにおいもなにもない、ただの「女」として、最低の底の底
    存在基盤でしかない性としての「女」として、求められる。
    って、いう表現があるのですが、ここで男と女の融合ってのができる。
    そして、あとは、本気(まじ)により、魂まで融合する。
    ど~~も、憂生はロマンチックな人間です。

    この視線はよく使うパターンです。

    享楽の性と本気の性の境界線が自分の中でできてるから、
    かなりもろな表現もつかえるのかもしれない。
  • 95

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-16 02:26:53
  • >憂生

    今の世界は子供の玩具で、僕達は子供の遊びで僕達は動かされてるみたいなSFギャグがあったような気がします。
    『リング』も、確かそんなネタだった(厳密には違うけど)気がします。

    以前、学者は何を研究しているのか?と言うテーマで、究極はビッグバン、つまり生命の始まりだと聞いたことがあります。
    宇宙だけで無く、数学者も生物学も文学も含めて生命の誕生が究極のテーマみたいな話なんですけれど。

    ロマンチックな思想で良いと思いますよ。
    性と言うのは、神事で忌み嫌われるけれど、子宝に恵まれる場合は凶事として扱わないし、生命を育む為の性は崇められる。
    同じようでいて違っていて、違うようで同じだったりしながら人間は悩みながら生きていく。
    うーん、奥深くて難しいものです。

    僕は、『白峰大神』でひのえが白峰にくじられた後、「情と」表現して白銅の「愛」と別けられている部分で、白峰の悲しさの根源がここにあると思ったのですが、愛を求めるあまり、愛から離れてしまい、その一途さだけは情として残るけれど、けして愛にはならない事を白峰自身が知っているから虚しさが出てくる感じがしました。

    その辺りも上手く全体に散りばめてると感心しちゃいましたね。
  • 94

  • 実は沼の神(第11話かな?)ここで、
    白峰あふり事件の2年前のはなしがある。
    ここで、「情」ということについて、
    ひとつの定義をもっている。
    これは、先に読んでも影響がない。
    このあたりを読むと、悪童丸へのひのえの判断の仕方も
    ひのえがひとつ、「抜けた」結果として捉える事ができる。
    こういうのも、あえて、逆の順番でかいていったわけだけど、
    これも、ここを読んで、もう一度白峰大神を読むと、又、違う視点がはいるかもしれない。
    こうかんがえると、何度でも楽しめるRPGになってるかもしれない。
  • 93

    おはようございます。
    良いですね!先に進んで、また前の文が楽しめると言うのは。
    伏線の散りばめ方を、自分の作品の中で見直してたのですが、いやー全然伏線が無い。
    ブロックごとに話の展開がブッツリ切れていると言うか、書き始めちゃった物は仕方が無いから、今度書く作品の時は、練りに練って挑戦しようかな?

    FC2に掲載しているエッセイも読ませてもらいました。
    「作家さまに触れて・・・」ですが、やはり文章が上手いと良いですね。
    僕は、自分の文章の表現力が足りなくて、誤解を受けたら怖いと思って、なかなか書けないです。
    強者さんの事をかなり誉めていらっしゃったので、どんな文章を書いているのか興味を持ちました。

    もっとも、今は自分の文章を書くのに四苦八苦ですけれど。

    92

  • 最終的には、本人がどこまで思いをこめたいかだよ。

    憂生の場合はどっちかというと、
    自分への示唆的要素がつよかったから、
    まあ、いわば、白峰神社の宿神がおりてきたようなもんだ。

    あの話の中には、ものすごい「理」がつまっとる。

    それをわかる人間がよめば良いと思ってる。

    だから、そこに気がついた最近は、
    憂生の書くものは、普通にの人にはかけない。
    って、思ってる。

    だから、ある意味、どんな人間にもまけんものをかいとるって、
    わかってるから・・。

    それが、判る人間だけ読んでくれればよいと思ってる。

    そういう意味でも、簡単にほいほいよまれたくないし、
    よんでも、わからん。

    判る人間はそんなにおらん。
    あなたは、わかってる。
    どういうことが、「理」か、わかってないとおもうけど、
    なにか、大事なことをかいてあることだけは、
    判ってる。

    わかってるから、「因縁通り越す」の考え方が面白いと思える。

    たいした人だとおもう。
  • 91

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-16 23:05:10
  • >憂生

    『七日七夜』の話は好きですね。
    戯言、軽口が言霊として「理」となって、光来童子とかなえの縁が結ばれる。
    「理」だけれど、当人同士の気持ちが繋がる手助けになっている。
    確かに、これは悪童丸と勢姫の業と言うのかな?深さが分かる。

    僕は、十五歳の時、父が死ぬ直前に「お前は自由に生きていい」と言われて悩んだ。
    それまで、数年間色々な言葉を与えられて悩んできたが、普通の人間として生きて良いと言われて一番悩んだ。
    今でも分からないままでいるけれど、あの時ほど、それまでの思考を崩壊させた言葉は無かった。
    でも、十年以上も過ぎてから、とある事件の中で僕は、死んだ父の残した様々な力によって救われた。
    あぁ、親の愛とは死しても尚続くものなのだと実感した経験があります。
    だから、偶然、二歳の子供に出会ってしまった時、父の墓前で「この子供を貴方の孫として見守って欲しい」と頼んでしまった。
    その上で、二歳の子供に僕は言葉を与えてしまった。
    成人するまで見守ってくれる父親がいない事を予見した言葉は、僕と子供を重ねてしまったのかもしれないけれど、ふと考えると、「僕は死んでからも、その子供を守ってやる事が出きるのだろうか?」と、今でも考えてます。
    結果として、僕は二歳の虎之助と言う子を、僕の言葉で縛ったまま別れてしまったのではないのだろうか?と・・・

    僕の家系は、偶然にも、同じような境遇の子供になる。
    どちらかと言うと、僕は例外的な存在だったから、小さい時の僕を守る為の言葉があって、別れの時に僕を守りながらも縛っていた言葉を解いてくれた父を思い出してしまうのかもしれません。

    生きている中で、何回か新しい人生を生きている。
    まるで、それまでと違う人生のように、新たな人生を生きているのではないかと考える。

    そんな事を思い出す話でした。

    僕の父は、明治生まれなんですよ!
    母とは親子ほども歳の離れた父で、少し変わっていたのかもしれないですけれど、男と女の話であるのに、父の言葉を思い出してしまった。

    ここまででも、作品に思いを込めたと言うのは確かに伝わりますね。
  • 90

  • みょうなもんですね。
    おなじような人間がよびあう。
    憂生のおふくろと親父は24歳年がはなれていました。

    この親父も不思議な人間で
    憂生が15くらいの時になにかに憑依されてしまって。
    黙って、こっちの云うとおりやってくれたんですよ。
    別に霊能力者とかそんな人じゃないのですが。
    で、その姿をみていて、ふっと、我にかえったんですよ。
    親父に何、馬鹿をやらせてるんだ。
    って・・。自分がおかしいと気がつけたわけです。
    後年、このことで、人を助ける(えらそうですが)ことができるようになった。黙って、信じる。言うとおりにする。いくらまちがったことをしても、
    けして、なじったりしない。狂気までいきかけた人間をみるのは、正直こわいものです。それがよく知ってる人間だったら、こっちがおたつく。ショックもうける。
    でも親父のすがたで、ど~~んとかまえて信じてたら元に戻ることもよくわかっていた。
    医者につれていっちゃいけない。本当の狂人にしてしまったりするから。
    そんなことをわかっていたので、助けられた。
    親父のおかげ。
    ありがたいもんです。
  • 七日七夜は憂生もすきですね。

    何故この女子は屈託なく胸襟をひらくのだろうか?
    おい、俺は鬼だぞ。
    うそでしょう?
    ・・鬼は人を食うといいます。
    ・・どこのどいつがそんな馬鹿なことを・・
    ・・しんんじておらぬな?
    いえ、食われぬならよいです・・
    ってな、科白のあとに
    ど~~んと地面をけって宙に舞う。
    「ほんに?ほんに・・鬼?」
    とかね、

    青い果実がたわむような笑い声

    童子は紅をさした女子のほうがすきなのですか?
    かなえが紅をさしたら、もっと、きれいだろう。

    などなど、かなり、表現がムード?をつくっている。
    はぎれがいいところもあるし・・。
    「まっこと、未練でした」
    のひとことで、地面を蹴ってたちさる・・

    ここで、小研ぎ(小束)がでてくるんだけど・・
    この小束に象徴するかなえの思い。

    この話を海老名視点を軸にかいたのが、
    伊勢の姫君になる。

    悪童丸の裏視点が鬼の子。

    まだまだ魅せますよ(なんちって・・・)
  • 89

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-17 03:21:25
  • >憂生

    奇遇ですね!僕の父と母も26歳ぐらい離れていたかな?
    僕もそうなんですが、僕の父も、兄弟は腹違いで、確か祖父もそうだったと記憶してます。(祖父は、生まれが江戸時代に突入しちゃうので会った事が無いのですが)
    それでで、父が、腹違いの兄弟の存在を知った時は、兄弟が死んだ時
    で、葬式で初めて存在を知るのですが、母が妊娠して僕が誕生する前、兄の親戚は僕の存在を疎んじるわけです。
    つまり、親戚から鬼っ子扱いで、堕胎するように言われるわけなんですが、父が親戚から僕を守ってくれることにるんです。
    で、僕は、子供の頃に色々と体に生まれつきの問題があって、紫外線に極端に弱く、視力が成長に比例して落ち続けるとか、そんな中で、父親が学校から僕を連れ出して色々なところに行くんですけれど、親戚さえも頼る事が出来ない子供の将来を案じて、色々と種をまいておきてくれうわけです。
    で、思春期になってとりあえず人並みに体は育っていくのですが、、15歳で父もいなくなって、それから大人になりながら色々と忘れていくのですが、突然、窮地に立たされ一番楽な解決方法が、このまま自分が死んでしまう事だと思う事があるのだけれど、父の言葉が言霊のようになっていて自ら死ぬ事だけは出来ない。
    結果的に死ぬ事になっても、自ら刃死ねないと悩むのです。
    実際、凍死しそうだったけど、意外に人間はしぶといもんで行き続けちゃう。
    そして、父親が物語りの伏線のように、生前に撒いた種で僕は助けられるのだけれど、僕は、その時になって初めて、父と母の愛の結晶は、自分だったと気づくのです。
    父の最大のアキレス腱でもあったのだけれど、兄弟の中で一番愛されていたと知る事で、僕は家族愛の深さを知ってしまう。

    だからかな?物語に伏線を上手く散りばめる事に、凄さを感じてしまう。
    人間でも鬼でも、後々の縁へのつながりを作れると言うのは、作者が
    きちんと作品と言う創造物の神として君臨している感じがする。

    僕は、神の視点に立てないから一人称になってしまうのも、作品と言う創造物で神になれていないから。

    また長文だから別けますね。
  • リアルな人生の中で、子供が苦境に立たされた時、結果として自分の妻も苦境に立たされる時に、その全てを助ける伏線を作っておける父親に、僕は敵わないと思いつつ、そうなりたいと憧れて生きている。

    響く物がある作品は、作者の気持ちが反映されているから、上っ面のテクニックの伏線では無く、作品の中でリアルな人生を反映させているように思えます。

    映像でも、稚拙な技術であっても、作品そのものに狂気と言っていいぐらいの何かを含んでいる物は、見ている人間の心を動かしますからね。

    人間は、普通に生きているだけでも、恋をしたり、愛を育んだり、憎んだり、悲しんだりするのだから、、どのような表現であれ人間を真摯にテーマとしている作品は、どこか響くものがあります。

    僕は、自分の作品に軽い雰囲気になるようにフィルターをかけていますが、その分ボヤける可能性が大きく、その部分を危惧して文章を考えなければいけなかったりと、課題が多くまだまだですが、まずは書き上げて、再び書き直しても良いかと思ってます。

    海老名視点と言うのも興味ありますね。
    男女の営みを教えてしまったせいで、悪童丸と勢姫が生まれてしまったと後悔する。
    もしも教えていなかったら、光来童子は子を宿すような事はしなかったのではないかと、海老名は罪の気持ちに苛まれる。
    『七日七夜』の終りだと、海老名の苦しみが残る終わり方なのだけれど、それで『悪童丸』の終りで海老名が救われた気持ちになって見送るのかと分かる。
    とても面白いです。

    88

  • 憂生の友人にやはり、因縁の繰り返しっていうのかな。

    親が離婚。自分の弟も離婚(再婚したようですが)自分も離婚。
    で、自身が父親の愛に餓えてる。その自分が離婚して(旦那DV・ほかに女を作ってでていった・・など、彼女のせいではない)結局、子供に父親という存在をなくさせてしまったのが、なによりも、もうしわけない。
    って、そういうふうにとる人だった。
    その彼女が「鬼の子」をよんで、気がついたら、声をあげて泣いていた。
    って、つたえてくれた。
    子供が父親を慕う気持ち。光来童子が悪童丸を思う気持ち。
    物語を読んでもらったほうがいいので、あまりいいたくないんだけど、
    ここでは光来童子とかなえの「愛の子」であることの意味合いに
    鬼と人間と外つ国の混血の意味の「あいの子」をかさねあわせて
    います。
    実際、ぼろい評価をコメントで残す人間がいるのですが、
    憂生自体、自分で読んでいても、泣けてくる事が多い。
    ある意味、ぼろいコメントを残せる人間というのは幸せなんだなあって思います。情のありがたみとかわかってる人間はそうやって、声をあげてないてしまうことだってある。
    苦しいところ、悲しいところ、いろいろ判ってるから。
    作品を読むっていうのは言い換えれば自分の人生の価値観などを尺度にする。お涙頂戴的物語で泣くのともわけが違う。
    自分の苦労(などの)の度合いで作品の受け止め方が個々に違う。
    それは、もう、読み手にまかさなきゃいけないことだけど、
    あまりにも、読み手側に受け取るものがない(苦労などがない)としか思えないとり方をする人が居るのも事実。
    だから、そこに響いた人間にとっては、憂生の作品はどんなベストセラーより価値がある。って、自負してます。
    それは逆を言えば読む人の人生観こそが、その人のベストセラーそのものだから。
    そんな人を泣かすほどによまれたものが、一方ではこき下ろされる。
    でも、もうしわけないけど、その人自身がもっている人生観がある意味安物なのだとおもいますし、そのことに心動かされないほど幸せであるのだとおもいます。
  • 親父が複雑な事情があったらしく、長男だというのに、戸籍をみると
    母方の姓になって・いわゆる私生児になっている。でも父とともにくらしていたようだし、弟妹もいた。それがなにがあったのか、飛び出してしまって、がんとして、ふるさとに帰らない。なくなる前、体が動く頃に突然かえったけど、50年以上かえらなかったのでは?
    背中には唐獅子牡丹せおってたし、なにか、子供心に帰るに帰れなかった親父の苦しみがみえた。そんな親父にとっておふくろがよりどころだったんだろう。ねたきりになって、回りも病院いれんと、お袋が仕事と看病でたおれてしまう。って、いわれたんだけど、親父ががんとしてききいれなかった。おふくろの傍にいたかったんだろう。
    で、おふくろから連絡がきて、病院いれたらもっと長生きできるだろうけど、自宅だからろくなこともできない、はやく死なせてしまうかもしれん、おまえかまわんか?
    こっちも家をでてる立場だったから・・。
    あんたの亭主だろう。あんたが悔いののこらんようにやればいい。
    親父の気のすむようにしてやってくれ。
    って。
    憂生が他県に行く時に、親父はおまえは親をすてるのかって、どなられたことがあった。それがこたえたな。憂生が捨てるととられたことにじゃない。親父自身が親をすててきてるという自責の念があるんだろう。
    だから、憂生がでていくといったら、「捨てる」ととってしまう。
    自分が親を捨ててなかったら「憂生の好きなことをやればいい」って思えるし、捨てられるとかかんがえまい。
    自分のしたことが帰ってくるというのは、こういうことだなあって。
    みじめなとり方をしてしまう。
    こういう部分でも親父がみせてくれたことはありがたかった。
  • 憂生の弟は5ヶ月で死んでる。
    墓をつくったのももう20年もたってからだったかな。
    墓石をすえてくれながら、石屋のおっさんが、
    わしもこんな商売しとると、因果ちゅうもんを感じる。
    小さい頃に子供が亡くなるというのは、親父さんあんた、
    親不孝しとるな~~。
    って、その言葉に親父が涙をぬぐったようにみえた。
    あとで、おふくろが、昔おがみやさんにいったら、
    「このこは、おとうさん・おとうさん・って
    おとうさんのことず~~と心配しとったなあ」
    そういわれたって・・。
    5ヶ月の弟が親父。親父っておもってたのに。
    憂生はひとつも子供らしい思いをもたんかった。

    そんな弟の存在とか、おふくろのこととか、
    さきにかいた黙って云うとおりにして助け出してくれたり・・。
    そういういろいろなこと。
    転々してたから、それこそ、人の情けで大きくなったってとこもあったし
    そんなん・こんなんが憂生を形成してきて、いざ物語をかきだしたら、
    ものすごい勢いでかいた。
    実際、こんなふうな育ち方してたせいだろうな。
    ドラえもんのジャイアンの科白
    「友達が困ってるのに、放っておけるかよ」
    って、豪快な科白をきくだけで、涙が浮かんでくる。
    たかが、漫画なんだけどね。
  • 87

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-17 12:47:51
  • >憂生

    読む側の人生観と言うのは大切ですね。
    人生の経験と言うよりも、生きてきた時間を見つめているかどうか?だとは思うのですが、なかなか考える事は無いから、親の愛や人の思いを気づかない人が多い。
    誰だって、親から生まれて、必ず身近な人との死を知るから。
    当り前の事なんだけれど、気づかないで通り過ぎてしまう。
    でも、何かのきっかけで気づいて考えるようになる人もいる。
    『戦う司書』は、死んだ人間が本になる世界で物語は展開していくけど、死んで本になった人達の生き様が、生きている人間に色々と教えてくれると言う部分では好きでしたね。

    僕は、当り前で普通だと思って流れに任せた人生から、人生とは何かを気づかせる作品も好きですね。

    気づかせる作品があって、気づいた人達が読む作品がある。
    そんな風に全ての物に何かの価値が存在して、何かの意味がある。

    無意味なような路傍の小石でさえも、何かを気づかせるきっかけになる縁があったりする。
    そんなつながりが、小説に限らず、全ての人を繋いでいくようになったら嬉しいと思ってます。

    最近、エロ仕事の時で不安に思うのが、性の対象として女を見ているのは良いけど、女を人として見ていない人が多いように感じてしまう。
    対象である女を物扱いで見ている。
    言葉で「好き」と言っていても、人に対しての好きでは無く、物としての好きと言うのかな?
    それじゃダメなのに、何か欠落している感じがして仕方が無い。

    長いので分けましょう。
  • 続きです

    多くの人が人として欠落しているのに気づかないで生きてる。
    そんな感じがしたから、作品の中で「人間もどき」と言う存在を作ってみた。
    人間もどきを人間にしようとする人達の存在も作ってみた。

    僕なりの人生観を、どんな作品にも投影しているけれど、時々上手く伝わっている時は楽しいです。

    批判する人と言うか、こちらの伝えたい物に気づかないで、枝葉の部分を酷評する人と言うのは、もしかすると本質から目を背けたくなって枝葉を批判するのかもしれないと考える時があります。
    いわゆる図星を突かれた感じかな?
    あと、妬みの気持ちから他人を酷評する人もいる。

    例えば、杉森久英も太宰文学を好きになれなかったが、戦後『お伽草紙』や『新釈諸国噺』を読んで、それまで太宰を一面的にしか捉えていなかった自分の不明を深く恥じたと言う話も聞きます。
    一面しか捉えられなかったから反発してしまう。
    けれど、人間はその一面だけでは無い。

    穏やかな人生の時期もあれば、荒廃した精神の時期もある。
    多面的に捉えられなければいけないと僕は思ってます。
    自分が、実際に出来ている訳では無いですけど(笑)

    僕は、親と死別してから、一定の場所に留まらない生活をしてて、大人になっても一定の場所に留まれなかった。
    ある会社の役員になった時があるのだけれど、あるプロジェクトが完成間近になった時、「もう誰でもルーティーンでやれるかな」と言ったら、当時の部下の女子社員に「また、いなくなっちゃうんですか?」って言われた時、「あぁ、彼女は、僕が突然消えてしまう事を知っているんだ。当り前のように存在していながら、ある日突然いなくなってしまう事に気づいてる」と思う事があった。
    結局、いなくなる最後まで何も告げなかったけれど。
    僕をずっと見ていたんだ、と思った事があります。

    因縁のように繰り返す事も、多面的に見れない事も、人生は誰もが持っている。
    持っているけれど、気づかない。
    気づいても目を背けてしまう。

    それらを知っていて、見つめている作品だから、『白蛇抄』は高い評価を受けていると思います。

    日常の普通の事に色々な意味がある事に気づける事は幸いなのでしょう。
    だからジャイアンの台詞が、当り前だけれど大切である事に気づけるのだと思います。
  • 86

  • ちょっと、あるブログで、心理学の立場から、
    未知なことをつげられると、拒否反応・防御反応をおこし、
    自分に固執するってな、表現があって、
    それ、確かにあるなあって思っていたわけです。

    で、それらが、悪い評価ってかたちにでてくるときがあるわけで、
    貴方の言う通りだと思います。
    本当はわかっているけど、避ける。

    これが、物語だから、いいけど、
    人生そのもので、何かを示唆されたとき、
    全然違う価値観をつきつけられたとき、
    その価値観をみとめると、
    自分が痛い。

    一生懸命、自分の価値観を正当化させようとする。

    その結果、こっちが、ぼろに言われる。
    (かなり、年のとったおっさんのようでしたが)

    きがついてほしいことは、
    とても大事なことなのですが、
    それをみとめてもらうには、
    逆にいかに自分がだめかをみとめなきゃいけない。

    いったん、退いてきましたが、
    彼のこの先が心配ではあるのですが、
    もう、「こうだ」と、突きつけて見せてしまった以上、
    知ってしまった以上
    きがつくように、きがつくように、
    しむけられる。

    自分の内的精神って、絶対的に正しいことを欲しがる。

    ブログの中にあった言葉ですが
    それをしんじていけばいいかなって・・。

    ここにきて改めてほっとしたような・・。

    判ってるはず。

    憂生が示唆したことが正しいかどうかも、
    相手の内面が嗅ぎ取って
    正しいとおもったら、本人のきにさわる。

    喉に腫れ物ができたように、
    食事をするたび、違和感が起きる。

    憂生はあとは、本当にそれ自体が正しかったかを
    何度も何度も証査する。
  • 85

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-17 17:00:02
  • >憂生

    物事が多面的であるように、良い事も悪い事も見る位置が変わるだけで本質は同じと考えています。
    (あー説明出来ていない気がする!)

