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古代史への興味の理由?と、いっていいかな

なんとも、とりとめないのだけど、
思うままに書いてみたいと思う。

大物主が気にかかる理由というのが、
憂生にはある。

これも不思議な話になるが
あるとき、神道家に体内にもぐってくれないかということをおねがいした。
ネットを通してであるが、
神道家もそんなたのまれごとはいわれたこともなかったのだけど
「やってみる」
と、うけてくれて、しばらくのちに、憂生のくびすじあたりから、
米粒くらいの塊が下におりていくのがわかった。
すると、しばらくして、
神道家が
「あれは、なんだ?」
と、いいだしてきた。
なんでも、金色にひかるものがいて?あって?
ものすごく光っていて目をあけていられない。
と、いい、体からでてきたようで
上記のせりふになった。
こっちがききたいくらいだがwww
するともう一度もぐるといいだし
結局、目が痛い。ものすごい光で目がいたい。
あんなものははじめてみた。
と、いう。
まあ、憂生がもぐってくれないかと頼んだ理由をかんがえると
「その人がそこにいた」
と、いう結論になる。
神道家にはわけをいわなかったが
ある方が私が亡くなったら、私はみなさんと一緒にいます。
ということと
死んだら私は人魚になります。ともいっていた。
皆さんといっしょにいる。
人魚になる。
このことと、御霊(魂)の底がぬけたら大海原になるという言葉とで
三段論法ではないが
自分の中に大海原ができていれば、そこに人魚になって、いるんだなと・・。
浪漫ですねえwww
それで、人魚がいるか、みてくれないかと奇妙なことをいって
神道家にたのんだところ
まぶしくて、まともにみれていないようなので、
その存在が人魚だったのかどうかも定かでないけれど
ましてや、底がぬけるようになっているとかんがえるのもおこがましいのであるが、
とにかくは、その方がいらっしゃったと考えていいように思う。

で、神道家はかなり修行を積んでる方のようで、
後に、憂生が憑依されたときも
(本人、肺炎を起こしたかと思うようなだるさがあったが、なにもわからなかった)
さっして、チャットのまえにやってきて
しんどいだろ。今はらってあげるから。
と、はらってくれた。
その霊?もみえているらしく、赤い大きな指輪をした中年の女性だが覚えがあるか?
と、たずねられた。
このときはおもいあたらなかったが、後にある人だとわかることになる。
このことについては、ほかの場所で書いているので省くが
まあ、そういうふうにいとも簡単にわかるような人であった。

それなりに修行もしていてもうひとつ上の師のような方からもおすみつきをもらっていたり
それこそ、仏陀のような、キリストのような、修行(鬼にひきずりまわされたりとか)時代もあったようで
この他のことでも、かなりのところまで、見通せる力があるのをしっていたのもあって
頼んだのだと思う。

で、そんな人にとって、見たこともない目が痛くてあけられない光がある?いる?というのが、
気になったのだと思う。
今度は神道家のほうから、もう一度もぐってみるといいだしてきたのだが
ところが、今度はいなかったらしくて
(違うところにもぐったかwww)
憂生の中に白蛇と鬼がいる。といいだしてきた。

そのときはひとつ、おもいあたることがあったのと
憂生が書いていた物語が
鬼と白蛇(神)がでてくるものであったこともあって
「こやつ、憂生の思念の中にはいってしまったんだろう」
と、かんがえていたのである。

ところが・・・。
後年になって、思い出したことがある。
憂生の中で「何者かの思い」がひびくことがあって、
ここも、事例をだすといろいろあるのだけど、これも、書いているので省く。
そのひびいてきていたことが
「鎌首をもたげているぞ」
「とぐろをまいている」
というもので、憂生のヴィジョンには白い玉(たぶん御霊?魂?)をだきこむようにして
とぐろをまいている蛇のすがたがあった。
そういうことをしっかりわすれていた。
ちなみにこのときはそうやってうかばせてくる物にたいして、
名前をたずねたが、いおうとしないので
念でさぐったところ、むこうが「すくね」と、いってきてはいた。
さっぱり、わからないので、宿根とかいして、いたが
最近になって仏教用語では
魂本来がもっている性質・能力だったかな。
宿根。根に宿るもので、あっていたようである。

で、ずれまくりが特異になってしまっているが、
もうひとつあったのが、
八幡さんの鳥居の前でものすごくハラがさしこまれたことがあった。
憂生の不思議なところのひとつだったのだけど
なにかしら、悪い思いをかけられると、腹がいたむということがあった。

