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思うままに・・16

臓器移植に関するブログをちらりとよんできました。

憂生も実際、白血病で、ネット友人をなくしていますが。

結局、一人の方は、ドナーがあらわれ、

提供してくださったのですが、

定着せず、

姉に当たる方から

再手術をしてくれとドナーの方がいってくださってるのに、

これ以上、負担をかけたくない。

と、本人に生きる気力がない。

と、相談がきました。


この時、まさか、お姉さんも白血病で倒れることなど

予想だにしていませんでした。


物語が元で知り合った方ですが、

この物語にも書いて在ることですが

「思われていることを喜ぶ」

など・・。あるわけです。


ですから、お姉さんのほうに、

非常にもうしわけない言い方ですが、

「再手術しても妹さんのいうようにだめなのかもしれない。

だけど、それは、それで、仕方が無いことだと思うけど、

骨髄移植を申し出てくださった人は

ーもしかして、もう一回手術したら、たすかっていたかもしれないー

と、ずっと、その思いを持つことになると思う。

人の思いのありがたさにきがついている妹さんが、

亡くなったのち、一人の人に後悔をおわせてしまうかもしれない状態でなくなって

本望でしょうか?


ブログに思ってくれてありがとう。そう、書いて感謝していた人が

在る人のこの先に暗い影をおとさせるのが、

「思う」ことになりますか?


思ってくれて・・・、ばかりでなく、

自分も「思う」ということをやってこそだということを

貴方の口から、上手にせつめいしてあげてください」


この言葉に納得してくれたのか、

再手術となったようですが、

結局、助からなかったばかりか、お姉さんも突如、倒れ、

あっけなく、逝ってしまったそうです。

白血病の場合は特にはっきり示唆されているのですが、

精神的な不遇や打撃からも発症する場合があります。

なにか、よくはわからないのですが

憂生の物語を読んで閉ざしていた心を開くという経緯もあり、

体質的にも発症の危険性があり、

と、いろいろ、重なったところが在ると思うのです。


こう言う風に考えると病気になってしまうのに、環境・精神・感情・考え方なども

考慮しなきゃいけないと思うわけです。


なってしまってからでは、上記のように、まにあわないわけです。


苦は病気の種といいますが、

「苦だ」と感じ、ストレスを生じさせ、たとえば胃潰瘍になり、

体質的なものや健康状態も加味して、もっと大きな病気になるということもありえるわけです。



今、精神と病気の関連性がだいぶときあかされてきていますが

まさか、この重大な病気が、自分の気弱な性格がひきがねになったとか?

かんがえつかないわけです。


チャクラやつぼなどもこの思い方と密接にかかわっていますし、

オーラーの色などもその人の状態により、色がかわるし、

憂生の見たところの魂もそうです。


こういう色がかわるという変化があって、

身体に異常がでないわけがないとおもうわけです。


ですから、臓器移植法の是正も大切なわけですが、

病気にならない努力はもっと必要なわけです。


病気にならない方法。


これは、簡単にいえば、

「なんでも、良い風にかんがえていく」

と、いうことにつきるわけです。

暗いところにカビやだにや害虫があつまるように

暗いところに病の虫があつまるわけです。


多分、ですが、スピリチュアラーの能力の高い方などは、

病気がわかれば、

「貴方こうい考え方するでしょう」

って、わかるのだとおもいます。



悪い思い方のその種類により、病気の出る場所がかわってくるそうです。


ですから、泥棒をつかまえて、縄をなうより


転ばぬ先の杖・・

と、いうことも考慮いただきたいとおもいながら、

読んでいました。


実際、憂生の考え方はなんとか、生き延びたいというところではなく、

どう生き抜くかみたいなところがあり、

臓器移植をしながら、たとえばですが、恨みがましい思いでいきるでなく、

尊い思い方ができるようになることが大切なわけで、

死んだ後もうらめしやになるのなら、「生き抜いた」とはいえまいとおもいますから、

上記のように、

最後の最後まで人を思い生き抜く思いになってほしかったし、

それが、結局、自分を助けることに(定着しなかったのですが)つながるわけです。

言い方は悪いですが、

臓器提供を望むということは、

裏返して、もしも、それが叶わずなくなったら

家族や本人(幽霊?)は恨みをもつということになってしまいます。


誰かいてくれたら。

なんで、たすけてくれないんだ。

とか。。こういう思いになりかねないわけです。


これでは、上に書いた人とは逆のたちばではあるものの

家族や友人などなどに暗いものをしょわせてしまうことになるわけです。

本人もうかばれないかも/え?!


ですから、救われたら、おかげさま。

救われなかったら、不徳の至り。

と、ある種さとりの境地にたたないと、

それが、また、違う病気を発症させかねないわけです。



こういう意味合いでも、精神部分を明るいものに鍛えていかないと

逆に、もしもなにかあって、提供して、うまくいかなかったら、逆恨みされそうだ。

とか、

やはり、もうしわけないけど、低姿勢でおねがいしますと頭を下げるべき筋を

そうしないお前らが悪いみたいに威圧的姿勢にきこえてしまい、

この結果が「しぶしぶ、そうしてやるか」みたいな、ありがたくないものになってしまい

こんな思いになってしまったたとえば骨髄を移植してもらって、大丈夫でしょうか?


臓器などにも意志があり、前の人の好みが移ったなどということもきくわけですから、

よくない思い(に、させて)で、移植されたら、やっぱりよくないとおもうわけです。


こういう部分での、精神的バックグラウンドということも

よくよく、かんがえていかないとむつかしいだろうなと思いました。


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