    最終的に、本人が気づいている事を認めるか、認めないかの結論しか無いから、僕は伝えるだけしかしない。
    いや、それしか出来ないと判断する。

    年齢を重ねると思考が硬くなるから、若いクリエーターには硬い発想にはなるなと伝えています。
    思考が硬くなると、排他的になりやすく、新しい模索が出来なくなるからなのですが、だから僕はディレクターになった時に「いつかは去らなければならないポジションになった事を忘れないようにしよう」とプロデューサーと話をした事があります。

    古い経験は、若い世代に道を示す為の力なのだと。

    それでも古くなった僕の映像作品が好きだと言う人もいるわけで、一緒に年齢を重ねて年老いていく仲間に受け入れられてるだけでも良いと考えたら、余計に若い人には新しいチャレンジをさせたくなった。
    「未熟なうちは批判されても良いから、今のうちに色々と考えたら?」と提案出来る先輩であろうと思ってます。
    もっとも、未だに「あそこがダメだったね」とか色々と指摘はされてるから、偉そうな事は言えないのだけれど(笑)

    拘りは持たなきゃいけないけど、執着になっていないか?を思い返す作業をしながら、何とか物を作ってたりします。

    どんな駄作になってしまった物でも、何か良いところがあるはずだと考えれば、良いところが見つかるし、そうしないと経験不足の後輩の作品なんて見れない時がありますからね。
    で、そうして見ていると、自分では思いもつかなかった事をやってたりして驚く事があったりするから面白い。

    商業作品の時は、売上が大切だから変な事はチャレンジさせられないけれど、否定的な事よりも良い所を見つけ出す年寄りになりたいです(笑)

    実際、もともとの企画には全然合っていなかったけれど、タイトルを変えたら凄く印象が良くなった作品もありましたから。
  • 84

    妙な物です。
    ちょっと前、ほかのブログで、
    使い捨て思想が精神を腐食していく。
    って、ことを書いたところです。

    製品のことから、修理して使うより新しい物にかえる。
    メーカーもそのせいで、真の技術者を養成する必要がなくなる。
    開発さえできればいい。
    新しい物さえできればいい。
    物を大事にするって観念がなくなり最後には貴方の言うように、
    人間まで、物扱いする。

    これが、色んなところに出ているとおもうのですが・・。

    日本の昔話で
    家臣の一人が川を渡るとき4文おとしてしまった。
    それで、そこらにいる渡し人足とかにさがしてくれたら、
    見つけた人間に20文やると・・。
    で、探しても、探してもみつからないから、
    人足が相談して、自分の懐から、1文ずつだして、
    みつけたといえば、80文もらえるわけだからとそうしたところ、
    家臣がよろこんで、
    1文といえど、国の宝である。なくしてしまったら、
    その宝をすてたと同じことだ。
    と、20文ずつわたした。
    此処にいたって人足は自分たちが浅知恵でものをやったことにきがつき、1文さがすのに、20文かけてまで探す心根を判らずもうしわけないことをしたと、白状して、改めて、夜中までさがしたところ、みつかった。
    ってな話があるんだけど、
    人を材となす、今の世の中が逆にニートとかうみだしてるんじゃないかねえ?って、想う。
    人は宝。
    一隅を照らすものこれ、国宝也。
    人の価値をみない世の中に、してしまい、
    そこに築かれた経営精神とかこんなものに洗脳されて
    人の価値を育てるって意識でなく、経営の役にたつかたたないか
    そんなものごとで、判断する。

    人を育てることは出来なくてもせめて、人を示唆できるくらいな人間が居て欲しいと想うけど、
    今の世の中、人は物。物の価値とて狂った考え方になってるのに、
    人は物以下。育てることはおろか示唆することはおろか、
    自分が物判断していることにさえきがついちゃいない。

    末法思想なんてのがあってけど、いつのどの時代でも
    それはある。
    そして、いま、精神性を大事にしなきゃって、癒しやカウンセリングが
    売買される。
    てめ~~のその物根性から、まちがっとる。
    その次が売買しなきゃ、自慰行為てきお助け稼業。
    助けられる自分に自己満足してる馬鹿。

    そいつも自分を物扱い。

    人間にもどらにゃあのお・・。

    83

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-17 17:12:37
  • 続きです。

    きっと、何かは伝わっている。
    だから、酷評するにしても何かを残しているのだろうと思います。
    平均的な物は、良くも悪くも言わないから、何も残していかないですから。

    僕は、太宰治は『走れメロス』書いてた人だと子供の頃は認識していなかったけれど、大人になってきて『人間失格』を読むようになって、違う印象を受けたり、『人間失格』の後に『走れメロス』を読むと、また違った感覚になったりと、人生の経験とは面白いものだと思うわけです。
    だから、一つの作品で多面的である憂生作品は、違う作品を読むと、更に多面的に読めると感じます。

    月末から撮影ラッシュになるから、今週と来週は読んだり書いたりしておこうと思っています。
    白峰大神までじっくり読むと、その後の話が早いペースで読めるのも面白いですね。
    文章の長さでは無く、話の内容が勝手に強弱のリズムを作っていると言うのでしょうか?
    逆のパターンで、途中でだらける話は多いけど、一つの流れの中で、頭の中に入って来るテンポが強弱をつけてくる。
    やっぱり読みやすい文章を書く人だと感心しました。

    僕は、さらっと流す話は文字数も減ってますからね(笑)
  • 82

  • 読みやすいという一つの捉え方に
    アナウンサーのことをおもいだしました。

    難しいニュースを読み上げてるアナウンサーの言葉をきいていて、
    その意味がこっちに届くのは
    アナウンサーがそのニュースをよく理解しているからじゃないかな?
    と、想ったのです。

    反対に何をいってるか、さっぱり判らないというアナウンサーが居ます。
    これ、いわゆる、棒読みで、アナウンス技術で上手によめるんだけど、
    本人がそのニュースの意味がわかっていない。
    だから、こっちも、なんだか、判らない。

    って、作品でもそんなことないだろうかって想うんですよ。
    自分でも自分に旨く説明できないから
    まわりくどくなったりしがちで、
    まだ、説得のだんかい?
    理解の段階で

    納得の段階
    もう一つ言えば
    悟り?抜ける?
    こういう段階になってないなあって自分でも思います。

    それでも、一生懸命説明したいってのがあるから、
    まあ、そこにエネルギーがこもるのかも/笑

    作者が此処までそういうのなら、そういうことにしておいてやろう。
    みたいな・・
    おおいなるわがままを拾い上げてもらえてるなって思います。
  • 81

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-18 06:36:37
  • >憂生

    アナウンサーの例えはわかりますね。
    僕は、芝居を演出している時、時間の制約で、同方向からのカットを細切れに撮影するのですが、演者には一区切りまで台詞を言ってもらう。
    そうしないと、演者も台詞の意味が捉えられなくなってしまうから、細切れの単語になっちゃう。
    台詞には、感情や意味があるから、一つの単語でカットしてしまう時も、やはり意味が感じられないといけない。
    だから、前後の部分も含めて言って貰う。
    ちょっと時間が勿体無いようだけれど、そうする事で、台詞を繰り返す事で、演者も役に入っていく。
    役者○○では無く、登場人物になっていく。

    それでも、出来上がりを見るまで何が何だか分からなかったと言われますけどね。

    僕の『生徒会戦争 由良と紫と幻視王の関係』は、けっこう単純明快なカット割で考えた作品だから、気軽に台詞を言ってくれるけど、ポップな学園者みたいになっているけど、エジプト神話をネタに使ってます。
    エジプトの南北が統合されてファラオが生まれるまでの歴史を参考にしている。
    由良と紫の関係は、兄妹であり夫婦でもあったオシリスとイシスの関係。
    何度もセトに殺されても、イシスの魔術で蘇ってくるオシリス。
    そんなところから、敵対勢力の首謀者の名前は、セトから瀬戸にしちゃった経緯がある。
    下の名前の秋水は、日本の革命家から拾う事にしたから、生徒会の反勢力は革命同好会みたいな具合にしちゃってます。
    敵対する勢力を、なかなか出せなかったと言うよりも、キャラクターが思いつかなかった時、急に思いついたエジプト神話。
    少しだけ閃いた感じがした。

    ここに来て、今まで自分が悩んで止まっていた部分が少し扉が開いた感じがするのも、こうして憂生と色々な事を伝えてもらっているからだと感謝します。

    憂生作品を読んでいて、僕の物語に直接的では無いけれど、物語を多面的に表現する事を教えてもらってます。
  • 80

    キャラクターの配置を考えると、将棋をおもいますね。
    王がなんで、王になったか、決められた動きでどうやっていくか。
    (例えば、子蛇に対してどうするかという性格が動き)
    王が王になった理由が例えば、1000年続く因縁を解決する役。
    で、物語をかいてみたものの、飛車が飛車に成った理由がわからない。
    例えば、白銅がなんで、ひのえを護る役になるか。

    こう言うところに疑問を感じ、それを設定する。
    第16話(洞の祠)に白銅が転生していく元になる「理由」(思い)をちょっと、入れ込んでる。

    通常はキャラクター設定として、大まかにつかんでしまうところを
    それぞれの物語にしてしまった。と、いう感じで、
    疑問点みたいなところがもとだな。
    悪童丸ではかなえが何故、天守閣からとんだか。
    なぜ、鬼とむすばれ、なぜ、主膳のところにとついだか。
    ただ、ながされて、主膳を利用するだけに来たわけじゃない。
    悪童丸では、短くしか、書いてないけど、此処をほじくれば、かなえの生き様・理由がある。その生き様があるから、それが、もっとおおきな「因縁」「理」をつくる。
    本当におもいあうものが、結ばれる。
    かなえのしたことも、因縁?(神王の理)をのりこえ、
    形は死であっても、「自分の思いを通す」ってことで、
    これが、「理」になっているから、勢と悪童丸も因縁をとおりこし、
    「本当におもいあえる相手」と結ばれるがはまってきて、
    逆に澄明が手助けをする。
    手助けをするほうも、「本当におもいあうものを結ばせる」と、いう価値を自分の中にえたから、白銅と結ばれる。

    まあ、因縁・・因があって、縁がある。
    そして因縁納所。
    解決できるところに納める。

    一つ、一つが、裏であり表であり・・。
    そこらへんをみせていくから、書いていてもおもしろかった。

    だから、例えば、オシリスが何度も生き返っていくなかで、
    ただのくりかえしじゃなく、何故そこまでして、イシスがよみがえらせるか。なぜ、オシリスをえらんでいくか。
    オシリスが、イシスの思いをどうとらえているか。
    逆に、イシスだって、そんな繰り返しのなかで、オシリスを解放してやりたいって思いもでてくるかもしれない。そこの葛藤とかもあるだろう。
    その葛藤をどう考えて、ねじふせたか。
    などなど・・例えばだけど、一つの行動のうらには、色んな経緯があるんじゃないかと想う。

    そして、そんなものをのりこえて、一つの「執念」あるいは「信念」になって、戦いをくりかえすが、読む側に納得できる。
    政勝がたたききるという思いをもつのも、主膳への思いからだし。
    陰陽師がどうするかも、見ている位置が違うから、叩ききるとは想わない。なにかしら、「思い」の元がある。

    ここらへんを物語りにださずとも、自分の中でしいておくと、
    裏打ちのある物語が出来てくるのではないかと想う。
    で、憂生の場合、この裏打ち部分を設定だけでなく、別の物語にしていって、通常設定だけ読んだら、おもしろくない(ストーリーが想像できて)ので
    設定をしらせていくために、(よませていくために)設定をひとつのストーリーにしてしまったってこともいえるかもしれない。

    科白を繰り返して登場人物のきもちになるということ。
    そして、できあがるまでわからないってことはある意味
    正攻法じゃないかな。
    なにもかもストーリーをしょうあくしてしまうと、
    科白をつくってしまう。(演じてしまう)
    実際物語を書いていく手順もここで、
    そのとき人物がどうおもうか。
    なのだとおもう。

    そこで、では、この思いならどうするか・・。

    って、次が出てくる。

    必要なのはどうおもうか。

    ストーリーを作ってそこにキャラクターをいれていくと、
    科白や行動がいまいち、なじまない。
    (憂生の場合です。作家さんいろんなタイプがいるから)
    だから、映像にしていくというあらたなストーリーにしたとき、
    ポイント・ポイントの科白だけをおって、
    その役になりきってもらうという事がものすごく大切なんだと思う。

    79

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-18 15:45:04
  • >憂生

    キャラクター配置が将棋と言うのはなかなか面白い。
    将棋の指し手が作者となる感じですね。
    僕は、古い神話は、その土地の歴史を言い表しているから、地図と歴史を頭の中で描いてましたが、確かに将棋は、王は、王の意味があって、飛車は飛車の意味がありますね。

    エジプト神話でセトは悪神となっているけれど、本来は悪い神では無い。
    オシリスと王の継承を争うけど、オシリスの信仰が強くなってきたから、オシリスと争う話が多かったセトは悪神として扱われるようになった。
    で、エジプト神話は、南北統一までの戦争で、色々と話が変わってきているけど、自然崇拝な部分が基本にある。
    ラーは、太陽であり、朝から夕方までは現世を支配して、夜は冥界を支配する。
    当時のエジプト王の支配や、戦争、人々の生活が背景にあるから、古代信仰の神話は、どこの国も面白いです。

    集団である人々を個々の人間だったり、神として表現しているからかな?

    国民の思想が反映されたキャラクターって感じですね。

    設定をひとつのストーリーにするというのは必要ですよね。
    説明さえも面白い話にしておく。
    設定、状況、それらの説明をするのでは無く、それさえも独立した話にしてしまう。
    物語のプロローグは、本編に繋がるように導入する方法もあるけれど、本編の登場人物が出てこないままプロローグだけで完結しておくのもアリだと聞いた事があります。

    ある意味、プロローグに登場してくる人物も伏線、説明も伏線となって世界が絡まって繋がっているのかな?

    ノベルゲームとか、途中でプレイヤーが次の行動を選択して展開が変わっていくけど、ゲームの中の世界は変わらないし、キャラクターも状況が変わるだけでキャラクター人格の本質は変わらない。
    物語の世界と人物は固定されているから、状況が変わっても、それは状況が変わっただけで、キャラクターに与えられた人間性は変わらない。
    時々、ゲームにハマってしまうんですよね。

    で、ゲームで良かった。やり直せて良かった。相手はプログラムだけど、言葉の受け取り方によっては、こんな結果になっていく場合もあるな。
    と、考えてしまったりする。

    ゲームを作った人は、こう受け取るのだろうと想像してしまい、作った者の人間性が物に出てきちゃう事を思い出しますね。
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-18 16:07:37
  • 物語の全部を掌握してして、最後の結末まで知ってしまうと、その時々の感情や想いが出ない場合もありますね。

    未来の事は知らないから、その時は苦悩したり、その時は悲しんだりする。
    生きていて、失敗したと猛烈に自己批判していても、結果として助かる事もあったり、そこで悩んだkから、その先で次の難問に遭遇しても解決出来る意思を持てたりする。

    演者には、台詞を読むな!自分の言葉に消化してくれ!とお願いする。
    ある監督は、「一字一句台本通りに言ってもらわないと伝わらない」と言うし、他の監督は「意味が通じるならば、一字一句同じにならなくても、演者本人の言葉に消化されている台詞の方が良い」と言う、また「感情の起伏がある縁起で、言葉に詰まっても、それは感情の起伏なんだから、あるべき詰まりだよ」と言う場合もある。

    作品によって、どちらも正しいと言うか、一字一句間違わないで、感情の起伏も全て消化してもらうのが理想だけれど。

    まだペーペーの若造だった僕に、ある監督が「台詞も間違っていないし、演技出来てるけど、ちょっと違うイメージがあるから、違うパターンで」と別テイクを指定して来た時、自分の引き出しが無くて困った事がありました。
    同じ感情表現でも5種類ぐらいは用意しておけ!と口煩く言われたものです。
    それから一つの感情に対して、色々と考えるようになったのかな?

    全体の話を知っていても、その時のキャラクターの立ち位置、状況以外を忘れるように台詞に感情を込める。
    そんな演者ばかりで作ったら楽しいだろうと思う反面、ちゃんと伝わるように撮れていなかったら怖いと不安に思うのが混ざり合ってて、それが僕の楽しみでもありますね。

    どう思うか?は、大切ですね。
  • 横棒
  • 78

  • 本編の登場人物が出てこないままプロローグだけで完結しておくのもアリだと聞いた事があります。

    短い形で、プロローグとは書いてないけど、
    七日七夜の最初の部分がそれにあたるのでは?

    如月童子本人は直接でてきていない。
    伽羅の説明とか、
    「言うよ・・あんたの親父はね・・」
    光来童子の科白。
    「あやつは、しゃべらんわ」
    ぐらいじゃなかったかな?

    このかなえとであった時の光来童子の「父親への思い」と、
    「アマロ」のプロローグ部分にでてくる光来童子の「父親への思い」とが、
    連鎖してる部分だけど・・・。
    七日・・では、如月童子の外国の女への興味しかかいてない。
    ところが、アマロの冒頭では、「如月とて、人をして鬼の妻などにしたくはなかったろう」
    って、七日七夜を通り越した光来童子の思い方で、父を見る。
    「鬼の子」で悪童丸への思い。
    それで、如月童子の思いを知ることになる。

    ほかにも理周で「父親」というものについて、スポットをあてている。

    まあ、自分でいっちゃ、なんだけど、ほんと、よく考えて作られた物語だと想う。(考えたつ~~より、わきあがってきた・・だけど)
  • どういう科白形態が正しいというのでなくて、役者が本当にこなしていれば、監督・脚本家をうんといわせることができるのでは。
    松田優作がそういう人だったらしく、自分の写真をとるのでも、簡単に赦さず、一人だけ、許可した。その人をみて、おまえなら、本物の俺を取れる。って・・。お互い、父親を早くなくしてたという境遇はあとでわかったそうだけど・・。
    その松田優作が、あるとき、そのカメラマンに文句をいった。
    「なんじゃ、こりゃあ。これが俺か?お前の写真は俺の魂うつしてない」
    って・・。
    本物にこだわる人で、歌もうまい。この話もいろいろあるけど、おいといて、有名なのが、太陽に吠えろの最後のシーン。脚本読んで却下。
    そんな死に方あるか・・。って、あのドラマ史上に残るラストシーン。
    俺が想うようにやる。って、やったらしい。
    「ち、せこいことやりやがって・・・」
    「ん?」
    手についた、血をみる。
    「なんじゃあああああ、こりゃあああああ」
    で、最後にかあちゃんだったかな。

    役者自身の個性と融合した科白を自分でつくりだす。

    ここまでやるから、本物になってきたんだろうけど。

    ながすぎた・・わける。
  • 特筆した個性が必要かどうかにもよるけど、
    やはり、科白だけの問題じゃない。
    役者が自分の個性とあわせたせりふまわしってのを、もてるかどうかにもよるのではないかと想う。

    ここら辺を考えて、役者・役柄の個性にあった科白まわしってのも
    必要じゃないかなって想う。

    松田優作は自分をよくわかっていた人だとおもう。
    逆をいえば、役者も自分の個性をよく、はあくしてないと、科白がうく。
    この言い方ではちぐはぐになりますよ。Aさんがやるなら、それでいいけど、私がやるならこうですよ。
    みたいな、役者魂?みたいなのがみんな。みんなあると、
    さぞかしまとまらんでたいへんだろうね/大笑

    この間の観月の「なめたらあかんぜよ」は、CMのたびに、ふきだしてしまった。
    じ~~と、ながめまわして・・
    小さい声で「なめたら・・・・・あかんぜよ」
    くらいのほうが、観月らしかったのでは?
    ここらへんが役者の個性をいかしきってないというか、
    前作の「なめたら・・」の迫力とかっこよさを追従しようとして、
    失敗した。気がする。
    まだ、小雪とか、仲間のほうが迫力はでたかな?とおもいつつ、
    極道の妻・・だっけ、監督が片瀬リノを好んで起用してたみたいだけど、あれはうまかったなと想う。

    77

    役者の個性と役柄は大切ですね。
    だからキャスティングは大切だと思ってます。
    時々、とんでもないキャスティングしてくるプロデューサーとかいるから、「えー!この話に何で?」みたいな事があったり……
    逆に、予想もしないほど上手くキャラクターにハマってくれたりもあります。

    三船敏郎の演技は、大雑把な荒々しい演技しか出来ないせいで、なかなか目が出なかったそうなのですが、逆に、その荒々しいキャラクターを使った話を撮ると最高に良かった。
    と、映画監督や映画会社の人達がテレビで言ってましたから、やはりキャスティングは大切ですね。

    観月ありさのアレは、僕もちょっと無理があると思いました。
    リメイク作品は、けっこう大変です。
    以前のイメージが強く残っていますから。

    極妻シリーズは、女優によって消化のされ方が違ってて良かったですね。(様々な極道の妻を見せている)
    そうなると、もう後は見ている側の女優の好みだけって感じです。

    松田優作は、かなりストイックな役者で、役に入り込む為のアプローチも深かったそうです。
    だから、監督や脚本家に言えるし、認めさせちゃう演技が出来る。
    大好きな役者ですね!

    役者そのものの個性とキャラクターが上手くシンクロしているのがベストなんですけれど。

    ハリウッドの『ドラゴンボール』は、キャスティング見ただけで「そりゃ世界中で批判されるよなー」と思いましたしね(笑)

    キャスティングは大切ですね。
    原作のある物語やリメイクは、世界観を壊さないようにするのが一番だと思ってます。(僕の場合って限定つきだけど)

    で、物語の話ですが、やはり原作がある場合、原作者のイメージに近づく事が大切だと思うと、この作者は何を伝えたいのだろうか?と深く考えるようになる。

    大まかにテーマは分かるけど、どの部分の表現で伝えたいのか・と言う部分ですね。

    天守閣から飛び降りるところなのか?主膳が弓を引くところなのか?悪小束の部分なのか?等等、伝えたい事を、映像としてどのように強調するべきなのか?と考える。

    発売中止になった作品だから、ここでは詳しく書けないけど、作品の中で何でも知っている少女を表現する台詞を、皆が省こうとするから「絶対にダメだ!この台詞だけで、原作者は彼女を表現しているのだから」と押し切って撮った事がありました。
    その作品の中では脇役だけれど、後々の話では中心になっている少女だったと言うのもあるけれど、原作の全体を通しても、その少女は、全ての話に登場してくる。
    話の鍵になっているのに、制作スタッフの皆は気づかない。
    あの時は、僕が監督で、我儘言える立場で良かったと安堵しました。

    だから、『蟷螂』から『悪童丸』の順序で読んで欲しいと書かれた時、ここに何かある気配を感じたのかもしれません。
    そこで、「因縁通り越す」に気持ちが引っかかった。

    僕の脚本書いてる友人は、映画でも小説でも、深読みし過ぎて見えなくなっちゃうどころか、「それ、何の作品?」って聞きたくなるほど迷走するけれど、時々、一緒に「この小説を映像にするならば?」みたいな空想制作談義をしてます。
    で、空想制作談義なのに、制作費が云々とか揉めたりするのですが(笑)

    76

  • まだ、4話めですよね?
    まだ、奥があります。
    集大成としては、6話めで完結って、かんがえられますが、
    1~5話までがないと、6話目で語ることが、見えてこない。

    まあ、説明はやめておきますが・・/笑

    だれかが、「理周」だけ、よんで、無茶苦茶批判してきたことがあったのですよ。「理周」のなかで、誰かをよりしろにして、物事を解決するというシーンがある。失敗すれば、悪鬼・悪霊にのっとられる。
    余り話せない内容ですが、この時の主人公が不知火です。
    そのときに「澄明・おまえはこんな気持ちだったか」
    って、いうのがあるのですが・・・。

    「こんな」が、みえてこない。
    ひとつには、鼎のために自分をかける。
    第6話でも、かのとに対して・・。
    これらをよんでいないと、不知火のいう「こんな」がみえない。

    だから、ぼろくそ、かかれていても「こんな」そのほかを知らない状態で
    ものをいうとれ/笑
    とか・・。

    まだ、4話めまでなので、なんともいえないけど、
    これを映画にするというのは、非常に難しいと想う。
    微妙な順番だけど、かえることができない。
    11~16は11~16の中でどうかわってもいいとおもう。

    時代がワープしていくし、順番が逆。
    でも、たぶん、先に七日・・をよんだら、悪童丸の面白みは減ると想う。
    そんなんで、映画にするのは、難しいだろうと想う。
    1作ずつじゃ、みじかすぎるだろうし・・。
    実際、1作ずつ出版しませんかという話もあったんだけど、
    これもけった。
    まだ、1~14で500万のほうが、やすくつく/笑
  • 命を賭けるという大本は白河正眼の前世・・。
    勝源による。

    これが、民のために、可愛い娘の魂をふたつに裂くことで、龍神と白蛇神の争いをおさめる。このあたりで、草薙の剣がでてきて、のちに、黒龍がかのとにさずける。

    この、みんなの為に、という思いが、澄明の血の中にうけつがれるから、
    白峰大神が自分の元に呼ぶ方法がわかっているし、実際、みなに、つめよられて、苦しい思いで行けといわせたくなくて、澄明がいく。


    だから、自分をなげだしてでも、鼎を救う。

    この深い愛は、実は9代前の前世きのえの父から脈々とうけつがれたもの。

    この物語の本当の底は父親の娘を犠牲にしてまでも、世の平和を願った。と、いう壮大な真心があってのこと。

    白峰が「おのれ、勝源め・・」と口走ったのはそこで・・。
    これは、誤植でなく、?と思わせるネタ仕込み。

    で、このネタが開くのが、第16話「洞の祠」

    簡単な作り方をしていないと自分でも思います。

    75

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-18 21:16:56
  • >憂生

    今、『邪淫の果て』の前半ですね。5話目を読んでる途中です。

    映像化するのを空想談義するのは、実際の予算の範囲と違って気楽に楽しめます。
    アニメでしか不可能な映像表現も話ますからね(笑)

    時間軸が飛び回る話の場合、時間の流れを上手く切って、上手く繋がなければいけないから、それこそセンスの問題になっちゃうかな?

    批判する人と言うのは、全体を見ない人が多いですね。
    映像作品も、数分間だけ見て酷評する人もいるぐらいですから。
    全部を見るのがツライ感じだったと言うならば、それもまた評価なんでしょうけれど、一番酷いのは、早送りで見て評価する人かな?
    そんなのじゃ分かる訳無いのに、勝手に「こんなもんだろ?」みたいな考えで評価していく。

    文庫本で、本屋で手に取ったシリーズ作品が、たまたま最初から読まないと面白くない内容だったので、その本だけは「つまらないな」と思いつつ、そこまでシリーズとして出版されてるには、面白い何かがあったと思って、全部探して揃えて読んだ事があります。
    結果として、つまらないと思った本は、シリーズの中で一番面白くなかったのだけれど、全体としては悪くない。

    そんな、本の買い方する人は少ないのだろうけど、最初に読む順序と言うのはあると思います。
    一度、読んだ後に、読み手の好みの時系列で読み直すとかも出来るから、最初は全部順番に読む。

    「この辺が、一番の盛り上がりになるあたりだろう?」なんてページ位置で決めていく人は、本を読んでいるとは言えないですから。

    次の撮影の仕事のために見なければいけないDVD作品を見ているので、5話はスローペースで読んでます。
  • 74

    5話は6話めに入るための基調な作品です。
    ここで、@「堕ちた女」が登場します。
    七日・・と同じく短めの作品です。
    が、この話がいまいち、救われていない。
    ということで、次の話でなぜ、すくわれないことになっていくか?
    う~~ん・・ちゃうな~~。

    まあ、いいや。
    そして、この話の主人公が澄明に関っていくためのつなぎ役としても、
    又、比較論?として、七日・・にでていた、伽羅がでてきます。
    そこでまた、いろんなことをうきぼりにする役をえんじていくわけですが、
    これは、また、読んでのおたのしみですが、
    この伽羅の役割は助演女優賞なみ(笑)

    鬼の子でも、伽羅がでてきていますが、
    5話の主人公との対比。
    「邪気丸がいうとったのが、わかる。
    本におまえは陽気な女子じゃ」
    「陽気でなければ不幸がとりついてくる」
    「であるに、それほどの幸せ振りではおかしかろう」
    「ようきでなくれば、もっと、不幸せであったろう」

    似たような立場を持ちながら
    伽羅はわが子でもない悪童丸に母とおもってもらえ
    いまは「婆」にさせてもらえてると幸せなのであるが・・・。

    第6話は11万文字くらいあります。
    白蛇抄のなかで、一番長い物語になりますが、
    この第5話での提起があってこその物語。

    因みに藤原永常がちょい役で理周にも登場します。

    73

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-19 04:13:09
  • >憂生

    6話に入るための作品ですか?
    これまた色々と絡んで来るみたいですね。
    6話は11万文字とは凄いですね!

