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蛇・・1

さて、蛇のこと。

むろん、いわゆる野生の蛇についてでは、ない。

ちょっと、前にかいたように、神道家からの報告で、
憂生の中に「鬼と蛇」がいるということでだいぶ、考えた。
外に居る、憑依しているというのなら、納得できたかもしれない。

だが、中にいて、その様子をつたえてくるものがいるとなると
蛇とはなんぞやとなるのは、致し方ない。

鬼については、なぜか、きにならなかった。

いわゆる、ことわざ的にも鬼気せまるとか
鬼神のごとくとかいうように、
常にあらざる人間の様子をあらわすことがあるので、
どこか、人間性の一面というかんじに捉えていたと思う。

ところが、人間の中でとぐろをまいたり
かまくびをもたげていたり、
白い卵(魂?)をまもるかのような姿がうかぶと

自分の一部?とは考えがたい謎の生物がいるようである。

しらべていけば、
「アスクレピオスの杖」からの話がある。
自分の心の中に芯棒ともいう
心の御柱があり、そこにへびがまきついている。

蛇というのは知恵をつかさどるもので、あり
なにかあったら、人間の心をまるのみにして
自分が人間を支配しようとしている。
そこで、いろいろと、心をまよわせてしまうと
蛇にのみこまれてしまうので、
心の芯棒をしっかり立てておきましょう。

と、いうどちらかというと邪的な存在として
とらえている。

また、別なところでは、
チャクラの話ににているが、
人間の根底エネルギー・生命力をつかさどる。
実際、根底チャクラ、つまり、生きるための根源的なエネルギーである根底チャクラが
頭上チャクラのところまであがっていくさまを蛇があがっていくようすにたとえる。
実際、根底チャクラが頭上チャクラまであがるような状態は
覚醒となるののだけど、
根底チャクラとうのは生命エネルギーそのままのため
なんの修行や悟り?をえていない状態で
覚醒すると獣のようなものになってしまうといわれている。

いきるために必要なエネルギーがうごきだしそれに差配されるため
人間らしい考えとか感情などがなくなって
野生そのものになってしまうということであるらしい。

このあたりも、大本神喩でいうところの
「人が四足であるくようになる・・・」の表現を思い出させる。
人間、極限においこまれると
たとえば、大洪水とか・・
こうなってくると、根底チャクラが差配をはじめる。

根底チャクラがわるいわけでなく
人間をいきのびさすためのエネルギーが必要になってきてしまう。
感情や考えなどではどうにもならなくなる事態がおき
そんなものでは、人間が機能しなくなってしまうと
本能ともいうべきものが人間をまもりはじめる。

つまり、蛇も生命力であるというのなら
よほど、しっかりした精神力をもたないと
蛇に支配されてしまうということになろう。

また、一方で、
蛇は負のエネルギーを好んでたべるという。

恨みとか憎しみとか・・・。
これによって、ある程度までは
負の心が浄化?消化されて
人間が暴走しないようになっているという。

そこらへんを深読みすると
大物主が三輪山にまきついているのは
御神体である・三輪山ににふうじこめられている神の負のエネルギーを
とりこんでいるのではないかとおもえてくる。

大国主命の荒魂と幸魂であるという大物主であるが
荒ぶる神の部分 負のエネルギーを三輪山に封じ込め
幸魂のぶぶんで、蛇に化身し
負のエネルギーを中和させているとも思える。










とにかく





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