画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

幽玄師

幽玄師・・・1

サイキックだのチャネラーだのヒーラーだのとにかく、そんな奴らがネット界にのさばってきて、俺としては、非常に不愉快だ。

まず、なにが、気に食わないといったって、その力で金を取る。

次に、なにかの神だとか霊だとかとにかく、得体のしれないものの力をかりる。

得たいが知れると思っているのは本人だけでしかない。

俺としては、なんで、そいつらのやってる事が気にいらないか、うまく説明できない。

奴らはとても、人を幸福にしている。

悩みがあったら、神様にきいて答えをだしてくれる。

くたびれていたら、パワーという名前の愛をくれる。

とっても、良いことをしている。

すばらしい。

どう考えても、気にいらなきゃおかしい。

だけど、俺はそうだなあ・・・。

俺の考え方はこうだ。

キリストをたとえにする。

キリストが贖罪をおってくれる。

はっきり、いって、気に入らない。

自分の罪ぐらい自分でおう。

その結果、地獄におちたって、かまわない。

人にかたがわりしてもらってたすかって、それ、俺の生きた結果か?

俺は主体性のない人生は大嫌いだ。

キリストという黒子に手取り足取り人生という舞台を躍らせてもらって天国に行きました。って、なったって、俺の魂は傀儡だろう?

俺の人生をすくってやったってことで、ますますキリストは神々しくなるか?

人の贖罪をおってくれるのは、けっこうなことだ。

普通なら、みんな涙をながしてありがたがるんだろう。

だけど、俺には自分の位をあげるために、人間の魂を傀儡にしているだけにすぎないって

おもってしまう。

こんなことを書いたらキリスト教徒の「お怒り」にふれることだろう。

その結果、地獄におちるもよし。

俺は俺の思ったことをいって、俺の作った贖罪で自ら地獄に落ちることを選ぶ。

なんという自主的な人生だ?

だから、こういう理屈と一緒でそいつらが気に食わない。

口では「愛」をときながら、神のしもべになったり神の力をつかわせてもらって、人に尽くして、神の位をあげてやってる手伝いをしてるだけ。

あげく、相談者に本当の人生をわたせず、楽な生き方をわたして、

なんだっけ?

ヒーラーは人間性が重要です。誠の思いが大事です。真の愛が必要です。

俺はおおわらいしちまう。

親の愛ってのをみてみろ。

3歳の子供がころんだら、たすけにいくのか?

痛かろう。と、心で思いながら子供が自分でおきあがるのを待つ。

苦しいんです。

悲しいんです。

それも親は子供の試練だと自分の痛みを堪えて見守る。

試練に打ち勝つ強い子になってくれと子供を見守る。

俺はそれが、本当の愛だと思う。

パワーを与えます。

天使をくっつけてあげます。

浄化してあげます。

慈善事業か

楽な人生渡して、それが、「愛」だとぬけぬけ、いう奴も阿呆だと思う。

ぎゃくに、それを「愛」だと思える奴はよほど、甘ちゃんにそだってる。

俺は俺の人生の主人公でありたい。

転んだら自分で立ち上がる。

俺ははっきしいって、そんな人間の方が勝手に人にパワーをあたえてしまうし、天使をくっつけてしまうし、浄化してしまう。

と、勝手に思ってる。

もちろん、かってにだ。

だから、なおさら、それを金に変えるがきにいらない。

勝手にでてくるものを、金にかえるってのは、

まあ、なんだ。

人の金をころがして、その利ざやを吸う吸血鬼みたいな奴だ。

おれには、どうもそう見えてしかたがない。

まあ、これは俺の勝手な文句だ。

そんな俺だがちょいと、困ったことになっている。

幽玄師・・・2

どこかのヒーラー養成所のマスターのはなしだった。

多くの人を癒したいので、ヒーラーになりたいのです。

と、入門しようとする人がいるとのこと。

俺はこれもぶっちゃけ、笑う。

そいつが、ヒーラーになってやれることは、「人をいやしたいんですう」って、自分の気持ちを癒すだけだと思うから。

多く人を助けるってことをやってる人間は「助けたいという」という自分の気持ちを助けてるだけだと俺は思ってる。

じっさい、前にかいたように、本当に人をたすけてるかといったら、違うわけで、その人間をきたえるとか、磨くとかという助けにはなってない。

俺は自分で解決できるような人間にしてやるのが、本当の助けるだと思ってる。

だから、例えば「癒したいんですう」って奴をヒーラーにしてやるのが、そいつを助けるってことにみえるかもしれないけど、そいつが、やることは、自分をいやすために、相手の人生に楽をさせてやって、本人の本当の為にならないことをする。

