画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

風薫る丘の麓で

僕が見た憧憬は椅子の下で遊んでいる仔猫だった。

かあさんのうしろ姿しか、もう僕はおぼえていない。

なぜ、かあさんがいなくなってしまったのか、

僕は知らないまま大きくなった。

あの頃、仔猫だった、白いミュウはもう、よぼよぼのおばあさんになって、
縁側でひなたぼっこをしている。
飛んできた雀の子にさえ、興味をしめさず、
よびかけても、うずくまったまま、耳さえうごかさなかった。

椅子のしたで遊んでいたミュウの姿をくっきりとおもいだすことができるのに
椅子にこしかけていたのが、かあさんだったかさえさだかじゃない。
さだかじゃないかあさんが椅子にすわって、なにをしていたか、
どんなかっこうをしていたか、
もじゃもじゃした灰色のかすみがかかって、
やっぱり、僕にはかあさんのうしろ姿しかなかった。

とうさんは、再婚した。

かあさんの姿がみえなくなってしばらくもしないうちだったと僕は思う。

かあさんはしんでしまったのかもしれない。

だけど、仏壇にもアルバムにもかあさんの写真はなかった。

とうさんが新しい母をきずかって、なにもかも、隠しさってしまったのかもしれない。

それとも、かあさんは、
にげだしてしまったのだろうか?

とうさんをみている限り、それは違うと否定できた。

とうさんは優しい人だ。

そのとうさんと再婚したあたらしいかあさんもとうさんにまけずおとらず優しい人だった。

下に弟と妹がうまれたけど、僕の記憶のなかに母がいなければ
僕は自分を新しい母の子供だとしんじこめただろう。

それくらい、新しい母はわけへだてなく、僕を育ててくれていた。

幼稚園で滑り台からおちて、おお泣きしていた僕をむかえにきて、
しっかりだきしめてくれたのも新しい母だった。

僕の記憶の中の母はすくなくとも、僕が幼稚園より、
小さいときのことになるのだとふと想った。
ミュウはもう、おばあさんだ。

猫の寿命は15~20年と聞く。

僕はもう16歳になる。


ふうとため息がもれる。

僕はいったいいくつの時にみた母をおぼえているのだろう。

僕はときおり、近くの丘にのぼる。

街を一望できて、おまけに風が心地よい。

ここで、僕はこの先のことをかんがえてしまう自分を
風にのせてふきとばしてしまう。

僕はいずれ、父と母のもとをはなれようと想っている。

あの家族の中で半分だけ他人の僕。

その僕を大事に育ててくれた母に僕は感謝してる。

だけど・・・。

だけど・・・。

純粋に父母のこどもであるのは、弟と妹なんだ。

そして、僕はどうしても、後ろ姿しかみせない母の面影が胸にいたかった。

母は、どこかで生きてる。

そんな気がした。

だから、いっそう、後姿の母は僕との別れに涙をみせまいとした。

そんな気がしてたまらなかった。

でも、父も新しい母も僕が事実に気がついているとはこれっぽっちも思っていないようだった。

僕は父母の幸せな思い込みをくずしたりしたくなかった。

父よりも、新しい母の涙をみたくなかった。

僕は幸せな実子を演じていく。

その息苦しさをここで、吹き飛ばすしかなかった。
僕さえ黙っていれば、万事丸くおさまる。

高校を卒業したら、大学にいって、卒業して、就職する。
就職さきから、僕は家には帰らない。
そりゃあ、たまには、顔をだしにいくけど・・・。

そして、年齢がきたら、結婚して、うまくいったら、そこで家をかって・・
家族ができて・・・。

僕の家族・・・。

それが僕の目標だった。

小さな息苦しさをふきとばすと、あとは風の香りにおされて、
家路をたどる。

登ってくる時は押して上がった自転車も帰りは気楽。

風が薫る坂道を降りていくそのときの爽快さが、
僕に勇気をあたえてくれる。

忘れていろ。
思い起こすな。
と、ささやく風に母の後ろ姿がかすんでいく。

僕の瞳からしたたる水の中にそのままとけこんでしまえばいいのに・・。

ささやく風のいうとおり、僕は忘れることに努めるはずだった。

僕は夢をみた。

かあさんがベッドに座っていた。

ベッドには鉄のパイプがあったから、病院のベッドだ。

とうさんが、かあさんの傍に座った気がする。

とうさんがかあさんの手をにぎりしめた。
かあさんの手ををにぎりしめたとうさんの手にかあさんの涙がおちていた。

とうさんが立ち上がるとベッドがふわりと宙にまいあがった。
かあさんだけを乗せたまま、ベッドは空にまいあがり、
僕の大好きな丘に舞い上がっていった。

僕は丘のうえで、かあさんを待っていた。

やってきたかあさんとベッドは丘の上の僕の傍らにきれいまいおりた。

「かあさん?」

僕が呼んだ声にかあさんがなにかいってた。

「元気でいるよね」

僕はかあさんの顔を覗き込んだ。

声が小さくて、僕はかあさんの傍ににじりよった。
「だめよ。これ以上は・・」

かあさんは僕に制止をかけると、手をのばした。
僕もとうさんみたいにかあさんの手をにぎりしめた。
かあさんは、やっぱり、僕の手をにぎりしめて、涙をおとした。
「ごめんね。一緒にくらせなくて」

