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懐の銭

いつまでも、のんだくれていたって、しょうがねえ。

そうは、おもうものの、

つい、酒に手が出る。

酒に手がでらりゃ、がんらい、気の小さい男だから、

なおさら、からいばりでつっぱしってしまう。

「つけがたまってんだよ」

女将のいやな小言も今日は平気でききながせる。

「なに、いってやがんでえ、ほらよ」

懐からさっきかせいだばかりのばくち銭をとりだすと、

女将になげわたす。

「ふ~~ん」

女将はしたり顔でうなづく。

「なんだよ・・」

「いやあ、別にさ。はらってもらえるんだから、文句はいえないんだけどさ・・」

「なんだよ・・」

言い含めたい事があるのは、女将の顔つきでわかる。

「あんたさ・・もう、そろそろ、まっとうに銭をかせがないと

たいへんなことになっちまうよ。

元々、いい腕してたんだもの、そのまま、ねむらしちゃあ

あんたがおしい。

それにさ、あんた、今、賭場で儲かってるみたいだけどさ・・」

男は指物師だった。

そう、指物師だったのは、ほんのちょっと、まえまでのことだ。

「いい腕なんてものは、ねえほうがいいんだよ」

「なに、いってんだよ。それで、所帯をもってこれたんじゃないか。

え?お里ちゃんだって、もう、そろそろ、嫁にだしてやんなきゃいけないんじゃないかい?」

「なんだよ・・さっきから、うるせえぞ。酒がまずくならあ」

「いいから、お聞きよ。あんたのとこにね、いい年頃の娘っこがいるから

修造があんたのさいの目を細工してるんだよ。

そこの・・ところ、わかってるのかい?」

馬鹿いうんじゃねえ。

ありゃあ、俺のつきだ・・。

考えてもみろ。

親方に俺の指物を横取りされて

え?いまじゃ、殿中ご用達じゃねえか。

それをのこのこ、そのまま、やってられるかって、

親方と縁をきったんだぜ。

え?親ともおもう親方にうらぎられちまっても

親方を一言もせめもせず、黙ってしりぞいてきたんだ。

だのに、親方はそこいら中に声をかけやがって

俺には指物の仕事もまわってこない。

なあ、なんにも、いい事がねえってのによ、

黙って、賭場銭をかしてくれて、

ゆっくり、あそんでいけってさ、

修造親分には、俺はなんもかもはなしてんだよ。

その親分がうちのお里がめあてだと?

いっそう、酒がまずくなると男は席をたった。

暖簾を潜り抜けた男の背中を

元通り垂れおちた暖簾越しにみおくって、

女将はちいさくため息をついた。

「女将、一本つけてくれないか」

ため息が幕切れの合図とばかりか、

待ちくたびれた初老の男が遠慮がちに声をかけた。

「ああ、すみませんね」

去っていった男ばかりが客じゃない。

あわてて、まかない場にはいり

徳利をあたためると先の男に酌をする。

「なんだい?今のは?」

男への焦燥が女将の顔に出ているということだ。

「いえ、ね。腕のいい指物をするんですよ。

なのに、・・・」

いつごろからだろうか、男は指物をやめ

賭場にかよいだし、酒におぼれだした。

「なにがあったか、

なにがきにいらなかったか、

文次郎親方の所をとびだしてしまって・・」

初老の男は軽く首をかしげた。

「文次郎親方?」

女将は素っ頓狂に首をひねった。

「おや、ごぞんじありませんかい?

殿様のおめにかなって、いまじゃ、殿中お召抱えの指物師。

殿様の調度をおらが家にもって、いまや、引っ張りだこ・・」

「ふぅん。そんな親方のところから、

飛び出しちまったってことなわけかい?」

「なにがあったか、しらないけど、

一本気なところがあるから、

よっぽど、腹にすえかねたか・・。

だけどねえ、子飼いのときから

親方にしこんでもらっての今の自分じゃありませんか?

何を言われても忍の一文字でしょうに・・」

男の意気地なさをなじってみせて口をへの字にまげる。

「そうだねえ。

女将の言う通りだと思うけど

そんな一本気な人間がとびだしちまうには、

よほどの仔細があったんだろうねえ」

男は手酌で杯をあおると、女将に杯をつきだした。

「まあ、ひとくち・・」

客手ずからの酌を杯にうけ、女将はくいと

一息でのみほした。

「ご返杯・・」

つぶやく声になりかける女将を男が宥めた。

「なに、女将がそんなに、気にかけるようないいところがあるなら

天の神様だってほっておきゃしないでしょう」

そうかもしれない。

だが、修造は本当にお里ちゃんに目をつけていないだろうか?

文次郎親方の所をとびだして、自暴自棄になるのは

男のかってだが、

それでお里ちゃんになにかあったあとじゃ、

天の神様もあったもんじゃない。

「まだ、なにか?」

男の言葉にまだ浮いてこない顔がきになり

男はかさねてたずねた。

「いえ、ああ・・・お里ちゃんという

年頃の娘がいるんですよ。気立てが良くて可愛い娘さんなんだけど。

これを修造親方がねらってるんじゃないかって、心配で・・

うちの店のつけなんか払わなくてもいいから、

早いうちに賭場通いをやめてくれりゃいいのに・・

そう思って意見すりゃ、さっさとにげだしちまって・・」

それで、いっそうため息が深くなる。

「転がりだしたらはやいっていうじゃありませんか・・

もう、遅いんだろうか。

目の前でお里ちゃんがうっぱらわれちまって

どうしょうもなくなってからしか、気がつけないんだろう・・か・・」

女将があわてて袂をまなじりにあてがった。

「女将が自分をせめちゃいけないよ」

男はしばし思案の顔をみせると腹をくくったようにみえた。

「女将、そのときは私のところにきなさい。

なんとでもして、金はようだてておげましょう。

だけど、今・・なんとかしてもどうせ焼け石に水。

そのときまで心を鬼にして黙ってみててやりなせえ」

男の提案がもしもの時にはお里ちゃんをたすけだしてやるといってると

わかると、ほっとした顔をみせた女将だったが

たちまち、その顔に猜疑が宿る。

「なんで、また、そんな気になんなするのかはたまた、どこのどなたさまか・・」

酒の席でも約束事などあてにならないとわかっていながら

女将はそれが本当であればよいとすがる思いももっていた。

「女将がなんで涙まで流す気になるのか?

それと同じといっちゃあおこがましいかもしれないが、そんなもんでしょう」

女将の猜疑もあたりまえのことでしかない。

「私はね、白銀町の大橋屋の隠居ですよ」

でてきた名前が大物過ぎて女将はふきだした。

語るに事欠いて、大橋屋はご愛嬌。

酒の席の冗語でございをあからさまにするだけ

男は悪い人間じゃなさそうだと思った。

「おや?しんじてもらえてないようですね」

女将の顔に浮かんだ笑いをみぬくにさといは

やはり大店を切り盛りした男の眼力ゆえだろうか。

「まあ、だまされたと思って、いよいよの時はうちにきてごらんなさい」

男がいうことも、女将にとっては、きやすめにはなる。

「そうですね。そんときは・・おねがいします」

生き馬の目をぬくこのご時世に

とおりすがりの不幸に金をだす馬鹿などいるわけがない。

この男もちょいと、人助け気分をあじわって、

隠居の寂しい身の上をなぐさめているのだろう。

女将はどうにもならない運命を

黙ってみすえるしかないんだといいきかせていた。

そして、次の日になれば、男は賭場のあがりを懐にのみに来る。
ちょいと、いい目がでたものだから、たんまり懐が厚い。

傍目のうろんの目が逆に男の心を逆なでする。
けばだった心をなでおろすかのように、男は懐の銭をはたく。
「ええ、たんまり、のませてやってくれよ。
つけ払いだなんて、けちなことはいいやしない」
つれてきたか、さそったか、たかられているのか、
三人ばかりの風采の悪い男が男を取り囲む。

「いやあ、ごちになりますよ」
「しかし、まあ、あの賽の目のよみよう・・神技としかいいようがねえ」
「ここはおやっさんの、これかい?」
小指をたててみせた男の言葉にてんでかってをいっていた男たちが一様にだまりこむと、
女将を上から下までなめまわす。
「へへっ・・・いい女じゃないですかあ」
「賽の目も見る目があるけど、こっちも見る目ありで・・」
女将の艶具合を値踏みしてみせる。
とんでもない御託でしかないが、男は適当におだてさえ、ここちよいのだろう
俺の女じゃねえとの一言もなかった。

『あんた・・とうとう、まともな人間に相手されなくなっちまって・・』
男は女房ともまともに、口をきいてはいはすまい。
あわせづらい顔をさけてしまえば、まともに男に口をきく相手など居なくなる。
物寂しさと今の自分を肯定するために、男は普段なら相手にしないたかり風情の
べんちゃらに心をあけわたしはじめていた。

「さあさ、此処はなんといっても、采の味がいいんだ、
好きなものを好きなだけたべて、のみあかそうじゃあねえか」

転落に拍車をかけるのが、
「いい顔」をしたがるってことだろう。
その裏側にいくら物寂しい心があったって、
転落はそんな「思い」をこれっぽっちも考慮しやしない。

口すっぱくなりそうになるのを、女将はこらえた。
自分だって生きていくのに、かつかつなんだ。
口でいくら説教してみたって、
転落の散財だってわかっていたって、
その金をもらわなきゃ自分だって困るんだ。

『あたしだって、与太者のたかり根性とどれほどの違いはありはしない。
そんなもんなんだ。
人様の転落だって、おかまいなしに銭にかえて、自分がいきていくしかないんだ』
女将の煩悶をよそに男はあれやこれや、注文をつけてくる。
「ここのだしまきがな・・
こりゃあ、うまいのなんの。
なあ女将。あつあつのだしまきをたのむぜ」

「あいよ」
と、かすれた声で返事を返すと女将は賄い場にはいりこんだ。
「いい尻じゃねえですか・・」
女将の後ろ姿に男との濡れ場を想うか、
与太者のひとりがぽつりとつぶやいた。
「俺もいっぺん、ねんごろになってみてえもんだ」
うらやましげな科白も男にとって、ただ心地よいものでしかないのだろう。
女将は小さなため息とともに、ぽつりと一滴の悔し涙をおとした。
『あたしにたんまり銭があれば・・』
銭がない自分が悪いのか、ちっともたちなおらない男が悪いはずだろう。
だが、そんなことはどっちでも良かった。

どんどん、堕ちていく男の金をあてこまなきゃならない自分をすこしだけ哀れんだ「汗」が
瞳からおちてしまっただけにすぎない。
『とにかく・あたしもくっていかなきゃ・・』
心を鬼にして、女将は卵を椀に四つばかりわりいれた。

懐の銭・・2

こんなことがいつまでも続くはずがない。

女将の思ったとおり、男の賽の目に狂いが生じ始めていた。

今日はつけでたのむよと、殊勝な小声でたのむことが、ふえてきた。

勝てば、いつもの与太者がついてくる。

まけても、付けですますものだから、やはり

与太者がついてくる。

三度に一度の付け払いが五度に一度になりながらも

「かったら、きれいにはらってるじゃねえか」

が、男の言い分だったが、男一人でのんでるならまだしも、

懐の銭をあてこんだ与太者があたりまえのように男にくっついてくる。

はじめのしおらしい態度もとうにどこかにきえうせて、

ひどいときには、男より先に店にきて、のみくいする。

男の顔をみれば、口だけはかわいらしい。

「さきにごちになってますよ」

うむをいわせぬ強請りをいえるところが、

よたものがよたものである由縁でしかない。

席にすわりはじめた男をちょいとひっぱって

賄い場の玉のれんの影で男に意見をしてみた。

与太者たちは、女将を男の色だとおもっているから、

ちょいと野卑な掛け声をあげる。

「あら~~ちょっと、あたしの相手もしてくんなさいよお」

女将が男にいいたいことだろう言葉をなげかけてみせる。

男は色だとおもわせたままのいいかっこうをつくろいたいから

与太者の手前女将の手招きに応じるしかない。

「ねえ、もう賭場通いはやめなよ。

つけがたまってるからいうんじゃないんだ。

あんた、あいつらに食い物にされてるだけじゃないか。

そんなことにつかわなくたって、

お里ちゃんの先のために・・」

男の口先がぐなりとまがってみえた。

「こんな博打でかせいだ金なんか喜びゃしねえよ」

「だったら、いい加減まっとうにはたらいて・・」

「俺にゃあ、仕事が来ないんだよ」

「え?」

「親方が・・な・・俺に仕事をまわすなってふれまわってんだろうよ・・」

「う・・嘘だろ?」

文治親方がそんな小細工を弄するとは思えない。

だが、男の顔が悲痛に曲がった。

「俺だってな・・ここまで、やられちゃあ・・な・・」

男のいう事は本当だろう。

だが、いっぱしの職人が私怨でここまで、男をおいつめはすまい。

「あんた?それが本当なら、いったいなにをやらかしちまったんだい?

