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思案中に寄せて

思案中という物語をあげようかと思っています。

この物語の中心人物は
自分のことより、友人のことをとても親身にかんがえるのですが、
あるとき、
それを読んだ人から
「こんなできた人間なんか、いるかしら?」
と、いうことをいわれたのです。

そのときは、
正直、びっくりしました。

できた人間がいるということが、
ありえない。
こんな考え方をする人がいるなんて
ありえない。

と、かんがえるその方の受け止め方におどろいたのです。

その方の本の読み方は
実際にありえるかとか
設定がつじつまがあってるだろうか?とか
骨格のほうを問題にする読み方だとおもえます。

憂生はショーペンハウエルの読書のすすめが
的をえているとおもうのですが、
それ以前に、小枝の物語で別の読者さまと話したことがあるのですが
その方は、小枝の不幸な境遇をみて
ああ、自分は五体満足にうまれてありがたかった。
と、いう感想をいっていました。

物語というのは
物語の中にどっぷりつかって
そして、一歩はなれたときに
自分はどうだろうか?
と、いうことを考えることによって
物語からえたことが
自分の血肉になるもので
そういう読み方をできるのはすばらしいし
できれば、そういう物語をこれからもかいていきたい。
と、もらしたことがあります。

つまり、先のそんな人間ありえるだろうか?
と、一石とうじることができたことが良いのだと思えるのです。

そのさきは、個人の自由ですが、
ありえるか、ありえないかの詮議でなく
そういう風な自分に(自分のことより人のことを先に思う)なれれば
「そういう人間はありえる」
と、いえるし
あるいは、「そういう人間をめざそう」
と、かんがえれば
やはり、そういう人間はありえる。と、なってきます。

本をよむのに、
触発やきずき(啓蒙)はむろんですが、、時に心があらわれる。(洗われる)
そういう本を無性によみたいとおもったとき
そんな本をさがすより、自分で書いたほうが早い。
と、
憂生は自分という読者のために、
物語をかきはじめたのです。

今、ここで、
思案中の中心人物がみせてくれた
「しんから、相手のことを考える」という生き様もまた、憂生の中の指標であったと気がつかされています。

この物語は、物語の中とよく似た状況の在る人のためにかいたものです。

このアンチテーゼがそのひとの目にふれたかどうかわからないことですが
彼女にとって、別の視点で自分をみつめることができたらいいなというおもいでかきました。

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