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見方

物の見方というものに、


単純に、裏・表・本質があって、


裏表というものの、どっちが、裏表かわからなくて、


表からみれば、表だし


裏から、みれば、裏だけど、


自分がどっちにいるか、わかってなければ、


裏をみているのやら、表をみているのやら。


単純に自然の雨を考えれば


雨は雨でしかないわけだけど


雨が必要な立場の自分であれば、「恵みの雨」だし


雨が不必要な(むしろ、じゃま?)な立場であれば「いらん雨」になる。


表裏というのは、畢竟、自分が作るものでしかない。


と、なると、


なにか、正体のわからないものをみたとき、(表裏がわからない)


自分がどの立場にいるか、裏表では、自分の立場が判断できなくなる。


それで、裏、表を判断しようとして、

いくつもの、仮説をたてる。


表(よくみえる風)ぶぶんだけをなんとか、立証しようとする。


なぜなら、雨をたとえにすれば、

雨を「恵みの雨」だととらえたい自分がいるから。


が、時に、暴風雨になり、そこらじゅうに災害をおこしたとする。


それでも、「恵みの雨」と、考えようとすれば

たとえば、自分の行いがわるかったから、神様が怒っているのだ。

それをおしえてくれるのだから「恵みの雨」にちがいない。


と、次元を変えて捉えることで、「恵みの雨」という表側を立証することはできる。


ところが、その災害に自分の家族がのみこまれたとする。


これを、自分の行いがわるかったから、神様が怒っているのだ。


と、捉えられるものだろうか?


実際、東北地震のときに、町長だったかの奥さんが津波にまきこまれた。


このとき、町長は、ただ、ただ、「宿命だった」とそうとらえた。


裏も表もなく、津波という本質だけにむきあったとき、

自分が助かり、奥さんがなくなってしまった。と、いう事実を

「宿命」と呼んだ。


助かった自分がやらなければいけないこと。

町長として町民をささえていくということ。


そこに徹底していった。


奥さんをさがすこともあとまわしにして

生きている人間のことを先にかんがえ、行動していった。



「宿命」ととらえることで、諦念し思いを切り替えていく。


憂生は、アセンションを迎えたあとに自然淘汰はやってくると思っている。


今、多くのスピリチュアラーは、その警告にやっきになり

地球浄化や、生き残れる自分になるための

情報を発信している。


だが、

「国やぶれて、山河あり」


ともいうが、


国がなくてなんの甲斐があろう。


日本という国のもつすばらしさをなくして、

和という心をなくして


どこかの星に移住して、なんになろう。


8次元とか、10次元とかというよくわからない世界にいけたとして、

そこに「日本」はない。


日本人という身体もない。


心もなくなる。


ならば、ともにほろぶとも、最後の最後まで

日本人でいきていく。


雨にも負けず
風にも負けず
雪にも夏の暑さにも負けぬ
丈夫なからだをもち
慾はなく
決して怒らず
いつも静かに笑っている
一日に玄米四合と
味噌と少しの野菜を食べ
あらゆることを
自分を勘定に入れずに
よく見聞きし分かり
そして忘れず
野原の松の林の陰の
小さな萱ぶきの小屋にいて
東に病気の子供あれば
行って看病してやり
西に疲れた母あれば
行ってその稲の束を負い
南に死にそうな人あれば
行ってこわがらなくてもいいといい
北に喧嘩や訴訟があれば
つまらないからやめろといい
日照りの時は涙を流し
寒さの夏はおろおろ歩き
みんなにでくのぼーと呼ばれ
褒められもせず
苦にもされず
そういうものに
わたしはなりたい



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