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ある人の作品から思う。

FC2小説の中の吾妻栄子さんという方の文章がそこそこに、巧いのだが、

一見、巧みにみえるのだが、読みつづけてみると、物語の中にひきこまれない。

なぜ、物語にひきこまれないかということを考えていた。

ちょっと、自分でも、つかめないので、少し、自分だったらどう、書くかをやってみた。
物語の、深い設定がわからないままで、勝手な解釈で、書いているが、
読み手が素にもどってしまう。
判りにくいという理由がみえたきがする。

まず、冒頭だけ。

ここから、読み手は疑問をかんじてしまう。
人が死んだというのに、主人公は何をおもっているのだろう。

この部分が非常に即物的なわけで、
丁度、友人が遊びに来ていたので、声にだして、
憂生のものと読み比べて、受ける印象をきいてみた。

結果をいうと、
「目でよまなきゃ判らない」と、いう事だった。
章タイトルを知った上で、文字の意味合いを目でたしかめなきゃ
判らない。

憂生の作品は病床の人に物語をよみきかせてあげるとか、
こういう部分に耐えてきた作品なので、多分、耳できいても判る作品になっていると想う。

この「目でよまなきゃ判らない」という部分をなおしていくと、
立体的な作品になっていくのではないかと想う。
書き方はその人その人の個性があるものなので、
けして、彼女の書き方が間違っているとかでなく、
書き手、憂生が、読み手に成り代わった時、どういう部分が不足していると感じるかを知っていくことで、自分の文章を自覚していくことができたものになった。

*******吾妻栄子 翡翠の環 冒頭より、無断転載*****

昨日、紅珠(こうじゅ)姐(ねえ)さんが死んだ。
あるいは今日の明け方かもしれないが、本当のところは分からない。
どのみち、今朝、私が起こしに行って見つけた時には、死人そのものの顔をしていた。
「あんな青二才に愛想尽かしされたくらいで。」
仮母(かあ)さんは泣き怒っている。怒り九割に泣き一割といった塩梅だ。
「もう少しで借金が全部上がるって時に。」
私はまだ死ねないみたい。姐さんの顔からずり落ちた布を被せ直しながら、小さく息を吐く。
まだ、借金の半分も埋めていないのだから。
「翠玉(すいぎょく)!」
仮母さんの声から一割の泣きが消えた。
「ぼさっとしてないでさっさと着替えしな!」

*******憂生 無断リメイク*****

昨日、紅珠姐(ねえ)さんが死んだ。
あるいは今日の明け方かもしれない。
今朝、私が起こしに行って気がついた。

私には、どこかで、予感のようなものがあったのかもしれない。

姐さんが死んでしまったことに、たいして驚かなかったのは

それだけじゃない。

どうせ、生きていたって。

自分への投げやりな思いがあるせいだろう。

かあさんもおどろきはしなかったが、

理由はちがっていたようだ。

「あんな青二才に愛想尽かしされたくらいで。」

いちいち、客に本気になっていたら、命がいくつあったってたりゃあしない。

こんなお職だもの、わりきってしまわなきゃどうにもなりゃしない。

弱い姐を怒るのか、こんなお職でなけりゃあとかわりに恨み言をいってやっているのか。

「もう少しで借金が全部上がるって時に」

ちょいと、こらえりゃあ、自由の身になれて、いい人にめぐりあうことだってできたじゃないか。

早まって死んじまったものをいくら、なじったって、もう、どうにもなりゃしない。

ねえさんが相談したって、鼻でせせら笑うしかないかあさんになにひとつはなすことなく

自分で命の始末をつけてみせるだけ、

本気だったことだけが、ふと、うらやましくも思えた。

姐さんの顔からずり落ちた布を被せ直しながら、小さく息を吐く。

せいぜい気をつけて本気になどならないことだと想う。

借金をかえせる時までは・・。

ふと、想ったことに自嘲めいた笑いがうかんでしまう。

誰かに本気になど、なれる自分など、どこにもありはしないのに・・。

「翠玉(すいぎょく)!」
かあさんは上手に自分をきりかえていく。

こんなお職だもの、

ここで、こうしているしかないのなら、

それらしく、ふるまうしかない。
「ぼさっとしてないでさっさと着替えしな!」
*******
声にだして読み比べた時、友人の意見は
「最初のはなにをいってるのかわからなかったが、憂生のものは(あとのが憂生のだろう?との確認があった)その人の情景(仕事)がわかる」
「主人公への興味がわく。この先どうなるんだろう」
などだった。

吾妻さんのものは、主人公のもつ背景(心理的)や事情をだすまいとして
大きな背景までもにおわすまいとしてしまっているのではないのかと想う。

あるいは、大きな背景をにおわすまいとして、主人公の背景(心理的)や事情をだすまいとしているのかもしれない。

憂生の文章でいえば
どうせ、生きていたって。

誰かに本気になど、なれる自分など、どこにもありはしないのに・・

ここで、こうしているしかないのなら、それらしく、ふるまうしかない。

など、(勝手な設定ですが)なにかしら、主人公の背景や事情にふれていく。
そして、仮母のことも、驚きはしないことを書いた裏に
かあさんは上手に自分をきりかえていく。

こんなお職だもの、

ここで、こうしているしかないのなら、

それらしく、ふるまうしかない。

が、あり、仮母が、こういうのに似た状況をくぐりぬけてきた過去を想像させ
動じない理由みたいなものから、仮母さんの人生・人生観をにおわす。

言葉のうしろに、大きな背景をもたらせるという意味合いで、
感情表現が大切な手法になってくる。

吾妻さんの表現では章タイトルである、「妓楼の喪明け」の「妓楼」の「文字」を目でよんだだけで、その人々の後ろまで、読者がつかみとれという
あまりにも大きなシャドウすぎて、物語に奥行きと味がでてこない。

どこまで、におわすか、というところは、作者の範疇なのだが、
最初の引き込みで、失敗すると、憂生みたいな最初の5~6行で
判断してしまう人間には、読み続けることに「読みにくさ」をかんじさせる。

言葉の表現がむつかしいから読まないのではなく、
肉迫してくるもの、理解させるものが、
あまりにも遠いと、眺めるだけに終わってしまう。

書いてみて想うことでだが、
作家というものは、いかに計算して物をかいていけるかという事だ。

姐の死をみて、主人公はどう想うだろうか?
を、計算する。

本文中をみると、驚く様子も悲しむ様子も無い。

それは、なぜだろう?
を、計算する。

憂生の場合は予感と自分だってどうなるかわからないという虚無感?があり
という答えにしたわけですが・・・。

そして、仮母だって、どう想うだろう。
さして、驚かない。

その計算。

その計算の解明式。

と、いう具合に、いくつもの、計算式があり、
同じ答えを(驚かない)をだしながら、そのうしろの解明式をだしていって、
もともとの、主人公が驚かないに肉迫していくものをだしていく。

いわば、憂生がここで、書いたようなことを
吾妻さんの作品を読みながら、読み手が補足しなきゃいけない。

これでは、どちらが、書き手か。

補足して理解しなきゃならない部分が多すぎて「むつかしい」と思わせてしまう。

本人、いわく、の、「書いてある文字や歴史的背景が難しい」、のではないのだろう。

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