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スサノオとのかかわり

蛇のことを書く。
と、思いつつ、少し、気になることを先に出してしまおう。

スサノオと、いうところで、
憂生自体が、また、奇妙なえにしがある。

精神的に参っていたころ、
魑魅魍魎の類がよってくる恐怖心にひっつかまえられていた。
こういう状態はなさけなくも、
2度目であり、
最初のときは師が護法の擁具をわたしてくれてた。
その擁具を用意するヴィジョンがつたわってきて、
しばらくのちに、恐怖心から解き放たれた。

ここらへんも、今、SPでいわれているように、
救われていない先祖が子孫をたよりに、
因縁を納所してもらうということがおこるという。
先祖の中に救われないものがいるとき、
いわゆる、先祖もアセンションしたいわけで、
自分がのりこえられなかった思いや遺恨を
子孫と共有?し同じような思いを子孫がのりこえていったときに
因縁が納所するというもので、

このあたりは、
霊能者が見た自殺者の話によく似ている。
霊能者がいうのには、
先に自殺したえんもゆかりもない地縛霊であるが
これが、多少なり自殺したいと思う
あるいは、同じような苦しみ(自殺の原因)をもっている人に
すがってきて、あるいは、同調してしまう。
すると、同じ思いが2倍・3倍と増幅されてしまい
気がついたら、生きてたはずが自殺してしまい
霊能力者がたずねると
「あれ?何で、自分しんでしまったんだろう」
と、いうようなことになるらしい。

いわゆる、引き寄せの法?ににたような事象がおきるらしい。
こういう縁もゆかりもないというのは、ある程度さけられるものだろうが、
自身の先祖や前世になってくると
本人の精神力による。

このあたりのことは、彼の魂が・・にかいているので、省くけど
憂生自体の精神力がよわかったことや
たとえば、依存するとかいう「思い」があれば
依存したいという先祖を影響をうけることになるわけで、
自分の精神修養があまちょろかったということに他ならない。

そんなことがありながら、
再び、精神がまいるという状態におちいり
(まあ、原因があるのですが・・・)
師と、縁をきっていたこともあり、
(と、いうか、前回のことは、ある意味、練習?のようなもので、
今度はどうしていけばいいか、わかってるのだから、自分で解決しなきゃいけないということで、
ある意味、きたえられる(修行?)本番だったわけだと思う)
擁具も封印してあり、
頼るものがない(依存?)

そんなおり、
スサノオらしきものがよってきて(ここは、はっきりとわかっていない)
「おまえは、よほどつらいことがあって
おまえの御霊が社ににげてきていたので
かくまってやっていた。
が、それを返すから・・」
と、つたわってくる。
そして、まあおびえてしまう御霊(分霊?)がかえってきたことにより
なおさら不安が増すし、魑魅魍魎の類がよってくるから
これをわたしておく。
と、いって「語法の剣」をわたされた。
(と、いっても、憂生自体見えるひとでなく、
こういうのは、狂い掛けた人間の妄想の範疇のようなところもあったかもしれない)
と、思っていたころだった、

外については、使いをおいて、みはらせているが
おまえ自体があまっちょろすぎる

と、つたえられ、使い?とおもっていたところ
最近、鳩がよく巣をつくっていたので
このことかなとおもっていた。

とはいうものの、パソコンさえまともにさわるどころでなく
鳩がなにの使いなのかわかってさえもいなかった。

そんなある日、
町内の労働奉仕で神社の清掃にいってくれといわれ
正直、そんなことくらいも気が重い状態だったのだが、
「いいから、いってこい。いけば、わかる」
と、なにものかにつたえられ
しぶしぶ清掃にいくことにしたwww

いけば
「どうした?最近姿みせないな」
と、いう知人の声に現状の精神状態を吐露するわけにもいかず
「ああ」と返事だけして清掃の分担場所の説明をききにいっていた。
適当な塊に
「そこらは神社のわき」「石段」というぐあいにわりふっていたのだが
そこらへん、「神輿」と憂生のいた塊に指示がだされ
神輿を蔵にってみますと
神輿のあちこちに「鳩のかざり」がいて
八幡神社ですから、スサノオだったわけです。

こういうところを考えると
スサノオにしろ、他のものにしろ
古代から、人間に対して
何らかの補佐や加勢・加護をするものがいるということがあるということで、
ここを、信じるものが、
悪く言えば、自分の保身のために神にいのったということもあったし
それが、かなえられていた。ということにも、きがついていたということでしょう。

そして、このスサノオの精神をかたろうとするとき、
大本王任三郎が脳裏に浮かんできます。

最初に彼をみたのは、
スサノオの格好をしている大本の写真でした。

この折には、奇異な感じをいなめなかったのですが、
国、日本国ということで、
国常立の存在に言及しているところで
ひふみ神示あたりをよむようになってきました。

すでに憂生自体が、
御霊(大本神喩では、身魂とか、○に、「、」(ちょん)という表現だとおもいます)の存在をあかされていましたし
国常立のことも、天御中主についても同様でしたので
単純にうしとら金神=国常立ということで、
ひふみ神示は、本物だという思いでみておりました。

大本神喩では国常立は、日本の国土がその御体であるということもいわれていますが
その名前のとおり、
国が常にたちゆくように、と、いう思いをもった方であり
その国をよくするも、わるくするも
これは、その国にすんでいる人間によるものとおもわれ
大本神喩のいうところの
改心せよ、なども、
この国がたちゆくように国常立が大本におりてきて
伝えてきていると思うのです。

その大本が特にスサノオを重視しているというところが
先にかいた、
「国民の安定のため」という精神と行動
これが、国常立が降臨した姿だとかんがえたのではないかとおもえるわけです。

あくまでも、
類推にすぎないことですが、
大本は
「日本人は神に近い位置にいる」と、いうことをいっていますし
憂生が教わったことも
「日本人の御霊は天の分かれ」
であり、
「天がめっこをいれた御霊」
と、いうほど、天直々の御霊(魂)であるわけですから
なおさら、神からの加護なども厚い国柄であると思うのです。

つまり、極端にたとえると
そこらに祭られている神社の神などに頭をさげるような霊格でない魂・御霊が自分の中にいるということなのです。

こういう点で
自分の御霊の格通りになっていず、
憑依されたり、他の神につかわれたりするのはおかしなことで、
このあたりも、大本がいうわけです。

「普通の状態」であること。
神かかりとかになってしまうことはおかしいということなわけです。
つまり、憂生もおかしいわけですwww
自分の感情として、自然に国を思う
と、いうところをたとえば、神示を信じて国をおもわねばいかんとか、
我かわいいに神をひきずりおとすとか

そういう部分でも、
スサノオの精神は
実に「普通の人間」だったのだと思うわけです。
普通の人間が国を思い民を思いとこれまた一生懸命やってきたというところに
国常立の精神
神をみいだしてきたのでしょう。

人として、よりよく生きる

その姿でしかないわけです。

ここらへんをなにか、神頼みふうにうけとめてしまうと
憂生のように、自分事に神をうごかしてしまうことになり
それは、それで、スサノオの子。民。を思う親心であるのですが、
憂生なりに
いつまでも、親の庇護にはいっている場合ではないと思うわけです。

なにかしら、
日本ということ、
人を思うということの
はしきれでも、スサノオからも学んでいかなければならないと思うわけです。
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