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底で・・に寄せて


ミステイク

一つ、設定ができあがっていた。
モチーフは同じだけど・・・
入院 するのは主人公・・・もしくは彼女の方で・・・。
ソレも軽症のケガ・・。

ベッド の上で抜き差しならぬ関係になって・・・。
男が繰り返す言葉。
「いいから・・・いっちゃえよ」
何度もしつこく繰り返して・・・。
恋人 への罪悪感から
彼女をときはなつ・・・。

そして・・・。

その後・・・。

恋人がそこに現れる。

ふたりは・・・
行為のあと・・・。
身づくろいを整え・・ていたけど、
甘い余韻を思い返し
口付けなど・・かわしていた・・・。

そこへ恋人の登場。

「それ、どういうことだよ」

恋人は彼女をなじり・・・
説明しようとする男の言葉を遮る。

「お前にきいてるんじゃない」

彼女の口からの説明を求める恋人。

男は彼女にいう。

「いいから・・・いっちゃえよ」

それは、サッキ彼女に何度も繰り返した吐息。

違う意味の同じ言葉であるのに、
彼女の意識は
サッキの感覚につつまれ・・・

異様な羞恥のさまを露呈する彼女が物語る事実に・・・・。

恋人はなにもかもをさっする。

男は彼女が今
どちらを選ぶか、突きつけられているとわかる。

どちらをえらぶか・・・。

まよう、彼女の心をもう一度ゆする。

「いいから・・・いっちゃえよ」
**************

てな、設定だったんすけど・・・。

本編と設定が違う部分があって
チャレンジにならないジャン?

恋人のケガ・・・意識不明という異常状態で
彼女が
他の男にだかれてしまう・・・。

この精神構造?
心理構造をほりだすのが、
チャレンジ部分かなと思って・・・。

再度、焼き直しです。


*で、出来上がったのが、テーマ:「底で・・」です*

底で・・のこと

底で・・という作品をFC2でも一度あげていたが、どうも、シーンがあるために、検索にかかりやすく、アホログ検索がやってくる。
この作品の背景は、複雑なものがある。

そこのところを知らずして、ログで検索して読んでもなあ。と、いう思いがする。

この作品を書くきっかけになったのは、ネッ友の作品による。
表現的には、18Rの範疇にはいるだろう。
その作品を別の人がいわゆる、二次創作をした。

二人の作品をみながら、憂生も三次作品?をかいてみようと想った。

最初に思いついたのは、言葉の意味合いの違いに着目したものだった。

恋人が事故で入院した彼女をめぐる別の男の攻防というところであるが、最初の設定は
ベッドシーンのそのままの科白を繰り返すというパターンで
恋人が二人の仲に疑念をいだき、詰問する。

別の男は彼女に
「いいから、言っちゃえよ」
ーいいから、逝っちゃえよー
と、シーンの最中の言葉をなげかける。

歴然と二人の時間を深層心理の中にうかびあがらせ、
かつ、恋人との決別をせまる。
と、いう一言で外と内に働きかける科白は、
設定としては、(憂生としては)秀逸な構図であった。

だが、ふと・・・。

憂生自身、恋人がいながら、ふらつくという生き方が嫌いな人間であり、大元である、いわゆる(結果をどうするかの違いでありながら)浮気という事象を肯定できる自分がいない。

で、あるのに、そのままの設定でかけば、自分が曲がる気分になる。

そして、なによりも大きな設定ミスといえる心理に疑問をかんじてもいた。

ー恋人が大変な時に、他の男とーと、いう女心が、憂生にとってはありえないわけだ。

そんな女心なるものを憂生なりに肯定?納得できる理由ができたら、
書くことにして、当初の設定を没にして、しばらく時をまった。

そして、書き上げたのが、底で・・であるが、ある種異様な作品にしあがったといってよい。

18Rの表現をもつものの、その内容に、問うことがあった。

実際、何人かの人が、自分の人生を考え直していたようである。

ー半身不随(もしくは、近い状態)の人との結婚ーに迷う人が、この作品を読んでいた。

憂生の日記の中にも、車椅子のある人の話がある。
この場合も車椅子の人が男性であるが、女性側の献身?により、
子供にもめぐまれているし、本人の心にも「愛が灯った」と想う。