大の男がそこまでやるなら、そりゃあ、あんただってよほどのことをやらかしちまったんじゃないのかい?」

「へっ・・」

男が力なく笑って見せた。

その顔には、

「おまえにやあ、わからない」

って、そう書いてあった。

「でもね、あんただって、一本気な人間だ。

よほどのことをやらかしたとはあたしには思えない。

だったらね・・。

こりゃあ、文次郎親方はあんたに元通りもどってきてほしいってことじゃないのかねえ?

だから、ちょっと、姑息なやりかただけどさ。

親方にもなりゃあ、簡単に徒弟に頭をさげられない「沽券」ってものもあるんだろうしさ・・」

男は女将の言葉になにを思うか、くすくすと笑い始めていた。

「なんだよ?」

男はかぶりをふると女将の顔をまっすぐねめつけた。

「沽券だと?沽券がありゃあ、あんなこと、やりゃしねえ・・」

男の言葉が女将のみぞおちにひっかかる。

「あんなことっていったね?

文次郎親方がなにかしたってことなんだね?

しでかしたのはあんたのほうじゃなくて、

文次郎親方なんだね?」

堰につまったものをわずかながら、はきだしてしまえた男はいくばくか、胸のしこりがおちたのだろう。

「まあ、いいってことよ。

俺だって恩をうけた親方のことをな、あげつらうような屑にだけはなりたかねえんだ。

俺がこうやって、つまらねえ人生をおくってるから、

親方も安泰。

俺は恩を仇でかえすような畜生みてえな人間にならずにすんでる。

お互いこれで、万事まるくおさまってるってことさ・・」

女将の小首が違うとわずかに動いたが、男は話をそこできりあげた。

「まあ、いつまでも、あいつらをまたしておくわけにもいかねえから・・」

ひょいと玉のれんを片手ではねあげると男が席にもどっていった。

玉のれんの向こう側で女将は男が自分の人生をなげてしまったんだと

はじめて気がついていた。

そして、たんたんと喋った男であればあるほど、その覚悟がとっくについたという事になるんだと思った。

懐の銭・・3
女将の覚悟は男の末路をおもうだけのものなら、

簡単につけられたものかもしれない。

どんな意地があるのかわからないが、

自分の生き様が自分のままならずに

どこで、おっちんでしまおうが、そりゃあ、自業自得、覚悟の上、

男にゃあそれで本望かもしれない。

だけど、修造の奴が、そのまま、ひきさがるわけがない。

たとえ1文の銭だってかえせなきゃ、それで、大義名分ってものができる。

借金をたてに、お里ちゃんをかたにとって、女郎屋にうっぱらって、

甘い汁を吸おうってのがはじめからの目論見に違いないんだ。

だから、男に賭場銭をかして、最初はいいめをみせて、

そのうち負けがこんでくれば、愛想のよいしなをつくって、

また賭場銭をかしてやる。

かてば、男も律儀なもんだ。

しっかり、賭場銭は返す。

そして、しばらくすりゃあ、また、負けがこむ。

賭場銭を貸し与える。

男のさいのめを工夫してしばらく勝ちに泳がせて・・・・。

その繰り返し。

つきがまわってこないだけだと思わせるにちょうど良い賽の目のふり具合のせいで、男はまさか、自分がはめられてるなんて、これっぽっちもおもいやしない。

おまけに、男は女将の店のつけ払いと同じように、律儀にかてば、かりた銭をかえしている。

だから、自分でも賭場の上客だと思い込んじまってる。

きちきち、かえしているじゃねえか。

これが、客として、上等な部類に入るんだと思いこんでいる。

だけど、どこの世界に銭を貸して、ただで遊ばせる馬鹿がいるもんか。

女将はふううと大きなため息をつく。

あの人は自分の胸のうちを修造の奴がわかってくれてると思い込んでるんだ。

自分の人生をなげちまった憐れな胸中を慮って、銭を貸し与えてくれてるって、思い込んでるに違いないんだ。

だから、そんな憐れな男に情けをかけこそすれ、まさか、たばかれるなんておもいもしないんだ。

憐れな男。

確かにそうだろう。

憐れなままにおこじきでもなんでもやってるならそれも立派な憐れだ。

だけど・・・。

男が本当に憐れなのは、自分が「憐れ」と人からも庇ってもらえるもんだという根性になってることだ。

あんた・・、このままじゃあ、本当にだめになっちまう・・・。

そう、あんただけがだめになるんじゃないんだ。

お里ちゃんを郭に堕としてしまうことになってから自分の「憐れな根性」のせいで、わが娘を男のなぶりものにさせてしまうみちすじをつくってしまった自分だときがつく・・。

そうなって・・・???

あんた本当にいきていられるんだろうか?

今なら、まにあう。

今ならまにあうんだけど・・・。

結局男は文治親方となにがあったか、はなそうとしない。

そのしこりを解決しなきゃ、男のやけはおさまらないんだろう。

仕事なんて、指物にこだわらなくたって、かまわないはずなんだ。

日雇い仕事だって人足仕事だって、なんだって、やる気になりゃあ出来るはずなんだ。

いっそ、文次郎親方のところに直談判で、たずねあわせてみようか・・。

なにがあったかわかったこっちゃあないけど、

女将が男に言ったとおり、文次郎親方が男をもどってこさせるためにわざと仕事の口をほしているのかもしれない。

だけど・・。

そんなことを、尋ねたところで・・・。

文次郎親方がこれこれこうでございって本当のことを見も知らぬ女に喋るだろうか?

いやいや、そうでなくたって、男の言い分をきけば、文次郎親方のほうに落ち度があったような口ぶりだったんだから、ことによりゃあ、大の男にいけんがましいことをいわなきゃならないのかもしれない。

だいいち、こんな小料理屋の女将風情の意見を聞くものなら、男とものわかれになりはすまい。

誰か、顔の効く人がいれば・・いいんだけど・・。

女将の頭の中に男の身の上を案じた初老のあの男の顔がうかんだ。

隠居の暇をもてあましただけの男にしか思えないが、男の言ったとおりがほんとうなら、文治親方と腹をわって、話せる唯一の人間のように思えてきた。

懐の銭・・4
ちょいと、早すぎる刻限だとおもいながら、女将は白銀町まで足をのばした。

どうせ、まゆつば。

酔客の戯言をまにうけるなんざ、いかに商いなれしてないか、

自分のおぼこさぶりをまんまみせつけられるだけになるだろうと思いはする。

だけど、ひょっとして、ひょっとすると、本当に白銀町の大橋屋の隠居なるものかもしれない。

ちょいと、眉のつばがかわかないうちに、

ほんのちょっと、たしかめてみたって、かまわないじゃないかとも思う。

だから、無駄足にならないために、店の仕入れに足をのばすだけにした。

そうすりゃ、酔客のたわごとだったとしても、たばかれた気分をあじあわずにはすもう。

そんな理由で女将は朝早くから、白銀町の乾物屋をのぞきこんでいる。

「大橋屋?なんだい?ご隠居をたずねなさるのか」

乾物屋の親父は一元の客にも愛想がよい。

「いえ、そうじゃないんですよ。ちょっと、うちの店にきてくださったときに大橋屋の隠居だってご自分でおっしゃっていたものだから・・・」

「ああ。たいそうなかまえになって、さあ、これからだってのに、あっさり、息子に身上をゆずっちまって、隠居でございって、裏にすっこんじまってから、盆栽いじりとちょいと散歩がてらに酒をのむくらいになっちまったんだよなあ。その散歩のあて先があんたのとこだってことだったんだなあ」

どうやら、大橋屋の隠居というのは、実在する老人であるようだ。

だが、それが、女将の店にあらわれた男と同じ人間かどうかはあって、この目でたしかめてみるしかない。

「じゃあ、その松前するめを一束、もらっていこうかねえ」

「おお、こりゃあ、上物だよ。いい具合に白粉もふいてる」

袂から風呂敷をひっぱりだして、松前するめを一束つつみこむと、女将は何気ないふうにたずねあわせてみる。

「じゃあ、話ついでにそのりっぱなかまえの大橋屋をおがんでいこうかねえ。どこらへんにあるもんだろう?」

「ああ、もう、一町もあるけばすぐ右手にみえてくる。看板がな、大の字を板の端にほりこんであるよ。それで、おお、はし。ってしゃれてるんだ」

そうかいと礼をいって乾物屋をあとにする女将の胸のうちはかすかにうきたっている。

乾物屋の親父の口ぶりだと少なくとも、悪い人間じゃなさそうに思える。

これで、店にきた男が隠居でございであれば、道がひらけるかもしれない。

だけど、あんまり期待しちゃいけない。

はずんだぶんだけ、きおちってのはおおきくなる。

おそらく酔客の戯言。

それを確かめに行くだけ。

心にねんじながら、歩む女将の目に乾物屋の言った大の字の看板がみえてきていた。

懐の銭・・5
ここだねと大橋屋の前にたちどまってみたものの、

思案六法、なんといってはいっていけばいいんだろう。

ちょっと考えあぐねて、暖簾のすきまから中をのぞいてみたものだから、

店の中の人間と目があってしまった。

ばつの悪さを笑みでごまかしてちょいと頭をさげたのがよけいいけなかったんだろう。

店の中の目をあわせた男がのれんをわけて、女将の前によってきていた。

こうなればしかたがない。

「あのう・・」

男は40がらみ。

乾物屋のいう息子なるものか、はたまた、手代か番頭か?

女将の言葉がつまったままをながめていた男だったが、

はたして、その口から出てきた言葉が女将を安堵させることになる。

「人違いでしたらもうしわけございませんが、もしや、お多福の女将さんではございませんでしょうか?」

女将はその言葉が何を表すか、すでにさとっていた。

「さようでございますが・・」

女将がさとった意味が目の前でくりひろげられていくことになった。

「おおだんなさまから、ことずけられております。ささ、奥に」

と、その一言で件の初老の男が間違いなく大橋屋の隠居であり、

いざとなったら助けてあげるも嘘ではないといっぺんにわかった。

男にあないされ、奥をぬけた離れのべつあつらえにとおされると

まもなしに件の男が顔をだした。

「いよいよ、修造がからめてをだしてきましたか」

酒の席の戯言だけでなく、隠居は指物師の身をあんじていたのだ。

「いえ、そうじゃないんですよ。今日はちょっと、相談がありましてね」

「相談?」

「ええ。あれからあの人はへんな連中とつるんでしまって。仕事のことで意見をしたら、どうも、文次郎親方となにか悶着があったようなんですがね・・あのう・・そのことで」

隠居はふうむとうなると腕をくんだ。

「女将さん。どうやら、あんた、文次郎親方との悶着を仲裁してくれと私に頼みたいとこういうことだね?」

「ええ、そういうことです」

さすがに亀の甲。だてに年はくっていない。わかりのはやいことだと隠居をみつめる女将になる。

隠居は腕をくんで、なにか、かんがえこんでいる。

だから、いっそう、女将は不安げに隠居をみつめる。

その女将の不安げな顔が隠居の意をきめさせたようである。

「わかりました。女将さんが不安におもっていなさる、その顔みたら、こりゃあ、余計に黙っていたのが悪かった」

隠居の言葉がうろん気で女将の瞳は男の言葉の裏を見つめていた。

「黙っていたって?どういうことでしょう」

うんうんとしたり顔でうなづくと隠居はおもむろにしゃべりはじめた。

「いやあ、女将がそこまで、おの男のことを案じてくれるとは私もかんがえなかった。だから、当然、女将が不安になるのも無理が無い」

同じ言葉をならべたてられても女将の顔に得心の色が浮かぶわけが無い

少し、笑いをかみころしなが隠居は続けた。

「じつはね、私は文次郎親方と懇意なんだよ」

「え?」

それはどういう意味になるんだろう。

「あの男が賭場に通いだしてるって噂がはいってきてね、文次郎親方はどうにかできないだろうかって、私に頭をさげてきたんだよ。俺に腹をたてちまってるから、俺がなにをいってもききいれやしないってね。だからね、こりゃあ、ここまでこじれちまったもんなら、堕ちるところまでおちなきゃ、元にもどってきはしない。女将さん。あんたにいったのと同じさ。心を鬼にして、ここぞっていうときじゃないとなあっってね」

と、いうことは・・・?

