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手相から学ぶ

先のスレッドで肴紋があると書いた。
実際のところは肴紋かどうかは、鑑定してもらわなければわからないのであるが、
これとは、別に左手の運命線が生命線を補佐するかのようにある。
と、書いた。

生命線の近くに運命線があると、他人の援助を受けやすいだったかな。
生命線の中から、運命線が出てくる人は親とか身内の援助が大きい、と、言う。

憂生の場合、生命線の切れめを運命線がカバーするように重なる場合は
たとえば、事故(生命線の切れ目をそう考えてみる)とか、病気になったときに
周りからの援助・・輸血とか、人工呼吸?とか・・そういう援助で命永らえるということかもしれない。

そこで、憂生のいつもの「掘り下げ」を行う。

肴紋を見たときにふと思ったことがあった。
憂生の得意な言葉
「自分がしでかしたことは自分に返ってくる」
が、当てはまると思ったのである。

憂生は自分で作った料理をよく人に上げる。

これをそのまま、
「自分がしでかしたことは自分に返ってくる」(表現が悪いが)にあてはめると、
肴紋が示すとおりになる。

ごちそうをおごられるという肴紋は、
言い換えれば、自分が「しでかした事」の写しであると考えられる。

そして、左手の運命線。
これも、些少ながら、「他人への援助」をしてきた写しと、かんがえられる。

もしも、憂生が『他人への援助(精神的なものの方が多いが・・・)』をしていなかったら、運命線が生命線を補佐する手相にはならなかったかもしれない。

と、こう考えると、手相の中に自分の行いが刻まれるということにもなるし、
細木さんのいうところ、金をたくさんもうけても、自分だけのために使わず人のために使えみたいな一文も納得がいく。

結局、情けは人の為ならず。
と、言う所につながる。
この情けは人の為ならずの意味合いを
誤解していたので、ついでに注釈しておく。

憂生は人に情けをかけても結局はその人自身の手で解決するんじゃないから、
対処精神が身につかず、(情けをかけてくれる)他人に依存するような人生になってしまうから、本当の意味では情けをかけるのも、良くない。と、とっていたのだが、
どうやら、
人に情けをかけておけば(どうも、ねだり根性の言い方でいやなんだけ)
いずれは、それが自分に帰って来るんだよ。
と、いう意味合いで
「情けをかけるのは人の為でなく、自分のためになる」
と、言うことらしい。

これは、先に書いた
「自分がしでかしたことは自分に返ってくる」
と、同じ観点であると思うが
これが、自分の手に刻まれると考えると
さらに逆発想も成り立つ。

いまいち、金運が悪いとか・・・。
それは、逆を言えばお金に対する考え方や使い方が悪かった結果という見方が成り立つ。

たとえば大金持ちであるに関らず、金運が悪いとか、
逆に悲しみいっぱいの人生を送っているのに悲哀線がでないとか。
考え方ひとつ、ものの取り方ひとつを手相は刻んでしまう。

だから、手相家は、手をみせるというのは、個人情報をさらすようなもの。
と、いう。

ただ、一般的に相手側に手相をよみとる知識がないから、個人情報漏洩にはならないだけで、
憂生にはまだまだ、わからないが
手相が語るものはまだまだ、いろんなことがあるきがする。


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