と、いう、いいようによっちゃ、悪いことをする。

だから、「人をいやしたいんですう」なんて、ことをいうやつには、そのことをはっきりいって、

自分で解決できる人間にしてやるってことが必要なんだってことをつたえなきゃいけない。

自分で解決するということをさせるのは、はっきり、いって、

「お前のその根性がぼろいんだよ」

と、はっきりつげてやる。ってな事が必要で、

どうぼろいか、なぜ、いけないか、はっきり物がいえなきゃいけない。

その考えを納得させるだけのものをもってなきゃいけない。

きついことをはっきり告げられる強さもいる。

きついことをつげても、この人のいう事はまちがいない。

と、受け止めてもらえる人徳・人柄もいる。

おためごかしの「癒し~~」なんかじゃ、本当の癒しになりはしない。

時に相手の悲惨なトラウマだって知る必要がある。

相手がそうおもってしまう理由をきき、どう思いを変えていけばいいか。

その答えを導き出せるじぶんじゃなきゃいけない。

はっきしいって、もの凄い傷をおってる人間をパワーなんかじゃなおせん。

仮になおしても、根本的な思い方を変えてなければ、それが、その人の子供や来世に因縁として引き継がれる。

その場だけ自分が天使になって、自分を癒してる人間には無理な話。

その場だけ。本当に助けるのでなくパワーだけあたえてるのは、かえってよくない。

ここら辺を判ってない人間が安易にヒーラーになりたがる。

はっきしいって、大変な仕事なんだ。

それでも、簡単なヒーラーになりたいというのなら、そいつは、人にたいして、本当は良くないことをしてる。

って、ことを自覚してやるべきだろうし、そのせいで、俺の論理によれば、それも贖罪をおうってことになる。

そこまで、わかってやるなら、俺もそれはかまわないと思う。

で、俺が何で、ここまではっきりそういえるかってことだ。

幽玄師・・・3

俺が霊能力者をはじめとするスピルチュアラーをよくないとおもいはじめた根本を話すためには、まず、俺が俺自身を否定しなきゃいけない。

俺もひとりのスピルチュアラーであることは間違いが無い。

俺は自分の事を幽玄師と呼ぶことに決めた。

幽玄とは、どういう意味であるか?

辞書を引く。

奥深い味わいのあること。深い余情のあること。また、そのさま。

単純に奥深い世界のことを有言する技師(わざし)とかんがえてもらったらいい。

この奥深い世界を精神や心ととらえるむきもある。

だが、俺は自分のスピルチュアルな部分から得た奥深いは少し違う。

スピルチュアラーもこの幽玄に関る人間であることは間違いない。

だが、通常のスピルチュアラーは幽界や霊界や神界や天界とのかかわりで幽玄を捉える。

コンタクトと言ってよいかもしれない。

ところが、俺はこのコンタクトはそれらの世界の存在とのかかわりでしかないと見ている。

俺が思うところ、これは、別の世界の存在との交信でしかない。

目的地の駅にいって、駅長に話を聞いているだけだと思う。

では、話をきいてる自分はどうだろう?

どこにいこうとしているかより、自分はいったいなにものであるか?と、いうことがわかっていない。

こう書くと自分がなにものか?