「はじめからわかっていて、ひとしばいうちなさったってことですかねえ?」

「まあ、そういうことになる。そこらへんを女将さんにははなさなかったから、よけいに心配をかけさせちまったんだろうね?」

「はあ・・」

なんだという拍子抜けが半分女将にまといついてきた。

だが

「だけど、大の男がそんなにこじれちまうなんて、いったいなにがあったっていうんですよ?のりかかった船っってほどの船にもならない私だけど、さしさわりがないなら、きかせてもらえませんか?」

隠居も女将のいいぶんに一理思うのだろう。しばらく口をつむっていたが

「そうですね・・」

と、文次郎親方と男の愁嘆場をうちあけることにした。

懐の銭・・・6
「事のおこりなんてのは、実にたあいのないもんでしかない。だけど、どういうんだろうねえ。性格が禍するというかなあ」

丁稚が茶をもってくると、隠居は煙管に煙草をつめはじめた。

たてとおしにしゃべってしまいたくないと隠居の指先が煙草をほぐしゆっくりと火打ちをはじめる。

白煙をすっぱり吸うとまあ、あんたも一服と茶を促す。

湯飲みの端に口をつけながら、隠居を伺うとわずか、ぼんやり遠くをみつめる目つきになる。それは、どういう風に話そうかをかんがえているようにもみえた。

「あんたが、いってたよねえ。殿中ご用達ってね。事のおこりはそれだよ。うちのご領主ってのは、まあ、質実剛健っていうんだろう。きらびやかに見栄えがいいものだけじゃなくてなあ、実用性ってのを慮られる。何軒かの棟梁をよんで、その腕を評するのでも、本当に良いものを私らの生活の中にねづかせてやりたいってのがご領主の本心だろうて。だから、まあ、例えば文箱ひとつでも、使い勝手のよいものがどういうことであるかってのを、私らにとくと示したいってとこなんだ」

領主の本心まででてくるかとおもいながら女将はだまって茶をすする。

「だからね、文次郎はお目見せの品を選ぶ時にきっちり狂いの無い品物を研鑽したわけだ。そこにね、あの男の文棚があったんだ。文次郎だって、それが、あの男の手のものだってわかっている。わかっているからこそ、文次郎はあの男の品に日の目をみせてやりたかったんだ。文次郎の胸のうちなんてのは、単純だ。ご領主が男の文棚をみて、あっぱれと一声かけてくれるだろうってなあ。そうしたら、これこれこうで、内の職人の仕事でございますって男の名前をあげてやるつもりだったんだ。だから、驚かせてやろうってのもあった。あっぱれの声がかけられるだけの品だともおもっていた。だから、男に内緒でその文棚をお目見せしたわけだよ。

ところがね・・」

煙管に煙草をつめようか、茶をすすろうかまよった手が卓の上にしんなりとおかれ、隠居は手をじっとみつめた。

「物事思うようにいかないってのは、こういうもんだ。ご領主は文次郎の思ったとおり文棚をたいそう気に入って、いくつか、城内におさめよとのお声がかかったんだけどねえ。どこの誰がつくったかということになってきたら、文次郎の話など上の空ってありさまでな。これもご領主にはご領主のわけがある。品こそがものをいう。ってことだなあ。誰がつくったかなどでなく、この品を手本として、ほかのあまたの職人が精魂こめて技を磨く。本来それがめどうであって、どこの誰がつくったというものでなく、良い品がどういうものかをしらしめていけば、私らの暮らしの中の調度もよいものになる。こういう考えなんだ。だから、品をもてはやすはあっても、どこの誰が造ったかってのは、むしろ、研鑽の仇になっちまうってお考えのようだったんだ」

読めた。と、いってよいだろう。

「それでも、庶民の口には、文次郎の品が殿中ご用達になったって・・」

「そういうことだ」

はあ、と女将の口から小さなためいきがでる。

「文次郎って男もおもってもみない結果になっちまって、これが、また文次郎のやつがこれこれこういうわけで、って、ことを男に話しゃいいんだが、いいわけがましいことをいえるか。ってね。黙ってお目見せの品にいれちまったんだ。こっから、すでにこそ泥みてえなもんだ。って、まあ、いさぎよかったんだがねえ・・。

ところが、男の耳に噂がはいってしまうわけだよ。当然、文次郎が男の品をわがものでございとご領主にさしだしちまったって、男がかんぐってもしかたがないことだろう。だけど、文次郎の奴は男を信じたかったんだ。

長い徒弟の世界にすんでるんだ。親方になにか訳があるんだろう。そういう風にかんがえてほしかったんだろう。そうじゃなくてもなあ、今までの恩をかんがえりゃあ、むしろ、文次郎がかたりをやったとしたって、それで、親方の面目がたったならってことじゃねえかい?自分の品がご領主の目にとまって、それで、親方の面子がたつ。親方の役にたててよかったと恩返しのひとつでしかねえんじゃねえか?」

隠居の言う通りだろう。

「だけど、あの人も文次郎親方のそういう性分をみるのもはじめてだったんだろうねえ。親とも思うからこそ、たばかれたってのがいっそう悲しい。文次郎親方も一言理由をいえばいいんだろうし、あの人ももうちょっと、甘えすぎてるってことにきがつくべきだったんだろう」

「そうさ、そのとおりだ。だけどね、こりゃあ、どっちが、良いの、悪いのって問題じゃねえと思うんだよ。お互いの性分の噛合わせがわるかったってことなんだ。そこのところをな、私も男に意見してみようかとはおもったんだけどな・・」

隠居の口がつむがれた。

親とも思うものに裏切られたって思いに男がおこってるんじゃない。

長い付き合いのはてにあっさり裏切られる自分でしかなかったことが傷をつくってしまってるんだ。

「つまらねえ自分・・そういう風にいってましたっけ・・」

「そうだ・・ろ」

心の傷ってのは、人目にゃあ判断がつくもんじゃない。だけど男が・・

大の男が自分の人生をうろっぽにしちまってもかまわなくなるってんだから、その傷ってのは、ちっとやそっとで、癒えるもんじゃないんだろう。

「だからね、本当の瀬戸際で、自分をとりもどすとこまでいってからじゃねえと、あの男の目ん玉はひっくりかえらねえと私はおもうんだ」

男がいま見ている世界は形骸の世界でしかない。

その目ん玉をひっくりかえせるのが、お里ちゃんなのかもしれない。

「わかりました。修造が動き出したらすぐにだんなさまにお知らせに上がりますから、そのときはどうぞ」

女将が隠居をおがむ手をしっかりとつつみこむと隠居は首をふった。

「おがむのは、私にじゃない。文次郎親方にだ・・よ。文次郎は本当にあの男をわが子のようにおもっているんだ・・」

ほろりと落ちてくるものを手の甲でぬぐいとると、女将が小さく笑った。

「こんなことで泣いてる場合じゃないですよねえ。本当の涙は文次郎親方とあの人が心の堰をとっぱらえたときだあ」

うんうんとうなづきながら、隠居が女将によろしく頼むともう一度頭をさげた。

懐の銭・・7
女将が大橋屋からかえってきてから、その心境は複雑なものになっていた。

確かに修造においつめられて、煮え湯をのまされれば、男の目がさめるだろう。

だけど、その己の馬鹿さかげんにどんなにうちのめされるか。

今の女将はその機会がめぐってくるほうがよいと考えている・・だろうか?

できれば、そんなみじめな思いをくぐりぬけずに、賭場通いをやめてくれればよい。

そんな風に考えていた女将だったが、その考え自体すでに甘い了見でしかなかったとしらされることになる。

賭場通いをやめたら、それで、すむなんてものじゃない。

人の暮らしをつぶしてでも、甘い汁をすするのは、女将だって同じだと自分せめさいなんだように、修造だって、覚悟の上で人を落としこんでたっきの道にしている。

女将はいくばくか、自分を責めてみたが、修造はそんなあまっちょろい罪悪感なんてものをにぎりつぶさなきゃ、組内がなりたたないって、とっくの昔に悪党になりさがっている。

あまっちょろい情なんかにながされるようじゃ、組をはっていけるわけもないのだから、任侠としてはりっぱな心構えでしかない。

人の生血を吸うだによりたちの悪い修造が悪いんじゃない。

だにの巣に手をつっこむ奴がばかなんだ。

それでも、まだ、女将の目算は甘かったといえよう。

修造が男に声をかけたときから、すでに男の皮膚の中にまでがっちりとくいこむ

口角がたてられていた。

だにがいかにだにでしかない証を女将自らがしらされることになったのは、

大橋屋からかえってきて、胸に石ころがつまったような妙な居心地の悪い思いをいだいたまま、男の顛末を待つがいいのだろうが、それでも、もう一度意見をしてみようか、やきもきした気分で男をみつめつづけ、十日ほどたった時だった。

まっさおな顔のまま、男が独りでのみにきた。

男に関らない方が良いとばかりに、与太者がついてこなかったのは、なぜか、すぐにわかることになる。

のれんをあけて、修造の若い衆がやってくると、店をぐるりとみわたし、男の傍らによってきた。

「親分がな、よくわかってねえようだから、もういちど、念をおしておけっていいなさるから、わざわざ、でむいてきてやったんだ」

男が若い衆の顔をちらりとみた。

「なあ、なんどいったっって、もう親分もあいそがつきてんだよ。いいかい、おまえがけえしたっていってる金は利子ってやつでしかねえんだ。それもな、まともに利子さえもはらいきってねえんだよ。それを親分はなんにもいわず、黙ってたりねえなと思えば賭場銭をようだててやってたじゃねえかよ。なのに、おまえときたら、まともに利子さえかえそうとしねえ。親分だって、徒弟をかかえて銭がいるんだよ。だからな、みかねた俺がおまえに意見したわけじゃねえか。ところがなんだ?おまえの言い草がふるってるよなあ。かりた金はけえしたじゃねえか?だとお?

ええ?どこの世界に人様から物をかりて、「けえしただろう?」そんな科白があるもんか?

え?みっつの子供だってな、ありがとうっていうもんさ。そしてなあ、ちょいと、礼ってもんをするだろうが?

おまえはその礼さえまともに返さず、借りたものをかえしてないってことにきがつかねえっていうそのあつかましい根性になあ、親分もさすがに堪忍袋の緒がきれちまったんだよ。

まあ、おまえの口からでたさびでしかねえんだけどなあ、そのさびをふきつかれるものの気持ちになってみろってんだよ」

親子ほど年の違う若い衆におまえよばわりされながらも、男の顔は平静を繕ってみせていた。

「で、その借りた、貸したっていう証文ひとつない・・」

「やかましいっや!!」

男を一喝すると、若い衆は女将をねめつけた。

「なあ、女将。あんたも商をやってりゃあ、付けってものがあるよなあ?