もちろん、ブロー・ザ・ウィンド、さながら、
「想わぬ作品の余波」なのであるが、この作品により、自分の思いを見定めて行った人もいる。

だが、一方で、あほログ検索で18R表現を漁るかばちもいる。

FC2で挙げた時は真摯な意見・感想をいただいたが・・。

その感想でも、およびつかない「うしろ側」があった。


おそらく、憂生の迷いとおなじように、
ー恋人が大変な時に他の男と?-という設定、行動に納得できない。
主人公の深層心理はあかされていくので、理解できるものの、ふにおちない。と、言うものがあったのだと思う。

実際、憂生も此処の部分で、
どんな理由があるにせよ・・という思いはもっていた。
もっていながら、その設定をおしとおしたのは、三次創作、原本があるせいではなかった。


最初にその設定をもちだした原作者は、実際、恋人を事故で亡くしている。

理解や納得や設定ミスや疑問などということを、うけつけない「アル種の事実」があったわけだ。


その原作者としりあったのも、ブロー・ザ・ウィンドやその近辺の日記からだった。

今でも、覚えている。

ー憂生、おまえも死んだ人間としゃべれるのか?-

残念ながら、いろいろ不思議な事象の多い憂生であるが、死んだ人間と喋れない。死んだ人間の想いをキャッチしたことはある(彼の魂が・・を参照)が、本人は死んだとおもっていなかったようであるが・・・。


で、問題は喋る・喋らないではない。

おまえ「も」の「も」である。

このことから、原作者が事故で恋人を亡くした経緯があることをしった。

原作者は、当初不思議な行動をとった。

憂生の一日の食事を伝えよ。

と、いうものだった。

朝はコーヒー1杯~2杯で仕事にでかけていたから、
昼と夜の食事をつたえるだけだったが、奇妙だと想った。

だが、いろいろと、不思議?なことを体験している憂生は、
そういう事を「奇妙」ととってはいけないことをよくわかっていた。

自分自身も奇妙な行動をとってしまったこともあるが、これを、言うがままにしてくれた父親の姿で、「我、親父になにさせとんじゃ?」と、きがついたこともあり、そうでなくても、うけいれられることで、一種、憑き物?がおちるということもあり、その行動は2週間くらい続いたが、突然?消滅してしまった。原作者の興味がうせたのか?あきたのか?よくはわからないが・・。


そして、亡くなった恋人のことについては、
「おまえが、人として、幸せにいきていくことを望んでると想うよ」
と、つげたのだが、
この時にも、ひっかかることがあった。
憂生にその言葉をつげられて、墓に向かった彼女は
恋人から
「もう、おまえはここにきちゃいけない。自分の人生を生きろ」
と、つげられたというのである。


此処で、憂生はかすかに想った。

死んだ人間としゃべっているのでなく、彼女の中につくりだした「彼」でしかないのではないか?
と。

自分だけが生き残ってしまった痛みのようなものから、
彼女は自分をときはなつことができず、
「彼」という幽霊をつくりあげていたのかもしれない。

「自分の人生」を歩む罪悪感?のようなものを、彼を忘れてしまう罪悪感のようなものを説き伏せる事が出来ずにいたとき、ブロー・ザ・ウィンドを読み、憂生に奇妙な行動をとってみせ、それが、うけいれられたとき、彼女は憂生をしんじたのではないだろうか?

だから、憂生の言葉がそのまま、彼の言葉にすりかわっていったのかもしれない。

そうこうするうちに、
新しい人生をあゆみだそうと彼女はしていた。

ところが、まだまだ、ぬけきっていない状態だったのだろう。
新しい恋人に「気持ちが悪い」という罵詈雑言で、こっぴどくふられてしまったようで、彼女の変調がそこからはじまりだした。

憂生に対峙するときのように、亡くなった恋人とはなす?ことや、
へたをすると、憂生にたいしてのような、毎日に食事を教えろなどという奇妙な行動を新しい恋人にしめしたのかもしれない。

