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私感・ドナルド・キーンと大江健三郎の決別の理由。


デイステニィ・クロニクル

ドナルド・キーンと大江健三郎の決別の理由。

我輩が思うに、

大江の愛息が、ピアノなどの、

技術に天性(いわゆる、アカシックレコード的)の素質をひきだしている。

ドナルド・キーンの日本への系統のそもはじめをいえば、

源氏物語のほうが安かったという

いわゆる、どんよくな知識欲からはじまっている。

そして、物質主義的精神の低さから、

日本へ傾倒するにいたるが、

根本である、「魂」ということへの理解はなかった。

キーン氏もオペラなどを愛してやまないひとであったようだが、

根本的なサウンドというものへの

理解のしかたに相違があったと思う。



*この話は判りにくい書き方をしているとおもう。

憂生はキーン氏の考え方を
日本人らしくはないと思っている。
日本を好いてくれているというところでは
キーン氏への好感度はかなり高いと思うが
日本人になりたいということを精神論でとらえると
憂生の評価はきびしいものになる。
キーン氏の立場でかんがえてしまうせいかもしれない。
日本の良さに感化された俗人でしかなくなった。と、おもってしまうのである。

日本が良いという裏側は
母国が良くないということになろう。

(今や母国は日本になってしまったが・・・)

日本人なら同胞の精神レベルが良くないと思ったら
啓蒙していくことに徹するだろう。

ましてや、キーン氏は啓蒙できる立場にいる。

これをみていると
愛国心と言うか、はらから意識というか
こういうのがなくて、
自分さえよければいいという個人主義にみえてしかたがない。

本当の日本人になるなら
自国の人々を啓蒙していけとおもう。

そうするのが、本当の日本人だろうと思う。

大江の初期の作品は異質な世界がそのまま日常になった主人公をよくあつかっていた。

たとえば、エヒノーコックスに寄生され腹部に大きな塊を持つ少年。
閉ざされた世界で特異なあまりにも、個人的な世界でしかないのだが
少年の日常は塊に支配・差配されていく。

後の息子の存在を暗示しているかのような世界をえがいていたところがあった。

この息子への理解は、音楽が媒介していっただろう。

魂からの叫びといっていいか
こういう叫びをうけとめた大江自身は
息子だから同胞どころではないが
同胞をみすてるような?(いいすぎか?)キーンの
日本好きの行動に根本的な違いを見出したのではないかと思う。

おたのしみのための音楽鑑賞と。

アカシックレコードからか

はたまた降臨のごときか

底からわきあがってくるものとむかいあった大江と。

みための好感度などにあざむかれないまなざしがあっても不思議ではないと思う。
















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