その付けにな、借りました貸しましたって証文をかくのかよ?」

男のためにうかつな返事はできないと返答に窮しながら、女将の胸の中では

若い衆はわざわざ、男が店にはいったのを追いかけてきたのだと思った。

証文がどうのこうのといわれたら、切り返しやすい一番の理由がある場所に男がはいりこむのをみとどけてから、暖簾をくぐったに違いない。

だから、どういうふうに答えても若い衆のおもうつぼにはいりこんでしまってるんだ。

だけど、とにかく、この場をなんとかして、大橋屋の隠居につたえにいかなきゃいけない。

男がへたにさからって、腕をへしおられるようないざこざになっちまってもいけない。

女将はこの場をとにかく、丸くおさめ、若い衆を帰らすにうってつけの言葉を考えていた。
懐の銭・・8
「そりゃあ、確かに付けってものに、いちいち、証文をかいてもらうわけにはいきませんけどね。取立てをするには、順序ってのものがあって、まず、いくらのつけがございます、って、おしらせして、いついつまでにはらってくださいって、きちんと話をもっていく・・」

女将の話ぶりが男を庇うとみてとると、修造の若い衆は、やおら、袖をまくってみせた。

二の腕に、波模様の刺青があるというのは、背中に背負うは昇竜か昇り鯉というところだろう。もちろん、若い衆が刺青をみせびらかすために二の腕をまくってみせたわけじゃない。女将の口を封じさせようとの脅しでしかない。

有無をいわせぬ脅しにはいはいとへいつくばってしまっては、男を窮地からすくいだせない。

「おや、この柄は昇竜かい?」

と、女将はすっとぼけてみせた。女将のいちかばちかの捨て身の策でしかない。刺青ひとつに顔色をかえず、さらりと、背中のものを言い当てる。若い衆はいくばくか考え込む。女手ひとつで、小商いを張る。これだけでも充分考えられることだが、女将の後ろにそれ相当の者が居ると思えなくも無い。そして、はたして、女将は顔色をかえず、いかにも、刺青を見慣れているような科白を吐く。

若い衆がちょんのま、たじろいだところに女将は畳み込んだ。

「まずは順序ってものがあろう。返さないといってるわけじゃないんだ。いついつまでにこれこれこういう金額をかえしてもらえないか。そういう風に話を持っていくのが筋だろう?」

若い衆は黙り込む。女将のうしろが気になる。てめえひとり、女将をたたきのめすのは、簡単なことだが、これが、ほかのしまの長の情婦でございとなれば、喧騒は組に広がる。

女将がどこかの親分の色だなんて話は聞いてはいない。だが、いちいち、それを口に出すもんでもないのも、定法だ。ひょっとすると、ひょっとする・・。おまけにぬけぬけとこっちに説教をたれやがるとなれば、それ相当に力があるものがうしろだてなのかもしれない・・。様子をさぐりさぐり、若い衆は言葉を返した。

「だけどなあ、女将。こいつは払ったといいぬけやがるんだ」

「そりゃあ、嘘じゃないだろう。その人にすりゃあ、払った。あんたたちはそれじゃあ、全然足りない。そういってるんだろう?そりゃあ、さっきいったように、話の順序がなりたってないから、そういう食い違いができるんじゃないか」

ああいえば、こういうかと、若い衆は女将をみすえていたが、

「じゃあ、なにかい?女将、あんたが、代わりにはらってくれるっていうのかい?」

払わないといえば、関係ないものが口をはさむことじゃなかろうと言い返す。払うといえば、まちがいなく、うしろになにものかいるってことになる。さぐりをいれる言葉を女将がいともたやすく、跳ね返した。

「どういう考えでそういう口になるのかしらないけどね。あたしが言ってるのは、まずは、金がさと、いつまではらうのかをその人につたえるだけがあんたの役目じゃないか?っていってるんだよ」

「なるほどね・・」

尻尾をつかませないだけの知恵と妙な度胸がある女将のうしろの存在がありていにみえてきたきがして、若い衆は女将に逆らうことはやめにした。かわりに男にむきをかえると、

「けえす金は30両。そうだなあ、三日まってやっらあ」

捨て台詞にすると、若い衆は背をむけて店からでていった。

若い衆が暖簾のむこうに消え去ると、途端に女将の足元がわななくように震え、がくりとその場にひざをついた。

だが、とにかく、この場を乗り切ったと思う。のりきれたのも、大橋屋の隠居がなんとでもしてやると女将におしえてくれていたおかげだと思う。それがなかったら、あそこまでの啖呵をきることなぞ出来なかったと思う。

「女将・・・すまなかったな」

女将を覗き込んで男がしょぼしょぼとわびをいう。

「あんたにまで、迷惑をかけちまって・・」

「侘びをいってる場合じゃないよ。あんた、三日後に30両なんて金が手にはいるあてがあるのかい?」

男は妙にさばさばと、笑った。

「ねえよ。あるわけがない」

だのに、なぜ、この人はこんなにも泰然としているんだろう。

「ないって、あんた、じゃあ・・」

女将の胸の中に黒い不安が大きく湧き出していた。

「まあ、なんとかなるさ」

なんとかなる?なんとかなるのは、借金を返せない自分がなんとかなるだけだろう。

「あんた、まさか、馬鹿な了見をもってるんじゃないんだろうね?あんたが、おっちんでしまったって、借金は残るんだよ。修造があんたの命と引きかえに借金をちゃらにするとでもおもっているんじゃなかろうね?いいかい?修造はあんたが死んだって、おかまいなしさ。借金のかたにって、お里ちゃんを女郎屋に売っぱらっちまうんだよ・・あんた、死ぬなんて気になっちゃいけないよ。生きてりゃ、なんとでもなるんだから・・」

「お里が・・?」

「そうだよ。そうなっちまうんだよ・・」

「まさか・・」

「まさかって?あんた、30両の金を修造がふいにするわけがないじゃないか」

「あ・・・」

この期に及んでわが身だけで始末がつかないと知った男はその場に力なく崩れ落ちた。

「しっかりしておくれよ。いいかい、これから、あたしがあんたを助けてくれる人の所に連れて行ってあげる。だから・・」

「俺を助けてくれる?」

「そうだよ。文次郎親方がね、まさかの時にあんたを助けてやってくれって大橋屋のご隠居にことずけていたんだよ」

「親方が?」

「そうだよ」

「親方が・・・?」

「そうだよ・・」

「ふっ・・俺にうしろめたいからってかあ?で、俺を窮地においこんで、仕事もできなくさせておいて、困ったあげくたすけてやるってかあ?そんな・・助けなんかいら・・ねえよ・・」

女将は大きく息をすいこむと、男のよこっつらを思い切りはりたおした。
懐の銭・・9
女の平手打ちなど、たいしたものでもないのだろう。だが、男はほほをさすりあげると、ひどく、悲しげな目つきで女将をみつめかえしていた。

「俺は・・」

なにかいいかけたが、男は黙った。

「事情はきいたよ。文次郎親方がよかれと思ってしたことが、かえって仇になっちまったってね。でも、あたしは、あんたが、文次郎親方をどういうふうに誤解してるかを懇切丁寧にはなそうなんて、おもっちゃいないよ。ただね、あんたの生き方、あんたの弱さにむしょうに腹がたつんだ。いいかい、自分の娘が身売りされるかどうかって瀬戸際なんだよ。あんたの意固地をとおしている場合じゃないだろう?親ならね、文次郎親方に頭をさげてわびをいれて、金を算段してもらえないかって、いうのが本当じゃないか?

そういう親らしくない心立てが、あんたの弱さだ。

文次郎親方に子飼いの時からしこんでもらって、今のあんたがいるんじゃないか。あんたのたっきがたつのは、親方あってのものだねだろう?だったら、文次郎親方は、あんたにとって、親さまみたいなもんじゃないか。その親の気持ちを信じられないってのはね、逆をいえば、あんたが、ありがたい親になってないからさ。子供のためにしたくない辛抱、するが辛抱だろう?それをやれないから、文次郎親方の気持ちを量れないんだよ」

男はうなだれて女将の言葉をきいていたが、やっと、顔をあげた。

「だけどなあ・・。とびだしちまった俺も悪いが仕事をまわさない・なんて、姑息なことを・・」

「そうだろうかねえ?あんたの仕事をご領主にお目みせしたいって、良いものはよいものとして、きちんとわかってるのが、文次郎親方だよ。いろんな筋目がきちんとしている人だからこそ、まわりの人間は文次郎親方の方に分があるってみたんじゃないかい?恩ある親方のところをかってにとびだしてしまうような人間にね、仕事を頼みたいっておもうものだろうかねえ?」

「・・・・」

「じっさい、仕事が来ないってのをね、文次郎親方がなにか指図していたって証拠でもあるのかい?こういっちゃあ、なんだけど、あんたの当て推量、人のせい根性でしかないんじゃないのかい?あんたの品が殿中ご用達になったそうだけど、ご領主は誰がつくったか、問わなかったそうだよ。だけどね、あんた、今、とわれてごらんよ。ふてくされて、親方の所をとびだして、博打三昧のあげく、娘がうられちまうかもしれないっていうのに、頭をさげるより、己の意固地が大事な、ひとでなしの親が造ったものでございますっていわれてごらんよ。元が悪いってね、そんないわくのある人間がつくったのかい?って即刻にお払い箱になるんじゃないのかい?」

女将の言い分に男はぐうの根ひとつかえすことができなかった。

「かんがえてごらんよ。文次郎親方だって、どれだけの職人をかかえてるんだい?あんたが造った造らないのなんて問題よりね、殿中ご用達になりゃあ、ほかの職人の口がうるおうだろう?それをかんがえりゃあ、あんた、文次郎親方にりっぱな恩返しができてるんじゃないか。なんでそこにきがつかないんだよ?なんで、そういう思いになれないんだよ?なんで、わが娘を窮地にたたせてしまうんだよ?

あんた、平気じゃないか。

親とも思う人間に恩返しもできなけりゃ、わが子を奈落につきおとすも平気。

その根性だから修造につけいれられたんじゃないんだ。憐れな類が友を呼ぶってやつでしかない。同じ穴のむじななんだよ。姑息にひとのせいにして、自分の根性の曲がってるのをへともおもいもしない。

だから、仕事が来ないんだよ。自分の腕にうぬぼれるのもいいかげんにおしよ。

文次郎親方の弟子だから日の目をみてたんだよ。それを自分の腕だとおもいこんでるから、とんでもない了見をおこして、親方をさかうらみするんだよ」

男の体がかちりと固まり身じろぎひとつなかった。

「お・・俺は・・・」

「そうだよ。とんでもないろくでなしだよ。それでも、文次郎親方はあんたのことを気にして大橋屋の隠居に金の工面をたのんでるんだよ。あんたの曲がった根性をたたきなおすに親方だってじっと見てるのはつらかったに決まってるんだ。だけどね・・あんた、この期におよんでも、まだ、親方への勝手なうらみつらみをかさにきて、自分の人生をなげうってしまおうってする。あんただけが、おちんですむならそれも好きにやりゃあいいかもしれないよ。

でも、あんた、お里ちゃんが女郎屋にうっぱわれちまって、人でなしより底のものになりさがっていきていられないだろう?

