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古代エジプトからの学び

アメンホテプという言葉がうかんでくるので、調べてきました。


この人が、宇宙人だったという説があるらしいのですが、


まあ、そこは、おいといて・・。


この代で、急にアメンから、アトンへの祭神変化がおきている。


まず、


アメンが、元々はナイル川東岸のテーベ(現・ルクソール)地方の大気の守護神、豊饒神である。


に、対し、アテンは、太陽神ラーと同一視されるものである。



ここで、憂生的にいくつか、おもう、


まず、アテン・・この末尾の文字がmであることをおもうと

アテンは・・・アテムと発音した可能性がある。


アテム・・・これは、アトム(原子)ということになろう。


山下達郎の「僕らはアトムの子供さ」という歌詞がうかんできてしかたがない。


また、

恐れ御世・・・いや・・恐れ見よ。

なにを、畏れ見るのかといえば、


オーソーレーミーヨ(私の太陽)であるわけで、

私の太陽とは、まあ、憂生のおもうところの魂(御霊)であり、


この具現化?した姿が、天皇であろう。



もうひとつ、非常に根拠が薄くて、申し訳ないとおもいつつ、

唱えているのが、

日本の古神道が、仏教などの原点であり、

ピラミッドも日本のものが、いくつかのルートをたどって

エジプトに伝わっていったという考えがある。

これに、米もくわわる。


日本のピラミッドが衰退したのは、

太陰暦(月)の周期のほうが、農耕に適していたためであり

(今と同じなら、4季がはっきりしているので、なおさら)

ピラミッドの衰退は、農耕文化などや、魚漁による、潮の満ち引きなどを

よむことのできる、月の文化である、太陰暦のほうに推移していったためとおもわれる。


が、アメンホテプの時代にピラミッドがあったのだから、

太陽信仰が日本から伝わったというのは、奇妙にきこえるかもしれない。


形として、アメンホテプが信仰を太陽神にあらためたのは、

ピラミッド(太陽信仰)が根付いたからだと考える。


アメンホテプ1世。意味は「聖なるはラーの魂」。 即位名はジェセルカラー。


アメンホテプ2世。意味は「偉大なるかなラー神の出現」。即位名はアアケペルウラー。


アメンホテプ3世。即位名はネブマアトラー。「真実の主はラーなり」


アメンホテプ4世。イクナートン(アトン神をよろこばせる者の意)



およその転載であるが、1世のときから、ラーへの信仰があったということになる。

それ以前にラーへの信仰が根強いものでないと、名前にはなるまい。


つまり、ピラミッドに象徴される太陽信仰が、すでにあったということになる。


さらに、その前から、憂生自体にルクソールが頭によぎってしかたがなかったので、

少しウィキーってた、いきさつがある。


アメンについて転載。

元々はナイル川東岸のテーベ(現・ルクソール)地方の大気の守護神、豊饒神である。



憂生は、なにか、「間違い?」の思いの元をただす、役目があるのではないかという気がしてきている。


アメンホテプ4世でいえば、彼自体が、自分をアテンだという

威勢になってしまった気がしないでもない。


これは、なににあらわれるとすると、


中王国時代第11王朝のメンチュヘテプ2世(英語版)がテーベを首都としてエジプトを再統一して以来、末期王朝時代の第30王朝までの1,700年余りにわたり、ラー神と一体化、「アメン=ラー」としてエジプトの歴史・文明の中心に位置し、エジプトの神々の主神とされた。


もともとは、アメンは、ラー神と一体化、「アメン=ラー」だったわけだけど


イクナトーンが、自らを神と称したため、アメンを排してしまったということになる。


ラーもアメンもどちらも、地球環境の守護のものである。


で、あるのに、大気の守護神を排するとはどういうことであろうか?


なんだか、エジプトが太陽の影響が絶大なる砂漠のままになっているのは、

イクナトーンという王様が、アメンという豊饒神をおいはらったためであるという

寓話ができそうでさえある。



さらに、この排他的なエネルギーや観念が

今に続く宗教戦争の起源になっているきがする。


以下にあげる。


『旧約聖書』「エレミヤ書」46章25節には「万軍の主、イスラエルの神は言われた、『見よ、わたしはテーベのアモンと、パロと、エジプトとその神々とその王たち、すなわちパロと彼を頼む者とを罰する。』」



もしも、時をまきもどせるのなら、


もともとの思い、自分が神になるために、ほかを排するというかんがえを

書き換えたいものである。


他を俳して、自分がただしいとする、自己確認は、

やがて、大きな争いをうむ。


そして、このDNAが、昇華されるとき、

排他を基調とする争いがおきるとするならば、

まず、憂生の

他を俳して、自分がただしいとする、自己確認をおこなわないことであり、

その思いがでてきたときに、

御霊にわびるという、帳消しとともに、

DNAの書き換えという

潜在意識への認識を促すことが必要なのだとおもう。


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