自分がどこにいこうかということを知っているというスピルチュアラーが出てくるだろう。

前世をしって、自分が何者かわかっている。

覚醒によりなにものか、判っている。

どこにいこうということも、神さまなどの指導でわかっている。

こう答えるだろう。

ところが、この前世も曲者であり、神の指導もさきにかいたことでいうとおり、自分の魂を傀儡にする行為に近い。

前世が曲者であるということについて、異論を感じることであろうと、おもうので、

ー俺が霊能力者をはじめとするスピルチュアラーをよくないとおもいはじめた根本を話すためには、まず、俺が俺自身を否定しなきゃいけない。ー

を、もうすこし、先送りして、先に曲者ということを話す。

幽玄師・・4

前世が曲者だということを話す前にまず、幽玄ということを、はっきりさせておこう。

俺のいう幽玄世界は「魂の世界」とかんがえてもらいたい。

まず、ここを押さえておいてもらったとして、前世が曲者だという事を話す。

前世が今生に関与するということは重々承知のことだとおもうが、この前世が「幽玄」にはまってくる。

自分の遣り残したこと、したい事など、いろいろと今生の人間の人生でクリアしてもらいたがる。まあ、浄化と考えていいだろう。

ところが、「幽玄」は前世、より以上を歩もうとする。

さっきのたとえがわかりやすいかな。

「癒しをしてあげたいので、ヒーラーになりたいんですう~~~」

と、いうのが、「前世」からの影響だと考えてくれればよい。

ところが、「幽玄」自体は「その人間を本物にしたい」と考えている存在だ。

だから、前世からの差配に突き動かされて、今生の人間は自分が「本物」になっているか、どうかも、判らず、前世の思いをクリアさせられるように動く。

なんとなく、そう思う。と、いうことが多くそうだろう。

ところが、前世の思いのままに動くと、先ほどの「ヒーラーになりたい~~」は、自分自身が「本物」になっていないからえらいめにあうことになる。

このための解決方法が神をつける。霊をつける。前世をつける。と、いう「本物」とは別のところから力や能力を「借りてくる」

つまり、「幽玄」自体はひとつも働いていない。

成長していない。

むしろ、「幽玄」をその他のものに明け渡す結果になっている。

ところが、前世からの差配をなんとかしなきゃいけない。

これが、「幽玄」にくっついて、離れない。

離すためには、前世の何事かをクリアする。

この前世の何事かというのが、魂の因縁ということに捉えられると思う。

俺の場合を考える。

俺は前世占いによると、賢い奴隷、聖職者、おそらくであるが、巫そして、調理人などがあったと思う。

賢い奴隷はその奴隷制度自体に疑問をかんじたり、同じ奴隷の不遇をなんとか、改善したりしていったと思われる。

これが、どうも、俺を差配する時、原因を追究して、周りを良くする。と、いう思いをわかせる。

聖職者もにたようなものだろうが、どうも、俺はこの前から「聖出せ」と思わされて仕方が無い。

さきにヒーラーになりたいということに必要になってくることで、時に相手のぼろいところを離さなければならない。

と、かいた。

そのためには自分がぼろいところを相手に話す必要も、話せる強さも、ぼろいと判断できる道義ももっていなきゃいけない。

つまるところ、鬼か悪魔のような厳しい・冷たい面を持たなければいけない。

「おまえ、くそぼろだよ」

と、言う。これのどこが、聖だろう?

だが、自分可愛いで「聖」なことしかいえない。

はっきり物をいって、相手から憎しみをうけたくない。

憎しみをもたせたくない。

などなど・・。

こんな「聖」などが正直でてくる。

これもそれなりにクリアしてきたと思う。

だが、俺の奴隷の前世が「原因を追究して、周りを良くする」と、いうことのためには、「聖」だけじゃだめだとわかってしまっている。

この事が巫のことでもでてくる。

神とか霊とかをつかうことが、本当に良くすることじゃないことを嗅ぎ分ける。

おそらくでしかないが、「ヒーラーになりたい」は例えば人を助けられなかった前世の無念とかが、その人を差配している。

この無念を何とかしてやらなきゃいけない。

そして、その人を助けたいという思い方でもいろいろな場合があろう。

看護士になりたい。救急救命士になりたい。ヒーラーになりたい。

などというふうに・・。

何故、ヒーラーになりたいか?

ここが問題だと思う。

先にかいたように、ヒーラーは自分が本当にできていないとなれない。

つまるところ、「幽玄」がそこを求めている。

と、すれば、ヒーラーの技術をもつことよりも、「自分を本物にする」ことが先だということ。

そして、いろいろな前世からの差配をクリアしていったら、もうひとつ、自分が「幽玄」にちかづいていく。

この魂の因縁や、血の因縁をクリアした段階にはいらないと相手に自分の因縁をみせつけられるだけになる。

仮に自殺する因縁があったとする。前世でもいい。

これをもったまま、ヒーラー(ほかのスピリチュアラーでもおなじ)になると、相手にその因縁をかぶせかねないし、相手もそういう人間が出てくる。

これを癒すに自分がその「自殺する」と戦って勝っていない(クリア)と、自分がその毒気にやられたり、自分の寿命を縮めたりするという状況に陥る。

どこかのヒーラーが「自分が幸せじゃないと相手を癒す事ができない」と、いうのは、まさにその通り。

まず、自分の前世。(血の前世・魂の前世)をクリアしていかなきゃ、幽玄にはたどり着けない。

幽玄師・・5

まず、俺を否定する。

俺自体もスピリチュアラーであると思う。

なによりも、俺自身が「なにか」に使われる・つかれるというのが、嫌で仕方が無い。

どこそこの神様の台になってとか、守護霊に聞いてとかでも、いやなんだから、当然、霊に憑かれるなんて、お断りだと思っている。

で、あるのに、俺には、なにものか判らないが、「物を伝えてきたり」「顕示」をみせたりという状態が起きる。

これが、俺にとって、困ったことなんだが、ある事件をきっかけに、俺の考え方が変わった。

霊憑依は霊が何らかの思いをつたえたくて、憑依するんじゃなかろうか?

思いをもっていると、霊も成仏できないんじゃないか?

まさしく、思いが重くて、浮かばれない。

こう気がついたといってよいだろうか?

それから、しばらくしてからだったろうか?

不思議な事がおきた。

ある女性のメールを開いた時、白く光った。

まさしく白光。

これは、かなり高次元の「幽玄」をもっているに違いない。

と、感じていたある日。

彼女のメールに読んでいると、俺はひどく、手をあわせたくなった。

なんども書くが、俺は神とか、仏とか、こういうものを崇拝する考えがない。

で、あるのに、むしょうに手をあわせたくなる。

拝むという形に近い。

正直、これは気分が悪い。

だが、ままよ。と、手をあわせてみた。

すると、ふと思う。

これは、メールのむこうの彼女のうしろに居るものがこっちに頼みたいことがあるんじゃないか?

