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パンパンとチョコレートに寄せて


魚を殺しながら伝えられたキリスト教、豆や草木の生命を消滅させながら伝えられた仏教。

これらの「殺生に関しての永遠の地団駄」というのは、宗教だけの問題ではなく、人間が生きていく上で常にのしかかる問題だとは思います。


すべては生きている。


でも、何かを殺して食べなければならない。

それは「生物学的な輪廻」でもあることもまた現在の生物学や環境学では説明できることですけれど、学問の話ではなく、「意志」として、このあたりをどうして生きていけばいいのか。

ガリラヤ湖の報道を見て、久しぶりに「食べるということ」を考えるのでした。

http://oka-jp.seesaa.net/article/355083575.html


転載フリーとのことで戴いてきた記事ですが、
この記事を読んで、パンパンとチョコレートのラストとかさなると感じたのです。

洗っても洗っても落ちないしみが敷布に染み付いていた。

いまさらに・・・。

女がここで、この場所で、この布団で。
命をつむいでゆく糧を得る作業をしていると教える。

しみついて、どうしても落ちないしみをつけて、
女は春をひさぐしかない。

僕も・・・・。
分かっていながら、
うまい言いぬけの気持を底にひめたまま、
罪悪というしみをつくっていきてゆくしかない。

女も僕も
どんなに「こだわり」をもってみたって、
けっきょく、
しみを作って生きてゆくだけなんだ。

売春というしみ。
盗人というしみ。

そのしみを魂にまでしみつけておきたくない僕と女は
チョコレートを食べずに置く。

でも、そのチョコレートは
捨てる事も出来ず、僕の心にしのびよってくる。

僕は・・・・
女は・・・・。

ぬぐいきれないしみを作りながら
いきてゆくしかできないんだろう。

そんな悲しみにさえ
蓋をして・・・。

僕も女も
僕らも・・・・・。

いきぬいてゆくだけ。

*******
この物語のラストの言葉。

ぬぐいきれないしみを作りながら
いきてゆくしかできないんだろう。

そんな悲しみにさえ
蓋をして・・・。

僕も女も
僕らも・・・・・。

いきぬいてゆくだけ。

釈迦も仏陀もどんな偉業をなしとげ、多くの人を導こうとも、
個人、生きている限り 魚をくらい、豆をくらい
命を犠牲にしていきていくという「しみ」をつけていくことには
なんのかわりもない。

ただ、そこを自覚しておくことしか、できない。

生きるということは、
その上になりたつ崇高なものであり
崇高なものはまた、とてつもない非道である。

ここをしって、こそ
いきぬいていく。
できうるかぎり、誠意な思いをもつということ以外
人間にゆるされた「思い」の自由を開放する手立てはない。

それが、カタルシス
魂の浄化ということなのだろう。



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