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物書きさんたら、「お手紙」書いた~~~♪


憂生は自分の作品をよく、解説?する。


人によっては、作者が自分の作品を解説するのは、おかしい。


という人もいる。


表現しきれてない、と、いう「いいわけ」「つけたし」に、見えるのだろうか?

あるいは、

作者が語ることによって、「そういう読み取り方」に限定させるような、

そういう固定したものを、もたせてしまうことになるからだろうか?


いずれにせよ、

解説するタイプの憂生にはわからない。


憂生が解説するというのにも、二手ある。

書き手の立ち居地で解説するときと、

読み手の立ち居地で解説するときと。


書き手がいくら、こういうつもりで、書いたといっても、

いつかあげた「蛙」へのぶつぶつ・・のように、

読者さまは、すきなように読むだろう。


読者の「なにか」に反応するんだから。


そして、書き手としては、

実にはなもちならない思い方をしている。


こんな、解説なんか、ただの側面のひとつでしかない。


実際の文章を読んでいただければ、

独特のムード、表現が出来ていると思う。

これを解説なんかで、語れるはずが無い。


もっと、他の読み取り方も出来る。

これもある。

ひとつや、ふたつ語ってみたところで、

実際、作品をよんだら、まだまだ、取る所が有る。


いささか、うぬぼれ気味に聞こえたらごめん。


で、読み手としての立ち居地。

作品の解説を自分で書いてみる。

これが、上にかいたことを自分にもっと、実感させる。


「他の読み取り方」

が、見えてくる。

単純に言えば、

「僕が潰した物はそれだけだろうか?」

なんだけど、

この部分が

「解説」を外にほおりだしてしまったことによって、

また、見えてくる。


こういう風に読者として、ある一部分の気づきをいうことがある。


だから、けして、解説ではないとおもってるし、

結局はこれも、下に書いたけど

「自分の目でたしかめてこなけりゃ、見えないもの」


そんなんで、まあ、憂生は読者様の感想からも

いろいろ、考えさせられるし

自分でも考える。


だから、いただいた感想ともども、日記にあげさせてもらってる。




そういうことなので、書いてる途中でも、よく「ぶつぶつ」いう。


それも、ひとえに、憂生が「物書き」のせいだと思っている。

作家は作品という家を作る。

家に「品格」をもたせるから、本人からの「解説」はいらない。

作品で勝負なんだろう。

でも、物書きは

「物」を書く。

自分の中の「もの」を文字に変えていく。

だから、解説も自分の中の「もの」。

これを、物書きの習性で「文字にしてしまう」。


憂生にとっては、それだけでしかないんだけどね。

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