案の定、そういうことだったようで、うかばされるままに彼女にメールを書いた。

メールを書いている途中で、何者かが「そこまで書けば、判る」と、とめにきたので、そのまま送った。

それで、判るのかと思っていたら、彼女の返事は「幽玄を意識しなさい。と、いう事ですね」だった。

確かに俺が書いたことは、そのとおりのことだったけど、本人がそこをわかったのなら、

あれだけの光をもったものがいるのだから、大丈夫だと考えているし、「幽玄」を、意識していけば、間違いなく「幽玄」が彼女を導いていく。

そして、このときだった、

彼女の魂と思われるものが俺の手の中にはいりこんだ。

魂が手の中に入るものだろうかと俺も思う。

これについては、俺も、実際、見える人間ではない。

あくまでも「気がする」というものでしかないのだが、この「気がする」が、実際にそうだったという過去例があったせいもある。

だが、俺の中で迷いがあった。

その事が事実か、事実で無いかをいうのではない。

これは、何の力だ?

と、いうかすかな疑問だった。

その力を使うということは、まさしく、俺は神かなにかに使われるということじゃないのか?

俺が何かにのっとられる?

まだ、この疑問をはっきり自覚しないまま、俺はこの力を使い始めた。

幽玄師・・6

俺がその力を使い始めた時、俺はまだ、何がなんだかわからない状態だった。

当初、対面する相手に(ネットを通してでも)相手がこっちと対面していなくても、こっちを意識したと思われる場合でも、幻惑感がつきまとっていた。

この幻惑感というのは、憑依されたときのものに、近い。

誰でもにおきるというのでなく、なにかしら、共通点があるように思えた。

まず、アメーバー内では、霊能力者の類が訪問してきた時にこれがおきた。

メール友人でもおきた。

なかには、不思議な能力を持った人もいたが、ひとりだけ、そういう能力をいっさい、もっていないのに、ひどく、幻惑感を与えられる人間がいた。

なぜだろう?

こういう疑問をもったまま、先の白い光のメールの女性とはなしていた。

いままで、いっさい、幻惑感がなかったのだが、ちょうど、手をあわせる少し前に幻惑感がおきた。

これは、彼女。あるいは、彼女の後ろ側のものが、こっちをこわがったのじゃないか?

と、じっと、こっちを眺めていた感じがやがて、「拝む」に変わったときだったか?

ここらへんははっきり覚えていない。

幻惑感がなくなった。

そして、このことから幻惑感はこっちをこわがっているか、あるいは、本人の後ろのものが俺に「本人」に伝えて欲しいことがある時に憑依するのではないか?

つまり、俺は「いたこ」のような能力をもっている、スピリチュアラーなのか?

俺は、ようは、霊能力者なのか・・。

俺は正直、愕然とした。

霊能力者のどこが悪いと思われるかもしれない。

霊能力者は、霊に精気を吸い取られる。

別段これは、エネルギーの法則だから不思議なことではない。

霊の力を使うのだから、霊もパワーがなくなり、霊能力者からパワーをすいとろうとする。

だが・・・。

これが、人間同士なら「気」「思い」という形でのキャッチボールになる。

霊能力者は魂に霊を寄生させてしまう。

霊の栄養は魂そのものになる。

魂を実体で見る人からきいた話だから、俺には判らないことだけど、魂が蓮の実のようにいっぱいあながあいてしまう。

こんなふうになった魂だから、本人の身体や精神に影響が出る。

そんなふうになった魂がこの先どうなるのかは、俺は知らない。

だけど、魂をそんな目にあわせてしまったら、うまれかわってもろくなことにならないんじゃないかとおもってしまう。

そんなことを聞いていたので俺は、絶対自分は霊能力者だけにはなりたくない。

と、思っていた。

で、あるのに、俺は霊能力者か?

だから、愕然とした。

幽玄師・・7

俺は霊能力者なのかもしれない。

こういう思いをもちながら、俺はそれを否定していた。

なぜなら、俺は霊能力ではないだろうと思う顕示をみていたから。

その顕示は天気を変えるという現象をみせてきていた。

だが、そのときでも俺はその天気を変えたものを拝んだり信じたりしなかった。

顕示をおこしてみせたものは、俺の死ぬ気に対して、止めるために顕示をみせた。

俺はこのことで、自分の魂がよほどすばらしいものに違いないとかんがえることにしていた。

それを見せてきたのであって、うっかり、顕示を拝んだら、それこそ、そいつの支配下になってしまう。

俺の魂がすばらしいんだ。俺の魂が尊いから、神かなんかが顕示してまで、「生きろ」といったんだ。

すばらしいのは、顕示を起こした神?ではなく、俺の魂だ。

俺はこう言うふうに自分にいいきかせていた。

俺は霊能力者なのかも知れないと思いつつも、「誰かに思いを伝えようとするもの」がくるのは、俺の魂になにかを、ひいては、俺になにかをおしえようとしてくるんじゃないか?

