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似非・・2

先ほどの記事で、たぶん、↓の文章に、「なに?それ?」と憤慨された人がいるのではないかとおもいます。



人を助ける。

人を癒す。

と、いうことを、さも立派ですばらしいことのようにおもいこんでしまっているところにも、

この裏側をひっくりかえせば、

ー自分すばらしい人間になりたいーという欲がからんできていますから、

この欲を妙な存在にたぐられないように、してほしいとおもいます。



さも立派ですばらしいことのようにおもいこんでしまっている。

と、いう部分ですね。



じゃあ、人を助ける。人を癒す。と、いうことは、くだらんことなのか?


と、特にそういう事に従事している人は自分を否定された気分をあじわったかもしれません。


この説明は、憂生には、むつかしいのですが、これも思うままにかいてみることにします。




まず、前提から覆すことになりますが、


場合によっては

ー助けないほうが良いー

ー癒さないほうが良いー

と、言う場合があるということです。



簡単に言えば、自力でのりこえなきゃならないことを横から助け舟をだしてしまうということが、

本当にそのひとのためになるかどうか?ということです。



そして、助けるというのも、タイミングが必要なのだと思います。


多く、もがく時というのは、それが、自業自得である事が多いのです。


あの時の自分が撒いた結果だ。

とか

ああ、この思い方がいけなかったんだ。

とか。


そこに気がつくことが一番大事なことなのです。


自分を成長させ、自業を清算させられるために、もがくようなことになっていたとしたら、

横から「助ける」ことは、本来、不要なことです。



病巣でいえば、膿をだしきって、根からおちていくところまでいかないうちに、

たすけてしまうわけです。


身体はきれいに治ります。


早期治療のそれのどこが悪いのって、思われると思います。


憂生がいいたいことは、表面のことではないわけです。


魂のまわりには、気がとりまいていて、

そこに、欲や業がとけこんで、たましいにへばりつきます。


実際、魂が、黒いものにまとわりつかれていたり、

本体は白い柔和な魂なのに、表面がメロンのようにがさがさになっているという場合があったり・・・。


つまり、この魂の状況になるような、原因(多く、思い方ですが)を是正せずに、

表面上にあらわれているもがきというサインだけを治しても、業や黒い思いは、魂にへばりついたままなのです。



自分にきがついていくととれていくというものがありますが、しでかしてしまったこと、かけてしまった思いなどが帰ってきたとき、もう、返されることでプラスマイナス0にするしかないという、見ていてどうしようもない状態もあります。


ですから、本当の助けというのは、言い換えれば、

ーあんたがいかにぼろいことをしていたかーを、はっきり覚らせてあげるということになるわけです。



つまり、癒しなどとは、ま反対なわけです。


魂も自分のまわりに汚いものやひどいものがへばりついてくると、これをほうりだそうとします。


すると、本人がどんなことになるかというと、もっと、ひどい状況になります。



例えば、腹が立つという思いをもちます。

これが、気にとけこみ、魂の周りがよごれます。

魂はその汚れをどかそうとします。

どこにどかすわけですか?


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