画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

白蛇抄に・・・

あはは・・

約、3年放置していた「銀狼」の続きをぽつぽつ、書く気になっております。

この作品も実は、「湧き出てきたパターン」のもので、パソコンの打ち込みではまにあわず、ボールペンで、そこらの紙にかきつけたものです。
下書きとしては、仕上がっているのですが、実際、下書きを元に、清書?になってきますと、
5行が100行にかわってしまうという
書き込みがでてきます。
テキストにむかうと集中力が、アップしてきて、足りていない部分が見えてくるのだと思います。

下書き(およその構想)がありながら、ここ3年放置していたのは、他の作品・日記を書いていたというのもありますが、今までの白蛇抄と主旨がちがっているように思えたせいもあります。

なにかしら、スピリチュアルブームもあり、前世・因縁などという題材が、
「娯楽的読み物」として、受け止められるという危惧をもっていたのではないかと思います。

実際、他所で発表してみたとき、
「面白い。続きが読みたい」というコメントがはいったわけです。

多分、物書きの憂生としてならば、それはそれで、よろこばしい事だったと思いますが、丁度、相次いで、憂生のスピリチュアル部分の体験を元にした作品をたてつづけに書いていたあとだったので、
「娯楽作品」という受け止め方に愕然?としたと思います。

実際、前世の差配、と、いうことも、現実(スピ的に・・)考えさせられている部分であり、宿命という言い方もしていますが、この世に生まれる、前世と約束事?みたいなものも、実際にあると思えます。

そういう「事実」をふまえてみると、
例えば、なにかしら、自分にも「前世の差配」があるのではないか?と物語を読んで思う部分があるのでは?と、かすかな期待があったのだと思いますが、
このあたりのスピ的思考というのは、日記などなどからも、たぐってもらわないと、おそらく、理解不能なんだろうと思いなおし、日記ともどもとの集大成ブログを作り直したわけです。

で、ヤッパリ、以前からの構想や、書きかけのものを先にしあげようと・・。

ロビンの瞳をやっとこ、おわらせたわけですが、チサトの恋・・ひとつを、連載しているというのは、まが、もたない・・・う~~~~~~ん・・・
間という時間的要素でなく、気分というか・・。
チサトの恋パターンの思考だけをやっていると、気分がかわらず、続きを書くのに、妙な圧迫感がつきまとうのです。

チサトの恋・・だけのことを考えて、書く気、充満する・・そして、書く。
頭の中。気分。そればっかりにしきつめられたようで、どうも、いけません。

逆を言えば、この気分的構造が、6連立なんてことをやってのけさせる元なんだとおもいますし、今でこそ遅筆ですが、
書き始めた当初は、SO2と白蛇抄と、その他と、やっぱり、一日のうちに、切り替えてはかいていましたから、癖のようなものでしょう。

書くつもりの話しがぞれてしまったので、これで、終わります。

地が、じ~~さん(自画自賛)その2

昨夜おそく、銀狼の続きを少し、追加したのですが・・・・。

いや~~~~。

あっぱれ。

書いていることは、くどくどしく、要領をえないわけです。

自分でも、なにをまわりくどく書いているんだ。
と、もたついている部分を、書き直すべきか迷いながらも、いやいや、野生の勘に従うべきだ。と、自分を宥めている有様でした。

そして、今回、追加部分を書き終え、読み直しながら、続きを考えます。
主人公の動くまま、性格・状況に即した次の続きのぶぶんだけを考えるわけです。

そこで、あっぱれです。

雷神にどう説明するか黙考する、澄明。わざわざ、まわりくどく遠まわしな続きを入れたようにしか見えないわけですが・・。

どう説明させるかをかんがえていますと、「あ!」です。

元々、澄明の名前はとうみょう・・とうみょうとうみょうとうみょうと・・

・・・みょうと(夫婦)をあらわし、明の字も日を女房・月を夫として、明の字をあてはめているわけですし、白峰大神の段でも、夫婦陰陽師もよかろうというのもあり、その他いろいろありますが、この銀狼の中でも、土の毛は女子には毒だと庇う白銅により、「澄んだ明(夫婦)」の一端をにおわせています。
そして、雷神の登場の前でも、身を呈して澄明をかばう覚悟の白銅を描いていながら・・。
雷神としゃべりだすと、澄明の一人舞台になって行き始めていたと思うのです。

そこで、「あ!」なわけです。

此処で白銅を投入させろということだったのだ。
と、思ったわけです。

こう考えて、今回の続き(つなぎ)を読み直すと、まわりくどいわけでなく、白銅の登場理由(条件)を設定していたともみえます。
自然・・に動く以上に必然として、登場する。
これが、ひょっとすると、「迫力がある」といわれた由縁かもしれません。

今回のようなことが、憂生がよくいう「野生の勘」なわけで・・。
これは、自画自賛でしかありませんが、
もう、物書きの天性としか言いようが無いと思います。

自分でも不思議ですし、自分でも考え直して判るほど、無意識から沸いてきているようなのです。

いじわる?

白蛇抄をかいているとき、ときおり、まようのが、「前述の事件などのあらまし」をどうするかということ。

読んで下さった人でも、誰だったかいなと思う人物が別編にて、登場する。

たとえば、邪淫の果て(波陀羅に改題)のなか、最後の場面に変死体の解明に藤原永常がよばれる。

残るはほんの1ページにもみたないラストで、突然のように登場するのであるが、

この藤原永常は邪宗の双神において、邪淫の果てで拾いおいた重要なアイテムを澄明に託す。

そして、理周においても、手助けをしていくのであるが、このあたり、邪宗のほうでは、かなり重要なアイテムを手渡すので、本文立てにのせていったが、理周のときは、「邪宗の双神」を参照・・・と、かなり手抜きをした。

こういう部分は物語中に作者が出てしまい、物語の世界から素にもどらせるピコハン攻撃のようなもので、良くないなとは思う。

だが、物語が込み入ってくると、再登場が良く起きる。

そう、今回もまたしても、雷神の登場とあいなったわけだが、これも、まさか、邪宗の双神参照とは行くまい。

ひとつには、読者以前に「銀狼」への、「水面下の理解」をしく作業として、多少の説明が必要に成る。

で、なんとか、ぽろぽろ、こぼしながら、説明をおりこんでいるのだが・・・。

我ながら、なんちゅう、不親切なものかきだと思った。

書いてる時の前提がそうである。

すでに、白蛇抄、16抄・・特に6話まではよんでくれているものとして、書いている。

憂生にとって、オムニバスで有りながら、これらの物語は大河のようなもので、

時に支流をつくり、うねる、よどみ、滝になり・・・と色んな表情を見せるが

白蛇抄という名前の大河である以上、憂生は連載の続きを書くが如く、「読んでくれているもの」として、書き進んでいる。

だが、実際問題・・・。6話まででも、50万文字。

さらに7話から16話までもおなじくらいか・・・。

これをぬきにしても、6話までをよんでくれているものとするのも、勝手すぎる?

そんな事を思いながら、昨日の銀狼の続きを読み直していた。

おわびいいいいい~~?

まだ、続きがあるような妙な終り方で
いつか、見た夢・・おわらせました。
懸案だったアダルトのチャレンジ作品が/概要はかいてみましたが/没ってしまいました。
本編である輝の作品とゆうのチャレンジ作品を掲載しましたが、
その設定そのままをモチーフにしてみようとおもったのですが、
意識不明の恋人をよそに、
恋人のおさななじみの男性と性をかわすという
女性の心理は、ラフなチャレンジ文章だけでは、簡単にかけるものではないと
さきのばしにして、
同じほかの男に抱かれる女の心理が内包されているアマロ・白蛇抄を引っ張り出してきました。

アマロという女性は
悪童丸の父・光来童子の母になる女性ですが・・・。
イギリスの伯爵夫人がなぜ、ジパングまでたどり着き
光来童子をうみおとすことになるか・・・。

如月童子に拾い上げられるまでの
アマロの生涯?
経緯?
を、かいてみようとかきかけて、
ほったらかしに成っていた作品ですが、
一見、本編とはずれてゆく内容に
如月童子の元にたどり着くことが
果てし無く遠くにおもえ、
暫く休筆していました。

まあ、ココまでほっておくと、
外れたら外れたままでいいやと
主人公達のあゆむままに
かいていこうと、ひらきなおってしまえたので・・・。
また、書きはじめます。

あいもかわらず、ブログ人
hakujya
にて、
掲載しています。

コメント


気づいたらデジャブ終わってた・・^^;
もうちょっと時間できたら改めて読むよ。
投稿者:myukikoy ()
元々、短編だったもので、
もともとに、かいたものは、
AKIRAにわたしてしまった。
と、いうか、文章になってない状況のものを
あらがきで紹介したもので、
それらは、例えば「群青」だったり、
小夜だったり、踊り子だったり
お登勢だったり・・。
原案の分、楽にかいていたけど、
実際、本編になおしてゆこうとしたら・・・
なかなか・・・・。
もがいております。

