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内なる神???

憑依されるとか、こういう言い方をよくきくわけですが、
憑依されるがわのほうに
憑依される元があるというのも、
よくしられるようになってきて、
客観的にみてみると、
「ああ、自分この思い、いけんな」
と、いうところがみえてくるというwww
利点もなきにしもあらずなのですが、
こう完璧にこちらに影響をおよぼす、だるいとか、
こちらの人格?(こういうと、えらそうですねwww)をあやつってしまう場合もありえるわけです。

客観的に自分が憑依されてしまう「思い方」とか判断できる状態であれば、
まあ、憑依というより、「居る?」だけなのですが、
この同調してくるという部分は巧妙な落とし穴といっていいか。

本人がもっている「思い」(とくに負の思いに同調してくるので
自分の「思い」が増幅されて
いっそう、「負の思い」にとらわわれてしまう。

たとえば、悲しんでいると悲しんでいるところに同調して
増幅されるので、いっそう悲しくなる。
それを自分の思いだとうけとめているので、
ますます悲しくなる。
と、いう悪循環におちいって、
いわゆる負の連鎖が起きてくる。

ところが、憂生の場合
奇妙な事象?がおきることがある。
いや、みんな、それなりにわかっているのだろうけど
「自覚?や意識」ができないことのほうがほぼで、
憂生自体も万に一個、意識させられただけのことであろう。

具体的に書く。

ある職場で、昼休みがおわり、
仕事をはじめようとすると
憂生の中で「成仏しろ・成仏しろ」と、いう「声・思い」が響いてくる。
多少、こういうことになれてきてしまってる部分があるのだが
やはり、なにか縁起でもない思いなので
なにをいうとるんじゃあと思ってしまう。
しばらくすると、主任のところに電話だと連絡が入り
内線にでると、しばらくのちに、
「兄弟が人事不肖とのことで病院にいってくる」
と、告げられた。
つまるところ、おそらくであるが、
兄弟が人事不肖におちいり、いわゆる幽体離脱状態になり
主任のところにきていた?
それを見た憂生のなかのなにものかが
いわゆる亡霊が来たと判断し
「成仏しろ」と、はなしかけたということであろうか?
つまり、もっといえば、亡霊?は憂生のところに
憑依?しかけたというか、
そこで、幽霊が憂生にとりつこうとする?のを
憂生にとりつこうとしてはいけない。
おまえはもうしんでいるのだと諭したというか?
まあ、そういうふうによってくるものに
いいきかせて、憂生を守っていたその思いを何のひょうしか、キャッチしてしまうというのがあったと思う。

こういうので、
実際、その理由が憂生にはわからないのだけど
ここ最近もいくつか、にたような事例がある。

また、それが、正しい?かどうか、
自分の間違った思いを増幅させているのかもしれないが
ひとつは、
ライトワーカーになりましょうという誘い文句のような言葉に
(この方のいうことは、憂生のしっていることと符号することをいっていることもあり、心がかたむいていたとおもう)
「申し訳ないけどと丁寧にお断りしてご辞退しなさいね」
と、いう言葉が響いてきていた。

ここは、憂生にはわからないこtだけど、
次におきたのが、
ある方のブログにいったところ、
神社の写真に大きな蛇の顔?姿が写真にうつりこんでいて
???という状態で
まあ、こういう蛇の写真蛇神?の写真らしきものは
以前にもみたことがあり
このときは
「じゃえん・ゆるすまじ」
と、いう念をおくられてきていたが、
そのブログに2度目におとずれたとき、
憂生の中で
「縁もゆかりもありません」という言葉が何度もひびいてきた。

この2回、「縁がない」という意味合いの言葉がわいてくる状態になっていて
最初の成仏しろ、という話の意味合いのようなものをかんじていた。

自分で真意はわかろうはずもないけれど、
なにかしら、違うところによりついて
そっちの影響?差配?をうけてはいけないのではないかなあという思いがしてきている。

こういうことをいうと
変に誤解されてしまうかもしれないが
なにか、自分のもっている因縁のようなものは、
それとにたような思い?をもっている人をあつめてきたりするのだと思う。

そういう意味合いで、
それらのブログがもっている「因縁」と
憂生のもっている因縁?がかみ合わないのだと思う。

じっさい、自分の御霊(魂)という考えでやっているときに
ブログの中の神?の差配をうけるというのは
よくないのだろうと思う。

対、自分の御霊というところに
他のもの(神?)が、憑依し
自分の御霊がそれに使われるということを
やっている状態ではないというか。

こういう部分でも、なにかしらの神をくっつけてしまって
自分の魂・自分の御霊であるというパイプをなくしてしまうということは
普通の霊的憑依とさしてかわらないというきもする。

大本神喩のいうところの
「自分の尾をつかむ」というところは
こういう意味合いではないかというきがする。

つまり、他のブログにいって
そこの神様?の尻尾をおっかけてしまってはいけないというか
おっかけさせられるようなかかわりをもつなというか
神様という言い方はどちらかというと嫌いなんだけど
自分の神様(御霊・魂)をおいかけていかなくてはならないんだろうなあと思う。
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