    今、仕事の脚本を書いているのですが、自分の失った性的機能を呼び起こした少女を犯す為に、少女の母と結婚する男と、その男に無理やり犯され、受け入れていくようになる少女の話のエロ脚本で、もう台詞に苦しみまくりです。
    性交時の少女の台詞が大変で、もしかして僕はダイレクトなエロに関しては、文章書けないのか?と思ってしまうぐらい苦戦してます。

    構成そのものは簡単だったし、導入までの話もすんなり書けたけど、性交時のところで「あれ?こういうのは何て書けば良いんだ?」とか、今、現実逃避中です(笑)
    20ページぐらいにまとまれば良いのだけれど、もろにエロの台詞は苦戦します。
    官能小説とも違うし、エロアニメ見ながら台詞探ってます。
    もっとも、途中から激しい息遣いとか、ト書きにしちゃってますけど。

    週末はエロ台詞に悩みそうです。
    月曜日までに書きあがるのか?不安になってきた。
  • 72

  • むつかしい設定ですね~~。
    受け入れていくという精神構造をかんがえていくと、空に・・(あるいは小夜)のように、
    もっと、広大な見地?ってことをおもうし、
    逆を考えれば、白い朝に・・であつかうPDSTの解離性障害。
    精神の崩壊を防ぐために、順応していく、もう一人の人格をつくりあげて、
    現実を回避していく。
    と、いうパターンか。
    こういうことしか、扱ってないんだけど、
    なにかしら、男への理解がなければ受け入れるのは、不可能かなあ?と想ってしまいます。
    空に・・の中で千秋への「あたし」の考え方。
    男なんてそんなことで自分の存在を認識するしかない憐れな生き物。
    そんな憐れな生き物に犯されたなんて悲しがっていないで、
    憐れさを包んでやれればいいのかもしれない。
    って、かんがえかたがあるんだけど、なにかしら、受け入れていく考え方を納得させないと。シーンが「嘘」に思えてしまうというのがある。
    白峰大神でいえば、因縁の繰り返しで「覚えてる」ものがあるから、
    感応していく。
    とか・・。
    憂生の場合はどういう構造で受け入れていくか。
    と、いうのが自分に説得できないと、シーンにも納得できない。
    快いと体がうけてしまうのでも、心が相手を受け入れてないと無理だろう?って、おもってしまって、心が崩壊するか、なにかしら別の見方で男をうけいれていく。
  • そうしないとHシーンがこんなことはありえないだろうって、無理な設定・ご都合主義の設定にみえて、あはん・うふんの状態をかくことができない。って、いうタイプなので、設定を重視する。
    で、それができていけば、感情部分で女の子が葛藤しながら、
    うけいれていくというふうに変わっていく。
    ーなんで・・こんな?母さんがしったら・・どんなにー
    ー母さんはあいされてない?
    ううん?この人が母さんにあいされてない?-
    何故だろう。私も結局愛されてない。なのに・・・
    ーひどく、頼りなく、悲しく、寂しい。
    私はこの人の中に、愛されない母。
    愛されないこの人。愛されない私。を見たー
    ーお互いをおいかけまわし、相手の尻尾を追いかける3匹のねずみが丸いリングになっていくー
    ー不思議な感情。ただ、尻尾をおいかけまわして居る徒労にくたびれただけかもしれない。愛されたいという私を男の中にみいだしたのかもしれないー
    その時だった・・
    あっ・・
    不思議な感覚が身体にあふれてきた・・
    「あはん・・うふん・・」/笑
    的なプロセス重視かなあ・・。
  • で、感情が成り立っていけば。

    こんなことでしか、自分の存在を認識できない男。
    こんなことでしか孤独を埋めれない男。
    私くらい・・せめて・・私くらい・・。
    あわれみでしかないのかもしれない。
    だけど、それさえもない男は永遠にさまよいつづけるだけ。
    ほら、しっかり、つかまえればいい。
    私はあ~~した、こ~~した。
    「もっと、***して・・もっと」
    そう、思い切り、自分をつかまえればいい。
    元々、そういう行為でしかないじゃない
    「****」
    「****」
    ****については、ここではかけないけど、
    これくらいじゃまだ説得できないだろうけど、
    そんなふうに裏心理が出来上がれば
    ものすごく、モロな表現をだしても、通じていくのではないかと想う。
    と、いうか、科白が自然になるだけでなく、男へのメッセージ?になりえる。
    「もっと、深く・・*いて」
    が、男にそのことで自分を思い切り確認しなさいよ。
    って、意味合いにもなりえるのでは。
    だから、もろな科白でも、もろであればあるほど
    男の性をうけとめている「女」ができあがる。

    脚本の難しさってのははこう言う心理をかきこめないことかな?
    脚本家の設定の中で(構想?心の中?)で認識しておくしかないってことなのかな?

    アダルト表現は本当、陳腐になりやすく、
    もろな表現だけあれば、あおられる青いおに~~ちゃんだけをあいてにしているなら、どのアダルトでもいいわけで、誰が書いたか忘れられるような心に残らない作品にはなりたくないと思いつつ、難しいなあと想う。

    アダルトだけは、当初FC2でアダルトブログに指定して永沢祐稀のペンネームでかいたんだけど、これが、かえってよかったかもしれない。
    憂生が書くとなると、なにかしら、憂生の枠でかいていたかもしれない。

    小夜、解除しておきます。
  • 71

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-19 18:23:12
  • >憂生

    いやー、少女が苦しみながら快楽に溺れてく台詞が、難しいったらありゃしない。
    言葉として成立していない、もがき苦しむ部分を、後々に演者が声に出す事前提で文字にすると大変です。
    「うぐっ、ふぐぐぐ」とか訳分からなくなってます(笑)
    そうなって来ると、ト書きで「声を押し殺そうとしながら嗚咽を漏らす」とか書いちゃってます。

    処女が初めての行為で「痛い、痛い、」と繰り返す部分も、こんな風に言ってほしいと思いながらも、文字に起こすのに悩んで「痛い、いたい、痛ーい」みたいな書き方になってる。
    しかも、「心の声は無しでお願いします」ってリクエスト付き!

    言い方とか、うまく伝わるのかな?

    で、エロアニメをヘッドフォンで聞きながら台詞を聞き取っていると、もう、台本書いた人に「どこまで書いたんだ?」と聞きたくなるようなぐらい、聞き取りにくい部分まで台詞が細切れに入ってる。

    で、「これって文字では、どう書いてるんだ?」と不思議に思ったりしながら、原稿用紙に向かってます(笑)

    短い作品なのに台詞の文字の量がどんどん増えていく。
    単語が細切れになっているから、文字変換が・・・・・・
    たまには苦戦していないといけないけど、後で文字変換が変な変換だらけになるんだろうと思うと、少し笑っちゃいます。

    脚本は、小説みたいな心理描写は、書かないですからね。
    そこは、演者の能力みたいな、いや、演出家の力か?
    簡単に引き受けるんじゃ無かったと反省しつつ、キーボード叩いてます!

    『小夜』も冒頭だけ読ませてもらいました。
    良さそうな話で、読みたくなっちゃったけど、後で読ませてもらいますね。
  • 70

  • ショタ物はSO2シリーズのなかで、BLパターン(キープ・ユー・1)
    ノーマルパターン(キープ・ユー・3)
    小枝もそうかな。
    あと、永沢作品の中でぼろ・・稽古不足・・だったかな
    でも、陵辱というパターンはないかな。
    受身側の感情重視はキープ・ユー・1・・21歳と14歳のカップリングを肯定することのほうに気を使った/笑

    ゲーム。スターオーシャン・セカンドからの二次創作。
    20編あるかな。

    多分、陵辱は鼎と井戸の柊次郎の比佐(久?)-名前が同じというパターンの因縁話なので、わすれてるー
    理周もそうだな。
    宿業もそうだな。
    ・・・ンン・・ほかにもあったかもしれない。

    でも、繰り返しって言うパターンはないな・・。

    なんか・・。
    例えば、最初は行為をおわったあとのパターンからもっていって
    破瓜のあとで、初って感じと呆然という感じの女の子をうつしだして・・。
    まさかの二度目・・三度目・・
    隣の部屋では母親就寝中・・声をだすわけにもいかない・・
    なんて、パターンがつづいて・・。
    なんちゅ~~のはいけないんですか?
  • 69

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-19 20:40:18
  • >憂生

    設定そのものは、出来上がったんですけど、今は、言葉の言い回しが、陳腐を通り越すぐらいまでいかないと突き抜けられないみたいな感じですね。

    「うぐぅぅぅ」や「ぐがぁがぁがぁがぁ・・・」とか「ひっ、くひー!」とか訳分からない擬音で、読んでると、これって格闘アクション物か?ぐらいになってます(笑)

    エロ漫画とかだったら、絵で表現しちゃうのだろうけど、文章だけだと厳しいと思ったり・・・・・・

    無理やり処女を奪われた時は、何とか訳分からない擬音とト書きで対応しちゃったけど、その後の養父との合意の性行為中の会話は、少しは楽になるのかな?

    陵辱は最初だけなんで、後は娘が養父に嫉妬したりする展開ですね。
    あまりここで書いちゃうわけにはいかないけど。

    台詞だらけの文章は、久々に書くと疲れます(ToT)
    擬音の上手い使い方が出来る人が羨ましいです。

    一応、原作があるのだけれど、登場人物を減らして書くから、それも大変で、「会話が、会話が上手く成立してないー」とか騒ぎながら書いてました。
    エロそのものより楽だったけど(笑)

    何となく分かってきたのが、エロ表現の文章って、台詞としての息遣いや声が難しくて「あはん、うふん」程度じゃ表現出来ない。
    だから、その辺で書いてあるエロ文章が、とても稚拙に感じる。
    とことん下品な作品だけど、難しい部分がある。
    僕の好みの物では無いけど、今回は頑張ってチャレンジしてます!
    多分、クライアントも煩い事言わないだろうし(^o^)
  • 68

  • そうそう、エロ表現って、上品過ぎてもいけないし、
    稚拙だと、こんな程度しかかけないのって、
    作者、おまえ、経験なさすぎ!!/笑
    って、要らぬところでぼろがでる。
    下品すぎても、しらけるし・・。

    官能小説は難しすぎてあきらめたけど。

    ある意味、ギャグなら、こなせてるかなっておもうのが、
    新之助シリーズかな。

    初めの設定がわからないと、
    旨味がでないとおもうけど、
    3000文字くらいのみじかいのがある。
    黒~~って、さくひんだけど、
    すれすれで、エロ路線はしった、ギャグだとも思える。

    適当にわらえて、適当にエロっぽかったら、
    「良し」って、いってやって。

    あ、暇な時に・・
  • 67

    稿者:高橋kou

  • 投稿日時:2010-06-20 06:07:58
  • >憂生

    ギャグ路線で、ちょいエロ展開は僕も好きです。
    エロなのに笑っちゃう。
    馬鹿げた行為にエロが結びついちゃうみたいなのは大好きです。

    そんな事言うから、『黒~~~~!!』読んじゃいましたよ(笑)
    新之助シリーズはギャグ路線なのですか?
    面白いですね!ポップな展開が素敵です。

    僕は、AV作品ですけど、笑わせる演出を真面目に考えて作った事があって、物凄くダイレクトにエロのはずなのに、見てると笑っちゃって仕方が無いと言う、抜き道具としてみている人にとってのエロとしては最低な演出を1コーナーだけやらせてもらった事があります。

    笑わせたり、怖がらせたり、悲しませたりと作品の中で、お客さんがそうなるように仕掛けるのが演出だから、どれも同じだと誰かに言われたような気がするのですが、「ホラーもコメディも一緒」だと言ったのは『呪怨』の清水崇監督だったかな?

    面白おかしくする意味で、滑稽な性描写は楽しいですね。
    そう言えば、エロ漫画の雑誌を買ったのだけれど、エロ薄めの笑い多目の作品が多かったような気がします。
    昔のようなドロドロの話は、少なくなってたかな?
  • 66

  • 全体的に短めなので、よかったら、
    シリーズの1から、読んでくださると、楽しめると思う。
    この作品はほかの作品を読んだ人が
    同じ人間が書いたとは思えない。
    って、びっくりしてた作品です。

    SO2シリーズも、ひのえ?にあたるボーマンの独特な解決方法が
    かなり、うけた作品ですが、ちょいエロ・ちょいギャグ・ちょい真摯な作品で、新之助シリーズと白蛇抄の中間どころの作品です。

    どこまで泣かせることができるか、
    どこまでわらわせることができるか
    どこまで抜かせることができるか、
    なんか、つぼ?こつ?は一緒だと思います。

    で、検索第1位は実は「拘束」(犬夜叉からの二次創作)
    リピーターも多く、ブログを一新する前はグーグルのトップ頁にいた。
    今はどうかな?(犬夜叉・・とかでひくだけで)
    これが、逆にシリアスBL。
    相方のためにかきおろしたんだけど、ほとんど、犬夜叉はよんでなかった。ルーミック作品はほとんどよんでたけど・・。
    彼女のギャグ表現に影響された気はする。
    で、犬夜叉は半妖ってことで、悪童丸も半妖・・・避けたかもしれない。
  • エロ漫画のソフトムードってのは、
    逆に現実の「性」を知った人間の反映ってきがする。
    いかに、簡単に性交渉が握手でもするかのような感覚になってきたかとも思うけど
    時代によって、20歳までに・・初体験したい?ってのが、
    現実をきいてみると、小学生のころに・・(どちらかというと女の子のほうなんだろうけど)なんてのが、ごろごろしてる。
    小学生が「どこそこのおっさんは、触らせたらいくらくれて、本番はいくら」
    なんて、ことを平気で情報にもっていたり、いやがらせで、女の子をうっぱらったり、高校生が教師をレイプした・・だけでなく、それを知ってる同級生女子が「でぶで、ぶすな年増女によくやる気になる」って、感想をのべる。(感覚・考え方・ずれまくりもいいところだけど)
    現実感覚がくるってるぶん、ソフトムードをもとめるのかな?とも・・。
  • 携帯小説で反響をよんだ、エイズになった実体験をかいて、性をだいじにしなくちゃいけない。ってことを、自分のことをさらして、物を書くのがすごい。って、感動してた奴がいたんだけど・・。
    これも憂生には、ずれてるように思う。
    時代のモラルの退廃にのせられて、なんも考えずにあほをやって、あげく、エイズになったから、みんなも考えて。
    って、ことをいわなきゃならないところがへん。
    これが、もし、みんなまじめにやってる中での出来事だったら、「さらし小説」「懺悔小説」でしかなくて、自分のあほさ加減をさらすことで、英雄視されるような時代になってるってことがおかしいって事に気がつかない。

    こういうことで、のりピー事件でも、のりピーのほうに「ばかじゃ」「かわいそうじゃ」って、やるけど、実際問題、報道のありかた。
    覚せい剤の怖さとかをクローズアップさせていくことだろうに、
    本人へのやじ馬報道しかできない。
    問題点をくらまされる人間が多い。
    洗脳されて、目の前のことへの裏表しか、注視できない。
    このパターンで本をよむんだから、ヤッパリ上にかいたようなことになる。
  • 65

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-20 20:04:36
  • >憂生

    新之助シリーズは、休憩時間に読んでみますね。
    最近は、リアルな女への妄想は減ってきているのかもしれませんね。
    だから、エロ漫画も現実的な描写から離れまくっていく。
    「俺たちの求めてる女の子は、こうなんだ!」的な感じで(笑)
    ま、アイドルはトイレに行かない!みたいな幻想は、現在無いですからね。

    携帯小説の初期にありましたね。
    色々な男達と性行為に及んで、エイズになって・・・・・・
    携帯小説の多くが、そんな話ばっかりだったかな?
    不幸自慢みたいなのがウケる。
    実際のところ、皆が同じ方向に向いてしまったのは、マスメディアの影響だと思いますね。
    変に取り上げるから、皆がそっちを向いちゃう。

    僕は、後悔する事は、懺悔したい事は、本当にみっともなくて綺麗に表現なんかしちゃいけないと思ってます。
    思ってるだけで、自分で出来てるか?は疑問だけど。
    綺麗にしようとする、どうしてこうなったのかをオブラートで包む言い訳があるじゃないですか?
    それはいけないと思ってる。
    悪い事は悪いし、生まれた環境が不幸だった事が、その後の人生の言い訳になってはいけないと、僕個人的には考えるようにしています。

    また長文になるので分けますね!
  • 実際のところ、僕の家庭環境は、兄弟は血が繋がっていなかったり、半分しか繋がっていなかったり、ゴチャゴチャした環境だったけど、それが普通だと思って育ってたから、全然気にならなかった。
    けど、何か問題を起こすと、家庭環境とか言われる。
    僕個人の考えで行動した結果でしか無いのに、周囲は、環境とかで決めてしまおうとするのが嫌で仕方が無かった。
    酷い時は、教師が「親の愛情が足りない家庭だ」なんて言うもんだから、僕は「えー!誰よりも愛情のある家庭で育ったと思ってるんですけど」って言っちゃった事もある。
    ステレオ効果というやつは、何となく安心出来る共生みたいなもので、ビートたけしが「赤信号、みんなでわたれば怖くない」と皮肉ったギャグそのものだと思います。
    周囲と同調している事で安心してしまうのは、僕も同様だけれど、それをマスメディアは乱用し過ぎているかな?
    ノリピー事件は、復帰出来るか?とかそんな事件そのものに関係無い話の報道で、ワイドショーみたいなニュースばかりでしたね。
    テレビも視聴率ばかりを追いかけてしまうから、そんな報道になっちゃうのかもしれないけど、報道する側も見る側も、いったい何に踊らされてしまっているのだろう?と感じます。
    難しい事を考えても、行動していない僕がとやかく言う資格は無いですけどね。
    SO2シリーズも面白そうですね!
    時間が空いたら読んでみます。

    64

  • この間もちょっと、不幸自慢するな、みたいなことをかいたわけですよ。
    自分がうまくいかないのは、不幸な環境のせいだとか?
    で、まあ、不幸自慢しだしたら、上には上がいるわけで、
    憂生もいちいち、いわないけど、充分不幸でした/笑
    で、その不幸がおきたのはなぜか?ってことまで考えるわけです。
    相手のせいでなく、自分の因果応報の「因」の部分です。
    それをやっていくうちに、自分の原因がみえてくる。
    こんな思い方をしていたら、こりゃあ、もっと、不幸になっていたかもしれない。ってのがみえてきて、
    因果応報にしてくれている。ってのがわかる。良い意味で清算してもらえてる。逆を言えば自分随分救われてる。というのも見えてくる。
    自分の「思い方」のせいで、そうなったのに、誰かのせいにして、不幸気分に浸ってるつ~~のが、よくあることだとわかってきたというのかな。

    長くなるので分けます。
  • で、そこら辺をはっきり自覚させてくれたのが友人で
    芥川の「蜘蛛の糸」から・・観音だっけ?釈迦だっけ?が救うなら
    自分の手で救いだしたらどうだ。一時の同情で助けきれない蜘蛛の糸なんかたらすな。みたいな話になってきて・・。
    で、そこで、本当にかんだたが人を思う人間だったら、蜘蛛の糸は切れない。自分が切ったんじゃないか。これをすくっても又直地獄におちるだろうし、そのため地上にもどしただけ、かえってむごいんじゃないか?
    って、はなしになり、さらに、
    どのみち、「堕ちたかんだた」のことはわからん。
    なぜなら、おまえも憂生も蜘蛛の糸で言えば這い上がってきた人間だ。
    おまえが、釈迦の救い方をぶつぶつ言うのは
    「救われた自分・はいあがってこれた自分」と判ってないからだ。
    つまり、自分をかんだたのように不幸?だと思っている。
    そうじゃなくて、おまえは「這い上がってこれた人間」なんだ。
    だから、這い上がってきた人間ならはいあがってきたらしくしろ。
    ってな、話があって・・。
    憂生は自分もそうだから、這い上がってきた人間らしいってどういうことだ?って・・。
    単純に助かった。よかった。
    じゃないか?
    不幸だった。地獄に落とされた。って、言ってる事は這い上がってきた人間のすることじゃない。
    こうおもいはじめてから、憂生自身、ぬけはじめていった。

    不幸自慢している人間は逆に言えばはいあがってきてない。
    助かっているのに、「不幸世界」に住んでる。
    そして、自分のせいにできない。
    釈迦のせい、ひとのせい・・えとせとら・・。

    で、憂生は逆に幸せな人間と言われるとほっとする。
    助かったらしくできてるのかな?って・・・。
  • 63

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-21 06:21:48
  • >憂生

    不幸自慢する人は、笑い半分で自虐的ギャグで言う分には、自分を下げて笑を取るのでわかるのですが、深刻になっている人は、自分が最下層に落ちたかのように思ってしまっている。

    で、僕は、知り合いが、そんな風になっている時に、「もともと地べたに立ってるんだから、落ちたと思うのは、自分が浮いてたんだよ」と言う事が多いかな?
    何も変わらないし、周囲だって変わっていない。
    ただ、自分がどう思うかだけ。

    因果応報ですか。
    確かにそうかもしれないですね。

    キリスト教で異端とされた考え方ですけど、「あらゆる欲が存在して争うこの世界が地獄と呼ばれる世界で、ここから解脱する為に人間は生きている」みたいな考えがあって、ダンテの『神曲』も地獄を通り抜けて天国に行くみたいな流れだから、下なんて無いと考えた方がいいかな?と、思うようになったら、不幸なんて考えなくなったかな。
    極端な言い方だと、これから上るのに、存在しない下を見ても仕方がないみたいな・・・

    分けますね!
  • 続きです。

    自分は、生まれてきた!生きてこれた!愛されてきた!と考えているから、あまり、不幸とか考えた事は無かったかな。
    ただ、選択で悩むだけ。
    どう生きるか?そうするのか?悩みだけは尽きない。

    他人の不幸の時に、僕は、自分が傲慢なのではないか?と悩んだりはしますけど、他人を不幸に感じると言う事は、見下ろしている感じがする。
    地面に立っていないで、浮いてないか?と自問自答しちゃう。
    運美を受入れるか?受入れないで抗うか?それだけの話であり、抗っても運命から逃れられなかったととしても、それが不幸だったのか?と言われれば、「そうではないかもしれない。抗う事を選ぶ事か出来たのだから」としか答えられない。

    まぁ、僕は傲慢なんでしょうけど。

    不幸自慢では無いけれど、「予算があったら出来たのに」と口癖のように言う友人は多いです。
    単純に、「この予算では、ここまでしか出来ない」と言うのでは無く、ただ口癖のように言うと、本当に何も出来なくなっていく。
    逆に、大風呂敷を広げるぐらいの人の方が、夢のような事を達成しちゃったりします。
    これも言霊の力なのかな?

    白戸三平の漫画で、「その人間が言葉に出せる事というのは、実現出来るものだ」とか言う台詞があるんですけど、まさにその通りかもしれないなー。
    古い漫画なので、作品忘れちゃいましてけど。
  • 62

  • 元々、下がない。
    なるほど。
    元々がこうだから、それらしくする。
    って、考え方がはいってるのが、小枝かな。
    元々がろくでもない思いなのだから、ろくでもない結果をえらぶしかない。
    小枝の父親がそういうふうに言う。
    これは、天御中主だって、そうした。
    女の方が先に声をかけたという「まちがい」で生まれた「ひるこ」は
    流してしまう。(それらしくする)
    そんな創生の頃からの決まりごとだって、理屈を持ち出してくる。
    小枝がそれに対してどう、答えるかは、読んでもらうとして/あはは
    この父親の考え方は憂生の中にあるな。
    元々の思いがわるければ、ろくな結果にならない。
    逆に、元々の思いがよければ、よいようになる。

    良い風におもっていけば、結果が変わる。
    運命をかえるなら、思い次第。

    と、なると、
    白土三平の言うこともわかる。
    「しっかり、思う(口にする)」のだから、良くなる。

    で、白土三平の名前が出てきたのに多少、!!!
    と、いうのが、小枝のストーリーは白土のカムイ外伝だったかの中の挿話にヒントを得たから。
    気が狂った娘を山の中で育てているマタギ。
    娘は簡単にいえば、色情。
    だれかれもとめるため、逆に男の玩具にされる。
    マタギがそんな男を殺してしまうんだけど、
    娘にとっては、慰めてくれる男がいなくなり、ほたえ狂う。
    それを沈めてやるために親父が・・。
    って、設定があったんだけど、マタギの気持ちはわかる。
    けれど、やりきれないなあ。
    って、おもって、親の思いを宥めてやれる話をひとつ、書きたいと思ったのが、小枝。
  • 白土は忍者物をよく書いていたから、
    「葉隠れ」とかをよくよんでいたのんじゃないのかな。
    忍(刃に隠された心)
    相手の思いを忍ぶみたいなところにたんをはっし、
    人の思いを慮るには、自分がどうあるべきか。
    みたいなところではないか(読んでない)と想っているんだけど、
    武士道に通じ、大和魂みたいなところにたどり着く。

    だから、誠を以ってなせば天に通じる。
    みたいなところをおしすすめていったか。
    よくはわからいけど、白土自体の経験だったか・・
    「その人間が言葉に出せる事というのは、実現出来るものだ」
    と、いうのを、憂生は逆に、考える。
    言葉に出してしまい、やらなきゃいけないところに自分を追い込む。
    で、ちょくちょく、憂生は「自分は優しい人間だ」って、口に出してきた。
    それらしくあるとは、どういうことかという事を考えるためにも、
    意識化するということをやってきていたとは想う。
  • 他人の不幸というか、不幸とは、どういう状態かということを
    自分の中で判っておく必要があるかなあとは思う。
    もがき苦しんでるから不幸ではなく、それを乗り越えられる人間性を作るのなら不幸に見えるイベントはその人にとっての肥やしであり、
    逆に「よい物」を持ってる人だから、そういうもっと、人間に深みが出るというイベントを与えられると考えたら、その人は「幸せ」だろう。
    逆に、人のせいにして自分は不幸だと自慰行為で、「憐れな主人公」をやってる人間はまさしく不幸だと想う。

    まあ、例えば自分の中で
    そういう価値観をしっかりもっていくことが大切で、
    その価値観で不幸な人間をこきおろすまねをしたら、
    傲慢ってことになるんだと想う。

    で、憂生自体は価値観(視覚)をかえてもらえたらいいなあ。
    って、ことで、いろいろ、日記もかいてきたわけで、
    自分の見方がたりず、
    「こう見えるから。こう考えたら?」
    って、いうのが偏った物だったり、自分を振り返ってない場合は
    傲慢だと想う。
  • 61

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-22 03:11:35
  • >憂生

    白土三平の漫画は、サスケもカムイも読んでましたね!
    忍術に対して、ちょっと科学の実験みたいな解説とかも面白かった。
    サスケでは、大猿が良い事言うんですよね~
    山田風太郎もよく読んだ記憶があります。

    僕は、この世が地獄だと嘆く人もいれば、解脱の為の修行の場だと考える人もいて、この世そのものに執着している人もいるから混沌としていて面白いと思ってます。

    何かが生まれそうな面白さとか、色々混じりあってる面白さかな?