かあさんのいうことは、僕・・・の
僕は・・・しゃくりあげそうになる声を必死でとめることしかできなかった。

それから、ベッドの端にすわって、二人で空をみあげた。
流れる雲。
風が空のむこうで泳いでいる。

「かあさんは・・空のむこうから・・・きたの?」
確かめたくない事実はしってしまいたい事実でもあった。
泣き顔になりそうな顔をこらえて、僕はかあさんの返事をまった。

「違うよ」
かあさんが嘘をついたのか、本当のことをいったのか、わからない。
でも、どこかで、僕はほっとしていた。
いつか、遠い未来、僕はかあさんに会う事ができるのかもしれない。

むこうの上り口に人影がみえて、それが、僕を呼んでいた。

「おにいちゃん」
「おにいちゃん」
「圭一」
「圭ちゃん」

その声は弟と妹ととうさんと新しいかあさんだ。

「帰らなきゃ」
僕はかあさんに別れをつげた。
小さく手をふって、かあさんがさよならというと、
ベッドがふわりともちあがって、
もの凄いスピードで、麓にまいおりた。

そのすぐあと、トラックのクラックションがヴァオーと甲高く鳴り響き
鉄の物体を巻き込むトラックの激突音がきこえた。

「かあさん?」

そこで、僕の夢がとぎれた。

やっぱり、かあさんはしんでいるのかもしれない。

トラック事故かなんかで、死んでしまって、
きっと、顔もなにもかも滅茶苦茶になってしまったんだ。

だから、夢のなかでも、僕はかあさんの顔がわからなかったんだ。

でも、僕は不思議と悲しくなかった。

それは、きっと、とうさんとかあさんの二人の姿を見たからだと思う。

ふたりがなにをはなしていたか、僕の記憶にはのこっていなかったけど、
かあさんの涙だけははっきり覚えてる。

かあさんは僕をすてたわけじゃない。
とうさんもかあさんをすてたわけじゃない。

あいしあっていたんだ。
とうさんをあいしたように、
かあさんは僕をあいしてる。

ん・・。

僕はまだ夢からさめきってないまま、夢の続きをおっていた。

なんだか、人が僕を覗き込む気配で、僕に突然覚醒がおとずれた。

ん・・。ああ・・。朝だ・・。

「おにいちゃん!!」
すぐ近くで、妹が僕を呼んでいた。

僕の部屋にかってにはいってくるなよ。
妹をしかりつけようとしたとき、かあさんの声までした。
「圭ちゃん」
つづいて、弟まで・・。
「おにいちゃん」
おまけにとうさんもだ。
「圭一」

まるで、夢の続きじゃないか。
僕はきっと、うるさそうに返事をしたと想う。

「なに?みんな、そろってさ・・」
僕のベッドにみんなしてあつまってさ。
僕はベッドからおきあがろうとして、妙な違和感を感じた。

なに?これ?

包帯がぐるぐるまかれた手。手の甲に点滴のチューブがのびてきてる。
頭の上からぶらさがっているのは、点滴?じゃないな・・。
輸血?

え?

どういうこと・・。

あたりをみわたせば、そこはどうみても、病院の中。

きょとんとしている僕の目の中でかあさんが泣き崩れた。
弟も妹もわんわん、なきだして、
とうさんまで涙ぐんでた。

「あら、きがついたわね」
やってきた看護師が僕の点滴、いや、輸血をかたづけはじめた。
「いやあ、若いってすごいね」
僕の不思議そうな顔に苦笑して、看護師はつけくわえた。
「僕はね、トラックにはねられて、三日間昏睡してたのよ」
輸血を今度は点滴にかえて、
黄色い液体を注入しながらいう。
でも、僕よばわりはちょっと、かんべんしてほしい。
「これは、化膿止めよ。気分が悪くなるようだったらおしえてね。
天井にむかってしゃべれば、いいからね」
僕は天井をにらみつける。なにか、インターホンみたいなものがある。
「しゃべれるかな?」
「あ・・大丈夫です」
「うん、まあいいね。じゃあ、もうすこししたら、食事になるからね。
最初はお粥になるけど、ま、がまんしなさい」

看護師が外した輸血の容器を僕はぼんやり見てた。
血液型はRHマイナスのA型。
特殊な血液だ。
きっと、輸血の提供者をさがしまくって、大騒ぎになっただろう。

看護師はとうさんのほうをむいてしゃべっていた。

「うん。うちの先生の言うとおり。輸血を終える頃には、気がつくよ。
って、ぴったしですよ。
だから、回復も早いも保証します」

夢の中でかあさんが事故にあったとおもっていたけど、
僕の方だったんだ。
やっぱり、かあさんは死んでいるんだ。
だから、こっちにきちゃいけないって・・。

僕はかあさんの思いに涙がこぼれてきた。
かあさんだって、僕といっしょにいたいはずなんだ。
だけど、きちゃいけないって・・・。

「かあさん・・」
小さくつぶやいた声を妹がきいていた。

「かあさん・・おにいちゃんがよんでるよ」
傍によってきた。
かあさんは、僕をみつめて、なに?そうたずねようとした言葉が涙になった。
妹が僕をやさしくしかりつけた。
「かあさんのほうがしんじゃいそうだったよ。おにいちゃんがおちょこちょいだからだよ」
妹の説明不足の説明なんかいらない。
かあさんが僕を心配していたのはよくわかっている。
「かあさん・・まともにねてないんだろ?もう大丈夫だからね。心配かけてごめんね」
うん、小さくうなづいて、母さんが涙にうもれていった。

