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類友

橋下氏に自分の考えを投影しながら、


その中にでてくる思いをみつめなおしている。


なによりも、今回、注目させられたことは、


いい加減にのさりと考えるのはやめてもいいんじゃないか?


と、いう部分だった。


現実に起きたこと。


それが、くるしいあまりに


自分に悪いところがあるから、そういうことになったんだ。


それは、のさりだった。


と、いうかんがえといっていいか。


もちろん、自分におきることは、因果応報。いわゆる、自業自得といっていいか。


が、これを、業ととるのもどうかと思う。


で、すなおに、怒りにふれてみた。


およそ、自分がわるかったという業部分をはきだしてみてというか。


その怒りは

「一個の人間になんということをしてくれるんだ」


と、いうものだった。


が、


その怒りにやっときがついたとき、


そのうらで、二つのことを思った。


ひとつは、その怒りより、受けた事実にうちのめされていて

自分回復の状態になっていたということ。


これでは、怒りもわいてこない。


もうひとつは、

「一個の人間になんということをしてくれるんだ」

と、いうのが、又、自分自身の姿であったということ。


結局、なにかのせいにしてとか、

業なんだから、因果応報なんだからと

本当の感情をある意味おさえつけていた。


なにが、かえってきていたかといえば、

「一個の人間になんということをしてくれるんだ」という

いわば、天の怒りの部分である。


それをしらせるためにいろいろなことがおきてきたのが、

なぜかわからずにいる。


それは、単純に

「一個の人間になんということをしてくれるんだ」

というじぶんだったときがつけばそれでいいのかもしれない。


そこの感情を率直にうけとれない状況にいた。


負荷として、かかってきているのは、

自分の思いであり、

思いのなかに、真実があるといって、過言でない。


が、その真実をみとめるのが、つらい。


辛いから、アメリカ張りの論理の飛躍をおこなう。


その論理に正当性があるようにおもえて

そのパラドックスの世界ににげこむ。


これでは、真実がみえてくるわけがない。



そして、真実にきがついたとき、

以前にもきがついているのだが

それは、事実として認識しただけであり

多くのパラドックスの中の仮定論理のようなものになっていたと思う。



そして、気がついたとき、

不思議と何の怒りも悲しみもなく、

自分がつまらないとか、だめだとかでなく、


「一個の人間になんということをしてくれるんだ」という自分をみとめることができていた。


そして、その逆をおもうわけだ。


「一個の人間を大事にするということは、本来どうあるべきだろう」と。



憂生個人としては、

橋下氏の思いを類推してみるなかで、

アメリカへの思いを抽出してきたけど、


これが、また、答えであると思う。


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