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是正

精神医学の世界にはいると、

どうも、心霊現象は

妄想の範疇にはいるらしく、

憑依妄想の如くに扱われる事が多い。


憂生自体が、精神部分の疾病?に関わる事があり、

そのいくつかの事例から

心霊部分を、妄想などで、かたずけられないと思える。


たとえば、彼女の魂が・・でかいていたように

意識をなくし、きがついたら、リストカットをおこなっていた。

霊族のささやきや、姿をかいまみる。

など、精神医学の見地からみたら、

恐怖症とか、妄想とかたずけられてしまうのだと思う。


ところが、読んでくださった方には、お分かりであろうと思うが、

けして、彼女の妄想でも、恐怖症でもない。


むしろ、そうであるというのなら、

憂生の体験したこと、

知人が体験したことは

いったい、どうなるのだろう?


集団ヒステリーだろうか?

二人だけで・・・?

奇妙な一致はなんであろう?

透視?テレパシー?などで、

知人に具体像をおくった?

具体像を知らない憂生が?

どうやって?

過去、精神病罹病者にたいし、知人は、

薬による抑制はよくないということをいっていた。

どこかにも書いたが、

自殺者は精神科の治療をうけていた人のほうが多い。という。

まあ、この統計のとりかたには疑問を感じる。

先にもかいたように、

頼れるものがいないとか?

逆に自分でも危機感をかんじるからこそ

精神科にいくということになろう。

この状況がすでに自殺決行の可能性が高い状態であるといえる。

そうでなくて、発作的に自殺するというのは、

たとえば、失恋とか?

一種、突発事故が引き金になっているわけで、

そうそう、事故はおこらないというか、

死ぬほどの痛手になる事故は少ないといってよかろう。

そこで話をもどす。

心霊現象が、起きやすいということである。

まず、心理学と精神医学と心霊部分と、全般に通じるエキスパートがいない。

実際、憂生が参った時、欝病の構造?をしらべた。

心因性ショックから、脳内に「やるきがおきる」ホルモン?が減少するというのである。

これを薬で改善することはできるだろう。

だが、心因性ショックの治癒ができないと

ホルモンがでてこないわけである。

そして、薬をのみつづけていても

心因性ショックがぶりかえす環境があれば、薬ではおぎなえなくなる。

心もとない思い。

これが心霊などにつけいれられるすきをあたえてしまう。

心霊の悪いところは同じ波長をもつもののところによりつく。と、いうことである。

そして、こいつが、ひっつく。

人間の表面上の現象としては、

ますます、こころもとなくなる。

まあ、二人?分(もっと?)のこころもとないになるわけだから、

ますます、薬などきかなくなる。

このあたりのことを信じないといっていいかなあ。

証明できないわけだし、妄想にかたずけられるだろう。


憂生の場合は逆もおきた。

先にもかいたが、生きろと天気をかえてみせてくるものがいたり・・。

と、まあ、こういう部分が発動するほどおいこまれていたわけであるが・・。

心因性ショックがよほど深いとたちなおれないというか、

マイナスになり、マイナスの霊が寄り付き、マイナスがもっとマイナスになってくる。

ここのところの心理学というのかな。

多く、自分の存在価値が希薄になってるわけだから、〈だから、希薄な奴をよびこむ、と、いう悪循環)

まず、存在価値を認識してもらう。

これが、自傷癖の方がいっていた「本当に愛してくれる人が抱しめてくれたら治る」ということでしょう。

ともすると、幽霊が、声が・・などといいだすと、

それからして、否定してしまうわけです。


これ、確かにいます。


いるけど、普通は、影響をうけないのです。

受けていても自分の思いだとおもってることがおおいわけで、

極端に成ってくると、

自殺霊にとりつかれ、自殺してしまった人が

霊能力者などによると、

「何で、俺、死んでしまったんだろう?」

だ、そうで、思いを振られるということはたしかにあります。

確かにありますが、

まず、振られてしまう原因をとりのぞく必要があるわけです。

世の中いやになった・・とか?

俺なんかいないほうがいいのかな?とか

そういう存在希薄感をなおしていくのは、

確かに「愛されてる」という思いが一番よいのです。


ところが、

妄想だなどとかたずけてしまうひとに、

愛されてるとおもえるでしょうか?

どうせしんじてもらえない。

ともすると、俺は狂人あつかいか?

だから、優しくするだけか・・という

悪循環にもなりかねない・・かも・・。

憂生が物語りを書いていく中で、

たとえばこういう狂気・霊現象?などにみまわれた主人公の裏側をかくわけですが、

そういうことになる「元」である本人の気質・性格があるわけです。

環境もあるでしょう。

その「元」をただしていくということが必要なわけで、

そこのところを考えると

「その思い方、どうにかしてあげられないだろうか」

と、いう救いというか、愛というか、

そういう気持ちがあるわけです。

その以前に主人公の狂気や霊現象を否定するということはありえないわけです。

実際の場面でも憂生自体が肯定されることで、

自分をとりもどしたという経験もありますし、

逆に、まず、なんでもうけとめてみせるという気持ちで

対峙していきます。

変な言い方ですが、

思いが晴れないと

霊のほうも、離れていかないわけです。


これは、憂生の憑依のときのことで少しかいていますのではぶきます。

ですから、まず、本人のいうことを肯定していく。

すると、そのうち、本人が自分をとりもどしはじめるわけです。


そこからがしょうぶなわけですが・・・。

此処に「言霊」というか、「理」が関連してきます。

何度も書いたように、自分が本物になっていないと

相手に通じない。わけです。

たとえばですが、本当に妄想でしか無い人がいたとします。

この人に妄想しちゃいけないよ。

とか、いいます。

ところが、言った本人が

そこを体験?して、ああ、妄想しちゃいけないとわかったかどうかということです。

言葉が本物になってないと発動しないわけです。

良いことをいってるし、本当のことです。

だけど、本物になってるかどうか?

治療側が行うことは、技術と理論であり、

精神面の波動ということを自分がものにしてないわけです。


このあたりのオールマイティの人というのは、まずいないわけです。

言葉が本物になってるあらゆる苦労を乗り越えてる人。

心霊的なことが判る人。

心理がわかる叡智と洞察力をかねそなえてる人。

医療技術を持ってる人。

だけど、これをこえてしまうものが、

「本当に愛してくれる人」なわけです。

いろんなポイントをものにできなくても

イザとなったら、命をかけてでも愛する。

医は仁術といったものです。

助けたい、その気持ちになったとき、

技術や理論だけでは人をたすけられないことがある。


本当に助けたいとひっしになるその思いに天がのる。

知識だけで、憑依妄想とかたずけてしまって、

相手をみない。〈抱かない)

こんな気持ちに天が乗るでしょうか?


そのあたりが、精神医学のつまずきであるんだろうとおもってしまう昨今なわけです。

畏れという感情をおきわすれ、

誠心誠意を尽くすということが

知識においやられ、

重視しなくなってきてると思うし、

半面に

安易に癒しやパワーをもとめるという

自分の元を正さない姿勢もあるわけで、

ますます、精神疾病がふえてきているのは

いたしかたがないのかもしれませんが、

地震直後のアナウンサーのことでももうしあげましたように

「畏れ」をしらなすぎる。

人間ひとりの個人の尊厳を守るということが

どういうことか、わからなくなってる。

ここからして、是正すべきなんだろうとおもいます。


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