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蛇・・の二面性

昨日のベタを訪問しておりますと

正直いいますと、

「でた~~~~~~」って、感じの内容の方がいまして・・。


どこだったかのブログの方と同じようなことを

いってますので、

ひょっとして、同じ人かそれに感化されたかたか?

と、思いながらみていたのですが、


ミカエルは見返るであり・・などという解釈のしかたなど

まったく同じなのですが、


この方だったか、どうか、忘れましたが

内在神という表現をなさり、その横に蛇がいる。

と、いうわけです。


この蛇は知恵をかし、財をもよぶのですが、

人間が欲に目がくらむと

内在神(憂生は魂(御霊)といっていますが)をのみこもうとする存在でもあるわけです。


ところが、人間が真の叡智をもって、

ただしくいきていく限りは

手も足もだせない〈元々、ありませんが)のですが、


蛇はまた、エネルギーでもあるわけです。

日本においては、大物主は「種・命の起源」としても信仰されているわけです。


第一チャクラからなんだっけ・・

クラウンチャクラまで

エネルギーがあがっていくと、

これは、ひとつの「覚醒」ということになるのですが、

あまりにも原初的で、強大なエネルギーのため、

このエネルギーをコントロールできないといわれているわけです。


この話は吹き上げという前に書いたこととにていますが、

チャクラと魂はちがいます。


チャクラは一種、エネルギーの出入り口です。

第一からクラウンまでの直通トンネルができあがれば、人間の身体にある

274(だったかな?)のチャクラへの道筋もスムーズになっていくということですが、

先にかいたように、

エネルギーをコントロールできないので、

危険なルート開通ということにもなりえます。



あ、話ずれる。


で、そのエネルギーが螺旋をえがき、背骨にそって、あがっていく、だったと思うのですが

その姿を蛇とたとえたり、第1チャクラのエネルギーがとどまっている様子を蛇ととらえたりもします。


そして、種の起源という意味合いでの「蛇」は「精子」の形でもあり、

また、天地創造のあとの生命・人間のはじまりなどを

たとえば、天理教、教祖、中山みき女史のお筆先などでは、

「最初に泥鰌のようなものがわいてきた」と、いうわけです。


このあたりからして、人類?日本人のDNAの中に記憶された

『泥鰌』が、蛇神信仰=種・起源の神というぐあいになったのかもとおもえます/笑


ミカエルはガブリエル・ラファエルと、三大?天使の一人ではあったと思いますが、

それぞれ、役目があったと記憶しています。


ですが、どういうのでしょうか、

憂生はキリスト教がきらいなわけは、ここにもあると思います。


天使が居るという考えは逆に悪魔がいるわけです。


なにかあったら、あくまのせい。

もしくは、正義のために、悪魔という存在をつくりだしたというかなあ。


アメリカの大義名分とよくにているわけです。


日本は、良いことも悪いことも「天の神様のいうとおり」であり、

ひとりの神様が鬼であり神であるわけです。


たとえば、雨の神。

恩恵をあたえる水そのものであるかとおもえば、

豪雨・水害であったりするわけで、

日本人は、その姿をみて、

良いときは

神様のおかげ

悪い時は

自分達のせい。


と、非常に謙虚な考えをもっていたわけです。


ところが、西洋の神は唯一神なわけです。


「なにもかも・聖」

この神を絶対にするために「悪者」がでてくる。

なにか、TV番組みたいなもので、

正義の味方は悪者がいるからこそ正義の味方なわけです。


こういう「悪者」をつくったうえで、

神は聖なるものだ。

と、いうわけですが、

日本人は

聖なるものは、おかげさまでといい。

悪なるものは、自分がたりてないから、間違っていたから、悪に遭遇するんだ。

という、進めていけば、非常にストイックで求道精神に富んだうけとめかたをするわけです。


こういう「欲」「執着」に対する捉え方もおなじで、

憂生自体も「蛇」がいるといわれたときは、

ひとつには、「欲」ということをおもいました。


ところが、内在神をのみこむという話をかきましたが、

ここからえたのは、

この蛇とても、自分のとりよう・ありようだとおもったわけです。



日本人が神の二面性をうけとめるのとおなじように

蛇も二面性があるわけです。


一つは「欲」や「執着」にとらわれたら、飲み込んでやろうとする、「悪」な部分。

一つはエネルギーでもあるということです。


ですから、誰もが、蛇を内在させているわけです。


そこで、執着・欲をもてば、悪い結果が当然でてきます。


そうなったとしても、それは、蛇のせいでなく

自分のせいです。


一方でエネルギーを司るわけですから、

人間を一生懸命生かせるようにもしているわけです。


このエネルギーがいわば、根源・原初的なエネルギーであり、

欲そのものなわけです。


食べたい・寝たい・・・・という欲があるからこそ人間はいきていれるわけです。



この欲を人間思案の部分で間違ったものにしてしまうと、

欲しいから盗んででも自分のものにする。

腹がたつから、人を殺す。

エトセトラと、間違った方向にすすむわけです。


それを蛇がいるから・・・「執着」がある。

と、いうとりかたは妙にアメリカナイズされてます。


あるのは、自分に「ある」


蛇に「自分」をのませるようにしているのも自分でしかないわけです。



ですから、憂生は

自分の中に白蛇がいますという話を公開しているわけです。



これが、自分の「間違った欲」の象徴であるという考えであったら、

恥ずかしくて書くことはできないでしょう。



相手をみて、どう取るかが

「実は自分の姿だ」ともおもいますので、

少なくとも、「欲」かな?と思ったことは

それをあてはめますと「自分にこそ欲があったわけです」


ただ、蛇が居るとわかれば、

自分がのみこまれないように

「自分の思いをただしていく」ように気をつけられるということでもあるわけです。


憂生自体が、

なにものかに

「とぐろをまいてるぞ」とつげられ、

白い卵のようなものを巻き込んでとぐろをまいてる蛇のイメージはうかびあがってきていました。


また、別のときには、

「かまくびをもちあげているぞ」

ともつげられたことがあります。



その意味合いが10年近くたってやっとわかってきたのですが、

まだまだ、その蛇の姿が意味する自分のそのときの「思いの状態」がいかなるものであったか、

つかめていません。


そして、これを書いていてふと思うのが、

天気をかえてみせて、「死ぬな。生きろ」といったのは、蛇だったかもしれないともおもいます。


憂生が死んだら、蛇めも死にますので、とめにはいってきたかと/笑



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