    優しさが、傲慢の思えたり、弱さになったり、同じ事でも角度が違うと違って見える。
    一つの事も混沌としていて、見る者によって、見る位置によって全然違ってくる。

    そう言えば、鬼とは何なんでしょうね?
    元々は人間の女だった者が、深い怨恨で鬼女となったり、突然のように木の股から生まれてくる鬼は、悪魔とも違う。
    悪い事をする鬼もいれば、天に仕える鬼もいる。
    ふと、鬼とは何なのだろう?と思ってしまった。
  • 60

  • 鬼って、わかりませんよね。
    で、ムって、ことの意味合いを調べてきたら、
    変化というか、沸くというような、変化。
    人から沸いてきたのが仏で、
    (鬼-ム)(見えざるもの)(たましい)から沸いてきたのが鬼。
    人からわいてくるものって、死体?か仏(宗教的意味合いの)のものくらいしか、思いつかないけど、悪仏っていう観念はない。
    でも、(たましい)から沸いてくる見えざる物はいろいろある。
    それの超越?行き過ぎたものが鬼といわれる。

    で、話がずれるけど云う。これにも沸く(ム)がついている。
    言うとは意味合いが違うのだろう。で、人が云うのが、
    伝うってことになるから、なにかしら、超越したものから?
    見えざるものから、沸かされて、言うことを
    云うというのだろう。
    それを人が云うと伝える(見えざるもの(技もそうだろう))を人が云うのがつたえる。

    沸くというのは、お湯が沸くとか、地面から水が沸くとか、気力が沸く
    なにかしら判るような変化。出現を意味するように思う。

    結局、鬼も「想い」の具象化かなあ?
    仕事に精だす「思い」
    迫力のある「思い」(鬼気迫る)
    極まった悪さ(悪鬼の如く)

    やっぱみえざるものをひとつに「思い」ととらえてもよいような・・
  • 鬼の意味合いに「あらぬもの」という超越したものをさすってのがあるんだけど、姿形として、とらえられないものをさす中で、
    悪い物事は鬼の仕業。
    って、いう観念が生まれてきたと想う。

    ただ、キリスト教などでさす「鬼」は、悪魔になってくるけど、
    日本の信仰っていうのは、自然信仰だから、
    自然のもつ二面性を捉える。

    鬼(あらぬもの)にも、当然、二面性があり、ここに
    人間の観念で善悪にわけるけど、
    結局はやっぱ(思い・たましい)ってことになる。

    そう考えると逆に「神」ってなんだろう?
    って、想う。
    文字的には示す・申す。
    だから、鬼とは、逆の意味で
    (顕す)ものであり、
    鬼が人間自ら沸く(あらぬもの)であるにくらべ、
    神というのは(顕わす)こと、そのものをさすように想う。

    霊験あらたかとか、奇跡とか、神秘とか、
    人間自らでない(あらぬこと)が
    「顕れる」さまを「神」とよぶ。

    だから、実際に「顕れる」を見せた
    キリストが「神」になり、
    仏陀とかは、「精神性」の部分で人に説いた。
    くわしくは知らないけど、仏陀自体が
    「顕わす」という「神事」をやらず
    あくまでも「人」から「沸く」ものを目指したと解釈できる。

    で、これをひっくりかえすと、なぜ、キリストは「神秘」を「顕わさなきゃならなかったか?」

    結局、対象とする人間の観念だろう。
    いくらよいことをいっても、「信じない」民族。
    これを「信じさせる」ために「神事」が必要だった。

    「神事」ないと・・信じない。

    この現物主義って、なんだろう?
  • 究極のところ、童話のことでもかいたけど、
    狼をこらしめるではなく、
    悪はねだやしにしなきゃいけない。

    この元々が国を・民族を滅ぼされる。
    って、恐怖心に由来する。
    口でよいことをいっていても、
    そいつはすきをみて、こっちの頭をかちなぐって、
    土地を奪いとるかもしれない。

    いくら正しいことをいっていても、
    優しいことをいっていても
    本心はわからない。

    こんな疑心に培われた人間を「信じさせる」のは、もう、
    「ありえないことをみせて」と、いうことでしか出来なくなってしまう。

    こういうベースがあるから
    「眼には眼を」みたいなことを云えば人はいっそう信じない。
    あくまでも、キリストは「味方」であるというところをくずせない。

    ところが、日本の神は「味方」にも「敵」にもなりえる。
    自分がいつ殺されるか判らないみたいな人間がやっと信じた「神」と違い
    平気で鬼にでも蛇にでもなる。

    その姿をみて、日本人は「自分が神形のものを鬼形や蛇形にしている」と自分の心をふりかえる。

    何か、こう言うところからすでに、ベースが違うわけで、
    日本人本来の心の広さや自制心、信じる素直さを考えると、
    疑うってことがベースにある信仰をうけいれるようになってきたのは、
    逆に「信じられない世の中」になってきたころからだろう。
    人の心が信じられないから、「顕示」がないと信じられない。
    今のスピリチュアルブームもそういう「人の心」の映しだろうなあ。
  • 59

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-23 05:40:25
  • >憂生

    どうぞどうぞ!
    憂生の書いた事ですから、ブログで掲載して全然OKですよ!
    僕も少し鬼を調べてみたら、語源が「おぬ(隠)」なんですね。

    1.民族学上の鬼で祖霊や地霊。
    2.山岳宗教系の鬼、山伏系の鬼、例、天狗。
    3.仏教系の鬼、邪鬼、夜叉、羅刹。
    4.人鬼系の鬼、盗賊や凶悪な無用者。
    5.怨恨や憤怒によって鬼に変身の変身譚系の鬼。

    とネット上では出て来るけど、中国だと死人の魂を言うらしいです。
    「鬼は帰なり」となるそうですが、形が無い物なのだと言う事しかわからなかった。
    徐々に無から形を与えられていくのかもしれないかな?

    ゾロアスター教は、善と悪を極端に別けた考え方で、キリスト教の神さえも「人に災いを為す存在は悪」と言い切っちゃってます。
    超極端な考え方だけど、ゾロアスター教の考え方を見てみると、神が善と悪(人間の考える善悪ではあるけど)を両方持っている。
    悪魔だって堕天使だって、神が作ったものだから、善でも悪でもある考え方が正しいのかもしれない。

    あー、混乱する!

    北欧神話やギリシャ神話に出て来る神ほど、悪になったり善になったりと、色々と変わるところが日本の神と似ていると思うから、やはり自然信仰に近かった時は、ヨーロッパの民族も日本人と同様な思想だったのかもしれませんね。

    北欧神話とゲルマン神話は、同じなのか?違うのか?と言う話題があって、北欧と言うには、範囲が広すぎるし、ゲルマン神話と言うには、ゲルマン民族全体には行き届いていないのが、北欧神話の面白いところなのですが、これにキリスト教の歴史が加わると面白い欧州の地図になる。
    欧州の南に位置するゲルマン民族を、キリスト教は凄い勢いで改宗させていくから、北欧神話と呼ばれる思想と宗教は、やはりゲルマン民族の神話だと言う説です。
    確かに、北欧に位置しながら違う神話を持っている民族が存在するのだから、やはりゲルマン神話なんだと考えるべきなのだろうと僕も思う。
    そんな事を考えてたら、「ボードゲームが作れそうだな?」なんて思ったのですが、キリスト教の勢いは、かなりのものだったと現時点では言えますよね。
    今後、新たな発見で変わっちゃうかもしれないけど(笑)
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-23 05:58:37
  • 悪を根絶やしにしなければいけないと考える事は、かなり危険ですね。
    害虫と思われていた虫が、その存在によって他の調整をしている場合もあるのと一緒で、何かの為に存在していると言う考え無視した発想になりやすい。
    だから、聖戦だとか言って、いつまでも戦争が無くならない気がします。

    宗教は、依存しやすいから危険な感じがしてしまう。
    でも、それを必要としている人には必要なものだし、無くしてしまって良い訳では無い。
    でも、宗教同士が自分達の正しさを主張し過ぎて争ってしまう。
    その点が人間の難しさだと思いますね。

    日本の天皇の場合もそうですが、ギリシャ神話でゼウスが色々な女性と浮気して子供を作りますけど、あれは当時の支配者達が「神の子孫」と主張したい為だったそうです。
    その為に、ゼウスは色々なニンフや人間の女性と浮気する神様にされちゃったと言うのを聞いて面白いと思いました。

    そうそう、これは、鬼を調べてたらついでに見つかっただけの話で、何も無いところから生じると言うのを、古代の人々は神の力と考えていたそうです。
    で、エジプトの神様で、名前は忘れちゃったのですが、フンコロガシの姿をした神がいるのですが、当時のエジプトの民は、何も無い糞からフンコロガシが生じる事で、神の力と考えたそうです。
    実際には、卵が糞に植えつけられているのですが、それを知らないから「無から生じた」と考えたそうです。

    人間は、辿ってみると、場所は違っても同じような思想をしていたのだと思うと、戦争が無くならないのは何故なんだろうと思いますね。

    キリストの奇跡の為にユダの裏切りは必要だったとも言われてますから、キリストの奇跡は、人々を信じさせる効率の良さを求めた行為だったのだと考えてしまいます。
    でも、水を葡萄酒に買える奇跡は、ちょっと便利だと思いますけどね(笑)
  • 58

    悪も何かの役に立つというのに、二つの見方があるかな。

    ひとつは、教唆的存在。
    道徳?でいう模範。
    悪いというのはこういうことで、
    悪いことをしたら、末路はああなっちゃうよ。

    もうひとつは、
    依存的存在。
    魔がさしたとか?
    自分が弱かったんじゃなくて
    魔がさした。自分のぼろさを認めると時に人間は
    精神を崩壊させる。(欝病などもそうだとおもう)

    神に依存する考えの人間は
    裏を返せば、悪にも依存していよう。

    悪く見える自分側の原因はなんだろうとか?をかんがえないで、
    悪魔のせいにする。

    実は教唆的存在で捉えると
    悪も善も両方とも模範でしかない。

    悪があるから正義が重要になってくる。

    まあ、宗教戦争は依存的信仰のせいだろうなあって思う。
    依存する神が最高じゃなけりゃ、安心して依存できない。

    宗教の良くないところは
    自分自身が最高の人間であろうとしないところだろう。
    多くは依存的に神・仏を自分の上に置く。

    教唆的存在って、考えると別段、悪だってありがたい存在なんだから、
    神だけが「模範的存在」じゃないってことになる。

    57

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-23 11:41:56
  • >憂生

    善と悪と定義するのは、どうも難しいです。
    法を守らない犯罪者とか、そんな別け方の言葉じゃないから難しい。
    グレーゾーンだったりすると、もう悪なのか?善なのか?となってしまう。
    で、悪魔を崇拝するパターンも、神を崇拝するパターンも、結果的には自分の幸福の求める形の違いでしか無いから、崇拝する人間に本質的な違いが無い。
    で、「自分だけを信じる」と言うのも違う気がする。
    あまり深く考えてはいけない事なのかもしれないけれど、言葉や文字だけで限定すると、悪とはなんぞや?となってくる。
    悪いでは無く、強いという意味で悪の一文字を入れられる場合もあるし、キリスト教の悪魔は、知恵や知識を司る存在が多い。
    宗教や歴史では、敵対する勢力は悪と定義されるから、その時の支配から外れた存在は悪となってしまう。
    人間は善悪含んで人間だから、人間そのものが矛盾の塊かもしれないし、きっちり別けようとすると難しいところです。

    鬼は、もっと調べたいところですね。
  • 56

    悪いっていうのは、本来。無いものだと思っている。

    あるのは、「善くない」って事じゃないかって思う。

    で、善くないって事を考えるときに、

    善いは、良いともかくわけで、

    良っていうのから、(てん)をとると、うしとら(変換せん)ってことになる。

    うしとらというのは、方位で北東。
    俗にいう鬼門。
    で、破壊神である(悪ととれる)うしとら金神(あるいは、またら神)がいるわけだけど、
    このうしとら金神はじつは、国常立大神であり、北極星であるわけ。

    北極星というのは中空にあって動かない物の象徴であり、
    正義の真義を顕わす。

    国が成り立っていくのも揺るがない正義の真義があってこそ。
    だから、国を思う国常立大神と同一視されていくわけだけど。

    このうしとら(良ひく(、))に、がつくのが良し。
    うしとらの意味に天の(義・理)がかなったものがくわわったものが
    良いってことになる。

    正義の真義がなく天の思いがのらないものが、良くないというふうに考えられる。

    良い思いは、絶対まいなす方向になることはない。

    まいなす方向になることは、逆に良くない思いがあるから。

    良くない思いや良くない方向に行くことを悪いという。

    すると、ここで、絶対的真義が座す北東がなぜ、「鬼門」なのかと
    疑問になる。

    鬼の話を書いていて思うのは
    刀のことだった。
    刀というのは、真偽をきりわける。
    魔を切る。
    など、裏の力でかんがえると、
    刀のことを**丸と呼ぶ事が
    鬼を**丸とよび、のちに「童子」にかわるのが、妙。

    つまり、鬼という存在は本来
    真偽をきりわける存在なのであろう。
    これが、北東からやってきたら、
    自分の「悪」を裁かれる。

    つまり、悪いことをやってる自分を何らかの事象で見せ付けられる。

    事象だけを見るから鬼のせいにして、悪い事が起きる。
    と、とる。

    自分に元があるととれば、省みる事が多いと思う。

    そんな鬼が現れる方向を鬼門としたということだろう。

    デ、実際問題、鬼が「悪い」で現れてくる自分であってはいけない。わけで。

    で、この顕著な存在が「なまはげ」なわけ。
    ー悪い子はいねが~~-
    鬼が怖いのは、自分の中に「悪い子」がいるからだろう。

    で、なまはげって名前も一理ある。

    なまなりは幽霊のこと、自分の中の「幽」(なま)をはぎとっていってくれるのが、「なまはげ」

    この幽があると、自分が悪い方向に行きやすい。

    鬼とは、本来かくあるものだと考えてみた。

    55

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-24 06:06:46
  • >憂生

    丑寅の方向に鬼門があるから、あのような姿になったのは知られていますが、北極星は何だったかな?不吉な事にも由来する話があった記憶がかすかにあるのですが、うーん!忘れてしまったので、そこは思い出した時にしましょう。
    天使も地獄の門番の役目を持っていたりするし、鬼も閻魔大王と並んで地獄を管理するイメージが作られているところからも、一般的なイメージは、天使と鬼の共通しているのかもしれません。
    現在の天使の画は、翼を生やした物が多いですが、あれは、ゾロアスター教とギル者神話からの影響で、ヴァチカンも当初は認めていなかったが、大衆のイメージが固定化していくので、翼の生えた天使を認めた経緯があるそうです。
    ユダヤ教の天使は、化物じみた天使の容姿の表現が多いので、その点も鬼に似ているかもしれません。

    刀では、色々と面白い逸話がありますよね!
    天下五剣のうち、鬼丸の逸話も有名だし、童子切の逸話も色々とありますよね。
    魂が宿る逸話が多いのですが、逸話が江戸時代八代将軍あたりだから、もっと古い刀の逸話を調べtた方が面白いいつがが出てくるかな?

    なまはげが幽霊の事とは知らなかったです。

    なかなか面白いですね!
  • 54

  • 揺るがない存在としての北極星信仰をきらったというのがあるのでは?
    鎖国でキリシタンを嫌ったのも、キリストを唯一の存在と考えるというので、封建制度が崩れる。これと同じ理屈。
    北極星の揺るがない位置というのが、逆に道義の定規に考えられ、閻魔大王ともみなされていたから・・。
    さんしの虫だったかな?月のうちの何の日だったか(どわすれ・・申じん?壬?の日)からだの中のさんしの虫がぬけだし人間の悪事を天帝につげにいく。この天帝が北極星に象徴されたので、けむたい存在になったとも・・。

    鬼門の位置から、考えても鬼はうしとら金大神の使徒だったのでは?
    だから、閻魔大王の使徒?も鬼。
    悪いことをしていたことをさばかれるんだから、怖い存在だったろうし
    良いことを伝えられるのは、ありがたいイメージ神々しいイメージを作らせて言っただろう。
    そういえば、ゾロアスター教は牛の頭(どちらかというと水牛?)をかたどっていたとおもうけど、牛頭大王(スサノオの転身)に近いですね。
    牛頭大王は仏教の祇園精舎を護る・修行僧を護る・存在になっていますが、元はインドのもの(ヒンズー教名忘れた)
    ミノタウロスも牛の上半身だったかな。
    ゼウスにさらわれたエウロペは牛になって、海峡をわたったから、そこを
    エウロペ海峡とよぶようになった。ヨーロッパの語源。
    ギリシャ神話は天国という観念より「星」にする。(12星座もそうだろうし、北斗七星は大熊座・小熊座だったかな?
    北極星は穂句甥神話ではオーディンじゃなかったかな?
    柄杓の形である北斗七星は天帝(閻魔大王?北極星)の人の情義?を量る道具とかんがえたようでもある。
    日本の考えは太陽信仰(アマテラス)でもあったから
    北極星信仰はアマテラスを脅かす信仰として、とらえられたかもしれない。

    メモみたいになってもた。
  • 名刀村政とか?こてつ?(変換しない)
    ふるくなると、天のむらくも剣?
    オリハルコンといわれるヒイロノハガネ?

    世界の剣もおもしろいですね。

    オリハルコンもそうだけど、
    アーサー王と円卓の騎士たちのエクスカリバーとか。
    聖槍ロンギヌスがキリストを処刑したときの槍だと知ったのはさいきんだけど・・。
    けっこう、ゲームの世界をさぐっていくと、
    北欧神話とギリシャ神話がとりいれられていて
    召還魔法なんかだと、まだ、ヒンズー教(ラクシュミ)とか、
    マヤかな?ケツアルクアトロとか・・。ケルト神話からかな?
    コロボックル。
    精霊まででてきたり(セイレーン・オンデイーヌ他)
    4大天使も名前があるから、(ミカエル・ガブリエル・・など)ほかの多くの天使もなまえがあるんだろう。(おもだったところで、13天使か?)
    ルキフェルは確か天使から悪魔に堕ちた存在だったとおもう。
    で、悪魔を現す英語の区分けがわからない。
    サタン・デビル・デーモンなどか。

    因みに全然関係ないけど、永井豪のデビルマンすきでしたね。

    またもメモタイプ。

    53

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-25 02:31:05
  • >憂生

    神々や天使の姿は、ソロアスター教とギリシャ神話の影響が大きいみたいですが、それらの姿を描いたのは芸術家たちですよね。
    仏教や童話に出て来る鬼の存在にも、似た姿があって、似たような役割を持っていると思うと、古代の歴史の流れが面白く思えますね。
    『枕草子』で牛頭が出て来るけど、名前が阿傍でしたっけ?
    獄卒の鬼ののリーダー格に位置するということで、他にも馬頭がセットで出てきますよね。
    牛頭鬼馬頭鬼!それ以外は、鹿、虎、獅子、猪がいますけど、ここで牛頭人身とか馬面人身と表現される獄卒の鬼ですけど、牛と虎の合成想像物でもある鬼の姿なので、全ての獄卒の鬼に共通している分だけ牛頭をリーダー格にしたのかな?と考えてみたりしてます。
    虎も共通していると言えるけど、角の部分は牛ですから、やはり牛を獄卒のリーダー格にしたのかな?
    もっとも、牛頭は人間の敵として、悪者として登場する事が多いから、退治される説話が多いですけどね。
    牛頭馬頭と来ると『百鬼夜行』を思い出しますね。

    デビルマンは、僕も好きでしたよ!

    永井豪の漫画は、面白い視点で考えてる話が多くて良いですね。
  • 52

  • 霊能力者の方の話によると
    鬼というのを見た事がない。
    牛頭鬼というのなら、みたことがある。
    と、いうより、霊界には、鬼の存在自体が無い。
    って、いう。
    どうも、実体?ではなく人の観念としてつくられたのではないか?
    と、いう。
    でも、神道家は鬼を見ている。
    陰陽師なんかにも登場してくる。
    仏教の僧侶にきかなきゃわからないけど、
    仏教の仏像には鬼が出てくる。

    どうも、鬼は霊?ではないようで・・・。

    むしろ神格にちかい存在かと思われる。

    風神・雷神などをみると、鬼だし・・・。
    地獄に鬼が居る。

    不動明王や仁王や金剛武神の表現をみると
    仏というより、鬼にみえなくもない。

    鬼の捉え方は悪一方じゃないけど、
    悪魔は悪だけ。

    日本独特の存在かな?

    仏像はシルクロードなどにより
    ギリシャの影響をうけてるけど・・。

    鬼を具象化させてる宗教?神話というのが
    どこかにあるのかな?

    中国の鬼って、どっちかというと、悪い一方だし・・。

    鬼の発祥地が古代米に重なる気がしてきた/笑
  • 51

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-25 14:02:53
  • >憂生

    鬼の現在の形は、仏教からだと言われているので、神に近い存在だと思いますね。
    牛頭馬頭は、『枕草子』『百鬼夜行』で出てきますが、ミノタウロスとかギリシャ神話の影響がアジアにも伝わっていたと思ったりします。
    ギリシャ神話は、紀元前8世紀には文書化されていたそうで、かなりの範囲に影響を与えていたのではないかと考えるからです。
    北欧神話は、8世紀から13世紀にかけて文書化されているので、キリスト教によってヨーロッパのほとんどが宗旨替えしているので、かなり失われているそうです。
    安彦義和の漫画で『アリオン』というのがありましたが、ギリシャ神話の逸話では、デメテルをれレイプしたポセイドンの話も、馬の姿で逃げたデメテルを、ポセイドンも馬に変身して襲った為に、馬の姿の息子アリウスを妊娠したと記憶しています。
    で、デメテルの娘ベルセポネの話も、冥界の王ハデスが自分の妻にしたベルセポネをデメテルに返したくないから、冥界の食事を与える話も黄泉坂の設定に似ているので、このあたりも伝わっていた可能性があるのではないか?と考えたり、こうなると歴史の勉強になっちゃいそうですね。

    地中海文化が日本まで伝わっていた可能性は、かなり高いと想像すると、それらが伝わった経緯を調べたくなっちゃうな。

    ギリシャ神話は自然信仰だからその辺も受け容れやすいだろうし、ルネッサンス以降のギリシャ神話とは違った伝わり方をしていると想像すると面白そうですね。

    オリュンポス神族は人間の姿だけど、ティタン神族は不気味な姿だったところからch上から追い払われてしまうところからギリシャ神話は始まっているので、もしかして鬼の原型は、ティタン神族かも?

    どちらにせよ、鬼は霊では無い存在ですね。
  • 50

  • 北欧神話の中のサチュロスがいますよね。
    (北欧神話じゃなかったかな?)
    これが、確か一目の鬼型。
    ギリシャ神話では、タイターンだったか?
    が、やはり一つ目の鬼型じゃなかったかな?

    で、日本には、名前度忘れしてるけど
    一つ目、片足の神がいて、これが、どうやら、たたら製鉄に関ったものだろうっていうのがある。
    製鉄の為、眼がつぶれたり,足がだめになったりしていて、
    まあ、鬼のような感じで捉えられたと思う。

    この一つ眼ということに着目すると、
    一種、サードアイとか、心眼につうじてきて、
    物事を見通す力として、考えられる。
    こうなると、先のことを見通すような力をたとえて、
    神通力とかいうけれど、先先に現れる(顕示)を考えると、
    鬼とかよばれる人間もまるで、サードアイがあるがごとく先を見通す。

    このサードアイが発達した姿を心象でとらえると、
    一つ目になるのだろうか?

    妙に手塚治虫の三目が通るがそこら辺を解明?してるきがする。
    漫画だから、別段怖くも無いが、本当にそんな人間がいたら怖いだろうし、鬼だとおもうだろう。
    それが、悪事を暴くなら、なおさら怖いのでは?
    (ぶつ像なんかもサードアイが描かれているものがありますよ)
    (この形はどうだったか覚えてないけどやはり、怖そうな鬼に近い姿として描かれていた
    この三つ目の目で悪事を見通していたと考えると
    子供(わが子)を食らったサチュロスは何を見たのだろう?/笑う?