むろん、そういう思いをかけさせてしまう落ち度がある自分がよくないので
それを相手が悪いということではないのだけど
このときは、ハラの中からへそをひきちぎられるような痛みがあり
なまはんかなものではなかった。
人の思いで痛いというものの比ではなく
その場にうずくまってしまった。
痛みが引いてきてから、憂生はあたりをみわたした。
人はいなかったから、なにかしら、霊?的なものの仕業ではないかと思えた。
すると、目にはいってきたのが、
地神の石碑だった。

自分がなぜ、そういう痛みをおぼえたかということよりも
地神とはなんぞや?
と、いうのがきになった。
そのあたりからしらべだしていくと、
石神(しゃくじん)というものにいきあたり、
どういうわけか、にぎはやひについてしらべていたブログにいきあたった。
確か、そこに石神はにぎはやひであり、月読であるというようなことが
詳しくかかれていた。

そして、大物主と物部氏。
物部氏の始祖?がにぎはやひになり
こうなると、
大物主が三輪山をぐるりととりまいている姿と
憂生が見たヴィジョンがかさなり
三輪山の中ににぎはやひが封印されているとかんがえるようになった。

(大物主=ニギハヤヒという説)(にぎはやひ=大国主命という説)

さらにいえば、大国主命=スサノオで、大国主命というのはスケープゴートであると思える。
日本書記や古事記などもいささかであるが、
出雲風土記になってくると別の人間のことで、
書記などは、あちこちの話をよせあつめ参照にしたということらしく、
かなりつくりあげたか、まちがって編纂しているようである。

また、別件で憂生が精神的に参ってるときに
うとうとと昼寝をしていたとき
一日目は死んだおじに従兄弟の名前でよばれて、めがさめ
従兄弟になにかあったのではなかろうか?と心配して、連絡をとったらぴんしゃこしていた。
二日めに不覚にも同じ場所で寝入ってしまったとき
「おおくにぬし」と、よばれてめがさめた。

たぶん、精神的に参っていたときだったので
死線をこえて、幽冥界に行ってしまったのだと思う。

で、まあ、なぜ、おおくにぬし!!とよばれたか、きになってしらべていけば
隔世の主が大国主命ということになっている。
出雲の西の端によもつひらさかという冥界との峠があり
このあたりはいざなみといざなぎの話でもでてくる場所である。

なんにせよ、
出雲という場所を「死に場所」として
スサノオや大国主命を封印しているのは間違いがないと思う。

同時に四国を死国として封印しているのも、
実はにぎはやひにかかわるのではないかと思っている。

ウガヤフキアエズにおいても
憂生自体が学生のころ、友人にとりついた霊をはらってやると
でかけたところがウガヤフキアエズをまつっていて、ここでも奇妙な体験をしている。
ただし、憂生はそういう霊を払うなどの知識などいっさいなく
なぜか、しらないけど、やろうといって、やていて
霊もみえるわけでなく、いや、それさえどうでもよく
むしろ、そんなことをやりながら、
霊をおそれてしまう心の弱さ?にやられてしまうのだと
理屈だけは感じ取っていた。

そういうこともあり、ウガヤフキアエズというのを
あとで、神主に礼にいったときに
(と、言うか、勝手に裏手の場所を使いましたのですみませんとわびにいったというべきか)
ここは誰をまつっているのですか?と、たずねて
知ったのだけど・・・。

そういうこともあって、その名前?は憂生にとって縁浅からぬという感じがある。

通常の方は、なんとなくというか、無性にきにかかるというかんじで
いろいろとしらべていくとおもうのだけど
なにか、憂生自身は縁故というかwww
自分の身に起きたことにかかわってきている存在としてという意味では
まったくの自分ごとといっていいと思う。

そして、剣山=空海となってきているが、
これも10年近く空海とかかわる神社のちかくにいたり
今もってそうなのだけど
転居する場所、転居する場所
おおかた、神社や寺のちかくで、
今も寺のふもと?だし
今回ははなれているけど、やはり近くに弘法さんもあるwww
東寺もすきで、よくでかけたが、
ここも空海が開組だったろうか?ちゃうか?

当たり前のようにちかくにいて、あまり興味がなかったのだけど
日ュ同祖論あたりから、
アークの本当の持ち主?はだれであったかというあたりで、
きになりはじめ
同時に
やはり今までの自分のいきさつを考えても
メシュアを求めていたヘブライ人が
魂・御霊が働いていたとはかんがえがたく
縄文人というのは、御霊と意志の疎通ができていたからこそ
いろんなものに御霊・魂・神がいる。宿るということが当たり前だったのだと思う。
自分自身に神がいるのだから、ほかにも当然いるわけだし
あるいはぎゃくかもしれないが、
自分の御霊という感覚でなく
いろんなものに宿る神がはなしかけてきていたと思ったかもしれない。

こういうあたりで、憂生としては縄文人も自分ごととして、
捉えたくなるのかもしれない。
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