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ぶっちゃけ

書きかけの作品を放置?しながら、なにかしら、思うところがある。


まあ、この前かいたように、

憂生が自分の能力?(もどき)のことを書くと、奇妙に

そういう関連の人がよってきて、

正直、うざい。


そういう不思議な能力というのは、

結局、自分を磨く(と、いうとおおげさだけど)ためにでてくるとおもっているわけで、

実際、不思議な事が起きた時は、

自分側の「元」を考えるし、

あるいは、不遜ないいかたであるが、

ヒーラーやリーダーや霊能力がなぜだめなのかをつきつめて考える。


と、いうのも、やはり、自分の中で、

自分のものでない(自然でない)あるいは、憑き物の差配をうけていることに

きがつかず、あるいは、きがつきながら、その事象の不思議さにとらわれてしまうということがあり、

非自然である物事がなぜ、おきるかということを考える。


自分の元だな。


あいまいに、リーダーやヒーラーや霊能力者がよくないというだけでなく、

何故、良くないか(自分にとって)をきちんと自覚しなければいけないという思いがあって、

最近、とみに、そういう人達について、否定的であるとおもう。


まあ、否定してみると、自分の中にその能力をみとめる気持ち(自分を)があるわけで、

そのあたりが、見えてくる。


先日も、批判は大事だと在る人に話した。


その批判を自分にあてはめるということを条件にしてのことだ。


人を批判しながら、自分は違うと思っているのは、中傷・非難であろう。

憂生の場合は、人を批判しながら、

それは見せられている自分の姿だと思う。


つまり、自分への批判にもっていく。


ある人が神様の姿を見て、さらに信心を深くしたというのであるが、

憂生は、何度も書くが、目の前で晴天の空を雨降らすという顕示をみせられている。

このあたりのことを考えて見直すことになったのも、

在る人への批判のおかげである。



通常ならその雨を降らせたもの(なにか)をおがんでしまうと思う。

そのときの憂生はさすがに天気をかえる(ように言ったのは、憂生なわけで)ようなことをしちゃいけないと思い、

やめさせるように頼みはした。

が、不遜ないいかたであるが、その顕示をみせたものをありがたがる(おがむ)気持ちはなかった。

逆にそこまでの顕示を見せて、生きろといわれた憂生自身がありがたいと思った。


同時に、もうしわけないが、

そこまでして、こちらにくらいついてこようとする存在がかなり大きいらしいともきがついた。


これをありがたい。と、とるべきだろうか?


本当に厳しい神であるのなら、ちょっとした泣き言にいちいち耳をかさない。

現に、魂が判る人から

「おまえの魂はそんなよわっちい魂じゃない」(以前にも死のうかとおもったことであるが)

つまるところ、そう、軽くあしらわれたわけである。


で、あるのなら、ちょっとした泣き言に天気までかえてみせるということは

どうであろう?


いや、確かに参っていた。が、そこまでやられると、むしろ、弱音でしかなかったといえるようになる。


その弱音にはいはいと手をかして、こちらを掌握しようとしていると思えた。


いやあ。自分、強いね/笑


こういう経緯があって、神様の姿をみて、信心を深くしたというとり方にいささか疑問をかんじてしまったわけだし、

ふとすると、なにかというと?

いろんなものがとびこんできて、台にするというか、思いがうかんできて、たまにであるが、

そいつの思いがはいってくる。

つまるところ、そういうてあいにつかおうとする一派でしかないとおもうわけで、

このあたりが、憂生には、神様からつたえられてとか?

と、やってる人への懐疑を生じさせている。


どのみちは、自分の魂がみがきをかけられれば、それが、自分と一体化する。


で、その手順として、天津神がはいってきて、こっちをつかおうとするが、(いろいろ、教えるというのも在ると思う)

この魂は、自分(天津神)ではつかいきれない。と、いえるところまでいったら、

天津神はでていくそうで・・。



これを神様ありがたいとやってしまったら、

そのまま、神様なるものの(本当の所はわからないが)使い物にされておわる。

自身の魂にかせられた使命というのは、本来、神でも、手をふれることができないわけで、

神にふれられてるという事自体がまだまだの自分でしかないわけだと思う。


そこを考えると、神様ありがたや。で、おわってしまう程度の人生で良いのか?


って、思いをもっているとおもうからこそ、

神様がありがたいとやってる人を見ると、もうしわけないけど、批判的になる。


批判すると同時に自分をふりかえるわけだ。

どこかで、自分も「ありがたや」をやってないか?

奇妙な能力を多少なりあってよいとおもってないか?


あるよなあ。


そんなわけで、そういう自分をたたきつぶすためにも、

なぜ、よくないのかをはっきり、自覚しようと否定論を多くかいている。


そこに、なんで、来るん?


そうだと思ってくれてるわけか?


自分のたとえば当て込み根性とかを是正しなくちゃと

賛同してくれてるわけか?


こっちは、思いが入ってくるときがあるから、

「くそ」とか、思われるともろに体が痛むというときがある。

これは、アダルト小説あたりについてもおなじで、

あまりにもこぎたない思いで、検索をかけられると、こっちの体が痛む。


こういう後ろ側を書くことははじめてかもしれないが、

そういう事を、覚悟しながらかいているという部分もある。


おちゃらけにこう思うんだけど、と、かいているわけじゃない。


あと、その方の守護霊とか?本人の魂?がこっちのいいぶんをききたがっている。

すなわち、その人にその内容を自覚してほしいということがあるのだろう。

かなりの幻惑感を感じる訪問をうけることもある。


本人はそこらへんにきがつかず、「くそ」と思えば

自分の守護霊とか魂とかに「くそ」といってることにもなり、

その原因を作ってるほう(憂生)がやられる。


こういう「因」を結んでることも覚悟して書いている。


そこらへんを判らず、パワーがヒーラーが神様が引き寄せがとやってると、

読んだぶんだけ、判ったとみなされるから、

ある意味、怖いことを書いてる。


だから、あほな宣伝まがいや、おしえてやる。商売半分。で、来てよんだのなら、

ぺタは残さないことだと思う。




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