は~~?しょれは、ないれしょ~~~。

おそらく、悪童丸の今の時点では、そこまで、丁寧に政勝とかのとのやりとりを、

かかなくてもよかろうに。

と、思われてしまうだろうと思う。

これが・・・、物書きの鋭い嗅覚で(あはは)あとになって、何気なく書いたことが、此処まで書いたことが

役にたつようになっている。

全部が全部とはいいませんが、妙にくどいと思われる部分など、とくに。

何か、敷きこんでいるなと思ってやってください。


憂生の物語の油断ならないところはこういう部分です。

読みはしょっても一見つうじそうな部分に、「種」を埋め込んでます。

性描写でもそこまで、書く必要がなかろうと思わせるだろうと思います。

なくても、通じる。と。


ところが、これが、あとあと・・・6章目とか・・。


そんなところで、「なるほど」と、思わすものが心の底に

はびこっています。もちろん、読んでくれた人が「あの場面」で「種」を植え付けられ

「根」がはびこってるとは、自覚しないと思います。


今、読み直しても相変わらずたどたどしい表現で、よみつらいと思いますが、

できうれば、はしょらず、読んでやってください。

ふと、思い出した。

アマロをかきはじめて、しばらく、
ジニーっていう女性の
性格のほうが、おもしろみがあるって・・。
主人公をくってしまうような、
ジニーの名前を打ち込むたびに
アラジンと魔法のランプ?
の、ランプの精、ジニーをおもいだして・・・
みょうに、かさなるような、
したたかさもなきにしもあらずだが、
当初、アマロを如月童子とめぐりあわせるより、
ジニーのほうが、適役みたいにおもえた。
だが、
かきすすんでゆくうちに、
やはり、ジニーみずから、選択の結論を
出してくれた。
ロァから、みれば、ジニーは俺がいなくてもどうしてでも生きてゆく女
アマロはロァの存在価値を作り出す。
つまり・・・。
ロァにすれば、
俺が護ってやりたくなる女。

この図式を平行移動させたら・・・。
いきだおれたジニーを如月童子がたすけようとする。
「鬼?そんなものにすくわれちゃあ、ジニー様もおしまいだね」
う~~~~、
これじゃ、たすけようがねえ!!
蓮っ葉な女であるジニーもいまひとつ・・・。
うまれそだちがかもしだすもの。
ヒトを頼らずいきてゆくのが、あたりまえのようにつっぱれる女と
公爵夫人だったアマロ。
あるいは、異国の地にたってさえ、
彼女をささえる僕?らしきものが、いるのが、
しぜんであるような、意識階級。
あるいは、海賊船のなかでさえ、
アマロには、ロァという僕がいたごとく・・・。
ささえ、たすけようとするものが、
あらわれえるのが、
アマロの品格。氏、育ち。
と、なりゃ、やっぱ、アマロに軍配があがる。

ほとんど、終盤までもってきておきながら、
書き進めなかった部分が
なぜか、急にほどけだす昨今です。

波?にのってるうちに、
波にのれるうちに?
サーファーやっておきます。

物語へのよもやま話

邪宗の双神をかきあげて、随分時が流れているが、
最近、波陀羅の心境を思っている。

八代神に
「生きていくことこそが、お前への罰。
生きて地獄を見る」
と、言われた思うが・・・。

実際の部分、わが子を失い
その身体に入り込み、
比佐乃と共にくらすわけである・・・。

息子の嫁・・を護るといえば、呈が良いが事実は比佐乃も、波陀羅の実の子供である。

兄妹の、近親相姦の果て、いろいろ、理由あって(詳しくは本文参照)息子を死においやるのも、近親相姦の因をつくったのも、波陀羅自身である。

そして、息子の身体に入り込み
兄妹の近親の果てをわが身で知ることになる。

八代神の言うように生き地獄であろうと思う。

何も知らず、一樹だと信じている比佐乃であるが、波陀羅にすれば一樹の身体を使って母子相姦ということになる。

そして、一樹を死なせた因も見せ付けられていく。

波陀羅の心境いかばかりや?

と、考えてみると
これも、一つの物語が書けそうに思う。

同じく、独鈷についても、書きかけ(わずかだが)が、ある。

同じ愛されたいという餓えを邪宗にて、満たそうとした独鈷へのスポット。

波陀羅もまた、哀れな飢えに翻弄された女鬼である。
(詳しくは、波陀羅を参照)

我田引水ではないが、
わが身をそしる行為にはしったものには、それなりの懲罰が降りてくる。
勧善懲悪というはどには、けっして、悪者ではないが・・・。
結局、命をかろんじていることには、
何のかわりがない。

憎しみは憎しみしか、生まない。

典型的な憎悪の縮図がうしろにあるだけに、哀れとしかいえない物語であるが、
それでも、どうにか、波陀羅を救いたがった澄明(とうみょう)の思いをなぞって、物語はなんとか、ハッピーエンド?におえた。

されど、いまもって、
八代神の言葉が気にかかる。

どうも・・感違い・・

時折訪問してくださるaoya3 さんであるが。
今日の足跡に、以下のメッセージがあった。
第2話 ・・・鋭い眼光に陰陽師の本質を見る 。
この間から安陪清明の事をかいているから、
当然・・清明のことと思えば、いいのであるが・・・。
これが、手前味噌というか
点前勝手というか・・・。

「おりゃ?読んでくれてたんだ?」

何を?

無論、憂生の中で、陰陽師と言えば
当然、白河澄明で、
と、なれば、当然、自著「白蛇抄」

思い込んだら事実を見極めきれない恋愛心理さながら、馬鹿だよね~~~~。

第2話。

おおうっ!!
悪童丸じゃな。

鋭い眼光に陰陽師の本質を見る 。

そうそう、この章で澄明の鉄槌の理とも言える
「因縁通り越す」が浮上してくる。
政勝の陰陽師風情という評価も最後には変わる。

う~~ん?

でも鋭い眼光という捉え方が出来る
表現は、入れ込んだ覚えが無い。

ん?

んんんん?

あはは!

清明ね。

憂生、ちゃいまんがな~~~~~。

コメント


くすくすくすw

きわめて・・・支離滅裂である。

にゃるほど!
などと思いながら、にこぺちゃんのコメントを読んでいました。
と、いうのも、実は昨日、「コメントに寄せて」を書きながら、もう一つのことを思っていたのです。
相変わらず舌たらずでうまく言えないんだけど・・・。
女を護る・・という言葉をだしながら、
この時・・・憂生は
本当に護るものは、自分の気持ち・・でしかないのだろうなって事でした。
にこぺちゃんの言うように、相手が嘘をついたり・・・。
裏切ったり・・・。
いろんな状況で相手を護ることから、逃げてしまうようになりますが・・・。
実は相手を護れなくなったのではなく、
自分の気持を護れなくなったという、言い方が正解なのではないか?と・・・。

元々に本心があり、
その本心を揺るがす諸事情にまけて、
本心を貫き通すことから、逃げてしまう・・。

人により・・
なにに揺るがされるか、
どこまで、許容してゆけるか、
本心と諸事情の天秤がどう傾くかで
結果は随分かわってゆくことだろうけど、
仮に、
依然として、本心があるのなら、
それを護っていけるとよいなと思う。

相手のせいでなく、
あくまでも、自分の姿勢として、
底にある心を見失わず
護る・・・。

実際の敵?は、自分自身でしかないのに、
相手のせいにして、
逃げてしまったりすることが多い中、
周汰のように、自分の本心を護るに徹せる男は
あるいは、
童心そのものでしかないのかも知れず、

童心が・・あるいは、
慈愛を極めさせるこもとでしかないのかもしれない。

童心・・・。

欲しい・・好き・・。

その心のまま・・
相手を疑わず・・・

草汰の存在はその童心の象徴かもしれない。

ただただ、
相手が・・しあわせであってほしい。
父ちゃがこわいさんになってほしくない・・。

この思い・・。

あるいは、これが、単純に
自分の気持のまま・・・。
自分の気持を護りたい・・。

それだけのことなのかもしれない・・・。

*第7話宿業からです*

つきにならびて・・・

どうも、べたの孵化をみつめすぎたせいか、
添付してくださった
写真 まで、
卵にみえていけません。

今回、日記にアップした「悪童丸」も、
月が物語りの「黒子」になってます。
主人公?の澄明の名前も実は月からの連想でもあります。

とうみょう。
燈明。
本当はこう書こうと思ったのです。
でも、それだけの意味ではないのです。
とうみょうとうみょうとうみょうとうみょうと・・

はい。
これはみょうと/夫婦につながって行くのです。
みょうと/めおと/夫婦/
夫婦は日と月がならびえて、
燈るもの。
燈明・・・。と、解します。

白蛇抄の中で一番解きたかった事は
みょうとの心とでもいいましょうか。

色んな物事・事象の起こる因は
夫婦というか、男と女の心の在り方からと思っています。

不思議な生き物を登場させて、
かたってきた、心の持ち方。
時に欲に流される心。
時に欲を押さえつけ、愛をねじ伏せた心。

夫婦。みょうとは燈明であれかし。

二人の心が並んで初めて「明」になる。

澄明に隠された月は日とならぶことによって、
本物になってゆく。

これが、たとえば、
「法祥・・・」の中の澄明と白銅です。

****好き勝手ほざいて、終わります****

思い出しちった!!