通常、普通に考えたら、
パラノイアじみたストーカー行為?奇妙なフェチとして映るだろう。

で、なければ、「気持ち悪い」という言葉はでてこないだろう。

しばらくの落ち込みのあと頃だったか、憂生は彼女に
「小説を書くこと」を薦めた。

客観視がなりたたなければかけないということもあるし、自分の迷いの答えをかきこむということも往々にしてある。

ぽつぽつ、彼女が日記に詩などかきはじめてるころに、またも、奇妙なことにきがついた。

ー憂生そっくりだー
ー憂生さんの別のネームですか?-

語調もにてきたし、ところどころの科白もおなじだった。

ー憂生には「さん」はいらないー
ー性別不明でやってるのは、ややこしい恋愛感情にまきこまれたくないからだ。ネットで恋愛する気はないー
などなど、パクリともみえる状態が続き
彼女はいつのまにか、
「男」にかわっていた。

その頃に、すでに彼女は発症していたのだと想う。

そして、彼女はその頃に原本にあたる話や
事故にかかわる話をかきはじめるようになっていった。

一方、憂生さんそっくり、が、逆に
彼女の沽券にかかわったのか?

あるいは、彼女独自にうちたてた「男性名詞」が
存在をおおきくしたのだろう。

ひさしぶりに彼女のブログを覗いておどろいた。

「兄貴、元気?」
兄貴とは、彼女のことである。

病がちで、傷あとをひきずるナイーブな若い男。

その『彼』を賛辞する訪問者。


ハムレットの如き苦悩する姿に心を痛める訪問者。

ーそれで、彼女の心が癒えるなら・・黙っているべきかもしれないー

とも想った。

だが、憂生には、彼女が「男」を演じる姿が
死んだ恋人を追従しているようにみえた。


やはり、自分だけが生き残ってしまったという悔いに押しつぶされている。
彼が生きていたら、こうじゃないか?という姿を演じることで
ともにいきようとしてしまっているんじゃないか?


それは、危険だと思えた。


まして、本当に苦悩する「彼女」である彼女は新しい恋人(別れたわけだが)こっぴどく、否定されている。

一方で、「男」である彼女は、まわりから、ちやほやされ、したわれ、かわいがられている。

おまけに「悔い」も解消するかもしれない。

このままでは、
彼女は「彼女」を否定し、「男」に人格をのっとられかねない。


憂生はふたつの行動にでた。

ちやほや組のリーダーに事実をうちあけ、これ以上、もちあげて「男」から、かえられなくなるようにしてくれるな。
と。

その憂生の言葉に、リーダー格の彼女は
「あの男の子はいいこだよ。息子みたいに想ってるんだ。女の子のわけないじゃないか。写真もみたんだよ」

かくのごとく、信じ込んだ人間に賛辞されれば、ますます、彼女は「男」の自分に居心地をよくして、「彼女である自分」を否定していくことだろう。


外側からの問題は何とかなるとしても、問題は「彼女」のほうだった。

その頃に、一つのテーマを提示した。

「男目線でかくことは充分にできているから、作家として女目線にも挑戦してみてはどうか」

埋ずめかくそうとしている「女」を意識していくことで、「彼女」を取り戻すきっかけになればよいと思ったが、
具体的な憂生の不安ははなさずにいた。

しばらくして、彼女は
「女の目線・気持ちでかけない。女を主人公にして、気持ちをかくことができない」

と、訴えてきていた。

もう、「自分をとりもどせなくなってしまったのかもしれない」
と、一抹の不安を感じた。
こんなことなら、墓で死んだ彼氏と喋ってるほうがよかったかもしれない。
すくなくとも、死んだ彼氏は、彼女の外側にいると意識されていたのだから・・・。

こんな後悔ににた念。
憂生の奇妙に人をうけいれてしまう部分。
あの時、もっと、彼女に憂生はかまわないが、
他の人間からは気味悪がられるかもしれないという事を
しっかり、伝えておけばよかったのかもしれない。
そうすれば、あんなにこっぴどく罵詈雑言をかけられ、
自分を否定するようにならなかったかもしれない。


