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拝借

http://www.asahi-net.or.jp/~xx8f-ishr/sendaikuji_3.htm

「汝の子等の事代主神と建御名方神は天神の御子の詔のままに逆らわないと言った。汝の意思は如何なのだ」

と問うた。大国主神は

「我が子が逆らわないと言うのであれば、私も逆らわない。この葦原中国は詔に従い奉ります。私が住むところを天神の御子が治めるために住まわれる宮殿のように、底津磐根(そこついわね=地の底に有る磐)に太い宮柱で高天原に届くような高い宮殿を作っていただければ、隅の方に隠れて居ましょう。また、我が子の百八十神は事代主神を指導者として使えていますので、逆らう神はいないでしょう。」

そう言って、大己貴神と事代主神らは去った。また、

「もし、私が防ぎ戦うと国内の神は同じく戦うでしょう。私が去るので、誰も敢えて逆らわないでしょう。私は、国を平定するとき廣矛を持って行いました。二神に申し上げる。私はこの矛を持ち平定に成功しました。天の御子がこの矛を用いて国を治めるならば、必ず平安になるでしょう。今から私は隅の方に隠れます。」

そう言って、隠れられた。

二神は逆らう諸神を誅した後、出雲の国の多藝志(たぎし)の小濱(こはま)に天之御舎(あめのみあらか=宮殿)を作り、水戸(みなと)の神の子孫の櫛八玉神(くしやたまのかみ)を膳夫(かしわで=料理人)として、御饗(みあえ=供え物)をささげさせた時、祝言を述べて、櫛八玉神は鵜になり、海の底に潜り、底の埴輪を咥えて出てきて天八十毘良迦(あめのやそひらか=多くの平たい皿)を作り、海草の幹を刈取り燧臼を作り、藻の幹を刈り取り燧杵を作った。両方をすり合わせて火を作り、

「私が作った火は、高天原の神皇産霊御祖尊(かみむすびみおやのみこと)が治められる新しい宮殿にすすが長くたれるまで焼き上げ、下は底津磐根を焼き固め、楮の縄を長く打ち釣をする海人の釣り上げた鱸をさらさらと引き寄せ上げて、机もたわむほど立派な天之真魚咋を差し上げましょう。」

と言った。経津主神と武甕雷神は天に還り登って、復命した時、高皇産霊尊は経津主神と武甕雷神の二神を還し遣わして大己貴神に

「汝の言う事はもっともなことで有る。更に条件を告げる。汝が治める現世の事は、私の御孫が治める。汝は幽神(かくれがみ)を治めよ。また、汝の住むべき天之日隅宮(あめのひすみのみや)は今から作る。それは、千尋の綱で百八十(ひゃくやそ)に結び(=しっかり結び)。また、その宮の作り方は、柱は高く太くし、板は厚く広くし、豊かな田で作った物を供えよう。そこで作る作物が実り茂る事を祈ろう。また、海に行って遊ぶ時の為に、高い橋と浮き橋と天鳥船を供えよう。天之安河に打ち橋を作ろう。また、百八十の白い盾を作り供えよう。汝の祀りを司るのは天穂日命(あめのほひのみこと)である」

と仰った。大己貴神は

「天神の仰る事はこの様に行き届いている。敢えて、逆らうことが有りましょうか。私が治める現世の事は皇孫がなさってください。私は退いて、幽神を治めます。」

と言った。岐神(ふなどのかみ)を推薦して二神に

「私に代わって従うでしょう。私はさらしていただきます。」

そう言って、瑞之八坂瓊を被って、永遠に隠れられた。経津主神は岐神を道案内とし、各地を巡って平定した。逆らうものが居れば、斬り殺した。従うものには褒美を渡した。この時従うものは大物主神と事代主神で有る。八十万(やそよろず)の神を天高市に集めて、率いて天に登り誠を披露された。


この時、高皇産霊尊は大物主神に

「汝が、もし国津神を妻としたなら、私は汝に異心があると考える。それゆえ、今、私の娘の三穂津姫命(みほつひめのみこと)を汝の妻とする。八十万の神を率いて皇孫に永遠に仕え奉れ。」

と仰り還り降りさせられた。紀伊の国の忌部の遠い先祖の手置帆負神(たおきほおいのかみ)を作笠(かさぬい=笠作り)とした。彦狭知神(ひこさちのかみ)を作盾(たてぬい=盾作り)とし、天目一箇神(あめのひとつのかみ)を鍛治とし、天日鷲神(あめのひわしのかみ)を作木綿(ゆふつくり=布作り)とし、櫛明玉神(くしあかるだまのかみ)を作玉(たますり=玉作り)とした。天太玉命(あめのふとたまのみこと)を弱い肩に太い襷を掛けるように、御手代(みてしろ=天孫の代理)とし、神を祀のはこれが始まりである。また、天児屋命は神事(かみわざ)の総元締めである。ゆえに、太占の占いで奉仕するのである。


