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彼の魂が・・

私がのちにはっきりと自分の妙なセンスを自覚することになる
そも初めが彼だった。

春半ば、友人の結婚式に招かれ、
私は岡山にやってきた。

中国地方いったいには私の親戚が何人かいて、そのつてをたどり、
のちに私がこちらにくることになるとは、この時はひとつもおもっていなかった。

旅費を浮かすために、叔父の家に宿泊を頼んだため、
結婚式前日に叔父の家にはいることになった。

さっそく、酒をくみかわすことになり、従兄弟も階下の居間にやってきて、
話はもりあがり、深夜遅くまでのんだ。

次の日の結婚式は新幹線のもうひとつ先の駅に程近いため
昼から披露宴には充分まにあうということもあり、
かなり、飲んだと思う。

ひさしぶりが、拍車をかけ、
翌日はいささか、酒の気が残っていたと思う。

次の日の結婚式には、無事出席でき、新婚旅行に出発する二人を見送ると
私は再び、叔父の家に帰っていった。
次の日の新幹線で故郷にかえることにしていたので、もう一泊したわけだが、
案の定、酒宴がくりひろげられたのはいうまでもない。
次の日、私は別の友人にあいにいこうと思った。
学生時代の友人がこの近くで新居をかまえていた。
恋女房と称する婦人をみてみたいという思いもあったと思う。

新幹線の時間もあり、どう動こうか迷っていると、
従兄弟がいつ帰るのか?駅まで送っていってやるぞ。と、声を掛けてくれた。

そこで、私は友人宅に顔を出したい由をつたえた。
乗車時間をつげると、従兄弟はじゃあ、すぐ、友人宅にいこうと
車をだしてくれ、私は叔父に2泊の礼をのべ、玄関をでた。

スーツなどの荷物も車にいれ、友人宅から駅に直行することにした。

友人宅では、夫人が香りの高い紅茶をいれてくれ、
夫人の手作りクッキーをいただいた。
もちろん、従兄弟も一緒にどうぞの配慮があり
従兄弟もちゃっかり、新婚宅に上がりこんでいた。

そこで、私は従兄弟の優しさをうかがい知ることになる。
「いや、奥さん。この紅茶はおいしい。
こんなに香り高く紅茶をたてたものをのんだのは初めてです。
ありがとうございます」

これは、お世辞ではない。
紅茶はたしかに、その旨味と香りを存分にひきだしていた。

従兄弟は紅茶で歓待する夫人の心づくしを掬いとる言葉をかけたわけだ。
初めてあった人の思いやりへの感謝を素直な言葉で表現する従兄弟の
心配り、心使いの細やかさに今まで知らなかった従兄弟の優しさをしらされた。

ところが、この心くばりは、そもそも、車をだしてやるというところから、はじまっていたわけで、従兄弟の優しさに気がつきだした私がさらに従兄弟の心配りをみせられることになるとはおもってもいなかった。
友人宅をあとにして、プラットホームにたてば、まだ、寒い。
春の風がホームをふきさらし、軽く、身をちじこませる私に
プラットホームまで見送りに来てくれた従兄弟がひょいと
温かい缶コーヒーを渡してくれた。

いつのまに?

一緒に歩いてきて、一緒にプラットホームにたっていたのに、
コーヒーの一本でもご馳走する気くばりのできない私も
随分とぼけているが、従兄弟はななめうしろの販売店を通り過ぎる時に
すでにコーヒーをかっていたのだろう。

ありがたくいただいていると、
新幹線がはいってきて、私はコーヒーもそこそこに
乗車することになる。
コーヒーがまだ残っている。
従兄弟は一緒に車内にのりこむと、私の席をさがし
荷物をたなにあげ、
座ってコーヒーをのめばいいとわらいかけた。

