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蛙・書評のことから・・

「蛙」についても、二つの出版社におくったわけだけど、


1社は、短編集という形式で、何人かの作家と共同で、1冊にするというもので、


「特異性があり、短編集自体にセンテンスを与えることができる」


だったかな・・・。


そんな言葉で、電話で出版をすすめられたせいもあり、


書評?なるものはない。


で、もうひとつが、文芸社のものなのだけど、


どこに、かきうつしたか、わからなくなってしまっていたのを、今回、発見。


ただ、こうした表現方法の場合、主人公の「僕」の心境の推移がどこまで読者に伝わりうるかは難しい所である。「僕」の狂気めいた感情の内に潜む「真実」を見抜けなければ、読者にとっては受け入れがたい作品になってしまう可能性もあるだろう。


と、いう評価があったが、


おおむね、その通りで、書いた本人も、なんともいえぬ、読後感(執筆感?)が残り


すぐさま、続編をかんがえていた。


だが、実際のところ、読んでくださった常連さんからは、


「真実」を見抜いている、と、いう方向での感想など多く、よせられた。


いっぽうで、


いわゆる、1元さんあたりは、


「むつかしくて、読めない」


とか


「少年はエゴだ」


とか


申し訳ないけど、文芸社さんの評価をかりれば


「いかに、真実をみぬけないか」を、切々と、訴えているとしか思えず、


さらに、もうしわけない言い方だけど


「それは、憂生のせいじゃなかろう」と、思ったものだ。


後年、空に架かる橋においても


マッカーサーと天皇など、いろいろと、思うところがあり


変な言い方だけど、


物語ひとつ、書くのに、そこまで、ほりさげていかねばならないのかあ


と、いうコメントがあったことを思い出す。


つまり、読む側にそこまで伝わることは少なく


読む側自体も、-そこまでーを、みきわめる経験や感性などが


少ないということもありえる。


結論でいうなら、


結局、読者自身が「その気持ちわかる」という「苦労や辛い思い」を


味わってないというと、御幣があるが


それらの責任を自分が背負うということをやってないと


理解できないと結論できて


ある意味、わからない、エゴだといえる人は


「幸せ」な状況でいるとかんがえられた。


ともに、


感想や批評を人にむけて、かいているつもりでいて


自分の披瀝をしてしまうものなのだとかんがえさせられた。




**********



送ったのは「蛙」と「ブロー・ザ・ウインド」と沖田君の話し「壬生浪ふたり・俄狂言―恋語り―」の3作である。

評をままにかいてみたい。

● 時代設定も舞台も、それぞれ異なる3つの恋愛物語。
前回応募作の「白蛇抄」同様、やはりこれらの作品にも「憂生ワールド」と呼べる物が確固として存在している。
細かい心理描写の積み重ねによって織り成す著者の人間ドラマは、恋愛というテーマを掲げながらも、決してそこだけには留まらない。とりわけこの三作品に関しては、「人間」と云うものを真っ直ぐ見据え、人が生きるという事を誠実に問う姿勢が終始貫かれており、静かな感動に満ちている。

● まず『ブロー・ザ・ウィンド』は、「大切な人の死」を乗り越えられずに苦しむ女性の葛藤と、そんな彼女を愛し、見守る男性とが次第に心を通わせ強い絆で結ばれてゆくという、恋愛小説の王道とも呼べる物語。
文章には「青さ」が残るものの、心理描写に長けた著書らしく、精緻に主人公らの心の機微を描きとっている。
また「吹き返した風が風見鶏を再びくるくると回らせ始めるとレフイスに早くおいでよといわれているように思えてアランは足を早めた」といった一文に著者の感性の鋭さ、作家としての嗅覚のよさがきらりと光っている事も見逃せない。
おそらく是は、タイトルの「ウィンド」を意識して挿入された一文であろう。二人に「しあわせの予感」
がほんのりと感じられる表現が秀逸である。
構成的にも読みにくさは無い。
だが、やはりきにかかるのは冒頭部分である。振り返って読まなければ判断できない事が多いのだ。

● 次いで『蛙』は、かなり純文学の色の濃い短編小説。
叙事詩的な印象も受け、他の2作品とはかなり趣が異なっている。
主人公の「僕」もそうであるが、この物語においては登場人物が無機質である。
あえてそのように描き出しているのであろうが、とくにRyoukoの感情が見えてこない。
人間の「器」のような存在として描写されており、著者の他作品には見られない新鮮さが感じられる。
さらに云えば、彼女の質感と、アルファベットの「Ryouko」という表記が似つかわしく、ここにも著者のセンスが滲む。ただ、こうした表現方法の場合、主人公の「僕」の心境の推移がどこまで読者に伝わりうるかは難しい所である。「僕」の狂気めいた感情の内に潜む「真実」を見抜けなければ、読者にとっては受け入れがたい作品になってしまう可能性もあるだろう。

● 最後に『壬生浪ふたり・俄狂言「恋語り」』は、3作品の中ではもっとも著者の持ち味が発揮されている作品であるように思う。
本作品においては、土方と沖田という物語の中心人物の輪郭もかなり明確に書き分けられている。
例えば、無花果という花をモチーフに佐部里とお勝の恋を例えた土方の科白や、京の話し言葉の特徴を捉えて土方が論理を展開するくだりには、著者の練達さが窺われる。
土方の人間的な魅力をたくみに浮かび上がらせる事に成功しているといっていいだろう。
本作品中で、もう長くは生きられない沖田は心から土方を慕い、その沖田の心情を思いやる土方は苦悩する。
恋愛とは別に、こうした深い情で結ばれた男同士の関係も本作品の見所の一つだ。
ただ、設定が新撰組であると言う事をもっといかしてもいいのではないか、という欲を禁じえないのもまた、確かである。

● もちろん改善してゆくべき点はあるものの、今回の3作品は著者の力量を改めて認識させられるものであった。
著者は自分の持つ色を失わずに「世界」を描き出せる。
などなど・・・・。

簡単に抜粋して、以上、このようなことでした。

で、最終的に、審査会では沖田君を協力出版で全国出版したいと意見が一致したとのことなのですが・・・・・。

資金がありませんでした。はい!

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