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封鎖への過去記事

過去記事を編集しつつ、揚げなおしている。


と、言うのも、引越し作業で、そのまま、移行されたもので、


文字の大きさや、HTLMの形式がくずれていたり、とか・・しているため。


下の記事は


おそらく、アメーバーで、当時、封鎖中だった作品へのこととか・・。


かいたものを、コピーして、ブログ人に治めたものだと思う。





ひさしぶりに、プロフィール頁に完成作品をリンクしてみた。

SO2と永沢作品計34本を封鎖しているので、75本ほどしかない。

物書きとして、考えると、非常に残念なんだけど、

それしかないわけじゃないし~~~~~。

掌篇を一本とかぞえるのには、多少、抵抗はある。

どちらかというと、3~5万文字、(どこからを長編というか、わからないが)の、作品が主流であり、

掌篇は感覚小説というか、短く切り取った空間(心理?雰囲気)勝負みたいなところがあり、

ドラマ性が少ない。

多く、心理追従型のもの書きなので、雰囲気パターンというものに、どこまで、心理をかもし出せるか。

と、いうところでは、

正直、難があるとわかっている。

また、起承転結がないというか。

う~~ん。

スライスチックすぎて、掘り下げが鋭意なものか、斬新な着眼点がないと、

作品としては、どうだろうと思う。

蛙など、5500文字で、これは、掌篇に入ると思うが、

短編として、収納しているのは、

憂生としては、文体や心理的掘り下げや意匠のある着眼点があるとおもえる。

訴えるところが厚いというか。

テーマが重く、ある程度の起承転結ができているものは、

掌篇であっても、短編にいれている。

まあ、なかなか、簡単にコメントをいれられるようなラフな作品がすくなかったせいもあり、

BL時代物ギャグなどもかいたりしているが、

最終的には、自分にないものはでてこないな~~と思う。

いつだったか、読者さまから、

憂生の書く女性は強くて、ずるくない。そこが良い。みたいなね。

もちろん、強くてというのは、力持ちってことじゃない。

逆境に屈しない。ひねくれない。人をしんじていこうとする。

などという精神的な強さをいう。

で、そのコメントに対して答えたのが

「憂生は女性は強いものだと思っている。

強い女性はずるくたちまわる必要がない」

つまり、憂生の中にある女性像というのは、

「強い」なわけだな。

だから、

「無いものはでてこないわけで」

奇妙にずるい女性とかはでてこない。

それを、あえて書くと、こんな都合のいい設定あるかよとおもってしまう。

なんの心理的・心情的背景なしにずるくたちまわれるというのは、

説得力がない。

でてくる時もあるだろうけど、

どうも、いかにも、「ありえない」感がついてまわって、

ありえるずるさを書くと、

逆に、それにきがついていく精神改革?みたいな話にかわってしまう(おい?)

その段でいくと、

ずるくたちまわれるということは、

どこかで、卑屈さやみじめさという弱さをもち、

その弱さにやられているという意味合いで、

気の毒な女性として、みてしまい、

あ~~。

やっぱし、そこにきがついていく、強さへの第1歩を踏み出させてしまう物語になりやすいな。

それで、

どうしても、女性が主人公になる物語りのほうが多くなる。

男というのは、どうしても刹那的で、

その刹那感情で弱さを生じさせ、どうにも、ならぬ泥沼におちいりやすい。

こういうことが頭にあるせいか、

死と隣り合わせというか、

生きるに必死という状況でないと、

男・あるいは、少年は強さをみせない。

まあ、たとえば、壬生浪の沖田とか。

パンパンとチョコレートの主人公とか。

こういう意味合いでは、永沢君は逆に弱さの象徴のようなところがあるし、

性でまぎらわすという憐れな人生になっているわけで、

そこに対しての救いをかきはじめていたわけだけど、

いかんせん、あほログ検索がおおすぎた。

SO2については、

陥りやすい心理的盲点みたいなところからの脱却というのが、主眼なわけだけど、

性表現も多いので、そちらに振られる人間がおおすぎて、

これまた、最初からろくでもない目的で検索してくるので、

ボーマン・ボーマン5・6のみの掲載にとどめているが、

全編20作品になっているものである。

あと、永沢作品の小夜と小枝をまちがえて読み漁ってくださる人がいるようであるが、

小夜の根本的なテーマ。

「気がついたときに生き様を変えていく」と、いう流れは同じである。

小枝でいえば、「何が一番大事か。護るべきを知る」と、いってもよいか。

心をとざしていた人たちのバイブルにもなったブロー・ザ・ウィンドウとか、

憂生にとっては、一つ一つ、封鎖した作品とても、

この生き様じゃいけないときがついていってくれた読者さまがいたり

からりとわらいとばしてしまうということの大切さ

みたいなのも意識させられたり。

ひとつひとつ、物語りのうしろに読者様の精神部分とのリアルな関わりがあり、

これに、あほログ検索がはいってくるのは、いたく痛手で、

特に亡くなった在る人。

病床で、憂生の作品をよみあげてもらって、

「良かった。かいている」と喜んでくれた人。

自分の人生に重なって、泣けて泣けて仕方がなかった。

と、主人公の生き様に共感しつつ、自分をも励ましながら亡くなった人。

こういう憂生の背景もあるわけで、

単純に封鎖しているわけではないということだけは、ご理解いただきたい。

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