そして、大慌てで、列車からおりると、
また、車内の私のところにもどってきた。

手には一冊の週刊誌があった。
週間新潮とか、あの類のものだった。

「長い時間のってると、退屈だろ?」
いうと、週刊誌を私に手渡し、従兄弟は車内をでていった。

そのときだったと思う。
よくもここまで、心配りが出来る人間だと感心しながら、
ありがたく、一冊の週刊誌を受け取ったそのときだった。

見納めだなあ・・・。

と、私は思った。

そのとき私が思ったことを随分わすれてしまっていたが、
あとで思い出した。

見納め・・?
ああ、もう従兄弟と会うことはないということなんだな。

確かそうだったと思う。

従兄弟は岡山、私は北陸の小さな町に住んでいた。
北陸で私は板前である父親の経営する飲食店で働いていた。

よほどの事がない限り、岡山に行くことはない。
行ったとしても、従兄弟とはすれちがって、
あう事が無いのだろう。

と、いう私の背景をかんがえたのだろうと思う。

もっと、深くかんがえれば、たとえば、叔父が亡くなったとかのとき、
会うはずである。

それが、見納めになるわけが無いわけである。

だが、私は「もうあうことがないのだろう」と
簡単に考えた。
簡単に考えて、そう思ったことさえ忘れていた。

だが、深くかんがえたとしても、
彼の死をくいとめることができたかというと、
それは、不可能だったと思う。
それから、3ヶ月半たった、夏まっさかりの朝だった。

昨夜の宴会が長引き、後の始末をおえたのが、
深夜をこえていた。

酔客を各自宅まで送り、一風呂あびて、やっと布団にはいったのが、
2時をこしていただろうか。

目覚めると、7時。昼の仕事にまだ猶予があると、
私はもう一度、目をとじることにした。

うとうと、二度寝を楽しんでいた。
浅い眠りの中の深い窪みにおちこみ、
私は夢をみた。

誰かが私に話しかけていた。

「結婚して子供ができたら、子供の名前は鮎美にしろよ。
この名前はいいぞ。」

目覚めて私は考え込んでいた。

子供の名前は鮎美にしろというのは、親戚間では有名な
従兄弟の科白だった。

他の従兄弟にも同じ科白をいったそうで、
「私もいわれた」
と、いう話があり、従兄弟の姉がとうとう、屈したか
生まれた娘にいまは、もう授けられた名前であった。

私はまずそのことを思った。

夢に出てきたのは従兄弟だろう。
だが、その名前はもうすでに従兄弟の姪に授けられている。
いまさら、その名前をつけろと夢にでてくるのはおかしな話だと。

では、夢の中で「鮎美にしろ」といったのは従兄弟ではない?
いや、むしろ、従兄弟がいってることだと証明しているような科白でしかない。
なぜ、そんな夢をみたのだろう。

まだ半分ねぼけ頭で私は時計をみた。

8時15分。

こ1時間ほど二度寝をしていたということになる。

まだ、頭の中がまとまらず、うすらぼんやりと
夢を考えていた。いや、思っていたという程度だったと思う。

まずは、コーヒーでものんでと、コーヒーをたて、
飲み始めた。
昼食にむけての、仕込みのために厨房にたつ父親の指図を聞きながら、
私もあれこれ、具材の下処理をしていた。

海老フライの海老の背筋とり、尾の三角部分をとり、尾の部分を包丁の刃でこそぎ、中の汁をだす。こうすると、尾の色がさえる。
身を揚げたときにそりかえらないために身に筋目をいれる。
蟹の酢の物の酢を配分し調合しておく。添え物のキャベツをきる。酢の物のきゅうりを蛇腹にきって、塩水につけておく。などなど、下処理と下準備はかなりの量がある。

あわただしく準備に取り掛かかり、時間ももう、9時を回っていた。

早い客は座敷にはいって、談笑にふける。
お茶をいれて、もっていかなければならないし、
お絞りも自分で巻いてサーモスタットの蒸し器にいれて準備しておく。

客が蟹を食べる時などにもお絞りがいるので、
頭数の3倍以上用意しておく。

こんな風に次から次へと用事をこなしていけば、時間などすぐたってしまう。
自分の朝食がまだだったことを思いだし、テーブル席で簡単な食事をしていた。今を逃すと、宴会がひと段落するまで、食事にありつけないのだ。

そこに電話がはいった。

岡山の親戚からだった。

-従兄弟が死んだ。-
その電話の内容を嘘のように聞いた。
事故死だった。
出勤途中、トラックに突っ込まれ即死だったという。
従兄弟の時計は8時7分をさして、止まっていたという。

