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ハイヤーセルフというものを、憂生の考えであてはめると、

「天」になるなと思います。

そして、魂は天の分かれというところでしょうか。

最近の方〈スピリチュアラー)は、簡単に?この「天〈ハイヤーセルフ)」の意識とコンタクトできるようですが、

憂生は天をひとつの尺度・定規ととらえます。

人事を尽くして天命を待つ。

などという言い方がありますが、

天から命がおりてくるかどうか?と、いう量りといっていいかな?

これは、白蛇抄の中でも、よくとりあげた考えですが

「あてこんだ思いでは、天がのってこない」

と、思うわけです。

とにかく、人間としての自分の分通り、誠を尽くす。

と、言うだけです。

ですので、簡単に言えば、ハイヤーセルフに導かれることをあてこんだ思いでなく、

精一杯やっていけば、良いようにひきまわしてくれる。

と、思うわけです。

で、多く、ハイヤーセルフや、スピリチュアラーに相談する?というのは、

「何で、こんな苦労しなきゃいけないのか?それ、なにかおかしい。ハウツーがあるんじゃないのか?」

と、いう、苦労や辛酸を「良し」にしていないという心理があるとおもうわけです。

簡単に良い風になりたい?

と、いう考え方は憂生にとっては、おかげ信仰です。

一般的な考え方とは、違うことをいいますが、

はっきりいって、ハイヤーセルフとのコンタクトは必要がないとおもっています。

ただ、なにが、必要かというと、

そういう存在を意識するという事だけだと思います。

ハイヤーセルフ、あるいは、天(魂)からみられて、「恥」「間違った」思い方・生き方をしていないか?

と、いう意識が必要だと思うわけです。

こういう意味合いで、天やハイヤーセルフ(に導かれるだけの自分であるように勤める)を意識して、自分で、自分を練っていく事がだいじなんだと思うわけです。

憂生の不思議な能力?は、どこかの修練場所にいったり、能力開発をやったわけではありません。

単純に人を思う。

という、その思いから成ってきたようで・・。

ハイヤーセルフや、養成所や?こういうもので、自分の能力を開発したいなどという思惑であると、それは、

やはり「あてこんだ思い」「自分をでかしたい思い」として、いずれ、自分にはねかえってくることになります。

また、憂生は「癒される」という言葉が嫌いです。

言い方を変えれば、「私は疲労困憊しています」「満身創痍です」といってるわけです。

なぜ、疲労困憊なのか?

なぜ、満身創痍なのか?

それは、物事に対する自分の受け止め方が足りない。

よろこべるようなとりかたに昇華していない。

だから、「癒される」

癒される~~~などという言葉を口にだすということは、いかに自分が、未熟者であるかということを

披瀝しているように思えて、そして、本質的な取り組み(よろこべる取り方を捜す・考える)をしない自分であることを意識しない風潮に流されているだけに思えるわけです。

これは、ストレスでも同じ思いを持ちます。

ストレスを感じるのも、自分の幅、受け止め方がたりてないところに原因があるのではないかと思いますので、

ストレスのせいにするごまかしをして、ため息をついているのを、見せるのは、「恥」だと思います。

ストレスを感じる。癒されたい。と思うときがあったら、それらを感じる自分を省みるしかないわけです。

もちろん、憂生の考え方でしかないのですが、憂生自体、見方をかえる。と、いうことにそれなりに努力はしていますし、「しんどい」という言い方をしないで、なぜ、しんどくなるか。と、いうことをかんがえていくという性格なわけです。

自分をかえていくため・・の、ハイヤーセルフなるものは、いいかえれば、すでに自分がことばにしているわけです。

ストレス・癒されるなども、自分をほりおこしてみれば、ハイヤーセルフ以上の導き・教え・気ずきを内包しているわけです。

そこの日常の自分を是正しないで、ハイヤーセルフーを当て込むって、おかしいきがするわけです。

そんなわけで、先の結論に近いですが、

神や霊云々は、憑き物でしかないっておもうわけです。

ハイヤーセルフを当て込む思い方も、憑き物だとおもうわけです。

自分の発する言葉、自分の発する思いを詮議していけば、おのずと道は開けると思うわけです。

物書きをやっていて、思うこともにたようなもので、

己の中からどれだけひきだしていけるかという自己討議みたいなものです。

これを、自分以外のなにか・誰かに相談しながら書いて、はたして、書いた気になるでしょうか?

人生・自分自身もそうだとおもってしまう憂生がいて、ハイヤーセルフー・癒し・パワーを与えるなんて、言葉をきくと、勘弁してくれよ。と、思います。

自分の人生・自分は自分で切り開いていきたいと思うわけです。

ですから、憂生に起きる不思議なことは、本来は、具象化してはいけないことだと思うのです。

もちろん、以前にもかきましたが、

それらの不思議な物事にも、「自分に元」が在るから、遭遇するのだと思います。

それらの考え方を引き出してくれたのが、白蛇抄でもあるのですが、

最近も銀狼(第17話)でも繰り返しています。

そういう絡んだ因縁に遭遇するということは、澄明、お前の因縁が因縁を呼ぶ。つまり、お前がきれい(納所)になっていない証拠なんだ。

と。

この言葉をもう一度、憂生にあてはめなおし、考え直す事があるんだと、今日の鋲にします。

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