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右手の直感線

右手に顕れた直感線はなんとなく、嬉しい。

いままでは、左手が現す直感線。

つまり、潜在能力としての直感だったのではないかと思う。

だから、なんとなく、こう思うが、

あたっていて、それで、人生乗り切ってきたところもあるような、

ないような・・・。

右手に出来るというのは、

あるいは、根拠がある直観力といえようか。

前なら、こいつ、しにそうだぞ。

なんちゅ~~うたとえじゃ。

こういう、漠然とした直観力だったのが

逆に、こいつの考え方、物事の受け止め方じゃ

えらいめにあうぞ。

と、いう根拠からの直観力。

で、これは当然、自分にあてはめる。

前は自分が漠然と死にそうなので

その根拠をかんがえてみた。

今は、この思い方をしてたら、

えらいことになる。と、いう根拠が浮かぶ。

右手は顕在

左手は潜在

こう言う風に考えてるから

右手に直感線がでてきたということは、

物事の筋道がみについてきたからかいな?

うらうちというか、

箔というか、

これがなきゃ、たぶん、右手には顕れない。

実際、文筆業の才能は潜在的なものとしてしか

あらわれていない。

これが、右手に顕れるような事があれば

作家になれるのかもしれない。

が、

どうも、憂生の執筆活動は

自分の潜在的認識を

顕在的認識にかえる、自分だけの

創作活動なので

右手にでることはないだろう。

実際、箱舟をかきながら、

いつものごとく、なにかを暗示しているとは思った。

相変わらず、わからないまま、かきおえて、

半年以上たつか。

昨夜、ふと、わかった。

まあ、いろんなとりかたはできるとおもうけど、

憂生のなかでわかった。

そんな風に(どんなふうに?)

自分になにか悟らすための

天啓のようなものがある。

だから、その分野で売れるようになることが

ほんらいでない、

自分のための才能?なので、右手にでることはないだろう。

と、まあ、直感線の話ばかりでなく、

それが、どっちにあるか、ってのがもんだいで、

左手にあれば、「天分」

右手に有れば、自分の苦労?などにより

きざまれる、「自分」

だから、右手にでてくるというのは嬉しい。

実力・本物?にちかづいてきたようで・・・。


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