昼食のとろとろのお粥を左手で掬いながら、
顔をスプーンによせていく。

右手ほどじゃないけど、左手だって、包帯をまかれている。
包帯の隙間にくの字型にまがったスプーンをさしこんでくれて、
「うん、リハビリにもなるから、ちょっと、がんばってみなさい」
だめだったら、私がたべさせてあげるよ。
の続きにね、僕がくっつきそうで、僕は看護師より先に言い返した。
「いいですよ。介護老人みたいに・・」
僕の反駁に看護師が笑い出した。
「あの?」
「ああ・・ごめん。ごめん。だけどね、そのスプーンは元々介護老人が自分でたべれるようにって発案されたものなのよ・・」
僕が笑い出すと看護師は、声をひそめた。
「胸のほうは、いたくない?」
胸骨も、何本かひびがはいってるそうだ。
笑うと腹筋から軽い痛みがつたわってくるけど、たいしたことはなかった。

「あの・・」
「ん?なにかな?」
「あの・・僕の為に輸血で・・」
ああと看護師がうなづいた。
「一番にかけつけてくれた人が、ほとんど賄ってくれたんだよね。手術の時はストックのものじゃないほうがいいから、助かったのよ」
「あの・・・誰か・・わかりますか?」
看護師は口をすぼめた。
「う~~ん。それはねえ、内緒なんだよね。今回は特殊な血液型だったから、いいけどね、たくさんの人から鮮生血をもらうこともあるわけよ。その人たちにお礼をしなきゃいけないって考える方もいらっしゃってね。だから、まあ、その他大勢ってことでね・・」
家族に負担をかけさせるための善意の採血になっちゃおかしいってことなんだ。
「まあ、僕はまず、身体をなおす。お礼は家族の方にまかせておくのがベストよ」
「あの、僕は僕じゃなくて、圭一って・・名前がちゃんと・・あたたた・・」
大きな声を出したのがたったって、僕の胸がちかりと痛んだ。

僕は思いきって、看護師に尋ねてみることにした。
僕の気がついてることをすべて吐き出せば、
きっと、彼女は知っていることを話すと思えた。
「看護師さん。僕の血液型・・・」
半分もいわないうちに、看護師の顔色がかわった。
「まあ、血縁者の中に、RHマイナスがいると、突然変異で
プラスの親のところにも出てくる場合があるのよ」
僕はゆっくり呼吸を整える。
「僕の両親は二人ともO型なんですよ」
あ・・と小さくもれる声を看護師が手でおおった。
「だから、弟も妹もO型です。O型の両親からは、O型しかうまれない。
僕には、本当の母親の記憶があるんです。だから、今の母は、僕の実の母じゃない。でも、そんなことはどうでもいいんです。
僕は今の母親のこと、とても感謝しています。
ただ・・」
看護師は僕の傍に椅子をひっぱってきた。
「ただ?なに?」
椅子に座るのは、体のケアより心のケアが必要な患者である僕に
手当てをする心つもりであることを知らせていた。
「僕の母がどうなったのか、生きているのか、死んでいるのか判らなくて。
それに、こんなことをたずねたら、僕が今の母さんを本当のかあさんだと想ってると信じてる、とうさんとかあさん、ふたりともを傷つける」
う~んとうなり声をあげて看護師が腕を組んだ。
「なるほどねえ・・・」
看護師はなにか、かんがえこんでるみたいだったけど、僕はかまわずにはなし続けた。
「僕はもしかしたら、その輸血をしてくれた人が僕の本当のかあさんじゃないかとおもえて」
僕のほほになみだがつたった。
「もし、そうだったら、おかあさんはいきてるってことで、僕のきもちが解決する?」
僕は返事に困った。
困った僕に看護師は僕の迷いをみぬいた返事をかえしてきた。
「おかあさんがいきてたら、なぜ、一緒にくらせなくなったのか?
おとうさんと別れたわけをききたくなるんじゃない?」
僕はうなだれるしかなかった。
「その通りだとおもいます・・」
「知らない方が良いこともあるし、まして、もう元にもどれないことだし、
僕の本当の生活はおとうさんとおかあさんと兄弟とそこにあるわけでしょう?」
その通りだった。
だけど、僕はもうひとつ、本当の母へのきがかりがあった。

次の日、僕は、ベッドの中で退屈な時間をすごしていた。

まだ、本とかTVなんか、みちゃだめよと看護師にいわれたせいもあるけど、
たとえ、TVがあったって、僕はスイッチひとつ、リモコンひとつさわれない。
本にいたっても、同じことだ。

退屈をどうまぎらわしていいか、判らずに僕は病室を何度、ながめまわしたことだろう。

することがないうえ、体の自由がきかない。

まるで、眠っているのと同じ。

これは、大きな夢なのかもしれない。

生々しい包帯さえなけりゃ、僕は今を夢だと思えた。

「圭一くん。おとうさんだよ」

看護師が僕をよんだ。

昨日のことがあって、看護師は「僕」をやめるようにつとめたか、
とうさんのてまえだけだろうか?