あんたの窮地を一番きにかけてたのは、ほかでもない文次郎親方なんだ」

「お・・」

「そうだよ・・。だから、まず、文次郎親方にしっかり侘びをいれて、親方もいいわけがましいことをいわない人だから、あんたが誤解してしまうのも無理がないってよくわかってるんだ。文次郎親方はあんたがもどってきてくれるのをまってるんだよ」

男はぐううと目を閉じた。閉じたまなじりの端から滂沱のしずくがおちてきていた。

「お・・おれは・・ばか・・だ・・」

女将は胸の中でこくりとうなずいた。

『どんな馬鹿でも親はみはなしゃしないんだ・・』

「あんたがあんたをみはなしたって、文次郎親方はあんたをみはなしゃしないよ」

「う・・」

あふれくる涙を二の腕あたりでぬぐうと、かすれた声ながら女将につげた。

「ありがとうよ。俺はやっとめがさめたよ。親方にまず、侘びをいれてくるよ」

男の声に生気がもどりはじめている。

その声でこれで、男が立ち直ると確信でき、女将の胸の奥にほわりとした安堵がよみがえってきた。

懐の銭・・10
お多福をあとにした男の足はまっすぐに文次郎親方の元へとむかい、寸刻のちに、文次郎親方の前で、ひざをつき、土間に頭をこすりつけんばかりの男をとめたのが他ならぬ文次郎親方だった。

「よせやい・・謝らなきゃいけねえのは、俺のほうだ・・それは、なしにしてくれ」

思い越せば子飼いの倣いから男と親方の付き合いは三十年をこす。

すりつけた頭を上げて親方をみつめれば、親方の目の端が赤くうるんでみえる。

「殿中ご用達の品はな、おまえじゃなけりゃつくれねえんだ。きっと、けえってきて必ずつくってくれるとおもってな・・おりゃあ、ずうううと、さしとめていたんだぜ」

まちがいなく男を一人前の職人として認めているとその言葉でわかると、男の目からも、にじむものがほほをつたいはじめていた。

けれど・・。

「親方・・勝手にとびだしちまって、迷惑をかけて、それをこうやって、なにもいわず堪忍してもらってるのに、なのに、俺はここにかえってくるわけには・・」

男が金さんだんがつかずに、迷惑をかけてはいけないとたちさろうとしていると察すると文次郎は、またも男を制した。

「ああ、ああ。皆まで言うな。おまえにやけをおこさせたのはもとはといえば、俺のせいだ。そうでなくても、徒弟がなあ、困ってるっていうのに、俺には、工面してやる甲斐性もねえ。だからな・・ちょいと、つてをあたってな・・」

「とんでもねえ・・。俺はそんなつもりで・・きたんじゃねえんだ。俺がやったことでかえって親方に迷惑をかけちまって・・」

文次郎がちがうと首をふるのが男の目にうつりこんでいた。

「本来ならばな、のれんわけしてやりてえと俺はおもってたんだ。なのに、食うのがやっとの給金しかわたしてやれてない。それをかんがえりゃあ、お前が困ってるのに俺がどうにしもしてやれねえのを、俺はすまなく思ってる・・」

「親方ああ」

無性に馬鹿だと思った。女将がいうように、親方の本音ひとつわからず、わが身かわいいでやけをおこし、人の情もみえない盲になっていたうつけでしかなかったと男は思った。

「それになあ、文棚がお前をまってるんだよ。殿中におおさめしようってのに、おまえがいなきゃあもっと、俺がこまるんだ。俺を助けるとおもってなあ、戻ってきてくれないかい?」

男はうなだれるしかなかった。

「だけど・・俺は修造のとこに借金をこさえてしまって、そのとばっちりをかんがえたら、やっぱり・・」

「だから、それは俺が大橋屋の隠居に話をつけてあるんだ・・」

なにからなにまでてまわしよく男の身のたつように動き回ってくれた親方への感謝で男の声が涙にのまれそうになった。だが、それははっきりつげなきゃいけないことだった・・。

「親方ぁ・・こんな俺になにからなにまで采配してくれて、俺はどんだけ、礼をいってもたりつくせないんだけどな・・だけどな・その親方の気持ちに甘えられるような金がさじゃねえんだ・・」

三両あれば一家が一年以上くえる。盗人も三両ぬすめば首がとぶ。

「俺には返すあてもないし、親方の給金をどうこういうんじゃないんだ。俺がこの先一生かけても返せる額じゃないんだ」

「だからな、それは俺がもれんわけの資金がわりにだしてやれねえかわりに大橋屋にさんだんしてもらって、俺がけえすから・・」

ううん、ううんと男は首をふるしかなかった。

「無理なんだよ・・そんな額じゃ・・」

男が額面もいわず無理無理といったって、文次郎だって納得できるわけがない。

「なんだよ?そんな額じゃねえって、いってぇ?」

わななく指先が3本ひらかれ、文次郎の目の前でふるえていた。

「三・・?三十両か・・?」

しばし文次郎も絶句したままだったが、やっと音がもれた。

「ふっかけやがって・・」

多くても十両・・すくなくて五両。文次郎はそうみつもっていたのだ。

だが、文次郎の顔から笑みがこぼれていた。

「大橋屋なら、なんとかかきあつめられるだろう。それになあ、ご隠居も娘が身売りされるのをくいとめられなかったとなりゃあ、この先寝覚めがわるくてしかたがなくなる。自分のこの先の安泰の為にいやでもかき集めてくれる」

「親方ぁ・・俺が・・馬鹿だったから・・俺が・・」

悔やんでも悔やみきれない迷惑がほんのちょっとの心がけの間違いでしかなかったと気がつけばいっそう男の胸がいたむ。

「おまえはとにかく、借金をきれいにして、文棚をつくって俺をたすけてくれ。俺は俺をたすけるためにお前を助ける。おまえのためでなく俺のためでしかねえんだ。

だからな・・」

自分をせめずにおけと文次郎はいいたいのだ。

「さあ、善は急げっていうだろう。これから大橋屋にいって、算段してもらおうじゃないか。それをもって、修造との縁をきって、文棚をこさえて、俺をたすけてくれ」

「は・・い」

答える声にまだ涙がこもったが男に活路がみえたのだろう、文次郎の前にへたりこんだときより随分と顔色がさえてみえた。

良かったと胸をなでおろすと、文次郎は男を促した。

「さあ、白銀町まで、いそごうぜ」

懐の銭・・11
その白銀町の大橋屋の隠居は、こけつまろびつ、大急ぎで店をしめてやってきたお多福の女将からの委細事情をきいていた。

「文次郎親方の所にわびにいくっていって、まあ、それが、順序だろうって・・順序って言えば、修造の若い衆にもそういって追い返す事ができたんですよ・・そりゃあ、ご隠居が金をだしてくれるって判っていたから、あたしも・・こう・・なにくそってね・・やおら、腕をまくられたときにゃあ、本当は足ががくがくふるえていたんだけど・・」

まだ、興奮さめやらずで、順序、順序といいながらとうの女将の話の筋道はたっていなかった。

年恰好はせいぜい三十絡みにしかみえない女将にとっては、こんな愁嘆場をくぐりぬけたことなど初めてのことであったろう。無理もないことだと女将の口から興奮が飛び出すのを聞き流していたが、肝心なことをきかねばならない。

「で、借金というのは、いくらなんだい」

隠居の尋ねに本来の用件はそこであったはずである。と、己が取り乱していたことにきがつくと女将はおずおずと隠居の前で指をひらいてみたり、とじてみたりする。

どうやら、はっきりしめすに大金すぎて、指が宙にまうようである。

「気にしなくて良いからおしえてくれなきゃ困る。多少は用意しているが、それより多いのならとりまとめにいってこなきゃならないんだ。三日後までにかえさなきゃ、どんななんくせをつけてくるかわからないんだからね。できりゃあ、文次郎のことだ、直に男をつれて、やってくるだろうから、そのときに一文欠かさずわたしてやりたいんだ。文次郎の顔をたててやりたいし、これ以上男のことで、気をもませてやりたくねえしなあ」

「それが・・」

やはり口ごもる女将になる。

「女将考え違いをしてもらっちゃあ困る。金が入り用な本人が言い出しにくいってのは、わかるだろう?いいだしにくいのをいわせないためにも、女将先にきいておきたいってのもあるんだ。それにうっかり、本人に金がさをきいて、私が顔色でもかえてみろ、余計に気にやむだろう?」

隠居の押しの科白に臍がかたまったか、指を3本立てると女将は一気につげた。

「三・・って、ね、ただの三じゃなくて・・」

「三十両か・・」

さすがの隠居もはなじろんだ。

吃驚をつくろおうとするあまりに表情がこわばってしまっている。

隠居がいった、当の本人が気に病むということが、これだったかと得心してみつめていた女将がおそるおそる隠居に尋ねた。

「無理・・?なんですか?」

ぐうと喉の奥をならして、唾をのみこむみながら、隠居は首をふった。

「あるには・・ある・・が、・・」

仔細があるらしく、少し考えていたようだったが

「人の命にゃあ、かえられない」

と、仔細を後にまわすようであった。
懐の銭・・12
よろしくお願いしますと頭をさげるお多福の女将を送り出すと、大橋屋は座敷の天袋の扉をあけた。
じきに、男と文次郎が雁首そろえてやってくる。
三十両の金をびた一文かかさず、そろえてわたして、男の借金をきれいにしてやるのが先だろう。
材木のかいつけのために、よけてきた金が天袋の奥にそれ相当にたまっているはずである。身上を息子に譲ってしまった今、店の金を流用するのは盗人に等しい。
息子には委細をはなしているし、ひとつ返事で応諾はしてくれている。
おとっつあんの力でここまで店がおおきくなったんだ。おとっつあんの金だ」
返ってくるあてがないとつけくわえたが、老い先を案じるか、悔いのないようにつかえばよいと息子は笑った。
悔いがのこっちゃあ、成仏できねえかと、笑い返しながら、老い先の短さに感謝するしかないかと苦笑をかみころしたその金だ。
かいつけの金・・。
何人かの職人の口を、職人の家族を、うるおしていく大事な金である。
拝む手つきで金を引きずり出し、かぞえあげれば、1両あまして、金はある。
よくぞ、きっちりとよけこんだものだと息子の商才をほめながら、目頭ににじむものがある。
どれほど、苦労したか・・。
その金を年寄りのわがままにおしげなくさしだしてくれる。
あまった1両を握った手に不覚・・老爺の涙がおちた。
1両を呼び銭と、天袋に納めなおして大橋屋は二人の男を待つことにした。

懐の銭・・13
関から頭をすりつけるかのように、かがみこんで、はいってきた文次郎と男は大橋屋の前で、さらに、べたりと頭を畳にすりつけんばかりである。
男の胸中をおもんばかって、大橋屋・隠居は制した。
「親方。私と親方の間でそれはない」
文次郎をも、土下座まがいに頭をすりつけさすさまは、男の胸にも痛かろう。
文次郎も隠居の心根を察っすると、男にちいさくめくばせをした。
いっそう、男は小さくちじこもり、親方を見つめた瞳を畳の目をかぞえんばかりに低頭した。
「まあ、それはよしにしましょうや」
男にいいなおすと隠居はこほんと小さく咳払いをした。
「お顔をあげなすって・・。まあ、私の話をきいてやってください」
柔和な笑顔を男にむけて、男の顔が上がるのを待つと隠居はしゃべりはじめた。
「私がね・・お金を用立ててさしあげようときめたのは、文次郎親方の思いをくんでばかりじゃないってことをちょっと、きいておいてもらいたいとおもってねえ」
さらに隠居は話の間合いを整えるかのように小さくしわぶいた。
「お多福の女将がね・・。あんたのことを随分心配していたんだよ」
男はえっともれそうになる、いぶかしげな声をおしとどめた。
「ああ。そうだよ。あなたはおぼえてないかもしれないが、一度、お多福で私とあってるんだよ。その時に女将から話をきいたんだがね・・。
あなたのことを随分きにかけていた。
こりゃあね、ここでね、私があなたのためにぜがひでも、お金をようだてないとねえ・・」
隠居は唇の端に笑みをうかべていた。
「女将まで不幸にしちまうなってね・・・。
女将にまで、うらまれちゃあ、私が死んだときにゃあ、亡者の地獄におとされちまうでしょう?私もそんなめにあいたくない・・。
ここは、ひとつ、私を助けると思って・・」
この金をつかってくださいと隠居は袱紗に包んだ金を男の前にずいっと押しやった。
男の脳裏に女将の言っていた言葉がよみがえってきていた。
「助けてくれる人をしってるんだよ」
そして、その助けてくれる人は目の前の隠居にほかならず
親方の差配によって、お多福まで男の様子を見にいったということであろう。
それにしても・・。
女将があの時、男の頬をたたいてくれなかったら、男がころがるままをきにもとめなかったら、今頃どうなっていただろう。
ここまで、人の情にささえられ、男は人生を掴みなおせる機会をあたえられたのだ。
「ご隠居さま。親方・・そして、女将・・俺は・・」
ありがてえ・・なんて、ありがてえんだ・・。
その言葉が喉の奥でかすれ、むせび泣きにかわった。
懐の銭・・14
泣いてる男の機嫌取りをするわけじゃないが、