白峰大神をちょっと、あげましたが、

これを書いたときのことを思い出していました。

ラストの構想がいまひとつ、しっくり、こなくて

だいぶ、書いたものを破棄しました。

なにか、納得の行くラスト。

草薙の剣で、子蛇を殺す。

これは、陰陽師、白河澄明(とうみょう)の本意だろうか?

そんな、解決方法しかないのか?

その方法しかないとしても、

なにか、納得いく形がないか。

終盤にきて、今までの澄明のスタイルを根本から

覆すラストしか、思いつかず

三日ほど、筆が止まっていました。

このまま、終わるしかないか。

失敗作か。

約6万文字だったか?

これが、すべて、水泡に帰す。

三日すぎて、仕事中。

ふいに浮かんだ。

ああ、この手が有る。

単純なことだったのに、

なんで、思いつかなかったんだろうか。

そして、書き上げた。

で、文芸社の書評の中で中略で割愛してるのが

この白峰大神のこと。

作者が一番力を込めたのはこの章で、

とくに、と、本文がそのまま、入っていた。

これをそのまま、あらすじかわりにのせたら、

ネタばれになる。

そんなんで、中略で割愛したんだけど、

作者が一番力を込めてるとは、

正直思わなかった。

上にかいたように確かにラストでかなり、てこずった。

そして、引き合いにだされていた文章も

白銅が白峰大神の元へ行くひのえを見送るあたり。

なんで、そう見えたかな?

と、思う。

力を込める・・。

と、いわれても、本当にこの頃はどんどんわいてくるものをかきうつさなきゃ

間に合わない状態で

力説するとか?

そんな思い入れはひとつも無かった。

そして、言ってしまえば、憂生の好きな作品は

むしろ、七日七夜(白峰大神おわったら、これ、行きます)

理周あたりで、

作り方として、伏線の張り方が見事だといわれた悪童丸。

なんもいわれなかったけど、邪宗の双神。

あたりの構成は好きです。

だから、意外というか、

てめ~~、適当になんか、書いたな。

って、感じで・・・。

まあ、白蛇抄の根本は

「思いを救わねば、本当の救いにならない」

って、とこで、

これは、空に架かる橋と同じテーマともいえます。

こういう意味では、憂生の生き方はおおげさだけど、

この間、ちらりとかいた、

エロメールを送りつけられる側のあり方を叩く。

って、いう考え方に相通ずる物があります。

根本を解決しなきゃ、なにも

解決できない。

って、とこです。

まあ、そのほかにも、いろいろな考え方をさしはさんでいますが、

17話にでてきた、

「そこにかかわるという事は自分の因縁が綺麗になってないからだ」

と、いうその言葉も

9話めだったかで、一度出してきている物です。

陰陽師や霊能力者にありがちな、被り。

それは、被ったのではないということなのですが、

まあ、いずれ、また。

白峰大神に寄せて

物語の中で、白蛇神は「百夜の契り」を遂行するのですが、

この「百夜の契り」の理由はまだ、伏せています。


そして、物語の中で、

「百夜の契り」が必要な白蛇神は

「百夜の契り」を終えました。


では、話にならない。


そんなわけで、ところどころ、何かを匂わせて

何日かをピックアップする、表現がしばらく、続きます。


そして、悪童丸でそのまま、流した部分の裏も会話に挟み込みます。

白河澄明という陰陽師が,単純に物事を行っていない。

白河澄明の「優しさ」を、匂わせることによって、

「本当の救い」が出来る、こもとも後ろ側に敷いていきますので、

どうぞ、表現部分だけに・・着目なさらないように、お願いいたします。

ニャン!!

白蛇抄を初めて読んでくださった人は

憂生を


宗教関係者か、

それこそ、陰陽師そのものか、

はたまた、

仏教系統の大学でも、行っていたのではないかと

思われるようである。


残念ながら・・。


憂生の学歴は浅い。

で、ふたことめに、言うのが宗教は嫌いである。

宗教の考え方・・・。

う~~ん、この・・考え方というのは、

○○の考え方というように、

なににでも、変わりえるもので

ようは、宗教に属する気はいっさいないが、

○○の考え方がもらう。


という、けして、宗教に傾倒した人間ではない。


で、陰陽師か?


等といわれる、もとは、

妙に不思議なことをリアルに書く。

ことにあると思う。


これは、憂生の筆力だといいたいが、

そんな、筆力はねえ!!

↑いばるな?


なんどか、書いたが、

憂生には、不思議なセンスが有る。


テーマ、不思議な話と占をくっつけてしまって、

わかりにくくなったが

書ける範囲のことは、

そこに、書いている・・・。


そういう、憂生の不思議な体験があるから、

有る意味、白蛇抄は本当に近いことを書いてることになる。


で、どうしても、そこら辺から

いろいろ、考えたことを下に敷いて

白蛇抄をかいた。

ん・・。

書かされた、って、感じがするくらい、沸いてきたんだけど・・。



だから、

憂生は陰陽師でもなければ

仏教系の大学に行ったわけでもなく

宗教に属してるわけでもない。


だが、そうだと、思わせるのだとしたら、

それは、

それなりにかけていて

物語に憂生そのものをかぎろわせているということだろう?


そう、考えると

誤解であっても

うれしいニャン!!

ごめんにゃ!!

波陀羅・・終了しました。

白蛇抄で一番長いのが、第6話、邪宗の双神なのですが、


この冒頭1をまず、上げました。


白蛇抄はちょっと、複雑な作り方をしています。


この冒頭部分が第7話につながっていくのですが・・・。


第1話の蟷螂が2、悪童丸につながり

2、悪童丸の最後あたりのひのえの西方の荒ぶる神を・・・

が、3、白峰大神につながると同時に

悪童丸の中の根本の事件になる

かなえの恋を4、七日七夜で、書いたときに


悪童丸の祖父にあたる、如月童子を冒頭でちょっと、かきますが、

これが、15話アマロで、如月童子と出会うアマロのいきさつを書いてます。


4、七日七夜の中に出てくる邪鬼丸が5、波陀羅ではっきりしてきて、


4、七日七夜の中に出てくる邪宗が6邪宗の双神で明かされ


2、白峰大神のなかの、あるいは、6邪宗の双神で言われる

「黒龍ときのえ」「白峰大神の横恋慕」のもともとが、16話、洞の祠で・・・


と、いう具合に

どこか、ぬかすと、見えにくい物語です。


また、かなり長い物語なので、

作者も説明をすると、

よけい、こんがらがるので、

読んでもらったものとして、

書いていますので、

分かりにくい部分があるとおもいますが、

ご容赦ください。

アマロから・・

アマロをぽつぽつとかいているんだけど・・・・。

さ~~~~て。

困った。

ストーリーの分岐点に立ってしまった。

結果は変わらないんだけど

道筋が違う。

当初の設定では
乙女は海に身を投げる・・・事になる。

だが、今の設定。
リカルドの恣意をどうするか・・・。

ひとつは、ロァの助けがはいる。

ひとつは、アマロの裏切り。
(うらぎらざる得ない心理理由はかいてゆく)

この選択によって
当初の乙女は海に身を投げる・・が
成り立たなくなる。

が、問題は乙女の身投げの必要不必要ではない。

アマロが光来童子に救い上げられる時に
もらす焦燥。

悪魔のような自分
「鬼」にであうのも不思議じゃない。

つまり・・・。

ドッチをえらんでも、
「悪魔のような自分」のアマロを突きつけなくてはいけない。

と、此処までは判っている。

では、
どちらのほうが、
「悪魔のような自分」をかもし出すシチュエーションになりえるか・・・。

う~~む。

洞の祠から・・

突破口・・
ひらめいた部分部分をなに、大丈夫さと
寝ちまった昨日・・・。

今日・・・かいてみりゃ・・・。

ちゃう~~~~~~!!

