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概念

日本の歴史の中、


いわゆる、中朝事実と、なにか、その時代にのこっていた、

伝承などをつじつまよく、あわせて、ごちゃまぜにしてしまったというところがあると思います。


中朝事実というのは、

天皇家の歴史です。


古事記のなか、どこまでが、中朝事実といったら、


神武天皇までくらいじゃないのかなあと思うのです。


これ以後は、人間天皇(現人神)の歴史といっていいか。


以前、歴史を齧るというきじをとほうもなく、かいていたのですが、


この中で、


日本の歴史をひもとこうとするとき、


「天」という概念がないとわからないともうしあげました。


西洋では、人が・・神になったものです。


天にまします、わが父よ・・という風に、


天という国があって、そこに神がいるというかんがえです。



日本はそこらじゅうに神がいます。


いいかえれば、日本の精神(エレメント)レベルでいえば、

日本が天国です。


そして、この神や人や国をつくったのが、天だというのです。



別のいいかたをしますと、「神国日本」なのです。


神の元親は「天」。言葉でいえば、天之御中主なのです。


ですから、日本の歴史をひもとくときに、


「天」という概念なしでは、わからないと思うのです。


そして、


なんどか、つかいましたが、「のさり」ですね。


神が降りてくるのは降臨といいますが、


天は載るといいます。


載るとかいて、戴くわけです。


天からすれば、載る。


人間からすれば、いただく(戴く)


この天という概念は、


たとえば西郷隆盛の書。


敬天愛仁

とか、

八甲田山死の彷徨の中のせりふ

「天はわれらをみはなしたか」

とか

「人事を尽くして、天命を待つ」

「天知る。地知る。人知る。(己知る)」


などというように、今でも、天への意識は伝わっています。


が、


天というものが本来どういうものであるか、

現代人には、非常にわかりにくくなっているのです。


そのわからない状態で、歴史をひもといても

やはり、概略しかつかめない。


そんな気がします。


天をいいかえれば、「自然」です。


この自然がめぐみもあたえれば、厳しい環境もあたえていく。


これにたいして、日本人が古来より、どう考えて、受け止めてきたか

と、いうことを軸にしていけば、

歴史の中の不可思議がすこし、整って見えるきがします。


畏敬の念というのが、あるわけです。


誰かが誰かをころしたことで、たたりをおそれるというのも、


本人をころして、たたられるのがこわいのなら、

本人をころしはしないでしょう。


悪いことをしたら、「天にさばかれ」たたりがおきる。


このたたりは、天からの怒りですから


「悪いことをした本人」だけでなく、


先にすこしかいたように、上にたつものに、良い気持ちをおくれなかったものも

同罪なわけです。


それほど、天はきびしい。


だから、疫病や干ばつなどおきると、

天にとりついで、お詫びをしてくれる神などを

さがしてきて、天に祈るわけです。


神は天とのとりつぎ役なのですが、

当初ほど、天を身近にかんじている人間がすくなくなったわけです。


それほど、人間の精神レベルが地におちてしまって、

神にとりついでもらわなければならなくなってしまったのです。


ところが、そのうち、神と天をごっちゃにしてしまったり、

わけがどんどん、わからなくなって

天という意識がどこかにうしなわれていってしまう。


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