画像1 画像2 画像3 画像4

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

つれづれに・・・3

前回、車の運転で助手席に座っていると
「怖い」という思いがわいてきて・・・
と、いう話を書きました。

そして、ナゼ、怖いかと思うかということは
ひとつの事故がおそらくトラウマになっていた。
と、いうことだと思えたのです。

その事故については
怖いと意識することすらなく
事故になってしまっていたので
自分は怖いと思っていなかったと思っていたわけです。

それで、ああ、怖いと思うのは
トラウマなんだなと認めて
怖いと思ったときに
ああ、自分、今怖いとおもっているんだ。
と、自分のトラウマをみつめていたわけです。
すると、怖くなくなる。
と、いうか、自分に意識を集中することで
怖さを外のこととしてみれたわけです。

次におきたのは、座席の位置を高くしたことで、
やはり、怖さを感じたのです。
これは、目線があがったせいで
周りがよくみえて、
外をみているから、怖さがでてくるとおもえましたし、
わずかな車体のぶれなどが怖さをひっぱってもきていました。

つぎに、車体のぶれをなおしたものでドライブすると
まるで、地をすべっていくような安定した心地よさがあり
目をつむってみると
まるで、リクライニングシートにすわって
すーと移動しているような
エレベーターで横に移動しているような感覚でいました。

ところが、目をあけると
やはり、怖さがでてきました。
なぜか、そのとき、運転者側は怖いと思っていない。
という事をおもわされたのです。

つまり、助手席の人間は運転していないことをいいことに
外をみたり、ナビをみたり、好き勝手な方向をみているわけです。

ふと、運転している、視線になったらどうだろうとおもわされたのです。
大きなカーブの前では運転手と同じように
道がどうなっているか、自分も同じように道を確かめながら
みていますと、当然、切り込みの角度もわかってきて
車がきれいにまがっていっているか
カーブでふくらんでいるな、とか
わかってくるわけです。

そうすると、「怖い」という思いがなくなっていたのです。

運転者本人も、車の限界がわかっているから
対処もできるけど、それでも、限界に挑むときなど
「怖い」と思うそうです。
怖いと思うところが自分の限界だとわかっているところがあるわけです。

そして、怖いというところまでいかずとも、
カーブで膨らむとかなってきたときには
その原因を考えるわけです。

車の構造を良く熟知している人なので
車体フレームの弱さが原因だとかわかれば
フレームを強固のものにできる補強を加えていきます。

そして、また、それから、試運転して
車の弱点を知って
改良を加えていく。

おそらく、通常の運転しかしない憂生には
こういうことがわからなかったと思います。

それは、車の運転という名前をしていますが
自分との向き合い方ということではないかと思うのです。

とことん、走ってみて、弱点に気がつく。
そして、それをなおしていく。

ここ、何度かで、
実際の運転でなく、助手席にいただけでありながら
憂生自体の弱点に気がつかせてもらえる出来事でした。
トラウマの認識
目線があがってない。
同じ視点にたつ。・・・など・・・。

貴重な経験でした。

関連記事

コメント

非公開コメント
 INDEX    RSS    管理

猫・追加中

カレンダー

07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -

最近の記事

作品集(アルバム仕立て)

カテゴリー

アクセスランキング

[ジャンルランキング]
日記
3773位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
その他
1388位
アクセスランキングを見る>>

ブログ村

訪問者様

ページランキング

ブログパーツ

IP検索

全記事表示リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。