なんで、こうも、勝手に話がすすむんや?

それも・・

あはは・・・

チョット、忘れてた大事な?難問を
前出しにしてくる・・・。

争いが解決しても
きのえに残った問題・・・

どうすべ~~~~!!

ってさあ・・・。

ひとつは、思いついている・・・
正しくは
二番煎じ・・・。

なれど・・・。

時代の流れ順でいくと、コッチが先だから
逆手にとって


に、してしまうことが出来る。

同じ設定でにげるか・・。

逃げ方次第だしな・・。

それとも、がんと真正面きって
黒龍にのりこえさせるか・・。

もうひとつ・・・。

藤汰の存在。

これをどこにもってくるか、

付け焼刃的いれかたはすかん。

どうするかな・・。

どうするかな・・・。

都合のいい設定をしける存在が陰陽師
柳廠・・・。

さて、どう使うか・・・

青龍の青陵殿。
むろん・・・柳廠は青龍を祭る。

そして、その布石が確か白峰大神のなかにて、
青龍を護る白銅として・・。

かすかににおわせている。

白洞は藤汰の生まれ変わり・・転生の果て。

この四角形を繋ぐつもりであったが、
なにせ・・話が大きすぎて?
藤汰の事が些細になり・・かきにくい。
あえて、かくまでのエピソードも無い。

番外編にてふれるか・・・。

この。。現状。。。
この遅筆状況で?

笑い話はよせよ。

おっと、もとい、夢物語かい?

それとも・・・ほら吹き太郎かあああああ~~。

冒頭の1行がファイルの分類名になっている。

☆悪童丸の父。光来童子。其の父の如月童子が、外つ国の女と出会って光来童子をもうけるのであるが、

今回この外つ国の女がジパングにたどり着く事になった経緯やら、鬼に出会っても驚かなくなる彼女の精神構造が構築される事件を書いてゆこうと思っている。

海賊ロァの虜囚になったアマロが彼と過ごした幾日?幾月?で見聞きした事件。

新しい観点や常識はどれもこれも彼女をいためつけてゆく。

だが、アマロは憂生のほかの主人公同様、生きてゆく事を選びとってゆく。

生き延びたアマロが如月童子と出会う。

「海賊に、人殺し。そして、デモン?」ここまで生き延びれば悪魔と出会ってもおかしくない。

悲痛な老婆の声。乙女は海に身を投げた。海賊は物欲しさで略奪のついでに人の命も奪う。

アマロは其の犠牲の上でいきてきた。

自分こそが悪魔でしかない。こんな自分がデモンに出会う?

目の前の現実の存在であるデモンに恐怖さえ覚えず、こみ上げてくるのは笑いだけしかない。

・・・なんて、調子をめざすために。

題名はまだ付いてない。

冒頭の1行がファイル の分類名になっている。

『伊吹山には鬼が居る』この出だしから、何でリバプール行きの船に乗るケジントン公爵夫人の話になるのかと笑えてくる。

アマロという女性は

まだ、続きがあるような妙な終り方で
いつか、見た夢・・おわらせました。
懸案だったアダルトのチャレンジ作品が/概要はかいてみましたが/没ってしまいました。
本編である輝の作品とゆうのチャレンジ作品を掲載しましたが、
その設定そのままをモチーフにしてみようとおもったのですが、
意識不明の
恋人 をよそに、
恋人のおさななじみの男性と性をかわすという
女性の心理は、ラフなチャレンジ文章だけでは、簡単にかけるものではないと
さきのばしにして、
同じほかの男に抱かれる女の心理が内包されているアマロ・白蛇抄を引っ張り出してきました。

アマロという女性は
悪童丸の父・光来童子の母になる女性ですが・・・。
イギリスの伯爵夫人がなぜ、ジパングまでたどり着き
光来童子をうみおとすことになるか・・・。

如月童子に拾い上げられるまでの
アマロの生涯?
経緯?
を、かいてみようとかきかけて、
ほったらかしに成っていた作品ですが、
一見、本編とはずれてゆく内容に
如月童子の元にたどり着くことが
果てし無く遠くにおもえ、
暫く休筆していました。

まあ、ココまでほっておくと、
外れたら外れたままでいいやと
主人公達のあゆむままに
かいていこうと、ひらきなおってしまえたので・・・。
また、書きはじめます。

物語の中の・・・

白蛇抄の最初は蟷螂という題名ですが、その名の通り、蟷螂の化身の話です。

ですが、これは、実は14章くらいまでかきあげたあとに、書いたもので、

本当は鬼の話、悪童丸から書いていったのです。

悪童丸の話の中で、蟷螂のことが必要になり、これがないと、おかしいなということで、

たしました。

物語全般はオムニバス形式の長編なのですが、

いろいろな妙な存在が登場します。

ちょっと、覚えてるところから、書いてみます。

蟷螂の化身。鬼。黒龍神。白蛇神。山童。河童。楠の精霊。榛の木の精霊。

邪宗の双神(ちょっと、正体伏せます)妖狐。犬神。木乃伊。幽霊。

いづな。沼の神。山の主。水の精霊。雷神。八代神(閻魔とも)。鬼女(人を食らうという意味で)

鳳凰(陰陽師白河澄明の守護)式神。火の玉。慈母観音。宿根神

言葉だけで言えば、まだ、あります。

「はてには、百足の神までいるという」

という具合に、物語の外枠に・・。

かなり長い物語なので、このペースであげていくと、年を越すかもしれません。

死んだ人間が会いに来る的話は、ほかにも、かいていて、

これは、まだあげていないBL?とブロー・ザ・ウィンドがあります。

どうも、本人が不思議な人間なので、そういう発想が出てくるのだと思います。

悪童丸に・・・

  • 投稿者:白艸藤則
  • 投稿日時:2009-10-16 21:09:51
  • 一気に読ませていただきました(この飽きっぽい私がですよ!)。
    正直ビックリしました、こんなクオリティの作品がFC2で読めるなんて思ってなかったです。
    滲み出る知性、流れるような文体、なにより内容が濃くてすごく面白かったです、もっと読みたいです!次回作楽しみにしています!

  • 投稿者:憂生
  • 投稿日時:2009-10-16 22:34:09
  • 有難うございます。
    白蛇抄・悪童丸の前の話が、蟷螂です。
    下のほうに、挙げています。
    白蛇抄はちょっと、複雑なつくりをしています。
    蟷螂は布石の役がおおいので、読み飛ばしても
    わかりにくくないのですが、
    第6話が1~5の集大成みたいなものなので、
    できうれば、6話までに、蟷螂もざっとでよいので、目をとおしていただけると嬉しいです。
    で、それでは、早速、第3話、白峰大神あげてきます。
    これは、ちょっと、性描写おおいのですが、心理追従含めるものなので、
    その部分もあわせてお読みいただけると嬉しいです。

白蛇抄のこと・・・から

自分が書いたものが自分への「天啓」になるってことは、

白蛇抄などで、おもったことだけど、

物語の中で、

「憎むな。堕ちるぞ」って、雅の言葉。

「理由がわかって、発した言葉は「理」にならない」

と、いう、「かのと」「黒龍」の言葉。

「因縁があるから、物事によせつけられる」

誰の科白だったか?

まあ、壮大な物語のすべてが憂生への天啓であったと

いまさらながらに思う。

白蛇抄は・・。

憂生のライフワークにちかいものにしたいと思っているんだけど
この題名について、
けっこう、異論がある。

一つには
同名映画・小柳ルミ子主演の白蛇抄がだぶる。
また、中国の伝説?
白蛇伝?ともイメージがだぶる。

主人公は陰陽師であるが、
複雑な因縁を持ち
因縁が現世において事を引き起こしてゆく。

魂を二つに裂かれたきのえの生まれ変わりが
持つ因縁は
ズバリ、そのもの。

ひとつのものになりたい。

ゆえに
こういう事象と深く関わる事になる。

物語の多くはこの思いが成就しがたい環境が設定される。

悪童丸では姉弟の恋。
悪童丸の父・光来童子とかなえの話では
人間と鬼

蟷螂では蟷螂の化身と政勝

波陀羅においても
ひとつになりきれなかった男女を描いた。

邪宗・・も
元ひとつの榛の木の精霊が
雷神に魂を裂かれふたつにわかれた所が因。
元ひとつになりたいと願う思いが澄明とのかかわりを生む。

白峰大神も
井戸の柊二郎も

多かれ、少なかれ
邪にしろ聖にしろ
ひとつになりたいという思いが底に敷き詰められ巻き返し繰り返し・・・

今、書いている
アマロと洞の祠はこの白蛇抄の起点になる物語とも言える。

アマロはいずれジパングにたどり着き
光来童子の父親、如月童子に救われ
光来童子を生む。

一方、
洞の祠。
澄明の9代前の前世がきのえということになる。
つまり、きのえの魂が二つに裂かれ
変転、生まれ代わりを繰り返し
白蛇抄において
かのととひのえという双生にうまれおち、
かなり・・・長い白蛇抄と言う物語がはじまるわけであるが