とうさんは僕にコンパクトCDプレーヤーをみせた。

「退屈だろう?音楽ならかまわないだろう?」

コンセントをさがして、つなぎおえると、2,3枚のCDを袋からだす。

「なにがいいか、わからなくてな・・」
いいわけしながら、僕の目にCDをみせる。

「ああ・・それがいいや。パイレーツ・オブ・カリビアン」
ヴォリュームをしぼり気味にして、CDをかけるととうさんはリピートをおした。

心地よい音がひびきだし僕の網膜に映画のシーンがうかびあがる。

じゃあ、あとは、よろしくおねがいしますと看護師に声をかけると、
とうさんは
「仕事の途中なんだよ」と、僕につげた。

またあとで、くる。なにかほしいものは・・といいかけて、やめた。
看護師にたずねてからじゃないとだめだときがついたようだった。

看護師ととうさんが二人で病室のそとにでていった。

それで、僕はなんとなく、きがついたことがあった。

僕が目覚めた時、まだ、僕は輸血をしていた。

そこに書かれたRH-Aの文字はとうさんやかあさんだって
きがついているはずだ。

僕にみせないように看護師に配慮してくれるようにたのんだんじゃないだろうか?

だけど、病院の規則とか医療ミスとか?
そういう事を考えるととうさんの申し出は断わられたにちがいない。

ただ、僕が目覚める頃には、輸血も必要じゃなくなる。

そのときまで・・に、輸血タンクを外せる。

それが、僕のほうが先にめざめた。

看護師はあわてて、輸血タンクをかたずけた。

僕は頭の中にちかりと沸いたことをかんがえなおしていた。

ひとつは、看護師が僕が母さんの実のこどもじゃないという証明になる血液型を知っているということをとうさんに話すかもしれないということ。

でも、これは、おそらくない。

看護師のあの科白をおもいだしても、看護師はしゃべらない。

もうひとつは、

鮮生血のほうが良いといっていたことだ。

僕が手術から、三日後まで輸血をしていたということは、
これが、もし、ストックじゃないなら、手術の時に血液を提供してくれた人が
毎日、きてくれたということじゃないだろうか?

もしそうなら、大量の採血になる。

大量の採血でも、一番、血がなじむのは、母親の血だろう?

母親なら、自分の血をすべて子供にあげてもいい。
そんな思いをもつだろう・・。

一番の好条件の血液だからこそ、点滴にかえずに輸血で対処した。

そうも考えられる。

やはり、かあさんは生きてる。

生きていて、僕に・・・

あ?

僕は思いあたった。

僕がみた夢は
あの時見た夢は

現実と夢が混ざりこんでいたんだ。

かあさんがベッドにいたのは、僕のために採血していたからだ。

とうさんがかあさんの手をにぎりしめて、
かあさんが泣いていたのも・・・きっと、現実なんだ。

僕は混濁した意識の中で現実と夢を織り込んでいたんだ。

かあさんは・・生きてる。

そして、手術にかけつけてくれたのもかあさんなら、

この近くに住んでいる。

僕のきがかりが本当のような気がしてきた。

かあさんは、ひとりぼっちでいるんじゃないだろうか?

だって、そうだったら、とうさんの手をにぎりしめて、泣いたりしない。

誰かと再婚して、幸せな家庭をもって、家族がいたら、
とうさんの手をにぎりしめて、泣いたりしない・・・・・。

そして、とうさんは
かあさんがすんでるところをしってるか、連絡先を知ってる。

じゃ、なけりゃ、僕の手術にかけつけることなどできない。

ー父さんが、しらせたんだ・・・-

とうさんは・・・、まだ、かあさんを愛してるってこと?

こっそり、とうさんとかあさんは会っていた?

ううん。

それは、僕のことをつたえるためにちがいないけど・・。

だったら、

だったら、

かあさんはやっぱり、ひとりぼっちだってことになる。

家族がいたら、もう、僕のことはあきらめきれてる。

看護師さんのいうとおりだ。

ほんとうの生活があるんだから・・。

僕には時間がたっぷりあった。

考える時間が・・・。

僕が考え付いた事が本当か、どうか、判らない。

RH-が血縁者の中にいるということだけが、本当のことで、
それが、母さんだとおもいこみたいだけなのかもしれない。

事実をしっているのは、父さんだけだ。

そして、父さんは、僕が血液型にきがつくことを
おおかれ、すくなかれ、覚悟しているんじゃないのだろうか?