とも、考えた。

霊能力者なら霊能力者でもよい。

必要のないことは絶対起きない。

何か、それをする事が必要なんだ。

と、ひらきなおって、俺は幻惑感を感じる相手。あるいは、なにか話したいと思う相手に

メールやブログで直接書くことにつとめだした。

必要があればむこうからもやってくるだろう。

とにかく、なにか、思わされる、ひかっかる相手には、思うことを書いてみようとおもいはじめ、

それをつづけていた。

そして、ひっかかる事を自分とてらしあわせてみようとかんがえた。

その最初がある霊能力者のブログだった。

通常、霊能力者ときくだけで、俺はどちらかというとさけていた。

友人がもしも霊能力者だとわかったら、別におどろきもしないがはじめから、霊能力者だとわかっていたら、あまり、付き合いたくないと思う。

だが、霊能力者が知っていることを俺は全然しらないし自分のまわりでおきることはなんだろうと知りたいというおもいもあって、一時期は霊能力者や神道家のブログものぞいたりしてみた。

これは、最近ある霊能力者に相談らしきものをしたところ「霊能力者は霊のことしかわからない」と、とれる内容の返事をもらい、逆に俺の近辺でおきていることは、霊能力者ではわからないんだ。と、納得したのだが。

その当時は、まだ、何故幻惑感がおきるのかさえ、わからず、まず、このことを知りたかった。

なにが、来ているんだ?

これも霊能力者ならわかるだろう。

そうおもったのもある。

幽玄師・・8

その霊能力者を見たとき、ブログの内容とともに、ひどく、心の美しい、暖かな人柄だと思った。

今になってみれば、何を話したか、覚えていないがいくつかの、メールのやりとりで、親身になってくれる人だと判った。

それで、俺は自分の幻惑状態について、話したと思う。

帰ってきた答えは般若心経の写経をすれば、変な霊にとりつかれることはなくなる。

と、いうものだった。

俺も確かにその方法は効果があると思う。

だが、俺が知りたかったのは、何故、そういう幻惑症状がおきるのか?何故、魂がきているのがわかるのか?

俺はいろんな物事がおきる本当の理由は自分にわけがある。

と、考えている。

その理由を知りたい。

と、思うものにとって、これは、外れた答えだといってよい。

怪我をして、なんで、こんな怪我をしたんだろう。

俺がおっちょこちょいだったのは判るが怪我を回避できなかったのは何故だろう。

たとえば、左右の確認をしていなかった。

なぜ、左右の確認ができなかったか?

気持ちが浮かれていて確認をおこたった。

何故うかれていたんだろう。

・・・・。

と、いう具合に俺はほじくっていく人間だ。

それに対し、この薬を塗れば治りますよ。と、言われたみたいなものだ。

蚊にさされて、薬を塗る前に先に蚊をつぶすだろう?

