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つれづれに・・2

今日のTVでサイコパスの話をやっていました。

自分の念で人を操る と、いうものです。
その操っていた人も実は他の人の念におどらされていたということだったのです。

なにか、感慨深いところがありました。
ドラマは悪い思いが念になっていたのですが
じつは憂生自体、ふりかえってみると
悪い思いで、人をあやつっていたときがついたことがありました。

実はサイコパスなどというのは、みんな普通にある能力なのです。
悪い思いをもっているとそれに見合った現実がおきてくるというのも
サイコパスのひとつです。

そのあたりに気がつくのが遅すぎたというところはあるのですが、
自分の悪い思いがとんでもない事態を引き起こすんだということの
生き証人みたいな憂生がいまさら思うことは

同じサイコパスなら、
良い思いを持てばいいじゃないか。
と、いうことでした。

憂生がそのサイコパスであると思われる現象は
かなり早いうちにでていて
以前にも書いたと思いますが
これ、ほしいなとおもっていたら、誰かがもってきてくれる。
今おもうと、それらの品物もいろいろと意味があったと思います。

そんなことがたびかさなっても
なにか、自分には不思議な力があるんだ
とか
それくらいにしか、悟っていなかったのです。

実は
「何もかもが、自分の思いの通りにうごいているんだ」
と、いうことであり
その思いがどういうものであるか、と、いうことを詮議しなかったのです。

見えているところ、現象としてサイコパスとして顕れた部分は
自分の「思い」と符号しているわけですが
見えない部分というか、認識していない部分
たとえば悪くなっていっている状態の下になっている原因である「思い」はさっぱりわかっていなかったわけです。

長年かかって、落ちるとこまでおちて
やっと、自分の邪の思いが
人をうごかしていたのだと気がついた有様でした。

そして、一番、間違っていたのは
自分でなく誰かにすがる思いだったと思います。
こういう思いが自分でなにかをする。
と、いうのでなく
とことんピンチになると
一種神頼みするわけです。

すると、霊能力じみたものが出てくるわけです。
と、いうか、いわゆる「台」の気質をもっているのだと思います。
それを物語る一番の出来事は
あるとき、「この人はみみずくになる」という何者かのささやきでした。
この言葉の意味はその通りになりました。

何者かの思いを拾う、ささやきがきこえる(耳がつく)
と、いうことは以前にもあったことです。
それをしっかり肯定してしまい、それがはっきり出てきたわけです。

すると、いつのまにか、その通りのことがおきてきたのですが
精度のない台(よりしろ)ですから
よりついてくるものがいろいろいるわけです。

そして、それらの能力にあまんじてしまい
自分で何かを考え、ナゼこんな悪いことになってしまったのかという
自分の原因をかんがえつけず
いたわけです。

ただ、一方では
蛇が鎌首をもたげているぞ
とか
とぐろを巻いているぞとか
おしえてくれるものがいて
その存在を「すくね」とだけ教えてくれました。
そして、神道家が体内にもぐってくれたとき蛇と鬼がいるということも
おしえてくれました。

その白蛇が邪念の状態になっているときがつくまで
しばらくかかりました。

もともと、蛇は知恵と生命力の象徴であり
蛇も使い方しだいというかwww
自分の心のありようで敵にも味方(見方)にもなるものだったのですが
憂生の心のまずさで邪蛇にさせていたのです。

日本人に限らず、世界中の人がこういうサイコパスなのだとおもうのですが、
日本人は昔は良い思いしかもっていなかったので
サイコパスとしては、質の良いものだったのです。

ところが、この能力で人を助けたりする人もいて
それはそれで、むかしはよかったのでしょうが
今は憂生のように自分で努力しないで
簡単に答えを得ようとしたり
自分の欲をかなえてくれとか
そういう他力本願になってしまって
自分の台にかかるものは
本来自分の御霊であったはずなのに
ほかにたよってなんとかしてくれとなってしまって
台に乗せるものも、台自体も無くなったり、使い物にならなくなってしまったのだと思います。

それを取り戻せ。ということだったのだと思います。
自分という車を自分が運転する。
と、いうところにたちかえらないとだめだったのだと思います。

憂生は大本神喩の中の
御霊が磨かれた人には高次元の神がかかるという言葉に
いささか、疑問を持っていました。

確かにそうなのですが、
御霊がみがかれてない人にだって
高次元の神はかかると思います。

ただ、それを高次元だとおもわないだけではないかと・・・。

悪い状態だよとみせてくれるのも高次元の神です。
それをしって、自分の身も心もきれいにしていけば
両面スクネのように
悪い蛇にみせていたものが実は自分を救ってくれる良い神だったときがつくわけです。

あと、大本神喩の最後は尾張にいく。
と、いう言葉がありますが
この暗喩が蛇が尻尾をくわえた図がうかび
尾張・・名古屋の気質に対して
古い秩序(筋目)を護りつつ新しいものをうけいれていく。
と、いうことだと思えたのです。

そして、もう新しいものに変わっているはずなのに
尾をひく
昔の悪い風習や考え方・思いが尾をひいてしまうので
蛇はその尻尾にかみついて、尾をひかないようにする。

そして、螺旋をえがきながら上昇するために
又尻尾をはなしていく。
その姿がたとえば、蚊取り線香なのではないかと思うのです。

そして、今まで加えられたものをもやしつくして
虫をころして(自分の中の虫・・泣き虫とかに代表される虫)
(加取り選考)
新しいものを選考していく。
そして、蚊取り線香の台の下には
灰(はい)
これでよかった。と、いう「はい(YES)」がのこる。
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