父さんに聞いたほうが早い。

それはわかっていたけど、父さんにきりだしていく
大きな理由がつかみとれなかった。

尋ねる以上は、本当の答えを聞きたい。

本当の答えをひきだせる、僕の理由が
「実の母親がいきてるか、どうか?一人ぼっちじゃないのか?」
だけでは、薄すぎると想った。

もう、此処に本当の生活がある以上、とうさんは、すんだこととして、
答えてくれない気がした。

看護師のいう事と、同じ。
それをしったからとて、変わらない物事を穿り返す必要は無いだろう。

僕は考えることをやめた。

父さんがもってきてくれたCDプレーヤーからは、相変わらず、
パイレーツ・オブ・カリビアンが流れていた。

僕はブーツ・ストラップのビルを思う。
呪いにかけられた父をすくおうとするウィルを想う。

僕もまた、かあさんの面影という呪いの金貨を手にしたウィルなのかもしれない。

そのまま、金貨を元にもどせば、ビルが救われたように
父もすくわれるのかもしれない。

「圭一君」
看護師の声がして、もう一人の看護師をつきしたがえていた。

「抜糸だよ」
二人がかりでストレッチャーに僕をのせかえると処置室にはこばれた。

胸部のコルセットをはずせるとのことだったが、そこらじゅうの糸をぬきはじめ、その痛みに僕の目から涙がにじんだ。

先生が僕の腹部を軽く触診する。
ここにも、大きな傷があるようだけど、僕はまだ見た事が無い。
「うん。良好だね」
いいながら、腹部の傷の抜糸がおこなうと、先生が僕をのぞきこんだ。
「随分、回復したようだから、話しておこう」
先生の言葉に僕はすこし、怖気づいていた。
先生はそれをさっしたのだろう。
「ああ。大丈夫だよ。普通に生活をおくることができるんだ。
ただ、ちょっと、食事とか、運動とか、気をつけてもらわなきゃいけないからね。それをはなしておこうとおもってね」
先生が話し出したことは手術のことだった。
「腕や胸部や足は、まあ、たいした怪我じゃなくて、骨折だけですんでるのは、奇跡としかいいようがないんだ。何か、スポーツでもやっていたのかな?」
いいえと僕は答える。
「ふ~~ん」
と、長い返事をして、おもむろにいいだした。
「腎臓というのはね、ふたつあるんだ。ひとつなくなっても、もうひとつで補える」
つまり、それは、僕の腎臓がひとつなくなったということだろうか?
「自転車のハンドルがくいこんだのかもしれない。右側の腎臓が破裂していたんだ。腹部内出血がひどくて、君は人事不肖におちいったわけだけど・・」
こうやって、助かって、抜糸の痛みに涙を流していられる。
大きな手術だった理由も、僕が昏睡状態になっていたのもそういうことだったんだ。
「だからね、やはり、腎臓がふたつある人と・・くらべると・・」
食事のことや、運動のことなども説明されていたと想うけど
僕は上の空だった。

僕は全然、違うことをかんがえていた。

僕は自分の命が助かったことを考えていた。

そして、僕を助けてくれた人々を。

僕は自分の将来をまだ決めかねていた。
些細な夢はあったけど、その夢をかなえる現実的な一歩をどこにふみだしていいか、まだ、つかめていなかった。

だけど、僕の腎臓がひとつ、無くなったと知った時、
僕の漠然とした思いが形をととのえだしていた。

医者になるのは、僕の頭じゃ無理だ。
看護師か救急救命士、そのどっちか。

そして、その考えがはっきり決まった時僕は
母さんがひとりぼっちなら、一緒にくらせると想った。

資格をとって、就職したら、僕はどのみち家をでていく。

自立した僕がかあさんと暮らすのは僕の自由だろう。

それに、とうさんとかあさんには、弟も妹もいる。
母さんがひとりぼっちなら・・。
母さんには、だれもいない。
この先、としおいても、誰ひとりいない。

寂しい母さんなのか、どうか、まだ、わからないことなのに、
僕の瞳から、涙がこぼれおちた。
先生があわてて、
「いたいか?」って、僕にたずねて、
「抜糸はちょっと痛む。あんまり痛いなら、痛み止めを注射してあげるよ」
と、笑った。
大げさなこらえ性のないこどもだと想われたに違いない。
だから、看護師も「僕」なんだ。

大人からみたら、そんなにたよりない存在なのかと僕の中で自信がゆらいだ。
母さんにとっても、そうなのかもしれない。と、おもったからだ。

夏休み中、病院ですごせば、新学期から登校できるときかされて、
僕は決心した。

学校にいけば、この先、どうするかの、進路選択も始まる。
母さんが一人ぼっちなら、僕は母さんと暮らしながら
専門学校に通ってもいいと考え始めていた。

奨学金をかりて、バイトすればいい。
母さんが住んでるのが、この街ならば、
寺町に大きな専門学校があったはず。

でも、その前に母さんが一人ぼっちなのか、
家族がいるのか、はっきり、たしかめなきゃいけない。

母さんが一人ぼっちなら、僕と暮らすことを嫌だとはいうまいと想っていた。

じゃなきゃ、僕の手術に駆けつけてくれるわけがない。

僕は輸血に来てくれた人がだれか、確かめていない、独り決めだったことにきがつくと、自分でもおかしくなってきた。

でも、あの夢うつつが本当かどうか、
それも父さんにきけば、わかることでしかない。

僕はかあさんのことを考えて、
ひとつ、問題をのりこえようと想った。

僕が今のかあさんの子供じゃないことを知っていると、父さんにも、今の母さんにも、はっきり告げなきゃ、かあさんのことをたずねることはできないし、
母さんと一緒にくらすことも不可能だ。

本当のことを知っていると告げる事は、僕には、悲しいことだったけど、
それでも、
時期がきたんだと想った。

いつまでも、このままじゃいけないから、
僕は丘の下り坂からあたらしい世界にジャンプしたのかもしれない。

退院の日がちかずいてくると、
僕は此処で、この病室で父さんと話をしようと想った。

三日後には、退院。
夏休みもあと五日。

登校準備の為に始業式に二日早く退院させてくれるのか、
はたまた、大安で、父さんの仕事の都合がつく日曜日だからか?