とにかく、きてくれないかという親戚に応諾ができなかった。
店はすでにここ1週間の予約客をひかえ、にっちもさっちも身動きがとれない状態だった。

生活と信用がかかっている。

もうしわけないが、血筋である母親にいってもらうことにして、
あの新幹線で週刊誌を渡されたそのときが
本当に見納めになってしまったことを知らされた。

商売は死に病ともいう。
親の死に目にだって、あえない覚悟でやっていかなければならないことは、
重々承知だった。
たとえ、行く事が出来たとしても、もう、亡くなってしまった従兄弟に
あうことは辛いことでもあった。
あの時、気がついていれば・・・。
この悔いをまのあたりにつきつけられる無残に私自身が
参ってしまうことになっただろう。

だが、その時でさえ、まだ、私は、「見納めだ」という予感・・でなく。予知になってしまったが・・。
自分の腑におちていなかった。
それでも、仕事をこなしていたが、
私の頭のなかで、
従兄弟の時計が8時7分でとまっていたことを考えていた。

私が見た夢は従兄弟にまちがいないだろう。

目が覚めたのは8時15分。

従兄弟が事故に巻き込まれた時刻とほぼ一致する。

私こそが従兄弟のところにいくべきだったのだろうか?

仕度をはじめた母にかわり、私の仕事はもっとふえていた。

おそらく、来れない私だからこそ、従兄弟の方がさよならを言いに来たのだ。

そう考え、私は仕事を選んだ。

そして、それから、半年後、父の体調がくずれ、
店を縮小して、ほそぼそと商いをこなすことになってしまった私に
別の従兄弟から仕事の話が舞い込んできた。

店は借り物であり、いずれ、返すときが来る。
これが、今であり、私は先行きを考え
従兄弟の話をうけた。
体調をくずした父親をほうりすてるようでもうしわけなかったが、
ぽつぽつと借金がかさみだした借り物の店を盛り立て返し、がんばっていけるほど、まだ、私の調理の腕はなかった

修行をかねるうえ、仕事をこなせるようになれれば、法外な給与。
店をたたんでも、借金をかえしていけるし、父母の先行きも安心できるだろう。
安気にくらせるほどになるには、まだ、まだ、修行しなければならないが、
5年のちには、なんとかなる。
いや、なんとかする。

こう思って、単身、岡山に渡った。

そして、従兄弟の死からかぞえて、
わずか、7ヵ月後、私は予想だにしなかった、
岡山の土地にすむことになった。

叔父も物寂しさがあったのだろう、私が近くにくることに喜び
支度金にでもと、かなりの金を渡してくれていた。

そこで、まず最初に、やっとというべきかも知れない。
叔父の家を尋ね、従兄弟の仏壇に線香をあげることができた。

ところが・・。

私が仏壇に手をあわせると
私の頭の中に声のような思いが響く。
「ちっ、うるせえなあ。また、きやがっ・・」
瞬間、私は息をのむ。
仏間には他にだれもいない。
いたとしても、今の声のような思いは私の頭の中でひびいた。

私はそれが、すぐさま従兄弟の思いだときがついた。
気がついたと同時に
静かに眠っているところを邪魔してしまったのかとおもった。
私にむけられた思いだと一瞬思った。
だが、その思いは途中でとまった。
私だと気がついた従兄弟が言葉をとめた。
そんな感じがした。

私は線香をあげおわり、仏間を出た。
妙にしっくりこない従兄弟の言葉が頭に浮かぶ。
あの優しかった従兄弟が、「うるせえ」と感情をなみだてている。
なぜだろう?
そして、私だと判ったらすっと思いをひっこめたということは、
すくなくとも、「うるせえ」の相手は、私じゃない。

誰にたいして、うっとおしがっているんだろう?

