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プリズム


どうしても、にぎはやひがきになるので、いろいろ、しらべていくと
この神?も封印されているという。

なぜ、封印されているかというと、
たたっているからと思われる。

そして、あるブログからの情報で
三輪山の大物主は三輪山をとりまいているという。
霊能力者には白い大きな蛇が三輪山を巻いているようにみえるとのことだったが

本当は三輪山が石神で大きな蛇はよくない。

で、憂生もこの前大神神社?石上神社?に念をあわせてみたところ
「この神は外をうけつけん」
と、いうなぞの言葉をわかされた。

以前にも、裏天皇である、にぎはやひが表にでてくるということで
羽子板のことで、説得?したつもりでいた。

にぎはやひが恨みをもっているとおもったのはそのときで

こののち、
白蛇の話をしらべていったときに
「蛇は邪のおもいを好んで食す」
と、かかれていたのにであった。

実際、憂生の中の白蛇もそのようであって
憂生の邪の思いを栄養源にしていたようにおもわれる。

で、先日のとんぼの話で邪の思いをもつように
なんらかの(白蛇かもしれない)存在から邪の思いをわかされるようなふうに
されていたところもあると思う。

つまり、三輪山の石神・・三輪山ににぎはやひをおしこんだものだから
にぎはやひは、たたり神になってしまった。
そこで、裏天皇ともなる存在であるから、
そのたたりの思いもすさまじく、
大物主がその思いを食していた。

こういう図式が、そのまま、憂生に当てはまったと思う。

つまり、前回、話した白蛇が白い卵にとぐろを巻いているイメージが双であると思う。

いつか、白い卵をのみこもうとかまえているようにも、
まもっているようにもおもう。

その前に、憂生はよく御霊といういいかたをしていた。

ところが、魂というものもある。

ここが、よくわからずにいた。

そして、御霊が開いてる。と、いう言われ方をよくされた。
御霊が開いてるということが、どういうことであるかよくわからなかった。

御霊については、
針でつついたほどの小さな穴があって、
そこからつく息だけをしているという。

その御霊が開いてる?

開いてるということは、
開いてないのとくらべて、雲泥の差があるという。

簡単に考えたのは、
たとえば、目がみえているのと、目がみえていないのでは
見えるものが違う。
こういう差?だろうかとかんがえていた。

ところが、なにかおかしいと思い出した。
御霊の奥にまだ「ごくう」というものがいて
これは、天でさえさわれないものだという。
極端だけど、
みたまはにぎりつぶすことができても・・・ということ。

この「ごくう」がでてきたらたいしたものだ・・・という。

実はこれが、魂で、
1霊4魂というのをきかされていたことがあったけど
憂生がきいていたことは、むしろ、逆で
御霊のほうが分霊とか?空に御霊のいくつかがかえってしまったとか?
そういう話をきいていた。

そんなある日。
魂をこめる。とか、この作品は魂がこもった作品だとか?
御霊がこもった作品だとはいわない。

なにか、御霊と魂というのとは、ちょっとちがうのではないか?
と、思った。

すると、又も在るブログに
「もともと、ふたつあるものを ひとつにしようとしているところに」
と、いう言葉があり
なんとなくだけど
御霊のひらいた隙間から魂が顔をだしている図柄がうかぶ。

魂はもともと自由で、たとえていえば、光の玉のようなもの。

御霊は死んだときに霊体になるといわれるように、
霊が人の体にはいっているから、人になる・・霊(ひ)止(と)で
イメージで考えると
卵の殻のように、魂のまわりをまとっているのが、霊ではないかと。

その卵の殻が開いている。
つまるところ、それは、ひょっとすると
魂が殻をやぶって、ひよこのようにうまれようとしているのではないかと。

そのためには、まず、白蛇をどけなければならない。
惨めな思いや
じぶんだめだとか、しぬかもしれない。
あんたがまちがってる。うたがわしい・・・
など、いろんな思いをわかさせて、白蛇はそこにいすわろうとする。

エンパスでもかいたけど、
実は自分の思いでないものが、わかされてくる。
それにたいして、自分がおそれをいだいたり、
まちがいだとか、こんな自分じゃだめだとか

そして、次々に思いの罠にはまってしまう。

そして、今日、ひどい幻惑感にとらわれてしまった。

この状態も自分では判断がつかない。
なにかがついている?
あるいは、逆に、御霊が上昇してしまっていて
本来の自分の程度はこんなものでしかないとみせられているのか?
御霊がひらいているというのは、うそで
今、ひらきはじめて、おかしくなっているのか?

などと、なって、
もうだめだ・・・みたいな?
どうにかなってしまいそうな感覚になっていったときに
この間の川をわたらせられた少年の最後の言葉
「もう・無理だ」という言葉。
これにたいして、もうしわけない言い方なのだけど
「もう、無理だ」と、おもわず、
「なんとか、いきのびるぞ」と、おもったら・・と。
そのことが、ふと、わいてきたのと、
なぜか、すなおに「魂」というのがいるんだ。
それが、今、うまれ?だそうとしている。
と、思ったとたん、
ぱっと、重いものがとれていった。

そうそう、そういえば、もうひとつ、
恐れをふりはらったもの。

霊能力者は霊に御霊に穴をあけられてしまう。

このことを異様に怖れていたと思う。
なにか、ずいぶん、昔とかわってしまったというか。
昔はいけないことをしようとしているとしても
たとえば、おぼれる人がいて
自分はおよげない。
だったら、たすけにいくなんてしちゃいけない、みたいなことを
いわれたら、
誠の思いに天が乗る
と、いいかえしていたものだ。
自分がどうなろうと助けに行く。
そういう意味合いで天をあてこんでにしているという意味合いではない。

そんなふうだったのに、
困ってる人がいたら、ほっておけない人(のつもり?)だったものが
自分の魂に穴があいたら、いやだ、こわい?と
霊能力を否定していた。
霊だろうが、なんだろうが、こまってるならたすけてやれ。
穴が開いてぼろぼろになったっていいじゃないか。

と、いうこともおもいなおしていた。

いろいろと、邪心にくるしんだ、なにもかもが、
このでっかい大物主という封印をとりはずすためだったのだと思えた。

そして、どこかで、蛇をおいはらえなかった罠は
蛇の存在が命のエネルギーなのではないかという思いがあったせい。



その仕組みに気が突き出したとき、
フリート・コーンという言葉がうかびだした。

すばやい、三角錐

プリズムのような存在である。

これの中心に赤い球体がみえる。【イメージ)

それも、正体はわからないが
憂生には、三輪山の中にとじこめられたにぎはやひにおもえた。
フリーメーソンのピラミッド?にもみえなくもないが・・・

つまり、己の邪心をとりはらえばいい。
と、いうことにおもえた。

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