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古代の知恵


どこぞのブログをみていて、

日本には杉の木が多すぎます。

と、いうことが、かいてあったんですね。

で、ああ、だから、花粉症とか、いっぱいでてくるようになったんだ。

と、納得したのですが、

憂生の中で、ちょっと、待てよ。と、いう思いがわくわけです。

なぜ、杉の木が多くなったのか?ということです。

そこらへんをオーナーとちょっと、はなしていたわけです。

日本にすくなくなった、職人なので、

話が的を射てます。

杉の木が多いらしいね。と、話すとピンとくるというのでしょうか。

「なんで、多いん?」と、いう言葉がかえってくるわけです。

で、憂生のおもうことを話します。

「今の日本の建物は洋材とか、コンクリートとか使うし、消防法があるのか、

安く仕上げたいのか、たとえば、昔ながらの杉板塀とか、焼き杉とかで、

家を囲うなんてしなくなってるよね」

その言葉でまた、ピンとくるようです。

「日本には日本にあった、やりかたというのがあって、

長い間の知恵でつくりあげた技術というのがある。

そういうのが、今、なにもかも、金の価値とか、機械任せの技術にとってかわられて

たとえば、杉ひとつでも、「活かす」ということができなくなっている」

そこです。そこ。

結局、機械ひとつにしろ、少数の技術者が開発して、

一般の人間はつくれない。なおせない。

職人がだんだん、いなくなって、「技術」の継承ができなくなっている。

これで、もし、最近よく言う、ノアの洪水のようなもの、

あるいは、現段階氷河期にはいってるわけですから、

なにかあったとき、どうなるかなあということです。

なにもかも、機械任せにして、なにもかも、専門化して、

家が壊れたとき、どうやってなおしていいかもわからない。

誰かにたのまなくちゃどうにもならない状態になり、

専門家じゃないとなおせない。

学生のころ、女子生徒がよってたかって

いじめられていたので、なかだちにはいったのですが、

その理由が、

家庭科?の実習で、ご飯の炊き方をしらない(米だけ、炊飯器につっこんだそうだ)

洗濯機がど~のこ~のと、いくつかの方法をしらず、むちゃくちゃをやって、

グループが困った。ということだったようです。

この話をきいたときは、笑い話におわらせたのですが、

実際、それでは、炊飯器がなかったとき、米を鍋で炊くとき、(ガスとか)

どのくらいの水加減にっするかとか、他の人はわかっているかとなったら、

非常に怪しいわけです。

ましてや、今は機械もマイコンとか、ICチップとか、

ほとんど、自分でなんとかできないわけです。

車までそんな状態で、昔なら、自分で治せるものが

マイコンで制御されてるから、そこが故障したら治せないわけです。

自分でなおせないということを考えたとき、

それは、杉の木もおなじなわけです。

たとえば、今、じゃあ、杉板塀とか、使おうとしても、

それを手配したら、よけいに金がかかる。

次にはりかえるときには、技術者がいなくなっていて

焼杉もつくれない、あるいは、もう、杉の需要さえ成り立たない。

こういう供給と需要から、組み立てなおさないと

杉の木が多いのはなおせないわけです。

そして、ここしばらく、縄文人をしらべていましたが・・・

彼らの生活基盤は、

「そこにあるものを、有効利用する」と、いうものだったわけです。

だから、自然そのものが、神のように尊いものだったわけです。

家を作るのに、木がいる。

木をつくってくれる森や日や土や風や雨に感謝する。

そういうふうに、「自然にあるもの、その場所で手にはいるもので精一杯の工夫をしてきた」

わけです。

ですから、必要以上の獲物はとらないし、戦う必要はないわけです。

そこに、鉄器あるいは、青銅器文明をもった文化がはいりこみ、

木と土と紙の暮らしで、十分なりたっていたものが、

武力的に弱いということになり、アイヌなどはどんどん、

北に追いやられていったのではないかと思います。

が、それでも、国が統合されると、戦いの武器である刀などを

封印していったとおもうのです。

そして、やはり、「その場所でとれるものを有効利用する」という暮らしが、

ほぼ、江戸末期まで続いてきたと思います。

もっと、いえば、昭和・・戦前ちかくまでは、

「その場所でとれるものを有効利用する」というスタイルはなりたっていたとおもいます。

こののちに、物質文明に目がくらみ(いいすぎかww)

「よそでとれるものが、便利で安いから、利用する」と、いうスタイルにかわり

この「欲」をはしごにして、

「便利になってほしい」というところをいきすぎた「豪華・贅沢・分不相応」な

商品で金儲けを優先しはじめるわけです。

「その場所でとれるものを有効利用する」ということがなりたたなくなってきたのは

しかたがないにしろ、

「本当に役に立つものを提供しよう」というのとは、的がはずれてきています。

たとえば、LEDなど、とっくにできあがっていたわけですが、

10年ももつような、商品をだしてしまったら、

その当時では企業のほうが、つぶれてしまうわけです。

多くの機器(民生のものです=企業むけはそうはいかないでしょう)を、

みていると、わざと、こわれる素材をつかうわけです。

S***タイマーとか、S***マジックとかいわれるのも、その一手なわけです。

新しいものを買わせる。モデルチェンジをする。

保守部品を8年しかもたない。

ある程度、製造したら、製造レーンを撤退てしまう。

そして、マイコンやICチップにプログラミングして、

その機械の頭脳にしてしまう。

頭脳がこわれたら、もう、その頭脳をなおすことができないわけです。

そして、かろうじて、長生きしても、こわれたときには、

代替品がなくなり、技術者もいない。

まあ、縄文人のDNAが継承されてきた大きな原因は

日本が島国だったということは大きいと思いますが

自然を尊び、「その場所でとれるものを有効利用する」

「誠意をつくして、ものをつくる」

(まあ、自分のためにつくっていくことをかんがえたら、

すぐ壊れる家とか、すぐ壊れる鍋とかつくるわけがないのですが)

そして、壊れたら直す。壊れないように、修繕やメンテナンスをおこなう。

昔は、鍋の穴を直してくれる、いかけや?とかがいたわけです。

憂生自体も包丁の柄がこわれてくれば、すげかえるわけです。

そういうふうに、有るものは、自然からのもので

また、自然に戻せるものというのが、

日本の暮らしだったわけです。

以前にストーブの話を書いたとおもうのですが

電気にたよりすぎた生活の怖さといっていいか、

北海道の方などは、肌身にしみているとおもうのですが、

クーラーやファンヒーターという暖房にたよっていて、

大停電などおきたら、とたんに寒さに対処できなくなるわけです。

薪ストーブなどで、自然の薪を利用した生活。

いろりのある生活というのが、なりたたなくなった都会など

緑が無くなった土地のヒートアイランド現象など、

考えるにつけ、

今一度、

「縄文人」の生活(精神)をとりもどさないと、

古代ギリシャ国家の衰退のように、

自然をないがしろにした滅亡そのままの図式が起こりえるのだと思えます。

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