本来の目的をはたしきってから泣いてくれと隠居は男をおいたてはじめた。

「さあさあ、その金を修造のやつにたたきつけ・・・

おっと、また、なんくせをつけられちゃあいけないから、まあ、そこはこらえて、

しっかり、証文をかかせて、きっちりかえしましたって、ぐうの音もでないようにしときなさいよ。

なにせ、あいつは、町方役人とつうじてるんだからね。

三日といったのでも、どんな、なんくせつけて、町方役人をひっぱりだしてくるかわかりゃしない。

とにかく、急いで、一刻でもはやくけえして、変な考えをもたせちゃいけない」

隠居の不安は、修造がいかに姑息かわかってるからだ・・。

ちょっと、首をひねったのは、姑息に隙をつかれないようのという考えがわいてきたせいだ。

「ご隠居のおっしゃるとおりだ。さあ、一時もはやく・・」

と、文次郎がせきたて始めると、隠居はあわてて立ち上がった。

立ち上がると、まっすぐ、天袋に歩み寄り、呼び銭とおいた1両をつかみだした。

「いや、なんだ、あいつのことだからって、考えてみたんだよ。

あいつのことだから、あなたが銭を払えるとわかりゃあ、もっと、すいとってやろうって思うにきまってるんだ。

そしたらね、間違いなく、その30両は昨日までのぶんだとか、なんとかいいだして、今日の利子ってものをきちんとはらってくれってね。

法外なことをいいたてるだろう。

だから、あなたは、この1両をね、今日の利子だって、つり銭はいらねえぜって、啖呵きってね、証文書かせるまで、銭は渡せないって・・よくよく、ひいちゃあ、いけませんよ」

うんうんとうなづく男の横で文次郎親方はふんふんと感心の声を上げている。

「なるほど、さすがにご隠居だ」

「だてに年の甲をかさねちゃいないって?たしかに私は年寄りでございますよ」

おかしないいように、ふと笑いがこぼれた男に隠居はすかさず、いいわたした。

「さあ、いい顔になんなすった。その顔で、いきゃあ、足元すくわれることはありませんよ」

そ・・そこまで・・。

男の心にまで配慮する隠居に男は言われたとおり、大急ぎで金を返しにいくことにした。

「親方・

ご隠居さま・・

きちり、使わせていただきます」

ぺこりと頭を下げると押し出された1両にまたも深々と頭を下げたと見えたやいなや

「おい、おい、おい・・」

の親方の声も置き去りになってしまった。

「やれやれ・・ついていってやろうかとおもったのに・・」

いささか不安げな文次郎の声に隠居は

「大丈夫ですよ。払わないっていってるんじゃない。耳をそろえてはらってやるんだ。

今回はそれですますとするでしょう。

問題はあとですね・・。

又、賭場に誘いにくるでしょう。

もちろん、断るにきまってるが、小うるさい蝿のように・・しばらくはまといつかれる・・」

ふむと腕をくみなおすと文次郎もしかたがないとおもったか。

「まあ、それくらいのばちがあたってもしかたがないってとこですかな」

うんうんとうなづきながら隠居は文次郎にちょいちょいとてまねきをすると

口元に猪口をあてがう仕草。

「昼間からですかい?」

「なに、もう、日がかげってきたさ・・」

少し迷ったふりをして、文次郎も

「ああ、うすぐらくなってきちまったかな」

と、夕刻に近いことにして、隠居の申し出の通り、一献くみかわすことにきめた。

懐の銭・・15
矢来の雨がふってきそうだと空をあおいで、懐の銭をぐっと押さえて確かめる。

急ごうと走り出しながら、男の胸に大きな安堵がうかんでくる。

これで、お里も安心だ。

女将にいわれたように、男は死んでしまおうと思っていた。

そうすりゃあ、なにもかも、かたがつく。

その考えが甘いものだなんて思いもしないほど、なにもかもに嫌気がさしていた。

逃げ出してしまえる理由がほしかったんだと思う。


だが、親方への誤解が解けた今、男にはやっていかなきゃならない事がいっぱいできた。

文棚をこしらえる。

それから、大橋屋のご隠居にすこしずつでも、金をかえしていく。

それから・・お里・・。

嫁入りしたくなんかしてやれそうもないが、お里は手のいい針子だって、大店からあつらえものがくるようになってきてる。

まあ、それで、ちょいと、小銭をためれりゃあ、恩の字だ。

とにかくは、修造との縁をきっちまうのが先だ。

懐の銭をもう一度ぐうとおさえなおして、男は道を急いだ。

もちつけない銭をもつと、暗鬼が生じる。

男は町並を抜ける道よりも大池の淵の小道、

人っ気のない道をえらんだ。

こっちなら誰もとおりゃしない。

薄暗くなってきた空をあおいで、男はもう一度、懐の銭をおさえなおした。

懐の銭・・16
懐の銭をおしながら、余計にわたしてくれた心使いの1両の所在も確かめる。

落としちまっちゃいけねえと、足元に気をくばりながら

男の足はせく。

しかし・・。

女将がなあ・・。

文次郎親方なら、いざしらず・・。

女将がなあ・・・。

人の世がいかに情でささえられてるか。

女将にもあんしんしてもらえるような生き方をしなきゃいけない。

品や物や金で礼をすることができない男はいっそう、生き様でかえすしかないと思う。

それにしても、この1両・・。

隠居さまはよくよくの苦労人・・まてよ?

渡された30両と1両。もう一度ぐうと押してみて男は考えた。

「俺は金かさの話をしたおぼえがない。親方だって、なんにもいってない・・」

はあと男はおもいあたる。

親方のほかに30両という金かさをしってるのは、女将しかいない。

女将が金かさを隠居につたえ、ご隠居は黙って金を用意して・・。

それはない・・と親方の低頭をとめてくれたのも、

ありゃあ、親方のためばかりじゃない。

俺のためにとめて・・・。

「いくらだい?」って、聞かれたら親方だっていいにくい。

俺だって、親方がたのんであるといっていたって、

そんな金かさを口にだすのも・・・。

それを慮ってか?

なんてことないって、平気な顔して30両俺の前におしだしたのも、

この1両だってそうだ・・。

奥の奥。先の先までかんがえてのことだ。

女将に金かさをきいて、黙って・・・。

また男の胸の奥から熱いものがこみあげ目頭めざしてかけあがってきた。

「泣いてる場合じゃねえ・・」

二の腕で目頭をこすりあげると、男のほほに雨が一粒かすかにあたった。

「へ。空までもらい泣きしやがるかよ」

男はしばし立ち止まって空をみあげた。

まだ、矢来の雨にはなるまいが急いだほうがいい。

よしと走り出した男の目に大池がみえてきた。

此処を過ぎれば道はゆるやかな下り坂になってくる。

もう一息だと峠をこえたとき、

大池のそばにたたずむ人影にきがついた。

だが、先を急ぐ身。

かまっちゃいられないとも、

疑心暗鬼とも。

男は横目で男の動きを見ながらその傍らをとおりすぎようとした。

おいはぎや、こそどろだったら、しっかりふりきらなきゃいけない。

男が金なぞもっていなさそうな風体であるなぞということさえ、

そんな奴にこそどろなぞしかけるわけもないと

暗鬼をふりはらうよりも、その場を、はやく通り過ぎたかった。

懐の銭・・17
大池の男を眼の端にとめながら、男は小道を登りきった。

だが・・・・。

池の端の男は男をおいかけてもこなかった。

男の姿にさえきがついていないようだった。

待てよ・・・。

男は目の端に移った池の男の姿をおもいかえしていた。

待てよ・・・。待てよ・・・。あの恰好は・・・。

どこかの番頭か、手代か?

男は不思議だと思った。

こんな時刻に奉公人が池の端でじっとしている。

店に帰らなきゃおかしいだろう?

そんな自由がゆるされるはずもない。

勝手気ままに息抜きをするにしたって・・・こんなところで・・。

それとも、逢引かい?

女を待ってるって、態か?

男はほんのすこし、ふりかえって、大池の男をみた。

なんとはなしに、妙なきがしただけだ。

やけにものさびしそうなのは、女がなかなかこないせいかもしれない。

人の恋路を邪魔する無粋はやめておくことだ。

そんなことよりも、俺ははやく・・・。

男が再び、はしりだそうとしたときだった。

わずかに男の目の端に大池の男が映っていた。

道を三、四歩くだりはじめて、男の足がとまった。

ー今・・あの男・・袂に石をひろいいれなかったか?ー

男もついさっきまで、死んじまうしかないと思ってた。

それが、あれよあれよのうちに・・・

この懐だ。

人間万事が塞翁が馬。死んで花実がさくものか。

風の吹き具合でどう転ぶかわからないのが、人生ってもんだ。

俺はとくと、それがわかった。

わかったから、いっそう、逸って死ぬは馬鹿だと思う。

男は足をかえると、大池にむかっておりていった。

たんなる見間違いなのかもしれない。

うっそうとした木立の暗さが嫌なうつつをみせただけかもしれない。

存外ちかよっていけば、男の顔は明るいもので

俺のはやとちりで、逢引の邪魔をするとんだまぬけになるだけかもしれない。

それならばそれでいい。笑い話でおわるだけだ。

だが、池にちかずくにつれ、

男の目の中で池の男は確かに袂に石をひろいいれていた。

近寄る人影にきがつかないほど、なにかをおもいつめている。

池の男はなんまいだぶと手をあわせ、

足駄をそろえて、ぬぎだした。

そろえて、脱いだ足駄をもう一度そろえなおすと再び胸の前で手をあわせた。

「待て、待て。待ちやがれ」

男は叫び挙げると同時に池の男にとびかかっていた。

懐の銭・・18
いきなり何者かにとびかかられ、驚いたのは池の男のほうだろう。

まっさおに青ざめた顔がいっそうひきつっていた。

「な・・なにをするのですか」

40がらみの男がくみついたまま、池の男をおさえつけようともがいていた。

「な・・・なにをするってのは、こっちの科白でぇ!!」

男に怒鳴り挙げられ池の男は顔をふせた。

自分が死のうとしていたことを思い出したというところだろう。

「え?てめえ、死のうってしてやがったろ?おっちんじまおうっておもっただろう?」

目的を思い出した池の男は静かな声で男につげた。

「ええ。おっしゃるとおりです。どうぞ、みのがしてやってください」

妙に弱弱しい声のくせに覚悟がこもってる。

説教なんぞで、気がかわらない深いわけがあるように思えた。

「みのがしてくれっていったってなあ。こそ泥だってそんな言い草がつうじるわけねえだろ。

俺が見逃してお前がおっちぬ。

俺はこの先寝覚めの悪い朝を迎える。

死にたけりゃ死ねばいいが、俺のみてるところでやってくれるな」

「あなたが、かってにとびだしてきて、そんないいかたはおかしいでしょう」

ああいえば、こういうかと思いながら男はしめたと思っていた。

こっちのいうことがきこえるだけの余裕はあるという事だと思ったから。

男の相手をするだけ、まだ、死にひっつかまれてるわけじゃない。

「それを言うなら俺の通り道にかってにはいってきたのは、おまえじゃないか」

「わかりました」

池の男は素直な返事をかえしてきたが、それが、よいことのわけが無い。

「ばかやろう。しょばを変えようって、魂胆だな。え?俺はお前が池にとびこもうとしてるのをもうみちまったんだ。見ちまった以上は俺はお前がどこで、おっちのうとこの先、寝覚めの悪い朝を迎えるんだ。俺は俺のこのさきのため、お前をしなせたりはしねえ」

そうだ。これは、ご隠居の科白だ。親方もいってた。俺が今度はその逆の言葉をいうことになるなんて思ってもみなかったが、俺は俺に掛けてもらった恩をけえすためにもこいつを死なせたりしねえ。

「え?なにがあったか、しらねえが、どうしても死にたいなら俺が納得する理由をきかせてくれねえか?おまえが死ぬのはお前の勝手だが俺のこの先はおまえのせいで、まっくらだ。俺のこの先をまっくらにしたまま、お前がしんじまったらな、間違いなく地獄いきだぞ。そのことだって、俺はあんとき、おまえをたすけてりゃって、おまえのせいで、嫌な気分をあじわうんだ。

どうしても死ななきゃいけねえ理由があるなら、俺を説得してもらいてえな。

俺が納得して、それしかすべがねえってんだったら、俺が池の中におまえをたたきこんでやらあ!!」

男の怒声が炸裂し、池の男はしばらくぽかんと男をみていたが、

男のいう通り、男を納得させるしかないと考えていた。

懐の銭・・19
用心しながら池の男から身を離し、男は正面を切った。

「ああ。まず、とくと、きかせてもらおうじゃねえか」

だいたい、死んじまおうなんて思うのはせっかちすぎる。

あの手、この手うってるのかどうか?