    子を食らうという事では日本では鬼子母神があるけど、
    これが、ギリシャ神話のぺルセポネが食べたとされる柘榴を
    観音から鬼子母神に渡されたという。
    柘榴の赤い色が血を思わすのか?
    で、鬼子母神のまわりや民家では、柘榴を植える。

    この柘榴を食べた数が4粒だったぺルセポネは4ヶ月を冥界でくらすことになるため、大地・豊穣の女神デメテルがなげくためその4ヶ月は作物がみのらない。
    で、日本の神話も死体から、食物がでてきたって話もあるし、
    アダムとイブが人間になったように、
    日本の神話の中にも、命の期限が出来た話がある。
    (命の期限がないのは、人間ではなかろうという考え方の反対の見方)
    ほかにも、まだまだ、共通性があるのだとは思う。
  • 49

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-25 22:27:21
  • >憂生

    ギリシャ神話の逸話は、日本の話と共通性が多くありますよね。
    キリスト教は、絶対唯一の神は一つとしているので、多くの神が存在する話とは相容れない部分がある。
    だから、古い神話は、キリスト教の勢力拡大と共に消えていくのだけれど、文書として残されたギリシャ神話や、遠く離れたアジア地域の仏教には、そこまでの影響を与えなかったと想像します。
    確立しちゃった物は後世まで残ると言う感じですね。

    手塚治虫の発想は、なかなか面白い物が多いです。
    未来に対しても、過去に対しても、当時としては画期的な発想だったと思います。
    今でも、読むと面白いですからね(笑)
    時々、子供には話が難し過ぎて分からなかったけど・・・・・・

    ギリシャ神話も日本の神話も、神々が人間くさい性格なのが好きですね。
    喜怒哀楽があって、欲望があったり恋慕があったりと、完全無欠の存在と言えない部分がある。
    もっとも、仏教のように解脱しちゃうと違ってくるけど、須弥山あたりの存在だと人間味がありますしね。


    ギリシャ神話で一つ目の鍛冶仕事の名手と言えば、三柱の兄弟神キュクロプス(アルゲス ステロベス ブロンテス)ですね。
    ウラノスとガイアの間に生まれた、醜い姿の神々で、その容姿から地底世界タルタロスに追いやられてしまうけど、ゼウスによって助け出された事を感謝して、ゼウスとポセイドンとハデスに魔法の武器を作って贈った話がありますね。
    ギリシャ神話には、この話とは別のキュクロプスが出てきて、ポリュペモスと言う名前だったkな?
    こちらは、人食いを好んだと言うから、まさに日本の鬼の神の使いと、人に害なす存在の両面を持っていますね。

    アテナの息子が半分蛇の姿と言う話もありましたね。

    神々の子供であるけれど、その姿は異形の姿と言う部分から考えると、鬼も神の創造物であっておかしくない。

    神話を並べて読みたくなってきたな(笑)

    修験道の話も神々が出てきますが、古い神々の話は面白すぎて読むのに集中しちゃいます。
    神々が多過ぎて、名前が憶えられないですけど。
  • 48

    そうそう、白蛇抄第11話だったかな・・。
    ここに、人を食らう八十姫の亡霊をだしてきてる。
    それと、理周にも。これは、山犬にわが子をくわれて、鬼女になり、その生霊を台(よりしろ)に移らせて・・というのが、少しはいってる。
    とは、いうものの、蟷螂自体・・人食いでしたね/笑

    人食いといえば、山姥がいるんだけど、これが好きで(御幣がある)
    山姥の絵をみたんだけど、それが、自然薯を手にもって走っていく(とんでいく?姿で、山姥も生きるために必死に老いさらばえた手で土をはったりしながら、草木を食らいながら、命をつむいでいる。自然薯なんかは、ご馳走じゃなかったのかな?
    普段はみじめに必死に生きてる。
    なんちゅ~か、妙な悲哀をかんじてしまって・・。

    日本人は洒脱というかな・・。
    せきれいっていう鳥しってるかな?
    これをみて、いざなぎ(いざなみ)に
    「こうして、しやしゃんせ」って、教えただろうって考える。

    どこかで、笑いに昇華してしまえる。
    このきわまったのが、落語だと思ってる。
    落語に鬼の話なかったかなあ?

    47

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-26 19:54:35
  • >憂生

    セキレイの尾を振る様子を見て性交の仕方を知ったと言う話ですね。
    ちょっとググッたら、落語では『鬼〆』と言うのがありますね。

    前に刀の話がありましたが、日本刀は珍しい武器だと思ってます。
    中国の刀や欧州の剣と比べて、繊細な技があると言うか、ある意味使いにくい気がする。
    剣や中国の刀のように力任せに振る物では無いし、この辺りも独特の文化を感じますね。
    もっとも、江戸新刀あたりから細くなったみたいですけど。

    山姥の昔話は、子供の頃は怖くて仕方なったかな。
    日本の怪談で、妖怪や怪異の話は、笑いのある話も多いですよね。
    怖いけど笑わせてしまう話とか、逆に怨念の話は怖すぎるぐらい怖い。
    怖い話は、どうして、本を読んだり、映画を見たりしちゃうのかな?
    怖くなっちゃうのに(笑)
  • 46

  • 日本のオカルトとむこうのオカルトって、ちがいますね。

    日本は「念の怖さ」
    むこうは、「存在自体が怖い」
    って、きがします。
    念というのは、みえないし、誰でももっているものだから、
    場合によっては、自分が「怨霊」を作るほうになったり、
    つけられるほうになったり、「映画の中のその人たち」が他人事じゃないって感じがあります。
    むこうのものは、基本的に「モンスター」っぽい。
    その場所に行くからとか、その家だからとか、
    その人だけがたまたま、運が悪かった。
    みたいな感じ。
    E・A・ポーだっけ、が、黒猫を書いたと思うけど
    ミステリー・オカルトが、原点だと思うから、
    解決するのが、基本でパニック映画との境目がわかりにくい。
    日本の物は本当の意味で解決したのだろうか?
    自分の心がけによっては、自分にも起きる。
    って、いう「続き?」があって、解決しないこわさがあるような・・・。
  • 45

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-27 07:59:21
  • >憂生

    欧米のオカルトは、悪魔とモンスターが中心だったから、「呪怨」や「リング」みたいなジャパニーズホラー映画は新鮮だったのかもしれませんね。
    モンスター的な怖さと言うのは、驚かせる部分に通じますから、心理的にとなると、幽霊とかじゃないけどヒッチコックのほうが近いかな?
    何だかわからない相手だけど怖いみたいな・・・・・・

    ミステリーとサスペンスになっちゃう傾向がありますよね。

    スティーブンキング・キングは、怖いと言うよりも考えさせられちゃうし・・・国民性なのかな?
  • 44

  • 生物の教師がいってたんだけど、
    日本の女性が強いのは、トイレのせいだ。って。
    日本のトイレはケツ、むきだしで、しなきゃいけないから。
    日本女性は度胸がついてる。ケツむきだしをはずかしがっていたら、
    ちびってしまう。そのほうが、恥だとしっている。
    西洋の女性は長いスカートの中に便器を隠して、用をたすから、ケツむきだしにならない。
    この話がホラー映画にもあてはまるかな?
    西洋映画の中の女性はキャーキャーよくわめく。
    邦画はどちらかというと、声がでない。(恐怖心より、現状を観察するぶんだけ、度胸がある?)
    声にだして、恐怖心をうすめる女性より、声をださない(だせない?)女性のほうが、怖く感じる。
    ある意味、H映画にもにてるか/笑
    声を必死でこらえて、堪えきれず声を「漏らす」恥をさらしてしまうってほうが、エロティック。
    「あ~あ~あ~」とわめいてるほうがある意味興ざめで、サイレンじゃねえや/笑笑
    シーンを映さず指先などで表現するみたいなところもそれかな?
    見えないことの恐怖ならぬ、見えないところの芳香みたいな。
  • 43

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-06-28 06:34:04
  • >憂生

    なかなか面白いことを言う教師ですね。
    トイレのせい・・・文化の違いってやつですね。

    日本の生活様式は、襖で隔てただけで別の部屋としたり、欧米と概念が違う作りですよね。
    生活様式や、概念、習慣と色々な違いが、かなり長期的に続いてますから、その辺が恐怖の感覚も違ってきてるのかな?

    中国からの文化も、色々と規制していたみたいですね。
    徳川家康だったかな?中国からの文化を「これは良いけど、あれはダメ」と分けてたみたいです。

    怨念で怖さを出すのとモンスターで怖くするのはかなり違いますね。
    日本の怪談の多くは、もともと人間の気持ちが元凶だからこそ、とても怖いみたいな感じですよね。

    今日から撮影が連続なので、ちゃんと寝なくちゃと思いつつ、結局寝不足でヒーヒーです(笑)
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-09 17:25:11
  • >憂生

    やっと撮影の仕事も一段落して、束の間の安息です。

    撮影に入る前に『邪淫の果て』を途中まで読んでいたのですが、邪鬼丸が殺される話は、ここだったのですね!
    まだまだ先まで読まないと掴めない部分も多そうなので、『邪淫の果て』の話は、読み終えてからにしたいと思います。
    で、仕事と趣味の半々みたいな事なのですが、ちょっと昭和30年代の事件を調べてました。
    ミステリー作品になるようなシナリオを考え中なのですが、実際の事件のインパクトが大きくて、全然思いつかなくなっちゃってます(笑)

    「杉並少年切り裂きジャック事件」とか「黒焼き強壮剤事件」とか、「霊能者殺人事件」もあったのですが、古い迷信や現代の文明科学の狭間みたいな時代に面白さを感じます。
    昭和40年代にオカルト事件が増えたみたいなのですが、全然記憶に無くて、資料を読むのにてんてこ舞いです!
  • 42

  • 精神世界というのかな?
    これが、キジャクになっていったのが、ちょうど、昭和30年代じゃないのかな?
    物質的なものが、優先されて、個人の自由が謳歌されて・・。

    いつのまにか、大事な事がどっかにいって、
    個人のうらみつらみをはたす。(法律的にも)

    白蛇抄的にいえば、惨殺されるほうも、それだけの理由があるのに、
    ころされたほうだけを裁くのが表面世界。

    なんで、そんな因縁?にめぐりあってしまったんだろう?という
    「思い」を叩くことをせず、感情まかせで、義や道徳が欠如した世界の幕開けだったきがする。

    今、裏の世界ってことを随分、みなおされはじめてるけど、
    事件の裏側には
    「悪い思い方」ってのがあって、これは、邪淫の果てでも
    あつかってること。

    その「悪い思い方」がどういうことかってのが、
    邪宗・・であかされていくわけで、
    この話以降は
    「思いを救う」ということが焦点になってくるけど、
    今、第17話がとまっている。

    まだ、自分の中で見えてないポイントがあるせいだろうな。

    いずれ、かけるだろう・・
  • 41

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-11 18:00:40
  • >憂生

    テレビや冷蔵庫が普及し始めた時代ですよね!
    全部の家庭にはテレビが無いけど、テレビのある家に集まって番組を見た時代ですね。
    昭和30年代から物質的な社会になっていくけど、それまでの思想や生活の人達にとっては混沌の時代に感じたのかもしれませんね。

    動機の見えない殺人事件が多発した時代かもしれません。
    動機そのものはあるのだろうけど、周囲からは理解出来ないと言うのが正しいかな?

    殺人者にしか分からない行動の理由を考えるのが、今難しいと思ったりする部分です。
  • 40

  • う~~~ん。
    どういうのかな・・。
    自由?自由っていってるうちに、
    意識まで、統制できなくなってきたといっていいかな。

    昔は精神的自由みたいなのがなかったから、
    (封建時代でいえば、無意識部分だって国のため、おかみのため)
    戦争にまけるまで、ある意味、無意識部分は天皇の存在とかが
    くくっていたと思う。日本人らしい生き方とか思想とか。
    義をみてせざるは、みたいな。
    儒教的道義(徳=14の心=仁義礼智忠信孝悌・・みたいな、教育勅語の中の14の心)が、無意識世界まで浸透していたのが、
    天皇の存在がおちた?ところで、無意識世界のたががはずれていった。
    そのたがを失った状態でとにかく、桶の外側を立て直したのが復興だったと思う。

    そして、たがの無い状態で立脚した無意識世界が自分の欲などによって、ゆらぎだすと、理性ともいえるたががないから、あっさり、暴走する。
    日本人の心のよりどころが、ひとつに天皇の存在だったわけだけど、
    ひとつの、(定規)を失った。ってのが昭和30年代にはっきり見えてきたってことだろう。

    ってな、ことを思う。
  • 39

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-12 02:15:51
  • >憂生

    急に欧米の物質社会、資本主義が入ってきた為、意識が分裂してきている時代ですかね?
    明治維新は、あくまでも日本国民同士の意識の戦いだから、基本は変わらない。
    第二次世界大戦後は、欧米文化の侵食によって、日本人の精神が混沌とした。
    ・・・みたいな考えかな?

    高度経済成長を迎える前の日本は、精神世界の混沌と言うのが似合っている感じですね。

    そう言えば、僕のエロブログで、七つの大罪について書いたら、「七つの大罪って『鋼の錬金術師』に出てきますよね」って
    コメントがあったのだけど、キリスト教の教えで有名な事も漫画でしか知らない人が多いんだと思うとビックリでした。
    もっと驚いたのが、脚本書いてる友人にダンテの『ファウスト』の話をしたら全然知らなかった事です。
    こういうのは、僕個人としては恐ろしく感じますね。
  • 38

  • そうですね。
    憂生の友人で韓国について、一生懸命、話している人がいて、
    その人にたいして、
    「日本人なら、もっと、日本のことを知れ」ってやったことがあるんですが、
    今度は憂生が別の人に
    「憂生は人を見るめがあるね」
    って、いわれて、まっさおになりましたよ。

    「人のことはわかっても、自分の事はわからない」
    って、やつです。

    憂生はダンテもファウストもしりませんが、
    自分の七つの大罪もわかりません。

    自分がどういう意識をもつべきか、どういう尺度をもつべきか
    どういう考えをもつべきか、どういう思いをもつべきか

    一生懸命かんがえてみているつもりです。
    その中で自分の罪っていうものを、自分で見つけたいと思っています。

    なにかの教えを読んで、知識でわかっても具体的にわからない。
    自分で痛い目にあって、はじめて、気がついてる有様です。

    まあ、人間にたようなことをかんがえるものですから、
    どこで、その知識を得るかは、環境によるものだと思います。

    炎の錬金術師で知識をえようが、聖書で知識をえようが
    かまわないと思います。

    ようは「負うた子におしえられる」って、感じで
    こんなものがと思うようなことからでも、「おしえられることはある」
    って、おもうので、「受信できる感覚」を磨いていければ
    何よりだと思うのですが、
    多分、貴方がその人に感じてることは、そのことじゃないのかなあ?

    色んなものを読んでいなくても、立派?なひとはいる。

    なにか、「立派さ」をかんじないから、
    読んでないことにびっくりしたのでは?
  • もっとすすめれば、「そういうことをかんがえないのかなあ?」
    意識して求道知識をもとめないのかなあ?かな?

    そして、もうひとつ、
    あなたが意識して言いたかった事が相手につうじなかったこと、外面的な事柄としていっしょくたにされてしまったってことでしょう。

    これは、此処に評価が来た時と同じではないかな?

    なんとかのぱくりだって、捉え方。
    貴方が何を感じ、何をいおうとしたかということを
    捉えられていない。

    で、ファウストの方の友人でいえば、
    あなたは、「共通観念」をもっているものだと考えてる。

    これは、作品で考えれば、
    読者がこの観念をもっているものだという想定で書いてるってことにならないかな?

    作品の中でなら、当然その作品世界の観念を伝える。

    「自分の観念」なんだから。

    人が同じ観念を持ってるとは限らないから。

    たぶん、犯罪者の心理というのが、見えてこないのも、
    ここらへんじゃないかな?

    自分がどういう心理で犯罪者の心理をきにするんだろうという
    自分にある観念をひきださないと、わかりにくいのでは?

    37

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-12 06:52:44
  • >憂生

    友人の件は、確かに求道心が無い事にビックリした事かな?
    本当に脚本に行き詰っているのか?と思ってしまった事ですね。
    どちらかと言うと、僕の方が行き詰っているから、色々とジタバタしながら手探りで何かを得ようともがいている。

    もがいたからって何か得られる訳では無いけれど・・・

    で、僕の感じた怖さは、悩んでいると言いながら何もしないで沈んでいく怖さ。
    足掻いてこそ生きている証明なのではないか?と考えたりするのは傲慢かもしれませんけど、僕は、何もしないでいる事が怖いです。
    きっと人生に余裕が無いのでしょうね。

    以前、僕は、闇の中に引き込まれていく夢を見たのですが、自分が死ぬのでも無く、ただ、足の先から徐々に闇の中に消えていく。
    悲鳴を上げて起きたのですが、何も出来ないまま消え去る夢で、自分が何かを出来る限りはジタバタしていたいと思うようになりました。

    確かに、友人に共通観念を持っていると考えていたのかもしれないけれど、共通した観念を持っていないと分かって怖くなった。
    同じ道を歩いているようで、実は同じ道にはいないと知るのは、友人に寂しいと感じただけかもしれません。

    で、犯人を設定する場合の犯罪者の心理ですが、僕の中の出したくなかった引き出しにある部分が、正解かもしれないと考えるようになってます。
    人間、誰しもが持っている闇の部分ですね。
    ただ、今の段階では、もっと単純な分かりやすい行動原理を探っている感じです。
    それこそ、見る側に伝わらなかったら、仕方が無いですから。
  • ちょっと時間差が出来ちゃいましたが続きです。

    僕は、人に何かを伝えるのに、多くの人に伝えたい事を伝えきれない部分がある事だけは理解しているけど、伝え方を探って模索し続ける迷い人だと見ています。
    ただ、こうして文章を書く事で、憂生と出会えて良かったと感じてます。
    なぜなら、憂生作品には、色々な事を感じさせられ、色々な表現を示してくれるからです。
    「ひとを見るめがある」と言われた事に、自分の事は自分で見えないと感じる感性も素晴らしいです。
    僕は、ずっと言葉を反復しながら数時間後に「あぁ、そう言う事か」と気づくぐらいですから(笑)

    僕は、物作りに対する姿勢がひたむきな事が素晴らしいと思うのですが、憂生作品は作り手の姿勢が表現されているのが素晴らしいと思いました。
    他人に強制してはいけないのですが、友人に「世の中には、色々な作品を描ける人がいる」と紹介しても、否定的な態度でしか無く、結局は仕事にも困ってしまう様子を見るのが辛かったりします。

    僕は、相変わらず因縁を通り越せずに繰り返しているみたいですが、仕事としての物作りは楽しくやっています。
    自分では自分が見えないと思いますが、だからこそ自分は一生懸命にやるしか無いのでしょう。

    憂生の言葉は、僕に色々な事を教えてくれます。
    また、愚痴った事を書くかもしれませんが、その時も宜しくお願います。

    『ファウスト』は、確か手塚治虫の漫画にも登場してきているから、ダンテの作品を知らなくても、何となく知っている話だと思いますよ!
    僕は、最初に漫画で知った話ですし(笑)
  • 36

  • 人に勧めてみても、その人がそこに「関る因縁」がなかったら、
    無縁なんだと思います。
    憂生の友人が二人、墜落事故の悲惨さを伝える本をよんでいたのですが、よくそんなもの読む気になるな。
    と、思ったのですが、後年、二人がそういう事故にあうことが運命の中にあったんじゃないか?って、思うようになったのです。
    その本を読むことで、疑似体験をする。
    だから、本当の運命でそういう体験をせずにすむ。

    そういう風にかんがえたら、
    憂生には墜落事故にあう運命はなかった。
    だから、疑似体験で回避する必要がなかった。
    むしろ、よんだら、因縁?つくってしまう。かも???

    読まない人には読まないでよいという場合も考えられるし、
    仕事がうまくいかないのも、それが、悪いことかどうか、わからない。
    なにかを学んでるのかもしれない。(うまくいかないことに耐えられる力とか)

    人をみて、学ぶことは自分がありがたいなあってことじゃないかな?

    相手がぼろくみえるということは、逆に言えば
    自分が良い状態だってことだから、
    相手をぼろくみるんじゃなくて、
    自分はよかったなあってことにきがつく。

    これが相手を価値にすることじゃないだろうか?

    って・・。
    憂生の迷いの回答かかせてもらったような・・。

    ありがと。
  • 35

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-12 19:06:20
  • >憂生

    因縁が無いと言うのは、そうかもしれませんね。
    その人に因縁が無かったから必要が無かった。
    確かに、そう考えれば、仕事として入ってきたとしても興味の無いままなのかもしれなし、因縁があったからこそ興味を持つのかもしれませんね。

    因縁が無かったのに、読む事で因縁を作ってしまうと言うのは僕も感じていて、因縁が無い人に無理に読ませない、興味を持たせない方が良いのかもしれないと思いました。

    僕は、現実的には辛い状況なのに、周囲からは楽しそうに見える。
    それは、現実的にはどうであれ、僕が楽しめる良い状況の精神でいるからなのでしょう。
    相手が耐える勉強をしている期間だと思うと言うのは、そうなのかもしれませんね。
    自分が辛い時は、「今の辛い経験が後々必要になる」と考えているのだから、他人が辛そうな時は、相手もそう考えているのかもしれません。

    とりあえず自分の事を頑張っておこうと思いましたね。
    こうして意見をもらえる事で、自分の色々な事に気づくというのは嬉しいものです。
    こちらこそ感謝します。
  • 34

  • さっこん、すぐ、スピリチュアルなものにたよって、
    悩みを解決するっていうことが、なにか、非常によくないって、
    気がして、ず~と、なんで、よくないっておもうんだろう。

    って、考えていた。

    その結果、思うのは、自分で悩んで自分で解決するってことが、
    ものすごく重要なんじゃないのかなあ?って。

    だから、スピリチュアラーはものすごく良いことをしてる(人を助ける)ようにみえて、本当は人をあまやかしてるだけじゃないのかなあ?

    って、本当に人を助けられるのは、自分で這い上がってきた人間じゃないのかなあ。ここから、あがれくらいは教えてくれるけど、
    人が這い上がってくるところを黙って見守ってやれる強さがないと
    下手に情をかけるといっしょにころがりおちる。
    ある意味、鬼のような冷たい?気持ちにも、うちかてないと
    ただのおひとよしになるんじゃないか?

    そして、本当に助ける必要があるかどうか。
    ここが、わかってないと、かえって、いらぬおせっかいかなあ。

    いろいろ、気になる人がいるんだろうけど、
    黙って堪えて見守っていける強さと
    ここぞというときに命綱を投げられる体制(構え)だけ持っていればいいんだと思う。

    簡単に言うけど、辛いのを見てられないで助けるのは自己満足・・
    相手を助けてるようで、実は自分の気分をなだめてるだけみたいな。

    最近、少しそんな気がしてきて、黙って鬼にならんといけんかなと/笑
  • 自分に自信をもとうと思うときに、
    「だめだった自分」をいつまでもひきずっているかなあ。
    って、思う憂生が居ます。

    ろくでもないことをしている人間なので、
    結局、そのことの解決をしているだけみたいな。

    因縁を通り越していない。と、いっていいかな。
    邪宗・・の中にいれこんでるんだけど、
    結局、因縁を通り越してる。
    って、ことは、自分はぐちゃぐちゃの状態であっても、
    子孫とか?来世?とかは、同じことをくりかえさないですむ。
    って、ことじゃないのかなあ?って、思うわけです。
    自分はみじめでも、どこかで、助かっているはず。
    と、思うのです。

    犯罪者もろくなことをしてないけど、
    どこかで、なにかが、たすかってるんじゃないのかなあという
    極端なことを考えます。

    そういう通り越したすえに、
    理屈はわからないけど、「喜ぶ」って、事が大事なんだと
    八代神が波陀羅にいうんだけど、
    通り越して、因縁が変わっているのに、
    悲しんでいると、新たな因縁をつくってしまう。

    だから、苦しいほどの因縁をとおったら、
    思い切り喜んでしまえば、
    「苦しかった」という思いの因縁も納所して、
    次の世代に送らずにすむのではないか?

    と、思うのです。

    逆に言えば、現状も先祖?が因縁とおりながら
    それを悔いにしている。
    その思いが「同じ事をとおって、良かった」にしてくれという
    現象がおきるのではないか?

    そんなことを思ったので、ちょおっと、メモ。
  • スピリチュアラーへの疑問はさっき書いたことなんですよね。
    単純に神様や宇宙や前世とつながっただけで、
    自分の因縁をとおりこしたことになるんだろうか?

    因縁は確かに思いひとつできえたり、するものです。
    良い思い方とかしていけば良い因縁が出来る。

    悪い思いも切り替えればそれでいいんでしょう。

    それをほかのもので切り替える。
    って、成った時に、一生懸命もがいて苦しんで
    やっと思いを切り替えていくっていう事が
    必要がなくなる。

    それでいいのかな?って。

    なんか、万能薬飲んで直りました。
    みたいな。

    万能薬に依存しているみたいで、
    自分の意識を違うものにあけわたしてるだけじゃないか?って。
    どうも、憂生は納得できなくて、
    こんな風に感じるのは、憂生だけみたいで、
    あなたの言う共通意識みたいなものがない
    自分ひとりの考え方がまちがってるんだろうか?

