画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

不可解

古代史をかんがえていくと、
どうしても、「霊的・神的」部分がはいってくる。

たとえば、大物主が海中からあらわれる場面。
光が海中からあらわれる。
かつ、それが、大国主命の荒魂と和魂(ちょっと、ここら、間違っておぼえてるかも)である。
と、大国主命に伝える。

こういう場面をして、
やれ海蛍だったとか、
UFOがあらわれたんだとか

どうしても、人知では、うけとめがたくなってきやすい。

ところが、憂生自体がいろいろ、奇妙な体験をしていて、
たとえば、人魂が南にとんでいくのをみている。
と、いっても、当の憂生はまったくの無自覚で
ふわふわと弧をえがいてとんでいく白い大きな蝙蝠をみたと思い込んでいた。
まわりのものに話して、「おまえは、あほか」と、いわれて、
なんで、あほなのかさえ、わからずにいた。
一番、考えられるのは、白い蝙蝠であったが、
季節は冬、12月中旬だった。
黒い蝙蝠だって、外を飛ぶわけもない。

そんなふうなこともあったし、
ネットであったこともないネッ友が、自殺未遂・・入水自殺になりかけているのを
キャッチして、「死ぬな・生きろ」と、念をおくりつづけていた。
どこかで、狐・狸にばかされているんじゃないか?
と、おもうのだけど
これが、本当だったら、大変だ。
ばかされてるなら、笑い話でおわる。
と、念をおくりつづけているくせに、
「あ、もう大丈夫」と、おもうと
ネッ友のチャットを開いて待ってる。
もう、連絡があってもよかろう。
家に帰ってきてるはずだ。
と、思うわけで、
30分くらい待ってるとチャットにメッセージがはいって
お風呂はいってた。
と、いう。
ここが、現実感がないから、帰ってきたらお風呂にはいるのは
考えればあたりまえなんだけど、見てないから、わかっていない。
で、さらに、いいだしてきたのが
ー頭冷やそうかなと思って、沼の中につかっていたー
いっそ死のうかとおもっていたのだろう。
死んでみようとして、生きていこうという気をとりもどそうとしたのだろうけど
沼などにはいって、なにがおきるかわかったもんじゃない・・・。

と、まあ、ほかにもいろいろ、あるのだけど
なにかしら、そういう「不思議なこと」と、いうのは実際にあるわけで
こういう人間だから、
UFOだったとか、海蛍だとかいって
そこからして、虚構だとしてしまうと、
理解できないことがあると思ってしまう。

むろん、なにもかもが、
「神・霊」的なことだったとはかんがえてはいない。

なにかしら、大和朝廷がこしらえた物語は
事実のところを自分たちのつごうのよいように作り変えたふしがあるという面で。

ちょっと、前からいっている、
ウガヤフキアエズ王朝が、縄文時代の民族であるとするのなら
天磐船にのるくらいの文化があったろうから
当然、「神・霊」的な不思議もあったことであろう。

すると、滅ぼした側としては、
そういう「神」にちかい存在をほろぼしたのは、
まずいわけだから
まけじと、自分たちを神格化していかなければならなかったとも考えられる。

日ユ同祖論的からいえば、
はつしらすやまといわれひこ?という神武天皇の名は
ユダヤ、ヘブライの言葉におきかわる。と、
ユダヤの観点から話をするが
金色の鳶がという
「神的現象」は逆にウガヤフキアエズ王朝の王族の血がはいっている。と、いう
証拠のようなものであろう。

歴史の伝承のなかで、
あたりまえすぎたことがうしなわれ
ありえないこととして、うけとめられてしまうと
大きな証拠になっている話が
なんのことかわからなくなる。

こういう「ありえないこと」というフィルターを
はずすには、
単純にたとえばの仮説でしかないが
ウガヤフキアエズ王朝の王族はほぼ神にちかかった。
と、かんがえるしかないのだが、
通常の人間生活?人間の感覚では、
自分自身がそういう不思議な力?をもっていることにきがつかない。

たまたま、第6感のようなものが、発達していたのか
はたまた、妙なつき物でもいたのか、しらないけれど、
こういう人魂がいたり
知人の様子をキャッチしたり
と、いう血?があることをおもえば、
ウガヤフキアエズ王朝時代、もっと、しっかりとそういう能力があっただろうと思える。