この物語を生み出した原因?が
実は白蛇神・白峰大神で・・・。

つまり、この神がいなければ
この物語がうまれでてこないという重要なポイント存在で・・・。

この神の思いもまた
愛するものとひとつになりたいという
せつないものでしかない。

だが、物語がすすんでゆくうちに
ひとつになることが出来ない白峰大神とあいなる。

この男神の悲しみを癒す方法はないものかと
かきすすんでいったものが
あるいは
法祥・回向せしむるかや
などであるが、

こうかんがえると
この物語の基は白蛇神・・になってくる。

ゆえに
白蛇抄なのである。

今、狡猾になるさえいとわず
なりふり構わずきのえを手中におさめようとした白蛇神の思いを
どう掬いとれるか、考えている。

わがままの子供のように身勝手な願望を
叶えようと必死になる。
この姿でも、
その気持ち、せつないよなと
共感を得てもらえる書き方をするに
どうすればいいかと考えている。

思いいれひとつ。
言葉にするは難しい。

だけど・・・。

そのタイトル。

白蛇抄が一番・・・説明になっていると
憂生は思いたい。

夢一夜もそうだといったけれど・・・。

小枝で、紅をあつかってみたが、
七日七夜においても、
すこしだけ、
紅を扱ってみている。

紅・・・すなわち
焦がれる想い
それは、また、
「女心」の象徴である。

*****「七日七夜」より。抜粋。****

今までそれを知らずにおったのが可笑しくて、かなえがふと笑いながら

「じき十六になりますに・・・」

と、答えた。

「十六?本当か?」

「本当です」

「に、しては子供 じゃ。紅もつけず。男の様に野を駆け回っておるのを見ると、そうじゃな十二というぐらいかの」

「光来童子は・・・紅を挿した女子の方が好き・・なのですか?」

じいいとを見上げるかなえの目の中にある光に光来童子は気がついた。
その光はかなえを見る光来童子の瞳の中にもあるものだった。

「あ、いや、そういうわけでない」

かなえの手を掴むと、光来童子はかなえを引寄せた。

その胸の中に飛び込む様に入ってくるかなえをしっかり擁くと、その頬に己の頬を摺り寄せた。

「かなえが、紅をさしたら・・もっと綺麗だろう・・・」

影が重なる様に二人の唇が重なると、かなえが帰る刻限までの長い間を二人は、ずうっと擁きあっていた。

やがて夕闇が迫りくる頃を告げる、巣に帰るからすの鳴き声にかなえを促がすとかなえが森を抜けるまで童子はその姿を見送った。

かなえの姿が小さくなって見えなくなってしまうと童子はどっと地面を蹴った。

大台ケ原の居室まで一飛びで帰りくると、もう夕焼けに空が赤くなってしまっていた。

「明日も晴れる」

が、童子の心の内は晴れる事は無い。

微かな後悔を押し退けて果てない喜びが胸の高鳴りを一層高くしているのにである。
御互いの気持ちが繋がると二人の間の垣根を取り払いたくなる。

光来童子の中に芽吹いたものを欲望と呼ぶにはあまりに切ないものがある。

「いかぬ。かなえは人間じゃに。これ以上は決して、ならぬ」

*****
七日七夜。
悪童丸の父親。
光来童子と、かなえの恋。

やっぱ、憂生はこのあたりの
話が好きです。

講釈たれるべ。

白蛇抄第8話~第10話を続けてあげました。

井戸の柊次郎の怨亡がきっかけで、八十姫の怨霊にまで、托鉢の僧、法祥は関わってしまうことになります。

法祥には、八十姫に関わる「因縁」があります。

この「因縁」という原因を納所していこうというところに、法祥の迷いがあります。

法祥と、共に入水自殺をはかり、池の底に沈んだままの伊予の幽霊を回向することができるか、どうか?

八十姫の餌食にされ木乃伊で目覚めた男、兵馬をどうするか?

と、まあ・・・。

複雑に絡んだエピソードのそもそもの、きっかけは、井戸の・・・から、はじまっていき、

存念を晴らすという観念はまた、悪童丸の抄にて、海老名が、つぶやきます。

ー存分にかなえさまの存念、晴らしたまえー

思いを救わねば、本当には、救われない。という、観念から始まった白蛇抄の理念は、この3編にも共通していると思います。

ふくろうの話し。

作品「法祥・回向せしめるかや」

のラスト辺りでもこの生き物の話しを扱った。



ふくろうである。



作品に挿入したことと重複する内容もあるが、

憂生はこの話がすきなので、

ここにも掲げる事にした。



ふくろうの鳴き声はどこかもの寂しげにきこえるのであるが、

案に相違して、

あの鳴き声は幸せな愛の賛歌なのである。



と、いうのが、

「ほほう」

と、聞こえる

ふくろうの声は

実は

「ほほ」と、雄ふくろうがないたとき

間髪いれず

雌ふくろうが

「うぅ」と合いの手?

まさしく夫唱婦随の愛のて?をいれることで、

「ほほう」の一声にきこえるのである。



この話しを聞いたた時に憂生は感涙ものであった。



人間さまでもこうまで見事に

唱和することが

出来ないものである。



これを、ふくろうがごとき分際が

必死に生きることを謳歌しているのである。



ほほ・・うぅ。



昨今
お土産 やサンでも意匠をこらした、ふくろうのアイテムがうられている。

憂生はただ、単に

ふくろうの福の字の語呂合わせの縁起のよさでしかないと、思い、

いい売り物にされてしまっているのを

人間さまの商魂のたくましさよと

笑ってみすごしていたのであるが、

「ほほう」の話をきいてから、

確かにふくろうは福ろうだと思うようになった。



家の中の飾りだなにも、いくつかふくろうアイテムが転がっている。



「ほほう」

の福にあやかりたいものであると、

ふと、神頼みならぬ、

ふくろう頼みをしてしまった憂生であるが・・・。



他力本願では

それこそ、

「ふくろう叩き」にされちまうかな?



ふむ。

自力本願かなうべく・・・。

がんばんべええ。

記事・・保存のため・・・

不思議に思ったのは、このブログのタイトル「護剣童子」なのではないだろうか?
まず、どう読むか?
「みつるぎどうじ」と、読みます。
三本の剣を持つ事になった
悪童丸の大人名として、
かんがえたものです。

三剣童子。
こうも、書こうかともおもったのですが、
大人名を名乗る事になる
悪童丸は
自分を護る剣を自分こそが護ってゆく。
これが、
大人ということになるのです・・・。

さて、それでは、
だいたい、三つの剣をどうやって持つのだ?
と、いう事になってきます。

この剣とは、
『子を護る母の峻厳さ』を意味します。

悪童丸の身辺には
かなえという産みの母。
伽羅という育ての母。
そして、妻である勢。
その勢もまた、「母」になっています。

この三本の剣に支えられ生き越してきた
悪童丸が
今度は
「剣を護る」側に立つ
大人になってゆくのだと、

陰陽師・白河澄明から、その名をつけられるのです。

一説に
ペンは剣よりも強し。

意味合いは違いますが
物書きの端くれは
剣が正義であるように、
筆を進めるのも
つとめであるかと、

この護剣童子の名前をつかうことにしました。

ペンは剣よりも強し。
されど、
その剣を正剣にしてこそ、
ペンは剣よりも強し。

こういう事をいっておこう。

そして、
たいそうに論説をぶるほどでもない
ブログに変化してゆくのは、すでにみえてもいるのである。

できうれば・・・・・

白蛇抄、井戸の・・・壱は、いったん、完結し、

いかにも、オムニバス長編の名前の通りなのですが、

続く、弐は、10話、法祥、回向せしむるかや

に、はいっていくための、導入部になって行きます。


隠した部分があるため、順番が後先になる、妙なつくりなのですが、


井戸の・・壱は、まあ、読み流しても、

どんじょ、弐は、ひととおり、読んでやってください。


この白蛇抄という物語は

わざと?