    って、いろいろ否定しまくってかんがえたんだけど、
    否定すればするほど、自分が恐怖に飲み込まれる。

    丁度、同じ状態に居たといってよいと思います。

    結論的には、憂生にはそうなんだ。

    って、ことで、ほかの人はそれでいいわけで。

    相手をかえて、自分の確認しなくても
    憂生は憂生の思ったとおり、しんじりゃいいじゃないか。

    わけも理屈も判らないけど
    なにか、違う。
    憂生には当てはまらない。

    と、いう
    「自分」を少ししったら、それでいいのかな。と。
  • 33

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-16 01:58:48
  • >憂生

    僕は、繰り返しのようでいて螺旋階段のような流れを想像しています。
    同じ位置に戻ったようでいて実は少し違う。
    繰り返しているようで、少しだけ違っている。
    そうやって、少しづつ階段を上っているのが人生なのではないか?
    なんてかっこよく書いてみたりしてますが、ぐるぐると同じ事を繰り返している時は、迷っている時で、前を向いて進んでいる時は螺旋階段を上っていて、同じようでいて少しは高みに上っている。
    漠然とですが、そんな事を考えてました。

    僕がバイクのレースをしていた頃なのですが、ネガティブなポジティブシンキングという方法を使って、全ての悪い要素を最悪まで考えてから、最悪な事に対しても対策を考えていく。
    そうすると、現実には、考えたほど最悪な事は遭遇しなくて、考えていた対策で事足りてしまったりする。
    そうすると精神面の乱れが無くて、悪い状況も気楽にこなせる。
    ラテン系の連中は、ノリノリの時は手がつけられないほど調子良いけど、一度ハマると勝手に自滅していく傾向があったりして、ネガティブな事を考えてから対策していけば、常にポジティブになれると考えてました。
    自分を見つめると言う事は、人間として避けられない矛盾にぶつかる事もあるし、そのせいで悩む事もある。
    でも、ポジティブに悩んだおかげで、次への対策も考えられる。
    そうすると、悪いと思っていた因縁が、良くなったりするのかな?なんて思う事もあります。

    時々、余計な困難まで自ら求めるように背負い込んじゃってますけど(笑)

    シナリオの応募があって、そのシナリオのお題がミステリーとかだったのですが、そんな知的な犯罪者を作るのに、犯罪者の思考や心理とか考えてたけど、考え込んでるうちに犯罪トリックを考えるのを忘れてた事に気づいたりしてます(笑)

    相変わらず悩みまくってる自分に気づきますが、まだまだ自分が見えないもんだと思いますね。
  • 32

  • ラセン階段の話は憂生も同じ事を何度か、日記にかいていますね。
    人生は螺旋階段
    いつも、めのまえにあるのは、次の一歩。
    ふと、階段から外をながめると、同じよう名風景にみえながら、
    すこし、違う見え方になっている。

    でも、目の前にあるのは、いつもの見慣れた階段で、
    どこまで上がってるのか確かめる術は
    ときおり、外をながめてみること。

    時に裏側の風景をながめてしまうときもある。
  • ラセンをかくっていうのを、錐でかんがえていく。

    きりもみの速さが早いほど深く潜るし、
    硬い・難いところは、何度も、もみこまなきゃいけない。

    けして、停滞してるんじゃなくて、
    難しいところなだけだろう、きっと。

    万全の準備というか、心構えっていうのは、
    想定しにくいもんだけど、
    実は螺旋階段をあがる工程で
    すでに、体験してるんじゃないのかなあって思うときがある。

    前にあれだけ、つらかったから、
    それとくらべたら、楽なもんだ。

    みたいに、眺めてる自分がいたりする。

    もっと、辛い状況なのに、
    抗体ができているというか、
    逆に前の辛いがなくて、
    今回の辛いがいきなり最初だったら、
    こりゃ、もたなかったな。

    って、おもったとき、前の辛いが実は
    自分を鍛えてくれてたことなんだ。

    みたいな、
    一種、「みはからい」みたいに思えたりする事があった。

    天網、かいかい、疎にしてもらさず・・といっていいかなあ。

    そのときはなんで?って、おもったけど、
    あとになったら、それで、助かってるんだって、思った。

    不思議な人生をあゆんでるなあって思う。
  • 31

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-18 11:18:38
  • >憂生

    螺旋は不思議ですよね。
    DNAも二つの螺旋で出来ているし、人は螺旋を内に持ちながら人生の螺旋を歩んでいる。

    僕は、本やネット等の情報伝達は、個々人の螺旋を共有する存在なのではないかと考えてみる事があります。
    個々人の経験が、人類という種族としての経験にしようと情報伝達に必死になる。

    思考の並列化では無くて、あくまでも経験の共有。
    スタンドアローンでありながら、皆が共有している思考と言うのかな?

    今は、情報が錯綜するだけかもしれないけれど、いつかきちんとした形になるのではないかと思ってます。

    最近、知合いの女の子がブヨに刺されて足が腫れちゃったけど、他の知人もブヨに手を刺されて腫れちゃいました。
    僕は、昔に刺された事があるけど、刺された時の対処を伝えて、薬を塗ってから熱が出るかもしれない等の経験を伝えるのも情報の共有化かな?と考えてみました。
    綺麗な水じゃ無いとブヨは発生しないから、まだまだ綺麗な水場があるんだと思いましたけどね。
  • 30

  • アカシックレコードの考え方ですね。
    今、憂生はそういうアカシックレコードの出所を
    3箇所として、
    考えています。

    ひとつは、あなたのいうDNA.
    これが、先祖とか血の遺伝子を記憶している。

    ひとつは、脳のなかのレコード
    精神とか感情とか、
    たとえていえば、ギリシャ神話の神のような、
    いろんな情緒・思考のレコード

    もうひとつが、
    魂の中のレコード
    前世の因縁とか、行動とか、
    前世の脳のレコードも共有するかたちになるかな?

    こういうレコードが「自分」のなかにあって、
    最初は「息」(生きる)っていエネルギーででてくるんだけど、
    色んなレコードの情報をうけとってしまって、そのレコードの「音色」にそまる。

    これが、人生ってことになるんだろう。

    今、こういうレコードからの情報を把握しようとするのが、
    前世療法とかってことになるんだけど、

    まだ、魂のどんおくにある(使命・命)にふれることができず、
    因縁(レコード)だけをクリアにしているのが、今の精神世界。
  • この因縁がしらせてくれる(使命)=(生き方・筋道)をただしていくことをせずに、レコードだけのことをいうから、
    例えば、前世が蛇だったので、前世の夫と一緒になりたがるんです。って不倫の理由を前世で解明するんだけど、そこまで。

    本当はこの前世のレコードを今生でぬりかえるのが、本当。
    なのに、相談した人は前世の夫のことを思い続けます(今生の不倫相手)って、言う。

    これは筋道がたってない。
    今生の夫が人間であり、人間の生き方をするために
    その夫と一緒になったわけだから、
    いつまでも、「蛇」の行き方を追うというのが、おかしい。

    こういう今生の「使命」を自覚するために
    前世のレコードを知る必要があるのだろうに、
    前世を知って、「蛇の生き方・思い方に戻る」では、
    前世を伝えた人も危うい。

    こう言う風に、今生の筋道を理解したうえでないとレコードを塗る変える(記録を書き換える)ができない。

    どうも、先にアカシックレコードにコンタクトするスピリチュアラーがあやしくもあり、
    アカシックレコードは現状の世界・個人に反映されている。

    あなたのいう共通意識とか、虫のしらせとか、本とか思いとか、考え方の中に溶け込んでいる。

    29

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-19 23:00:16
  • >憂生

    アカシックレコードという言葉は初めて知りました。

    そうですね!前世を引きずって現在の言い訳にしてはおかしいですね。
    前世から現在へも進んでいるのだから、戻してしまうような行為は螺旋で上っていた事を低い位置に戻してしまう行為ですね。

    話は変わりますが、昨日、日光までドライブしてきました。
    道路が拡大しているとは言え、久々に来た日光ですが、自然の中は気持ちが良いですね。
    梅雨が空けて夏になったばかりだというのに「ひぐらし」が鳴いてました。
    田舎の小さな神社が祭の準備で灯りが灯ってる様子が、なかなか風情があって良かったです。
  • 28

  • 最近、絵をかいてみたいとおもうことがあります。
    とくに、風景・・・。
    カメラをやっていた頃は海と湖とそんな写真がおおかったのですが、
    今はなぜか、緑に惹かれます。
    田んぼの上を風がわたり、青い稲のうえに
    順番に風の足跡がついていく。

    これ・・・、絵に表現できるとはとてもおもえず、
    ただただ、風の跡をながめていたのですが、
    文章でも表現できない。

    やはり、画像、動画ですね。

    もうすこし、余裕ができたら、チャレンジしてみたいです。

    ひぐらしは、かなかなかな・・でしたっけ?
    あの鳴き声はなんか、せつないですね。
    遠い昔にかえりたくなるような・・そんな郷愁をさそう。
    湖の側で何時間も一人で時のうつりかわりが落とす色の影のなかに
    たたずめた頃がなつかしくもあります。
  • 27

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-25 04:33:18
  • >憂生

    風邪の匂い、空気と言うのは、なかなか表現が難しいですね。
    でも、一枚の画や写真で、空気や匂いを感じてしまう物もありますよね!

    昔は、都会が好きだったのですが、田舎の緑を眺めているのが好きになってます。

    ひぐらしh「かなかなかな・・・」と無くんですけど、夕方の木々から聞こえてくるのは素敵でしたね。
    カメラで撮っておきたかったかな?
  • 26

  • ここしばらく、自分の潜在的な思いみたいなものとむきあってみていました。

    ひとつの思いがでてきたときに、
    けっこう、「色」をつけてしまうんだなあとやっときがついたというか・・・。

    「悔しい」と思うだけが潜在意識でしかないのに、
    「自分はだめなんだ」とか、こんな思いをもっちゃいけないとか、
    いろんな理屈をつけて、悔しいとおもわない自分だという風に
    いくつも、仮面をつけてしまう。

    「悔しい」という思い、それ自体はどっちでもいいことなのに、
    それをつつきまわして、全然違うものになってしまっている。

    そういう意味で、「本心」って、奴を良いも悪いもなしに
    ああ、自分「悔しい」と思ってるんだ。
    って、まず、すなおに認める。

    これすらができない/笑

    これをみとめてしまえば、じゃあ、自分どうしていこうかな?って次の段階になるのに、
    「悔しい」をうずめかくす作業をする。
    で、ほりおこして、うずめ掘り起こしてうずめ・・。

    まだ、とうぶんかかるかなと思うけど、
    すこしずつ、自分の本心にきがついて
    てばなしていこうって、考えています。

    この作業がおえたら、また、なにか、かけるかな/笑
  • 25

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-07-31 08:06:38
  • >憂生

    色々と自分を見つめてたんですね!

    想いや本心に色をつけるのは、人間誰しもあるのだと思います。
    心は見る者によって色の違う気がします。
    見る者の、見た時によっても変わるものではないかと考えたりもしますね。

    自分を何度も掘り起こしてみるのは良い事です。
    掘り起こす自分も変わっていくのだから、今まで見つからなかった自分が見つかるのではないかと考えます。

    僕は、時々自分を見つめては反省してますけど、まだまだですね。

    新たな何かを見つけて楽しませてください。
  • 24

  • 見つけたといえるか、どうか、わからないんだけど、
    奇妙ないいかたなんだけど、
    「ああ、自分きらわれていたんだな」って、
    納得したというのかなあ。

    人がああしたこうした、どうした、って、なかに
    なんで、自分にそんな風にいわれるんだろうって、悲しみ
    いや、憎しみがあったかな。

    でも、それは、ず~~と、かんがえてみたら、
    「自分が好かれているはずだ」
    って、思い込みがあったわけ。

    すかれているはずの自分が「そんなことをいわれるはずがない」

    当然なはなしなんだけど、これを
    相手に対して求めるから、「なんで、そんなことをいわれるんだろう」
    相手が悪い。
    自分はわるくない。
    いや、自分のわるいところをみつめても、納得できない。

    そうやってるうちに、ふと、「ああ、きらわれてたんだ」って、
    妙に納得して・・。

    だったら、そういう態度(内容省略)になるんだ。

    って、それが、いやだとか、悲しいとかじゃなくて、
    そのまま、みつめられたというのかな。

    で、嫌わせたのは自分でしかないわけだし
    相手が嫌いと思う部分をなおせるか、
    相手がみかたをかえるか、
    それは次の段階になってくるわけだけど、
    こう、おなじ人間でありながら、
    「考え方・価値観」が違うということすら
    考え付かない。

    体験がちがうんだから、
    見る方向も違うわけだし、
    価値観も違う。
    ただ、自分に固執していたら、
    結局、そこにやられてしまうんだなあって・・

    巧く説明できないや/笑
  • 23

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-01 07:37:31
  • >憂生

    僕は、逆にここまで愛されていたのかと知った事がありましたけどね。
    自分の想いなんて浅はかでしか無いと思ったのは、その時だったかな?

    でも、嫌われていると考えてみると納得出来る事もありますよね。

    自分が好かれていると思っていたから相手の反応が違う。
    そう思えば相手が理解出来るのかもしれませんね。

    嫌われているまでいってしまうと違うのかもしれないけど、価値観が違う、好きでも嫌いでもない判断のつかない状態というのもありますから、どちらにしても好かれていると思い込むのはいけないのでしょうね。

    まぁ、僕なんかは仕事では絶対に好かれないポジションにいるのだから、僕の事を好いてくれる人はよほどのM性癖の感性なんだろうと思ってます。

    なんだかんだ言って無茶しかさせないんですから(笑)

    だから、スタッフには出演者に好かれるように努力しろと怒るんですけどね。
    僕が嫌われるような事をするのだから、その分好かれろ!って感じかな?

    僕は、嫌われると言う事は、相手を意識していると考えます。
    意識しているから嫌う事がある。
    意識していない相手は空気のような存在でしか無い。
    好かれるのも嫌われるのも、相手にとっては意識する相手というだけだと思ってます。
    ただ、迎合出来るか?反発するか?の結果かな?

    僕もうまく説明できてないですね(笑)
  • 22

  • 究極をいってしまえば、自分が大事なだけだと思う憂生です。
    好きだと思われてるはずだと信じたい自分が大事だったんだなあとおもうわけです。
    で、嫌いだというパターンは逆をいえば、相手を認めたくない。
    自分のポリシー(自分が大事)がくずれちゃう。
    人はこうあらねばならない。みたいな観念があって、その人のこうあってはいけない部分を嫌うことで、自分の観念を護ってる。
    じぶんが、こうあればいいだけなのに、
    こうあらぬ相手を否定しなきゃならないのって、自分が大事なだけで、
    本当に相手をきらってるわけでもないのに、
    もっといえば、嫌う自分を嫌ってるから、相手を否定するしかなくなるわけで、自分を否定できないだけかなあ。

    で、もっと、つきつめれば、人を嫌うことを悪いことだとかんがえてるかな。

    裏返せば、自分が嫌われてると判った時、自分は自分を好きなのだとおもった。
    で、その自分を相手にもとめてただけなんだなあって。
    嫌われてると判った時、逆に、嫌われるだけでしかない自分のいやな部分を、相手がどうしても嫌だというのならしかたがないし、
    自分がなおしていこうと思うかどうかだなってかんじで・・。

    *あいかわらず、つかみきってないままはなしています*
  • 今は自営業だけど、いっとき、勤めていた頃、まあ、はんぱないいびりみたいなのがあったわけで/笑
    でも、嫌いとか、そういうレベルじゃなかったなって思う。
    こっちも平気で逆らう人間だったけど、職場でつかみ合いになりかけたあと、その本人に「ああされたのこうされたのって、いちいちうらんでいたら、お互いとっくに玄関であったときはらさしあってらあ」
    って、平気でわらいあえていたわけで、
    やめる前くらいには、そのいびりの本人が「あんたは、**さんと仲がよい。
    自分はなんで、**さんがあんたと仲良くできるのか、きいてみた。
    どうすれば、あんたと仲良くできるか、自分は自分を変えた」
    って、妙な告白/笑・・・をされたことがあるんだけど・・。
    どうも、いびり程度では、相手を嫌いになれない人間で
    こういうパターンが多い人間なんだと思う。
    結局、憂生自身は自分を変えない。
    相手がこんまけして、自分を変える。
    もちろん、その間こっちの気持ちは暗澹としたものが多いんだけど、
    悪く言えば、強い。
    強いから、孤立しても寂しくはあるけど、一人でいられる。

    嫌われるということには、ある意味耐性があった。
    耐性があるから、逆に好かれる努力をしない。
    嫌われても平気なんだよね。
    嫌われるのが怖くて、好かれる努力をする、とか、
    寂しいから好かれるようにしようとか、
    自分を庇わない人間だし、
    逆をいえば、嫌ってる人間はこっちの本当の所をみて、嫌ってるとはかんがえてなかった。
    そのうち、変わる。って、考えてる自分が居た。

    もう、これは、15くらいの時からそうだったと思う。
  • 自分のおいたちをかんがえても、ひとりっこで、
    両親共働きであったし、一人っ子の性格でにありがちな
    自分が努力しなきゃとか、誰かと競争して勝ち取るとか、
    こういうのがいっさいなかったと思う。
    先にかいたように、相手がかわるもんだというような観念があったんだと思う。
    相手がかわらないで、なおかつ、嫌うなら、嫌われて一人でいるしかしかたがない。って、自分を変えるということがなかった。
    そのぶん、孤独ってのに、随分鈍くなってしまった。
    寂しいって思いに鈍感になってしまうというのかな。
    よく、一人っ子だったら、さびしかったでしょう?ってきかれるんだけど、
    それにたいしても、
    「誰か兄弟がいて、いなくなったら、寂しいってわかるかもしれないけど、
    初めから、独りの人間は寂しいって感覚がわからない」
    で、まあ、両親ともばたらきだったけど、
    親父も長生きしてわけで、たとえば、親に早く死に別れた人の
    どういうのかな、土台を失った寂しさみたいなのも理解できないところがある。

    必死で嫌われまい嫌われまいと努力した人間からみれば
    憂生の感覚って、ある意味、不幸な人間なんだろうと思う。
    「自分を変えて好きになってもらうのは、相手へのご機嫌取りじゃないか」って、考え方もあったと思うし、
    ぼろでろくでもない自分ごと好きになってくれるのなら、
    自分をかえてもいいけど、
    ぼろでろくでもない自分をかえなきゃ好きになってもらえないなら
    ようは、「いい子でなきゃ愛されないシンドローム」じゃないか・・
    そんな、反発があったと思う。
  • で、まあ、嫌ってるという相手の理由ってのもこっちはわからない事がおおいわけで、この嫌っているってのが判ると、多少なり、嫌う理由が見えてくる時もある。
    その理由がみえてくると、逆に相手がその見方をかえていくしかないんじゃないかって部分もある。
    結局、「自分はこうだ」というものを持ちすぎてるからってところがあるから。
    嫌わずに相手にとって、ここをなおしたらもっとよくなるよ。
    って、相手をすきだからこそ物を言うのと
    嫌いだから直せ・・では、違うんだと思う。
    だから、嫌いだからってのは、いずれ変わっていくもんだと思う。

    で、嫌いだからなおせっていうのは、やっぱ、自分可愛いでものをいうんだから、いくらいっても相手に通じないところがある。

    相手が嫌いだからなおせは「(人を)嫌いだという(自分の)思いをなおす」しかないんだろうと思う。
    ところが、憂生自体は自分が人を嫌ってないと思い込んでるところがあるから、自分の嫌いさえ見えてないと思う。

    と、いうより、かなり懐の深い人間だから、およそ人を嫌うことはないんだけど・・。

    自分をぼろに扱ってくれた人間にたいしては、用心してしまう弱いところがある。
    で、ついつい、独りでいるほうが気楽になっちまうんだ。

    で、基に戻って、そこまでぼろに扱ってくれるという事は
    こっちを嫌っていたんだなと、やっと、納得したという。

    いずれにしろ、相手への価値なんてのは、自分で作っていくしかない。
    嫌われているの多くは価値をみつけられないせいなんだし、
    その人にとって、価値じゃないんだったら、それはそれで、しかたがない。
    で、気になるっていうのは、その価値をみつけられないからきになるのかもしれない。

    21

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-03 12:58:14
  • >憂生

    僕は、あまり人を変えようと意識した事はありません。
    無意識ではあるかもしれないけど、自分が変わろうとしても変えられないのに、他人を変えられるはずがないと考えてしまうから。
    表面的な部分は変えられても、根本は変わることなんて無いのだと考えてしまう。
    で、根本とは何か?と更に考えると、皆同じようなものなのではないか?なんて考えて、きっと好きとか嫌いとかも表面から少し潜ったぐらいのところで、根っこまでは辿り着かない。
    根っこまで行ったら、皆同じなのだから、そこまで深く考えなくてもいいのだろうと楽観視するようになってます。

    それまであった存在がいなくなるから寂しい、孤独に感じると言うのはまったく同感ですね。

    僕は、人といつも一緒にいて、家族がいて兄弟がいても、結局は孤独になる人は孤独であり、何かしら孤独で無い事を確かめずにはいられない人が、他人を意識したりするのだと思ってます。
    僕そのものなどは、孤独を避けたいと思いながら生きている。
    でも大人数の中にいたいという訳では無く、一人いれば十分だったりする。
    社会生活では、嫌な相手でも顔を合わせなくてはならないけれど、それでも四六時中一緒にいるわけではないからと考えて妥協できてしまう。
    いや、妥協する事で安心しちゃうのかもしれないかな?
  • 続きです!

    孤独を恐れる人、僕もそうだけど、一番応えるのは無視される事かな?
    好かれもしなければ、嫌われもしない。
    存在が無いかのように無視される事。

    僕は、面倒な相手でも、意識されているという部分では、孤独からは解放されていると考えます。

    本当は、嫌いな相手には、意識さえしなければ良いのにと思うけど、そこが人間の面白さで、敵対する事で孤独から解放されちゃう。
    好かれたい気持ちが、好かれないと分かって、孤独になるよりは嫌う方が気持ちが楽になる人達も多い。

    僕は、自分も含めて人間は完全なる孤独では耐えられず、孤高の存在にもなり得ないのではないかと考えます。
    完全なる孤独で、孤高な存在は、すなわちすでに人の領域を飛び出している。

    そう考えたりしてますが、まぁ所詮は数十年しか生きていない僕の戯言ですから、正しいのかさえ分かりません。
    分からないから、探求していて面白いのですけどね。

    人間は、難しくて面白いですね!
    結局、僕も何も分かっていないという話にしかなりませんですたね(笑)
  • 20

  • 確かに、孤独になりきれたら、人と接触する必要はないし、
    なにも「おこらない」(怒るもふくめて)

    こときれるというのは、本当にする「事」がなくなってしまうんだと考えれば、まさに孤独そのものかもしれない。

    でも、じっさい、「事」ってものをかんがえたとき、
    たいしたことなんかできなくて、自分ひとりさえ、「無我?」みたいなものに到達しきれないわけで、「事」なんて、結局、自分と本当にちょっと、まわりのことでしかおきない。

    今まで、いろいろな人間をたすけてきていたつもりでいたけど、
    結局、自分の因縁というか、自分が相手を思う事がめぐりめぐって自分に帰ってきてる。そんな風におもえたら、「助けていた」のでなく「たすけられていただけ」でしかないって、思う。

    このあたりの理屈がわからなくて、自分の中の「事」がなくなってきたら
    「助ける?」相手はいるんだろうけど、気にならなくなってしまう。

    って、状態になってきて、
    さらにすぎてくると、「助ける」って、本当に必要かな?
    って、所になってきている。
    裏を返すと自分の事は自分で何とかしていくしかないし
    自分の周り自分という環境を整備するのが、精一杯かなって・・。
  • で、助けたつもりでいたというのが、実は自分の「みてられない・なんとかしたい」って、気持ちをなだめてるだけで、本当に助けたのかどうかは、
    判らないことなんだと思うんだけど、
    「助けた」とおもってしまったところは、自分の不思議な部分に由来してしまう。

    何度か、日記にも書いたけど
    遠いところの友人が「死に掛けてる」って、思うわけで、
    これに対して「念」を送って、「死ぬな・生きろ」って、やるわけで、
    途中であほかいな?って、思うわけだけど
    もし本当だったら?
    そう思いなおして、ずっと念を送り続けたところ、
    これが、ヤッパリ事実で、彼女は「死のうかな・・」みたいな気持ち半分で沼につかっていたっていう。
    実際、念を送っていなかったところで、彼女は頭が冷えたら帰ってきてたのかもしれない。

    どうもね、このあたりが、「理周」をおもいおこさせるんだけど、
    本人が思っていなくても、死のほうにひきよせられちゃうってこともあるかな?

    そんなことが多くあって、自分ではそれらを
    「助けた」とおもっていたところがあるなあって思う。

    実は自分にそういう因縁があるのを見せられていたって場合もあるわけで・・。

    でも、最近は本当に助けるっていうのは、
    「自分ではいあがってきてもらう」
    「自分でつかみとってもらう」
    って事じゃないかと思い始めた。
  • で、そう考えてみると、自分こそが自分をつかみとらなきゃ
    「救われていないんだ」みたいな考え方になってきて・・。

    だから、逆にいえば、ある程度の人の観念・意識をかえることは出来るんだと思う。

    変えられないものならば、人は(事)に遭遇する必要もないし、
    人のことをきにすることもなく、そこらの石か木のように、
    感情乱さずいきて「孤独」という場所に直いけて、
    神様にでもなんにでもなれよう。

    どこかで、いろんなことを変えてもらっていると思う自分だから
    逆にかえられると思う。

    何かで学び、なにかで転び、
    時に思い込みをつくっているけど、これさえも、
    やはり、「変えられるもの」

    変えられない人間がその重圧にまけて自殺したりするわけで、
    結局は「変えなきゃいけない自分」があるんだと思う。

    だから、言った。
    即変わるとは思わない。

    「これでいいのかなあ?」
    って、疑問をひとつ渡せたら、これでよし、にしろ、
    これじゃいけないにしろ、もう一つ違う自分に変わっている。

    これが、眼に見えて判るものじゃないから
    「変えられない」と思うけど、
    良きにしろ、悪しきにしろ、
    今までの人生で人は皆変わってきている。

    変わってきてなきゃ、みんな赤ちゃんのままじゃん?

