画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

やっぱ、自分がかけた思いはいずれ、帰ってくる。


ちょっと、不思議な話を立て続けにかいています。

憂生自体は見えるタイプでも、聞こえるタイプでもなく

なんとなく判るタイプなわけですが、

実際、何度もかくように、

その力でなにかをしようという本人の意志はありません。

ただ、不思議部分を解決しなきゃならない?

状態にはいってしまうというか・・・。

これも、ひとえに、天王星人の性格かとおもうのですが、

乱世の覇者といわれるように、

動乱の場所にあらわれ、味方を勝利に導く覇者という

性格がかなり強くでていて、

天王星人は揉め事を解決する力がかなりあるため、

君子危うきに近寄らずというのがないというか、

危うきだと思わないというか。

で、ふりかえってみれば、

実にいろいろな相談事や

支え?や、あとおしやら、

あるいは、おせっかい?

でしゃばり?

と、いうのがあり、

どうも、人のことをよくきにかける。

思いってのは天駆けるものですから、

そこのところが、相手にとどいてしまう。

で、前にもかいたけど、

自分が解決できないと思わないという

そらおそろしいところをもっていて、

霊能力シャでもなんでもない

知識ひとつない高校生の時に

「何とかたすけてやりたい」

って、一心だけでうごき、

払いをやってしまう。

(どこかにかいてます)

この一心だけでは、どうにもならないことがあるということも

あるわけだけど、

結局、「思う」だけなわけです。

すると、前にかいたように、

自殺未遂(迷い?)をしかけた遠い所の友人の思いがはいってきて、

ただ、ただ、「死ぬな」「生きろ」と

本当かどうかもわからないことに念をおくりつづける。

と、いうことがあったりしたわけですが、

とにかく、「思い」の世界だっておもうわけで・・・。

どこまで、相手を自分をおもうかだけでしかない。

すべてはそこから、はじまり、そこで、終わる。

だから、本当に相手を思ったら、

相手からも本当に思われる。

そして、助けたとするよね。

で、例えば憂生が貧困生活にあえいでいたとする。

そうしたら、今度は相手が助けてくれる。

相手が思ってくれる。

そして、憂生の状態をみて、

一番必要なお金で助けてあげよう。

と、お礼という形でくれるわけ。

これが、順番なんだって思うわけ。

ところが、今は人の悩み弱みを

商売の種にしちゃう。

憂生は逆にいいたくなる。

悩んでる人にね。

あんた、誰も相談できる人いないん?

友人とか・・。親とか・・・。

なんでや?

それって、最初に人のことおもってなかったからじゃないか?

過去、誰かのことを思っていたら、

自分が悩んだ時、誰かが助けに来てくれる。

宗教くさく、孝徳をつめといわないけど、

やっぱ、自分がかけた思いはいずれ、帰ってくる。

金を払ってまで相談しなきゃならないほど、

相談相手があらわれないってのも

あるいは、自分が蒔いた・・いや、

蒔かなかった種からじゃないか?

そう考えたら、

世の中、情がなくなってしまったというか、

情のかけどころがわからないというか・・。

殺伐としているわけで、

せめてさ・・

「お気持ちだけでいいですよ」

って、相手のことをかんがえてさ・・。

相談にのってやろうという相談屋はいないのかねえ?

アル人には1万円ははした金かもしれない。

だけど、アル人には、とてもだせない金額かもしれない。

相談したくても・・

ほかに相談するところなくて・・

それでも、相談できるのは、金持ちだけかい?

貧乏人はなやまないかい?

で、お助けでござい。

ってさ、享楽の世界にさいたアダ花だろう。

はっきしいって、

ゲーム感覚、

ファッション感覚。

ちょっと、お食事してくるわ・・ってな感覚で

相談屋にいく。

そういうパターンになっちまうだろ。

だったら、お助けなんて看板をだすなっていうんだな。

憂生なんか、貧乏人だから、

必死に自分でかんがえてきたわい!!

あん?

単なる貧乏人のひがみか・・?

でも、それで、よかったかもしれない。

自分でなんとかできる。

って、自信はついたよ。


***スピリチュアルなるものにかぶれはじめたそも、最初の頃の雑文だったと思う。
今、よみなおしてみると、
のちに、きがついたことのほうが、本当らしい。


きがつくに至るいきさつはどこかにかいていると思うので省くが
白蛇抄の法祥・・をかいていたか、よみなおした頃だろう。
いわゆる、被り・・というものがあるんだけど・・。
これも、自分に元がなければ「かぶらない」と、考えている。

つまり、例えば、相談屋?さんが相談にのるということも
自分に「元」があるということ。


かけた思いが自分にかえってくるのなら
「思いをかけた」時点で
相談屋さんはたすけられているということになる。


自分の水面下に氷山の下のような大きな因縁もある。
前世のぶんとか、先祖のぶんとかかんがえると
膨大な量だろう。


現世に顔をだしてる自分の因縁など、ほんのわずかで
たとえば、相談してこられた内容が実は自分の水面下のものをみせているのかもしれない。


それにたいして、答え(アドヴァイス)をだすということ
実は自分の因縁にたいして
「私はこうします。こう考えます」
と、いう所信表明をしているということになる。

これが、疑似体験になり、きちんとした回答(思い)なら
おためし?に合格することになり
因縁がふきだしてこないということもありえる。

と、考えると
実は、相手をたすけたつもりでも、
実は自分がたすけられているということになる。


ここらに至る実体験と言う「いきさつ」はまたぽつぽつと出てくると思います。


















関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
7129位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2519位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。