そして、発作をおこすようになり、
彼女は「境界認識異常」になっていった。

わざと、男のふりをしているのでなく、やってしまう。
病状が進めば自分がだれかわからなくなってしまう・・・・。


彼女はある時から、姿をあらわさなくなった。

憂生に作品の保管を頼んでから・・・。


もう、それから、何年もたつけど・・。

いまだに、底で・・・の原本である作品を想う。


彼女の事実だったのか、彼女の希求だったのか。
死んだ彼氏以外の人の思いをうけとめてはいけないという枷がかかせたものだったのか・・。

憂生は心理学をやってるわけでもなんでもないので、実際のところはおよびつかないけれど、

それでも、時々、底で・・の設定がまた、彼女を苦しめたのかもしれないとも想う。

「自分の欲をあきらめる」
「思いひとつで、恋人をえらぶ」

底で・・の底から、こんな信念をかんじとっていたかもしれない。

この物語がまた、彼女をおいつめたのかもしれない。

底で・・をあげてきました。

以前にもと、いうより、一時期、ここに手持ちの作品すべてをあげた時期があるのですが。
そのときとは、すこし、違う感慨があります。
アダルト小説を手がけ始めていた時期でもあり、性表現への拘り?てれ?は
随分なくなっており、新之助の当初の頃は「しこしこしこ・・」(あははは)
なんて、表現にさえ素にもどってしまいました。
もっとも、たいていの作品になんらかの性表現があるのですが、物語の中のモチーフとして、必須のものであるという意味合いでは、アダルト感覚で表現していなかったわけです。
アダルト感覚として、表現するというのは、新之助の「しこしこ」が、初めてだったと思います。

そして、逆に真摯なテーマを掲げながら、性表現を入れるときに、生々しさを加味しなければならないという、真摯さと矛盾する、場合によっては真摯さを打ち消しかねない、そんな性表現をどうすればいいかと自分の筆力のなさにもがきながら、書いたのが「空に架かる橋」でした。
この作品の性表現をして、「涙がこぼれてくる」とのコメントをいただき、
性表現がありながら、真摯さを追従することができるとすこし、自信がもてるようになったのですが、

今度はこの作品でした。

内容的にはむつかしいテーマでした(憂生にとってですが)

そして、この作品は今までと違い、
真摯さや必須さに性表現を埋没、融合させることが出来なかったのです。

真摯さと矛盾する性表現を簡単なものにおきかえてしまったら、
洋人の心理や言葉に納得できなくなる。

あんなにあえいだのに・・という洋人の言葉さえ、
どこがじゃあ。に、なるだろうし、
俺セックスには自信があった。
と、いう部分も「事実」として、納得できないということにもなるし、
最後のふっきる作業であるからこそ、燃え尽きる倖を表現しなきゃいけないし、(で、先細りの表現にしましたが)
かといって、性表現ばかりが強調されては、テーマが食いつぶされるし

アダルト世界と人文世界が両立する。とけこまず、対峙するかのように反目しあいながら、同等の重みをもつ。

こういうパターンは憂生にとって、はじめてであり、正直、アダルト部分のほうが、濃い印象をあたえてしまったと思います。
この濃さをひっくりかえす倖の生き様。その倖に「指標」をえた洋人として、
物語をおえましたが、
うまく、ひっくりかえっているか、心地よく、目から鱗的心地よさでひっくりかえせているかどうかの自信はありません。

底で・・を自分でもよみかえしていて、
ふと、想うのはいきてりゃこそだなあってな感慨でして・・。

あいなかを説明しないとわかりませんな。


読み直して想ったことは

「抱きしめてくれるか、好きだとほほをそめてつたえてくれるか」
と、いうブロー・ザ・ウィンドのアランの科白でした。

ブローのヒロインの相手はもう、死んでしまっていたわけですから、
底での中の似た科白
「抱きしめてくれるか?セックスしてくれるか?」(だったかな?)
を、同じ線に並べられる内容ではないかもしれないけど、
似たものを感じたわけです。

ブローのヒロインと底で・・のヒロインが選んだ結末は
相手の生き死によって、随分、違って見えますが、
底で・・のヒロインは恋人が死んだとて、洋人を選ばなかったのではないかとも思えます。

こうなると、恋人とともに生きていくのは、やはりいきてりゃあこそ。と
想うわけです。

憂生の友人の何人かに恋人を亡くした人が居ます。

多くのひとが精神的障害(自傷癖とか・・)をかかえています。

このことを想うと、ふと、高橋留美子のメゾン一刻を思い出します。
響子さんは夫をなくし、子供もない未亡人だったわけですが・・。

漫画ですから、いっしょくたにするなとしかられそうですが、パートナーを失っても明るくいきています。
この違いはなんなのだろうと想うわけです。

結婚したか、しないかの違いに見えます。

もうひとりの友人も新婚20日で新妻を事故でなくしていましたが、

何年か後に再婚しました。

この違いはなんなのだろうと想うのです。

ひょっとして、結婚してなくなっていたら、残されたものは明るく(御幣がありますが)いきられるのでしょうか?