やるだけやってだめだったのか?

なにがあったか知らないが、うまい解決方法をみつけられないだけで、

思い込みのあまり、おっちんじまうってのは、

笑い話にしかなりゃしねえ。

ちょいと前の自分がそうだった。

思い込みすぎて、解決方法をさがすのさえ、どうでもよくなっちまう。

てっとり早く解決しちまえばいいって死んじまうことばかり考える。

だけど、解決するのは、自分の思い込みだけで、問題は依然としてそこに残るんだ。

へへっ。これは女将の受け売りだな。

男は腕を組んだ。

おまえさんの話をきくから、もうおさえつけたりしねえから、話せという男の意志表示だった。

「私は桔梗屋の手代です」

池の男がいいだした身分ってのは、池の男の外見からいえば、破格の扱いだった。

「おめえ、随分若そうなのに、手代をまかしてもらえるなんてのは、相当、まじめに奉公してきたってことだな。おめえのまじめな性分ははたからみていてもよくわかる」

逢ったばかりの男だが、生真面目な性分が見える。

生真面目だからこそ、おっちんじまおうってこれまた、生真面目に考えてしまうんだろう。

「七つの歳から丁稚奉公にあがり、お店の為、ご主人の為、お客様によろこんでもらえるようにと一生懸命つとめてまいりました。その私を手代にまでひきあげてくださり、事実上は番頭さんと同じだったと思います。番頭さんがいらっしゃるから、おおっぴらに番頭扱いこそできないけれど・・と旦那様からも厚い信頼をいただいていたのです」

それが、なんだって?一転して、死んじまおうなんて、心境になっちまうんだ?

「今日のことです。反物を一抱えもって、呉服問屋におさめにいったのです」

と、いうことは、桔梗屋ってのは染物屋かな?

男は自分の職柄、いまひとつ、着るものにうとい。

だが、桔梗屋はこの町きっての大店で、あたりいったいの染物を一手に引き受けている。

染め上げた品を呉服問屋に引渡し、呉服問屋は着物をしたてあげる。

「友禅などご存知でしょうか?」

きいたことがあるなと男はうなづいてみせた。

「たいそうな手間隙をかけて、染めるものですから、その手間賃もたいそうなものになります。

元の反物も極上の絹あり、紬あり。

染めおえたそれを風呂敷につつみこんで、呉服問屋にお届けにあがる。

そして、また、新たなあつらえ物をいただいて帰るわけです」

ふむ。男はうなづいた。

死んでしまおうと思った理由がまだみえないが

池の男が冷静に男に説明しているということが大事だった。

「今日は、問屋の方から代金をいただけることになっていました。

その役目をおおせつけてくだすった旦那様の信頼に応えなくてはいけない」

突然池の男はひざをおって、顔を覆った。

「反物を渡し、代金をいただいて、かわりに預かったさらの反物を抱いて

私は桔梗屋にかえろうとしたのです。

ところが・・。いただいた筈の代金がな・・・い」

なんてこった・・。

「帰りがけに妙な男にぶつかってしまったんですよ。しりもちをついても反物を地べたにおとしちゃいけないと、私も判ってしりもちをついたのです。おきあがり、店にかえろうと、再び歩き始めた時、いただいた代金がなくなってる・・・」

人様の懐をねらって楽していきようって人間が相手の事情なぞ考えるわけもないが、

あんまりな仕打ちである。狙うなら本人の金でございと分厚い腹のおおだんなからでもねらいやがれ。

「そりゃあ、とんだ災難だったな」

いいながら、男は池の男の周りから池の男をも、まじまじと見つめ返した。

池の男が新たに預かった反物をどうしたのだろうかとふと思ったからだ。

「私はさらの反物をあずかっていますから、それを店にもってかえらなきゃいけない。

さっきの男はすりだったんだと気がついたときにはどこにどうかくれてしまったか、

番所にとどけたって、金が帰ってくるわけがない。

途方にくれながらも、とにかく、さらの反物をもってかえろうと・・」

気が動転しちまったんだろう。

きまりきった、いつもどおりの行動だけが池の男を動かしていった。

「反物をもってかえったら、旦那様がいて、反物をながめなすってから

代金は?っていいなさる・・・

ちっとも私を疑いもせず、はやくよこせでもなく、私が預かっているんだから大丈夫と先に反物をみなさる。

私は、すりとられましたなぞ・・いえなくなったんですよ。

私がもっとしっかり気をつけていれば、こんなことにならなかった。

私を信頼してくださった旦那様にお金はありませんとは・・いえなかった」

大粒の涙をおとしながら、池の男は立ち上がった。

「私はとっさに嘘をついてしまったんです。都合がわるくなって、もうすこしあとで、はらわせてくださいなとおっしゃっていました。とね。

私は旦那様に嘘をつきました。

旦那様はその嘘さえしんじてくださる。

それで、私も決心がついたのです。

いまさら、すりでしたといったところで、先に言ったことはどうなんだ?

嘘だったのか?ってことになるでしょう。

私が盗んだと思われるでしょう。

ですから、私はせめて、身の潔白をたてたいとおもったのです。

それに、こんな人間はいきていたって迷惑をかけちまうだけだってね」

律儀でまじめなだけに、うまい言い訳もできず、挙句動転した勢いで嘘をついて、

その嘘の始末のために死にます?

おいおい、冗談じゃねえ。

懐の銭・・20
「で?なんだよ?いくら・・」

呉服屋から預かった代金がいくらかときいてるとわかった池の男は

かくかくと首をふった。

「なんだよ?わからないのか?」

男の問いにかすかに笑っているようにみえた。

だが、男もすぐに思い当たる。

おっちんじまおうと思う額だ。

簡単にどうにかなる額じゃない。

男はじんわりと懐をおさえた。

30両と1両ある。

この中からちょいと用立てやりゃあ・・・。

と、考えはするものの、男は考えあぐねる。

よわった・・

この金はご隠居が親方が・・。

女将の顔が浮かぶ。

そしてなによりも、お里だ・・。

ご隠居が天袋から1両の金をだしてきたのだって、ありゃあ、すからかんになっちまったに違いないんだ。

封を解かず、1両ぬきだしてきたんだ。

呼び銭にちがいねえんだ。なにもかもはたきだして

その金でお里をたすけてやれって、渡してくれた金だ・・。

ーこんちきしょう・・こんなことならとっとと、坂をくだっちまえば良かったんだー

だが、男の口からでてきたのは、

「だったらなあ、俺が銭をお前にやるよ」

だった。

だが、池の男はうすらと笑うだけだった。

「ばかやろう。俺がどれだけもってるか、わかってねえだろう。

たわけたことをぬかしやがるとおまえ、俺を馬鹿にしてやがるな」

池の男はまたもかくりと首を振った。

「親父さん、そうじゃないんですよ。あなたがなんとかしてやろうとおもってくださってるのに

私はどうにもならない。ふがいないもんだなってね。そのお気持ちだけはありがたく頂戴します」

いうやいなや、男の足がぬらりと池に向かう。

「ちきしょう」と己に踏ん切りをつけると、男は懐の封をひとつつかんで、

男の手ににぎらせた。

「え?」

一瞬、池の男は戸惑った。だが、その金をおしかえしてきた。

「な?なんだよ?これじゃあ、たりねえってことかよ」

もうひと封男の手ににぎらせてみた。

男の瞳から涙がぼろぼろと落ちてきていた。

「親父さん・・そこまで・・してくれなするのに・・」

「ちきしょうめ。これで、どうだ!!」

最後の封を渡すと池の男の手が震え始めた。

「30両でした。30両でした。ですがね」

ぐいぐいと首をふりながら、掌の中に受け取った銭を男に押し返す。

「親父さんだって、こりゃあ、大事な銭でしょう?」

使うわけには行かない。借りるわけには行かない。

「いいってことよ。おりゃあ、こう見えても元はさむれえの血筋だ。まあ、ご末裔さまってとこだ。だが、もう、いまやそんな暮らしにや縁遠いの指物師になっちまった。

だから、もう、刀を大事にもっていたってしかたがねえって、ちょいとうりはらいにいってみりゃあ、この値段だったってわけでな。だから、急ぐ金でもねえ。銭ができりゃあ、ぽちぽちけえしてくれりゃそれでいいさ」

立て板に水の如き嘘が次々わいてくるのも、ご隠居や親方のことがあるからだ。

金を出させるのがどんなにか、心苦しいか。それをわかって・・・

お里ちゃんが不幸になったら寝覚めが悪い。女将に恨まれちゃ死んだ後まで成仏できねえ。

こっちを助けると思って・・。そういって渡してくだすった金だ。

ーお里・・すまねえ・・。だけどな、とっつあんはこいつを見捨てる事はできねえんだ。

お前は女郎やに・・・

女郎やに・・うられちまうかもしれねえけど・・

こいつはその金がなかったら、おっちんじまうんだー

懐の銭・・21
有難うございますと何度も頭を下げる池の男、いや、桔梗屋の手代に

さあ、さっさと、銭をもっていけと男がいうと、

「どこのどなた様か、お名前とお住まいをおきかせください」

と、尋ねられる。

「まあ、いいってことよ。俺もわすれてなきゃあ、節季にでもちょいと、顔をだすから、

銭がありゃあ、ちっと、かえしてくれりゃあいい」

はなから、かえせる金がさじゃないんだ。

へたにかえさねばといらぬ心労をもちゃあ、この男のことだ身体をめがしちまう。

あくまでも、どうでも良い金であるふりを作ろうと男は笑った。

「あんまし、遅くなるとな、かかあの奴が悋気をおこしやがる。

刀が売れたんで、色里にいっちまったにちがいないってな。

だから、おりゃあ、もう、けえるぜ」

言い捨てると男は池をあとにした。

もうふりかえることなく、峠をめざし、のぼりきってしまわないと、

桔梗屋の手代の前で足がもつれちまう。

平気なふりをするのだって、ここまでが精一杯だ。

男はわななきそうになる足をのばし、前に進め、峠を登りきった。

ゆるいくだり坂にさえもひざががくがく震える。

知らず、涙がほほをつたう。

目の前がかすみ、桔梗屋の手代さながら、よほど、おっちんじまえたら、楽になれるだろうとも思う。

だが、親方に文棚をつくらねば、親方が困る。

ご隠居の顔が浮かぶ。

あわせる顔がねえ・・・。

お里にどう話せばいい・・。

とっつあんの借金のかたに、女郎屋にいってくれなど、

どの口でいえばいい?

