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父音と位

物事に裏表があるように、
父音にも裏がある。
あかさたなはまやらわ。
この下に並ぶのが
いきしちにひみいりい。
で、あるが、
憂生にはこの言葉が
こう読みかえれる。

活きし血に「ひ」魅入り居

この考え方が白蛇抄の基盤になっているといっても良い。

白蛇抄の中にいくつかでてくる、
因縁や宿業・・など。
ひとつの捉え方として
思いが、因縁や業を作るという考え方をしている。
そして、この思いは血に溶け込む。

血に溶け込んだものは、
いずれ、沸かされてくる。
体の浄化作用といっても良いかもしれない。

そこで、最初の活きし血に戻る。

思いが血にとけこむのであるなら、
活きた血とはどういうことか?

浄化できず、悪い思いを沸かすしかない
血が活きてるとは言いがたい。

かといって、浄化?がおわって綺麗になっただけの血も活きているとは言いがたい。

そこで、もう一度、
「血の中に思いが溶け込む」
を、ここに置く。

簡単に言えば沸き立っているのが活気であるとすれば、思いがとけこまない血も水溜りのごとくであろう。

つまり、よい思いを血に溶け込ませ
ソレが沸かされて、良いことをする。
細かく説明すると長くなるので省くが
これが、活きし血であると思う。

と、次に続く言葉
活きし血に・・・
「ひ」が魅入り居なのであるが、
「ひ」は古い言い回しで言うと
[魂」「御魂」という意味である。

活きし血に「ひ」がみいる。
魅了され、「ひ」が血の中に住まう・・

実際問題をいえば、通常は逆であるといえる。
臍下丹田に血脈のこもとがあり、
その臍下丹田に「ひ」がすまう。
臍下丹田をとりまく血流が(思いや欲)で汚れているから、「ひ」が送ってくる「良い思い・アドヴァイス」が、汚れた血のなかにまざりこんで、
なんの功も奏さなくなる。

だからこそ、
活きし血に「ひ」は魅せられて血の中に思いを託す。よい思いを送り込んで加勢してくる。

だからこそ、まず思いを良くする。

思い一つで物事変わる。

と、思う。

こういう観念が憂生の中にある。
だから、父音の下に隠されている言葉をこういう風に当てはめたとき
なにかしら、言霊にしろ、数霊にしろ
もう、今の世の中では判らなくなっているが
なにかしら、意味があるのではないかと思ってしまう。

続いて、数について・・。
ひふみ文書の言葉とは無関係で、
相変わらず、勝手にこじつけた話でしかないが
数にもなにかしらの霊が篭もると思う。

たとえば、むつかしい。
と、書くときに
六つかしいと、書く場合がある。

暦に詳しい方なら
六三とかいう言葉を聞いたことがあると思う。
このあたりからの出展だと思えるのだが
憂生の言うのは又少し・・違う。

六つかしいという六のはなしではないが、日本の数のかぞえかた。
ひとつ、から、ここのつまでの「つ」についても考えてみたい所である。
ちなみに「つ」というのは単純に考えれば「おしよせてくるもの」「あちら側とこちら側の境目」という意味合いもある。
最低限、この「つ」がついてる年齢までは親は「つ」を見張っていなければならないという、昔の考え方と思われる。
昔、元服の年齢をかんがえても、10からは自分の責任であるといえるかもしれない。

「位」から考える

さて、ここまでが、あるいは、下地つくりであったといえるかもしれない。

要するに大前提。

で、数。

これは、1~いくつまでというものでなく、いわゆる、位。

位というくらいだから・・
その字の通り
人が立つ姿をあらわしていると考えている。

一の位。
原初そもはじめ、
中朝事実・・になってくるが、
簡単に言うと夫婦という横の筋。
神代の昔、人を作っていった基が
いざなみ、いざなぎの2神の夫婦ごとからはじまるわけで、
これを基礎と考える。
夫婦が無ければ「自分」という存在が無いということになる。
出生といいかえても良いかもしれない。

十の位。

一という横の関係に縦筋が入る。
夫婦という関係から親子という関係が生じていく。
子供というものはまた、一として、考えられ、それが、また縦の筋を加えていく。
いいかえれば、一が自立した姿がひとつの家庭という十の形を現すともいえるので、ここで、まず、夫婦の在り様を考えさせられる。
夫婦の在り様がたとえば一でなく/のようにかしいでいたとすると
あるいは、子供の中にひずんだものが生じ、子供が自立した十を形作るときに
/の筋になったまま、横筋を迎える。
・・・でかしいだものを内在させていると結局、破綻を迎えることもありえる。
(のでは、ないかと思うので、、
夫婦の在り様を子に受け継がせないような、一でありたいという意味で、破綻するもんだという話ではない)
で、横道にそれるが
×1・・とかは、こう考えるといいえて、妙だと思う。

百の位。
夫婦も親子の関係も立派に成し遂げたとしたら、今度は自分の内面つくり。
人間完成は大げさかもしれないが
このあたりを人生の指標にしてもいいのではないかと思う。
で、一の下に白。
夫婦としての在り方を基本にしていくのは当然ながら、
この場合の一は腹一文字のような意味合いの一を想定する。

別の言い方をすれば腹黒いというアンチテーゼで腹一文字の下が白いという意味合いが納得できると思う。

千の位
これは十に払い、あるいは、テン、がつく。
常々、憂生は天網恢恢疎にしてもらさず。とか、八甲田山死の彷徨のせりふ
[天は我を見放したか」とか、
天意に通ずとか、南州公の「敬天愛人(仁)」とか、よくもちだしてくるが、
百の位でも、前述の日記でも書いたように、綺麗になる。白くなる。
と、御魂からの加護?加勢?を得られると考える。

御魂というものを、憂生は天からの分れだと考えている節がある。
本来のもともとの自分が御魂の中にうずめられていて、それが、御魂どおりの姿になれよと思いをふきこんでくる。
天からの分れであるなら、本来のみたまどおりがはまってくる白い姿。百の姿になったら、天の思惑通りとなる。
その姿がテンをいただいた、千の姿に相成る。

万の位。
よろずこというが、これは字の成り立ちを考えていくと「根を張る」姿と相成る。
一の下が、根である。
腹一文字の下、白くなった自分の思惑に根が下ろされていく。
家で言えば土台が作られる。
腹黒いところに根は降りない。
くされてしまうから・・・。

憶(億)の位。
真っ白な腹から芽吹いた思いの樹は生い茂るほどに周りをも救う・・(言い方が変か?)
逆を言えばこの人の言うことなら間違いが無いというほどのものになる。

字の通りの意味を思う。
心が意のままになる。
意が心のままになる。

天意ととるも、御魂からの思いと取るも
何でもいいんだけど、
よく、考えではわかってるが感情が沿わないとかいうように、
意と心が「まま・ひとつ」にはならないものである。
意は良いもの。正しいもの。であることが多いが
それに、心が沿わないことはよくあるが
この場合はもっと、厳しい。
意が心か、心が意かというほどの境地?極限までをさすほどに、無心?我のないこころが、意のまま。
意が心そのものになるというのだから、もの凄い。

いつだったか、悟るということを書いたが心が吾・・になるのと似ている。

人としての[意」のままの姿。
こういうことをぽちぽち、かんがえたりしているんだけど、

・・・。

実際問題・・意のままにならない、自分とむきあうことになる・・・。

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