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五六七(ミロク)

六芒星


りくぼうせいとよみます。


いつも、疑問におもっているのは、

大本神諭のなか、


みろくが、

五六七になることです。



通常に考えれば、

みろく

三六九であり、


36計逃げるにしかずの、

36計というのが、弥勒の法だといい、


36計というのは、

苦(九)に対する乗り越え法、

因縁納所の秘儀だとおもいます。


つまり、弥勒、という魂の状態が、

身の禄(貫禄とかの禄)になるのが、

弥勒状態ということですが、


解字として、考えると

苦を観ろ

苦を知れということで、

これにより、因縁を納所することができてくるわけですが、


シルバーパーチがいうところとおなじ、

あるいは、白蛇抄の中でも書いた

「苦労を喜ぶ」「因縁を通ったことを喜ぶ」と、

いうのが、なければ、禄にならないわけです。


貫禄というのは、

いいかえれば、

困難や苦境を泰然とのりこえてしまい

このおかげで、自分が肥えたとおもっている状況でしょう。


辛かった、悲しかった、ひどいめにあったと

うらんだり、起こったりしている状況では

困難から得た「もの」はみにつかず、

貫禄もなく、ただの愚痴たれでしかないわけです。



と、考えると

禄というのは、六としてあらわされる。



身(3)の禄(6)とは苦(9)があってこそ。

と、いうことになりますが、

36計、逃げるにしかず。

と、いうのが、妙法ですね。


つまり、たとえば、前世の因縁で交通事故にあってしまうというカルマがおきるとしたとき

これを大難から小難にかえるとか、いろいろ、思い方をかえるとかして、

なんとか、うけとめるというよりも、

さっとよけられるというのが、一番だということです。


さっと、よけられるような、人間になるほうが、あるいは、

むつかしいことかもしれませんがwww

単純に素直にきく、あかごのようにすなおにうけとめるということで、

絶対的に兆しというものはあるわけです。


この兆しにより、たとえば、親から友人から天候から

ー良くない状態にいるよーということをきかされるので、

すなおにうけとめる。


これだけで、「逃げるにしかず」ができあがるわけです。


ところが、

これにたいして、

「おこられた」「えらそうにいわれた」「おもしろくない」などと、

はねのけてしまって、素直にきけないと

「逃げるにしかず」の土台がくずれてくるわけです。



話がぞれました。


で、五六七のほうのみろくですね。


六芒星=禄ととっていくわけですが、


五と七がなにになってくるかということです。


五芒星というのがありますが、

これは、北極星の光


北極星というのは、中天にあって、位置をかえない星です。


天皇というのが、日本の歴史のなかで、

2700年ちかく続いた家系、血筋であり

古来より「位置をかえない存在」として、

同義と思えます。


と、なると、七は、星なら、北斗七星になります。


これは、日本語では柄杓星です。


天皇という存在、大御心を柄杓ですくいとる。あるいは、

天皇が柄杓で自身の大御心をすくいとってふりまいていく。


これにより、日本人の身に「禄」ができるわけです。


この禄は歴史でいえば

「食い扶持」とか、生活の糧、米の出来高(禄高)ということで、

安全で安定した国という土地こそが「@禄」ということになります。


ところが、DNAをしらべていくと、

ユダヤ人が、日本人と兄弟関係であるというわけですし、

伊勢神宮にも六芒星が刻まれているということですが、


これも、禄=六芒星=ユダヤ人ととっていくと、


確かに現実世界での「禄」部分をユダヤ人がもっているわけです。



この禄というものの正体は、たとえていえば、

氷山のようなもので、

水面上にでている、みえている民族の禄としては、

ユダヤ人が水面上にでているわけです(DNAとしてとらえたとき)


そして、精神世界として、氷山、水面下の部分が日本人の禄なのです。


ですから、日本人の御霊には、天の息吹が濃いといわれるわけです。



この現実世界の氷山が、こういう形でできあがっているからこそ、

大本神諭では、

ユダヤ(イシヤ)と、手をくまなきゃいけないというわけです。


現実という水面上の禄が、ユダヤ人であるのなら

ここを身禄が示顕化したものにしなければならないわけであり、

ひいては、

日本人の氷山下の部分も

物質的禄になっているということになるわけです。


だから、水面に出ている部分も

支配や金本位(銭儲け)という欲や物質での禄になってしまっているということになっているわけで、


ユダヤ人を忌み嫌うのは、おかど違いで、

日本人の精神というものが具現化してしまってるんだと

責任の所在を自分に求めるということが


ユダヤ(イシヤ)と、手をくまなきゃいけないという、意味合いだとおもうわけです。
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