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とりとめなく

どうも、自分に歯止めがかかってしかたがないので、


かかずにおくことがおおいのですが、


いい加減、この状況も打破していかなくてはいけないと思っています。


ついつい、批判的になってしまうのは、いけないとおもってしまっていっそう歯止めがかかるのですが


ある意味、自分の「認識」を知るためには、批判を客観視する必要もあるのではないかともおもいます。


ここしばらく、かんがえていたことは、


いわゆるSP理論ですね。


これにあてはめてみるとwww


憂生はまあ、どうにもならない人間でしかないということがわかってきました。


どれだけ、つまらない人間であるかということがわかってきますと


次元上昇していわゆる「神」的内在と合一するなどということはとうてい無理だとわかってきます。


ひふみ的にいえば、気の毒だけど、ふるいおとされる側の人間でしかないということに覚悟?がつきますと


変な言い方ですが、


やはり、自分の中からの声を検討していくしかないなとおもえてきます。


先日でしたが、


元はなにだったかさえわからないことになってしまったのですが


「明日・わかるよ」


と、いわれたことがありました。


その明日になって


おきたことは、


オーナーとある会社にこちらが請け負った仕事のことで打ち合わせ(質問)にいったときのことでした。


所長みずから(女性陣がいなかったせいか)コーヒーをもってきてくれたのです。


それだけでしたwww


ところが、あとから、オーナーに


「めずらしいことがあるもんだ」


と、いわれたのです。


所長自ら?ということかとおもっていたら、


「俺は何年も何回もその事務所にいっているが、おちゃとか、コーヒーとかださん会社で一回ももらったことはない」


と、いうわけです。


つまり、オーナーの説明がなかったら、


あるいは、独りでいっていたら


「めずらしいことがおきている」と、いうことにきがつかなかったわけです。


実は、人生というか、日常というか


そういう中におきていることでも、


なにもしらないから、「めずらしいこと」(たとえば)だと、きがつかずにいることが


たくさんあるのにちがいない。とおもえたのです。


たとえて、いえば、


先にかいた「つまらん自分」「ふるいからおちてる人間」であると、しってみれば


こうやって、存在できているのも「めずらしい」現象なのでしょう。


そのことがわからずに、やれいきのびたいとかwww


どうにもならんとかwww


かんがえてみたところで


すでにたすかってるわけです。


これ以上、めずらしいことをねだろうということが無理といっていいかwww


今あることをよろこぶ


と、いうことが、簡単にみえてできないのは


たんに、自分のちっぽけさや罪を自覚していないということであって


そういう意味合いでは


SPやひふみから教わったことは大きかったと思います。


自分の中に声がひびき


じつにいろんなことをしらされてきましたし


いわゆる神秘という内容にもふれてきたとおもいます。


それらについて、かならず「御霊にわびろ」といわれていたことも


ひふみをとおして、意味合いがやっとつかめてきました。


それをはっきり自覚させてくれたのは、


在る人とオーナーの何気ない言葉からでした。


不思議なことについて


「なにか、昔にそういうことおもったとか、根拠があるわけ?」


いいえと応えたときの彼の返事は


「こわ!!」


だったわけです。


思いからなってくることであるのなら、


どこかに根拠があるわけです。原因になる思いですね。


それがないのなら、自分でないものに差配されているということであり


あるのなら、その原因をきれいにしていないから不思議なことがおきるわけです。


それらのことをたなあげして、不思議なことにとらわれていすぎたとおもうし


それ自体の答えをみつけようとしすぎていたともおもいます。


自分がどういう状態なのかという


客観視ができていなかったところで


多くのひとによって、しらされてきたところもあります。


そして、今、一番思うことは


SPのことでも、こうなんというかな、すばらしいことを書く人がいっぱいいらっしゃったり


別次元の意識(いわゆる高次元?)の存在とコンタクトできたり


こういう人たちがすごいとおもってしまう意識が逆によくないなということです。


(その人たちのいってることとか、で、なく、自分が、すごいとおもってしまうということが、です)


なにかの本でかいてあった宇宙からの意識をよんでいたとき


こう技術的なことを本当にやってきた人を見ている部分で


この本にかいてあることは、論理でしかないといっていいか・・・


兎に角一生懸命やっていくということ


これがなにもかもをささえていくんだということをぬきにして


いわば、咲いた花がきれいだとか、きれいじゃないとかということをいっていて


じゃあ、その花をそだてていく土をどうしてやったか


真夏には日陰をつくって、水を適切にあたえてとか


そういう実際の面をやっていってるかというと違うとみえる。


もしそうなら、きれいに咲かない花をみたら、これは、肥料がたりないよとか


その原因をいえる。


きれいか、きれいじゃないかなどでなく


きれいにさかせることをしっているかどうかという、そういう実質面がかけている。


そういう風にみえて、しかたがなかった。


なにか、気分だけうわむいて


できた気になってしまうのなら


いや、もうしわけない言い方だけど


自分がいかにだめな人間か、はっきりしったほうが(つらいことだけど)いいんじゃないかと。


妙な言い方だけど


幸せな誤解をしているより、


くぼまず、自分のだめさ加減をうけとめられたらいいなと・・・。


たぶん、そのようなことをかんがえていたときに


「明日わかる」といわれたきがする。


いかにだめな人間か、わかりきっていないというか・・


なにも、知らない人間といっていいか


めずらしいこと  それが みえてないといっていいか


だからこそ、すばらしいことをいう人をすばらしいとおもってしまう。


自分こそ、いかにだめな人間がこうやっていきのびているという


そのほうが、よほどすばらしいということにきがついていないというかwww


(すばらしい人がすばらしい生き様でいきのびれてるのはあたりまえといっちゃあ、なんだけどさ)


自分にあるのは、そういうマイナス面ばかりで、


それにうちひしがれていたところがおおいにあるんだけど


これっぽちもすばらしいことなどなくて、本質というか


裏打ちをもっていえることといったら、


いかにだめな自分でもいかせてもらえているという「すばらしさ」をもっているというくらいしかない。


こうなると、なにも書くことがなくなってしまってwww


感覚的なことをかいてみたくなるだけ・・だな。


でも、裏打ちなしで、下手にしゃべって、人の気持ちをふりまわしてしまってもいけないなって。


なにせ、情報氾濫しすぎて、


一言一言の余波がどうでるか、わからんやん・・・


そこまで、影響力あるとおもうほうが、しょってるか・・・(自爆)


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