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回帰


この前も書いたかもしれない。


憂生の作品の多くに性表現が多く介在する。と。


で、ストーリー上、必要で、はしょるわけにもいかない。と。


さらに、

では、アダルト小説の性表現と物語の性表現がどう違うのか?

と。


もちろん、物語の中の性。性の中の物語。

入り口も出口も違うのであるが

さっき、山童に陵辱される鼎を助け出す澄明をかいた部分を読み直していた。

鼎の思念に同化し、その陵辱の記憶一切を引き受けることで

鼎を餓鬼から救い出す。


で、鼎に起きた事件イコール澄明におきた事に摩り替わるわけだけど。


どうも、この場面を読み直すと、厭味な言い方だが

下手な陵辱小説より、いっそ、生々しい。


陵辱小説は、その人の書き方にも寄るけど、

その表現が気持ちが悪くなる。


憂生が常々、言ってることは、

性は心が生きる。

コレしかない。


だから、性を書く時は

基本的に「性は心が生きる」を心がける。


大きいところでは、

キープユー。空にかかる橋、で、そのままの言葉を使ったと思う。


じゃあ、永沢君は?って、なるよね。


アンチテーゼで心が生きてない性の虚しさ・・見えないかい?

今、永沢君執筆中(この、言い方、嫌なんだけど・・)の分。


これも、書き終わってみたら

小夜よろしく、大事なものを掴みなおす永沢君になるわけで・・・。


そう、考えると、物語の中の性のほうが、

むしろ、そういうテーゼが介在しない時がある。

この鼎の陵辱場面もそうだし

笑う女の中の性表現も

「心が生きる」に結びつくものではない。


そう考えると

昔、言ったことが、もう一度、帰ってくる。


すでに、アダルト?書いてる・・。

*現在、無配慮ならびに無神経な検索ロゴのため、永沢作品の封さを検討しています。。

永沢の名前での検索でも、エロ目的という判断ですので、

SO2などにも、わざわざ、Hなシーンとか?をくっつけてくるのも、管理人への侮辱行為とみなしており、度重なる場合、これも以前のように封鎖します*

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