高皇産霊命が

「私は天津神籬(あまつひもろぎ)及び天津磐境(あまついわさか)を葦原中国に作って、私の子孫に祝い祀らせよう。」
と言われた。そして天太玉と天児屋の二神を天忍穂耳尊に副え従わして天下る時に天照大神は手に宝の鏡を持って天忍穂耳尊に

「我が子よ。この宝の鏡を私と思いなさい。共に床を同じくし共に宮を同じくして祝と為しなさい。天の日嗣の栄えは天槌が無窮で有るのと同じである。」

と祝の言葉を仰った。八坂瓊曲玉(やさかにのまがたま)と八咫鏡(やたのかがみ)草薙剣(くさなぎのつるぎ)の三種の宝物を授けて永く天璽(あまつしるし)とした。矛と玉は自ずから従った。天児屋命と天太玉命に

「汝等二神は同じ宮殿に居て良く守りなさい」

と仰った。天鈿女命を同じように副え侍らせた。常世思兼神と手力雄命と天石門別神に

「この鏡は専ら我が御魂として祀りなさい。」

と仰った。思兼神は御前で政治を司った。この二神は佐古久斯侶五十鈴宮(さこくしろいすずのみや=伊勢神宮)を祀っている。次に豊受神(とようけのかみ)は外宮の渡會に座される神である。次に天石門別神(あめのいわまどわけのかみ)、亦の名を櫛石窓神(くしいわまどのかみ)と言う。亦は神石窓神(かみいわまどのかみ)と言う。この神は御門の神である。次に手力雄神は佐那(さな)の県に居ます。次に天児屋命は中臣の先祖である。次に天太玉命は忌部の先祖である。天鈿女命は猿女の先祖である。次に石凝姥命(いしこりどめのみこと)は鏡作の先祖である。次に玉屋命(たまのやのみこと)は玉作の先祖である。

 これで神五部(かみのいつとも)の随伴する神を配した。

次に大伴連(おおとものむらじ)の遠い先祖の天忍日命(あめのおしひのみこと)は来目部(クメベ)の遠い先祖の天?津大来目(あめのくしおおくめ)を率いて背に天磐靫(あまつのいわゆき)を負い、臂に稜威高鞆(いいつたかとも)を着けて手に天梔弓(あめのはしゆみ)と天羽羽矢(あめのははや)を取り八目鏑(やつめのかぶと)を副えて頭槌剣(きつちのつるぎ)を帯て天孫の御前に立ち先駆けをした。

「私は天津神籬及び天津磐境を作り、我が子孫を斎奉りなさい。」

と命じられた。また、

「汝、天児屋命と天太玉命の二神は共に宮殿に居て良く守りなさい。我が高天原にある、斎庭之穂(ゆにわのほ)を我が子に与えなさい」

と仰られた。また、

「天太玉命は諸部神(もろとものかみ)を率いてその職を共に奉りなさい。天上で行うようにしなさい」

と仰られた。諸神に共に従いなさいと命令された。また、大物主神に

「八十萬神を従えて、永遠に皇孫を守り奉りなさい」
と命令された。正哉勝勝速日押穂耳尊(まさあかつかちはやひのおしほみみのみこと)は高皇産霊尊の娘の栲幡千千姫萬幡姫命(たくはたちちひめよろずはたひめのみこと)を妃とし、天上で子が生まれた。名を天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)と言う。この皇孫を親の変わりに天下らせようと思われた。天照大神は

「言う通りに天下りさせて良い」

と許可された。天児屋命と天太玉命及び諸部神等を伴として授け、また召し物一式も前例のごとく授けられた。その後、天忍穂耳尊は再び天上に還られた。太子である正哉吾勝勝速日天押穂耳尊は高皇産霊尊の娘の萬幡豊秋津師姫命(よろずはたとよあきつしみめ)またの名を栲幡千千姫萬幡姫命を妃とし、二人の男の子が産まれた。兄を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほのあかりくしたまにぎはやひのみこと)と言い、弟は天饒石国饒石天津彦彦火瓊瓊杵尊(あめにぎしくににぎしあまつひこひこににぎのみこと)と言う。
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