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懐の銭によせて


懐の銭もそろそろ、終になる。

時代ものは、言葉がむつかしいから、表現に困る事が多い。

現代用語じゃないか?と、迷うものもあるのだが、
全部が全部、時代物の言葉でやるわけにもいかないだろう。

新之助シリーズはコメディなので、この禁をやぶって、
ストレッチをしていたとか?
良いコンビじゃな~~~い。
とか、書く事が出来るんだけど。

一番、困ったのが、白蛇抄のなか、
シャクティとマントラだった。
やむを得ずそのまま、使った。

エネルギーなんて言葉は絶対ありえまいと、生命の根源力とか、
ザーメンなんつ~~言葉もありゃしない。
精にした。精液では、現代語だろうし、物体そのものをさすが、精だと、もっと、広意義になる。「精のつくたべもの」「精魂つきはてた・・」などといういみあいの精。樹木に宿る精霊などの根幹てきいみあいとしての精もあろし・・。

日本語だから、漢字だから、なんでもかまわないかというと、そうはいかない。
性欲?というのかな、これも、「ほたえ」という表現にかえ、
神が顕示をみせてくるその万象を、「あふりをあげる」
と、いうぐあいにかなり、知られていない言葉をつかうはめにおちいって、
辞書をひいても、ない場合があり、読者様が前後の文節で、
「まあ、こういういみだろう」と、おぼろげにつかんでくれればことたりることなので、そこらへんは、自分の本の読み方を基本に考えていると想う。

辞書をひいてまで調べるというタイプのひとは、書くときも

かなり、言葉を調べては、書き、しらべては書きとやるようである。

考えながら?書くタイプなのだろう。

憂生は思いついたことをとにかく、文字にうつしていかないと、
どこかにとんでいきそうで、とにかく、書いてしまうというタイプなので、
書いてる途中で、一文字だけの表現。語彙・類義語・などを調べに行く人をみていると、どういう記憶力をしているんだろうと感心してしまう。

おもいつくまま、かくものだから、同時多発的に各人物の心理がうかんできて、これをどういう風にかけば、順番がつながるのか?とか、瞬間的にきめなきゃならなくなる。

よくがでてきて、、こっちからの心理、あっちからの心理とかきつらねようとおもうと、これをくわけしなきゃならないわけで、誰の心理か?ってわかるようにしなきゃいけなくなって、

正直、整理関係はうまいほうじゃない。
授業のノートのまとめかたとか・・・。
書類の整理とか、伝票とか、資料とか・・。

そんなやつが、多次元視覚?でものをかくってパターンをやるもんだから、まあ、はっきしいって、よみにくいったらありゃしない!!

停滞中

懐の銭は原本?があるわけですが、
元の話のタイトルを失念したという大馬鹿ものでして・・。

今、とまってしまってるのは、結末をどっちにするかというところです。

もちろん、原本があるのですから、
その大筋を替えることはできないし、
その大筋が気に入っての、トライ作品なので、
元のままの結末ですが、

そこまでいく道を右にしようか、左にしようか。

これをきめかねて、今、とまっています。

原本もある意味、都合の良い設定なのですが、
「あるよな」
みたいなところで、都合の良い設定を感じさせません。

右のほうが、ある意味感動的な道なのですが、
感動的というのは、ともすると、
「あり?」みたいな疑問を抱かせ
いかにも、都合の良い設定にみえてしまうわけで、
ここにもっていくネタ仕込が薄かったと思うので
なおさら、とってつけた感を払拭できるかどうかが問題点。

左は「あるよな」という原本に近い設定だけど、
感動場面がいまいちか・・。
感動場面の説得力にかける。

どっちのルートのほうが、よいか、まだ、決定打をみつけられずに、ぷらぷらしてたら、・・・。

ちら・・・(時計をみる)
えらい時間やないか~~~~~~~~~~~~。

ねよ。

すんません。
つまらん話のせてしもうて・・。

懐の銭・・のことから・・

自分でいった科白におとおしされて、
此処での掲載を遂行することにしました。

「問題は書くことにどこまで誠であるかでしかない」
そして、前に進むためにも、新作にむかっていこうと。

あいかわらず、本調子でなくて、
書いていきたいものに、向かうことができないのですが、
それでも、まずは、これ以上、休筆中をふやさないためにも、
懐の銭を仕上げてしまおうと思っています。