俺が考えてることはそういうことだった。

だから、その霊能力者が見ている方向が違う。

と、感じた時、ほかの言葉がひどく気になった。

「相談にのりますよ」と、いう、内容だったと思う。

俺は確かに「相談できるものなら相談したい悩み」をもっていた。

だが、この悩みを打ち明けることは無い。

まず、受け止める事が出来ない。

この悩みについても、上のような考え方があてはまる。

ここから、理解できない人間には相談できない。

解決できない人間に話すということが非常に危険だということは、俺はある経験で判っている。

俺のある意味、自分にたいして厳しくあろうとする態度は逆に相談された側が自分を取り崩す。

簡単に言えば、いかに自分が甘い考え方をしていたかを自分で自分にといなおさせてしまう。

自分のせいじゃない。

と、考えている人間にとって、その姿を見ることは時に自分が人のせいにしている、あるいは、なにかにすがって、逃げていることを思い知らせる。

これが、場合によってはその人の精神を崩壊させる場合もある。

信じていた価値観がいっきに崩れるんだから。

その霊能力者も同じことだといってよい。

心を無にすることは確かに霊をよせつけないだろう。

だが、俺はつくづく、自分が有の人間だと思う。

なにもかも、自分の中に「有」にする。

考えないようにする。

気分を変える。

こういう形のごまかしは嫌いだ。

自分のせいじゃないと考えないように勤める。

なにもかも元は我に「有り」なのだ。

辛いことも、悲しいことも自分が撒いたもの。

成って来た結果を受け止める。

受け止めた末に、原因を追究する。

これも正直辛い作業だ。

だから、ある意味、強靭な精神力が培われてきたと思う。

この辛い作業をしおえると、自分のぼろさが見えてくる。

自分が見えてきたとき、いろいろな意味で自分が助かっていると判ってくる。

だから、霊能力者のその人には相談はできないと思った。

解決できない。

解決できない人に相談するのはこっちが、「愚痴」をきかすことになる。

文字をみても判るが「愚痴」そんなものを渡すだけでしかなくなる。

話すだけで楽になれると言ってくれる人も居るだろう。

残念ながら、そんな簡単な問題じゃない。

自分の気を晴らすだけの問題じゃない。

自分の気を晴らすためだけに「愚痴」をいうなら、ブログにでも、書く。

愚痴。

と、はっきり、書いておく。

だが、この「相談にのるよ」という言葉が俺に、一つの示唆をあたえた。

こういう意味では霊能力者は確かにきちんと答えを出してくれていたと思う。

その「示唆」については章を改める。

幽玄師・・9

相談に乗るよ。

と、いう言葉を掛けられた時、同時に、妙な人間につきまとわれていた。

その人間がいうことも、同じで、「救ってあげたいが・・」だった。

正直、救われていない自分が居るというさとり方よりも俺を救えると思う、その考え方に笑えて来た。

そして、その人が救えると思う部分は逆を言えば俺がもがいてるように見えた部分はその人が「そう見える」俺でしかないと思った。

この人かわいそう。

と、その人が俺をみて思う。

俺が実際、その人の言うところで「かわいそう」か、どうかは、その人にはわからない。

同じ物事をみて、人それぞれに違う判断をするという場合がある。

ある人間を優しいととる人も居れば、おひとよしだととる人もいる。

何故そんな違いがでてくるのだろう?

結局、見ている側の価値観だろう。

優しいということが一番の価値観

お人よしじゃいけないということを一番の価値観

として、その人を判断する。

これをひっくり返せば、優しい人が優しいと判断し、お人よしの人がお人よしと判断する。

これを「相談に乗るよ」「救ってあげる」にあてはめる。

その人自身が相談に乗ってもらいたいものをもっている。

その人自身がすくわれたい物事をもっている。

自分がそうだから、人に対して「そう思う」

俺は自分で解決する力を身につけて欲しいから相談にのる気はない。もちろん、それでも頼ってきてくれたら精一杯、相談でなく解決できる「考え方」「見方」「解決できなくなってる原因」を、はじき出すように勤める。

だから、人に対して、相談にのるとは、いわないし、救い出したいと考えるときには俺自身が自分をすくいだせてなきゃ、人を救えないと思う。

だから、俺は自分がいかにすくわれているかをつきとめるためにも原因を追究していたと思う。

そういう俺の目からみたら、相談にのる。救ってやる。は、

この人はなんの相談にのってほしいんだろう?

どこらへんが救われていないんだろう?

と、疑問をかんじさせる一言だった。

霊能力者については、俺自身が霊能力者になりたくない。

と、思った人間だったから、いろいろ、考えさせられた。

俺の考え方に「自分より上の人間を救うことはできない」と、いうのがある。

言い方は悪いが自分より低い位置にいる人間を上にひっぱりあげる事は出来る。

だが、自分より上にいる人間をひっぱり揚げることはできない。

押し上げることができるのは同じ位置、手の届く位置に居る人間に対してだ。

だから・・。

この考えをおしすすめていくと、霊能力者が霊に関っているという事は霊に近い位置にいるということになる。

俺はもうしわけないけど、霊というのは、「堕ちたもの」だと思っている。

霊がきちんと上がっていったら生まれ変わったり、天に昇るものだと思っている。

そして、堕ちてしまうのは、人間が生きてるときのそのときの思い方の結果だと思っている。

だから、「霊」(死んだ人の霊)に直接かかわっているのは、その人自体が救われていない証拠に見える。

むしろ、生きた人(魂)や思いに直接かかわっているのならわかる。

死んで霊界にいかないように、してやるという根本をやらずに堕ちたものを救っていても

いたちごっこだと思える。

賽の河原の石積みじゃないが、徒労をしいられるという事自体が救われていない証拠じゃないか?

実際問題、じゃあ、除霊をしてあげなきゃとかえされるかもしれないが、俺はそれも、余計なおせっかいだと思う。

霊がつくのは、その人の思いにつく。

なにかしら、思いをクリアしていく。

強くしていく必要があるという事だ。

そこを解決しないとだめだと俺は思っている。

だから、本当を言えば自分で除霊できる。

みんなを自分で除霊できるようにしたら、自分の力で者をやっていけるようにしていったら、

守護霊や指導霊のことをつたえなくても、自然と知らされる。自分で考え付ける。

霊能力者は自分の仕事がなくなる。

こんな仕組みの中で霊とかかわっているということがはたして、救われているだろうか?