昼間に見舞いにきてくれた母さんをみていたら、
僕もちょっとつらくなったけど、
まずは、父さんにたしかめるのが先だと想った。

病院特有の早めの夕食をたべおえて、
また、僕はCDを聴く。

もう、左手は自由になっていたから、リピートボタンをおして、
相変わらず、ジャック・スパロゥだ。

「俺はあんたと一緒になりゃあいいとおもってたんだ。いや、ほんとだよ」
ジャックの言葉がうかびあがる。

僕の本心かもしれない。

本当のかあさんと一緒にいてくれりゃあ、良かったんだ。

でも、僕はすぐさま、首を振れる。

もし、そうだったら、僕は今のかあさんにも出会えず、弟や妹も
この世に存在しなかったんだから・・・。

これで、良かったんだと想う。

看護師が巡回にやってきた。

「は~~い。お薬。う~~ん。熱もはかってもらっておこうかな」

毎度同じ時間に同じ科白。
ときおり、非番になるんだろう、違う看護師が顔をだすこともあったけど、
僕はこの人が一番気楽だった。

「それから~~~駐車場におとうさんの車がとまったよ」

僕が父さんと話をしようとしているのをみすかしたかのように、
心の準備をしておけと看護師につげられた気がした。

看護師が体温計をうけとると、
「おし、異常なし」と体温をノートにかきこんでいた。

ドアのむこうから、ひたひたとスリッパの音がちかづいてきて、
僕は大きく深呼吸した。

看護師といれかわり、父さんがはいってきた。

父さんは部屋の隅にかたずけられた椅子を引っ張り出して座った。
「もうちょっとだな」
もう少しで家に帰ってくる。
父さんが会社の帰りに、家とは反対方向にすきっぱらをかかえたまま
車を走らせる用事も無くなる。

「とうさん・・ありがとう」
僕のいったことに父さんが笑い出した。
「なんだ?妙にしおらしいじゃないか」
僕はその言葉を糸口にする。そのチャンスを逃さなかった。
「うん・・・。他でもないんだけどね・・」
「うん?」
父さんはまっすぐ、僕を見た。
「ちょっと、相談があるんだ」
父さんが少し、考え込んだのは自分の中に思い当たるものがないか、見渡すためだったのだろう。
「なんだろう?進路?」
ううん。僕は首を振る。
「うん・・・まあ、きこうか」
父さんが僕のもっと近くに椅子を寄せてきた。

「あの・・母さんのことなんだけど・・」
「ん?母さんがどうした?」
父さんの言う母さんは今の母さんのことだ。

「あの・・その母さんのことじゃなくて、僕の本当の・・」
父さんの瞳がまっすぐ何かをみつめ、固まり、とまっていた。
そして、手を組み合わせて、握り締めて、そこに小さなため息をいれた。
「気がついてたのか・・」
「うん」
「輸血で?」
父さんは輸血タンクにかきこまれた血液型のせいだと思っていた。
「ううん・・・もっと、前から・・。
輸血の時にきがついたのは、やっぱりそうだったのかって・・」
父さんはふうと大きな息をはく。
「そうか・・・。変わった様子がないから、てっきり、きがついていないんだと思ってた・・。だけど、母さんとお前が血が繋がっていなくたって・・」
父さんのいいたいことを察すると僕は父さんの言葉をさえぎった。

「判ってる。今の母さんは僕の母さんだよ。僕が相談したいのは、そんなことじゃないんだ」

椅子に座ったまま、父さんは背をのばした。

「輸血してくれたのは、母さんなのかな?」
父さんはすこし、考えていた。
なにか、思うところがあるんだろうけど、
先に僕の質問に答えることにしたようだった。
「ああ、そうだ・・」
短い答えは肯定だった。
「じゃあ、母さんはこの近くにすんでるってことだよね?」
すこし、瞳が動く。
適切な答えをさがしているようにも、
僕がなにをきりだそうとしているかを量っているようにもみえた。
「そのとおりだ」
短い答えは僕の質問に答えるためだけのものだった。
父さんは自分から母さんにかかわる情報を話そうとしなかった。
「うん・・・。じゃあ・・今、かあさんはどうしてるの?」
僕の質問はイエスかノーで答えられるものじゃない。
「どういう意味だろうか?」
「どういう意味って?」
「たとえば、どんな仕事をしているかとか・・」
「それは、つまり、かあさんが働いてるってこと?」
それだけじゃ、母さんが独りなのか、家族がいるのか、わからない。
「母さんは、再婚しているのかな?家族がいるのかな?」
父さんは一瞬、ほんの一瞬、かすかに首をかしげた。
かすかすぎたけど、僕の言葉の中の「事実」が違うんだと思えた。
「いや、独りでいる」
恐れていた事実があっさりと肯定された。
僕はどこかで、かあさんが家族に囲まれ幸せな暮らしをしていてほしいと思っていたんだ。それは、とりもなおさず、僕が父さんと今の母さんの子供のままでいられるということになる。
「そう・・・」
「そうだ・・」
父さんはやっぱり、何もいおうとしない。
母さんが独りなら、僕が母さんのところに行ってあげれる唯一の人間なんだけど、父さんはそんな考えを僕がもつとは、思わないのか?
それとも、子供を品物みたいに渡すようなことを口にしたくなかったのか?
それとも、母さんは僕の輸血には、駆けつけてくれたけど、本当は僕をうとんでいる?
「あの・・」
「ん?」
「あの・・・。父さんは僕が母さんと暮らしたいといったら、怒る?」
父さんはうつむいた。
僕はそう聞き出せば、答えが引き出されると思っていた。
「あのな・・。母さんが独りでいるのは、父さんもずっと、きにかかっていた。おまえが、そういってくれるなら、父さんも嬉しい」
やっぱり・・・。
父さんは母さんをまだ、愛してるんだ。
「じゃあ、僕がそうしても、かまわない?」
言いながら、僕はなおさら、こんなに母さんのことをきにかける父さんをおいて、なぜ、母さんがでていってしまったのか、気になった。
看護師がいっていた、知らない方が良いことを、母さんに尋ねることになる前に僕は父さんの口から母さんが出て行った理由を聞いておきたかった。
母さんにそれを言わせるのは酷だとも、
僕が母さんを責めてるようにも聞こえるだろうとも思った。
「おまえが、それが良いとおもうなら、かまわない」
父さんの許可はおりたけど、
肝心のかあさんが、なんというだろう?
思う一方で母さんの返事もきかないうちから、
僕は母さんと暮らし始める自分を思う。
そのときに、わいてくるのは、きっと、やっぱり、母さんが出て行った理由だと思う。聞くに聞けず、勝手な類推や不安が湧き上がる。
揉め事やわだかまりの種をつぶすためにも、やっぱり、僕はとうさんに
たずねておこうと思った。