初めから、読まないと、いまいち、分かりにくい。


と、いう作り方をしています。



今回でも、悪童丸のように・・と、一言で

すませたたとえがありますが

悪童丸のよう・・・。

それは、裏側では、命と、止むに止まれぬ思いと

因縁と・・・という、複雑な部分があって、


此処からだけ読むと、

婦女子に悪さをしかけた悪童丸としか、見えないと思います。


その悪童丸の人を恋いうる思いがどこからかと

解そうと思うと、七日七夜を読んでもらわないと・・・。


まあ、一つの事象の裏側に他の物語があり、

澄明をいいだせば、また・・他の物語となってきますので、


できれば、最初から読んで欲しいと思います。


見えない部分が・・・多すぎますので・・・。

整理現象・・おおう!・・自然が呼んでいる

マズ、整理物件 の捕獲。

「あはは」

憂生は情景描写が苦手なんで、
もっぱら、心理描写でにげているんですが・・・。
今日は、久方ぶりに
「理周」をよみなおしていて・・・。

↓に自分で感激/あほ?
してしまったので、
此処に揚げます。

憂生にしては、
何とか、情景描写が
綺麗にまとまってるんじゃねえか?

うはっ、自画自賛?
単なる思い込み?
この程度が憂生の精一杯。
レベルが見えてしまいますが
憂生には、巧くかけてるように思えます。

「理周より・・・」

理周は余呉にいる。
小さな浮御堂が余呉湖の端にたたずんでいる。
山は四方をかこみ、
大きな湖の北に位置する余呉湖をつつみかくしている。
琵琶の湖にくらぶれば、水溜りほどに小さな余呉湖を知るものは少ない。
清閑と水をたたえている湖は山の藍翠を映しこんで、漣さえ立てない。
時折、通り過ぎる一迅の風が湖面に銀色の皴をつくり、
なだらかなみどりを深くのみこむと、
静まり返った水面は一層藍が濃くなった。

--------------------------------------------------------------------------------
で、これに早速メールがきました・・・。

「では、恒例のイチャモンをつけたい、と思います。

 理周にあげてた風景描写、自画自賛の・・・
 
 気にいりません、「時折通り過ぎる一迅の風」の部分。
 どこが!?と仰いましょうが私としてはこれだけでは風が短すぎない?
 此処は艶をいれてもいいのじゃない・・・
 等と思っております。
 前後に釣り合わないような気がするの。
 もっとね書けるはず・・・
 と、思ってしまうのです。」

この人は憂生の作品に対して
憂生の作品は読めるものである。
卒論で谷崎潤一郎をとった私がいうんだから・・・。
と、過去に合格?点をつけてくれているという事を
含んでおいて下さい。

で、もちろん、
我らが・・・あん?ま、いいかああ。
我らが憂生がそのまま、引き下がるわけが無いのである。

で、憂生の返信。

「すまない。

情景描写・・・つうより、
余呉はそういう湖・・・。

憂生の目の中にうつったままを
かいているから

事実?描写・・かな・・・。

余呉の湖。

尼がかのひとに
ひっそり身を沈めていきてゆきたいと
言われたその地の湖・・・。

その湖が・・・
あまりにも叙情的でありすぎたら、

風景がうざい。

おそらく、
憂生は切り取ってあの部分を揚げた時点で
皆にはつかめないだろうと思った。

尼の人生の中にふいた一陣の風。
そして、
尼の心の中・・・。
緑を深く映す尼・・・
時折波立つ・・心。

結局・・・
これは、情景描写じゃないンダな/笑

尼・・・を
馨せている・・・・。

だから、憂生は自分の中で巧いとおもったんだろうな・・・・。      憂生 」

で、彼女からは謝罪?
読み取り不足でしたと返事がかえってきていたんだけど。

ここで、憂生個人的に
再度、整理現象だ。

清閑と水をたたえている湖は山の藍翠を映しこんで、漣さえ立てない。
**清閑と水をたたえている・・・は無論
尼が心の底に深い想いを抱きながら、
心静かに、かの人だけを思い暮らし・・
ってことになろう。

山の藍翠は..かの人のこと、
かの人への思慕。

それを心の湖に映し

尼の心はかのひとへの思いだけに
満たされ・・
表面上・・・漣さえ立てない。

時折通り過ぎる風。一迅の風。
これは尼の心に物狂おしくわいてくる
かの人への恋慕。
あるいは、寂しさ。

わずかに湖面/尼の心・・・/・・に銀色の波立ちをつくると
再び
かの人への思い/なだらかな翠/を胸に深くうずめると
/このうずめるは埋め火の意/
尼の心は静けさを取り戻し
心の水面には
かの人への藍/愛が濃くなっていった。

と、まあ・・・なんだ、此処までのバックグラウンドを
解説したら、
なんも、おもしろくないわけだけど・・・。

憂生の中では
物語の色あいがあって、
その部分とマッチしている?
コラボ?している。
と、自分では意識せずに
文章を眺めて
巧いと想ったわけだけど

今回の彼女のクレームにより
憂生の中で
ナゼ巧いと想ったかと言う部分が明確に
意識される事になった。

で、自分でも・・・
さらに・・・、
なるほどなあと、想うに足して
やっぱし、
憂生は情景描写・・
もとい、
写生文?というべきかな?

写生文、下手くそです。

情が重なるという意味合いで
情景描写に成ってしまう。

つまるところ、心理描写の一端でした。

で、もちろん、短文として
ソコだけ、独立して
読み直してみたら
彼女の言う通りだと思います。

そっけない。
深みが無い。

そうおもいます。

一部分だけ・・抽出するなんて事をやった憂生が
おろかでしたね。

整理現象・・・おわり。

けつふかず、
後ろ足で砂をかけて・・・/猫じゃああ/
帰るべ!!

ん?
砂、ちゃんと、掛かってるか?って?

ふんなもん
しらんにゃ!!

*追記*

*この後にも、この記事に対しての、クレームが着ました。

それは、憂生が自分で書くといやらしいと思って

「一応、読めるもの」と、いう表現に変えたのですが、

そんな事言ってないし、

一応なんてものじゃないよ。

と、。

彼女の嗜好にあったのでしょう。

絶賛してくれていたのが本当です。*

ぞれぞれ~~~~

白蛇抄第7話、宿業のヒントになったのは、

秋山ジョージの「浮浪雲」の1話でした。


浮浪のだんなも舌を捲く、腹の太い男。


これが、女房の不貞のはてに、

出来た子供のことを

「あっしは、子だねがねえんですよ」

って・・。

打ち明けて・・・。

こんな男に、ちゃんと、天の神様は

子供を授けてくださった。


なんて、台詞を言う。


まあ、こういうセンテンスをいただいて、

自分流に素材として使うということはよくあるというか、


ソレがひとつの、トリガー、あるいは、

起爆剤になって物語をこさえちゃうってのは、あります。


空に架かる橋の萌芽は随分、昔にあったものなのですが、

この芽をのばしてみようと、思わせてくれたのが

最終兵器・彼女  の、番外編でした。


小枝も、白土三平のカムイ外伝の中のエピソード。

気が狂った娘が男を求め狂う。

で、父親であるマタギだったか、

炭焼きのそま人だったか、忘れたけど

男のなぶりものにされるくらいならと・・・。


まあ、そういう設定はどちらかというと、

笑う女のほうに近いのですが、


その父親が娘の不幸に苦しむところ(めしいであるという設定)を浮き彫りにして

かつ、性を求める小枝の心も、

人の心として

すなおに、きれいに、扱って

かつ、父娘が、結果的に救われるという。


白土三平とは、逆の方向の話しを書きたい。

と、ずっと考えていたものです。


壬生浪ふたりは、友人の志水が

総司狂で、

一本、こっそり、恋仲の二人をのがしてやるという

そんな話しを書いていたのですが、

これが、16、17才の頃かな?


憂生の設定でなら、どういう解釈をもってくるか?

って、感じで、

書いてみたものです。


もちろん、盗作でなく、二番煎じとも違います。


元の文章もどういうものだったか、覚えてないくらいで、

おぼろげに、こういう話だったかなという程度のものです。


まあ、なんにせよ。


そういうトリガーの存在があったというか。


どこかで、

絶対、

なにか、あるはずなのですが

全部、全部、分からないのだと思います。


何処かの批評サイトの事も、書いたことがありますが

批評の言葉に

二番煎じとか

パクリとか

ベタモノとか、


こういう批評のしかたは、批評する人間のレベル、低いと思ってます。


人間ですから、似たようなこと、考える。


そんなことをいったら、源氏物語とか、

自分の解釈で書く作家いますよね。


これも、二番煎じで、パクリで、ベタモノです。


なのに、何故そういわれないのか?


前者は何故そういわれるのか。


結局、題材とかストーリーとかじゃなくて、

表現などの文章技術がいまいち、魅力が無い。


そのあたりを、もっと、具体的に

ここじゃ、こうだよ。(あ?具体的じゃないっすね?)

