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またも、うだうだ話しなり~~

自分が感じた感覚というのは、


なかなか、言葉にあらわして、

説明できないものなのですが、

なんとなく、これは、「本物」だなあとか、

いや、違うんじゃないのかなあとか、

なにか、本当に漠然とおもうのです。

人のことは、わかりませんから、自分のことで、いえば

よく、ひきあいにだしてくる、

雨をふらせてみろ。

と、いって、本当に雨をふらせたなにか。

まあ、この話に証人がいるわけでないので、なんか、頭がぱ~ちくりんになっていたんではないか?

と、いわれれば、確かにそうです。ww

で、まあ、事象として、みせつけてきたことは、事実なわけですが、

その事実をみせてきたもの、これが、どうにも、本物だとおもえないのですね。

いや、なにかの神さまというのなら、まじに、神さまでしょう。

だけど、憂生が望む神さまではないので、本物じゃないわけです。

本物の神さまは、けっして、神秘などおこしてこない。

こういうふうにおもっているわけです。

以前にもかきましたが、

ひょいと、人がきて、なにかはなしてたら、

気持ちがかわったとか・・。

こう、ごく自然に神様だときがつかせないように

自然にことがおきているものだとおもうのです。

結局、自分の心霊というか、心をみせてきているわけです。

「なにかあったら、神様とかにたすけてもらおう」

「自分がしなくても、人がするだろう」

とか・・・。

こんな心霊が奇跡をおこしたり、

それによって、誰かがたすかったり、使われたり。

まあ、おかしなことなわけです。

奇跡というのは

たとえば、飛行機事故で不時着して、助かったり、

事故にあった仲間に命をかけて助け出されたり

こういうことじゃないんだとおもうのです。

朝寝坊してしまって、

事故になってしまう飛行機にのりおくれてしまった。

とか、こういうことでもないわけです。

無事に飛行機に乗って無事に到着できる。

当たり前にみえることこそが

奇跡なわけです。

逆にいえば、憂生なんぞ、もう、本当にあぶなかったんだとおもいますね。

自分でないものに、のっとられてしまうような生き方というか。

あの時、憂生は非常にえらそうだったと思います。

判ったから、天気を元にもどしてくれ。

助けられたとか、神秘?だとか、奇跡だとか、おもわなかったのですね。

なにかわからないけど、

憂生という人間は、よほど「尊い」らしいとおもったわけです。

ああ、自分がありがたいんだなあと。

相手?が、すごい神様だろうが、そうじゃなかろうが、

とにかく、拝む相手は「憂生自身だぞ」って、

読みようによっては、ものすごく、不遜なことをかいているんですが、

自分があってこそ、ありがたいんだし、

宿根の星・いくたび、・・でもだしてきたせりふですが、

ー自分がいなければ、国などあってもなくてもどうでもいいー

自分があるからこそ、国が大切なわけです。

こういう物語の中の一言が、憂生の中の「自分が感じた感覚」なのです。

そして、

普通だったら、雨をふらせてしまう相手を、神さまだとおもって

ありがたやとおもってしまうのでしょう。

そこを、どうしたものか、

いや、ー自分がいなければ、国などあってもなくてもどうでもいいー

と、おなじで、

神さまがたすけようが助けまいが

自分がいなければ、神もなんもあったもんじゃないわけです。

神というものを、苔にして、

自分という石(意志)をもちつづける。

神というものは、あくまでも、自分の意志に沿った物事をみせてくるものでしかない。

と、おもうのです。

金儲けをしたいなら金儲けという物事をみせてくる。

まあ、そんな感じで、とらえると、

憂生はたんに

ー生きていくための価値をさがしていたのでしょうー

そして、

生きていくための価値というのは、

単純に

「生きていこう」とするものにしか与えられないものなのでしょう。

どうであれ、こうであれ、

不幸だから、いきていたくないとか

自分に価値がないから、いきていたくないとか

「生きていこう」と、するのは、

幸せだからいきていける。なんて、甘いもんじゃないんだなあとおもうのです。

しんでしまいたいとおもうときだって、

やっぱり、生きていこうとする。

悲しさや辛さにまけて、

生きていくことにさえ、なげやりになってしまうということも、

やっぱり、自分への冒涜なのだとおもう。

幸せでなくたって、やっぱり、生きていたいわけだし

幸せになれるから、生きていこうというわけでもなし

辛い人生もなにか、あとからふりかえってみたら

それはそれで、あるいは、

アクション映画をみているような緊迫感にいろどられていて、

なかなか、おもしろかったとおもうもんだとおもう。

あるいは、平々凡々の幸せでは知りえなかった「何か」を

知ったような気分にもなる。

そして、なにか、とっても、

自分が

無色透明になってくるようなきがする。

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