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ふるい

どういう方向性をもつか。

あるブログにいったら、

ー物を買うときは一番、前にあるものから、買うー

と、いうことがかかれていて、

その行為のうしろには、

自分が古いものを(一番前に古いものをおいておくのが、店だから)

よけて、新しいものをかえば、誰かが古いものをかわなきゃならなくなる。

それは、自分さえよければ良いということにほかならない。

店だって、古いものが残り廃棄しなければならなくなる。

愛のない行動であるという。

なにか、なるほどと思い、そのとおりにやってみようとおもった。

が、おそろしいもので、長年の習性で、意識しないと、

やはり、日付を確認して、新しいものをとっている。

が、また、ふと思う。

では、家族のいる主婦(家族が居ない主婦というのもないかww)の場合。

子供や夫のために、少しでも新しいものを選ぶというのは、

愛のない行動だろうか?

なにか、そのキャベツしなびていて、おいしくないよ。

まともにたべれないよ。

そんなキャベツをかうために俺ははたらいているんじゃないぞ。

こういうこともいえるんじゃないのかなあと。

家族にそんな思いをさせることも、おかしいことではないのだろうか?

博愛主義というのも大事なことだろうし、

自分のことしか考えないというのも間違っているとも思う。

そこで、少し思うのが、いまや、よほどのことでない限り、

食えないような代物はうっていない。

それでも、一番上からとるようにする。

そこで、もしも、食えないものがあたってしまったら、どう考えるか。

と、いうことであって、けして、博愛主義を気取るものではないと思う。

家族のため、良いものをえらんでいたつもりであっても、

食えないものがあたるときだってあろう。

このときに、どう思うか。

まあ、どこかで書いたが。

昭和天皇の話し。

料理長が各国の要人に料理をだしたところ

一個だけ、爪楊枝をぬきわすれていた。

これが、昭和天皇のところにいってしまった。

そして、あとで料理長は昭和天皇に呼び出される。

「爪楊枝を抜き忘れていたのは一個だけですか」

「はい。一個だけです」

と、答えた料理長はどれだけ叱責されるかと覚悟していたそうです。

すると、昭和天皇は

「よかった。私で良かった」

そうおっしゃったそうです。

他の方のところにいかずにすんでよかった。

ー私のところにきてくれてよかったー

たとえて言えば、悪いものがきたときに

こういえるかどうかということです。

家族のために新しいものえらんでいても、

人のために古いものをえらんでいても

結局それでも、悪いものがきたときに

ー私のところでよかったー

そうおもえるかどうかというところなのではないかなあというきがするのです。

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