人生の節目とも言う結婚というゴール(即ちスタート地点ですが)にたどり着くことができたということは、逆を言えば、いずれ、「死が二人を分かつ」時にむけて歩みだすということでもあるでしょう。

この深層にある覚悟までいきつけるのが、結婚という事なのかもしれません。

新しい人生にふみだすことが、できないのは、
恋人の死が無念すぎるからだけ?

まるで、ミキサージュースのようだと思います。
なにもかもミックスした後に半分うしなっても、片一方はやっぱりミキサージュースで居られる。
恋人という段階は素材を入れたミキサーカップで、そこから、混ざり合うべき素材をとりあげられ、残された側はミキサーカップからでることができない。

素材がたりないけど、
選んだ素材はもう二度と手に入らない。
ミキサーのスイッチをいれるための結婚という釦もおせない。

悲しみを感じないように心を麻痺させて、狂っていった彼女。

感情を統制できなくなると、自分を傷つけ時に死のうとする彼。

頼むから、
お前たちの恋人がお前たちをひっぱっていってるんだと思わさせないでくれ。

底で・・に寄せて

  • 投稿者:嶺上開花 【作者】
  • 投稿日時:2009-10-30 20:52:28
  • 五度読み!必殺、五度読み!

    …素晴しい。おいしく頂きました。おかわり~。

    憂生は私んとこ遊びにきてくれたとき、『あの状況でHありえん』って
    言ってたでしょ?たしかにそれはそうだけど…私は女の気持ちは
    解るな~。この話で、ものすごい納得させられたし。

    ワカランのは”男のキモチ”だ(笑)…コラ~っ!

    そこがこの話の深い所だと思ったんだけど、もしかして私と同じ理由で
    倖は彼を『見限った』カタチになるのか、それともそのままの読みどおり
    で倖の中には初めから『なかった』のか…そこらへんが妄想所よ!

    倖は彼を『愛してた』んだから、前者ももしや有り得る?って考えたん
    だけど…あ、答え教えないでね★六度読みして考えるから~。
  • 投稿者:憂生
  • 投稿日時:2009-10-30 21:54:57
  • あ、・・・ん・・。

    これ、元があったから、
    この設定くずせなかったん。

    名前もそのままだったと思う。

    漢字に変えたけど、「サチ」
    ひろとを洋人

    で、たまたま、サチを幸とかえようとして、
    「倖」の字をあてはめて、
    あの理屈をいれて・・・。

    得意/自分で言うな・・。の
    小物、名前で象徴・・・。

    まさか・・の5度読み・・。

    光栄ですにゃ。

    元の輝のもの・・のせてみようか?
    YUUのものも

    あ、アドレスにすればよいか?

    で、当初はこういう矛盾?納得できない部分を自分でも
    気が付かず、考えたのが、

    事故を軽いものにして・・・。

    恋人じゃないほうの事故にかえて・・。
    お見舞いにいったサチと病院でH・・。

    そこにサチの恋人が来て、二人になんかあったのを、
    気が付く。

    で、サチに対してヒロトがいうんだけど・・。
    祐樹に・・ヒロトを選ぶって、はっきり、言えって。
    「サチ、言っちゃえ」

    って、このせりふに意味をかぶせる。

    二人のシーンの台詞がそれなわけ。
    その最中にサチがいわれた言葉。
    「サチ・・・いっちゃえ・・ほら」
    って、ヒロトが何度も囁いてるって、シーンを先に書いて置く。

