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疑似体験かなあ?


メールボックスのなかにおかしなメールが入っている。

「貴方の小説に感想をいただきました」

どこもおかしくない。

ちょっと、前までならば・・・・。

その投稿場所の小説?および登録を抹消したのは、

もう2週間以上前。

つまり、無い小説に感想がくるわけがない。

と、思いながら、投稿場所をのぞいた。

間違いなく、削除している。

作者の登録も無い。

考えられることは、キャッシュ。

キャッシュが2~3ヶ月残っていることは知っている。

そのうち、なくなるのだけど・・・・。

キャッシュに感想などが書き込めるとは知らなかった。

感想の内容は死にたくなった。

だった。

こうなると、純粋に小説への感想なのか?

個人の鬱積がわいてきてしまうのか、どうか判らない。

さいわい、お知らせがきていたから、しっかり、

エージェントやIP番号が表示されていて、

うっかり、他の小説が現存する場所にはいって、

他の物もよまれてはかなわない。

と、いうことで、拒否設定をかけたのだが・・・。

作品を読むときに

感想をいただいて、思ったことだが

読む人間の幅?で読む。

同じ作品を読んでも、ひっかかるところ、受け止め方が違う。

多くは個人の考え方や環境・精神状態による。

例えば、ブロー・ザ・ウィンドをよんで・・・。

ここの設定が甘いとか、表現が稚拙などといえる人はある意味

幸せなのだ。

物語の設定に近い状況(恋人が亡くなった)を持っている人は

号泣になってしまう。

極端なたとえだが、読む側のさまざまなバックグラウンドによって、

物語の受け止められ方が違ってくる。

今回、死にたくなった。

と、いうのが、感想であるのならば、

憂生はむしろそのバックグラウンド部分が心配になる。

おまけを言えば、同じ小説に対して

別の人間は読んでいてせつなくて(かな?)声をあげて泣いた。

と、感想をくれていた。

憂生はその感想をくれた人のバックグラウンドを知っている。

個人情報部分もあるので、詳しくはかけないが

「親の思い。子の思い。その部分」

だから、死にたくなった人がそういう風なおもいになるには、

それなりのバックグラウンドがある。

そこの部分を訴えられてるというか、

同じものをよんで、死にたくなるほどの

精神性や受け止め方などなどしかできない自分をうったえてきているというか。

先にあげたブロー・ザ・ウィンドがそうだろう。

幸せというバックグラウンドがあるから、物語を架空のものとして読めるし

共振させられる部分も少ないからこそ、外側の問題(書き方がどうの・・とか)

に着目できる。

この逆を考えた時、だったら、どうにかしてやれないか?

と、考えるべきかもしれない。

だが、憂生は放置しておく。

本当にこっちが必要ならどうにでもして探してコンタクトしてくるだろう。

昔と比べ、動かなくなったと思う。

過去、こっちにぐっと、近寄ってきた人間は多くいた。(必要だったんだろう)

その度合いによっては、かなりのところまで、コンタクトがとれる。

そのコンタクトというのが、まあ、いえば、テレパシー状態にまでなる。

過去、ある女性が死にたいと入水したらしいコンタクトが来る。

「死ぬな」と念を送った。

こちらには、不安感がず~~とつきまとい、女性が迷っているのが判る。

一時間~二時間?もっと短い?

「死ぬな・生きていけ」

その念というか、祈りというか、エネルギーを送り続ける。

実際目の前で起きてることでもない。

本当なのだろうか?魑魅魍魎にたぶらかされてるんじゃないか?

いっしゅん、「勘」だけでしかわからない人間は迷う。

いや、もし、本当にあいつだったら・・・。

魑魅魍魎にたぶらかされたなら、それはそれで良かったってことになる。

一瞬のうちに迷いをふりきり、念を送り続けた。

そして、念をおくらなくてもいいような、

安心感がこっちに沸き始めた。

「大丈夫だ」

自分の送念状態をといて、

しばらく、待った。

30分以上たったかな。

相手はネットの友人。連絡はメールかブログのかきこみか、チャット。

目の前の画面にぱっと文字がはいってきた。

「心配掛けてご免」

もっと、早くかえってきていたはずだろうに

30分?はと思っていると

「実は沼につかっていたんだ・・体どぼどぼだから・・風呂にはいって・・」

沼・・こんな深夜に沼に・・

「死のうかなって思って沼にはいったんだ。水が冷たくて

このまま、死ねるかな・・死んでいいのかな・・

自分の頭をひやすために、ず~~とつかってた」

そして、生きようと思え、死のうという思いがくだらなく思えてきたんだろう。

それで、沼からあがってきた。

疑似体験というのかな。

臨死体験というのかな?

よくはわからないが、例えばこんな事があった憂生だから、

「死にたくなった」とかきこまれたら、

昔だったら、その言葉がうそにしろ本当にしろ(バックグラウンドはわからないものだから)そんな思い方をもたすものを心配してなにかしらのアクションを起こしたと思う。

今はほったらかし。

あるいはそれが「その人にとっての疑似体験になってるのかもしれない」

とも思う。

たかが本であるが、その本を読んで、疑似体験をえたおかげで、

死なずにすんでいるという人も居る。

そういう不思議なしくみにきがつくことはめったにないし

そこを知る人もいないだろう。

だから、「死にたくなった」さんは、臨死体験?疑似体験をしたのかもしれない。

そこから、どういう風になっていくかは、

その人の責任でしかない。

「死にたくなる」ようにうけとめて、いずれ本当にその思いにのみこまれるのか、

逆に「命」を思い切り掴みなおすのか、そこら辺は関知しない。

ただ、こういう風に憂生の心境が変わっていったのは

なぜか判る。

かけた思いは自分へのことだから。

「生きろ」「死ぬな」という思いが逆に憂生をささえてきた時期もある。

そして、今は

「生きるも死ぬも自分次第」と強く言える憂生になったということだろう。

その自分の変化がこういう心境に立つ原因で

一般的にいう、冷たい、醒めた思いでなく、

絵で言えばデッサンを習得?出来た上でのくずした絵というところかもしれない。

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