「父さん・・こんなこと聞くのは、良くないって、おもうんだけど・・」
父さんは話せばよいって、うなづいて僕をみた。
あとから、思えば、父さんは、僕が母さんの話をしだした時に
なにもかも、決心していたのだと思う。

「あの・・。なんで、母さんがでていっちゃったの?」
父さんは大きく息を吸った。
はきだしおえると、おもむろに言葉が続きだした。
「いずれ、判ること・・なんだけど、もうすこし、お前が
大人になってから、話したかった」
それは、話すという意味なんだろうか?
話したくないという意味なんだろうか?
「でも、おまえが、とっくに知っていたのなら・・・」
父さんが迷っていた。
「大丈夫だよ。僕は少々のことじゃおどろかない」
父さんは、僕の目をじっと見た。
「おまえの本当の母さんは、父さんの妹なんだ。
シングルマザーってきいたことあるかな?」
え?
それ、
つまり・・・。
父さんが本当の父さんじゃないってこと?
「しってる・・」
やっと、答えた僕を父さんがじっとみてた。
「冴子は、道ならぬ恋・・だったんだろうな。
どうしても、相手の名前を口に出さなかったんだ。
おじいさんが、おこりまくって、居場所をなくした冴子が父さんのところににげてきたんだ。
父さんがお前を産みたいという冴子をかばって、
お前がここで、生まれた」
「う・・ん」
「そして、父さんのほうも、結婚がきまっていたから、
まもなしに、かあさんと結婚することになったんだけど・・
冴子が、でていったのは、かあさんと結婚するちょっと、前だった。
まだ、眼がはなせないよちよち歩きの子供をだかえて、生活などできないし、
両親がそろっていない環境のうえ、保育所に子供をあずけるしかなくなる。
母さんがな、預からせてくれないかって、そういってくれたんだよ。
冴子も自分の人生をあゆみたかったんだろし、父さんの新しい生活を考えて、ここに残ることもできなかったんだろう」
「両親揃った生活・・」
「そうだよ。冴子はお前の父親と結婚することもできなかったから・・
父親がいない暮らしと父さんと母さんの居る暮らしと
よくよく、考えて決心したんだと思う」
「僕の父さんって?」
かなしそうに、父さんは首をふった。
「冴子は話さない。お前と離れたあとは、もう、その人とも別れたんだと思う。多分、お前にすまないという思いだったんだろう。
冴子は捨てられたのかもしれない。だから、いっそう、話したくないのかも・・」
「そう・・」
父さんが父さんじゃなくて、
「叔母さん」が本当の母さんで、
本当の父親はだれかわからない・・。

看護師の言葉が頭の中にくっきり、うかびあがってきていた。

「知らない方が良いこともある」
僕はその言葉にうちのめされるまいと思った。

僕は一つの謎をといて、新たな謎をてにいれてしまったわけだ。

母さんがでていった理由、それが解明されて、
本当の父親がだれであるか、謎になった。

それも、解いてはいけない封印がかかっている。

僕は父さんが叔父だとしっても不思議とショックはなかった。
今の母さんが本当の母親でなくても、やっぱり、僕には母親であるように
父さんは父さんだった。

それに、もしかしたら、たとえば、全然血のつながりの養子だっったってことだってありえたかもしれないと、考えたら、
父さんとは血のつながりがある。
母さんが伯母で父さんが父さんだったのが、
母さんが母さんで父さんが叔父だっただけで、
同じボックスのなかで、位置がいれかわっただけで、
やっぱり、ボックスは同じ座標軸にある。
そんな気がしたんだろう。

「冴子はもう、家にも戻らず・・・。戻れずというのが本当かな。
父さんも冴子をかばったせいもあって、実家や親戚とも縁遠くなってたし・・」
親戚や、祖父母とは数えるほどしかあったことの無いのは、遠い土地にすんでいるせいばかりでもなかったということだった。
「故郷を離れて大学入って、就職して、早いうちに家を購入してしまったことも、おじいさんの癇にさわっていたんだろう。その家に冴子をかくまったんだから、父さんにも腹を立ててる」
父さんはすこし、いい迷った。
「それに・・うん・・親戚とかね・・お前にいらぬことをいいやしないかってね。それを考えたら、付き合いをさけてたしね・・」
うん。と、うなずいた僕の瞳から涙がおちていた。
かあさんは孤立無援で父さんだけが唯一の味方だったんだ。
それだけでも、僕にとって、そここそが、本当の父親の姿に思えた。

そうやって、僕を護ってくれた人を父親とよばずして、
どこでどうなったか判らないような本当の父親をさがすような馬鹿にはなるまい。
そして、僕はそれも、また、父さんの奥さんである母さんにも言えることだと思った。

