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白蛇抄17編・書き下ろし12編・短編11編・他66編 掲載中
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2015/10/24
偶像崇拝というか、おかげ信仰というのか、
本尊をたてまつって、うにゃうにゃ拝んでいる人が居る。
で、こんなことを書くと、
「私の本尊を馬鹿にした」「うにゃうにゃとは、なにごとか」
と、本気でクレームをつけてくる奴が居る。
まあ、正直に言おう。
こっちは、人様の本尊を馬鹿になどしてない。
貴方が本尊を馬鹿にしているのだ。
と。
極論を書く。
「貴方」がすばらしい人間であれば、
貴方が信仰しているものにたいして、
「それもすばらしいものであるに違いない」と思う。
馬鹿にされた。
まあ、そのいいかたでもいいか。
馬鹿にするのは、「貴方」がいまいち、
すばらしくなく、むしろ、くだらない方にちかいから、馬鹿にされる。
このあたりを判っていたら、
まだまだ自分がすばらしくないから、馬鹿にされてしまうんだ。
ひいては、自分のせいで、本尊を馬鹿にさせてしまうんだ。
つまり、自分こそが本尊を馬鹿にしている。
と、こういう回りくどい考え方をすると、
見えてくると思うけど
そこを自分に問い直しせず、
クレームをつけてくる。
それこそ、まじ、偶像崇拝のきわみ。
その姿勢もすでに「馬鹿にされる原因」であろう?
これは、別に偶像崇拝みたいなことばかりじゃない。
自分の意見が通じない。
こういう場合だってある。
相談ごとにのる。
相談にのってあげたのに、。
こんな言葉の中にもある。
自分を問い直さない場合。
なんだって、偶像崇拝だ。
自分の意見は通じるはずだ。
という偶像。
相談に乗るのは相手の為にしてあげたこと。
なんて、優しい自分。
と、いう偶像。
いろんな偶像を持ちやすいもんだと思う。
この偶像があるから、
通じるはずだ。
相談にのったんだから、ありがたく思え。
と、いう見返り的おかげ信仰になってしまう。
いつだったかも、
「いわせてもらうけど」
「きかせてもらうけど」
という
すでに、「貰った」感覚位置でものをいい、話を聞けば
すでにもらっているのだから、
妙なおかげ信仰、見返りは求めない。
知らないうちにこのおかげ信仰ってものをもっていて、
それが宗教だけだなんて思ってちゃいけない。
人間の心理のなかにだって、
「おかげ信仰」はあるのだ。
なんて事を思ったので、まず書きとめておく。
あとは、また、おいおい、憂生がもつ、
「おかげ信仰」心理をはたきだしていく。
そのためにも、自分へのメモとして(訓示?)日記に揚げておく。
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