と、的を得た批評をするのなら、

いいんだけど、


ありきたりにみせてしまう原因を付いてやらず、

ありきたりだと批評する。


そんな批評する、おまえのほうがありきたりの

ベタモノ発言だと、よそ様のところなれど、

一言いってやろうかと思ったけど

見えてない者同士の雑魚けんかにまざるあほもないと、

スルー~~~~。


まあ、実際、批評をするという事は

難しいものです。


自分側が

確固たる尺度?洞察力?をもってないと

まともな批評なんかできない。


だから、憂生は、批評するの嫌いなんですよ。


いかに自分に尺度や洞察力がないかを見せる事になるから。


で、カッコたる尺度というのが、なにかというと、

理由をちゃんと相手に伝えて、納得してもらえるものの見方が出来るかという事です。


自分がはっきり分かってないと

相手にも伝えられない。


だから、批評サイトの人間が

ベタモノ・・とか、こういう表現しか出来ない。


だから、なぜ、ベタモノにみえるかの説明ができてこそ

批評だろう?


その説明をできない批評家の中に自分をさらけだしておいて、

なにか、得るところあるんだろうかね?


はてには、感情でしか、物、言わないし、


批評は自分の披瀝でしかないって、

よく言うけど

まさにそれでね。


そこまでしか、説明できない把握で

物言うな。


って、そういう感情おこしますから、


また、憂生も自分を考えます。


批評するに、

「ここだよ」

って、自分か感じた部分を

どうにか、説明しようって。


もちろん、あくまでも、自分の感じた事でしかないけど


こういう風・・を説明しきれないで。モノいうまいと・・・。


ところで、話し、なんで、こんなにずれちゃうんだろね?

ファンタジー?

白蛇抄は陰陽師物なのですが、仏教的(密教的?)な側面を持っています。
因縁からの解脱ということでなく、
「因縁納所」という中でも、「因縁を通り越す」という解脱の奥儀?が底にしかれることになります。

この考え方を底に敷いた部分で、これが、たんなる「読み物」でなくなってしまった部分があり、スピリチュアルな生き方、求道精神に相通じるものがあり、強烈なカルマをリアルにもつ人の指標になったぶぶんもあります。

その物語をファンタジージャンルにいれたのは、第1回新潮社ファンタジー大賞を受賞した酒見賢一氏の「流れる雲のように」(だったと想う)に、よります。

この物語はまだ、ファンタジー小説の概論が日本の文壇のなかに定着していない時期、ファンタジー小説を根付かせていこうという試行のために、新潮所が繰り広げた公募に第1席で入賞したものだったと思います。

古本屋でみつけて、読んでみたところが、すでに、アニメーションで映画化されていたものでした。

同じものだと思わず、本を読んだわけですが
この内容はハリーポッターや指輪物語などから、感じる
ファンタジーイコール《魔法使い?》というものとは、随分かけはなれたものでした。

第一回ファンタジー小説受賞作品ということわりをよんでいなければ、
中国の後宮小説(大奥みたいなもの)で、史実か?あるいは、ダヴィンチコードのように史実への解釈か?と想うようなものでした。

ファンタジーの定義というものが、かくも、柔軟なものであると受賞作品が証明しているようにおもえました。

白蛇抄も架空ということでは、「幻想小説」の範疇に入ると思いますが、
内容は、書評にありますように、たんなる冒険小説でもなく、恋愛小説でもなく、壮大なスケールのドラマであり、その壮大さを構築するのが、人物の葛藤や心理などなどだということで、密度の濃い物語に仕上がっていると思っています。

その物語をして、「壮大なドラマ」であるといえるなら、
酒見賢一の作品をして、これもまた、当然、中国史実をバックにしいた「壮大なドラマ」だといえると思います。

こういうことがあり、憂生はこの作品をファンタジージャンルに数えています。

う~~んとね・・

非常にきにかかるのが、白蛇抄1,2,3,4です。

この物語の複雑な構成がはっきり、わかるのが、第6話です。

この第6話こそ、真髄になる部分なので、
1,2,3,4,5をきちんと、読んでいただきたいという思いが
痛切に在ります。

オムニバスですから、どこを読んでも、完結した物語にしたてていますが、
第6話における登場人物の一言や行動のなかに、1~5までの中での
経緯がある故という「深さ?」が入ってくると思えるのです。

この白蛇抄は今、16話までしあがっていて、総文字数100万文字を超えたと思います。

因縁を通り越すなどという考え方から、のちには、
因縁が因縁を呼ぶ。
因縁にかかわることイコール自分の因縁がきれいになっていない。

などなど・・。
おしすすめていく理念を、徐々にさしはさんでいくこともしていますので、
できるならば、順番に読んでいってもらいたいと思っています。
(1~6まで。あとは、作者自身、物語番号をまちがえてしまって、
入れ替わってたり・・・確か伊勢の姫君を11にしていたと思うのに、かわっていたと思います。)

白峰大神・・・に

陰陽師物を書き始めた頃から、とにかく、陰陽師関連の物語や映画などなど、いっさい、見なかった。
まったくの独自の解釈で、書いていきたかったせいもあるが、
へたに他の人のものを読んだら、自分が萎縮すると思った。

こうあるべきなのだとか、本当の姿をみたら、そっちの設定に及ばないから、それをまねてしまう。

これがおそろしくて、夢枕獏の作品(一冊だけだけど)を随分あとから読んで、避けてよかった思った。

夢枕獏の作品は確か「呪」ということを基調にしていた。
名前があるが、名前をつけるから、名前が本人をあらわす。
安部晴明は自分の名前を違うもので、つたえ、魔物の呪から逃れた。という話だったと思うが、そのアイディアが良かった。
逸話として残っているものなのだろうから、考え方というべきだろう。

さて、白蛇抄、第3話をあげてきて・・。

この話のつくりは、本当に申し訳ないけれど第1話から順番によんでもらわないと、醍醐味(えらそにいいます)が深くならない。
蟷螂の話とその解決の時にかのとがみせた態度。
それが、また、白峰大神でも裏面を見せていきます。
今回、鼎の業を被ったひのえの来世を救う話が第7話になりますし、
草薙の剣などが出てくるわけですが、これも、湖に落ちた経緯も
第16話・・。
白峰大神との因縁を知った澄明の苦しみが第11?話・沼の神
悪童丸を反対側から書いたのが「鬼の子」
主膳の妻、かなえが鬼と結ばれた経緯。次にあげる第4話「七日七夜」

悪童丸をひろいあげ育てていく女鬼伽羅の登場。
伽羅の情夫、にもてあそばれた波陀羅が邪宗の双神の使途に使われていく。
邪宗の双神が主膳の嫡男、一穂をねらう。政勝を狙う。
白蛇神に黒龍に八代神に宿根神・・その他もろもろの登場人物&登場物の怪・・とても簡単に説明できない入り組んだ構造になっています。

あ、それから、今回の作品はかなり、性表現多かったと思います。
会話中にも「何故、悪童丸の舌をしゃいた」というくだりがあり、ここでも、澄明のはからいことであったことをあかしていったり、いかに白峰がひのえをおとしこもうか、奮闘努力したか、(あはは)
蛇の性になっていれば、ほたえも無理なかりましょう。
と、あとであかしていく裏づけ・・(表づけ?)のためとか・・
かなり書き込み、似たようなシーンにどう変化をつけていくか・・。
がんばった(すぎた?)結果ですので、どうぞ、エロ本と誤解なきようお願いいたします。

第6話にて一応の集大成ののち、「因縁を解決するように見える陰陽師にこそかかわる因縁がある」と、いうことで、多くの話が二つに分かたれたものが一つになろうとする話であり、それこそが、ひのえとかのと(つまり。きのえ)の因縁であるということになります。

理周・・・に

理周は、好きな作品です。

これを書いたあと、父親(離婚)とはなればなれになって暮らしている方からコメントがありました。

父親のように思ってくれる人と一緒になりたい。

そんな言葉でした。

理周を深淵の淵から、ひっぱりあげる不知火もまた、
文中で
「父にならねばならぬかの」
と、いう言葉を発します。

父のように思ってくれる人として、書ききれたかどうかは、
わかりませんが、
男として対峙すまいと不知火も必死で節のところへにげこんだおかげで、
理周の深淵を深く理解したとも思えます。

節の登場はいかにも、とってつけた部分があるのですが、
物語の重要支点的存在になったと思いますし、
最後の最後まで縁結びのてこにかきこめて、
良い、ポイントゲッターになっていると思っています。

あ~~。解説ぞなもし・・

宿業の中で、白峰・・が、え~~~、ごちゃごちゃ、いいますが・・。


これは、白蛇抄第3話、白峰大神を、読んでもらわないと、ぴんと来ないかもしれません。


で、この話は、ひのえが、餓鬼に落ちた鼎を同化の術により、

鼎を元の姿に戻し、思念のみならず、業まで肩代わりしてしまうという第3話に挿入された

エピソードを

第6話、邪宗の双神の冒頭にて、

白峰大神が、ひのえが受けた業をどうにか、できぬものか?