「父さん、母さんには、申し訳ないけど、母さんには父さんも弟や妹がいる。・・・やっぱり僕は母さんがひとりぼっちだと思うと・・」

「判った」
父さんは椅子の横においた鞄をもちあげると、中を改めだした。
そして、一冊の通帳を僕に渡した。

「なに?」
「冴子がな・・ずっと送ってきた金だ。服の一つ、おやつの少しでもかってやりたかたんだろう。それを使わずずっと、おいといたんだ」
一・十・百・千・・・7884321・・えん?
今月も送金された金額がはいっていた。30000・・・。ページをひらいていくと、毎月30000ずつ、ボーナス時期だろう、5万とか7万とか・・。
はしたがあるのは利息がはいったせいだろう・・。
たいした給料なんかもらってないだろうに・・。
「ずっと?・・・」
あたりまえのことをききながら、当たり前だと思う。

(3万×12ヶ月×16年?)プラス(ボーナス?)
800万ちかい金がいっぺんにできるわけがない。

「それを頭金にして、家でもかって、冴子と一緒にくらしてもらえないか、いつか、そう話そうと思っていた」

僕は・・。
母さんからすてられたわけでもなく、みすてられたわけでもなく、
母さんは・・・いつも僕のことを想っていてくれたんだ・・。

「父さん、僕は、看護師か、救急救命士になりたいんだ。
だから、その・・この町の学校にいって、資格をとろうって、想う。
それで、母さんが良いといってくれるなら、専門学校にはいったら、母さんと一緒にくらして、母さんのところから、学校へ通いたいって・・」

とうさんはうんうんとうなづいてくれていた。

「それまで、もうしばらく、一緒にくらさせてください」
僕のお願いに父さんが指先で自分の涙をふいていた。

「退院したら、冴子にあいにいこうな」
父さんは、いいながら、名刺をひっぱりだすと裏に
母さんの携帯番号をかいてくれた。

病院内は携帯禁止で僕もすっかり携帯からとおざかっていたけど、
退院したら、母さんと連絡がとれるようになる。

父さんの渡してくれた名刺を僕はすぐに見た。
父さんがそらでおぼえている番号がきになった。

090・1152・0904

090、いいこに、おくれし・・

いいこに、おくらし・・。

良い子にお暮らし・・・・。

父さんもそうおぼえたのかもしれない。

偶然なのか、わざと番号をとったのか、わからないけど、

それよりも、まだ、聞かなきゃ成らないことはあった。

「かあさん・・どこにすんでるのかな?」

父さんはやっぱり、少し困った顔になる。

「お前が・・事故をおこした・・・丘の麓に
アパートをかりて・・すんでる」

僕は・・・。

僕は・・・・。

堪え切れず泣いた。

あの丘はいつも、僕を包み込んでくれていた。

あの場所にいくと、不思議と心が安らいだ。

「かあ・・さんは、僕をみてたかもしれないってこと?」

うんとうなづいていた。

「冴子が救急車をよんだんだよ」

ぽたぽた、涙が落ちてくるのは
きっと、僕と母さんがきっちし、つながっていたんだってこと・・。

だから、あの場所にいきたくてたまらなかったんだ。

泣いてる僕の頭を父さんがなでてくれた。

「まだ、先のことだけど、冴子をたのむな。
母さんには、父さんからはなしておく。
冴子にもな・・」

父さんは時計をながめて、椅子から立ち上がった。

僕は大きなきがかりがなくなって、
ほっとしてた。

「父さん、ご免ね。僕はそれでも父さんと母さんの子供だとおもっていいんだよね」

「あたりまえだろ」

父さんが病室からでていくのを見送ると、
ふいに、病室の壁から、ミュウが遊ぶ椅子がぬけでてきた。
仔猫のミュウがかけてきて、椅子にとびのると
ミュウはもう、いつものおばあさん猫になっていた。

僕の憧憬がもう憧憬じゃなくなったんだと
ミュウが教えてくれていた。

                終

私は圭一の申し出をありがたくきいた。

冴子に電話をいれ圭一の申し出を告げると、
冴子が電話口で絶句していた。

「冴子?・・」
冴子の声が震えて聞こえた。
「話しちゃったの?なにもかも?」
「まさか・・」
「圭一は冴子のことを覚えてた。冴子と僕が離婚したんだとおもっていたよ」
「・・・・・」
「だから・・・冴子は妹だって、はっきり伝えた」
しばらく、沈黙が続いた。
「じゃあ、あの子はあなたがお父さんじゃないって・・」
「うん」
冴子の声が嗚咽に変わった。
「ごめんなさい・・」
「大丈夫だよ。今までずっと暮らしてきたんだ。そんなことで、圭一の気持ちはゆらがなかったよ。今まで、お父さんでやってこれたのも、冴子のおかげだよ」
「それで・・いいの?」
「いずれ、戸籍をみたら判ることだし・・父親の判らない私生児・・
この事実のほうがまだうけいれられる」
「うん・・」
「いつか、話せるときがくるかもしれないしね・・」
「そうね・・」

「じゃ、後、一年少し、もうすこし、圭一をあずからせてもらうよ」
「はい」
電話をきると、車のエンジンをかけた。

冴子と私が越してはいけない堰をこえたあの日から、18年。
それを過ちではないと圭一だけが証かしてくれていた。

                   終

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

05 | 2017/06 | 07
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
5682位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2039位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。