    変化の積み重ねが成長ならば
    やはり、この先も成長は続くはずだし
    誰かの一言が「かぎ」になる場合もある。

    で、実際、そうやって、キーポイントを与えられて
    10年以上たってそうだったなあって、判るときもあるわけで、
    判るってことは、これも何かが変化したわけだ。

    憂生はそういう意味で、キーポイントを与えられる人間でありたいと思ってきたわけ。
    そういう凄い人間をみてきたから、自分がどうかってことよりも、
    そういう凄い人間を模倣したがってたところがある。

    で、先にかいた不思議なことからも、相手を救いたいみたいな考えはあったわけだし、時が来ていた人のあとおしみたいなこともあった。
    (死に際で、心がひらいていくみたいなね)
    こういう方向からでも、人を助けたいみたいな気持ちがさきばしっていたけど、結局、白蛇抄にもあつかったけど、
    「自分に因縁があるから見せられているんだ」
    って、ことがとことん堕ちてきた時
    ああ、助けられてたのは自分だってわかったし
    救われていない自分を判って居なかったって、やっと判ったような。

    救われていなかったとわかったとき、ここで、また自分が違うところに行って居るんだと思う。(変化してきた)

    19

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-08 12:18:46
  • >憂生

    ツイッターにハマってしまい返事が遅くなりました。

    前にも書いたように螺旋階段のような、繰り返に見えて違ってきている感覚だと思います。
    前は分からなかった。
    けど、同じ向きに戻ってきたら高さが違って見えてきた。

    僕は、他人を助けるとは、きっかけを与える事だと思います。
    引っ張り上げるのでは無く、後押しするのでも無く、這い上がる道がこっちにもあるよと教えたり、自分の通った道を伝える程度の事だと思うのです。

    最終的に本人が選択しなければならない。
    本人が動かなければならない。
    本人が気づくかどうかでしかないのだと考えます。

    僕は、先日に脚本を書いている友人を仕事に呼んだのですが、精神的に悪化していて「こりゃダメだな!ミスが多すぎる」と感じましたが、そこで彼を助けようとは思っていません。
    僕が撮影の責任者の判断として、「暫く彼を僕の撮影現場では使わない」と判断するだけでした。
    僕なりの道標は与えたので、勝手に自分で助かってもらわないと、僕が何を言っても無意味だからなんですが、他の人の何かで良くなれば、それはそれで良いのだろうと考えます。
    僕とは仕事の相性が良くなかったというだけの事ですしね。

    他人を見ながら自分を見直す日々かな?
    まだまだ僕も他人から見たら穴のある人間だから、自分で上って行かないといけませんしね。

    蝉の鳴く残暑の仕事場で、そんな事を考えてます。
  • 18

  • 助けるという言い方は御幣がありましたね。
    気がついていく、その「きっかけ」になる。
    その通りだと思います。

    一種、目から鱗がおちる。

    こういうものを渡せないかなあ。という感覚かな。

    けっこう、ちょっとしたこだわりが、ふくらみすぎて、
    自分で身動きが取れなくなって、マイナス思考になってしまう。

    このつっかえ棒みたいなのを、ちょいと外してやれる。
    これが、実際、どの言葉でそうなるのかわからないんだけど。

    死が近かったんだろう。
    ある女性が憂生の作品。
    ブロー・ザ・ウィンドをよんでから、どんどん心を開き始めていった。
    そして、誰にむけても、思ってくれてありがとう。
    そういうことを思うようになっていった。
    そして、倒れて1年くらいかな。
    白血病で、骨髄移植が定着せずになくなった。

    死ぬ前のろうそくの炎のように、いきいきともえあがって、
    いろんな執着をときはなっていった。

    こんなことがあったりしたから、ちょいと外せるものなら、
    外してやりゃあいいと思ってしまう。

    もっと大きなことをのりこえていく必要があるんだから、
    「気分・考え方」をちょっとかえられりゃのりこえられるなら
    はなしてみるだろう。
    でも、最終的には本人がこっちのいうことをきける&
    自分のことをはなせなきゃどうにもならないし、
    きつい事実を突きつけなきゃいけないときもある。

    ある精神病者とのかかわりで、ほかの人のつっかえ棒を外すという
    ことができる考え方ももらえて、この結果できたアドヴァイスが功を奏したか、その人は今は幸せにくらしている。
  • 彼女が二度目の骨髄移植の時に、もう、いきる気力をなくしていたせいもあった。
    骨髄移植の相手側のリスクを考えて、もうやめようって、いいだしていたんだ。
    そこで、彼女の姉にあたる人が相談してきてた。

    憂生はむごい言い方だったけど、
    死んでしまうのは、それでいいだろうけど、
    骨髄提供者にもう一度提供していたら、助かったかもしれない。
    と、いう「悔い」を残させてしまうんだよ。
    いつも、いっていた、「思ってくれてありがとう」って、それ、嘘になっちゃうだろ?悔いをのこさせてしまって、ありがとうは、ないだろう?
    そんなことをいったと思う。
    お姉さんにうまくつたえてくれるように、たのんだんだけど、
    結局、説得はできたみたいだけど、
    2回目も定着せずになくなった。

    その彼女が死んだあと、憂生に憑依したみたいでね。
    友人の神道家が払ってくれたんだけど
    まだ、そのときは憂生は彼女だとわからなかった。
    中年の赤い大きな指輪をした人おぼえがあるか?
    って、尋ねられた。
    あったことないんだから、覚えが有るわけが無い。
  • で、しばらくあとで、別の友人から
    「彼女は憂生のことを好きだったんだよ」
    って、つたえられたんだけど、
    まだ、それでも判らなかった。

    月日がたっていくうちに、
    憑依?っていうのは、
    「相手がなにかをつたえようとしていることもあるんじゃないのかな?」
    ってね。
    そう思ったときに憂生は彼女の「心」をうけとめていなかったな。って、思ってね。
    で、
    「こんな憂生を思ってくれて、ありがとう」
    そう伝えた。

    うまくいえないんだけどね、精神的にまいってしまう場合、
    たとえば、こういう場合もある。
    なにかしらが、よりついてしまうわけ。

    憂生の場合は変な能力があるから、わかるときがある。
    彼女が憑依したときとか、ほかでも、こっちのほうが、眩暈みたいなものがおきたり・・いろいろあるんだよね。

    これが普通の人の場合、精神的不安定になったり、自分の思いにまざりこんできたりするばあいがあって、きがつきにくい。

    だから、こういう意味合いでも、迷ってる時は
    なにかしら、示唆をあたえると、「なにか」もきえる。

    実際、このFC2小説の中でもそういう人がいた。
    こっちと話すとすごく眩暈がおきる。
    こういう場合って、悪いものがついてるというか、
    悪い思い方をもってる(死にたいとか、トラウマとか・?)
    で、なんらか話したりしているうちにそれがとれたし、
    実際、彼女の魂?(オーラー?)を呼んだ時、
    彼女のそれが、黒い薄墨色だった。
    これにエネルギー?をかけて返したあと、彼女はかわっていった。

    ちょっと、不思議な話でご免。

    もちろん、憂生自体がまだまだ、自分の傷を回復できてないところがあったからとも考えられるんだけど。

    だからね・・。
    そういう精神的に不安定な状態の人をみるときは、自分側も
    状況がおかしいんじゃないかって、ことは、考えて見なきゃいけないかもしれない。

    そして、その人に言った言葉を自分によくあてはめてみる必要があるかもしれない。

    相手に思った思いが自分がどう考えればよいかということを示唆している時があるから。

    どう思ったかということは、憂生には判らないことだけど、
    例えば「がんばれ」と思ったとすれば、
    あなたのおとうさんとか?こういう人が貴方にたいして思ったことだとおもう。

    17

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-09 04:56:31
  • >憂生

    僕は、人に的確なアドバイスと言うのをした事が無いと思ってます。
    何と言うか、ある程度の範囲で種を撒く感じかな?
    で、後は勝手に、種を育てた人が実らせていくだけみたいな感じです。
    相手が、どの言葉で救われたのか?それが分からない。
    勝手に相手が見つけて、勝手に助かるだけ。
    だから、逆もあって、悪意がまったくない種だったとしても、相手によっては悪意に感じ取る。
    昨日も、仕事のトラブルで僕の言葉を相手が「怒っている」と解釈した。
    でも、僕は怒っているのではなくて、次の対応を求めているだけだったりする。
    常に相手次第、相手が僕が怒っていると思えば、彼等にとって僕は怒っている存在になるし・・・難しいものです。

    最近、言葉で悩んだりします。
    些細な事なんですけど、頑張っている人を応援するのに何て声をかけたら良いのだろう?
    頑張っている人に「頑張って!」は意味が無いと考えて、「一生懸命にやれば良い!応援してる」としか言えなかった。
    考え過ぎて言葉に詰まる。
    多分、考え過ぎなんだろうけど(笑)

    僕は、不思議な力は持っていないけど、不思議な話はOKですよ!

    続きますね
  • 続きです。

    僕は、助けたいじゃ無くて守りたい人がいて、守ると約束していたのに守れなかった経験があります。
    必ず守ると約束していたのに、約束を果たせなかった。
    そこで、自分の身の丈を知った。
    地面に足が着いていなかったと感じた。
    だから現在は、皆が日常的に使っている言葉を簡単に言えなくなった。

    仕事とかでは使いますけどね!

    人は、ひとつの事でも色々な方向から見られていると思うのです。
    僕の事を前から、横から、後ろから見ている。
    それが他人から見た僕の姿。
    だから、前から見ている人と後ろから見ている人ではまるで印象が違うかもしれない。
    でも、それが他人から見た自分の姿。
    見ている人達が螺旋階段を上がって、上から見るかもしれないし、僕が上に上がって見上げられているかもしれない。

    僕の事が好きだと言った女の子がいて、その女の子は僕の嫌な部分の記憶を全て忘れてしまっていた事があります。
    彼女にとって理想の僕だけを憶えていて、僕は怒った事が無くて優しくて・・・実際には激しく怒った事があったのですけど、それらの記憶は全て忘却していた。
    心が止まっている彼女の前では、僕は彼女の理想のままでいる事を演じ続けているのですが、実際のところ僕のやっている事が正しいのか?それは僕にはわからない。

    僕の中で一番きつかったのは、僕に「ありがとう」と言って、自ら命を落とした人の時かな?
    あれは僕が辛かった。

    まぁ、僕の昔話は置いといて、人は他の人の道標になるように出来ているのではないかと思います。
    それは意識してなるのではなく、勝手に他の人が道標にしてくれている。
    だから僕は「ありがとう」と言われた言葉の意味がわからないのかもしれません。
    実際、軽い話の中でも「あの時、助けてくれてありがとう」って言われて、「え?いつ助けた?」って聞き返しちゃった事も多いですしね(笑)
  • 16

  • 昨日、書いたことを、自分で考え直していた。
    なにがいいたかったのか、よくわからないんだけど、
    いろんなことが、複合的になっていて、いろいろ、書いたんだなってのが
    貴方の返事をみて思った。

    一番のポイントは
    「自分でがんばって、克服し成長していってくれ」という
    貴方の人への思いがすなわち、お父さんの思いじゃなかったのかなって?
    現世で直接相談にのってあげられない、直接、口で言ってあげれない。
    お父さんの思いがそこにとけこんでいて、
    自分の心の中にある「父の思い」をほかの人にむけて
    思わすことで伝えてる?ってことなのかもしれない。

    憂生自体もある精神病患者のことで、首をつるところまで、
    おいつめています。
    さいわい、家族の発見が早くて、助かったんだけど、
    この時、神道家のひとが憂生の心情を信じてくれていた。
    「自分の身をかえりみず、無茶なことをする。馬鹿だ」
    ってね。
    思い切って彼に事実をつきつけて、狂気から彼をすくいだしたかった。
    退院してきて、彼の意識は混濁していて、「あの世はあると思うか?」
    とか、常の彼らしくないブログをかきはじめて、しばらく、
    様子が急変した。
    しばらくあと、神道家の人が伝えてきてくれた。
    首をつったんだ。
    病院に搬送されて、彼は
    「死にたくない。怖かった。自分は病気だったんだ」
    って、号泣したらしい。
    憂生はこれで、彼が正気に戻ると思っていた。
    あとは、家族が彼をささえればよいってね。

    でも、結局ぶり返した。

    ひとつには、彼の友人が自殺しているという事もあろう。
    彼が病気のせいであったとしても、
    ほかにも、何人かの女性を狂気に追い込んでしまっている。

    このことから考えても、正気に戻った時、それらを受け止められる強さはなかっただろう。

    そう考えると、どういう事情かわからないけど、亡くなった人がいたことで、貴方が自分を狂気においつめずにすんだということ。
    これは、良かった。というしかない。
  • 相方のAKIRA(挿絵・イラスト)が、その後の憂生を心配していろいろ励ましてくれた。
    「憂生は自分が自殺(未遂)させてしまったと思って、自分をせめてるんじゃないだろうね?
    そうじゃないんだよ。
    死にたい奴だっただけだ。死にたいから死のうとしただけ。
    憂生のせいでもなんでもない。
    そんなことより、憂生には護るものがあろう?」
    このAKIRAの言葉の通り、憂生は自分の身近な人間が
    狂気におちいってしまったのを、ひっぱりあげた。
    とにかく、相手のいうことを聞く。
    相手の思い通りにさせる。
    意見がましいことをいっさいいわず。

    そうするうちに、その人間が、人格分裂をおこしていることにきがついた。
    本人も、自分できがついていった。
    そして、別の人格(あるいは憑依?)の思いがはれていったんだろう。
    本人の意識が戻ってきた。

    この人は元々、ある人から、
    「貴方にとりついているものがいる。それが貴方をまもっているけど、
    いずれ、それをとらなきゃいけないよ」
    って、言われていたことがあったんだ。
  • その人は確かに憑依体質で、憂生のほうにきていたものまで、
    そっちにいってしまうという状態だったんだけど、
    もともとの原因がある。

    その原因、憑依される原因、人格分裂でよこに逃がしておく人格。
    これを自分で制御できない状態にいたわけだけど、
    結局、ここをどうにかしなきゃ、自分で解決していけない。

    否定された人格が本人を差配するときはすさまじいものがある。

    だから、その人格(憑依?)をときはなつ必要があると本人が自覚する事が大切なんだと思う。

    そういうことを、自殺未遂の人から教わったと思う。
    辛いけど、悲しいけど、これは自分がもってる自分の人格だとみとめてしまったうえで、自分を変えていく。
  • この辛いってのが、また狂気に自分を引っ張り込むんだ。
    自分はそんな人間じゃない。って、否定してしまうと、狂う。

    また別の精神病(自傷)の人がいっていたことなんだけど、
    「自分を愛してくれる人が自分を思い切り抱きしめてくれたら治る」
    彼の場合は愛する人を亡くしていたから、俺は無理だけど・・っていってたけど、この思いきり抱きしめるっていうのが、変な自分もだめな自分も
    思い切りだきしめられた。ッてことなんだと思う。

    だから、その否定した人格のことを憂生がうけいれていったとき、
    人格が身から離れていったんだと思う。
    本人はもうそんな人格の自分じゃなくなっているわけ。
    ただ、自分の判断で別人格がおこした事件を解明しようとして、
    自分の主人格まで暗く、惨めなものにしてしまっていたと思う。
  • 憂生自体が知人(顔見知り)が自殺してしまって、なんで、きがついてやれなかったんだろうって、自分を責めているところがあったと思う。
    だからこそ、早く気がつける自分になりたいとおもったし、
    知人の入水自殺未遂の状態が届いてきて、こ一時間ほど「生きろ」って念を送る事が出来たわけだと思う。
    うまくいえないんだけど、
    護るっていうことは、厳しいけど、相手側の立場に立った時「護られるだけのことをしていなきゃだめなんだ」って思う。
    これは逆の自分の経験でね。
    いくら護ってやりたいと思っても「貴方に護られるだけのものを相手の人がもってなかったら、成ってこない」
    自分が護ってやれなかったってことで、本人が自分にきがついていくこともあるわけで、これが逆に護ってることになるわけ。

    多分憂生自体がそうであるように、
    自分では判らないけど、見た目では判断つかないけど
    護られなかったことで、助かってる。

    これでよかったんだ。
    って、信じることなんだと思う。

    だから、それが良くなかったか。良かったか。なんて、
    考えられるものではないし、貴方のいう自分の丈というものも、
    上の考えでいくと、現実否定でしかない気がする。

    見えないところではもっと大きい働きがおきてるかもしれないわけで、
    そこまで、わからんでしょう?
    問題は自分の可能性をもっと信じていくという事のような気がする。

    知らぬうちに、本当の助けをしているかもしれないってこと。

    15

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-13 07:26:46
  • >憂生

    御返事遅くなって申し訳ありません。
    僕の人への願いは、父の僕への願いというのは正しいでしょうね。

    僕は、6月末から仕事に追われて、稚拙ながらも文章を書いて来た事が、現状では何も書く事が出来ないでいます。
    仕事の方で書かなきゃいけない事が多いだけなんですけど・・・

    自分の可能性というのを信じる事は大切です。
    ただ、過信してはいけない。
    僕は、自分が過信しないように注意はしている。
    たまに過信しちゃってると反省するからなんですけどね(笑)

    護られるだけの価値は、全員にあると僕は思っています。
    何かしらの意味を持って生まれてきているのだから、それだけでも護られる価値はあるのだろうという漠然とした理由ですが、もしも護られる価値の無い人が存在するのならば、その人は、人では無くなってしまったのだとろうと思うのです。

    また漠然とた文章になってしまいました。

    話は変わりますが、先日、僕の発売注視になった作品を見た人が「こんなの撮れるのに、何で一般作品を撮らないの?」と質問してきました。
    アダルトな仕事も好きだから!と答えましたけど、安い予算だけどドラマ作品を撮らないか?と言われたので、機会があったら受けますよ!と、まだ不確定ではありますが、Vシネマの仕事が入って来るかもしれません。
    僕の周りは何だか慌しく動いてて、ノンビリしたいと思う僕の気持ちとは裏腹に騒がしいです。

    落ち着いて文章を書けるようになりたいと思いながらの日々が続いてます。
  • 14

    護られない理由というのがあるということで、
    自分で乗り越えなきゃいけない。
    「うまくいかない」自分側の理由がある。
    と、いう意味合いで、護られていないようで、
    もっと、おおきなたがにくくられている。って、感じかな。

    現状、憂生もほとんど、作品をかいていません。
    憂生の場合は、どこか、「虚しい」ってのが、つきまとっているせいだと思います。

    いっぽうで、今、自分が変換期を迎えているのかなとも思います。

    結局、自分がすくわれなきゃどうしようもない。
    いろんな価値観が崩れてしまって、
    この3年でやっと、はいあがってきたかなあ。
    って、状態な人間が、もっと、壮大なテーマをみつけられないのはあたりまえかもしれない。

    文章にかくことは、無いと思うけど、
    まあ、自分でふりかえってみれば、
    めったにない経験でした。
    悲しみの果てに死んでしまおうかという考えで、
    なんとか、自分を支えてきたということもあったけど、
    不幸というのとは、違う。
    物事の価値観みたいなのを、ひっくりかえさなきゃ
    みえないものがあるんだと思い始めています。

    13

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-15 10:22:04
  • >憂生

    僕は、自分ではうまくいっていないと思っていても、他からみるとうまくいっているように見えたり、実際に結果オーライになっていたりする事が多々あったりします。
    プロセスが自分にとってうまくいっていないと感じるのに、結果的には良い結果になっていたりする。

    そうなると、自分の判断そのものが迷路のように感じられて、頭の中がモヤモヤしてしまう。

    理想は、プロセスも思い通りになってくれる事なのだろうけど、プロセスが良かったにも関わらず結果が良くない。
    悪い結果だったと思ったら、その後で、悪い結果だった事が良くなって返ってきたりする。

    何が良くて、何が悪いのか?全然分からないけれど、まっすぐに前に進もうとしている結果は、たとえ悪い結果だったとしても、後々になって良い結果をもたらしてくれている気がします。

    僕は、虚しい時は虚しい心情を描くチャンスだと考えます。
    不幸を感じた時は、不幸を描くチャンスであり、幸福を感じる時、喜びを感じる時は、悦びを表すチャンスなのだと思っています。

    太宰治の作品も、太宰治の人生の状況、精神的な状況で作品の内容が変化しており、その時々で素晴らしい作品になっています。
    作り手の経験や精神が、作品に反映するのならば、その時だからこそ書けるという物があるのではないかと考えるようにしています。
    もっとも、僕は、職業としてお題を渡されてしまう事も多いので、悲しくない時に悲しい作品を作ったり、悲しい時に楽しい作品を作らなければいけない事も多いですが・・・
    価値観をひっくり返してみたいと思う時や、そうした方が良いのではないか?と考えた時、試しに価値観をひっくり返して書いてみるチャンスなのではないかと思います。

    僕は、まだまだ文章力が低いので、感情や状況、人生観を描ききれませんが、そんな風に考えたりしていますね。
  • 12

  • そういう状態を軸に執筆をはじめたのが、「白い朝に・・」なのですが・・。
    これの、題材の中に性表現がはいる。
    そこに、おかまいなしに、エロスパムがはいる。
    これが、落ち込みのひきがねでした。
    たとえていえば、レイプによって、自殺した人間の背景をきていこうとしたとする。
    そこに、エロスパム。
    レイプという表現ひとつにおかまいなしにはいってくる。
    神経をひきむしられるといっていいかな。
    作品自体は下書きでは、完成しています。
    掲載しているものは、今パスワード制にしています。
    真摯な方から「赦すということはどういうことか」って
    購読も希望されていたもので、今50000文字はかいています。
    ところが、この続きがかけない。
    続きをかきこもうとすると、「吐き気」がおきる。
    憂生自体が、まだショックを受けているせいだと思う。
    こんな状況の中、書き終える事がひとつの「乗り越え」だとおもうんだけど、かれこれ、1年以上放置している。
  • そんな中で、ほかの某作家が、「吐き気がするような小説」というアブストラクト(感覚主義?)で作品をかいているのを見かけたとき、
    確かに、吐き気がおきるような、表現を駆使できる才能はすばらしいとおもうものの、娯楽として作品をかいている人間に対しての嫌悪感。
    いいかえれば、真摯に作品にむかいあう自分がもう古いタイプの
    時代にのってない物書きだなって、かんじもしてきて、
    結局、作品を書くことって、自分とむかいあうこと。
    自分の「ぴーす(片)」を文字にうつしかえる作業。
    こういう自分発掘をしていることでしかない。
    そう思い始めて、「書く気」になるまで、自分を放置することにしたし、
    なにかしら、「文字にする段階」になるまでに、自分の中が
    もっと、「成長?統合?」していかなきゃ、かけないんじゃないかって、
    数式でいえば、答えも式の数値もでてるけど、
    自分の中で「=」をかきこむだけの「納得」が足りないんだと思う。
    だから、拒否という吐き気がおきる。
    この作品の題材はまだまだ、いろんな角度から
    現実部分で解明されてないことがあるわけだし、此処のクリアも必要だと思う。
  • いっぽうで、日記にも書いたけど、犯人とおもわしき?人間への呪詛により、それの人間?が次から次へと事故を起こしていく。
    自分の呪詛のせいだとおもったのは「死のうかな」と思ったとき、
    「生きてろ」って思いがはいってきて、これに対して「お前が誰かわからないのにその言葉を信じれるか。この快晴、大雨をふらしてみろ」と、やったとたん、俄かに風が起こりあたりが暗くなり大粒の雨がぽたりぽたり・・。
    あわてて、「生きてるから、判ったから天気を元にもどせ」とやったとたん、さ~~と元の天気に戻っていく。
    こんなことから、ほかのいろんなことからも、自分の思いが事象をおこすって事がはっきり見えて(気が狂ったようなことをいってるけど、心配なさらず)あれらの事故のことが自分の呪詛だとはっきりみえてきたときから、自分の「思い」をもっとみつめなおさなきゃいけない。
    独りの人間が悲惨な出来事にまきこまれた色んな「原因」の中に自分の
    「思い」がうみだした「環境」があるんじゃないか?
    そのことを知らずして、表面上の物語を表面上の解釈は公開できない。
    そうやって、「自分の思い」を見つけ出す作業をしているのが、今であり、
    ともすると、自分のつまらなさにおちこむし、
    あるいは、その部分とかけ離れた物語(=になってない状態)は虚しさを感じるのはいたし方が無い。

    いつか、書くにせよ、書かないにせよ、=になれるとよいなとは思っている。
  • 11

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-23 00:58:45
  • >憂生

    なかなか難しい部分だってので、返事が遅くなってしまいました。
    性表現というだけで、エロスパムが入り込んでくるのは、とても嫌なものです。
    決まりきったエロ文句を垂れ流すだけのエロスパムは、僕も面倒なのでスルーしてしまいます。
    まぁ、仕事としてはエロも多少は書かなきゃいけないのですけれど・・・・・・

    数式の=に納得すると言うのは難しいものです。
    何故?どうして?を繰り返し自問自答して、自分が理解して初めて=の意味を持ちますからね。
    文章や言葉を掘り下げて納得するのも同じだと思います。
    僕は、小さい部分では見えているのに、大きくなると全体が見えていなかったり、色々と間違いを繰り返しながら試行錯誤してます。
    早く、自分の見ている範疇の世界ぐらいは、全体を見渡せるようになりたいものですけれど、それすら見えていないです。

    最近、寝ている時に夢を見ながら考えるのですが、今見ている夢もひとつの世界なのかもしれないし、もしかしたら、起きている時に活動している世界も誰かの夢なのかもしれない。
    そんな事を考えています。
    誰かの思いで作られた世界。
    誰かの思いで生まれた僕であり、自分の存在が誰かの思いの一部だったりするのではないか?
    最近、夢を見ながら考える事が多いです。
  • 10