    そして、祐樹の登場。
    「サチ・・言っちゃえ」

    「サチ・・いっちゃえ」
    に、重なる部分で・・・。


    と、いう設定もかんがえたんだけど、
    元々の設定の「恋人が事故」じゃなくなるので、没にした。
  • 投稿者:憂生
  • 投稿日時:2009-11-01 17:20:16
  • 作者本人の見解?みたいなものを書くのも余分だと思いつつ、
    リンシャンの
    「倖は彼を『見限った』カタチになるのか、それともそのままの読みどおり
    で倖の中には初めから『なかった』のか…そこらへんが妄想所よ!」
    への回答?は手控えているんだけど。
    それより、以前に、憂生 はこういう視点に気がついてなかったから、
    自分でも、考えてるんですよ。

    で、その回答はおいといて・・。

    倖の凄さっていうのかな。
    結局、二人の男を「活かす」存在になってるということ。
    恋人に対しては勿論だけど
    洋人の女性への「価値観」みたいなものを変えてしまう。
    と、言う面で・・・。

    こう考えると洋人は「価値観を貰った/高めた」
    と、いうことで、別の形で倖を盗んだのかもしれない。
    洋人から言えば「底」に「倖」をすまわせていくという部分では
    倖をなくしたわけではないのかも。

    などと、考えながらリンシャンの言う部分を憂生 も考え直している。

    こら。

    そんな、難しいところに着目するんでねええええ。

    ↑答えがでそうもないの、ばれてる?

自画自賛~~~~~るん♪

ひさしぶりに、底で・・を、読み直してみた。

いまひとつ、設定が甘いんだけど、相変わらず、読み進めさせる筆力はある。

内容にひきこまれて、設定の甘さや矛盾点がどっかに跳んでいってしまう。

倖の名前の由来をかたるくだりで、なにかしら、単純な男と女の話ではなさそうだと匂わせることも、憂生の得意の方法かもしれない。

ところが、二人の性描写にかわってしまい、なにかあるぞという「シャドウ」部分がいっぺんに消し飛んでしまう。

そして、倖の本心がかたられていく場面に成ってくると、逆にあれだけの描写をしたせいで、洋人の心理に肉薄した感情移入がだるまおとしのように、すこんと見事に空白をうみだし、すとんと倖の現実がおちて、元通りのだるまおとしが、出来上がる。

よくみれば、確かに一段、抜けている。

打ち抜かされたピースは、どこにいったか?

それは、題名に答えがある。

底に封印されたんだ。

そして、おもしろいのは、倖にもだるまおとしで、ピースがぬけたように、

洋人もまた、人生、恋愛というだるまおとしのピースがぽんとうちぬかれ、

洋人もまた、底に・・倖を封印することに成る。

底に封印することにより、お互いが本物の人生軸を掴み取ることになる。

なんか・・・。

この物語の重要テキストは「底」というログだと思える。

裏側・・

他の人の作品を2つあげた。

同じ設定でありながら、結末が違う。

憂生が(こうなったら、3次創作になるが、)書いたものは、輝がかいたほうの、結末に近い。

ひとつ、考えたのはここまで、重大な事故でなく、浮気相手?のほうが事故って、そのベッドで、・・。

で、恋人が二人を目撃して、「どっちをとるんだ」って、ことになり・・。

「いいから、いっちゃえよ」と、いう交渉中の言葉で、女の子の決断を促すという・・・

半分、おとし話的な構想を練った。

だが、設定が違うものになる。

そして、時々いうが、恋人や伴侶がいながら、ふらふらする人間が嫌いという憂生が在る。

つまり、設定段階から、憂生には、書けないモチーフだった。

だから、逆をいえば、憂生が書いてるアダルトの主人公はなんらかの形で(恋人がいない)状況である。

その主人公にまで、恋人や伴侶がいながら、ふらふらする人間は嫌いだというポリシーはあてはめられない。

なぜなら、それでは、孤独死しかねない。主人公不在の物語なんて、ありえない。

話を元にもどして・・・。

で、困った。

それが、限度かとひきさがるのも癪に障る。

そして、ふたりの物語をもう一度、読み直した。

妙な設定の落とし穴を見つけた。

恋人が事故をおこし大変なときに、他の男とHするか?

Hする気になるか?