むしろ、堕ちていると考える。

弱い人間から霊の力をかりて、相談を受けたことを解決する。

そして、最終的には「無になる」という方法のバリアだ。

人間煩悩の塊でしかない。

無になろうとおもうなら、仕事を一生懸命やる。

とか、こう言うふうな形でやっていかなきゃ、一日中写経していられるか?

余分なことは考えない。

何も思わないということほど難しいことは無い。

写経も一つのことに集中するという意味ではおなじことだが、仕事とちがうのは、生産性が無い。

家族や自分をやしなっていける賃金が発生しない。

ようは、「自分のおまじない」のためにやっている。

これは、ちょっと、違うぞと俺は思った。

こんなことからも、挙句魂に蓮のように穴をあけられる。

こんな状態の人間が人(魂)をすくえるわけもなければ、逆に霊能力者に救ってもらった人は霊能力者の魂に穴をあける手伝いをしたようなものだ。

おわびと思ってお金にかえさせてもらうのも一手だろうが、問題は霊能力者のほうだ。

俺は霊能力者の魂のほうがきになった。

救われたいのは霊能力者自身だ。

だから、一生懸命救いごとをしたがる。

その思いに霊がとりついてくる。

だが、霊がとりつくくらいだから、霊しか救えない。

あげく、ぼろぼろ・・。

良いことをしているつもりで、魂がボロボロになっている。

俺も同じなのかもしれない。

同病相憐れむで、霊能力者を救い出してやりたいと思ったのも事実だ。

だが、上の話をかんがえていけば、すくわれなきゃいけないのは、俺でしかなかったといえる。

そして、妙なことだが、このふたりの魂は俺のところにはやってこなかった。

幽玄師・・10

それから、しばらくしてからだった。

俺は霊能力者から「幻惑」をかんじるようになってきたので、「幽玄」のことについて、正直に話した。

おそらく、霊能力者の「なにか」が「幽玄」のことをつたえてほしいと思ったのだろうと俺は踏んだ。

それいご、霊能力者は返事をかえさなくなった。

おそらく、俺のいう事がしんじられないのだろうと思ったので、それは、しかたがないと思った。

霊能力で見せられる物を過信しているだろうし、俺の場合で言えば、天気を変えるという顕示があり、かつ、それは私がやったと神々しい姿が見えれば普通はその神様の方を信じる。

俺の場合は幸いに見えない。

見えないから惑わされる事が無いしむしろ、見えるという状況は良くないと認識している。

見える形で自分の思念を惑わされるという事がある。

そして、自分の位置が自分にはわからない。

例えば、自分が水底にいたとする。

そこから、山をみあげれば、酷く高い山にみえるだろう。

だが、水底からあがってきたら、意外と低いということもありえる。

この逆のパターンが二人の知人だ。

一人は仏教徒とかんがえていいのではないだろうか?

もうひとりは、神道家だった。

霊をみた二人の見え方が違う。

仏教徒?は「人の形」として見える。

神道家は「餓鬼」とみえる。

どっちが上にいるのか、俺には判らない。

人間的にいえば、仏教徒の人のほうが優しくて包容力がある

神道家は厳しい強さを持っている。

自分の居る位置によって見え方が違う。

だから、霊能力者が天使がみえたという場合

俺はむしろ、例えば「優しい思い」についてきたものの姿だとおもうわけで、それが、例えば悪霊だとしても、悪霊の優しい心がそう見えたとも考えられる。

具象化させているのは霊能力だと思う。

その霊からみてのものが具象化するわけだから、実際のところ、本当はなにかわからない。

見え方の違いというのがある。

因みに俺がその人に感じたものは指だった。

たとえていえば、ピアニストの指に「魂」がこもる。

そのような感じでなにかしら芸術的(料理でもよいし、手芸でも良い・・)なことを優しい心で表現している方だろうと思った。

そういうふうに俺は「感じ」でしか捉えられない。

その分、余計に目で見える形に惑わされないですんでいる。

ただし俺の場合、良い思いとおもわれるものは、「背中が温かくなる」

ただしこれは、霊の場合だと思う。

まあ、そんなふうだから、自分を信じることは大切なことだし俺もそうやって、俺を信じてきている。

色んな事がわかった上でそれでも霊を救う霊能力者をやるという思いをもつならそれもそれでよいとおもう。

ただ、俺はそこまでの思いを持った人間ならもっと、違う方向に行くのだろうとは思う。

(例えば、霊でなく、救われない霊を作ってしまう人間の思い方を救うとか)

あるいは先に書いたように、前世がクリアできていないのかもしれない。

そこのところは判らないし、俺は「幽玄」のことを告げた以上、今度は「幽玄」のほうからの引き回しが働いてくれるはずだと思っている。

そして、二人の人間との縁が切れたように思う。

(こっちが相手を思うということは離していない)