今までのところ、
ありきたりな話ですが、
憂生がこの有名な人情話をえらんだのは、
実はこの先の展開をどう料理できるかということにありました。

そのために、ありきたりな部分に
この先の、展開のネタになる部分をしこんでいます。

展開部分での男の心理にこくをだす、
スープ(下地)をつくってきました。

と、えらそうにいえるだけの
仕上がりにできるかどうかが、
まさに
「書くことに誠である」べき実践だとおもっています。

うまくいくかどうかなど、考えずに
「熱のこもったものをかけ」
と、
いいきかせながら、かいています。

ですから、大変不遜ですが
うまくかけなくても、
それをよませてしまっても、
憂生はわびることをしないでおこうとおもっています。

懐の銭に寄せて・・

さてさて、いよいよ、懐の銭も場面転換をむかえたのですが・・・。

原作・原本のある話のやきなおしではありますが、
ここからが、むつかしい。

男がどう考えるか。
と、いうことを今までの話から
掘り起こしていかなければならないわけです。

ひとつ、考えてみては、
いや、これじゃ、矛盾する。
とか
こんな風に(どんな?)おもうだろうか?
とか、
手探り状態で、
話というかたちにまだ、なってきません。

過去、このパターンでたいてい、停滞しました。

この時にのりきる方法はふたつあります。

ひとつは、立ち居地の変換です。

男の思いからでなく、池の男や、ほかの人物からの視線で
語らせたり、ほかの人間だったら、どうするか?という
解決方法でのりきる。

もうひとつは、でるに任せるです。
御幣がありますが・・。
とにかく、ゴールがみえない状態ですから、

マラソン同様・・
あの電信柱まで・・とか、自分の見える範囲までをとにかく書く。
電信柱まできたら、視界がひらけたり、
次の目標がみえたり・・するかもしれません。

いわば、時間かせぎですが、ソノ間に気がつかなかった男の心理がみえてくるかもしれない。
多く、停滞のときは、こう言う風にして、のりこえてきたものです。

今、懐の銭以外に停滞したままの作品は7~8こあるとおもいます。
どうしても乗り気になれないときは、
マラソンで言えば走ることさえやめてるわけですから、いったん、リタイヤします。
作品に向かってる時はソノ方向しかみないということがあるので、
別の作品にトライしたり、リアルにもどったり・・。
こういうことをして、少しは人生経験?がつみかさなると、かけるときがあります。
宿根の星・・などはそのさいたるものです。
どうしてもかけなかったのが、占いなどに傾倒して、
その考え方を自分の中で自覚(意識認識)したことにより、出来が同化はべつにして・・・。
続きがでてきて、ラストにもちこめました。
正直、懐の銭もかききれるか自信はありませんが、
まずは、次の電信柱・・をめざしてみます。

懐の銭に・・

懐の銭を、書き始めて、実は2年近くたっているのではないかと思う。

正確にいうと、書くといい始めてだが・・。

有名な人情話で、落語のようなウィットがある。

細かい設定はわすれたが、銭をなくした男が身投げするのを止めた男がいた。
結局、銭はうけとり忘れておきっぱなしになっていて、届けられて判る。
おちょこちょいで、死ぬところだったわけである。

およそ、これだけの話だったが
隠居や女将と登場人物をふやし、
お里をもりこむことで、銭がみつかるだけでなく、
「どっちみち、娘をとられちまうんだな」
という、幸せな結末にもっていくことで、
3人が助かる。
と、いうおおがかりになってしまった。

ブログのほうでは、途中でぶちぶちをいれてる。
隠居の1両の銭に対してのエトセトラ。

これをして、またも自画自賛。
ここが、ネタ仕込みなのだと。

呼び銭というモチーフをつかいこなせるか、どうか、
モチーフ(小物)につかえるかどうか、
目鼻さえついていなかったが、
なんとなく、これだ。と、おもっていたところの、
野生の勘がひさしぶりにわいてきたことが、うれしかった。

過去、大言壮語して、曰く
『閃いたこと、ちかりとひかったものを
逃さず掴むことが、できるのが、物書き』

で、あったのに、ここ何年間か、さっぱり、閃かない。
いや、閃いているんだけど、逃す。
逃すもんだから、ぷちぷち、考えるほうが多くなる。

物書きにもなれない状態で、
それでも、とにかく、なにか、書く。

新作?のこと・・

どこかで、ぽつぽつ、かきはじめていたんですが、

あらためて、書き直し。

元々、山本周五郎の人情話が好きで、

性善説というのか、多くの物語も

「憂生さんの描く人物のおおくはけして、奥の部分がにごらない」

と、いわれたとおり、

基本的には、まじめな人間が多いです。

これも上にかいたように、

山本周五郎からの感化でしょうね。

感化というより、憂生自体がそういう考えなので

周五郎に感銘したというか、共感を得たというのか。

具体的に意識・自覚させられたというか。

この周五郎を師事した作家に

藤沢周平がいますが、文体や文章表現は正直、藤沢周平のほうが巧みです。

ですが、周五郎のもっとも中心軸というか、

人情部分が周平の場合、一種、概念って感じがする。

周五郎は周五郎のまなざしといっていいだろうか。

文字で言えば周五郎は「赦す」であり、

周平は「許す」。

この違いがどういうことかは、また、別の機会にしておいて、

今回、憂生の作品。

現存の題名どわすれの江戸人情話から、おこしてみようと思っています。

大まかな設定とストーリーがあるので、逆に憂生の得意な(でも、ないか?)