残念ながら、なんともいえない。

書いてる当の本人が恋人の事故に遭遇している。

こころもとない思いがそういう癒しを望ませるのかもしれない。

あるいは、そういうものに、似た思いをもったことがあるのかもしれない。

だが、そこに着目したことで、

逆に、そんな時にHする気?になる設定を考えることになった。

それが、「底で・・」を書き上げさせた。

この「底で・・」という題名は書き出した当初からのタイトルだった。

自分でも、何故、こういうタイトルにするのか、わからないまま、

「底で・・」と、した。

書き上げて、自画自賛した。

内容じゃなくて、そのタイトルを。

いや、もっと、いえば、作家?の嗅覚を。

これを「心の底で」としなかったのもわかる。

性という深い穴の底で・・こういう思いがある。

底打ちというように、最後のという意味合いもある。

自分の心の底での倖への思いをかなえた「底で」の出来事

などなど、かなり、いろんな意味が含まれる。

そして、出来上がった作品は永沢祐稀名義にしようかとも思った。

だが、やはり、倖の思いが秀逸?だったから、

過去、小枝(小夜ではない)でも、性表現をおこなってるわけで、

って・・他でもいっぱいありますが・・。

それをかんがえてみても、

「底で・・」の性表現は必要性に裏打ちされてると思った。

読んでくださったと仮定して話すが、

もし、あの性表現がなかったら、

「壮絶な倖の決心」に重みがついてこない。

「私、セックス好きよ。それは洋人もよくわかってるじゃない」

の、言葉も重みにおもしを付け加える一言であるが、

「それ」がみえてこない。

そして、そのシーンについても、1度目はそれなりに詳しく?洋人側からの視線で

2度目は倖じたいをクローズアップさせて、能動的な倖を表現し

3度めは・・二人を。あっさり、言葉少なく、だんだん、表現を少なくしていった。

これが、官能小説だと、2度目3度目・・めがどんどんエスカレートした表現にならないと、

「つまらない」ものになる。

だが、「底で・・」は官能小説じゃないし、表現をすぼめていくことで、

倖の決断を納得させられる「グランド」が出来る。

ああまで、やっといて?

よく、そんなことがいえるな。

と、読み手が疑問?をもってしまう。

二人の関係が終息することを、におわすためにも、先細った表現にする。

憂生のなかでは、こういう計算式があった。

もちろん、それを考えて、書いていくんじゃない。

書きながら、瞬時に、おぼろげにつかむ。

文章の稚拙さはともかく、

憂生の中の物書き魂?根性が如実に反映されてる作品なので、(と、思ってる)

短編集に憂生の作品として、収納した。

底で・・・のこと・・・

底で・・・。

と、いう作品のなかには、多少の性描写がある。

アクセス解析をみると、その作品への訪問があった。

多少、疑りっぽくなってしまっているので/笑

また、その性表現で検索してきたか!!と、確かめ半分で

アクセスロゴを覗いてきた。

半身不随・セックス

それが、ロゴだった。

過去半身不随においての性というのかな?

ある人へのこちら側の心模様を日記に書いたことがあるから、

考えてみれば、こういうことについて、話すのははじめてじゃないわけだ。

底でも以前の日記もそうだけど、

半身不随というのは、男性側のシチュエーションになる。

この時、女性側はどういう思いをもつか。

検索されたロゴがヒットしたページには、多く、現実に半身不随になる(かもしれない?)

男性との、この先の生活について、考える内容のものがあった。

憂生は改めて、自分の作品

「底で・・・」を考えている。

倖という女性の生き様を(洋人をとおしてだけど)読んでもらって

願わくば、倖のように、

一人の男性を「価値」にした、いき方というものも、

検討しなおしていただけたら、と、そう思った。

もちろん、結果をどうこう、言うんじゃない。

検討しなおした結果で、あるのなら、どっちを

えらんでもよいと思う。

問題はこういう生き様もあるんだって、知った上で、生き方をえらばなかったら、

あとで、悔やむだろう。

こんな風に考えればよかったのにとか・・・。

なんで、こんな風な考え方に気がつけなかったんだろう。とか。

逆も言えるよね。

同情に引きずられてしまった。本当にこの人じゃなきゃって、

覚悟を確かめなかった結果、お互いが苦しんでしまうことになったとか・・・。

一種、ふるい、として、よんでもらえたのだろうかと、

すこし、なにかの役にたてたかなって、ほっとしている。

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