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うだうだばなしばっかりやないかあああ


朱雀さんの記事

運気を落とすものが自宅(実家)にある場合があります。

を、読みながら、考えていました。

どうも、憂生はいろいろと、不思議な体験があるわりに、

霊とか、いうのを、信じていないなあとおもうのです。

いやあ、こういうとちょっと、ちがいます。

ネット友人が見える人で、死んだ弟が心配してきているよとか、

神道家が、憑依霊をはらってくれたり

師が、国津神をおいはらったり

こういうのは、むろん、

憂生の肩をひっぱったものとかwww

居るんだと思うのですよ。

ただ、なぜ、そういうものが、憂生のところによってくるかといえば、

憂生に原因があるわけです。

えらそうにおもったり、

悪いことをおもったり

怖がったり

こういう自分が霊をひっぱってきてしまうんだとおもうわけです。

ですから、

朱雀さんの記事をよんで、いっしゅん、

う~~ん、うちに、神棚なんかないしな~~とか、

親父の仏壇の上になにかおいてたのがいけなかったかあとか、

床の間にあっちゃの神社のおふだとこっちゃの神社のおふだと

おいてたっけなあとか・・。

なにか、こういうことをおもってしまうんですね。

でも、待てよとおもって・・。

これ、自分のことじゃないかいなあって。

神棚じゃなくて、神棚が自分。

つまり、お札を信念とかんがえたら、

ああおもってみたり、こう考えてみたり

こっちのほうがよさそうだとか、

あっちもよくみえるとか、

結局、自分が「これだ」と決めていけばいいことじゃないのかなあと。

そういう状態の自分じゃないから、

自分の神棚までもが、あっちの神社のお札、こっちの神社の・・と、

あふれかえってしまってるわけでwww.

と、いっても、憂生のところの床の間のお札は、自分が行ってもらってきたものでなく

友人。氏神さんの寄進とかで、勝手に届いたものなので、くれた人の気持ちなので、

お札として、おいてあるものじゃない。

まあ、さきの話しじゃないが、

本尊は自分に他ならず

あれがわるいの、これが良くないのというのも、

結局、自分がぐらついているだけにすぎないともおもえ、

なにかのせいにするのでなく、

そうみえるものが、なにかをおしえてくれてるのだと

かんがえねば、

あっちにも、こっちにも、神様をつくってしまい

それこそ、畳の神さまをふんづけて、ばちがあたるし、

水の神さまをのみこんで、神食いの罪にとわれてしまうwww.

と、笑いつつ、

ふと、冷静になって考えてみれば

掃除ができていない。

って、とこは、

外面的にも内面的にもあてはまるなあと

問題は、ここかああ!!

まあ仏壇については、親父代表に、おふくろが、毎日、ご飯とお茶とお線香にろうそくにおはな。と、あげていてくれてる。

日本の仏壇は、ごはんをあげるのが、おもしろくある。

神棚はないので、よくしらないが、やはり、お酒とかあげたりするのかもしれない。

西洋の仏壇?というのか、先祖供養というのは、どうなっているのかしらないが、

主食をともにするという考えがあるのだろうか?

うっかりすると、自分の父はキリストであるなどといって、先祖という考えはないのかもしれない。

戦争にいった父や夫や息子のために、影膳みたいなのをつくって、

と、いうのも、日本の考え方だろう。

憂生自体は、仏壇とか、こういう形には、こだわりたくないが、

そこをとおして、親父にむかいあうとするのなら

それはそれで一手ではあるとおもう。

葬式というのも、死者への儀式というより、

生きているもの側への儀式というきがしている。

おさななじみの親父さんが若いときに死んでしまって、

(憂生の親父は50際くらいのときに憂生を授かっている)

(憂生の親父にあてはめたら、憂生うまれてないぜ)

そいつが、

憂生の親父の葬式のときにきてくれて

ー煙みたらなあ、すっとするよーって。

ああ、この世から、いなくなったんだなあ。って、

こう、言い方まちがってるかもしれんが、

ふんぎりがつくというのかな。

だから、逆に、こう、仏壇にいつもいつも、手をあわせてるっていうのが、

なんというか、

死者に対して

ーなんで、しんでしまったんだよーって、そんなふうにむかいあってるようにみえてしまうところもある。

これも、結局、叔父が早くに死んでしまったいとこの仏壇に手をあわせていて、

ビデオなんかものこっていて、

親戚があんなもの、残っているから、かえって・・・と、ささやいていたり、

叔父が、

いとこの友人もだんだん、こなくなって・・・と、忘れ去られることをさびしくおもっていたり、

こういうのをみているせいかもしれない。

形でなく、憂生は憂生なりに親父から学んだことを

いかしていきたいとおもう。

別にそれは死んだ人間に対してだけでない。

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