私の心の中で従兄弟の思いが疑問符になって滞っていった。 それから、しばらくは別の従兄弟の所に同居し、
手ごろなアパートをさがした。

たいした荷物もなく、最低限のものだけしかなかった。
アパートに暮らし始めてから実家からすこしずつ荷物を送ってもらった。
自分が使っていたTVを送ってもらい、安いガス台を求め、
最初は鍋ひとつ、フライパンひとつ。
叔父や従兄弟が布団や茶碗や古い冷蔵庫をくれた。
住民票を移しおえると、
仕事がはじまり、私の本当の生活が始まった。

確か、仕事について、初めての休みだった。
狭い4畳半一間の居間と台所。二階に二部屋。
その4畳半で身体をのばし小さな画面のTVをみているうちに
私は転寝をしていた。
そして、また、夢をみた。

大きな体の男が部屋の隅に対面するように寝転がった夢だった。
やけに生々しく、その体つきが死んだ従兄弟を思わせた。

仏壇で、やかましいといったくらいだから、
弔問客や家族の涙がわずらわしかったか?
私のところは、静かすぎるくらい人がこない。
のんびりできるとここで昼寝をきめこむのだろうと
私はあまり、頓着していなかった。

その頃に別の従兄弟が彼女の魂が・・でかいた、私を救ってくれた人に
ひきあわせてくれた。

不思議な人で、此方の思っていることをずばりとみぬいた。
私も多少、そういうところを持っていたが
私のものは第六感にすぎなかった。

そして、次の休みの時にも、従兄弟は転寝の私の夢に現れた。
だが、今度ははっきりと、思いを告げてきた。
と、いっても夢なのだが、従兄弟が死んだ日のことを思っても
それは、普通の夢とはちがうものだろう。

「ここは、いいなあ。のんびりできるよ」
私は別の従兄弟から不思議な人のことをいろいろ、この部屋できかされていた。
そのことも含めて死んだ従兄弟はいうのだろう。
「それに良い話をきかせてもらえる」

私はこれらのことを不思議な人にたずねてみようと思った。

最初に従兄弟がみせた「うるさい」という思いは誰にむけたものなのか?
なぜ、私のところに従兄弟が現れるのか?

私が不思議な人に話をはじめると、
まず、日中に寝てはいけませんよ。と、教えられた。

これは今になるとわからないでもない。
心霊体験などを読むと、一部の人は幽霊に取り付かれると
眠くなる。と、書かれている。
本人の意識がしっかり覚醒していると、幽霊がはいりこみにくいのだろう。

元々、眠る時間でない時に非覚醒になるのはよろしくないのだろうと思う。

そして、次に言われた事が
「この方は自分が亡くなったことにきがついていません。
そして、おとうさんをきらっています。
この方に本当の親子というものがどういうものであるか、
みせてあげることができたら、この方はきがつくのですよ。
どなたか、おとうさんのおっしゃること、難題であっても「はい」とうけて
教えて上げられる方はいませんかね」

この言葉で私のなぞが全部解けた。
死んだ従兄弟は自分の思いをキャッチできるものに
いつもどおりしゃべりかけていたにすぎないのだろう。

そして、「うるせえ」は従兄弟の父親にむけたものだったに相違ない。
この思いが、彼が死んだことを自覚できないようにしていたともいえる。
死んでも思いはついてまわるという。
「うるせえ、いやだ」という思いが彼についてまわり、
彼はその思いだけにとらわれ、
そんな風に思っている自分がまさか死んでいるとは自覚できない。
なにかあれば、か~~として、「うるせえ」と思いがすべてそっちにむいてしまうから、なおさらだろう。
どういう仕組みになっているかわからないが
本当の親子の姿をみて、自分を省みた時
自分がしんでいることをみわたせる余裕ができるのかもしれない。

別の従兄弟が
その役をかってでてくれて、叔父の下で働き始めた。
がんこで、いちがいなところがあり、こうるさいをとおりこして
うるさい人であるのは事実だった。
その叔父の言い分、言い方に逆らわず、「はい」とうけとめて、
ーおとうさんの思うとおりやってください。私も添っていきますー
は、かなりの辛抱を強いられたものだと思う。

だが、半年近くたって、
仏壇のまえにすわることがあったが、もう、なにもきこえてこなかった。
あれから、うっかり、転寝をしても、従兄弟が私の夢に現れることもなくなった。

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