心理や感情みたいなところから、

捉えてみたいと思っています。

懐の銭を書きながら・・

懐の銭をのんびりとかいています。

あいかわらず、おおまかな構想だけを軸に本編はぶっつけ本番でかいていくわけですが、前回の創作談義でもふれたように、有名な人情話を憂生風にやきなおしてみているので、元の話をそのまま、同じようにかいちゃあ、焼き直しとはいえまいってのがあるわけです。

ですから、「男」を語る目線(女将)をすえていくことで、逆に、有名な人情話って、どのことだろうってわかりにくくさせることにちょっと、功を奏しているかな、と思えるわけです。

憂生のもともとの持論ですが、人間1億もいれば、にたような話、考えはもつもので、

その考えや話を文章にするかしないか、読み手の目にふれるかふれないか?

それだけのことで、二番煎じなんてものは無いっておもうわけです。

ところが、今回の話は完璧に二番煎じなわけです。

これを憂生風にもっていくということは、憂生だけにしかできないことなので、二番煎じだろうが、ぱくりだろうが、いっこうにおかまいなしなわけで、

まあ、たとえば、京極夏彦だったかの笑う伊右ヱ門だったかな・・。

元ネタは四谷怪談のお岩さんの話だったわけで、これを京極氏が京極氏風に焼きなおして書いている。

元があっての話の焼き直しはおおまかにふたつの手法が成功を収める。

ひとつは、「新解釈」とでもいおうか。

視覚をかえて書いてみる。設定を変えてみる。という、文字通り解釈の仕方をかえる。ということだろう。

もうひとつは、原本では、分析しきれなかった人物の感情を浮き彫りにしてみる。

と、いう、「解析」とでもいっておこうか。

もっぱら、憂生がめざしているのは、「解析」のほうになる。

過去、原作(輝の作品から)があって、新たな解釈という形をとって、かいたのが、

「底で・・」になるわけだけど、これも、もちろん、「解析」部分が基礎になっている。

原本があるというものを焼きなおす時に一番憂生がひかっかるところは、

「この行動の裏の思いはどうなんだろう」

って、ことになる。

懐の銭でいえば、「男のやけ」これを、まわりの目でかたらせることで、

男の裏がみえてくる。

与太者相手に酒を飲み始めた頃には

与太者にたかられているだけの男という外面だけでなく、

女房と、まともに口をきけなくなってしまっている男をレリーフにしてみたかった。

こういうささいな心理をちょこちょことさしはさんでいくことで、

原本にはない、男の存在感や女将の目線の音叉現象?で

男への感情移入効果を入れ込んでいると思う。

これは、もう憂生の野生の勘というか、天性(おい!)というか、

毎度のことながら、計算して書いているわけではない。

つまり、おおまかな構想があり、ストーリーは原本がもってる。と、いいつつ、

実際、テキストにむかいあうと、この「仔細な作業」がはじまるわけで、

「解析」をいれこむ作業が実にはかどらない。

いや、はかどっているんだけど、ストーリーという流れになかなか、のっていけない。

場面でいえば、もう、さっさと、修造が借金のかたに娘を云々というところにもっていってもいいわけだ。

ところが、それじゃあ、解析がなりたたなくなる。

おおそとをぐるりと回る。

この手法で、人物の性格が見えてくる。

男をいえば、なにかしら、「よいもの」があるからこそ、女将が男に親身になる。

女将の葛藤によっても、女将の性格が見えてくる。

こういう感情面からの肉付けというのが、じつに、地道といおうか、まわりくどいといおうか。

これが、憂生の文章への好悪を分けさせるものだろうと思う。

かくいう憂生もなかなか、話がすすまないので、

物語をかくのっては、ある意味、忍耐力が必要なのだと痛感させられる。

物語を支えるもの

あれや、これやの続き物をほっちゃらかしにして、

懐の銭をかきはじめております。

もともとの某有名人情話を憂生風にやきなおしてみることで、

スランプ?状態を打破しようというか・・・。

とにかく、なにか、かいていかなきゃいけない。

って、いうむりやり「書くぞ」路線に自分をひきもどそうって魂胆ではじめたわけですが・・。

時代調のものは、いままでにいくつか、かいていますが、

どうも、「女」が絡む。

あ~~。

野卑な意味じゃなくて、

「男」の不可解な行動を分析していくのに、「女」目線が必要な部分があるというべきかな。

壬生浪ふたりでも、小枝でも、宿根・・でも、お登勢でも、白砂に落つ、でも

「女」目線が「男」の行動をだきとめていく。

おそらく、今回の懐の銭も、「男目線」でかたってしまったら

「落伍者」としてだけの「男」の人生をとらえる形になってしまうだろう。

古い言葉に

「女は男を抱くだけのものをもっている」

って、言葉があるんだけど、

憂生自体物語をかいているとまさに

「女のキャパシティ」にささえられてかいていけると思わざるをえないのであ~~~~~~~る。

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