昨今のSPや科学では
このあたりのこともだいぶ解明されていて、
人間自体、エスパーのような能力があるといわれている。

だが、単純に渡来人であるヘブライ人に
ウガヤフキアエズ王朝時代の人間のような「神・霊」的能力がなかっただろうというのは
これも、また伝承が証明している。

預言者という存在やら、
メシュアを待つという考え方からして
渡来人は、「神・霊」的能力が失われていた。
と、いうことになる。

そんなふうになったのは、
どこかでかいたが、
縄文時代の人々は
自分の魂(御霊)と意志の疎通ができていたわけで
そこに渡来人がはいってきて
田畑をつくりはじめると
たとえば、縄文人が
「私の御霊が貴方から米をわけてもらいなさいと、いってる」とつたえたとしても
渡来人は
そんな存在などしんじていなくて、別に神がいるとおもっているわけだから
こいつはひとのものをとりにきた。くらいにしかおもわないだろう。
縄文人はたとえば、そういうふうに御霊のいうことをきいて
逆に
「おまえんとこは、米がないんだろ。こまってるぞと御霊がいうから、米もってきたぞ」
と、わけあたえていたことだろう。

縄文人にとって渡来人はカルチャーショックであり
御霊のいうことをきかなくても、なんとかなる。
と、いう「事」をみせつけることになる。

このあたりもSPがいうことであろう。
たとえばだが、
ー分け与えよ。と、いうことを薦めるが、それをしないもするも、本人の自由選択であるー
縄文人だけのときは
御霊のいうとおりにするのがあたりまえだったのだろう。
ところが、
いうとおりにしなくても、かまわない?みたいな
なんともないというか、
そういう状態が目の前でみえたとき
なんというか、アイデンテティがくずれさったというか・・

そして、渡来人の信じるところを信じてしまったというか。
ちょうど、日本が今でいうと、クーラーをあたりまえのように
つけているけど
昔の日本の家は風通しがいいように考えてつくられていたし
あちこち、あけっぱなしでも
物騒なことはなかった。

土台がかわってしまって
クーラーをつけないとおれない状態になってしまい
我もわれもとクーラーをつける。

(クーラーがいけないといってるのではない)

そんな風に、クーラーならぬ、分け与える生活ができなくなってしまって
どんどん、御霊のいうことを聞かなくなってしまった。

そういう歴史のなかに、ひめられた真実というか
人間には御霊・魂というものがあり、
その御霊と意志の疎通ができていた。

つまり、一人一人の縄文人の中に、神がいたようなものだったわけで、
渡来人にすれば、
非常に理解不能なことだったろうと思う。

そして、後世になって
その御霊が働く人間がでてきたり、
御霊をめざめさせていくものがあらわれてしまったら
自分たちの地位とか権力があやういものになると
わかっててしまえば、
目覚めのヒントになる、あるいはきずきのヒントになる
史実はふせてしまわなければならないだろう。

つまり、神というのは
どこか別にあって
現象などおこさない。
人間に直接はなしかけてくるものではなく
はなしかけられるのは、
選ばれた人間というか
神をまつっているものだけである。

と、いう特別視になってしまったと思う。

だいぶ、ネットの情報が公にひろまっていくことにより
特別でなく、ふつうに
はなしかけられているんだとわかり始める人がふえてきている。

憂生自体はよくいうことだけど
直接しゃべりかけられるものではなく
普通に、他人からとか、
TVとか、ブログの記事とかなどという
現象にかえて、つたえられているんだとおもう。

そこを気がつけていないということはおうおうにしてあるだろう。

たとえば、仕事にいくのに、なぜか、寝坊してしまって
遅刻して、しかられて、かつ減給、精勤てあてものがす。
と、よくないことばかりだとおもっているけど
じつは、いつもどおりでかけていたら、事故をおこしていた。
それを回避してもらえているなどとは、
わからないように
現象でみせられていることにも
気がつかないでいることは多いとおもう。

そんなふうに、御霊や魂がまもっていてくれることや
はなしかけていることがわからなくなっているからこそ
史実にかくれた
「神・霊」的現象も不可解になってしまうのかもしれない。

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
8200位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
2908位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。