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反駁

シュメール人にしろ、レムリア人にしろ、


国がなくなった以上、滅びたという表現をします。


その中で、おもうことは


スピリチュアル人によっては、


レムリアに帰りたいという言い方をします。


これは、もう、ない国に帰りたいということです。


このない国にかえりたいという思いを考えると、


それは、望郷の思いでしかないわけですが、


歴史をたどっていけば、滅びた民族のうち何人かは


生き延びるために日本の地にはいり、

日本を祖国・母国としたわけです。


郷に入れば郷に従えということばがありますが、

自分をいきのびさせてくれた国を思わず、

滅びた国をなつかしんでいてどうするかということです。


判りやすく説明すれば

前の亭主と別れて、新しく生活をきずいている亭主といっしょになって

前の亭主はよかった。元にもどりたいといっているようなものです。


いくら、よくても、もうほろびたわけですし、

現在、今の亭主とささえあっていきているわけですから

回顧している場合ではなく、

今の亭主をおもうのが、本当でしょう。



そして、歴史的な考えにもどせば、

なぜ、日本が生き残り、なぜ、レムリア人やシュメール人が、ほろびたかという

根本的な原因をしっていくことが大事なわけです。


単純にいえば、国に対する忠義

人に対する仁愛

自然に対する畏敬

親に対する孝信


こういうものを、うしなった国がほろびているんだということであり

ほろびた国をなつかしむ、同調するということは、

国に対する忠義

人に対する仁愛

自然に対する畏敬

親に対する孝信

を、見失っている状態と思えるわけです。


勝ち組・負け組という言葉がありますが、


これは、


価値を負うことができた組と

価値(が、何であるかもわからない)ので、何も負うことができない組という

とりかたができます。


いかに、価値を負うことができるために、

真の価値とは、なんぞやと気がついていくことだと思うわけです。


まことの価値に気がつけない状態が、

まだ「負うことができない状態」という意味合いで

負け組のわけです。


日本にうまれ、日本人であるという価値。

ここに、きがついていない状態もまた、負け組なわけです。

レムリアに帰りたいというのも、負け組ならば、

日本の価値とおりの生き様になっていない憂生もまた負け組なのです。


国粋主義者と勘違いされてしまっては困るのですが、

まず、自分を生んでくれた親に感謝し

自分をはぐくんでくれた家庭に感謝するのなら、

また、まず、日本人という親の血に感謝し

日本という地に感謝するのが先なわけです。


大和魂というものがどういうものであるかを

しっていくこと。


これが、内からということです。


外面をいくらよくしても

なにか充実しないのは、

内面とマッチしていないからでしょう。


日本魂という内面がどういうものであるか。


ここにこそ、源泉があると気がついていくことではないかと考えている次第です。

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