と、問いただした事にあります。


生まれ変わったひのえに、業が開くと

鼎と同じように、陵辱の果てに、気が狂うことになります。


それを何とかしてやりたい。

業?あるいは、因縁になってしまった業をとおりこさせる最善の方法。


白峰がえらんだのは、佐奈であり、

八代神と徒党を組み、

白銅の生まれ変わりを、子だねの無い男に仕立てると共に


妖怪の類の陵辱で狂わぬかわり、

人からの陵辱により、子を孕む。


それは、また、白峰とひのえの通り越しともいえるわけで、


複雑に、あちこちで、因縁の繰り返しがおきながら、


この物語の定法としている

「因縁、喜んで通り越す」


この部分をそれでも、朋世がかわゆいという周汰

子種の無い男にそれでも、こんな、かわゆいものをさずけてもらえた、と、


それが、喜び通り越したといえることではないかいな?


と、

そういうことで、

この物語は

白峰大神のひのえへの、情愛の規定にして、

白銅(周汰)がひのえを託すにたりる人間だからこそ、

できる、因縁からの解脱。

宿業の納消。


と、まあ、やはり、白蛇抄から、離れてない話しで


けして、突然、白峰が

都合よく出てきたわけではありません。


そんなわけなので、

場合によっては、蟷螂あたりから、読んでもらわないと

みえにくい話しがあるかもしれません。

コメントに寄せて・・・

かわいそうにゃ!!
って、コメントいただいて・・・。

・・・・。

そ~~・・ですね。
ひのえのために平気で沙奈を犠牲にする・・。
この身勝手な白峰大神の性格?
は、当初からのもので・・・/笑
傍若無人・・というか・・・。
傍若無人・・無神・・というか・・。
悲惨な部分もあるけれど、
何かを護るために
何かを犠牲にしてでも、護る。
と、いう姿勢は、白銅自体が唱えている物事で、
今回の中でも、周汰が陸に対して
残酷なほどの冷淡さをみせて、
朋世を護る姿を見せている。

この冷淡さで陸を切り離し
寄せ付けず、
朋世を護ると決めた周汰が
一番むごいと思われる朋世の裏切りに対してまでも、護りの姿勢を崩さなかった。
と、いうこの反率を考えてみた時、

朋世を初手から守りきれなかった
佐奈という男は、
ある意味、自業自得の結末を迎えたと考えられる。

簡単に言ってしまえば、
「女を護る」
この「本気」ってものに、
どこまで、真剣に挑んでゆけるか。

あまったるい考えや、
たかが、女ひとり・・・。
こういう軽い思いなぞ、うけつけない。

しっぺ返しは、必ずある。

思いが深ければ深いほど
浅い者には、太刀打ちできない。

なまはんかな、感情にゆすぶられてばかりいると、
結局、例えば、白峰大神・・などに、
つかわれる、捨てごまにされる。

自分を埒ないものにあつかわせたのは、ほかならぬ自分でしかない。

思いひとつ・・・。

深めていけなかった・・・佐奈は・・・
確かに・・可愛そうな男だと言えるのかもしれない。

コメント


なにかの本(漫画だったかも)で、
「その女の人が本当に好きで、護りたいならば
その人のついた嘘までも全部抱きしめて
その人の好きな男の人さえも
護ってやる(護ってやれ?だっけ)」
そんな台詞があった
憂生たんの「コメントに寄せて」を読んで
今日は、その台詞を思い出しました

読み応えあり~~~っ!

白蛇抄、ゆうべ読み終わってんけど・・・

ほんまネットでアップしてるだけって
なんとまぁ~もったいないって思ったぁ~。
でも。ある意味ほんまに好きな人が集まって読むわけやから
憂生はそれで納得言うか~満足なんかな?

最初読んでるときは、魔物退治の
陰陽師 の話しなんかな・・って思いながら読んでた。
そういうの結構好きやしっ(笑)
でもそれだけやなかったぁ~・・・
読み進んで行くうちに
ミモザ ほんま鳥肌もんやったよ!話しのスケールのでかさっw
あ~、ここに繋がるんやぁ~って思うのがめっちゃおもしろくて、どんどん読めたっ。
「カルマ」を強烈に感じさせられるこんな
ストーリー を考えた憂生に脱帽っw
必ずと言っていいほど出てきた性描写も、読み終えた後って
なんて言うのんかぁ~・・・必然の結果やなって思えるし。
(普段、官能小説とか読まんしーっ!爆)
たぶん、昼休みにお登勢を読んでる時に感じた細かい心理描写のせいやと思うっw

いろいろ思うことがあって・・・
今日友達に渡してあげるつもりっw この白蛇抄。

ありがとう、憂生の作品に出会えてミモザは収穫ありっ♪(笑)


*********************************

ありがと。
どこかにも、書いたけど、
公募とか、審査には出したんだ。
審査の反応はよくて
担当者が大慌てで/たぶん・・/
上部に持っていったんだ。

でも、結局、コッチが金がないってのが、
ネック。
企画出版なんて/只で出せる/のは、
まず、ありえない話しで、
向こうが言うに、発売して当初の1週間で
⑩万部以上売り上げられる作品。
無名の作家?が
500部ほど出版して
ちょろっと、新聞広告に乗って
⑩万部を叩き出せれるわけが無い。
有名な人気作家で、大々的に広告が載ってさえ
出来るかドウカ・・・。
つまり、企画出版何ていうのは、あって無きもの。
で、じゃあ、公募ならどうだろうと思って
送ってみた。
上位に入賞すれば只で出版できるから。
/金に拘らなくてもと、言うかもしれないけど、
自費出版でも普通の厚みの本で
三十万くらいはかかる。
白蛇抄を全部出したら400~500万?
だせるわけないじゃん?

で、公募の結果。
最終選考まで。
出版奨励作品認定証?が来たよ/大笑い

結局、もうけたいっていうのが、
主旨の出版社だから。
しかたがないんだけど、
実は既に新潮社/おいおい!/に送ってみたものなんだ。
あそこは規格が厳しくて文字数オーバーしているだけで

読みもせずぽい!になると後でしったんだけど・・・。
その新潮社の応募企画文字数が原稿用紙400枚。
ココに700枚おくったんだから・・・
アウツだよな。

で、新潮社は当然レベルが高いし・・・。
いわば、早稲田大学・・・。

じゃあ、3流大学なら、どうかな?
受かるかな?

結果・・・。
先の状態。

デ、色々、考えたよ。

出版社の担当者さんからも、
直接連絡がはいってきたりもしてたし・・・。

そんなときに
『作家になりたいのですか?」
って、たずねられた。

自分の中を覗いて見たとき、
『作品を読んでもらいたい」
だけで、
作家になりたいわけじゃない自分を見つけたんだ。

で、
じゃあ、読んでもらうにどうしようかって、
ところで、出版って方法をかんがえついただけで、
読んでもらうなら、ネットという方法もあるわけだし・・・。

そして、
ネットにあげると決めた時に
逆に
入賞すらしない作品をよんでもらおうとする事にダイブ、迷った。

そして、
入賞できるコトでなく
入賞できるような実力をもつことが
命題であって、
入賞する、出版するは結果論でしかないってね。


まあ、そういう風に審査や公募を受けてみて
自分の作品のレベル?を自覚したと言っていいかな。

ただ、一応、大抵の作品が
担当者からかなり優遇?してもらえて、
割引で出版できる期間がすぎているけど
権利をおさえておきましたから・・。
とか・・。

でも、もう、入賞すらしない作品を
金の力で/金があったとして/
無理やり出版してもなあ。
って、思うようになっていたんだ。

ステータスを得るだけ?
中身が伴わないのに
高級
ブランド で、外見だけ取り繕う?

ソンナ風に思えて・・・。

そして、
あたら、金をかけてみたところで
読んでもらえるにつながるだろうか?

めぐり合う
チャンス さえ作れば
読んでくれるだろう?

そのほうが本当じゃないか?

そして、その結果は
読んでくれた人が見せてくれるだろう?

だから、
「読み応えあり~~~っ!」
この評価は審査なんてものくらいの
ものじゃない。
憂生にとって本番への判定。
出版と同じ。
だから、本当、ありがとう。

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
7763位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2846位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。