一人はこっちから、切った。

形は違うが「自分の姿をこちらにうつしだしているのではないか?」と、いうことをつげて、自分を見つめるということをしてもらいたいと思った。

そして、霊能力者とは、今のところそれっきりになっている。

そんな、ある日、

今までに無い幻惑感が俺を取り巻き始めた。

足跡をのこしてあるのか、無いのかもわからない。

誰なのかもわからない。

日に日に幻惑感がふくれあがってきていた。

幽玄師・・11

2,3日幻惑が続いたあと、

ある女性がコンタクトをとることになった。

結局、原因は彼女だったのだが、

このかたにも、「幽玄」の話しをしたところ、幻惑が収まった。

そして、最初のころ感じた彼女の「魂」は、

赤と青のマーブル模様に感じた。

話の内容で、感情と理性の葛藤があったようで、

彼女なりにいろいろ考えていくうちに

深い緑に変わり、さらに、黄色に近いほうのライムグリーンにかわって

最近(すこし前)は薄い藤色に感じる。

この事が収まったあとは、しばらく、なにもなく、

別ブログにて、いろいろ、かいていたのだが・・・。

またも、幻惑感をかんじるようになり、

あるスピリチュアラーにむけて、話しを書いていた。

そのときの彼の魂を手の中に包み込んだ時の話しを書いた。

実際のところ、魂なのか、たんにオーラなのか、俺には判らない。

実は、この以前にある女性と話していたときに

あまりにも、幻惑感をかんじるので、

その女性の魂を呼んだことがある。

その魂は今は明るい木質系の茶色にかんじるのだが、

当時は墨と白のマーブルの状態で

それも、ほとんど、墨の状態だった。

これの意味がわからないので、友人に尋ねた。

黒い魂って、どういうことだと思う?

その答えは「「死」をあらわすのではないか?」

だった。

なんらかの心の闇といってもよいかもしれない。

心が死にかけている状態なのかもしれない。

息吹をするほどの状態ではないので、

手の中で暖めて、帰した。

こんなことがあったので、スピリチュアラーの魂の色がきになった。

びっくりするほど、綺麗に澄んでいる。

きれいなガラス球のようだ。

だが、その真ん中に黒い塊がある。

今は全体が随分おおきくなって、黒い塊がぐっと縮んだように感じる。

おそらく、血豆のように固まってそのうち、なくなるのではないかと思う。

だが、その当時は心配で、もうしわけないが、

なにかしら、思い方、やり方が筋目にそぐわないものをもっていたのではないか?

これが、表面のものなら、きにならないのだが、

内部にあるということが、心配だったのだが、

彼の魂を手に包んだ後、手が軽くしびれはじめていた。

俺みたいな霊能力者?が神さまとコンタクトするような人間の魂を

つつんだせいか?

と、考えていた。

かすかに、それでも、そんな魂が俺の手につつまれるのも

妙なことだ。

と、考えていた。

幽玄師・・終

それから、俺はほかのブログをとびあるいていた。

その結果、どうも、

幽界に関与したもの、業?がなにかが、

俺の手をしびれさすと判ってきた。

蟲師という漫画があったが、たとえていえば

そんな蟲のような存在が魂の中にはいりこんだり、

場合によっては相談者の業や蟲を吸い込んだりしていたり、

自分の欲な思い(単純になんか、いいことないかなあ~~くらいでも)に

幽界のものがもぶりついてか?

はたまた、神の名を語っているものが実は幽界のものだったか。

これは、霊能者の話からだが

狐でも、輝きだすと、金色に光るらしい。(狐の霊?が)

そこら辺だけをしんじていると、狐は化ける。

神様だとおもわせておいて、

実は魂のなかに入り込んでしまうこともありえる。

なにが、原因かわからないが、

スピリチュアラーだから、大丈夫かとおもっていたら、

そうでもない時がある。

何が正しいか、何が良い思いかなど、スピリチュアラー自身が

ちゃんと、わかっていないと、魂が大変なことになる。

そして、逆に人の見た目だけでは、魂は判らない。

俺の友人の弟はどうも、悪いことばかりしていたようだが、

その魂は、今まで見た魂よりも綺麗だった。

(まあ、10も、見ていないけど)

薄い朱色で真丸。それが、輝いている。

輝きながら、俺の手の中で上昇して

下にてをそえなくても上に上にあがっていこうとしている。

たいして、数をみてきたわけではないが、

しびれてしまうという場合もあるのに、

輝いている(光)ものは、はじめてだった。

こういう人は逆にわざと悪い役をやれるんだろう。

悪いものに染まらないから。

不思議なものだと思いながら

俺の話もここまでにしておく。

俺は結局、自分がなにものか、相変わらず判らない。

ただ、俺は勝手に幽玄師だと、名乗ることにきめた。

この話の続きがあるか、ないか、俺にもわからないことだけど、

俺が言いたいことは

「魂を大事にしろよ」

それだけだ。

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
5794位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2141位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。