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存在価値

むずかしいことではあると思う。

人がやっていたりすると、
気がつくことがおおいのが、
「否定すること」かもしれない。

実際の話をしよう。
憂生自体が奇妙な体験が多く
たとえば、それを「霊」のしわざ?と考えることがある。

実際、それが、「霊」のしわざなのか
べつのものなのかは
わかることではない。

が、漠然と
「霊が・・」
と、いうと
そんなものいない。
と、いう否定論が話した相手から飛び出してきたことがある。

そのあたりについて、
いないという人間から
なぜ、いないといえるかという根拠を聞くことは不可能に近い。

たいていの場合、
霊としかおもえない「現象」に遭遇していないから。

かつ、その人の場合は
ある宗教に入信していて
その宗教の教え?によるものらしい。

霊の否定からはじまり
「他の宗教はだめだよ。本物はうちだけだから」
と、いう言葉に
ーおまえのほうが、幽霊ちゃうんか?-
と、おもってしまった。

だいたいにして、
憂生自体が無神論者にちかい。
いや、正確にいうと、一神教でなく
いろいろなものに神・魂など宿るとおもう。

その考えからいくと、
ほかの宗教は偽者だという
友人という姿のこの神様wwwをうけいれられない憂生は
多神教であるともいいがたくなる。

つまり、無神論者にはてしなくちかくなるwww

その無神論者がおもうこと。

やはり、相手を否定しないことだとはおもう。
15,16のころに
突然、「幽霊に首をしめられるのが毎日続く」
と、友人にうちあけられ
正直をいえば、そういう経験はないし
幽霊なぞもみたこともない。

が、友人がこまっている?のをきいて
そんなもん、しらんわ
おりゃあせんわ
と、いえるだろうか?
わからないなりに
友人のいう事は本当だとうなづく。
幽霊がいるかどうかでなく
友人のいう事は本当だと考える。

そして、なぜ、幽霊が首をしめるのだろう、と、考える。
わかるわけがないが
友人はなにかしゃべってる声はするという。
だったら、幽霊に直接きけないのか?
あるいは、なにをかしゃべってるのがわかれば
首をしめにくる原因がわかるのではないか?
と、いいだす憂生になる。

ここからして、
そんなものがいないという人からみたら
頭がおかしくなった人間の会話でしかないだろう。

結局、幽霊が何をしゃべってるかはわからなかったが
友人のほうは
そういう異常な状態をわかる?信じてくれる?人間がいることで
閉鎖された精神環境を別の世界と思えるようになったところがあったのかもしれない。

ある日、友人は自分の過去のことを話してきた。
恋人だった人が亡くなり
友人は自殺したことがあったという。
さいわい、たすかったから、そんなことをはなしていられるわけだけど
リストカットの痕やら、
睡眠薬?自殺かなにかで入院(胃洗浄?)ということもあったとはなしてくれた。

それは、憂生にはひどく納得のいくことだった。
単純だけど、
友人は死の世界との壁をこわしていたといえる。
それは、幽霊がみえても、きてもしかたがないとも考えられる。

変なものがくるのは、
まだ、友人の中に恋人の死をうけいれられないところや
自分がそっちにいこうとする思いなどがあってだろうと思える。

こっちの世界でいきていこうと
恋人は死んだと諦め?事実をうけいれるようになるまでは
心の傷がいえるまでは
あるいは心の傷をみなくなるまでは
どうしようもないのだとおもった。

後年、10年ぶりに突然その友人から電話がかかってきたことがある。
電話に出た憂生は
「おまえ、しにかけたろう?」
と、不思議なことをいいだした。
すると、友人は先日、大きな手術をしたそうで
癌かもしれないという恐れもあって
死ぬかとおもった。
死にたくないっておもった
と、かえってきた。
なにか、えらそうだとおもいつつ
「一度死んだとおもったら
今の命だいじやろ。
一生懸命、いきなきゃなあ」
と、いった覚えがある。

遠い昔に
生きていこうという思いになってくれるように
なってくれたらいいという
願い?が、本当になったことを
知らせようとしたものがいたとしか思えない突然の報告だった。

そんなふうに考えると
最初のときに、もしも、友人を否定していたら
友人はひょっとして、精神的な異常をおこしてしまったかもしれない。

気持ち悪い。怖い。などでなく、
どうにかその状態から脱却できないかと
15,16の頭で考え付くことなどたいしたことじゃないけど
どうにかよくなってほしいとおもう人間の心にふれたことが
どこかで、友人を狂わさずにすんだんじゃないかと。
自分のいうことを信じてくれる人間がいたことで
けっして、自分がおかしいわけじゃないとしんじられたかもしれない。

だからこそ、
幽霊・霊なんかいないよと
いいきってしまった最初に書いた友人はどうなんだろうと思う。
つまり霊がいるかいないかでなく
相手がいうなら信じようという思いがどこかにいって
友人が教わった教えを言っている
人をみない状態で自分がその宗教の神さまかなにかのようになっている。

それは、また、
憂生が霊というものから何を学んだのかとか
それに対してどうおもっているのかという
個人を知ろうというところからもかけ離れていたとおもう。

逆になんでいないといいきるのかという
友人の根拠や信念もしろうとしない憂生でもあったということにもなる。

昨今の精神医学界もSPや心霊てきなものに
だいぶ、理解をはじめているけれど
在る人がおこした妄想を
妄想だとかたづけてしまった言葉がめについた。

なぜ、そんな妄想をおこすかという根拠を
心理学的にしらなければならないだろうし
簡単に妄想だと決め付けていいものだろうかとおもう。
それは、
もっと、深い心理や事情がからみあってのことだろうから
その人にとっては「本当」なのだということを
知らなければならないと思う。

そこから、
本人が冷静になってきて
自分で「妄想」になってしまった部分をときほぐすことができるようになる場合もある。

否定的にあつかえば
妄想じゃないというところから一歩もひかない。進まない。

それは上で言えば
幽霊がいるか、いないかの論議をしているだけになり
もっと、本人の
深層やら、存在価値をゆるがすことにだってなりかねない。
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