  • =にならない部分というのは、感情部分と理性部分の矛盾が納得できないせいでしょうね。
    それぞれの事件に関った人間の行動と、考えと感情部分をほりさげていくと、白蛇抄まっさおな複雑な図形がでてきてしまう。
    それはまさに、3次元。4次元。異次元までを、含んだ考え方で分析?してみるしかない状態で、時間をさかのぼることは、無論。
    その時の感情がどういうものだったか。
    そこを開いてみても、まだ、納得ができない。
    それこそ、因縁や前世まで、あてはめてみるものの、同じこと。
    最終的にいえることは、
    「精神の弱さ」になってくるのかもしれない。
    おいつめられた時、どこまで、持ちこたえられるか。
    どこまで、理性や考えで自分を制御していくか。
    と、いうことになってくる。
    この「追い詰められた状況」というのは、どこにでも、ころがっているもので、これを、「相談」する相手がいない。
    ここが、味噌のような気がする。
    くだらない盗撮などをおこなって、人生を破綻させた人間がいるけど、
    こういうことでも、「相談」することをしない。
    自分の悪癖とわかっていいるからこそ、影に影に押し隠してしまい、
    最終的には破綻という状態で、「公開(相談?)」という解決をつけられる。
  • 実際、告訴されれば、「破綻」になる人間は多く、居ることだろうと思う。
    ただ、そのことでの、周りの余波とかを考える。
    先のたとえの、盗撮していた公務員なんかでいえば、
    彼の妻、子供、親。エトセトラ。
    まわりがその事実をしることを考えたとき、
    当然、どんなにまわりが悲しむか。
    つかまった、つかまらなかったという事実でなく、
    盗撮をしている「人間」だったという周りのショックを考える。
    ばれなきゃ良い。
    では、ない問題を自分で統合できる。
    これが、いまあまりにも、「自分勝手」
    スパム業者にしろ、同じこと。
    彼?彼女?には家族はいないのだろうか?
    ばれたとき、「おまえの親はエロスパムをかいて、そこらじゅうにばらまいていたんだ」って、ことになる。
    そこらへんの問題もふくめて、「無神経・配慮のない身勝手」が、
    憂生の作品のなかの問題提起にかかわっていて、
    目の前でくずされていく。と、いう感覚をあじわってしまったところもある。
    つまり、作品のなかの主人公?でなく、現実世界に「自分勝手」がのさばっていて、こいつをどうにかせず、作品をかいてるってことが、
    架空世界にすんでる自分でしかないっておもえたのもひとつあった。
  • 話変わって、映画?サマーウォーズを見ました。
    妾子という存在があるんだけど、
    憂生のネット友人であった白血病で亡くなった彼女の環境が複雑で、
    彼女の姉?にあたる人が突然10歳くらいのときに一緒に住み始めた。
    と、いうことだった。
    姉の方の話では、お登勢の境遇が自分にかさなって、よんでいると涙が止まらなくなる。とのことだったんだけど、お登勢が8歳の年で奉公にはいる。
    など、そこらへんかと思うんだけど、その姉がおそらく、妾子?
    亡くなった彼女の面倒を見おえるうちに、姉のほうも、白血病にかかっていて、まもなしに亡くなった。
    別の人が「あんなこの面倒をみているうちに」自分の発症の発見が遅れたとせめていたけど、姉のほうは、早いうちに覚悟をつけていたようで、
    懇意の人と決別したり・・していた。
    妾子という負い目?があったのか、妹のことが、先で、自分の事にかまってられなかったのか・・。
    美人薄命というけど、綺麗な姉妹だったらしい。
  • 多分、憂生に憑依?したのが、亡くなった彼女だと思う。
    神道家のひとが、来てくれて、「赤い大きな指輪をした中年の女性」と、いうことだったから。
    こういう霊みたいなものが、憑依という形でとけこむことがある。
    彼女の場合は幻惑というか、眩暈なもののようなだったけど、
    思いに同調してしまった場合、どこまでが、自分の思いかわからなくなって、その思いに振られることもあると思う。
    そういう意味で自分でわかっている自分の本当の「思い」なんて、微々たるもので、貴方のいうように、「まるで、夢」というようなのが、現実意識のようなものだろうと思う。
    そのなかで、精一杯いきるしかないんだと思うものの、
    潜在意識(本来の自分?)を良い方に活躍させることなんてのは、
    あるかなしで、ときおり、憂生も「泡沫」の人生みたいな一種の虚無?ににた感情を持ってしまう事がある。
    特に、「それ、なんの役にたつ?」と自分をといなおしたときに・・
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-26 23:04:56
  • >憂生

    サマーウォーズは見ていないですね。
    妾子が出てくるんですね。今度探してみます。

    撮影で日光に行ってきました。
    ほとんどが観光にみたいな撮影ですけど、涼しくて気持ちよかったですね!
    寺や神社で、色々と案内を聞いたのですが、なかなか面白いものでした。
    僕の干支の仏は、大日如来である事も知りました。

    霊地である男体山ですが、とても気持ち良くて元気になった気がします。

    ただ、僕の咳は酷くなってくのが気がかりなんですけどね。

    精一杯に生きるのが一番なのだと僕も思います。
    僕は、憑依とかは分かりませんが、人の思いで存在は確定していると思っています。
    どこにでもいるし、どこにもいない。
    自然を神と崇めた、自然崇拝の考え方は、人の思いの根本なのではないかと考えます。
    自分の生まれた事、生きている事、死んでいく事、その全てに何か意味があるのだろうと考えれば、とりあえずは虚しくはならないかと、自分が虚無感に襲われた時に考えるようにしています。
  • 男体山は裏史実?では、開闢の地ということになっていて、かなりのパワーがあるような記事をよんだことがあります。
    体の故障?は微妙にチャクラの位置とかかわっているようで、
    生活基盤・思いとして、地に足がついてない状態の憂生の現状は
    チャクラの示すとおり「足」に病変がきていますね。
    咳は胸のチャクラだと思うので、チャクラで調べると、なにかしら
    みえてくることがあるかもしれません。
    一時期、頭上チャクラが活性化しすぎて、妙に特殊能力?が
    発動しすぎていたのですが、バランスがくずれてきたのでしょうね。
    気落ちが元になっているところで、見事に基本チャクラのバランスと、ひっくり返ってしまっているなと思います。
    チャクラの活性化を専門家にたのんでいけば、おそらく、
    「気持ち部分」ももうすこし、落ち着いてくると思うのですが
    自分でなんとかしなきゃ嘘だろとおもって。
    病変をぎゃくに、まだ、自分の気持ちの「膿み」がでていってない証拠ととらえてはみるのですが、まさに「病は気から」
    そう思ってみていると、思いが澄んでこない自分とむきあってしまう

  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-08-28 13:56:35
  • >憂生

    日光は良かったですよ!
    中禅寺湖まで上ると「来て良かった」と心から思えました。
    あまり観光客が来ない裏見の滝まで行ったのですが、車で登れるところから山道を数百メートル歩くのも楽しかったです。
    自然が清めてくれる感じでリフレッシュ出来ました。
    もっとも、東京に戻って「暑くていやだな」と思ってしまいましたけどね。
    あそこまで美しい自然を見ていると、気持ちがすっきりするものだと改めて思いました。
    これからも、仕事と称して行きたいものです。
  • ですね。昔は旅行雑誌をかいこんでは、旅の計画を作るのがすきでした。
    その当時、狙ったところで、実現できたのは、北海道旅行くらいです。
    石舞台やドロ(変換できず)峡や黒部館山アルペンルートは、まだ、です。
    九州は縁あって2度いくことができました。
    最近は松島とか、十和田湖あたりに行って見たいと思います。
    元々、日本海側にすんでいた人間なので、大西洋側の海の干満っていうのが、不思議でしたが、いざ、すんでみると、日本海側の荒々しさをかんじることができず、
    ちょっと、ものたりない。
    北陸のとうじんぼう(変換できん)を白くしたのが、佐渡の尖閣湾にもあったとおもいますが、日本海は不思議です。
    風景にどこか、「侘」をかんじます。
    新潟の海岸沿いは海に面した道路が多く、場所によっては、朝日が海側からあがってくるようにみえて、でっかい夕日のような朝日をみたことがあります。
    あとにも、さきにも、あんなでっかい朝日をみたのははじめてでした。
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-09-01 03:21:12
  • >憂生

    日本海は、太平洋と違った雰囲気ですよね。
    新潟は行った事が無いので行ってみたい場所ではありますね。

    話は変わりますが、先日オーラを見てもらう事がありまして、僕のオーラは暗いインディゴブルーだったそうです。
    オーラの事はよくわかりませんが、久々にスピリチュアルな話題だったかな?
  • 投稿者:憂生
  • 投稿日時:2010-09-05 00:06:42
  • オーラらしきものは感じることがあるのですが、
    誰でもというのでなく、あくまでも感覚ですね。
    オーラというより、「魂」という感じにちかいかな。
    ふと、思いがはいってくる(響く?)というのが、誰か調べられないか?
    って、あちこち、スピリチュアルをひっぱっているうちに、
    何度か不思議な体験をした。

    ブルーは誠実な色だったと思う。インディゴになると、苦労人って感じがする。
    憂生自体の色はわからないんだけど、知人は灰色に感じるっていっていた。
    それが、色がぬけたので、大丈夫かと心配されたんだけど・・。
    憂生自体はムーンストーンのような、白をめざしてるんだけど・・・。
    オーナーが仕事をやってる時、黒に感じて、この人やばいんじゃないか?って、しらべたら、紺の濃い色は黒にみえるそうで、そういう精魂込めてる時の努力の紺色が黒に感じるのかもしれない。
    スピリチュアルの極まった人?は透明にかんじたので、これもしらべたら、やっぱり、信仰とかいうのも、透明にさせていくようではあった。
    このあたりの話は日記にもかいているので、だぶっている。

    最近はネットゲームで遊んでいます。
    もうすこし、書く気になるには、時間が必要なような・・・。
  • 投稿者:高橋kou
  • 投稿日時:2010-09-05 18:42:43
  • >憂生

    最近は、小説を読む時間が無くて、面白そうな小説を見かけても読む次官の無いジレンマに陥ってます。
    オーラは、大きければ良いってものではないみたいで、大きいと周囲の余計な事まで拾っちゃうみたいです。
    もっとも、自分では何も自覚していないのですけれど……
    オーラの色は、その時々で変わってくるみたいですね。
    僕は、インディゴチルドレンも、クリスタルチルドレンも、今一歩理解出来ないですけど、たまに話を聞くのは楽しいです。

    小説を読む時間は無いけれど、色々なオカルトを否定する本を流し読みしています。
    けっこう面白いです。
    否定するというより検証している話なのですが、オーパーツの話はとても面白いです。
    昔の人の技術力をオカルトとしてではなく、技術として検証しているのですが、読んでいるとわくわくします。

    あまり本を読んでいると仕事が遅れちゃうので、休憩時間に読む程度ですけれど。

    ゲームは、始めちゃうと仕事に戻れなくなるので、今は我慢してますね。
  • オーパーツというわけじゃないけれど、三種の神器がありますよね。
    で、歴史?でいえば、ニギハヤヒがすでに、天の岩船にのって?大和の地に天孫降臨してたわけで、この時の天孫の証が十種の神宝ってことで、これが、残っているわけで、(詳細は不明)。この中にへつの鏡、おきつ鏡とかがあって、
    これが、妙なもんだと思うわけ。
    三種の神器にしろ、やたの鏡がある。
    この鏡というのを考えていくと、羅馬船(かがみふね)というすくなひこがのっていた船にいきつくんだけど。
    音と意味が違うというパターンでかんがえたとき、
    当時めずらしい馬を羅って、献上品として、降伏(恭順)の印に
    「鏡}を船のへさきにつけて(白旗の如く)やってきたんじゃないか?って、きがするわけ。
    こうふく、あるいは恭順を示す時に、刀やまがたまや鏡をさしだしたというのが、
    あるわけだけど、鏡はこういう使われ方をしていたんじゃないか?
    って、思う。

    一方で、糸魚川のぬながわひめが衰退していくわけだけど、
    ぬながわひめの祈祷?の方法がひとつにヒスイだったのではないかと思う。
    この産地を奪取した大和朝廷は以後、いっさい、ひすいに手をつけていない。
    つまるところ、あまてらすの祈祷が「太陽信仰」だったということがあって、
    越の国の勢力である、「ひすいをあやつる巫女」をつぶすことにより、
    太陽信仰を着実なものにしていったのだろう。

    日のもとの国というだけのことがあって、
    勢力というものに、「太陽」がはいりこんだことは、
    言うまでも無いことだと思う。

    この太陽を鏡で照らして降伏を示した。ということと、ともに、
    ひすいの巫女を追撃していったということに、
    「太陽神」というものへの信仰が、多くのオーパーツの紀元に繋がっている気もしている。
  • 感想一覧

    • 投稿者:憂生2
    • 投稿日時:2011-03-04 20:29:11
    • 三人称はむつかしいですね。
      客観的に語らなければいけないところで、
      「主観や感情」をどう表現してよいのか、わからないので、
      書いた事がないです。

      登場人物が多くなると、主人公が客観視するという場面がでてきて、
      「こうだろう」というとこで、彼(彼女)の主観などをかくことはありますが・・。

      どうしようもなくなると、科白で「主観」を語らせたり・・とかに、なってしまいそうで、すると、科白の下に本人の感情がでてくる言葉が続いたり・・・。一人抄になってしまう/笑

      ミステリー?っぽい作り方になったときに、犯人?の思いはひとつもかたられることなく、まわりが、いろいろ類推していって、真実はこれかな?というところにたどりついていくというのが、あります。
      白砂に落つ  という作品ですが、最後にそれが真実だと思う役人(時代物です)の現実で、最後をほっとするものにしめくくるというのが、精一杯でしたが、
      「真実・本人」がなにも語らないというパターンは難しかったです。
    • 横棒
    • 投稿者:憂生
    • 投稿日時:2011-03-04 20:13:15
    • hakujya.blog.ocn.ne.jp/hatubutai/
      (http・・の冒頭をカットしています)
      もしくは、フォトアルバムに直アドレス。
      hakujya.blog.ocn.ne.jp/photos/nagasawa/
      (写真をクリックしてください。写真にカーソルを宛てると、タイトルがチップででます。ページの上部には、写真があります。その下から本文がはじまります)
      最近、ある人の一言がしみわたってきて、やっとこせ、エロログ検索恐怖症を、
      超えなければいけない・・と思い始め、公開しはじめました。

      女性目線の「小夜」(55000文字1編)
      永沢自身が主人公・・永沢も架空の作家?ですが。オムニバス15編
      15話めをかきはじめ、途中で止まっています。
      hakujya@ninus.ocn.ne.jp のほうに、批評などいただけると嬉しいです。
      拙くて、かなりもろな、表現をしていますので、お恥ずかしい限りですが、
      腹蔵なき意見をいただけると嬉しいです。
      よろしくお願いします。
    • 横棒
    • 投稿者:高橋kou
    • 投稿日時:2011-02-27 04:36:17
    • >憂生

      三人称の文章を書いてみて、書いては読み直し、読み直しては書き直す作業を繰り返してます。
      結局、最後には一人称にしそうですけどw

      ロボットが探すエロのキーワードは、たとえ水に関する「濡れ」でもエロ単語として拾っていくので致し方ないのですが、最近は「画像」なんて単語もエロ検索で引っかかってきますね。

      最近、ティーンズノベルを読んでみたのですが、表現的な単語はアダルトと共通している部分が多かったりしますね。
      単語そのものだけを分解しての話ですけど、ラブコメディで出てくる単語だから、内容としてはエロでは無いですけど。

      WEBでの課題ではありますね。

      アドレスの件、連絡方法を考えておきます。
    • 横棒
    • 投稿者:憂生
    • 投稿日時:2011-02-16 00:50:43
    • 昨日、の今日で、またもでもどってしまいました。

      おおかた、削除して、SO2シリーズは、ここだけの発表というレア(大笑い)物です。
      アダルトをあげてみたのですが、異様な数値のはねあがりに
      おそれをなして、非公開にしています。

      つかっているログもかなり露骨にしているため、そのままの言葉で検索されると、
      自分で使っている用語ながら、こいつら、あほか?という状況になって、
      アダルト・永沢祐稀なら、まあいいと書けば、即、それにかわるという。
      こうなると、露骨ログもアダルトも同じことではないかいな?
      と、思うわけで、
      普通の読み物を読んでくれている人であるなら、ある程度、憂生の底みたいなものをわかってくれているので、(と、思いたいだけ?)アダルトの用語(表現)目当てでないとわかるし、逆に、そういうのは、ごめん。読みたくないと、はっきりつげてきてくれたり。
      ある程度の経験?がある人は表現というか、文体にかろやかなテンポがあり、
      スムーズに読ませていく。などというところに着目してくれるわけですが、
      怖いなと思うのが、以前にも書いたマニアックな人間です。
      エロ小説(抜かせる事ができるか、どうかが勝負みたいな意味合いでの)のつもりじゃないのに、そういう扱いになるというのが嫌で、以前にも、どこかで、書いたのですが、読みふけってしまって、気がついたら、身体が反応してた。それさえ気がつかないほどにひきつけさせる内容と、ちょっと、立ち止まって、考える部分とをあわせもつものをかいていきたいとおもっていたわけですが、筆がおいつかないのか、表現がリアル(だったのかも)とで、ねらったところにはいかず、変にあおられないで、読める貴方に読んでもらって、ご批評いただきたいという思いはあるのですが、アドレス(パスワード)を此処に書くわけにもいかず、迷っています。
    • 横棒
    • 投稿者:憂生
    • 投稿日時:2011-02-14 20:00:26
    • 日付をみて、随分覗きにきてなかったと思いました。
      あれから、ちよっと、気分をとりなおして、
      再度こちらに作品を挙げなおしています。

      アダルト小説はちょっと、やめておいて・・。

      いくつか、新作もあげていますが、
      あと、7編くらいで、挙げ終わります。
      最後に空に架かる橋をもってこようと、思っています。

      ページを開く本タイプはやはり読みやすいと思います。
      量のあるものが多いのでなおさら、読みやすいのはありがたいですが、
      完成しているものなので、どこで、ちょん切って挙げるかに
      困ってしまう事が多かったです。

      ここは、大人といえる人が少ないように思え、
      寂しい思いがしておりました。

      白蛇抄も今10話まであげています。

      それと、憂生の変なセンスの話もいくつか。
      こういうのが、ひとつには白蛇抄をかかせた元なのだとおもいますが・・。

      しかし、エロという言い方は失礼かなと思いますが、映像で表現できる分、ある意味、綺麗(丁寧)に描けますよね。文章でかくと、どう、かいても、生臭くなってしまう。
      かといって、「はい、しました」だけでは、かききれない二人の仲みたいなのがあって、妙に克明になったり、手持ちの表現のくりかえしになったり、しらける「甘さ」がでたり・・えぐくなったり・・。
      官能小説の難しさに挫折して、アダルト小説になってしまったという(笑)
    • 横棒
    • 投稿者:高橋kou
    • 投稿日時:2011-01-19 19:07:20
    • >憂生

      お久しぶりです。
      かなり遅くなりましたが、明けましておめでとございます
      去年は、後半から仕事が忙しくなり過ぎて、〆切前にPCが壊れたりと大変でしたが、やっとPCも復旧し、年明けののんびりした時間を過ごしてます。
      もっとも、のんびりしていると収入も無くなってしまうのですけどね(笑)
      先日、直木賞と芥川賞が発表されましたが、受賞作の注文が凄いようですね。
      出版物も、元気ある話題を聞くと嬉しく思います。

      年末は、コミケに行ってきたのですけど、凄い人混みでしたね。
      僕が制作に関わったというか、ディレクションと編集した寸劇のDVDが数時間で300枚完売したのを見ると、やはり嬉しい気分になります。

      僕も、自分のサイトを作り直そうと色々とやっているのですが、なかなか仕事の合間だと思うようにはかどらないでいます。
      僕のブログはエロ系なのに、リンク元は全然違うアキバ系からが多かったので、仕事としてはエロ好きが来てくれないと困るブログなので、思わず苦笑いしてしまいました。
      そろそろ文章を書きたくて仕方が無いというか、全然文章を書けない状況だったので、また文章をたくさん書きたいと思っています。
      仕事の文章はたくさん書いていましたけど(笑)

      サイトの方も遊びに立ち寄らせて頂きますね。
    • 横棒
    • 投稿者:憂生
    • 投稿日時:2011-01-09 21:33:08
    • きがついたら、年があけてました。
      古巣に舞い戻って、ぽつぽつ、作品かきはじめてます。
      物語の方もSO2・永沢作品を除き、なんとか、分散しつつも、
      ブログにおさめました。

      忘れた頃によみかえすと、また興ふかいものがって、
      公開断念はさびしくもありますが、
      ま、新作かいていこう・・・。

      と、いうことで、また、お暇な時にはおたちよりください。
      憂生’s/HAKUJYAをメインブログにしております。
    • 横棒
    • 投稿者:おひさしぶり・・
    • 投稿日時:2010-11-07 18:07:18
    • 物語の保管場所をかえました。

      白蛇のサイドバーにIDとパスワードを乗せています。(ならびに保管場所のリンク)

      検索ロゴも異常なものがでてきてしまっているのと、相変わらず、アダルトサイトからのリンク(今回発見したのは、白蛇抄の伊勢の姫君とか、あのあたり・・を4~5編)永沢名義のアダルト小説は毎度のことなんだけど・・・。

      このあたりと、いっしょくたになって、普通の物語まで、性表現があるばかりに、アダルトサイトにリンクをはられて、
      あげく、異常としか思えない(尿道に割り箸をつっこんだ画像)を捜しにくる馬鹿がいて、こりゃあ、このままほっといたら、パラノイアがくるだけだと思って、
      物語のほとんどを削除して、フォルダのなかも削除して(URLがわかったり、リンクがのこっていたら、閲覧できるため、フォルダ内を削除)
      と、いう作業をし、またご丁寧に挙げなおした場所ではピングを発信しないようにして、まだ、捜しにくるので、ブログ村のTBも削除して・・。

      まだ、ネット上に痕跡があるかもしれないけど、本当に読んでくれる人だけを待っているのですが・・・。

      こないね・・・/笑

      来るのはひやかし半分と、永沢目当て(今回別の場所での公開を考え直しているので、収録していない)
      あと、いくつでも、ブログがつくれるので、旨物と歴史と占いブログを別に編集して今は、「にゃこ日記」を編集中です。

      こんなことをやってるので続き物がちっとも書けず「懐の銭」が11でとまっています(ほかにもありますが)

      またお暇な時にご来訪お待ちしています。
    • 横棒
    • 投稿者:憂生
    • 投稿日時:2010-09-18 00:11:07
    • イラスト仲間はペンタブを利用しているようですね・・。
      スキャナを使って原画からとりこんだり、苦労した時期もあったけど、
      今はブログでも(gooなど)お絵かき機能がついていたり
      ペンタブの常備などで、簡単にブログにあげれるようになった。
      ブログのカテゴリーにそのころのトークとイラスト連中のイラストを
      ほぞんしてある。
      イラスト添付のみ、とかいうカテゴリーだったと思う。
      憂生のほうは現状、仕事用のパソコンとマイパソコンをわけているんだけど、
      これが、ミレニアム(ME)にXPを装備させているという代物で
      速度の遅いことこのうえもない。
      写真ホルダーも旧式のものなので、つかいずらい。
      cホルダーにはいってる容量が圧縮かけてるせいもあるけど、
      8GBという異様な少量で稼動している。
      ブログ記事転写でエクスプローラーをふたつあけたら遅くなり、
      エクセルを開いた日には、メモリ不足ですと警告がはいる。
      ちなみに、マイクロソフトオフィスは2003年ヴァージョン。
      遊びで使っているというものの、ちょいちょいスタックしてくれるので、
      精神衛生には良くないと思う。
      帳簿用にはノートパソコンをもってるんだけど、
      これはネットにつながないことにしている。
      ここしばらく、トヨタ事件から仕事がへって、じり貧状態で、
      オーナーがオーディオのメンテナンスで稼いでいて
      フローチャートなどの出番がまったくない。
      最近やった仕事といえば、ワディア6の説明書がぼろだったので、
      エクセル仕様でうちこみなおしたぐらいで、メンテナンス機器の付属品としての
      清書なので、直接金にならない。
      市場の冷えがまだ続くとなると、副業をかんがえたほうがよいかいなとおもわぬでもない。
      そんな状態なので、XP搭載ミレニアムでがんばるしかないな。
    • 横棒
    • 投稿者:高橋kou
    • 投稿日時:2010-09-17 04:26:49
    • >憂生

      返事が遅くなって申し訳ございません

      オーパーツはオカルト雑誌に色々と紹介されてるけど、ほとんどが偽者だったり、発見当時の科学が追いついてなかったせいで、古代の技術力を見誤っていた場合が多いですよね。
      トリリトンだったかな?
      現代の技術でも移動不可能な大きさの巨石とか言われていたけれど、もっと大きな石を別の歴史建造物で移動していた事実があったり、現代技術で移動不可能というのが、実はNASAの持っているクレーン技術だけに限った話だったりと、オカルト信奉者のミスリードでオーパーツになっている。
      話の面白さとしては、オーパーツとか夢があっていいのですけれどね。

      最近、ペンタブレットを買おうと思っています。
      またイラストを書きはじめようかと思って検討中なんですけれど、液晶画面に直接ペンを走らせるタイプにしようと思って貯金中です。

      文章を書くのが遅れてしまっているので、そろそろ時間を作りたいところなのですが、欲しい物が多くて仕事を減らせません(笑)
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