からっぽになった懐をおさえると、さっきまでの厚みも安泰もなく

呼び銭の1両がのこっている。

誰がいいだしたか、しらないが、財布の中をからっぽにするな。

1文でもいい、銭をのこしておくと、銭が寂しがって仲間を呼ぶんだという。

だが、それも、皮肉な1両になっちめえやがった。

銭がねえ奴のところに、銭がくるもんだから、

銭がねえ奴をよびこみやがる。

だけど・・。

元々、どうしようもなかったんだ。

いや、あるいは、本当はあの男を助けるために

金がまわっていっただけなのかもしれない。

俺が借金をこさえなきゃ、30両はなかったわけだし・・。

あの男のところに金をまわしてやるためにお天道様がしくんだんだ。

それが、証拠にみろ、え?あの男が必要な金がぴったし30両だったじゃねえか。

そうだ。もともと、どうしようもなかったんだ。

自分を宥める言葉のすべてがおひとよしの自分をうすっぺらく庇うだけにしかならず

すぐさま、お里の悲しい顔にかきけされていく。

だけど、だけど、ほうっておけないじゃないか。

お里、お前は、命までなくすわけじゃねえんだから・・。

そうはおもってみても、

そう自分にいいきかせても、

涙がぼとぼと、滴り落ちてくる。

「お里・・・・」

それでも、足をひきずり、男は歩み続けた。

懐の銭・・22
「けえったぞ・・」

声をかけてみても、家の中はしずまりかえっている。

かかぁの奴は洗濯女だ。また、宗右衛門町にいってるに違いない。

ため息がでる。

お里に告げることもつらいが、、お木与の落胆を想うと・・。

戸口をあけて、中にはいると座敷の淵に腰をかけた。

お里は手のいい針子になった。

大店からあつらえがくるようになっていたから、

できあがったものを届けにいっているのだろう。

その腕もなんの役にもたたなくなる。

伝い落ちる涙をぬぐうと、宣告の刻がいっとき、引き伸ばされたにすぎない今を

ただ、うすらぼんやりとすごすだけになる。

なにも考えたくない。

と、想うのに、ちいさな頃のお里がうかぶ。

手まりをわたしてやったら、そいつをしっかり胸に抱いて、

寝るときも、布団のなかに抱いてねやがった。

お里には、なぁんにも良い目をみせてやれず、

あげく・・こう・・か。

男が落ちてくる涙をぐいとふきあげたのは、

戸口に人の気配がしたからだ。

お里がかえってきたに違いなかった。

案の定とも当たり前ともいえる。

こんな日中に男の家を訪ねてくるものなど居やしない。

薄暗い家の中に目がなれると

お里はてて親をみつけた。

新たに、あつらえられた仕立物だろう。

風呂敷をひとつ、さげていた。

「あら?おとっつあん」

とんと、顔をあわすことがなくなったてて親が座敷に腰をかけている。

ふらりとたちあがる男のよこをすりぬけて、仕立物を座敷のとなりの部屋に置くと

「おとっつあん?」

生気のないてて親を案じた声が男の耳にとどいた。

よってきたお里をみつめた男がお里の前で、くずれおちたと見えた。

「や?やだよ・・おとっつあん、どうしちまったんだい?」

お里の目の下で男が土間に頭をこすりつけていた。

「お里・・・すまねえ」

いぶかしげな目が男をとらえ、男の顔色をうかがうと

なにもかも承知した諦めの色をみせた。

「おとっつあんな・・」

いいかける男の傍らにうずくもるとお里は男の手をひいた。

「いわなくていいよ。おおかたのさっしはついてる。

そんなことより、おとっつあんが、そんなことしちゃいけないよ」

「そ・・そんなことって?」

お里がさっしつけたことが、ちがっているのかもしれない。

それをはっきり、たしかめて、思い違いだったら、なおさら、つらい。

「そんなことってのっは、おとっつあんの今の恰好だよ。

親が困ってるなら子供はなんとでもして、役にたちたいもんだよ。

だから、頭なんか・・さげる・・必要なんか、これっぽっちもありゃしないよ」

やはり、なにもかも承知のお里でしかなく、それゆえにその言葉が男をいっそう打つ。

思い切りなきさけび、叩くなり、蹴るなりしてくれれば、まだしも、呵責にたえられたかもしれない。

お里の言葉になにひとつ返せないのは、親が困ってるというお里の言い方のせいだ。

精一杯働いて、辛抱して、それでも、やむたてならず、こさえた借金なら、

親が困ってるといえるだろう。

言うこともできるだろう。

だが、事実はあまりにも違いすぎる。

それも・・・・。

親とも想う親方にたてついたあげくの果てだ。

そんな親に親が困ってるなら・・と、そんな思いをかけてもらえる資格なんか、これっぽっちもありゃしねえ。

それでも、馬鹿な親はすこしは、いいわけしてみたかった。

けっして、なぁんにもしなかったわけじゃねえんだと。

右から左におまえをうっぱらっちまうような、そんな気持ちなんか、これっぽっちもない。

そんなことをいったところで、なんのなぐさめにもなりゃしないのは、わかっていた。

「あ・・ありがとよ。だけど、おとっつあんはおまえを借金のかたにするつもりなんか、これっぽっちもなかったんだ。

親方やみんながたすけてくれてな、けえせる金はついさっきまで、懐にあったんだ」

お里の声がちいさかった。

結局、事態はかわりゃしない。それでも、お里はさらに不安な顔になった。

「おとっつあん?その金・・なくしちまったのかい?あたしがかたになって、それで、おさまるんだよね?」

返せる金がなくなって、借金がふくれあがる。

にっちもさっちもいかなくなってしまったのだろうとお里は想った。

自分がかたにとられるとしっても、それでもまだ、親の心配をするお里にそこだけは、はなしてやりたかった。

せめても、借金のかたでなく、人助けになったんだと、それが、せめてもの・・お里への慰めになるか・・もしれない。

「いいや・・なくしたんじゃねえんだ。おとっつあんがな、銭を懐にいれてな・・大池の道すじをかえってきたらな・・桔梗屋の手代がな、池にとびこもうとしてたんだ。ききゃあ、呉服屋からの払いの金をぬすまれちまった・・って・・言うからよぉ・・」

「おとっつあん?それで、桔梗屋の清吉さんに金をわたしてやったんだ?」

「ああ」と、返事をすると、お里の顔がやわらいでみえた。

「ああ。おとっつあん、そりゃあ、いいことをしてあげなすったんだ」

お里が顔色がかすかに微笑みをうかべているようにみえた。

「ああ。ああ。そうだよ。あたしは死んじまうわけじゃないんだ。清吉さんを見殺しにしちまうようなおとっつあんだったら、あたしがたすかったって、なぁんにもうれしきゃないよ」

「お里・・」

ふと、男はきがついた。

桔梗屋の手代が清吉という名前だとお里はしっている。

お里に仕立物をあつらえる呉服屋と桔梗屋の手代が言っていた呉服屋は同じ呉服屋なのかもしれない。

「なんだ?おまえ、桔梗屋の手代をしってるのか?」

「ああ。呉服屋で、時折、顔をあわせるんだ。染め上がったものをもってきた清吉さんから、すぐに反物をもらってくることもあったよ。だから、なおさら、おとっつあんのなすったことはよかったんだよ。で、なきゃ、あたしも知った人がおっちんじまうなんて・・」

袖で涙をぬぐうとお里はつと、たちあがった。

「だけどねえ。おとっつあん。今日も反物をあずかってきちまってるんだ。

せめて、それがしあがるまで、まってもらえないものだろうか」

男の口がへの字にまがり、言いよどむ言葉が嗚咽にかわった。

お里はそれで、返済の期日がせまっているとさっした。

「・・・・・・・・」

言葉をなくしたまま、お里は反物をおいた部屋のかまちに腰をおろした。

清吉さんがもってきた反物にちがいないだろう。

反物とのなごりをおしみ、別れをつげるためにお里は風呂敷の結びをときはじめていた。

いたたまれぬ思いで男はお里をみていた。

辛いと目をそらしちゃいけねえ。

せめて、それだけでも・・と見つめ続ける男の目の中で

お里の唇がうごいた。

「ごめんね。綺麗な着物にしたてあげられそうにもないんだよ。

でも、せっかく、ここまで、きたんだから、最後に、ちょっとだけ、みせておくれよね」

お里の唇からもれてきた声がかぼそり、小さく唇だけが動いていた。

お里の唇は

ー清吉さんー

そう、よみとれた。

お里は・・・・。

桔梗屋の手代をすいていたんだ。

ひょっとして、夫婦約束をかわしていたのかもしれない。


清吉が触れたものに別れを告げることだけががお里にできる決別だった。

おとっつあんが金を渡してこなきゃ、清吉さんがおっちんでた。

こっちが助かりゃ、あっちが助からない。

あっちが助かりゃ、こっちが助からない。

どのみち、沿えない運命だったってことでしかない。

「さよなら」

唇がとじられると、お里は風呂敷を開いた。

男の目の中でお里が涙をこらえていた。

男がお里をみつめるあまりに、お里は精一杯、気丈にふるまうしかないのかもしれない。

泣くことさえ、儘にさせてやれねえのか。

男はそっと、立ち上がって家の外にしばらく、でていようと

お里に背をむけ、戸口にむかいかけた。

その時、男の背中でお里がわっと声をあげた。

堰をきったお里の泣き声がもれてくる・・・

耳を塞いでしまいたい思いをこらえ、男はその場に立ち尽くすしかなかった。

ところが、案に相違して、お里の声がすっとんきょうに男の背を叩いた。

「お?  お・・おとっつあん、これ?これ?なんだろう」

あまりにも吃驚すぎた声音に男はお里をふりむいた。

お里の手の上で、ふくさが開かれ、開かれたふくさの上に、三封の包みがあった。

「え?」

30両に違いない。狐につままれたおももちで、男は30両をみつめていた。

「てえ・・・ことは?」

「おとっつあん?こりゃあ、清吉さんが失くした銭じゃあ?」

「ああ、そうだ。多分、そうだ。おまえ、その反物は呉服屋であずかってきたんだよな?」

「ああ、つい、半刻ほどまえ、桔梗屋から届いたばかりだって・・あ?」

「まちがいねえ。呉服屋がな、銭をいれまちがえたんだ。桔梗屋の手代ははじめから自分の風呂敷に銭がはいってないなんて、おもいもしねえから、途中で妙な男にぶつかった時にすりとられたと思い込んだんだ・・・」

「じゃあ?この銭はおとっつあんの銭って、ことになるんだよね」

「そ・・そういう・・こった・・な」

お里が男をうすく、にらみつけた。

「おとっつあん、よくも、まあ、30両なんて、借金を・・まあ・・・まあ・・・

よくも、よくも・・・よくも、こさえてくだすった・・・」

びた一文欠けていたって、清吉さんがどうなっていたか。

お里の瞳からぽろぽろ涙がおちていく。

「へっへへ・・人間万事が塞翁が馬っていうけどよお・・

塞翁だってよお、借金こさえて、ほめられるなんておもわなかっただろうよ・・」

お里は子供のように涙をこすりあげると、ちょいと手櫛で頭をおさえつけた。

「ちょっと、清吉さんにつたえにいってくる」

「ああ、そうしてやれ。

俺は修造に銭をたたきけえしてくる」

戸口をでるお里に男はもう一言声をかけた。

「お里、おりゃあ、娘をもっていかれるってことは

ちっとも、かわりはねえんだな?」

お里がつと、立ち止まると今度ははっきりと答えた。

「そうだよ。おとっつあん」

明るい響きにほっと、男は胸をなでおろした。

走り出したお里をみおくると男はお里がかまちにおいた銭をおさめた。

元通り、懐の1両の横に銭がおさまった。

誰がいったか、しらねえが、一文でも銭をのこしておくと

銭が寂しがって、仲間を呼ぶという。

そいつは、本当だと男は懐をぽんとはたいた。

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